鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

高松で一泊

2015-10-28 | 鉄道の旅


2 0 1 5 年 3 月 2 0 日 ( 金 )

午 後 5 時 2 7 分

う ど ん 県 丸 亀 市

J R 丸 亀 駅



丸亀城を登城し、うどんと骨付鳥を堪能した私は、この日より3泊する高松へ向かうことにしました。



17時36分発の普通列車高松行きに乗車。

壮麗な石垣の名城・丸亀城を高架からながめながら、丸亀の街を後にします。
「丸亀製麺」はありませんでしたが、丸亀はいい街でした。


丸亀から高松までは、予讃線の列車で一本。
しかし丸亀から2駅、坂出駅に到着する前の車内アナウンスによると、岡山からの快速マリンライナーが普通列車を追い越すとのこと。

そこでこの日2回目の坂出駅下車。
こんどは瀬戸大橋を渡って来たマリンライナーに乗車します。

くどいようですが、マリンライナーは普通乗車券でも乗車できます。


18時05分、高松駅に到着しました。



高松駅の駅名標・・・さぬきうどん駅?!
仕方ありません、なにせここは香川県うどん県なのですから。



高松駅構内にある線路のどん詰まり。
かつては本州四国を結ぶ重要航路があった高松。
そのため路線が高松駅で収束するような配置になったのでしょう。

立ち食いうどん屋さんには入らず、駅の外へ・・・
その前に駅のスタンプをもらっておきましょう。



「源平合戦800年の夢をしのぶ駅 予讃線高松駅」
なんとも奥ゆかしい絵柄のスタンプじゃないですか。
屋島の戦いの舞台になった屋島は、高松市内にあります。

おや、もうひとつスタンプが・・・



ハイハイ、わかりました。



高松駅の外に出ました。



駅ビルがなんともスタイリッシュ。
海が近いせいもあってか、とても空間が開けています。



一方駅舎は・・・"SHIKOKU SMILE STATION" だそうです。
高松駅はなんにでもサブタイトルをつけなきゃ気が済まないのか?


高松駅の東側に出ると、徒歩2分ほどですぐに玉藻公園に着きます。
高松駅の出口から玉藻公園が見えるくらいです。

 

そしてこの玉藻公園こそ、この旅で登城予定の高松城の城址なのですが・・・
この日はもう夕暮れのため登城はしません。

玉藻公園のそばには、高松琴平電気鉄道(ことでん)の始点・高松築港駅があり、ことでんは玉藻公園のお濠に沿うように進みます。


私は公園には入らず、ことでんにも乗らず、国道30号・高松中央通りを歩きます。
高松はかなりの都会であることがよくわかる道です。

途中、瀬戸大橋通りに曲がります。
この日の宿はこの通り沿いにあります。


瀬戸大橋通りを歩いていると・・・



あれれ・・・この櫓は高松城のメインのひとつじゃないのか?



櫓の手前をことでんが通過していきます。

ちなみにこの櫓は(うしとら)【国指定重要文化財】でした。
図らずも高松城の一部を登城してしまいました。



この日から3泊するホテルに到着。

  (2015年3月21日午前4時35分撮影)

スーパー銭湯が、カプセルホテルなども経営していますよ~といった具合のホテルです。

私がカプセルホテルに宿泊? いやいや、そんなわけはない。
新幹線も飛行機も使わないハードなこの旅。
カプセルホテルなんかに泊まっていたら、私は死んでしまいます。

じゃらんでしっかりとシングルルームを押さえておきました。


というわけで・・・高松で、一泊!



【今回の乗車記録】

JR丸亀駅(Y10)2番のりば 17時36分発
[Y]予讃線 普通 高松(Y00)行き 3両
坂出駅(Y08)1番のりば 17時44分着

JR坂出駅(Y08)1番のりば 17時50分発
[Y]予讃線 快速 マリンライナー49号 高松(Y00)行き 5両
5番のりば 18時05分着
【移動距離】28.5km  【運賃】18きっぷ使用(不使用の場合は550円)





丸亀を食らう~饂飩と鶏

2015-10-28 | グルメ


2 0 1 5 年 3 月 2 0 日 ( 金 )

