鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

沼田の街ブラ

2019-03-24 | お散歩


2 0 1 8 年 8 月 2 5 日 ( 土 )

午 前 1 0 時 2 0 分

群 馬 県 沼 田 市

沼 田 小 学 校 前



沼田公園を出て、市街地を歩きます。



校門が冠木門になっている沼田小学校
ここが、かつて沼田城の大手門があったところなのだそうです。
関ヶ原前夜、軍勢を率いる真田昌幸と、城主真田信幸の留守を預かる妻・小松姫が、ここを挟んで緊張感ある問答を繰り広げたんでしょうね。


この大手門跡からのびる大手道を歩き、JR沼田駅へと戻っていきます。
駅へ戻る途上、小松姫のお墓があるようですので、そこにも寄り道したいと思います。




大手道の脇に立っている、神明宮常夜燈【沼田市指定重要文化財】。
もともとは、現在の沼田駅から上る滝坂の中腹あたりに立っていたそうです。
嘉永5年(1852年)12月に竣工したものですが、明治40年(1907年)12月に現在地に移築されました。


大手道と国道120号の交差点。



今回の旅で、おみやを買おうと決めていたお店です。



萌えキャラが出迎える、洋菓子工房「樫の木」に入ります。

ここのバウムクーヘンは全国的に有名らしく、作家の吉本ばなな女史は「世界一うまい」と絶賛しているのだとか。
なるほど、ドイツ語で「木のケーキ」という言葉のとおり、年輪を重ねていった樫の木のように重厚なバウムクーヘンが、ショウケースに並んでいますね。

そしてバウムクーヘンの中でも一番人気のものが、外側がチョコでコーティングされたチョコレートバウムクーヘンだそうな。
私もチョコレートバウムを求めたのですが、残暑厳しい時節。
チョコのコーティングは無残にも溶けてしまうことでしょう。
そのためチョコレートバウムは販売していないようで、



プレーン・バウムクーヘン(1,300円)を購入いたしました。
一番小さいサイズながら贈答用のものを選んだので、中が見えないですね~。

私もすぐに味見がしたかったので、



170円の切れ端を買いました。
沼田駅に着いたら、さっそく食べてみようと思います♪



大手道から国道120号に曲がります。



いつしか市街地を抜け、河岸段丘を下る坂に差しかかります。
この坂は、遊覧坂というそうです。



沼田駅への分かれ道。
このまま曲がらなければ遊覧坂、曲がれば滝坂に入ります。







遊覧坂と滝坂が分岐する交差点は、利根川方向を見下ろす絶景スポットになっていました。



坂の上から約80メートルの高低差を下り、



JR沼田駅に到着。



あ! 小松姫のお墓参りを忘れてしまいました。

小松姫のお墓がある正覚寺は先ほどの交差点の崖上にあって、遊覧坂からは階段をつたって行けば容易に行けたようでした。



沼田駅のそばにあるコンビニで、



味噌パンなるものを買ってみました。



味噌パン・・・意外とうまい!
パンはもちもちとした食感で、中に入っているお味噌とよく合います。
お味噌はしょっぱいものではなく、味噌団子や味噌まんじゅうで使われている、甘いタイプのもの。
そういえば、味噌まんじゅうも上州名物でしたね。

バウムクーヘンは・・・しっとりうまし!
開封してまず感じるのは、芳醇なアルコールの香り。
リキュールがふんだんに使われているようで、甘みにも品が感じられました。



「真打ち」を味わうのが楽しみです♪



沼田駅の待合室でこの日のランチを食し、電車の到着を待っていました。
沼田の街で、沼田の城で、やり忘れたことがあるのを、このときの私はまだ知らなかったのです。





旧手宮線跡地

2017-10-04 | お散歩


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 後 4 時 3 1 分

小 樽 駅 へ の 戻 り 道



港町・小樽は夕刻を迎えました。
私は駅へと戻るべく、



旧手宮線跡地を歩いていました。



かつて利用されていた線路の脇に、遊歩道が整備されています。



こらこら~!
こんなところに車を停めるでない!!



