飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。

薪ストーブを選ぶなら絶対大き目!

2012-05-12 18:25:46 | 薪ストーブってどんなもの?(what's woodstove)

以前薪ストーブにはいろいろなメーカーや種類があり、結構使い勝手に違いがあるとご説明しました。

あなたが、もし、薪ストーブを購入予定なら、まずは各メーカーの特性を調べた方が無難でしょう。

薪ストーブ料理にあこがれていたのに、買ってみたらお湯を沸かすにも一苦労‥。てなことにもなりかねませんからね!

それともう一つの注意点。

薪ストーブを選ぶとき、その大きさですが、自分がウチにはこれで丁度良いと思ったサイズから、ワンサイズ大きなものを購入することをお薦めします。

これはウチがまさにそうでした。

薪ストーブを十分勉強したつもりになっていたのですが、女房のとにかく薪ストーブ料理がしたいとの願いより、中にダッチオーブンが入ってしまう、ウチにはちょっと大き目の機種を購入したのですが、結果的にこの大き目と思ったものでピッタリ!ちょうど良かったのです。

購入前は、「家一軒まるごとあっためられるぞ!」と、少し女房を脅していましたが、使ってみるとそのくらい大きい方が、ぽかぽかで冬でもTシャツ一枚!とても心地の良い温かさだったのです。

正直、この暖かさには優越感?すら感じられ、本当に薪ストーブを買って良かったと思いました。

これがサイズが小さくうすら寒いようでは、あまり薪ストーブのありがたさは感じられなかったと思います。

薪ストーブは、本体以外にも煙突、炉台と準備しなければならないため、ワンサイズ大きなものにしても全体としてはそれほど金額的に違いがでないため、是非とも大き目を選択するべきだと思います。

目安として、薪ストーブのカタログにある「最低暖房面積」を、「最適暖房面積」と考えても良いくらいだと思います。

たとえ部屋が熱くなっても、一つの技として、最初だけ少し窓をあけて温度を調整し、薪が十分炭になったところで、空気を絞って火力を落としてあげれば、大きすぎる薪ストーブでも、かなり温度を落とすことが出来ますしね!

Photo

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ハンググライダーの進化の歴史 5

2012-05-11 20:00:46 | ハング(hangglider)

今までは、ハンググライダーの歴史を遡ってご説明しましたが、近代のスポーツとしてのハンググライダーの始まりは、なんといってもロガロ翼でしょう。

ロガロとは人の名前で、NASAの研究員をしていた、フランシス ロガロという方が、宇宙船の地球帰還型のものを、ある程度操縦して滑空し、目的の場所に着陸させるため、重量が軽くシンプルで折りたためる翼が使えないかというアイデアを出します。

少し前に引退したスペースシャトルの軽量簡易型みたいなものですね。

そして、ロガロは凧に着目します。

「西洋凧の下を切り取ったらどうだろう‥」。

001 西洋凧は、揚力の多くを前半分で発生させています。

そして、下の半分は抗力を発生させ、凧としての安定をとるための役目を果たしています。

つまり、滑空機として使うには後ろ半分がいらないのです。

そこでカット!

ロガロ翼(ハンググライダー)の誕生です。

新しくロガロ氏が考えた翼はロガロ翼と呼ばれ、翼の角度を変えるだけで滑空をコントロールできることも分かり、ロガロさんはこの翼に対し特許を取得しました。

その後、このロガロ翼は残念ながら実際に宇宙船には使われなかったのですが、このアイデアを見て、リチャードミラーという人が、「人間が乗ったら面白いのでは?」と、考えたのです。

そして、実際にそれを製作し飛ばしました。

その後、それを見た世界中の若者が触発され、次々とロガロ翼を作るようになったのです。

スポーツとしてのハンググライダーの始まりです。

このようにしてハンググライダーは世界中にスポーツとして広がっていくことになり、今へとつながっていくことになります。

さて、ここで大きな疑問‥。

先ほどロガロ氏は、ロガロ翼について特許を取得したとご説明しました。

しかし、世界中のどこのハングメーカーも、ロガロ氏に対し、ロガロ翼の特許使用料を払ったことがないのです。

これは、ハンググライダー界最大の謎とされています。

結局ロガロ氏は、その特許のロイヤリティーをめぐって裁判をおこすでもなく、ハンググライダーの世界選手権等に特別ゲストとして招かれ、ニコニコしながらハンググライダーが飛ぶのを見ていたそうです。

