新鹿山荘控帳

山荘管理人が季節の移ろいを、書きとめました
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現代も語り継がれる怪談

2016-01-17 17:17:57 | 閑居閑語
一昨日聞いたばかりの怪談を忘れないうちにお話しします。

一昨日はメールを入れました通り、知人の買い物に付き合い都心まで出ました。
自宅から最寄り駅に私鉄の方は、約20分、比高差20mの坂を下ってからまた昇ります。自宅近くのバス停にちょうどバスが来れば乗りますし、来ない方が多いので歩くことも多いです。

さてそのバス停には年配の女性がすでに待っておられました。時刻表を見ますとバス到着までにはまだ10分あります。この10分は微妙で、バスを待つか歩くか悩むところです。このときはバスに乗ることにしました。

ボーと待っていても仕方がないので、ご婦人に話しかけました。
私『10分前からお待ちとは、早いですね?』
婦人『つい早く来てしまいます』

そんなたわいない会話がしばらく続きました。このバス通りの南側、自宅のあるところを通る南北の通りはさらに並行して走る街道の抜け道になっています。
私『向こうの通りは、夜は飛ばす車が多いです。長い下りになってますし』
婦人『そうですね』 彼女はこの辺の事情に詳しそうです。
私『あそこの交差点で、何年か前出会いがしらに車が衝突し、双方の運転手が死亡した事故がありました。その時近所の人が、この信号が出来るまでには3人の人が亡くなってるのです、言っていました。合計5人になります』
婦人『あそこの信号でしょ』とうなずきます。

私『あそこの信号の在った場所は昔お墓で、住宅地の開発で移動したと、地元の人に聞いたことがあります』 彼女はうなずきます。
私『今あるそこ墓地ですよね』
婦人『そうです、よく御存じで』 このバス停から西に100mほど行った最初の信号を右折したところに50基ほどの墓地があります。

婦人『このあたり一帯は昔大地主さんの土地で、○○駅までぜんぶつづいていたそうです』○○駅は、最寄りのJR駅の一つ隣の駅です。大きな地主さんだと想像できます。
婦人『その地主さんはこの家で』とバス停の前に屋敷を指さしました。付近にある住宅とは全く違う、大きな屋敷です。
婦人『このあたりをこの一族が持っていましてね。結婚もその一族間でするものですから、どうしても不幸な生まれの子供が出来てしまいますます』
私『近しい・・・』
婦人『昔の事ですから、その子(現代では考えられない対応)してしまうのです』
私『え!!』
婦人『そのあとに建てた石塔があちこちにありますよ』
と言うではありませんか。畑の小道を散歩したことがありますが、見たことありません。

確かに昔を想像しますと、街道からはずれ、有名な社寺も近くにはなくたぶん江戸時代は原野だったと思われます。
ひょっとすると鷹狩なんか行われたのではないでしょうか。今思い出しました。近くにある小さな庭園が、江戸時代旗本の米蔵跡でこの旗本は、幕末の大事件の時、中心の大名の横に臨席したとか看板にありました。

終戦後、東京が西に開発が進み、某有名住宅地があっさり開発されてのも畑や原野がたくさん残っていたからかもしれません。ジブリの狸のアニメの舞台があちこちにあったのでしょう。

私、散歩しながらこの辺も歩き回っておりますが、やはりどうしても住宅地の道を歩くことになります。
メインの道に時々、軽自動車1台分しか幅のない小道が繋がっています。奥を見ますと昔の田舎の様子がまだまだ残っています。
その小道を歩いてみたい気もしますが、小道がどちらかの農家の庭につながっているようでどうも歩いていきにくいのです。
竹藪が続いていたり、それからこの辺は造園業の家が多いのです。お宅も立派ですし広大な植木畑もあるのです。
ですからそんな小道を歩いていれば、先ほどの小さな石塔を見つけることが出来るかもしれません。
でも謂れの知らない人が、宅地開発の際捨ててしまっているかもしれません。

マイカーが走り回る舗装道路を一本奥に入るとこんな田園風景が広がっています。
これからヒバリが高く飛ぶ季節が来ますが、足下にはこんな悲しい話があるとは、少し考えてしまいました。
こんな噺が古くから地元に住んでいる方たちの間で、話継がれているとは、目が覚めました。

バスが来ましたので、ご婦人とはお別れの挨拶をして乗車したのでした。
コメント
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