いろいろ報道が出回るにつけ、「あれ?」とか
「えっ?」とか思わされる記述も見受けられるので、
自分が覚えた「アリ感」も合わせて色々と書きたい
・・・と思います。

【金メダル】
ローマ五輪で獲得したのはライト・ヘビー級にて。
アマチュア時代は細かった。
帰国直後に黒人であることを理由に地元レストランで
入店拒否されたことに腹をたて、「金メダルは川に投げ
捨てた」と自伝に記した。※後に訂正。
なお、金メダルはアトランタオリンピックでIOCの
サマランチ会長から再授与されている。

【予告KO】
プロ入り後は注目を集めるため、試合前にKOする
ラウンドを予告。(毎回というわけではないが)
的中させて人気を増していった。
【ボクシング・スタイル】
「ヘビー級に中量級のスピードとテクニックを持ち込んだ」と
言われるが、1892年のジム・コーベットや1926年のジーン・
タニーなど、同様のボクシングで強打者を翻弄した王者はいた。
(ただし、いずれも白人選手)。
細身の黒人選手が瞬発力を発揮させたのはアリから2代前の
フロイド・パターソンだがフックが主武器だった。
それゆえ、「黒人アウトボクサーで脚と左右ストレートと連打の
回転で相手をキリキリ舞いさせたヘビー級王者はアリが初」とは
言ってイイかも知れない。
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【挑発行為】
試合前のKO予告で、相手の名前に韻を踏みラウンド
数を決めて挑発するなど目立つ行動を故意に始めた。
元世界王者ら先輩選手にも挑発をエスカレートさせ、
「礼儀しらず」と嫌う者も多かった。
予告を的中した後で敗者を慰め、試合前の無礼を詫び
憎まれる事を回避した。
【マシンガン・トーク】
新人時代から凄まじい早口で捲し上げる自画自賛と挑発の
言葉。頭の回転の速さあればこそ。
韻を踏み、抑揚を付け、時に叫ぶパフォーマンスは陣営と
共同で成し得た事だが、「詩的」と表現する者もいた。
それだけに晩年、口も回らないアリを見るのは辛かった。
※「病と戦う姿も感動的だった」とも言われたが…。
【ソニー・リストン戦】
タイトルを奪った第一戦は王者の棄権によるもの。
倒したものでは無い。
※空振りを続けた王者が肩を痛めたと言われた。

第二戦は初回KO。
リストンが倒れ、アリが見得を切る写真が有名。
下がりながらの目にも止まらぬ一発KOゆえに
「空気パンチ」「(黒い勢力に)脅迫されていた
リストンは立たなかった」などの噂も飛んだ。
ただし、検証の結果「クロスカウンターで捻りと
後足の蹴りが効いていたため」で、アリが自ら
名付けた「ファントム・パンチ」として、粗方が
納得した。
【第一次政権】
リストン戦後は無敵。速さと上手さで相手を圧倒。
抜群の反射神経と防御勘で打たせなかった。
【ブランク】
徴兵拒否によるブランクは3年を越えた。
20代前半で世界ヘビー級王者となったアリは、まだ
伸び盛りで選手としての損失は大きかった。
※トレーナーのアンジェロ・ダンディは「この空白時こそ
アリがボクサーとして最も成長する時期だった。よって
彼はピークを持てなかった」と語ったほどの代償・・・。
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【初黒星】
世界ヘビー級王者ジョー・フレージャーに喫したが、
いきなり挑んだものではない。
カムバックして2戦2勝、北米タイトルも獲得。
15回戦も経験していた。
【ダウンで死者】
フレージャー戦のラストラウンド、アリがダウンした時
世界中でTV観戦していたファンのうち、5人がショック
死したという。

【来日試合】
72年マック・フォスター戦で実現。しかし予告KOは
果たせず、山場の無い判定で15R終了。
本人は「KOできず申し訳ない」。観戦した大場政夫は
「何も見るべき物は無かった」。
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【ジョー・フレイジャー】
アリに挑発された最大の被害者。
