あられの日記

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北インドの旅4日目ファテープル・シークリー(改)

2016年04月07日 06時03分25秒 | インド旅行記
この記事は4月20日に画像を多く追加して、文章も相当書き換えました。徳にファテープル・シークリーの部分は前の記事の出来が悪かったので、全面に手を入れてます。

2016年2月16日(火曜日)旅の4日目です。今日もいい天気になりそうだ!
7時モーニングコール。7時より朝食。7時半バゲージダウン。8時ロビー集合&8時半出発です。

ダンナの顔が暗い?
「どうしたの?」「ネット代が530ルピだった…」ーーうん。1000円超えだね。
延々とFacebookに投稿&コメント返ししてるのですよ。私はよく分からんが。楽しいようなので530ルピも仕方ないよな。でもさ、この使用代金はホテルによりまちまちでした。無料の所もあったし差は大きいですね。
さて、早速昨夜ボラれたロングスカーフの出番です!いや~、1枚5ドルのロングスカーフが4枚35ドルで買わされたのは業腹ですが、スカーフの色と柄はお気に入りです。手触りもいいのでもう気にしない~。今日はジャイプールからアグラまでロングドライブなんだよね。
では行ってみよう!


2016.4.20デジカメ画像を追加しました。

車窓はデリーとジャイプールの時に見かけた風景と似てて、緑と土色の繰り返し。時折山の上にジャイナ教のお寺が見えるのも同じ。

緑の畑の中に時折レンガ工場の煙突も見える。代わり映えしない。

時折高速道路なのに小さな街も通る。普通のインドの街を車窓から眺める。
車窓に丸い何かが干してある。それが次々と現れては消えて行く。あれは何?
私「すみませ~ん、丸いの何ですか?」と聞けば驚きの答えが返って来た。
ガイドさん「炊事の時に使う燃料です」ほうほう、インドは釜的なもので料理してるのね。
ガイドさん「牛のフンを乾かして作ります」
なんだって~~っ!

確かに丸いのの近くには牛がいる。
ガイドさん「牛のフンで作る燃料はよく燃えるんですよ。皆さんの食べる食事には使ってません。大丈夫です」
牛のウンチだよな?燃料にしたら臭くないのかな?
11時、トイレ休憩です。

ジャイプールの街にはピンク・黄色・白・オレンジなどのブーゲンビリアがあちこちに咲いていました。ホテルに庭がなかったのが残念です。ジャイプールでブーゲンビリアの花の撮影が出来なかったからね。と思っていたら、ドライブインで満開のブーゲンビリアま迎えてくれました。ラッキーです。
トイレ休憩のドライブインは土産物屋が併設されてました。せっかくなのでどんなお土産があったか少し紹介します。
  
 
 


白いのは白大理石に色のついた石をモザイク細工してあるお土産です。
ガイドさん「イスラム教徒は手先が器用で、大理石の小物を作っているのは彼らです」

絵はがきもあった。欲しいのもあったけど、昨日の両替不能事件が響いてる。手持ちにルピーがないんだよね。



ドライブインの駐車場の花壇に小さな昆虫がいました。そういえば…。今回の旅で昆虫を見たの始めてな気がする。なぜかしら~?
う~む。採取…したいけどさ。これさ。ハチかもしれん…。刺されたら…。ハイ、無理っ!!
バスは再び走り出す。

インドの女性は作業する時にも民族衣装のサリーを着てるのか。旅人には異国情緒が感じられて嬉しいわ。

再び車窓を楽しむ。と?ン~~?またまた車窓に変な物が現れては消えていく。

あれは何?疑問に思ったのは私だけではないようで、旅人達がそれぞれに予想を口にする。
「ミツバチの巣箱じゃないの?」「イスラムのお墓だよ。お墓の上に樹を植えてあるんだ」う~む。予想が錯綜してるな。では答え合わせです。
私「すみませ~ん。車窓の樹の根元にあるレンガや青い箱は何の為にあるんですか?」
ガイドさん「動物が植えた木を食べないように囲ってあります」
おおう…。まさかの答えでした。
あ。犯人発見!
毛を刈り取ったところかな?羊の群れですわ。

