まるみのあっちこっち巡り

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予科練平和記念会館

2014-08-15 13:42:55 | お出かけ 関東



海軍の町として歴史を刻んできた茨城県阿見町。
大正時代に霞ヶ浦海軍航空隊が開隊され、
予科練も横須賀から移転、終戦まで全国の予科練教育・訓練の
中心的役割を担うことになったのです。

「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称が予科練。
より若いうちから基礎訓練を行って熟練の搭乗員を
多く育てようと昭和5年に教育を開始しました。

14歳半から17歳までの少年が全国から試験で選抜され、
(この試験問題も置いてあります)
15年間で24万人が入隊、2万4千人が戦地へ赴任しました。
戦死者は8割にものぼったそうです。







空を見せることを大切にしている空間だそうです。
変わらぬ空の風景から、当時の少年たちの志や気持ち、
現在の日本の平和や世界の情勢も考えてみるのに良さそうです。

昭和の少年たちの予科練での暮らしぶりもよくわかります。
残されている手紙などには少年らしさも垣間見られ、
少年たちの「想い」にふれることができます。

厳しい訓練を繰り返し、勉強をし、
活躍した人もいるでしょうが、大半は散っていったのです。
彼らは学業も優秀で、運動能力、体力も優れていました。

台湾で神と崇められている杉浦茂峰氏も享年20歳、
その若さで判断した行為が、今なお台湾で尊敬されているのです。
それが予科練で学んだことにつながるように思います。

台湾へ行くまでは知らなかった日本兵の足跡に
ほんの少し歩み寄れたような気がします。

空襲や特攻の映像は見逃せませんが、
当時の少年達の気持ちを考えると涙なしには見られません。







回天のこともここで初めて知りました。
太平洋戦争で大日本帝国海軍が開発した人間魚雷、特攻兵器です。
終戦までに420機が生産されたそうです。

脱出装置はなく、一度出撃すれば攻撃の成否にかかわらず
乗員の命はありませんでした。
戦死者の平均年齢は21.1歳です。

日本のためどんなものでも行くという思いで
殉じた若者がいたことを歴史に刻んでおくべきでしょう。

生まれた時から戦いに明け暮れる日本しか知らず、
贅沢など知ることはなかった若者たちを思うと
生まれ変わって幸福に暮らしていて欲しいと思います。

この回天は模型で、2006年のTBS系列テレビで放映された
2時間ドラマ「僕たちの戦争」の撮影に使用された実物大の模型で、
撮影終了後に阿見町に寄贈されたものです。

2度と同じ過ちを繰り返さないためにも
こうした施設を見学できるようにしていて欲しいです。

予科練平和記念館
茨城県稲敷郡阿見町廻戸5-1
入館料:大人500円 小中高生300円

2014.5.17

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