午 後 4 時 0 0 分

香 川 県 丸 亀 市

丸 亀 城 を 出 る





壮麗なる石垣の名城・丸亀城をたっぷり堪能して1時間半。
時刻は午後4時を回りました。

時刻からして、この日の城めぐりは終了。
ちょっと早いけど、丸亀の街で夕食をいただこう。
そう思って、



レンタサイクル「アヒル33号」で街をめぐります。



駅近くの商店街から捜索開始。



夕食にはまだ早い時間帯、開いている店はあまりない・・・?
そこで、まだまだ息の続く携帯さんで、うどん屋さんを検索。



アーケード街ガレリア浜町を通過。


JR予讃線のガード付近へ。



高架下のうどん屋さん「将八」丸亀店。
讃岐うどん最初の1杯をいただくべく、入店(^^♪



みそおでん、うま~い!
香川ではうどんができるまで、出来合いのおでん(1本100円)を食べるのが定番なのですが・・・ふつうにうまい。
そして・・・



讃岐初のかけうどん! ズルズルズル~・・・うまい!!
これで230円だから讃岐うどんは凄まじい。

・・・なのですが、残念ながら現在は閉店してしまったそうです。
とても惜しいですが、これだけうまいうどんを出してくれるお店ですら閉店に追い込まれる讃岐うどんの競争は、なんと厳しいのだろう。
(2015年10月28日執筆当時)


とにかく、幸先のよい讃岐うどんデビューを果たした私は、さらなる1杯を求め、「アヒル33号」にまたがります。
スマホさんで調べた末、「麺処 綿谷」に向かいます。

JR予讃線の高架をくぐって、より瀬戸内海に近い北方向へ。
くだんのうどん屋さんはありました。



「本日は終了しました」

そうなのです。
讃岐のうどん屋さんは、朝から開店して、つゆや麺のなくなる昼過ぎには閉店してしまうのです(T_T)



私は失意のうちに立ち去り、丸亀港のほうへ足を向けました。



港に架かる京極大橋
そしてかたわらに立つ灯ろうは金毘羅講燈籠といい、寄進者の名から「太助燈籠」とも呼ばれているそうです。

丸亀は、古くから金刀比羅宮を参詣する金毘羅講の団体が上陸する門前町でした。



港の近所にある公園にも、金毘羅講を乗せた金毘羅舟のレプリカが置かれています。



うどん屋探しを切り上げて、丸亀駅北口に戻りました。



これにて丸亀の散策は終了・・・しません!
丸亀に行くことを決めてから、夕食はここ!と決めていた店に向かいます。



丸亀駅北口を出てすぐそば、ご立派な屋上看板が掲げられている店。



「骨付鳥 一鶴」丸亀本店に入ります。

店内の内装は、鶏を食わせてくれる居酒屋・・・という感じのものではありません。
なんともおしゃれな内装で、異性同士でお食事するのもよさそうです(#^.^#)

1階はおしゃれなムードの喫煙席だったので、たばこを吸ったことのない私は、2階の禁煙席を選びました。
しかし・・・2階は座敷席ある居酒屋のような雰囲気で、オヤジの団体が酒盛りしてやがる!

私は急いで席を1階に変更しました。

メインとなる骨付肉のメニューはおやどり(1,008円)とひなどり(894円)の2種類のみ。
とりあえずおやどりと、ご飯物を一品注文しました。



おやどり!・・・かたいけどうまい!!
噛めば噛むほどうまいのがおやどり。
そしてつけあわせのキャベツが甘い!!



ご飯物のとりめし・スープ付き(462円)をいただきました。

・・・私のおなかには、まだじゃっかんの余裕がございますなぁ。



ひなどりも食っちまえ!
ひなどりはやわらかく、あっさりとした味わい。
私的にはおやどりが好きですね。



満腹になったところで店を出ました。
JR予讃線の高架をくぐり、南側へ。



「アヒル33号」とお別れ。
丸亀駅南口から駅舎に入り、本日の宿泊地・高松をめざします。



丸亀に「丸亀製麺」はありませんでした。





丸亀城~日本一の高石垣

2015-10-27 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 5 年 3 月 2 0 日 ( 金 )

午 後 2 時 0 7 分

香 川 県 丸 亀 市

J R 丸 亀 駅



四国へ渡って、最初に下車したJR丸亀駅
ここでの目的は、現存12天守のひとつを擁する丸亀城【国指定史跡】です。

現存12天守のうち、丸亀城の天守はもっとも小さいものとされています。
しかしそれを補って余りある魅力が、日本一とされる高い石垣です。

私がこの旅で楽しみにしていた城のひとつでもあります。


安土、岡山に続き、丸亀でもレンタサイクルの力を借ります。



「まるがめ」の文字が入った、アヒルのエンブレム?
・・・いやいや、ここで亀なんて誰もが考えうるものを使ったところで、失笑を買うだけか・・・なかなかやるのぅ。



そして、JR丸亀駅南口から自転車で10分ほど。





北面に堂々と構えているのは、日本最小の現存天守である丸亀城天守【国指定重要文化財】です!
連なる高石垣に固められた天守は、小さくも凛として立つ姿が孤高であり、かえって威厳を醸しだしているようで美しいです。

