まるみのあっちこっち巡り

ー32,000枚を超える写真とともに綴るお出かけブログー

日本100名城 名古屋城

2021-11-04 22:15:18 | 日本100名城



復元の五層五重の大天守閣がそびえる名古屋城。
1930年城郭建築における初めての国宝に指定、
1945年の名古屋空襲により本丸のほとんどを焼失、
1959年名古屋のシンボルとして再建。







耐震性が低いことに対応するために天守閣は閉館、
天守閣の木造復元を進めています。
かつて天守閣に登ったことがありますが、
名古屋市街が眼下に納まる風景が見られず残念。







2009年から復元工事を開始していた
本丸御殿が、2018年6月8日に完全公開。

初代尾張藩主の住居・政庁として使用するため、
1615年、徳川家康により建てられた
本丸御殿の復元になります。







総面積約3100㎡、部屋数は30を超える平屋建、
天守とともに国宝に指定された名建築。

空襲により焼失、史実に忠実な復元を実現し、
400年の時をこえて、建築当時のままに
美しい御殿建築がよみがえっています。







天井の板絵や襖絵、極彩色の欄間彫刻など豪華絢爛、
細部にわたる豪華な装飾は目がくらむようです。

部屋の格式や用途によって、天井や欄間、飾金具、
障壁画などのつくりや意匠が大きく変化します。
現代の職人による匠の技にも注目です。







主な遺構の一つである東南隅櫓を見学。
本丸の南東隅にある屋根二重・内部三階の櫓で、
重要文化財に指定されています。







春・秋に内部の特別公開を行っています。
入場制限をしており、櫓の見学も行列です。







出窓には「石落し」が設けられています。
かつてはこちらの櫓に
武具が収められていたとか。







天守から眺めたかったのですが、
櫓の上部から







鉄筋コンクリートで再建された天守の石垣に沿うのは雨樋。
現存する姫路城天守の3倍以上の容積をもつとか。







徳川家康が大阪城包囲するためとも解される
名古屋城は、天下普請で天守・子天守を
中心に多くの櫓・城門を設け、
最大かつ最強の近世城郭を完成。







名古屋城と言えば、金のシャチホコ。
空想上の神獣である鯱ですが、顔は虎がモチーフ、
水を呼ぶと言われることから
火除けのまじないとされてきたそうです。

徳川家の権力・財力を誇るもので、
張られた金の量は慶長大判1940枚と言われるとか。
南側の雌が金量43.39㎏、北側の雄が44.69㎏の
18金が使われています。







別名:金鯱城、金城、柳城、亀屋城、蓬左城
種別:平城
築城年:1610年、
築城者:徳川家康

愛知県名古屋市中区本丸1-1

訪問日2019.3.23
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日本100名城 江戸城

2021-11-03 15:04:48 | 日本100名城




徳川幕府が威信をかけて築城した将軍の城は、
段違いに巨大な日本最大の城郭である江戸城で、
総構を入れると千代田区がすっぽりと入るほどです。

世界遺産の姫路城でも内郭は、
江戸城の四分の一以下になります。







江戸の地の利に最初に気づき、築城したのは太田道灌。
1457年に築城し、江戸の町の整備にも着手しますが、
主君に殺害された後は、明確な城主を持たずに江戸城は荒廃。

関東入りした徳川家康は、まず市街地の整備を行い、
江戸城の改築に着手、加藤清正や福島正則など
外様大名を呼び寄せて普請にあたらせ、
およそ30年で完成で完成しました。







天守は1667年の明暦の大火で焼失し、
以後造営されることのなかった天守台。

石垣がまだらなのは八代将軍吉宗の代に焼けた
伊豆石をはずし、小豆島の御影石を加えて
石積みをやり直したからだとか。







本丸は芝生が広がっていますが、
江戸時代はぴっしりと
御殿が建て込んでいました。







江戸城への入り口はいくつかありますが、
大手御門などから入場する際、
手荷物検査を受け、
入園票を受け取り入場します。







三之御門渡櫓跡の南に建つのが百人番所で、
甲賀組、伊賀組、根来組などの鉄砲百人組が
昼夜交代で警備、百人組は与力20人と
同心100人で構成されていました。







主な遺構は、櫓、城門、番所、本丸、二の丸、
三の丸、西の丸、北の丸、石垣、濠。
北の丸、本丸、二の丸、
三の丸は一部見学ができます。







将軍慶喜の恭順により、皇居になりましたが、
江戸城は一度も戦禍を被ったこともなく、
歴史上最大かつ最強にわたり全国を統治したその城は、
今は天皇家を抱え、悠然と佇んでいるのです。







