群馬県太田市のほぼ中央にそびえる
標高235.8メートルの独立峰、
全山アカマツに覆われた
金山にあった金山城。
頂上の本丸を中心にそこから延びる
尾根を削平して曲輪を造り、
堀切・土塁で固く守った
巨大な戦国の山城です。
山を登っていくと馬場下通路が見えてきました。
この通路は防御上、土橋から見通せないよう
曲がった通路となっています。
馬場曲輪は上下二段の曲輪からなり、
それぞれ石垣が設けれれています。
四阿が建てられ、排水路も見えます。
復元された大手虎口は、石で埋め尽くされた通路。
両側は脇曲輪、その奥が土塁石垣です。
「戦国時代の関東の山城には本格的な
石垣普請の城はない」という
従来の定説が発掘調査で覆されたほど、
多くの石垣が多用されています。
越後の上杉氏や甲斐の武田氏など
名だたる武将たちに攻められましたが、
落城することが一度もなかった
堅固な城だったといいます。
三の丸の下にある「日ノ池」は、出土品から
祭司的な場であったと考えられています。
本丸跡とされている地点に新田神社があります。
別名:新田金山城、太田金山城
種別:山城
築城者:岩松家純
築城年:1469年
主な城主:岩松氏、由良氏、後北条氏
群馬県太田市金山町40-98他
2023.9.19
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まだまだ知らない城跡がたくさんあるなと思いました。
日本100名城だけでなく、たくさんの城跡が守られていることに驚きます
私の城巡りはまだまだ続きますよ