そのうちロガロ氏も他界‥。

結局、ロガロ氏が特許使用料をなぜ請求しなかったか‥。

その謎は永遠にわからなくなってしまいました。

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ハンググライダーの進化の歴史 4

2012-05-06 20:20:52 | ハング(hangglider)

前回ご紹介した頓所好勝氏は、見事なグライダーを作った知識を買われて、その後、海軍の要請で「神竜」という特攻グライダーを開発することになります。

本筋からは離れてしまいますが、今回はこれについてご紹介しておこうと思います。

太平洋戦争末期、日本の負けが確定的となり、それでもアメリカを譲歩させ、日本にとって有利な条件の「負け方」に持っていくため、日本軍は陸軍、海軍ともに、「特攻」という恐ろしい方法をとることを考えます。

これは「国体維持」、つまり天皇制を残して国が混乱しない形で「負け」にすることを主な目的としたもので、そのために、日本の徹底抗戦を見せるために、大切な若者たちの命を犠牲にして、爆弾とともに敵に体当たりするという、人道的に許せない行為を強制しました。

この「特攻」で大事な命を落とした若者は、直接的には5000人以上、実質的には10000人以上いたことが考えられます。

海軍の場合、一部の有優秀なパイロットを除き、ほとんどのパイロットにこの特攻をさせる考えがありました。

更に、パイロットがすべて特攻でいなくなった後も、アメリカ軍が日本本土に上陸するときに、更に攻撃をするため、予科練(海軍パイロット養成校)の生徒までも特攻要因として使うことを考えます。

そのために開発されたのが、今回ご紹介する「神竜」です。

004

神竜は、14歳から18歳くらいの予科練のグライダー操縦の経験を持つ少年に特攻をさせるためのものです。

この神竜は、固体ロケットエンジンを積んだグライダーに、爆弾100キロと少年をのせ、敵に体当たりするというものでした。

予科練では、パイロットの訓練をするために、まずはグライダーから練習させました。

そのため、予科練そのものは、茨城の土浦と九州の大村の二校しかありませんでしたが、グライダーの練習場は日本各所に多数存在していたのです。

頓所氏が開発を手掛けた「神竜」は、そのグライダー練習場の一つ、「石岡中央滑空場」にて進められていたのです。

この「石岡中央滑空場」が、実は足尾、板敷二つのハンググライダーエリアのすぐ近くに存在していたのです。

現在は、法政大学体育施設として使われています。

観光地になっている「ダチョウ王国」のすぐ近くです。

Photo 少し前にとった現地の写真ですが、今ではそのような恐ろしい兵器が作られていたとは思えないくらい、静かで平和な場所になっています。

桜の花がとてもきれいでした。

特攻は、表向きは本人の志願の形をとっていましたが、実質的には「強制」でした。

そして、そんな兵器を開発する技術者も、口には出しませんでしたが、実はいたたまれない気持ちで開発を続けていたそうです。

神竜の開発を進めていた頓所氏は、いったいどのような気持ちで、この兵器の開発を進めていたのでしょうか?

幸いこの神竜は、実際に使われる前に終戦となり、この兵器で命を落とした若者はいませんでした。

ただ、そのような恐ろしい歴史があった事実は後世に伝えなければならず、そのようなことを知っている者も少なくなっているため、このブログにその事実を記しておきたいと思い、ちょっと本筋からそれた内容になってしまいました。

ご勘弁ください‥。

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薪ストーブとファンヒーターの同居

2012-05-02 09:16:46 | 薪ストーブってどんなもの?(what's woodstove)

001 我が家では、只今、薪ストーブとファンヒーターが同居しています。

薪ストーブはとても暖かいのですが、実は、中途半端な焚き方が出来ないのです!

薪ストーブを使うときは、とにかく二次燃焼が起こる280度以上まで一度上げなければいけません。

中途半端に焚くことはもちろんできますが、それをすると、煤が煙突やストーブにたまってしまうのです!

