2020年3月に147年ぶりに御楼門が復元され、
2023年3月に黎明館の敷地を含む
鹿児島城跡が国の史跡に指定されました。
1601年、島津家久(18代当主)により築城、
以後廃藩置県まで島津氏の居城でしたが、
本丸と二の丸を連郭式に並べ、
石垣と堀で囲んだだけの簡素な城です。
公称「77万石」の大名の城としては
天守など高層建築や高石垣などは築かれず、
中性の居館のような城で、
大大名なのになぜかと疑問を持ちます。
理由の一つに外城制があります。
多数の外城(大小の支城)が外敵の侵入を防ぎ、
本城を他の大名のような近世城郭にする
必要がなかったからだともいわれます。
石垣には無数のくぼみが見られますが、
銃弾や砲弾の破片が食い込んでいるものがあります。
これらは1877年の西南戦争の際のもので、
日本最後の内戦の歴史を伝える貴重な痕跡です。
熊本・宮崎での戦いに敗れた西郷軍は、
故郷鹿児島に戻り、城山を中心に布陣しましたが、
政府軍は約5万人の兵で包囲し、
西郷軍に無数の銃・砲弾を浴びせました。
別名:鶴丸城
種別:平山城
築城者:島津家久
築城年:1601年
主な城主:島津氏
鹿児島県鹿児島市城山町7-2
2023.12.12
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