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「はだしのゲン」の中沢啓治さん死去

2012年12月26日 | 漫画
12月19日、あの中沢啓治さんが肺ガンで亡くなったそうな・・・。
原爆投下後の広島を生きる少年を描いた「はだしのゲン」で知られた漫画家の中沢啓治(なかざわ・けいじ)さん。
2010年に肺ガンと診断されてからは、故郷の広島市で闘病生活を送っていたとの事。

亡くなったのは広島市内の病院。
晩年は白内障による視力低下や腱鞘炎に苦しみ執筆活動は断念されてたが、
闘病中も講演など精力的な活動があったそうな。

中沢さんに関しては、「ゲン」が自叙伝みたいなものだから。
私は彼の生涯を小学校の頃に読んだに等しい。



1945年8月6日、
6歳の時に爆心地から約1、2キロ離れた国民学校に登校する途中で被爆した中沢さんは
父、姉、弟を亡くし、母や兄と廃虚の広島を生き抜いた。

看板描きとして生計を立てていたが、手塚治虫先生の影響で漫画家に転身。
63年のデビュー当初は娯楽漫画を描いていたそうだが、66年の母の死をきっかけに、原爆の被害を漫画で訴えることを決意。
原爆や戦争の悲惨さを告発する漫画を発表し続けた。

「はだしのゲン」は73年から週刊少年ジャンプで連載した自伝的漫画で、中沢さんの代表作。

これがキレイ事の反戦マンガ・平和啓蒙マンガじゃ無かったのよね。
まず、ゲンの広島弁が豪快だし。フルチン描写多いし。

死体や骨は当たり前だし。被害者の中にも小ずるいのが居たりする。
近所の韓国人パクさんと交友関係にあったゲンの父は反戦主義者だったが、それゆえ特高警察に目を付けられてたし。

人の良かったパク(朴)さんも、戦後は「信用できるのはカネだけだよ、ゲン」と、怪しい商売で出世したりして・・・まぁ生々しい事!

差別されてた朝鮮人が「戦争に負けた日本人めが!」と大きな顔をするのが、これまた生々しい。

被爆者を食い物にする日本人もいて、まぁこれも生々しい。

よく少年ジャンプが連載したもんだ・・・というか、あの頃のジャンプはイイ意味で意欲作を載せてましたよ。

天皇の戦争責任まで言及してたからな。
ゲンが「あれだけ人を死なせておいて『さぁ、今日から普通の人です』で済まされるか!」と吐き捨てるシーンは、よくネームが通ったなぁと感心する。

死んだ弟に瓜二つの少年が生きるために愚連隊に入り、幼い顔して拳銃を振り回すシーンも生々しかった。
当然ゲンは必死に止めるのだが、その少年はアウトローの道を歩んでしまう。

そういうマンガを見たせいか、広島ヤクザに関しては「生きる為だったんだよなぁ」なんて思ってしまう私が居る。

神戸の震災でヤクザの人が被災者支援活動してるの見て、「はだしのゲン」を思い出したのは私だけでしょうか。
焼け野原から立ち上がる人々とヤクザ。人間同士の協力関係・・・・。
(甘いかなぁ、オレ)

「はだしのゲン」は、主人公の少年ゲンが原爆投下後の広島で生き延び、逞しく成長する姿が反響を呼び、18カ国語に翻訳されて海外でも出版された。

学校の図書館には必ずといってイイほど置いてあり、私の連れも塾や学校で読んだそうな。
(ゲンの髪が放射能の影響でゴッソリ抜けるシーンはショックだった・・・と)

実はジャンプ連載終了後も雑誌を代えて「ゲン」は続いていたそうな。
ジャンプで連載されてた分も出版されてるのは「改訂版」なので、当時の私が読んだショッキングなシーンも大半はカットされてるかも知れない。

なるべく作者の意向に沿った改訂をお願いしたいですけどね。
(無理だろうが・・・)

享年73。
葬儀は近親者のみで家族葬を済ませたとのこと。

中沢啓治さんの御冥福を心よりお祈り致します。


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