薪を焚くということは、どうしても煙が出ます。

この煙は、十分な酸素と高温があれば完全燃焼しますが、これを続けるとすぐに薪が灰になってしまいます。

そこで薪ストーブは炎を長持ちさせるため、まず高温に上げて薪を十分に加熱して「炭」にしてしまうのです。

この時出てくる薪からの「ガス(煙)」は、二次燃焼室で完全に燃やしてしまいます。

過熱で薪が「炭」になってくれれば、後は空気を絞って低温まで下げても煤が出ず、炎も長持ちします。

これが基本的な薪ストーブの使い方ですが、今どきのように中途半端な寒さの時は、薪ストーブの焚き初めはとにかく熱い!!熱すぎるのです!

だから最近はファンヒーターも使っているのですが‥。

久々にファンヒーターをつけると、「なにこれ?」

薪ストーブに慣れた体には、とにかく物足りない温度‥。

体の中からグワ~っとくる、あの薪ストーブ独特の力強い温かさは当然ありません。

「昔、ファンヒーターを初めて使ったときは、とても暖かいと感じたのに‥」。

思わずそんなことを思い出しました。

やっぱり、薪ストーブの温かさは最強のようですね。

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ハンググライダーの進化の歴史 3

2012-05-01 19:52:11 | ハング(hangglider)

1934年、太平洋戦争以前に、日本には世界レベルの高性能を持ったハンググライダーが存在していました。

当時はハンググライダーとしてだけではなく、グライダーとしてもトップレベルの高性能機だったのです。

製作者は頓所好勝。若干19歳の青年でした。

頓所青年は、独学で航空工学を学び、すべて自分一人でこの機体を作り上げました。

もともと頓所青年は、模型飛行機が趣味だったため、その技術を生かして「頓所1型グライダー」を作り上げたのです。

002

機体に使われている材料は、当時は今のように高品質のアルミ材やカーボンはありませんでしたから、スプルース(米松)と航空べニア。それを羽布張りした機体で、重量が25キロだったそうです。

ワイヤーを使わない完全片持ち構造の機体で、この重量におさまってしまっているのは、全く無駄のない構造を持っていたと言えることが出来るでしょう。

とにかく、当時としては第一級のグライダーであり、そんな機体を若干19歳の青年が作り上げたことに、当時の航空関係者は驚きを隠せなかったそうです。

残念ながら、当時は戦争へと進んでいた時代で、頓所グライダーもその後すぐには進化型は作られず、2型が出来たのは1976年、42年もたってからでした。

更に残念なことに、頓所1型は、敗戦時に焼却されてしまい、更に機体の詳細な図面も現在は残されておらず、三面図しか残っていません。

この残された三面図、および写真から想定できることとして、確かにかなり高性能であったことが伺えます。

しかし、そのコントロールはかなり難しかったことが予想できます。

まず離陸時、パイロットはかなり後方に位置しているため、走り始めると大きくノーズが上がり始めることが予想できます。

この挙動は、機体の先端をゴム索で引っ張っていたため、これの効果である程度は抑えられていたのだと思います。

そして、水平尾翼が全体が動くフライングテールであったため、ピッチの安定を保つのがかなり難しかったはずです。

おそらく、テイクオフするときはゴム索で引っ張り、昇降舵を目いっぱいに下げながら走り、揚力が出たところで思いっきり前に飛び乗り、素早く重心位置を合わせて、その後は忙しくピッチをコントロールする必要があったと思います。

残念ながらこの「頓所1型グライダー」は高高度を飛ぶことは無かったようですが、しかし、その経験は頓所2型に生かされていくこととなります。

003

頓所2型では、無尾翼となり、機体の重心位置と人間が吊り上げられる位置がほとんど同じ場所になり、完全に一人でテイクオフできるようになりました。

皆さんがいつも飛んでいるハンググライダーもこれと同じで、機体の重心位置とパイロットが吊るされる位置が同じだからこそ、安全にテイクオフすることが出来るのです。

Ⅰ型グライダーを作った頓所青年のその後は、その実力を買われて戦争に使う兵器を作る仕事につかされています。

その兵器の名前は「神竜」。

年端もいかぬ少年と爆弾を乗せて敵に突っ込む「特攻機」です。

少々本筋から離れてしまいますが、実はこの「神竜」は足尾、板敷エリアのある八郷盆地の中で68年前に開発されていた事実があるので、それについて次回お話しします。

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