第2戦の北米タイトル戦もどっちが勝ったか分からない
ような接戦の判定だった。
マニラでの第3戦はアリが「マニラのスリラ」と名付け、
フレージャーを「マニラのゴリラ」と揶揄。
引退後、二人は友人関係になったと言われたが、最晩年の
フレージャーを捉えたドキュメンタリーでは加齢して偏屈度が
増したとはいえ、相当に根に持ってるようだった。
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【ジョージ・フォアマン戦】
一発で逆転KOという記事もあったが、その前からアリは
要所で右ストレートを突いていた。
【世界王者晩年】
ジミー・ヤング戦やケン・ノートン戦など挑戦者優位に見えた
試合に「アリ・ポイント」が流れ、延命措置が施されたとも
言われた。
その他の試合も覇気が無い物が増え、「アリって人気者の
試合だからTVで見たけどボクシングって、つまらないもん
なんだなぁ」と視聴者に思わせた事は残念。
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【ラリー・ホームズ戦】
スピンクスにリターンマッチで判定勝利し王座奪回、
そのまま引退したアリだったが、またもカムバックして
当時の絶対王者ホームズに挑戦。
元スパーリング・パートナーが相手だったがホームズは
まさに全盛期。不可能を可能にしてきたアリも劣勢。
ホームズは泣きながらパンチを繰り出たという。
アリのトレーナー、アンジェロ・ダンディが白旗を掲げ、
アリはコーナーに座ったまま敗者となった。
【ラストファイト】
ホームズ戦という記述もあるが、実際は1981年のトレバー・
バービック戦。
ホームズ戦とバービック戦の「余計な2試合」が後の
パーキンソン病に繋がったとも言われる。
名物主治医のファディ・パチェコ氏の反対を押し切った為
パチェコ氏はアリの元を離れたという。
しかし、いみじくもパチェコ、アンジェロ・ダンディー
ともに重要なサイドメンは白人だったんだよな・・・。

【出自】
アフリカ系アメリカ人だが、イングランドとアイルランドの
血も引いていた。
最晩年には「ルーツの地」としてアイルランドも訪れている。
実は肌の色はライバルのジョー・フレージャーの方が黒い。
黒人の地位など、アリが社会に目を向けてもフレージャーは
リングの中でアリをブッ倒すこと以外に興味なし。
フレージャーの姿勢も潔かった。
もし私がリアルタイムで両者の対戦を見たら、フレージャーを
応援しただろうなぁ。
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【人当たり】
一般人やファンに対しては、すこぶる良かったとの事。
施設訪問などはヘビー級王者の義務のようなものだが、
病人や子供への優しさは語り草になっている。
晩年も空気を読んではジャブを繰り出すポーズで周囲を沸かせ、
得意の手品も得意を手を震わせながらも披露していた。
※ただし、「じゃあ、ギャラちょうだい」なんていう
ジョークも言っていたそうな。
ジムで練習している若手に挨拶されても「筋が良い。必ず
チャンピオンになれるよ」と励ましていたとか。
これは若手の頃、自身のアイドル=シュガー・R・ロビンソンに
挨拶した時に素っ気なくされた事が原因で「自分が王者に
なったら人当たり良くしよう」と誓ったからだという。
※ボクシング史上最高の選手と言われるロビンソンは天才に
ありがちな気まぐれ屋で、やはり晩年は経済的に恵まれなかった。
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【親善大使ぶり】
地球人口の22%にあたるイスラム圏にも知名度あり。
慈善活動や良心的徴兵拒否、人種差別撤回活動、平和運動
などで、世界中から注目される存在だった。
オリンピック金メダリストの肩書きも東側の世界では有効
だったろう。
人種、イデオロギー、宗教、国家を超え、その名声は轟いた。
「どの国で見ても親近感持てる」面持ちも得をしたのでは?
