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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

三豊と皇室、献穀の歴史

2023年10月04日 13時30分01秒 | 香川県三豊市観音寺市
香川の西に住んでます。田舎です。ここでは朝6時15分と夕方7時に毎日有線放送が流れます。
放送で「今年は文書館の近くに献穀田が設置されてます〜(中略)〜文書館では『三豊と皇室、献穀の歴史』を10月1日まで展示中です」と毎日朝夕に聞こえてきました。
会期が8月5日(土曜)からだったので、実に150回以上同じことを放送されるとさすがに気になるじゃん!
で、献穀田ってどこにあるの?とダンナに尋ねたのは9月上旬でした。
その時はダンナも所在地がわからず。わからないならしょうがないな〜?と諦めていたのですが、ダンナは諦めずに調べてました。
で、案外近くだ。自転車で行ける!と知り出かけたのですが。
献穀田はあった!
けど既に稲刈りは終わっていた。
ダンナは「ハセがけがある」と言ったけども、訪問した9月28日には既に撤去されていた。
柵の外から眺めると、田んぼに刈り取り跡がまばらになってる部分がある。おそらくあそこにハゼがけがあったのだろう。
気落ちして帰宅。数日後、明日には展覧会が終わってしまうので!と午後に文書館へ出かけた。
資料発見。曰く「令和5年(2023)度は新嘗祭献穀田は三豊市文書館近隣の山本町辻宇田井に設置されました。11年前の平成24年、三豊市に新嘗祭献穀田が設置された際にも、文書館では企画展『三豊と皇室〜主基斎田と新嘗祭献穀田」を開催しています。(中略)
三豊市地域には、新嘗祭献穀田が頻繁に設置されており、昭和以降でも今回で19回目の設置となり、各旧町から米や粟が献納されています。(後略)」
展示物には大正天皇即位大嘗祭に筵を献納しており、その見本だか本物だかを展示してありました。
他はこれ。
わかります?献穀田の歴史です。今は市町村合併で全部三豊市になります。
令和3年8月に神奈川県相模原市から三豊市山本町に引っ越し、日々家庭菜園を楽しんでる私です。気になるのは「品種」です。献穀田で作られたお米の品種は何かしら?と。
資料発見:令和5年新嘗祭献穀田概要
献納穀物:米 品種:秋さかり 献納量:1、8リットル(1升)
献穀田式典日程: 播種式:5月10日 田植式:6月10日 抜穂式:9月18日
献穀田の面積:1,243平方メートル(うち穀物圃場約300平方メートル)

大事に大事に育てるのですね。実際見た目に小さな田んぼだな。と思った私の感想は正しかった。献納量が1升ポッチならばあの小さな田んぼでも大きい程です。献納するまでお米ひとつひとつ調べて合格した米粒のみ使うのだろうなあ。
令和3年に田舎に引っ越してまず感じだのは荒れた田畑が多い。でした。不便な場所だけでなく、道路側だったり、便利な田んぼも草ボーボーでたまげました。テレビのニュースでは「今年も減反」だとか「米を食べなくなった日本人」だの流れて知ってはいたものの、実際お米を作らなくなった田んぼがどうなるか?を目撃すると衝撃です。農家さんのやり甲斐を返して!気軽に減反しておいて、食物自給率が〜とかニュースにするってどないやねん!空いた田んぼを使わない選択を農家さんに強いるな!と。
ま。実際、米を作ってた人はそれなりの「補償」を受け取ってるのでしょうが。知らんけど。
今時、献穀田の式典に参加するのはお偉いさんばかりらしい。昔の献穀田で撮影された資料は大勢が関わっている。スーツ姿の人の方が多いのはどない〜?
ま。稲作文化の伝承は大事。伝統は続けてなんぼですものね。関係ないけど私は文書館へ行った当日は、山本町辻地区のお祭りでした。
コロナで中止になったこともある。一昨年、我が家の枯れ井戸を埋める儀式をやったのですが、その時に地区の神主さんを招いたのですよ。で「獅子舞を今年も中止したら大変なことになる」とおっしゃっていました。あれもな。太鼓や舞は小さな地区とはいえ伝承出来ないと途絶えかねんからな。日本の歴史、もしかしたらあちこちで「途絶え」かけてるのやもしれん。なんだかな〜?悲しいな〜?
コメント
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