あらためまして、旧手宮線を歩きます。



明治13年(1880年)、官設幌内鉄道が北海道で初めての鉄道として開通しますが、運営は安定せず、その後北有社が運営を委託されます。
明治22年(1889年)、石炭生産と輸送の一体化をめざした北海道炭礦鉄道(北炭)が設立され、幌内鉄道を引き継ぎました。
北炭は、空知地方の炭鉱と小樽、室蘭を結ぶ路線を増強し、石炭輸送は飛躍的に増加しました。
明治39年(1906年)、鉄道国有法が施行され、北炭の鉄道部門は国有化され、明治42年(1909年)、手宮・小樽間は国鉄手宮線となりました。
(当時の小樽駅は、現在の南小樽駅にあたります)
輸送量増強のための複線化も、このころ実施されました。
しかし太平洋戦争の影響で乗客取扱いを廃止し、物資供給のため複線部分の線路も失われてしまいました。
戦後一時的に旅客運転が再開されますが継続せず、また複線部分も復元されませんでした。
昭和62年(1987年)の廃線まで、単線での貨物営業を行いました。
(この看板の記載内容を編集)


現在は、旧手宮駅である小樽市総合博物館 鉄道・化学・歴史館から、函館本線分岐点近くの寿司屋通りまで、遊歩道が整備されています。


地図でいうと・・・



ココです!!




廃線なので、線路の上を歩いてもOK。



なかば線路に横たわりながらの撮影もOK。



かつての遮断機も残っていますが、自動車は一時停止しなくてもOK。
「停まんなくていいよ」という案内標識もありました。



なんか・・・画になるねぇ・・・。



やっぱり小樽はふたりで歩きたかったな。





小樽散歩へ出発

2017-08-08 | お散歩


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 前 1 1 時 5 2 分

小 樽 中 央 通 り





「若鶏時代 なると」本店で早めのランチをとり、



小樽駅から小樽港を結ぶ小樽中央通りに戻りました。
ここからは港方向へ下っていきます。




通りを貫く鉄道路線の跡。
廃線となった国鉄手宮線です。
現在はしゃれた遊歩道になっているようですね。


交差点にたたずむ、歴史のありそうな建物。



旧安田銀行小樽支店【小樽市指定歴史的建造物】です。
小樽にはこのような歴史ある建物が各所にあります。
小樽散策について特にプランのなかった私は、この「小樽市指定歴史的建造物コンプリート」的な散策をしてみようかな~なんて思いつきました。
のちのち実行に移して参りますが、これはまた、別の話。


小樽観光のメイン・小樽運河のほど近く。



小樽運河プラザという観光案内所のような施設がありました。
情報収集のため、中に入ります。

・・・・・・中に入りましたが、あまり情報は得られませんでした。
どちらかといえば、休憩所というべき喫茶店、そして土産物屋が入っていました。
そして小樽観光とはほとんど関係ないある商品が、私の目を釘付けにしてしまいます。それは・・・



全国鉄道路線図 昭和30年版(1,500円)です!



わが出身地のあたり。
Y字型に掘り込んだ鹿島港がありません!
香取駅鹿島神宮駅を結ぶJR鹿島線もありません。
当時は交通インフラがまったくなく、「陸の孤島」ともいうべき地域が、現在となっては一大工業地帯となりました。
感慨深いですねぇ。



私が学生時代を過ごした仙台。
現在と比べると、まず東北新幹線がありません。
それから東北本線岩切、利府、松島、品井沼と続いています。
現在でいう利府支線が当時は本線であって、しかも利府から先が続いていたのです。
この路線図の陸前山王駅からグニャリと曲がって品井沼駅へと続くルートが現在の東北本線で、このルートの上に塩釜駅、松島駅、愛宕駅があります。



青森県あたり。
現在の八戸駅は、当時は「尻内駅」で、現在の本八戸駅「八戸駅」でした。
あとJR津軽線が、青森駅から蟹田駅までしか開通していなかったんですね。
下北半島では、現在の本州最北の駅・下北駅からさらに北に進む路線があったようです。



北海道。
かつてはこんなにも鉄道網が張り巡られていたんですね。
現在はこの中の半数以上は廃線になってしまいました。



函館付近。
当時は松前線なんてのがあったんですね。
これがあったら松前城の登城は、少しはラクになったかもしれません。
近年廃線になった江差線も当時は健在。
ただ当時は青函トンネルが開通しておらず、当然ながら北海道新幹線もありません。