13時、昼食のレストランに到着です。今日はセットメニュー。

北インドのカレーターリーです。プレートの中央にタンドリーチキンが乗ってますね。実はこれ外国人向けのメニューだからこそです。
今日は火曜日。ヒンドゥー教徒は肉を食べない日です。肉料理は作っても売れない日だから、街中の屋台も火曜日は肉料理は作らない。とか。
また出た~。なんか、ヒンドゥー教徒は占いに従い生きてるからか?取り決めが多いんだよね。
例えば、インドの一般車やオートリキシャにバスにトラック。みんなお守りを吊るしてます。生花を吊るす場合は、花は土曜日に取り替える。
綺麗に着飾ってお金を一杯使う女神の日。使ったお金が倍になって帰って来るんだって。
鉄の日。この日は鉄製品は買わない日。
ヒゲを剃らない日というのもあったな。そういや、日だけでなく日がくれたら髪の毛を触ってはいけない
。っていうのもあった。ガイドさんは敬虔なヒンドゥー教徒でして、ヒンドゥーの教えをちょくちょく挟んでくる。多過ぎて全部覚えてないんだよね。

レストランは屋外でテントを張ってありそこでいただきました。レストランの敷地の外は畑が広がってました。既に大麦か小麦だかの穂が出てました。まだ2月半ばなのですが…。
さて、お腹がふくれたら今日唯一の観光地ファテープル・シークリーに向います。
14時30分、バスは駐車場の到着です。ファテープル・シークリーは、丘の上にあります。道幅が狭いためか、観光バスから小型のシャトルバスに乗換えます。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
他の観光客と乗り合わせ。丘を上がったら観光開始。

● 世界遺産ファテープル・シークリー
わずか14年で捨てられた”勝利の都”
1571年ムガル帝国第3代皇帝のアクバル(1556-1605)が遷都先として選んだのは、政治の要所アグラと聖地アジメールの間の土地。広大な敷地内にはイスラムとヒンドゥーの様式を融合させた独特の建物が残る。
ムガル帝国は300年以上に渡りインドで栄華を極めます。帝国が昇り調子に拡大する時期に財力を支えたのは、ヒンドゥーとイスラムの融和政策をとったから。これを実施したのがわずか13才で即位したアクバルです。(父親はデリー観光で見たフマユーン廟で眠る2代皇帝フマユーン(1530-1540、1555-1556)です。フマユーンはアフガン系民族に攻め込まれ、一時領土の大半を失う。その後奪還。インドも戻ってすぐに階段から落ちて急死した)フマユーン廟の記事は既出です。
北インドの旅2日目フマユーン廟(2016年4月4日)の記事 こちらにサウスデリーにある世界遺産フマユーン廟の画像があります。
アクバルの時代、政治のみならず、芸術面でもムガル帝国の基盤を築いた。彼の時代はイスラムとヒンドゥーが対立することもなかった。
ちなみに、ムガル帝国の財政が傾くのは厳格なイスラム教徒だった6代皇帝アウランクゼーブの時代(1658-1707)。アウラングゼーブは芸術に目もくれず、民衆から反発を招いていく。ヒンドゥー教とイスラムの融和策を廃止したこともあり以後ムガル帝国は衰退に転じる。

さて。ファテープル・シークリーの観光開始です。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
● ディワニ・アーム(一般謁見の間)
旅行会社は観光ガイドの説明を、イヤホンガイドを使って行います。
イヤホンは周りに大勢の観光客がいてもガイドの説明が聞こえなくて~~というストレスを感じないようにという配慮です。今回のツアーは客が19人・添乗員・観光ガイドと総勢21人もいますからね。
もしイヤホンを使わなかったら、ツアー参加者全員がガイドの声を聞きながら観光すると、場所によったら建物を写してるんだか日本人を写してるんだか分からない画像だらけになります。
日本製のイヤホンガイドは優秀です。屋内ならともかく、観光場所が屋外ならば、だいぶん離れても聞こえるんだよね~。
って事で、前夜観光ガイドブックをガン見してファテープル・シークリーの見所を記憶&ファテープル・シークリーの見取図を手持ちのメモ帳に書き写したら観光ガイドの話を固まって行くツアーから少し離れて撮影開始です。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。

