あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

都江堰とは?

2008年05月25日 23時38分35秒 | 旅々しい
四川大地震ですっかり有名になった「都江堰」ですが、そもそも都江堰とはなんぞや?が全く紹介されないのが残念なので、解説します。
「都江堰は成都市の北西約60キロにある。紀元前3世紀の戦国時代、秦の昭王の時代に李氷、李二郎親子によって造られたと伝わる古代の水利施設のこと。
都江堰市内を流れる岷江をせき止めて分流したもので、2000年余りを経た今でも、その機能を果たして、四川盆地をうるおしている。全貌は上の地図の右手、近くの二王廟から見ることが出来る。
少し詳しく解説すると、現在の都江堰は魚嘴分水堤で分水され、春期には6割の水量が内江に入り、夏、秋の増水期には逆に6割が外江に入る。分水の目的は増水時の調節と、泥水をなるべく外江に流すことにある。内江を流れた水土は飛沙堰でさらに調節され、水中の泥が排出される。
離堆には岩盤を穿って2分され、瓶の口のようになった宝瓶口という取水口があり、内江の流れはここに流れていく。ここでも増水時の水量が調節される。
現在の都江堰は李氷の時代からは変化していると考えられ、一説では910年の大洪水のときに堰を移動させた時のものであるとされる。
中国4000年、奥が深いです。さて、地震後、これらの施設がどうなったか、全然ニュースに流れないのが、つくづく残念です。
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86年撮影、都江堰

2008年05月25日 23時01分26秒 | 旅々しい
都江堰は巨大な水利施設なので、全景を1枚の写真に納めるのは難しい。
で、写真は二王廟から見下ろした都江堰の一部。写真中央が「魚嘴分水堤」です。岷江は右から左に流れてまして、この魚嘴で水の流れを外江と内江に分けます。写真手前が「内江」です。
なんじゃこの写真、豆つぶで見えないじゃん!!
と、思ったアナタ、すみません。実は写真をアップしようとスキャナーに接続したところ……壊れてました。仕方なくコピー機をスキャナーとして使うべく頑張りまして、が、それをパソコンの画面に出すには新しいパソコンでなくては操作出来なかったんです。で、フォトショップにも問題が。古いパソコンに入っているフォアトショップはUSA版つーか、日本語表示してくれない、5.02という古~いバージョンを使ってました。が、新しいパソコンに乗っているのはほとんど別物の進化したフォトショップでして、つーか、サイズが全然違うのよ。で、豆つぶ写真やら上の大きな地図を表示してしました。ま、慣れればなんとかなると思うけど…。
せっかくなので、今回の地震で崩壊してしまったらしい二王廟の写真もアップしたいんだけどな~。
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