札幌周辺、いわゆる道央地域。
札幌の東側がなかなかいそがしい感じです。現在はほとんどが廃線になっています。
このあたりは日本有数の石炭産出地帯、鉄道は石炭の運び出しで活気がありました。
石炭を運び出す小樽港室蘭港へ続く鉄道が複線になっています。
室蘭本線苫小牧・岩見沢間が当時はメインルートだったことも、現在の寂れっぷりからすれば想像できません。
現在は新千歳空港ができて、千歳線がメインルートになっています。


昭和30年の鉄道路線図をひとり眺め、悦に浸っていました。
この場によね先生がいたら、この路線図で数時間語らい、小樽観光などそっちのけになっていたでしょう。



おっと、そろそろ小樽の街でも歩こうか。





坂の上の宿屋

2017-01-28 | お散歩


2 0 1 6 年 9 月 1 6 日 ( 金 )

午 後 3 時 1 1 分

J R 函 館 駅 前



午後3時すぎ、JR函館駅に到着。





函館に着いて第一に目指すのは、予約したペンションです。
街歩きをする前に手荷物を置いていくためにも、宿へ向かいます。

宿屋は函館駅から少々距離があるので、今回は函館市電を利用します。
そういえば函館駅の観光案内所で市電の一日乗車券(600円)を購入しましたが、この日は使いません。
市電の停留場はえんじ色のビルの下にある、と観光案内所の女性から聞いていたので、そちらへ向かいます。



大通りの中央に敷設されている函館駅前停留場
そうそう、函館市電はいわゆる路面電車なんです。
路面電車は岡山や松山でも見ましたが、実際に乗るのはかなり久しぶりです。

 

函館駅前停留場に入線している路面電車。
この電車は湯の川行きなので逆方向。
乗車した電車は、15時18分発 函館どっく前行き電車です。



路面電車も道路を通行するので、道路交通法の適用を受けます。
つまりは赤信号だったら止まらなきゃいけないのです。
この交差点のように路面電車専用の信号機が併設されている場合は、そちらの信号に従います。



函館駅前から3駅、十字街停留場で下車。
運賃は210円でした。



十字街停留場は、市電2路線(2系統路線・5系統路線)の分岐停留場となっています。
ちなみに、函館どっく前行きは5系統路線です。
今回の旅では乗車する予定ではなかった2系統路線の方は、とある理由でお世話になることとなりますが、それはまた別の話。



【今回の乗車記録】

函館市電 (DY17)函館駅前停留場 15時18分発
5系統路線 函館どっく前行き
DY20)十字街停留場 15時23分着

*所要時間 5分
*移動距離 1.3km  *運賃 210円



十字街からは、宿屋まで徒歩で向かいます。



二十間坂を上ります。



幅広な石畳の坂道は、「函館にやってきたな~(#^.^#)」という旅情に満たされます。



坂の上はあの函館山、といってもこの坂は山頂までは続いていませんけどね。



雰囲気ある街並みですが、この斜度!!
目測で計算するとざっと20%はありそう。
私の旅情はあっという間に消え失せていきました。



坂を上り始めてから約10分、予約したペンションに到着しました。

宿屋の扉を開けますが・・・・・・主人はなかなか出てこない。
「ごめんくださ~い」と呼びかけて・・・ようやくご主人登場。なかなか人の良さそうな方ですな。



私の部屋は1階の一番端っこ。
なんとも質素なお部屋です。ビジネスホテルではないので、内風呂はありません。
そしてストーブはあるのですが、冷房はありません。扇風機もなし。
最初は驚きましたが、高台にあるので風が涼しく、冷房はなくても問題なさそうです。
苦労したのが、コンセント穴の少なさ。携帯、PC、デジカメを所持している私は、充電のタイミングを考えなければなりませんでした。



ベランダからの眺め。
ここの売りは「夜景がきれい」ということでしたが、残念ながら樹木が邪魔しています。
もとよりじゃらんで予約した「ワケアリ物件」でもあるし、夜景はこれから外でたっぷり味わうので問題はありません。


手荷物を自室に置いた私は、近くにある元町教会群を散策すべく、いったん宿屋を後にしました。





小町通りでぶらつくことにした

2017-01-03 | お散歩


2 0 1 6 年 1 1 月 1 2 日 ( 土 )