● ディワニ・カース(貴賓謁見の間)
後々「ダンナさんを放り出すな」だの「ダンナの側に少しはいろ!」という主旨の忠告をやんわりと何度も複数のツアー仲間に言われましたが、帰国後再生した撮影済みの画像に、日本人が山盛り写ってて後悔した過去の海外旅行の失敗は繰り返さないのですよ。って事で、離れて撮影した画像が上の。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
ディワニ・カースは別名風の塔ともいいます。塔の中に入ります。
2016.4.7左のデジカメ画像を差し替え追加しました。
画像の左下に写っているの白いものは、私が持っていた紙です。

画像右上の丸いものこれが玉座。皇帝は日中、風通しがよいこの玉座で過ごす事が多かったとか。玉座の下の柱は、イスラムとヒンドゥーの飾りが合わされてデザインしてあって必見。デジカメ画像で撮影したぶんは綺麗に写っていたので、携帯画像とデジカメ画像を差し替えました。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。王座が乗ってる柱の彫刻の一部です。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。この上に王座が乗っかっています。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
上の画像奥右手にかつての宝物殿があります。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
なんか不思議な飾りがあったので建物に入って見上げてみたら。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
こんなデザインでした!
● パンチ・マハール(五層閣) 最上階のドームに向って4つのフロアが重なる五重塔。176本の柱を使った不思議なデザインはペルシアの建物がモデル。
2016.4.7左のパンチ・マハールのデジカメ画像を追加しました。

パンチマハール1階には、84本の柱がある。これって確かヒンドゥーの縁起のいい数だったハズ。
2016.4.20にデジカメ画像を追加しました。
画像のプールの奥に見えている建物は● クワーブ・ガーです。皇帝のプライベートルームで皇帝の寝室もある。
パンチ・マハールとディワニ・カースの建つ区画の端に豪華な彫刻が残る小さな建物がある。

2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
ここが必見の女性用フィッテングルームです。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
女性のフィッティング・ルームとは身だしなみを整える場所。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
かつては壁一面の彫刻に多くの宝石が埋め込まれていたそうだ。(今はデザイン化された花びらがなにもない宝石の穴が一杯です。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
上の画像の花のような模様。ここにかつては宝石が埋まってました。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
今でも綺麗に残る石榴模様です。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
かつては素晴らしかっただろう壁の彫刻から、ヒンドゥーの神や女性の顔が全て削り取られていました。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
何も鳥の首まで削り取る事ないと思うのは私がイスラム教徒でないからか?
ムガル帝国がイスラムとヒンドゥーの融和を廃止した後、イスラム教徒により削り取られた模様です。優美な彫刻で埋め尽くされているから破壊の後が残るのがより悲しいな。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
ちなみに、上の画像がフィッテングルームの天井の模様です。イスラムの星の模様ですね。これこそイスラムとヒンドゥーの融合だったのにな。
● クワーブ・ガー
プールの中央の四角い場所に皇帝が涼み、プールの周りに女性達がいるのを楽しんだとか。上の画像左手に、アクバルが側近と会ったり、執務をしていた2階建ての建物があります。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。

2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
上の画像を解説すると、旅人が立つ右上に中二階の場所かありますね。ここが皇帝のベッドです。アクバルのベッドも1階だけど、二段ベッドの上のよう高床式になってました。
上の画像を解説しますと、皇帝のベッドのあった場所の北側、低い天井がありますが、この上が2階です。現在は上がれませんが、暑い日は2階で暮らしてたんだって。
これらの画像を見てお分かりでしょうが、ファテープル・シークリーは暑い土地だったようです。ってか猛暑?こんなに豪華な都を作ったのに、ここはたった14年で放棄されました。理由は猛暑と水不足です。
作る前に調査しなかったんですかね?責任者は首がとんだんだろうな~。物理的に。

上の画像の左奥の更に奥がアクバルが妃達と暮らしたジョダ・バイ宮殿がある場所です
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
食事室です。ジョド・バイ殿の前庭の角にありました。