江戸時代のものが残っている桜田門と桜田濠。
城と同様に濠も広く、内堀を一周するだけでも
その土木量の巨大さ、防御力などを実感できます。

別名:千代田城
種別:平城
築城年:1457年、1606年、1622年、1637年
築城者:太田道灌、徳川家康、徳川家忠、徳川家光

東京都千代田区千代田

訪問日:2019.1.26他
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日本100名城 武田氏館

2021-11-02 14:44:56 | 日本100名城



戦国の雄、武田氏三代(信虎、信玄、勝頼)の
居館があるのが、全面(南)に甲府盆地、
遠くは霊峰富士、甲斐連山を望み、
後方に石水寺、要害山を控えた景勝の地です。

周囲の堀、土塁等は当時のままで、
戦国時代第一級の居館と称賛されています。







甲斐源氏の流れを汲む18代当主信虎が甲斐を統一し、
1519年に居宅を石和から移し、館を築いたことに始まり、
翌年には背後の山上に籠城するための詰城、
要害山城を築いています。







四方を水掘りと土塁で固め、周囲に曲輪を配置、
水掘りや空掘りでつなぎ防備を固めています。
現在は、武田信玄をご祭神とする
武田神社となっています。

別名:躑躅ヶ崎館
種別:平城
築城年:1519年
築城者:武田信虎

山梨県甲府市古府中町2611

訪問日:2018.11.3
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日本100名城 国宝 犬山城

2019-05-27 00:22:40 | 日本100名城



室町時代の1537年に築城された犬山城の天守は、
現存する日本最古の様式と言われています。

織田信長の叔父、小田信康が尾張と美濃の国境に
築城したのが始まりで、幾多の戦乱では、
信長・秀吉・家康の天下人が奪い合った名城です。







江戸時代初期にかけては城主は目まぐるしく入れ替わり、
1617年尾張藩付家老、成瀬正成が城主になってからは、
成瀬氏が代々受け継いで幕末を迎えました。







1891年濃尾震災をきっかけに再び成瀬氏が天守の所有者となり、
2004年までの長きにわたり個人所有の城として知られ、
成瀬家が自費で修理・保存につとめてきました。
(天守に登る際には階段に注意して







江戸時代の犬山城は中山道と名古屋道に通じ、
真下を流れる木曽川による
交易の要塞として栄えました。







日本に国宝の城は5城ありますが、その1つが犬山城。
他に姫路城、彦根城、松本城、松江城が国宝です。
この5つの城を訪れていますが、
私の一番の好みが犬山城です。







豪華でも巨大でもありませんが、凛とした美しさがあり、
木曽川越しに見る犬山城は、小高い山の上に建てられ、
格別の趣があり、舟から眺めたいものです。

そして、天守最上階からの眺めはまさに絶景、
言葉を失うほどなのです。







眼下に濃尾平野や木曽川の絶景が一望でき、
対岸は岐阜県ですが、晴天の日には
名古屋城や岐阜城も望むことができるそうです。







自然石をそのまま積み上げた「野面積」の石垣は、
戦国時代に見られる初期の石垣の構造です。
排水性に優れ、頑丈ですが、
敵に登られやすいという欠点もありました。







別名:白帝城
種別:平山城
築城年:1537年
築城者:小田信康

愛知県犬山市大字犬山字北古券65-2

2019.3.21
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日本100名城 高知城

2018-07-10 12:44:20 | 日本100名城



関ヶ原の戦い後、大高坂山に山内一豊が
築いた近世城郭の高知城があります。

本丸には天守の他に建造物が多く存在します。
天守に接続している本丸御殿は、現存する貴重な御殿遺構、
天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみとか。
高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城です。

