2020/2/27訪問。3つ目の部屋草丘の間から4つ目の部屋静水の間へ移動。
移動は百段階段です。
ピンボケしてしまいましたが、階段は豪華です。左上に登る階段。けど目的地は右手の細い通路に並ぶ2つの部屋。まずは静水の間です。
今まで見てきた部屋に比べると狭い。そこに並べられた人形たち。まずは右奥のから。
実はこれ布製の干し柿かな?でも観賞方法は座って見上げるのだ。と?正面から見えなかった七福神が丸く配置してありました。もちろん布製。
いつだったか、屏風の観賞方法をいうのをテレビ番組で見ましたが、座って、W字に配置したものを眺めると?作者の意図がわかるんだってさ。根津美術館所蔵の有名な尾形光琳の燕子花図なんかは奥行きとか平面で観賞しては魅力が台無し。やはり日本は座る文化だからね。
部屋に展示されてる巨大な御殿飾り。たぶん高さ1メートル以上あるわ。
ピンボケした。
けど、塔の右手に御殿もついてたの。
静水の間は二間続きです。手前の部屋の小さめの床の間に飾られてるお雛様です。あれ?女雛が左?パンフレットの写真は左右逆になってますね。どっちが正しいのかな〜??
こんな感じで、雛飾りの掛け軸も下がってました。掛け軸の隣に床柱があった。マキ材です。
で、奥の間の床柱がこちら。
ミカン科の高木の黄檗(キハダ)の丸洗い床柱。実はこの続き部屋は狭めで見物客が入ってくると手狭に感じまして、部屋にいらした雅叙園関係者の方に質問できなかったのだ。や。忘れてたとも言えるけど。次の部屋の方に質問して見忘れたの気づき引き返したの。
次の間の欄間と天井の絵は橋本静水画伯らしい。格天井は秋田杉。
静水の間の中央に見上げるほどに大きな御殿ひな壇がありました。
一部だけピンボケしてない画像があった。だるまっぽい。このだるまを手がかりにパンフレットを見たら、山口県萩市の旧久保田家住宅のお雛様でした。
次の部屋へ移動。
星光の間です。ここも二間続きの小さめの部屋です。今回は奥の部屋全てを使い大きなひな壇を設置してあり、奥に行けなくなってます。
説明プレートには「蓋付椀(明治・大正頃) 石谷家の雛まつりでは、この漆器にちらし寿司とおすい物を入れてお祝いしていました」とありました。
説明プレートには「市松人形明治初期頃 市松人形が着ている着物は、石谷家に代々伝わった着物を仕立て直して作られました」とある。
ここで雅叙園の方に質問。「床柱に使われてる木材は何ですか?」と。「マキです」
「へえ〜!ここの床柱も個性的ですね」と、ここで説明員さんに静水の間の床柱も同じマキ材を使用してると聞いて、星光の間の見物後にもう一度見にいったのです。
ところで、星光の間の梁の木が凄かったんだよね。
「なんか、梁の木材丸いですね。この木の名前は?」と気軽に尋ねたら「京都の北山杉です」と。ええ?あの高級な?「隣接の奥の間の床柱も北山杉天然絞丸太となってます。
「上の清方の間の床柱も北山杉を使ってまして、床柱1本で当時の一般家屋2棟が建つほどのお値段だとか」ご、豪華過ぎる〜〜!!ちなみに「星光の間の格天井と欄間は京都の板倉星光が四季の草花を描いてますが、実は星光は美人画が得意な絵師でした。ところが来てみたら、星光の間の上段の間を美人画の大家の鏑木清方が描いていたので、遠慮して草花を描いたと聞いてます。見ればヒラメや秋の味覚があちこちに「美味しそうな絵ですよね?」と聞いたらば「絵師の遊び心です」と。豪華ですが、ホッとする部屋です。
さて、次はいよいよ鏑木清方の部屋だ。
あ。トップ画像は絢爛豪華な漁礁の間から静水・星光の間に上がる途中の百段階段にかざられていた鳥取県用瀬町の流し雛です。私の実家は香川県でして、すぐ近くに財田川が流れてましたが、流し雛はやってなかったなあ。
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