食事室の外壁です。これはサリーや服の飾りのタッセルがモチーフなんだって。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
ジョド・バイ殿に入って奥に抜けると中庭があります。
四角く作られた中庭の3面に、キリスト教徒・ヒンドゥー教徒・ムスリム教徒の妻の為に信じる神への祈りが捧げられるように礼拝所(というかそれぞれがほとんど寺の規模)の建物があります。


2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
今は豪華な枠の棚のように見えますが、かつてはここに信奉する神々の像が飾られていたんだって。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
祭壇飾り。今は石が詰められていますが、かつては飾り枠の中に神様の像がありました。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
この画像奥の建物がヒンドゥー教徒の礼拝場です。
私は「その場合、ヒンドゥーの神様はどんな神様が祀られていたのですか?」とうっかり聞いてしまいました。答えは、
ガイドさん「皇帝の奥さんが祈りを捧げる神様は、子供を授かる為の神様です」だって。
なら愛の神様、クリシュナかな?
ジョダ・バイ殿の前庭に、アクバル帝のお妃でジャーンギールの母のミリアムの館があります。
2016.4.20画像を追加しました。
劣化が進んで分かりにくいですが、館には多数の壁画があります。かつては黄金で装飾されていたとか。今は面影を探すのも難しい。
たまたま新婚旅行に訪れたインドの若夫婦に遭遇しました。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
チャンスと赤いサリーを着た新妻に近づきます。新郎に「奥さんが綺麗だから写真が撮りたい。いいか?」と聞くと笑顔で返してくれた。ラッキーです。
ガイドさん「優しいダンナさんで皆さんラッキーですね」と。ついでなので新婦の赤いサリーについて解説が入った。
ガイドさん「ヒンドゥー教では赤は幸せの色。そして彼らは結婚間もないカップルです」
私「どうして断言出来ますか?」
ガイドさん「奥さんが腕にいっぱい腕輪をつけてますね。これは結婚して6カ月経つとガンジス河へ沈めます。今つけていると言う事は、結婚してまだ半年経ってない証拠です」
また出た。ヒンドゥーの謎習慣。聞けば聞く程いくらでも出て来る。ヒンドゥー教徒の結婚については既出の記事で参照して下さい。 不思議なインドの結婚(2016年3月2日)の記事
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
時刻は15時半。実は世界遺産ファテープル・シークリーはモスク地区として更に奥に大きな公開している空間があるのですが、ツアーでは皇帝の私的空間と政務地区の観光だけで終わりのようです。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
これは前夜しこしこ見取図を写して暗記しただけに、知ってるから悔しい~~~。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
帰りがけ、アクバル帝と妃達が暮らした空間の中庭に残るアクバル帝の妃、ミリアムの館に残る壁画を見学。
更に戻り、かつての宝物庫とかつての浴場を見学したらシャトルバスを待ちます。これが…。観光時間の短さに比べ残念な位待ち時間が長かった!まあ、ハトVSリスやら途中から別の鳥が舞い降りてパニックになる~~ってのも見れたしな~。ま。そんな事もあらあな!

シャトルバスで丘を降りる。車窓からかつて一瞬の繁栄を極めたファテープル・シークリーの各種工房後や廷臣の館の建物の残骸が見えた。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
さて、時刻は15時45分。バスを乗換えて出発です。

また車窓を楽しみます。すぐに高速道路から一般道に入りました。



ファテープル・シークリーはアグラの南西37キロにありまして、アグラに近づくにつれ家が次第に増えます。

住宅が増えたのに、家の隣に牛がいる。うん。安定のインドテイストですね。

あれ?バスが止まった!ってか、全く動かん!渋滞じゃないって事か?ンじゃ何が起こってるのか?前方を見れば、線路です。でも列車は全くくる気配がないのに、なぜに遮断機が降りてるのか???
考えました!日本の線路の遮断機は、電車が接近すると降りるけれど、インドの遮断機は運行ダイヤの通過時間が来ると降りるんじゃないのか?つまり来るハズので列車が遅れてるんだな。たぶん。
2016.4.20デジカメ画像を追加しました。
ようやく汽車がやってきたようです。

汽車はとても長~かった!そして少し変わっていた。列車が運んでいるのは兵士です。しかも座席車の後に貨物車が繋がれていて、貨物車を兵士を運んでいます。

ちなみに5分以上遮断機が降りてた。都内にも遮断機降りっ放しの踏み切りってあるけどさ。日本の場合は電車が途切れないから遮断機が降りてるんだけどさ。インドって列車が来なくても遮断機が降りる。…のんびりしてるなあ~。
ン??
ようやく上がった遮断機に、バスが動き始めたんですがね。線路の向こうにヘンな生き物が見えた!あれは何??