1727年の大火で追手門以外の殆どが焼失、
その後1753年までに再建しています。







天守閣内には文化歴史資料を展示しています。

明治6年に発布された廃城令や、戦災を免れ、
天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、
国の重要文化財に指定されています。







天守閣からの眺望です。

城の周辺には高知市役所、高知県庁、
地方裁判所、地方検察庁などが立ち並び、
高知県の行政の中心地になっています。







本丸と二の丸の間に詰門が置かれ、
南側の廊下門と一体となった構造をしています。
石垣の上に渡櫓を載せ、大石の石垣とで枡形を構成、
外側から城内を見渡せないにするためでもあるようです。







城内には一豊と妻の千代、
板垣退助の銅像が立っています。

別名:鷹城
種別:平山城
築城年:1601年
天守構造:望楼型 四重六階 木造(現存)
築城者:山内一豊

高知県高知市丸の内1-2-1

2005.3.4
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日本100名城 和歌山城

2018-07-07 00:41:43 | 日本100名城



紀伊徳川家の威光を示す巨城である和歌山城は、
和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの
虎伏山(とらふすやま)に立つ和歌山市のシンボル。

現在、城跡として現存しているのは、
最盛期の4分の1ほどの面積とか。







1935年国宝に指定されましたが、
1945年7月9日の和歌山大空襲で焼失。

戦後市民からの要望もあり、
1958年に鉄筋コンクリート造に復元され、
連立式天守群が甦りました。

紀伊を平定した羽柴秀吉に命じられ、
弟の秀長が築城を開始したのが1585年。
翌年秀長の城代桑山重晴が入城し、
関ヶ原合戦には浅野幸長が入り、城は大拡張。

1619年徳川家康の十男頼宣が入封し、
御三家の格式にかなう大城郭へと拡張します。







時代によって石の種類や石垣の積み方などが異なり、
野面積・打込接・切込接へと変化しています。
豊臣・浅野時代の石垣には刻印された
石垣石があるのも特徴です。

別名:竹垣城、虎伏城
種別:平山城
築城年:1585年、1600年、1619年
天守構造:層塔型 三重三階 鉄筋コンクリート造
築城者:羽柴(豊臣)秀長、浅野幸長、徳川頼宣

和歌山県和歌山市一番丁3

2008.4.29
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日本100名城 根城

2017-02-08 00:12:30 | 日本100名城


甲斐から陸奥に移り住んだ八戸南部氏が、
南北朝時代から戦国末期まで本拠とした根城。

写真は接客や儀式の場として使用されていた
復元された主殿です。

石垣や櫓、天守閣が発達する前の城の形を再現、
戦国前期の城の様子がよく分かります。







南部家の当主やその家族が住んでいた
根城の中で最も重要な本丸跡です。







大河ドラマのセットの中にでも紛れ込んでしまったような…

この日は正月十一日、年男が任命される日です。
南部家中の重臣の居並ぶ中、年男が当主から
お茶をいただくところが再現されています。

鎧武者が年男、お茶を差し向けているのが
八戸南部氏の18代当主 南部政栄公。







祈祷之間は、合戦前に加持祈祷を行った場所です。
築城から一度も落城しなかった根城。







東北地方や北海道南部の城館では竪穴式の建物跡が
よく見られるのだそうですが、寒冷地ならではしょう。
食糧庫などに使われていたようです。







発掘調査の結果、南部氏により築かれた建物跡が
約400棟発見され、このうちの安土桃山時代に
相当する建物跡に基づき復元されました。
こちらは、鍛冶工房の復元です。







これらの調度品を目にして、
城を見学している実感が湧いてきました。







主な遺構は、本丸・中館・捨て廓などの曲輪、
堀、土塁などです。

別名:ー
種別:平城
築城年:1334年
天守構造:ー
築城者:南部師行

青森県八戸市大字根城字根城47

2016.5.6
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日本100名城 松前城

2017-01-16 00:23:42 | 日本100名城


幕末に築かれた日本式の最後の城が松前城、
北海道内で唯一つの日本式城郭です。
1849年、幕府は海防のために松前氏に築城を命じました。







松前氏の居館があった地に城を完成したのが1854年。
この時初めて三重の天守があげられました。
国宝であった天守ですが、昭和24年焼失、
鉄筋コンクリート造に再建されました。







