あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

石マニア垂涎の清澄庭園

2019年10月04日 05時13分56秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019/10/1。都民の日で都内あちこちの施設が無料入園出来る日なのです。始めに旧芝離宮恩賜公園。都営大江戸線で移動し、清澄白河駅へ。
清澄庭園はA3出口から徒歩3分。12時10分の到着です。
ヤバっ!予定通りならば午前中に見物してたハズだったのに〜。
パンフレットによりますと「明治時代の代表的回遊式林泉庭園。全国の名石を配した池を巡れば、四季折々の表情が楽しめます。
一説には江戸の豪商、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられています。
享保年間(1716−1735)に下総国、関宿藩主久世大和守の下屋敷となり庭園のもとが形造られた。
明治11(1878)年に岩崎弥太郎がこの邸地を含む一帯約3万坪を取得し社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園を計画。明治13(1880)年に「深川親睦園」を開園しました。その後も造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水をはじめ築山、周囲には全国から取り寄せた名石を配して明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」として完成しました。
関東大震災後、大正13(1924)年、震災被害の比較的少ない東半分が岩崎家から東京市に寄付され、「清澄庭園」として復旧、整備して、昭和7(1932)年に東京市の公園として開園しました。
*なお、大正12年の関東大震災や昭和20年の大空襲の時には避難場所として多くの命を救いました」
ちょこっと歴史補完:
WIKIによりますと、下総国関宿藩(現千葉県野田市)主久世大和守とは久世重之のこと。幕府老中だった。新井白石の崇拝者。
wikiによりますと、岩崎弥太郎は三菱財閥の創業者。

ほうほうほう。今度は明治の政商岩崎弥太郎が全国から集めた石があるのね。
自然な流れで石を見物し始める。
2)伊豆川石

3)伊予青石 4)伊豆石
5)生駒石

7)佐渡赤玉石

6)伊豆石

9)伊豆川赤石

10)伊豆網代石

11)生駒石

画像から大きさはわかりませんが、大きな石が並んでます。あっちこっちに大きな石がありすぎ〜。
ん!?
あれ?番号がハデに飛んだ。
49)伊豆石ですって?何で飛んだ??わからないけども、池の周囲の散策路を進もうではないか!
井戸。
彼岸花が咲いてます。いい感じに日本庭園と画面構成出来なかった。残念だ。
あ!富士山が見えてきた。いただいたパンフレットによりますと、富士山:この庭園で最も高く大きな築山。関東大震災以前は、この築山の山頂近くには樹木を植えず、サツキやその他のツツジ類の潅木類を数列横に配して、富士山にたなびく雲を表現したものだと言われています」
日本庭園に築山はお約束です。それを富士山と名付けた庭も多いかも?(続く)
https://blog.goo.ne.jp/arare_002/e/1eb69bed3ef024db3947fdff431cf3c0 江戸六地蔵の1番品川寺の記事(2014.1.31)の記事</a>
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旧芝離宮恩賜庭園で秋模様を探す