そして正面の入口である大手門【国指定重要文化財】は、外側の高麗門が大手二の門、内側の櫓門が大手一の門です。
2つの門で四方を包囲する枡形虎口を形成しています。


丸亀城は、讃岐国の領主となった生駒親正(ちかまさ)によって、小高い丘であった亀山に築かれました。

親正は、まず天正15年(1587年)に豊臣秀吉より讃岐国を与えられると、高松城を築きました。
そして慶長2年(1597年)に讃岐の西部の備えとして丸亀城の築城を始め、慶長7年(1602年)に完成しました。
しかしその後江戸幕府より一国一城令が発布されると、丸亀城は廃城することになります。

その後生駒家が所領没収になり、寛永18年(1641年)山家治(いえはる)が讃岐国西半分の領主となると、廃城となっていた丸亀城は再築されます。
家治死後、山家は後継がなく断絶となると、京極高和が領主となります。
このころ丸亀城は復興し、現在までその姿をとどめています。




レンタサイクルは、大手門と道路を挟んで向かいにある丸亀市生涯学習センターの駐輪場に停めて・・・



大手一の門をくぐります。
大手門から天守が現在もなお望める光景は、意外なことに日本全国を探してもなかなかお目にかかれなかったりします。



櫓が備わっている大手二の門です。
この先は、山下曲輪と呼ばれる一帯。
山の下の平地だから「山下」曲輪という、なんともダイレクトなネーミングです。


大手門から山上まで上る坂は、見返り坂という名がついています。



自転車で上るのは困難であろう、急な斜面。
あまりに急な傾斜のため、ついつい後ろを見返してしまうことから、その名がついたそうです。



「扇の勾配」と呼ばれる、反り返った美しい曲線。



高浜虚子の句碑が立っていますが、それがまったくかすんでしまうくらいの重厚な石垣。

稲むしろあり
飯の山あり 昔今






威圧感たっぷりの打ち込み(はぎ)の高石垣。
お城大好き人間にとっては、飯が何杯もすすむくらい大好物です(#^.^#)



見返り坂で振り返ってみれば・・・
中国人と思われるなかなかかわいい2人組の女の子たち。
一部の読者からは「また女か・・・」との嘆息交じりの声が聞こえてきそうですが・・・


見返り坂を上り、三の丸に到達しました。



三の丸の崖っぷち、月見櫓跡です。
ここから見えるのは「讃岐富士」の異名を持つ飯野山
こんもりとしたフォルムは、ちょうど山盛りの飯のよう。




讃岐では これをば富士と いいの山
朝げ煙 立たぬ日はなし


丸亀製麺にも掲げられた、飯野山と西行法師の歌。
丸亀城を出たら、うどんでも食ってみるか。

 

三の丸の崖っぷちから下を見てみると・・・
この石垣がいかに高いかをまざまざと見ることができます。



ここから上ると、二の丸へ。
おやおや、くだんの2人組に追い越されてしまった。


二の丸まで到達しました。



桜の木々で覆われる二の丸。
天守がちょっと見えにくいですが・・・時季になれば美しい華をそえることでしょうね。



丸亀城の最高所にある二の丸井戸
現在もなお水をたたえているそうです。



坂を上っていきます。
天守がよく見えてきます。


本丸に着きました。



日本で12棟しかない、現存の天守です。



本丸側から見ると、しょぼ~いきわめて質素な天守です。
天守なんてものは、城の外に対して権威を示すものですから、中から見る部分については質素でもなんの問題もないのです!
・・・とフォローを入れてみました。


天守への入場料200円を支払って、天守の中へ。



三角形の穴は、狙撃のための鉄砲狭間。



急角度の上り階段。
いずれも現存天守ならではのものです。
それと、100名城スタンプも、天守の中。



78番、丸亀城!
四国最初のスタンプを押印しましたよぉ~(*^^)v



天守から下界を望むと・・・
入口の大手門、そこから道路が始まり・・・そして瀬戸内海がかなり近い印象を受けます。
天守は北向きなので、瀬戸内海を渡ってくる敵軍を想定して築城されていることがわかります。



天守を出ました。
戻りは、登城とは異なるルートで下ります。



二の丸から天守の足元へと下る二の丸搦手
城の急所ともなり得るところだけあって、石垣はより厳重なものになっています。



 