もしかして、コブ牛に服を着せてる??へ・へんじゃ~~~っ!!
さて。この踏み切りを過ぎると車窓が一変。アグラの街に入ったようです。

え~と?何だか汚いんですけど~~~っ!!

これはアリなのか?今だけなのか??
疑問に思うのは旅人だけど、インドではゴミはどこに捨ててもいいんだそうですよ。世界からアグラ目指して多くの旅人が集まるんだかさら~。少しは体裁を整えればいいのに。

ま。車窓は楽しめればいいんだけどね。





ガイドさん「アグラは住民の40%がイスラム教徒の街です。インドで3番目のモスクがあります。1番はデリーにあるモスクです」
ムガル帝国の中心地だった名残りですかね?
ガイドさん「アグラにあるタージマハルで食べている人が多いです。アグラではタージマハルの白さを保為に、街中に工場は作れません。仕事がないから貧乏な人が多い。街歩きは危険なので、絶対にしないで下さい!」ちっ!念押しするとはなっ。
ガイドさん「アグラの街は水質が悪い。飲み水はミネラルウォーターのみにして下さい。ヤムナー河が流れているので、蒸し暑いです。イスラム教徒が多いので、大理石の工芸品が名産です。」

バスが道をはずれた。と?大きな広場で子供達が野球をやっている。
ん?野球??何かヘンだな~~??あれ、バッドが太くない??
じ~~~~~~ッ!やっぱ違うような??
ガイドさん「あれはクリケットです」
クリケット?名前だけは知っている!

広場の隣が宿泊ホテルだった。入口で観光客向けのサービスで、額にヒンドゥーの印、ヒンディをつけてくれた。パスポートを預けて待つ間、ロビーを見て回る。土産物屋が5~6軒入っている。さすが観光の街!
窓を開けたらさっきの広場が見下ろせる。時刻は17時20分でした。
ん??何か遠くに見えてるのはもしや…。

目を凝らしたら、タージマハルが見えた!
2016.4.20左のデジカメ画像を追加しました。
デジカメで望遠撮影してました。
明日はあそこを見学します!たのしみ~~。
ちなみに。このホテルはロビーでネットする分には無料というダンナが大喜びの環境でした。ってか!ダンナが部屋に戻って来ないんですけど~~っ!!
一言も言わずに姿が消えたので、探しに行ったら、ロビーでFacebookしていたという…。そんなやから!!Facebookに会社の同同僚から「2月22日に発表会をしなければならなくなった!すぐ連絡して」とかいう呼び出しが掛かるんじゃ!ま。いそいそとFacebookやってたからね。知らなかった!とバッくれは出来んよな~。便利なんだか不便なんだか…。
ダンナの「死ぬまでにタージマハルが見たい!」の一言が決め手で北インドの旅にしたというのに…。不憫な…。
幸い、添乗員が持ってる世界中どこでも繋がる衛星電話なるものを借りてすぐに連絡がついたのですがね。「帰国したら可能な限り早く休日出勤して欲しい!」と後輩に泣きつかれたらしい。いきなり雰囲気が暗くなるダンナです。
知らんがな!まあ、「朝の8時には成田だからさ。うまく行けばギリギリ午前中に出勤出来るんじゃないの~?」と冷たい私。しかし旅先でツレにしょぼくれられてはかなわんので。
「元気の出るものあげるから。」と。手渡したのはジャイアンツマークのついたポケットティッシュです。これさ、読売新聞の販促で郵便受けに入っていたのね。ジャイアンツファンならこれで元気だせ!

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