天守は、松前城資料館になっています。







「松前屏風」は、松前出身の絵師、
龍円斉児玉貞良によって宝暦年間(1751~1763)に、
松前城下の秋を描いたものと言われています。







城の中心から海岸まではあまり距離がなかったので、
大規模な城郭とすることはできなかったそうです。
ここから荒れた海を眺め、にっぽん丸の
初寄港も叶わないと納得しました。

本丸脇にある櫓門は、築城時から現存する
国の重要文化財となっています。







ロシア戦の砲撃に耐えられるように、
中に硬いケヤキ板を仕込んで備えとしたりしましたが、
戊辰戦争における攻防戦の末に落城、
石垣にはその当時の弾痕が今も残っています。

別名:福山城
種別:平山城
築城年:1850年
天守構造:層塔型3重3階(1960年RC造外観復元)
築城者:松前崇広

北海道松前郡松前町松城144

2016.5.5
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日本100名城 金沢城

2016-12-19 00:29:35 | 日本100名城


加賀一向一揆の拠点である金沢御坊の跡地に
織田信長の家臣佐久間盛政が築城したのが始まりです。







その後、1583年に前田利家が入城して大改造をおこない、
1599年頃には難攻不落の金沢城がほぼ完成したとか。
几帳面な利家の性格が反映され、金箔瓦を備え、
華麗な城郭は加賀職人の巧の技が随所にあったようです。







度重なる火災、1759年の金沢城下大火災では、
城内ほぼ全域焼失し、本丸から二の丸中心の城へと変化。
1808年にも大火に見舞われますが、
その都度再建され、明治期まで存続しました。







2001年、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が
資料に基づき史実を尊重し、
1809年に再建された形に復元され、
金沢城の新たなシンボルとなっているようです。

その後も河北門、いもり堀、橋爪門二の門を復元、
金沢城の整備復元計画は進められています。







落雷で焼失してしまった金箔瓦の天守を持つ頃の金沢城は、
徳川家康に唯一対抗しうると目された前田利家の居城、
資金と高い技術力の粋をつくした加賀百万石の大城、
燦然と輝く城は、人々の誇りであったでしょう。

種別:平山城
築城者:佐久間盛政、前田利家
築城年:1580年

石川県金沢市

訪問日:2016年5月3日


※この日から「日本100名城」スタンプを集めることにしました。
再び訪れることのできる城がいくつあるのか…。
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日本100名城 島原城

2016-10-31 14:26:13 | 日本100名城



島原城は、築城の名手といわれた松倉重政が
1616年から7年をかけて築いた城です。
島原の乱の引き金にもなりました。







安土桃山様式の白亜の天守閣や櫓が華麗な
名城だったといいますが、現在のものは1964年に再建。
鉄筋コンクリートの5階建ての層塔型です。







天守5階から島原市を一望。

内部はキリシタン史料と民俗資料の展示室。
南蛮貿易➡宣教時代➡禁教➡弾圧➡島原の乱と
時代順に展示されています。

時代によって大きさの違うマリア像、
日用品に隠し刻まれた十字架などが見られます。







かつては天守を中心に三棟の三重櫓、平櫓が三十三棟、
本丸の広さは名古屋城に匹敵するほどで、
石垣は延長約4kmにおよぶ巨城であったそうです。







西三十櫓、巽三重櫓、丑寅三重櫓も再建。
島原出身の彫刻家北村西望氏の作品を展示している
西望記念館や観光復興記念館も併設しています。

別名:森岳城
種別:平城
築城者:松倉重政
築城年:1618年
構造:鉄筋コンクリート5層5階

長崎県島原市

訪問日:2006年7月30日


※一番上の写真は今年撮影したものですが、
他は2006年に撮影したものです。
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日本100名城 岡崎城

