あられの日記

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小田原清閑亭

2011年11月13日 05時55分02秒 | 箱根・小田原周辺
昨日の記事が長くなってしまったので、清閑亭の記事を二つに分けました。なにやってんだか~…。
今日は清閑亭の外観を紹介しますね。
トップ画像は清閑亭の庭から眺めた。右手にあるのは客間と鎖の間です。鎖の間は網代天井です。左手は居間と食堂。
蔵です。

庭(南側)から邸宅の外観を撮影。
 
近頃うちの近所は民家の建設ラッシュでして、あちこちで工事を行っています。
なんかねえ~。どの家も窓か小さいんだよね。もう窓というか、壁に小さな四角をくり抜いてあるだけの家!
まあ、防犯には効果あるんだろうが、蒸し暑い日本の夏にはそぐわないような気が…。流行りなんですかねえ~。明治の家って、窓がたくさんあったんだなあ…。これより前に時代となると、これがまた…。まずガラスがなかったからね。室内照明もショボかったからね。私的にはこの時代の建物好きです。今作ろうとしたら、建築基準法的にダメなんでしょうが。いや、その前にこんな立派な木材で家を作ったらどれほど高価になるか~~っ!!

最後に昨日書きそびれていたので、清閑亭について補完します。
清閑亭は黒田長成侯爵の別荘だった邸園(邸宅と邸園)です。
この地は小田原城三の丸の丸土塁の一角を占め、小田原の町や相模灘を一望する素晴らしい眺めに恵まれています。
明治39年(1906)から飼田家の別荘となり、戦後は浅野侯爵家を経て第一生命保険会社の施設として使われていました。
清閑亭周辺は「天神山」と呼ばれ、箱根からのびてきた尾根の先端部です。この地には飼田家のほか、閑院宮家、山下家、北原白秋など、多くの文化人や実業家、政治家や軍人が別邸、別荘を構えていました。
建物全体は格式ばらない数寄屋造り。
黒田長成侯爵(1867-1939)
慶応3年、福岡藩主黒田長知の長男として現在の福岡県に生まれる。
明治21年(1888)英国ケンブリッジ大学に留学、帰国して明治26年(1893)から30年間貴族院副議長を務めた。

やっちまった~~…。
昨日美味しそうなピチピチのスルメイカが3匹398円で売っていた訳だ。すかさずゲット!更に近頃ぐっと安価になった野菜群から、ぼちぼち旬となったカリフラワーも購入。彩りに赤ピーマン(ただし、赤ピーマンをいただくのはダンナだけ)早速調理したのです。
旨かったんです。ええ、とっても~~。なので、今朝もまた同じのが食べたいと、寝ぼけた頭でイカをさばいてて失敗した~~。
イカがっ。イカの目玉を取り除いてたらブチッと弾けて潰れてしまいました~…。
ぎゃあっ!!
着用していたのは、これからお出かけするんでお気に入りのトレーナー。しかも珍しくもイタリアのスポーツブランドの高いやつ。
ここここここの服に飛ぶか~~っ!!
ここんとこ、イカを捌くの失敗したことなかったから、この惨事を予想してなかった~~っ私のアホ~~~ッ!!!
でもまだ諦めるのは早いかもしれん。こういう時こそネットの海に答えがあるハズと、「イカスミ 落とし方 服」をキーワードに検索かけたらありました!
早速台所用洗剤を抱えて洗面所にかけこんでトレーナーにかけたら、落ちましたっ!イカ墨っ!!でもなっ!!トレーナーの色まで落ちたっ!!奇麗な紫がかった青色だったのに、まだらに赤紫に変色したっ!!
な、なんで~~~~っ!!
も、手遅れです。
ええ。「台所洗剤」で落とせとは書いてましたが、「原液を服にぶっかけろ!」とは書いてません。つーか、どうしょうかこれっ。もう元からまだらな紫系のトレーナーってことで行くか?でもねっ。このトレーナーってばおイタリア様のブランドものなので、もとより雪の結晶をモチーフにした柄がトレーナーの前面にちりばめられているのです。そこに更にまだらな紫ってどうなのっ!!
現在、とりあえず漂白剤を落として中性洗剤で洗って干してますが、乾いた時にどれだけ変なのかで判断するしかない…。お、お気に入りだったのに…。焦ってる時程冷静にならんとイカンですっ!!_
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