【ザ・グレーテスト】
本当にその称号どおりの人物、伝説となった。
アリ以降のヘビー級選手は「仮想対決」の話題になっても
「伝説には勝てない」という事になるだろう。
あのマイク・タイソンでさえ・・・。
「えっ?」とか思わされる記述も見受けられるので、
自分が覚えた「アリ感」も合わせて色々と書きたい
・・・と思います。
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【金メダル】
ローマ五輪で獲得したのはライト・ヘビー級にて。
アマチュア時代は細かった。
帰国直後に黒人であることを理由に地元レストランで
入店拒否されたことに腹をたて、「金メダルは川に投げ
捨てた」と自伝に記した。※後に訂正。
なお、金メダルはアトランタオリンピックでIOCの
サマランチ会長から再授与されている。
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【予告KO】
プロ入り後は注目を集めるため、試合前にKOする
ラウンドを予告。(毎回というわけではないが)
的中させて人気を増していった。
【ボクシング・スタイル】
「ヘビー級に中量級のスピードとテクニックを持ち込んだ」と
言われるが、1892年のジム・コーベットや1926年のジーン・
タニーなど、同様のボクシングで強打者を翻弄した王者はいた。
(ただし、いずれも白人選手)。
細身の黒人選手が瞬発力を発揮させたのはアリから2代前の
フロイド・パターソンだがフックが主武器だった。
それゆえ、「黒人アウトボクサーで脚と左右ストレートと連打の
回転で相手をキリキリ舞いさせたヘビー級王者はアリが初」とは
言ってイイかも知れない。
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【挑発行為】
試合前のKO予告で、相手の名前に韻を踏みラウンド
数を決めて挑発するなど目立つ行動を故意に始めた。
元世界王者ら先輩選手にも挑発をエスカレートさせ、
「礼儀しらず」と嫌う者も多かった。
予告を的中した後で敗者を慰め、試合前の無礼を詫び
憎まれる事を回避した。
【マシンガン・トーク】
新人時代から凄まじい早口で捲し上げる自画自賛と挑発の
言葉。頭の回転の速さあればこそ。
韻を踏み、抑揚を付け、時に叫ぶパフォーマンスは陣営と
共同で成し得た事だが、「詩的」と表現する者もいた。
それだけに晩年、口も回らないアリを見るのは辛かった。
※「病と戦う姿も感動的だった」とも言われたが…。
【ソニー・リストン戦】
タイトルを奪った第一戦は王者の棄権によるもの。
倒したものでは無い。
※空振りを続けた王者が肩を痛めたと言われた。
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第二戦は初回KO。
リストンが倒れ、アリが見得を切る写真が有名。
下がりながらの目にも止まらぬ一発KOゆえに
「空気パンチ」「(黒い勢力に)脅迫されていた
リストンは立たなかった」などの噂も飛んだ。
ただし、検証の結果「クロスカウンターで捻りと
後足の蹴りが効いていたため」で、アリが自ら
名付けた「ファントム・パンチ」として、粗方が
納得した。
【第一次政権】
リストン戦後は無敵。速さと上手さで相手を圧倒。
抜群の反射神経と防御勘で打たせなかった。
【ブランク】
徴兵拒否によるブランクは3年を越えた。
20代前半で世界ヘビー級王者となったアリは、まだ
伸び盛りで選手としての損失は大きかった。
※トレーナーのアンジェロ・ダンディは「この空白時こそ
アリがボクサーとして最も成長する時期だった。よって
彼はピークを持てなかった」と語ったほどの代償・・・。
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【初黒星】
世界ヘビー級王者ジョー・フレージャーに喫したが、
いきなり挑んだものではない。
カムバックして2戦2勝、北米タイトルも獲得。
15回戦も経験していた。
【ダウンで死者】
フレージャー戦のラストラウンド、アリがダウンした時
世界中でTV観戦していたファンのうち、5人がショック
死したという。
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【来日試合】
72年マック・フォスター戦で実現。しかし予告KOは
果たせず、山場の無い判定で15R終了。
本人は「KOできず申し訳ない」。観戦した大場政夫は
「何も見るべき物は無かった」。
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【ジョー・フレイジャー】
