神奈川県中央部に位置する海老名市付近に最近よく出かけます。(海老名と言う名前にちょっと思い入れがあります)
先日裏道を歩いておりますと、大きな工事現場に遭遇し迂回を余儀なくされました。右手は工事現場、左手は工事に際して発見された遺跡の発掘現場で、黄色い背の高いフェンスのはさまれた狭い迂回路です。街灯もありませんから夜はとても通る気になりません。
さてその迂回路の出口に全体の案内図が掲示されておりまして、みておりますと「海老名氏霊堂」と書かれております。
ここは海老名市ですから当然海老名氏は昔の領主だろうと、お参りすることにしました。
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こんな地図が貼ってあったのです。
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狭い田舎道の横に、こんな石柱がありまして、石畳の狭い通路の先が霊堂らしいです。石柱には墳墓となっています。
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道路側の住宅の間を抜けると狭い空間がありまして、霊堂とはこんな具合です。
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霊堂の横に海老名市教育委員会の案内板がありました。
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こちらのお堂の中に海老名氏に関連すると思われる印塔と五輪塔が置かれておりました。扉は閉ざされており詳細はうかがい知れませんが、格子越しにお賽銭を上げお参りさせていただきました。
永享10年(1438年)永享の乱で関東管領足利持氏の滅ぼされ滅亡したとあります。
滅ぼされてしまうとこんな事になってしまうのか寂しい限りですが、むしろこれだけでも残っているのは珍しいかもしれません。
消えてしまった武将たちは夢の跡、そんな事例が多いでしょうに。
先日裏道を歩いておりますと、大きな工事現場に遭遇し迂回を余儀なくされました。右手は工事現場、左手は工事に際して発見された遺跡の発掘現場で、黄色い背の高いフェンスのはさまれた狭い迂回路です。街灯もありませんから夜はとても通る気になりません。
さてその迂回路の出口に全体の案内図が掲示されておりまして、みておりますと「海老名氏霊堂」と書かれております。
ここは海老名市ですから当然海老名氏は昔の領主だろうと、お参りすることにしました。
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こんな地図が貼ってあったのです。
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狭い田舎道の横に、こんな石柱がありまして、石畳の狭い通路の先が霊堂らしいです。石柱には墳墓となっています。
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道路側の住宅の間を抜けると狭い空間がありまして、霊堂とはこんな具合です。
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霊堂の横に海老名市教育委員会の案内板がありました。
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こちらのお堂の中に海老名氏に関連すると思われる印塔と五輪塔が置かれておりました。扉は閉ざされており詳細はうかがい知れませんが、格子越しにお賽銭を上げお参りさせていただきました。
永享10年(1438年)永享の乱で関東管領足利持氏の滅ぼされ滅亡したとあります。
滅ぼされてしまうとこんな事になってしまうのか寂しい限りですが、むしろこれだけでも残っているのは珍しいかもしれません。
消えてしまった武将たちは夢の跡、そんな事例が多いでしょうに。