午 後 2 時 4 9 分

神 奈 川 県 鎌 倉 市

浄 妙 寺 を 出 る



色づき始めの紅葉と、端正な枯山水をある程度味わい、浄妙寺を出ました。

時刻は午後3時前。
団体ツアーの集合時刻は午後4時45分、そろそろJR鎌倉駅付近まで戻ったほうがよさそうです。
傍の御前「小町通りでおみやげを買いたい」とのこと。
(それ以上にどこぞのカフェでタバコを吸いたいご様子)

諸般の事情もあり、金沢街道を歩いて戻ることにしました。

 

浄妙寺から街道に出て杉本寺付近までは、歩道沿いに(なめり)が流れています。
おそらくは観光用に放流したであろうコイたちが、我々の目の楽しみとなってくれました。
コイは我々の足音に反応したのか、ぞろぞろと集まってきました。
しかし彼らの期待に反し、我々は髪の毛一本ほどのエサもあげませんでした。




午 後 3 時 1 4 分

若 宮 大 路 に 戻 る


歩道の狭い金沢街道を歩き、鶴岡八幡宮前に戻ってきました。
ここから若宮大路を歩き、



「輪心」という店で、傍の御前はバウムクーヘンをご購入されました。



小路から小町通りに入り、



紫いもソフトで有名らしい「いも吉館」という店で、



傍の御前紫いものソフトクリームをご購入。
私はソフトクリームよりもコロッケが食べたかったので、



紫いもコロッケ!



・・・・・・ではなく、あえて明太子コロッケを購入し、食べ歩き。



そして御前はおタバコを所望し、私はおなかが緩くなってきたため、再びエクセルシオールで休憩をとることに。

このあとは由比ヶ浜を見よう!ということで、エクセルシオールを後にし、若宮大路を南下しましたが、



時間切れとなり、JR鎌倉駅に戻りました。
集合時刻に若干遅れ、S女史に軽く怒られてしまいましたが、団体列車の運行に支障をきたすことはなく、無事に柏駅に戻りました。



完全私的旅4「いざ、鎌倉。」 完

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優しき高岡市民

2012-10-28 | お散歩

2 0 1 1 年 1 2 月 2 3 日 ( 天 皇 誕 生 日 )

午 後 1 時 5 8 分

富 山 県 高 岡 市

高 岡 城 址 公 園 を 出 る



雪が止んだところを見計らって高岡市立博物館@高岡古城公園を出たのですが、雪は再び本降りになってきました。
旅先で傘を買っても荷物になるだけさ!と考えていた私でありましたが、さすがに後悔していました。


次の目的地は、高岡山瑞龍寺
富山県随一の名刹で、その堂宇は富山県唯一の国宝に指定されています。

JR高岡駅からは、高岡古城公園&高岡大仏と、瑞龍寺とではちょうど正反対の方向にあります。
よっていったん駅に戻ることとしました。


雪はいちだんと激しさを…ん!? 雪が?
信号待ちをしている私に、恵みの傘が!

北陸の雪をナメきっていた馬鹿な旅人に、高岡の淑女が傘を寄せてきたのです!
いや~ありがたい!
私は相変わらず年上の淑女には強い!!

淑女はJR高岡駅へ向かうとのこと。
しばし淑女と相合傘ということとなりました。

淑女によると、高岡で外せないのは高岡大仏と瑞龍寺だそうです。
高岡大仏はあまり大きいものではないのだが、鋳物産業の街の誇りを感じます。


JR高岡駅の構内を通り抜けて、淑女とはお別れ。
瑞龍寺までのルートを教えてくれました。


ここからは再び雪との闘いです。

風雪を受けながら駅前の大通りを歩き、八丁道という通りに差しかかりました。

八丁道

八丁道は、前田利長公墓所と瑞龍寺を結ぶ参道。
かつては道沿いに濠もあったようで、有事の際の防衛ラインと想定されていたといいます。

現在の八丁道は、道の中央が瑞龍寺への参道になっていて、両サイドに車道が通ります。
道の構造は鎌倉の若宮大路に近いようです。

八丁道の途中にも・・・

前田利長公像@八丁道

前田利長公が雪をかぶりながら座っておられました。


雪が降りしきるなか・・・

瑞龍寺総門

瑞龍寺に到着。




悲喜こもごもの岡崎公園

2010-09-15 | お散歩


2 0 1 0 年 9 月 6 日 ( 月 )

午 前 7 時 5 5 分

愛 知 県 岡 崎 市

岡 崎 公 園



今回宿泊したビジネスホテルは朝食つきの所だったのですが、前日のチェックインで朝食を予約し忘れてしまいました。
仕方なく早々にホテルをチェックアウトし、朝食が食べられる店を探しに行きます。


ホテルからほどなく、岡崎公園に到着。
岡崎城への入口を確認しながら、まずは朝食の食べられるお店を探します。



岡崎城への入口である神橋
朝食を先にとるため、ここは後で渡ることとなります。

橋の真ん中にゴミが置いてあった・・・この橋はごみ集積所にでもなっていたのでしょうか?