2019年10月03日 11時49分42秒 | 展覧会&観光施設&能楽
2019/10/1訪問。今年の彼岸花は例年比1週間から10日も見頃が遅れたので、日本庭園に咲く彼岸花と松を楽しみつつ、秋っぽい風情を感じれる場所を探します。
奥に見えるは大岩。旧芝離宮恩賜庭園が、延宝6(1678)年に小田原藩主大久保忠朝が上屋敷として整備した場所。庭園内にたくさん岩が散らばってるのは殿様の趣味だったのか?岩好きな人にオススメの庭園です。トップ画像と下の岩山は、根府川山と名付けられてた場所。
私も若い頃には岩に興味はなかったんだけどね。〜〜ン?もしかしてブラタモリでタモリさんが地質や岩のネタをたくさん紹介してくれるかも?あの番組をよく見てるユーザーさんならば同意してくれるかな?
橋をよく見れば1枚岩だった。お殿様の自慢だったのかも?ほらさ。江戸時代って参覲交代があるから、お殿様は江戸に2年ごとに江戸に参勤し、1年経ったら国元へ引き上げる制度です。ということは、お殿様は江戸に詰めてる時間が長い訳で。〜〜暇だったんじゃないかな?時には友人の家へ遊びに出かけたりしたかも?そんな時自慢もしたい訳で。となると、世界一の庭園都市だったお江戸。お殿様たちは趣向を凝らした庭園を作ったのではなかろうか?中には国元の景勝地を再現したり、気軽に旅行出来なかったお殿様に、全国、いやさ中国の景勝地や物語を再現したテーマパークなお庭が江戸のあちこちにあったのかも?そんな思いをはせるにぴったりなんだよね。10月1日の都民の日は、お庭巡り〜!!
で、小田原藩のお殿様は、国元や伊豆石を船で運んで庭を造ったのかも?自慢できる岩があちこちにあるんだもの。
説明板発見:九尺台(九盈台)
「九尺」とは高さ、「盈(えい)」ろは水や月が満ちるという意味です。
海の波打ち際に造られたこの高台は、いつ造られたものか不明ですが明治天皇が明治8年にこの庭園に行幸された際、この台上から、海で漁民達が漁をする様子や海の眺望を楽しまれたところです。」
今ではすっかり埋め立てが進み、九尺台の向こうもビルがあって海は見えません。
あれれ?中島に向かう八つ橋が通行禁止になってます。
説明文がある。「木橋の通行止めに関するお知らせ。旧芝離宮恩賜庭園の木橋は、老朽化に伴い安全確保が必要なことから、改修までの当面の間、通行止めとさせていただきます」さよか〜。中島の松や石組みも見たかったんだけどな。ちなみに、反対側から中島に行けると思う。
こんな橋があった。この橋はさ〜、確か水戸黄門な徳川光圀が小石川後楽園に中国の江南の橋を再現して一躍大名達に熱狂的に受け入られた橋だった気がする。
パンフレットには西湖の堤「中国の杭州(現在の浙江省)にある西湖の堤を模した石造りの堤。堤の先にある中島の石組みは、楽壽園の頃からのものです」とある。やっぱり〜。
今は渡れない八つ橋。いつ改修出来るか説明文に書いてなかったなあ。
滝石組。んん??水面の下に何か見えるぞ?
石の渡り橋かな?それが水没してた。これはどういう意図なんだろうか?確か芝離宮の水位は今は海水を取水してないから一定のハズ。かつては潮の満ち引きで現れてたのかも?もしくは関東大震災で沈下しちゃったのかも?庭園ツアーなんかで識者に聞けばわかるかも?にしても、このへんが秋の気配が漂ってる。気合いを入れて撮影してみよう。
まずはガマの穂です。先日大和市泉の森公園でもみかけたガマの穂。あそこも池の岸にガマの穂があったのですが、ベストな撮影場所を探しきれずいい感じに撮影出来なかったのだ。満足〜。
ん?あそこに見えるのは亀ではないか!モデルゲット〜!!
ちなみに庭園の真ん中にドカンとあるこの池ですが、大泉水と言います。庭園の要で約9.000平方メートルの広さ。確か庭園全体で43,175平方メートルなので、池の庭に占める大きさがわかるかと。
こういうの、浜離宮でも見たなあ。あ。説明板発見:海水取入口跡。
「潮入りの池」に海水を取り入れるために、設けられた水路です。
水路の石垣や鋼鉄製の水門の遺構が見られます。
現在は海とのつながりを絶たれ、淡水の池になっています。」やっぱり〜。ということは現在は池の水位に上下はほとんどなんだね。
奥は藤棚。公園のパンフレットに写る藤の花もここのものと思われる。で、手前に現在はききょうの群落がありました。
離宮時代の洋館。関東大震災で敷地内の建物の全てが灰燼に帰した。
 
離宮時代と江戸時代の庭園です。
さて、時刻は早くも11時34分。次行ってみよう!
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旧芝離宮恩賜庭園2019/10/1