アリに挑発された最大の被害者。
第2戦の北米タイトル戦もどっちが勝ったか分からない
ような接戦の判定だった。
マニラでの第3戦はアリが「マニラのスリラ」と名付け、
フレージャーを「マニラのゴリラ」と揶揄。
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引退後、二人は友人関係になったと言われたが、最晩年の
フレージャーを捉えたドキュメンタリーでは加齢して偏屈度が
増したとはいえ、相当に根に持ってるようだった。
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【ジョージ・フォアマン戦】
一発で逆転KOという記事もあったが、その前からアリは
要所で右ストレートを突いていた。
【世界王者晩年】
ジミー・ヤング戦やケン・ノートン戦など挑戦者優位に見えた
試合に「アリ・ポイント」が流れ、延命措置が施されたとも
言われた。
その他の試合も覇気が無い物が増え、「アリって人気者の
試合だからTVで見たけどボクシングって、つまらないもん
なんだなぁ」と視聴者に思わせた事は残念。
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【ラリー・ホームズ戦】
スピンクスにリターンマッチで判定勝利し王座奪回、
そのまま引退したアリだったが、またもカムバックして
当時の絶対王者ホームズに挑戦。
元スパーリング・パートナーが相手だったがホームズは
まさに全盛期。不可能を可能にしてきたアリも劣勢。
ホームズは泣きながらパンチを繰り出たという。
アリのトレーナー、アンジェロ・ダンディが白旗を掲げ、
アリはコーナーに座ったまま敗者となった。
【ラストファイト】
ホームズ戦という記述もあるが、実際は1981年のトレバー・
バービック戦。
ホームズ戦とバービック戦の「余計な2試合」が後の
パーキンソン病に繋がったとも言われる。
名物主治医のファディ・パチェコ氏の反対を押し切った為
パチェコ氏はアリの元を離れたという。
しかし、いみじくもパチェコ、アンジェロ・ダンディー
ともに重要なサイドメンは白人だったんだよな・・・。
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【出自】
アフリカ系アメリカ人だが、イングランドとアイルランドの
血も引いていた。
最晩年には「ルーツの地」としてアイルランドも訪れている。
実は肌の色はライバルのジョー・フレージャーの方が黒い。
黒人の地位など、アリが社会に目を向けてもフレージャーは
リングの中でアリをブッ倒すこと以外に興味なし。
フレージャーの姿勢も潔かった。
もし私がリアルタイムで両者の対戦を見たら、フレージャーを
応援しただろうなぁ。
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【人当たり】
一般人やファンに対しては、すこぶる良かったとの事。
施設訪問などはヘビー級王者の義務のようなものだが、
病人や子供への優しさは語り草になっている。
晩年も空気を読んではジャブを繰り出すポーズで周囲を沸かせ、
得意の手品も得意を手を震わせながらも披露していた。
※ただし、「じゃあ、ギャラちょうだい」なんていう
ジョークも言っていたそうな。
ジムで練習している若手に挨拶されても「筋が良い。必ず
チャンピオンになれるよ」と励ましていたとか。
これは若手の頃、自身のアイドル=シュガー・R・ロビンソンに
挨拶した時に素っ気なくされた事が原因で「自分が王者に
なったら人当たり良くしよう」と誓ったからだという。
※ボクシング史上最高の選手と言われるロビンソンは天才に
ありがちな気まぐれ屋で、やはり晩年は経済的に恵まれなかった。
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【親善大使ぶり】
地球人口の22%にあたるイスラム圏にも知名度あり。
慈善活動や良心的徴兵拒否、人種差別撤回活動、平和運動
などで、世界中から注目される存在だった。
オリンピック金メダリストの肩書きも東側の世界では有効
だったろう。
人種、イデオロギー、宗教、国家を超え、その名声は轟いた。
「どの国で見ても親近感持てる」面持ちも得をしたのでは?
【ザ・グレーテスト】
本当にその称号どおりの人物、伝説となった。
アリ以降のヘビー級選手は「仮想対決」の話題になっても
「伝説には勝てない」という事になるだろう。
あのマイク・タイソンでさえ・・・。
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