お店探しのさなか、自転車通学の地元高校生とすれ違います。
この日は月曜・・・あらためて有給休暇のありがたみや優越感を実感します。




時節は9月に入ったばかり、朝から太陽の日差しが強く感じられます。
岡崎公園の向かいにある、大きな藤棚でちょいと休憩。
「五万石ふじ」【岡崎市指定天然記念物】というそうです。
もとは岡崎城内にあった藤が移植されたもので、樹齢は推定120年といいます。
岡崎を治めた大名の石高が江戸時代を通じてほぼ5万石だったことから、その名がついたそうです。

道路をはさんで向かいには、



岡崎から天下人となった徳川家康
その幼少期をモチーフにした「竹千代像」です。

ちなみに、傍らにある手形は寺島しのぶのものらしいです。



食堂を求め、竹千代像から歩いて5分。
大通りの国道248号にたどり着きましたが、そこの交差点で私をガッカリさせる表示がありました。

「中岡崎駅前」


たしかに交差点の先に視線をやると、中岡崎駅があります。
さらに気になった私は携帯で乗換案内を確認すると・・・中岡崎駅と岡崎駅は1本でつながっていた!!

前日、岡崎駅から歩いたりバスに乗ったりした行程が、まったくの徒労に過ぎなかったことが明らかになったのです。
もっと岡崎駅をチェックしておけばよかった・・・(T_T)



中岡崎駅の発見でテンションがガタ落ちしてしまった私は、食事する場所を探す気力も失せてしまい、近くにあったコンビニに入りました。
コンビニ弁当を買い、イートインコーナーで食事することとしました。
旅先の朝食とはとても思えない食事をし、岡崎公園へ戻っていきました。





犬山城下町を放浪して名古屋へ

2010-09-14 | お散歩


2 0 1 0 年 9 月 5 日 ( 日 )

午 後 1 時 0 2 分

愛 知 県 犬 山 市

犬 山 城 下 ・ 本 町 通 り



前日の都内も暑かった・・・
そしてこの日も気温=体温という暑さ・・・。

前日は私の決断の遅さがたたって風呂に入れずじまい。
そしてこの日も朝から風呂に入れていません・・・。

風呂に入りたい。

犬山城の登城前に、観光案内所で聴取した入浴施設「さら・さくら」
そこへ向かうのが最善の策と思い定め、そのシャトルバスが出ているという犬山駅を目指すこととしました。




今思えばそぞろ歩きにふさわしい、風情ある町並み。
だがこの時は、そのような雰囲気を味わう余裕はまったくありません。



前を歩く男女二人につられるように、趣きのある古民家に入っていきます。
判断力も鈍っているのか、ひとときの休みがほしかったのか・・・暑さにヤラれ、完全に惰性で動いているかのよう。



この古民家、旧磯辺家住宅【国指定登録文化財】は入場無料。
中では、福助さんがひょっこりと鎮座しておられました。


旧磯辺家住宅から約10分、犬山駅に到着しました。
入浴への渇望にはやる私は、犬山駅の観光案内所にて「さら・さくら」行きシャトルバスの出発場所を問うたところ、

「日曜日はシャトルバスは出ていませんよ」

案内所の淑女、非情な現実を突き付けてきました。
案内所の地図を見てみると、駅から「さら・さくら」までは明らかに3キロ以上離れています。

すると親切なる案内所の淑女は、
『サンパーク犬山』でも入浴できますよ。歩いて12~3分くらいですね」

この状況下での徒歩12~3分は荷が重い・・・
とはいえ現時点では最善であろう、「サンパーク犬山」に向けてひた歩きます。


15分くらいかかって到着。
入浴料500円を支払い、

ねんがんのアイスソードを風呂に入れたぞ!