2019年10月02日 21時34分24秒 | 展覧会&観光施設&能楽
10月1日は都民の日です。複数の公共施設が入園無料になるのでピックアップ。並べてみると、都営大江戸線沿線の施設が複数あったので、今回は都営1日券(700円)を使って、旧芝離宮恩賜庭園・浜離宮恩賜庭園・清澄庭園・江戸東京博物館・向島百花園へ行くことにした。今年は彼岸花の開花が遅かったから、日本庭園と彼岸花の素敵なコラボ画像をゲットしたいなあ。
けども、前々日に突然旦那が「10月1日に人間ドック予約したから」と言いだして、出発が1時間程遅れることになった。仕方ないなあ。けどおかげで通勤ラッシュの電車に乗らなくてすんだ。まあ小田急はいつも混んでるから座れないんだけどね。新百合ケ丘駅で普通電車から急行に乗り換える。もちろん立つ。けどまあ新百合ケ丘ー新宿間は急行なら30分程度だし〜。
あれ!?電車が一向に駅から出発しない。何かあったんだぁ〜。案の定「登戸駅で人身事故が発生しました。全線で運行を見合わせています」だって。
む〜ん?幸いというか、停まってるのは成城学園前駅です。新宿よりで停まったから、そんなに待たずに動くんじゃないかなぁ〜?
甘かった〜。いつ動くんだこれ??ってなワケで、新宿に到着した頃には既にヘロヘロでした。記念に遅延証明書をもらってきた。トップ画像です。
そんなこんなで大江戸線の車内で移動しつつ行き先を絞り込む。浜離宮はパスしよう。
大門駅到着。一つ目の旧芝離宮恩賜公園までB2出口から徒歩3分。公園のホームページに掲載されてたツィッター画像が彼岸花だったんだよね。
最寄り駅は大門駅。JR浜松町駅側なので、外国人の乗り降りも多かった。で、公園に到着したのは既に午前10時52分にもなってました〜!!マジかぁ〜。遅くなったのはともかく、1つ目の訪問先だというのに早くも疲れてるのがマズいわ〜。
実は芝離宮は初めて入るんだよね。楽しみ〜。
では早速。
いただいたパンフレットによりますと、「旧芝離宮恩賜公園の面積は43,175平方メートル。池泉を中心とした回遊式庭園で、その地割りと石組みは秀逸です。この地はかつて海面でしたが、明暦(1655−1658)の頃に埋め立てられました。延宝6年(1678)に老中大久保忠朝の邸地となりました。忠朝は上屋敷を建てる際に、藩地の小田原から庭師を呼び寄せて作庭し、これを「楽壽園」と命名しました。
その後、数氏を経て、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷となりました。明治4(1871)年に有栖川宮家の所有になりましたが、同8(1875)年に宮内省がこれを買い上げ、翌年に芝離宮となりました。大正12(1923)年の関東大震災によって、建物と樹木のほとんどが焼失しましたが、翌13(1924)年1月、昭和天皇のご成婚記念として東京市(都)に下賜され、庭園の復旧と整備を施して、同年4月に「旧芝離宮恩賜庭園」として一般に公開されました。」
知識補完。
大久保忠朝(ただとも)とはどういった人物か?
WIKIによりますと、相模小田原藩主。小田原藩大久保家3代。生誕寛永9年(1632)-死没正徳2年(1712)。徳川吉宗が世に出るきっかけを作った人物。旧芝離宮恩賜庭園は、忠朝が4代将軍徳川家綱から拝領した庭園が原型となっている。
サービスセンターを抜けると真っ赤な彼岸花の花色が目に飛び込んでくる。少々見頃過ぎですが、まだ十分に美しい。


雪見灯籠州浜。
立派な石もある。
大山。園内で最も高い築山。
上ると絶景。あれ?この庭って明暦の頃に埋め立てられるまでは海だったんだよね?ということは築山も全て人造。しかも江戸時代。無茶するなあ。
大山の側に枯滝。大きさがわからないと思いますが、奥の一番大きな岩は人の背丈より大きいです。石は贅沢品。庭にどれだけ石を配置するか?はステイタスだったんだろうねえ。でもさ、大久保氏の邸地ということは、小田原藩だからあそこなら石は豊富かな?小田原から船で運んでこれるし。
何かあった。説明板発見:石柱
この石柱は、小田原北条家に仕えた戦国武将の旧邸から運ばれた門柱です。
ここが小田原藩(大久保家)の上屋敷であった当初、茶室に使われていたといわれています」
関東大震災の折に樹木はほとんど焼失したとのことですが、わずかに大きな木が庭の南側に残っていた。背後にでっかいビルがそびえていて、せっかくの整った樹形を楽しめないのが残念だ。
大きな切り株跡も。池の側に残ってます。(続きます)

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座間市かにが沢公園の彼岸花

2019年10月01日 08時17分13秒 | 彼岸花散歩
2019年9月28日午前10時ごろの様子です。

コアの場所に落ちてる枯れ枝。諸行無常〜。
こちらも目を凝らすと枯れた大枝が1つ2つ。
今年は開花が遅れていたせいか、早咲き遅咲きポイントが一気に咲いてます。

この辺りの駐車場側が一番人気。

沢なので、高低差がある。
高低差を利用して撮影。斜面に咲くので画面が立体的になる。

早くアップせねば!と思いつつ10月1日までずれ込んでしまった。開花情報としては使えないかも?ですが、参考になれば嬉しいです。
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