16世紀前半、伊予国の守護であった河野氏が、
館型の城だった湯月城を整備し、
戦国期拠点城郭へと転換させました。
主な遺構は土塁と堀です。
この地を支配していた河野氏の歴史、
城のジオラマや鎧などが展示されている
湯築城資料館は無料で見学できる施設。
日本100名城のスタンプはこちらにあります。
展望台から城の大きさを確認してみましょう。
QRコードから復元CGで映像と解説を聞きます。
1587年には廃城しており、松山城で湯築城の
瓦等の建材が流用されたことが
発掘調査により判明しているそうです。
城は丘陵部とその下の平地部からなり、
比高約30mの丘陵部を二重の堀と
土塁で囲んでいます。
内堀と外堀の間に河野氏の屋敷や
直属の武士の屋敷などが建ち、
平地部は、庭園を伴う上級武士と
その他の武士と居住地が分かれていたとか。
城内に居住区も有するという近世城郭の構造を
安土城より40年も早く築き上げていました。
戦国時代中頃の大規模な堀や土塁が良好に残る
稀な遺構として歴史的価値も非常に高いものです。
別名:湯月城
種別:平山城
築城者:河野通盛、河野通直(弾正少弼通直)
築城年:南北朝期、1535年
主な城主:河野氏
愛媛県松山市1
2023.4.30
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