暑さに火照った肌を水で冷やし、汚れた体を洗い、コーヒー牛乳と飲むヨーグルトをがぶ飲みして、外に出ました。




午 後 2 時 5 2 分

名 鉄 犬 山 駅


風呂上がりのさっぱりした体も束の間、気温=体温という暑さに変わりはなく、駅に戻る前に汗びっしょりになってしまいました。
とはいえ、31時間かけて蓄積した旅の垢を洗い落とした私は、心持ちに余裕をもって名古屋城【国指定特別史跡】を目指します。

名古屋城の最寄駅は名古屋市営地下鉄・市役所駅です。
JR名古屋駅からだと距離がだいぶありそうなので、ここは素直に名鉄&地下鉄で向かうこととします。

まず、犬山駅からは名鉄小牧線に乗ります。
乗車した電車は、小牧線の起点・上飯田駅を越えて地下鉄上飯田線に直通する平安通行き。
犬山駅は小牧線の終点なので、小牧線を完全制覇することに。
さらに上飯田線は、上飯田駅と平安通駅の2駅しかない日本最短の地下鉄路線なので、乗車1回で2路線を制覇することができました。


平安通からは、名城線に乗り換えです。
名城線は環状路線で、東京では大江戸線に当たるような存在です。
環状路線ではあるのですが、金山駅名港線へと分岐しているので、行き先に注意して乗車する必要があります。

今回乗車した電車は、内回り電車で名港線に直通する名古屋港行き。
平安通駅から4駅目の市役所駅で下車しました。


地下鉄市役所駅から名古屋城は、目と鼻の先。
この日最後の登城に向かいます。



【今回の乗車記録】

名古屋鉄道 犬山駅 14時56分発
(KM)小牧線 普通 名古屋市営地下鉄上飯田線直通 平安通(K02)行き
15時31分着

名古屋市営地下鉄 平安通駅(M11) 15時34分発
(M)名城線 内回り 名港線直通 名古屋港(E07)行き
市役所駅(M07) 15時44分着

【移動距離】25.3Km  【運賃】670円

※運賃は乗車当時のものです。



日本100名城登城の旅・第12話へ続く。


夜の小田原

2010-09-10 | お散歩


2 0 1 0 年 9 月 4 日 ( 土 )

午 後 5 時 0 0 分

神 奈 川 県 小 田 原 市

小 田 原 駅 西 口



小田原城【国指定史跡】の登城を終え、小田原駅前に戻りました。

このあとのこの日の予定は・・・なし。
いや、正しくは、小田原駅から列車に乗って西へ向かいます・・・0時31分発の列車で。

というわけで、約7時間半のあいだ、小田原の地で待機することに。



時間をつぶすべく、小田原駅周辺をぶらり。



駅西口に立っている北条早雲公像

北条早雲は、本名を伊勢盛時といい、もとは京都に住まう幕府の役人であったといいます。
彼自身は「北条」姓を名乗ったことはありませんでしたが、本稿では「北条早雲」と称します。
早雲の叔母は今川家に嫁いでおり、伊勢家と今川家はほぼ同等の家柄であったそうです。

今川家に家督相続問題が生じたとき、早雲は京より下向して問題に介入し、叔母の子である今川氏親を当主に据えることに成功しました。
早雲はこのときに駿河東部にある興国寺城を与えられました。

その6年後、隣国伊豆に攻め入り、堀越公方(伊豆堀越に御所を構えた室町将軍家の一族)足利茶々丸を滅ぼし、伊豆を制圧しました。
伊豆を本拠地とした早雲は、細かい税を撤廃するなどの手厚い民政を施したといいます。
また早雲は、一国の統治者でありながら「守護」を名乗らなかったため、彼が最初の戦国大名であるとされています。


そしてこの銅像は、老齢となった早雲が「火牛の計」で小田原城を乗っ取ったシーンをモチーフとしているようです。

伊豆を制した早雲の野望は尽きず、その矛先を相模へ向けます。
相模の要衝・小田原城の城主は大森藤頼

まず早雲は、藤頼に贈り物をするなどして親しく付き合いました。
藤頼が警戒心を解いてきたところで、早雲は国境付近で狩猟を催します。
鹿が逃げて国境を越えたため、早雲は藤頼に対し「鹿が境を越えたので、勢子(狩猟などで獲物を追い立てる役目の者)を入れさせてもらいたい」と依頼し、藤頼は承諾しました。