2016-07-21 10:14:02 | 日本100名城

1542年、松平竹千代はこの城で生まれました。
徳川家康公誕生の城です。

城の起源は1455年頃とされ、
家康公の祖父が、現在の位置に移し、
岡崎城と称されるようになったそうです。

幼くして今川氏の人質となりましたが、
桶狭間の戦い後は岡崎城に戻り、
ここを拠点に三河を統一していきました。







その後、家康公は浜松へ、
嫡男が城主になりますが自刃し城代が置かれます。

江戸時代は、「神君出生の城」として神聖視され、
譜代大名、親藩大名が城主となりました。







1959年、鉄筋コンクリートで天守が再建。
岡崎市内の景観が一望できます。

別名:竜城・竜ヶ城
種別:平山城
築城者:西郷頼嗣
築城年:1455年頃
構造:鉄筋コンクリート3層5階

愛知県岡崎市康生町561-1

2015.10.30
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日本100名城 松阪城(松坂城)

2016-06-01 22:43:05 | 日本100名城



蒲生氏郷が縄張りした石垣の城。

文化財指定名称は「史跡松坂城跡」となっており、
市内の表記は坂の字になっていますが、
日本100名城に制定されている表記は松阪城です。







松阪公園として整備され、城跡には本居宣長記念館や
歴史民俗資料館が建っています。







昭和63年から平成15年にかけて石垣の
修復工事がなされたようですが…







城の原状を保ちながら公園として整備されたもので
「危険」と表示されている箇所が少なく、
十分に注意する必要があります。







天守は江戸前期に倒壊してすでにありませんが、
雛壇のように並ぶ石垣が見どころです。







三重の天守があった本丸と二の丸、石垣が主な遺構です。







城跡からは城下町の面影を残す街並みが一望できます。







誇らしげに聳え立つ石垣は松阪のシンボル的存在です。

種別:平山城
築城年代:1588年
築城者:蒲生氏郷
構造:天守台のみ残る

三重県松阪市殿町

2016.2.7
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日本100名城 五稜郭

2015-07-29 20:36:44 | 日本100名城


江戸幕府が箱館奉行所の防備を固める目的で、
1857年に築造を始め、1864年に完成させた星型をした
西洋式の土塁(城郭)となっています。

蘭学を学んだ武田斐三郎氏が、フランス人から
贈られた書物を参考にしてヨーロッパの
「城郭都市」をモデルに要塞を考案したそうです。





星型の城の起源は16世紀頃のヨーロッパで、
防御側の銃の死角を少なくする構造として考案されました。

外国勢との戦いの舞台にはなりませんでしたが、
旧幕府脱走軍と新政府軍との間で繰り広げられた
「箱館戦争」の激戦の舞台となりました。





石垣の最上部には敵の侵入を防ぐため、
庇のような刎出がつくられています。

他の城では見られない景観を楽しめます。

北海道函館市五稜郭町43-9

2014.8.1
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日本100名城 川越城

2015-06-28 20:31:47 | 日本100名城


幕閣重鎮が城主となった
江戸背後の拠点城郭の川越城。

江戸の「大手」は小田原城、「搦手」は川越城といわれるほど
江戸にとっては重要な城でした。

江戸時代には徳川家の譜代大名が代々城主となったのです。

1848年に建築された玄関は規模が大きく、
屋根は銅版葺の大唐破風、
東日本唯一の本丸御殿遺構です。





家老達が話し合う様子が再現されています。
御殿内部には広間なで6部屋が残り、
家老詰め所は移築復元されました。





大改修が行われたのは松平信綱のときで、
城域を拡大して近世城郭に変貌、城下町を整備。
遺稿は少ないですが、城下町の佇まいは今も残ります。

別名:初雁城
種別:平城
築城年代:1457年、1651年
築城者:太田道真・道灌、松平信綱

埼玉県川越市郭町2-13-1

2013.11.30
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日本100名城 岩国城

2014-07-23 19:22:31 | 日本100名城



城山山頂にそびえる桃山風南蛮造り
白亜の天守閣が印象的です。





1608年初代藩主吉川広家により岩国城は完成。
しかし、徳川幕府の一国一城の令により
わずか7年で破却の運命に。





川を渡る龍のごとくの錦帯橋。
居館と城下はこの橋で結ばれていました。





周防なる いわくに山を こえむ日は
たむけよくせよ あらきその道
(万葉集四より)

別名:横山城
種別:山城(麓に居館)
築城年代:1608年
築城者:吉川広家
構造:四重六階、鉄筋コンクリート

山口県岩国市横山3

2013.10.12
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