早雲が何度も狩猟し、そのたびに勢子を入れる。
藤頼はすっかり油断してしまいました。

そのときを見計らって、早雲はいつもどおり勢子を越境させます。
しかしこのときは、勢子に扮した足軽だったのです。
早雲は小田原城下に攻め込みます。
さらに、牛の角にたいまつをつけ、大勢の兵士が迫り来るかのように見せたのです。
慌てた藤頼は、小田原城を捨てて逃亡したのでした。


実際は、早雲の独断で小田原を攻め取ったのではないようです。
大森藤頼が、盟主の扇谷(おうぎがやつ)上杉氏から離反したため、早雲は扇谷上杉氏の要請を受けたという説が有力となっています。

攻め取った小田原城は、嫡男の氏綱に守らせます。
小田原城は北条氏の本拠地となり、代がかわるごとに拡張し、上杉謙信武田信玄も落とせず、22万の軍勢をもった豊臣秀吉も櫓ひとつ落とせなかった天下の堅城となっていきます。

さて早雲はさらに東へ。
このころになると扇谷上杉氏の勢力は衰えていました。
三浦半島の三崎城に立て籠もる三浦義同(よしあつ)は、3年もの間抗戦しましたが、

討つものも 討たるる者も 土器(かわらけ)
くたけて後は もとの土くれ


豪勇で知られた義同は、それにふさわしい辞世を詠んで最後の決戦に臨み、豪勇ぶりをあらわして自害。三崎城は落城しました。
水族館のある油壷という地名は、このときの城兵が流した血が油のようだったことからついたのだそうです。


ともあれ、早雲は一代で伊豆、相模を制しました。
早雲のあとを継いだ氏綱は姓を「北条」と名乗り、伊勢盛時は「北条早雲」と呼ばれています。




早雲公像から歩き、長居のできるファミレスを探します。
そして最初に見つけたのは、中華ファミレスのバーミアン

ここに着くたった3時間前、やはり中華料理の餃子の王将で昼食をとったので、あまり気乗りがしなかったのですが・・・このままうろつくのも暑いので、入店しました。
長居の口実としてはおなじみのドリンクバー、それととりあえずW焼餃子と唐揚げを注文して・・・・・・待機。

日本100名城の本を読んで、翌日のプランを考える。
TOEIC対策の単語の勉強。
買った絵葉書の鑑賞。
パンフレットの参照。

ひま。

この日は夜行列車に乗るため車中泊、当然お風呂には入れません。
そこで携帯の地図サイトで銭湯の場所を調べて、銭湯に入ってこようと思い立ったのでした。




午 後 9 時 4 0 分 ご ろ

バ ー ミ ア ン を 出 る


バーミアンを出て、調べた銭湯へ向かって歩き出しました。
しかしこれがこの旅しばらく続く苦難の始まりだったのです。


その銭湯は、小田原駅から約2キロのところにありました
近くに「万葉の湯」なる入浴施設があったのですが、入場料2,400円をケチり、遠くの銭湯を選択。


その途上、道を間違え、意外と人通りのない夜道にビビり、調べておいた銭湯に着いたのは午後10時25分。
銭湯の扉を開けるや、番台の翁は開口一番、

「終わりですよ」

どうしても銭湯に入りたい私はなおも食い下がったのですが・・・
さっさと寝たいであろうこの老人は聞く耳を持ちません。

さらに話を聞と、どうやらこのあたりの銭湯は午後10時でおしまいだというのです。

風呂抜きで夜行に乗りたくねぇよ~

そうだ、まだネットカフェがあった!
シャワーつきのところならば・・・!


携帯の地図で「ネットカフェ」「まんが喫茶」を検索するも、出たのは1件だけ。
さらにそこへ行っても、それらしい店舗が見つかりません。

ならば駅前をしらみつぶしに探すことにして、雑居ビルの看板を注視しながら散策。
そしてようやく1軒のネットカフェを見つけ入店。しかし、

「シャワーはありません」

これで1日目は風呂なし確定。



仕方なく、トイレに籠もる。
全身をギャツビーのペーパーボディタオルでぬぐって、不潔な体をごまかす手段をとるしかなかったのでした。