天守の真下。



左側の出っ張りは石落としで、登り来る敵兵めがけて石を落として撃退する装置です。
よ~く見ると、三角形の鉄砲狭間も見えます。



内側からは質素な天守も、石垣の上にそびえ立つ姿は美しいです。

 

 

 

 

私は狂ったように石垣を撮りまくります。



そして搦め手(裏口)まで下りました。

搦め手からは、山下曲輪を歩いて大手門へ。
かつては京極家の御殿があったところを進みます。



玄関先御門【香川県指定文化財】は、御殿の表玄関にあたります。
こちらは御門の内側です。



御門をくぐって外側へ。
門に併設している建物は玄関先番所・長屋【香川県指定文化財】で、当主にお目通りする者のチェックを行っていました。



大手門前に戻ってきました。



壮麗なる天守&高石垣を振り返って・・・ん!?

DQNオヤジが高校生に絡んでる・・・!
それを尻目に大手門を出ると・・・高校生に導かれる警察職員!



その後の漢たちの姿を見た者はいない・・・?





四国初上陸!

2015-10-25 | 鉄道の旅


2 0 1 5 年 3 月 2 0 日 ( 金 )

午 後 1 2 時 1 0 分

岡 山 後 楽 園 を 出 る





芝生輝く岡山後楽園を後にし、



岡山城を背にして、私はレンタサイクルにまたがって岡山駅に戻ります。



駅から来た道と同じ道を進んでいきます。



さすが桃太郎ランドのある岡山。
お供のイヌの銅像もぽつんと立っています。

ほかにサルの銅像、キジの銅像なんかもありそうですが、時間がないので先を急ぎます。



岡山駅にほど近い、とある居酒屋です。
もはや死語となってしまった国家行政組織ですね(^_^;)


そんなこんなで、ちょったしたネタを拾いつつも、飲まず食わずでJR岡山駅へ。




午 後 1 2 時 2 5 分

J R 岡 山 駅 に 到 着


レンタサイクルを返し、岡山駅まで戻りました。



いよいよ四国へ渡ります。
乗車する電車は、瀬戸大橋線快速マリンライナー33号 高松行き。



そしてマリンライナーの指定席券も、すでに入手済みです。



さすがに近代的なフォルムです。
おやおや、車掌のお姉さんはなかなかかわいいですなぁ~(#^.^#)

私が乗車する1号車14番A席は・・・



この車両の上・・・はグリーン席
指定席は車両の下側・・・(T_T)

というよりも普通乗車券でも乗れることがわかり、かなりショック。
指定席は自由席よりも瀬戸大橋の景色が見られねぇじゃねぇか(ー_ー)!!


とりあえず岡山駅で、この日のランチ・・・うどん。



天ぷらうどん、うま~い!
かき揚げはたまねぎ、にんじんなどの野菜中心のオーソドックスなものですが、どこかの駅のやつとはちがって後乗せサクサクではありません。
おつゆもうま~い! さすがはダシ文化が栄えている西のうどんです。




午 後 1 時 1 2 分

J R 岡 山 駅 を 出 発


快速マリンライナーは定刻通り岡山駅を出発し、いよいよ本州を離れるときがきました。



岡山駅を離れ、街中を抜けると・・・しばらくはこういった田園風景が続きます。
私にとっては意外なことに、岡山は海に近いというわけではないのです。



岡山最後の駅・児島駅です。
ここで瀬戸大橋線宇野線に分岐し、ここから先はJR四国の管轄になるので、さきほどのかわいい車掌さんとはお別れ。

ちなみに「瀬戸大橋線」はJR西日本に多い路線愛称で、正しくは「本四備讃線」というえらく堅苦しい名前があります。
州と国の前国と岐国を結ぶ路線、ということですね。

児島駅で乗り込んだ車掌さんは、凛とした感じのよろしい女性ですね~(#^.^#)


さてさて快速マリンライナーはこのまま本四備讃線に入ります。
大泉洋氏をして「それ、魅力!」といわしめる瀬戸大橋へ。



午 後 1 時 4 0 分

瀬 戸 大 橋 へ


 

 

「それ、魅力???」

取らなくてもいい指定席から望む瀬戸内海は、やたらと橋の欄干ばかりが写ってしまったのです(T_T)
マリンライナーからの景色を楽しみたいのなら、指定席を取ったら負けです。


いちおういい画も撮れたので、載せておきます。



渡り始めたところ。



どこぞの途中の島。



“SAKAIDE LNG”(坂出液化天然ガス)とあるので、四国に入ったあたり。

そして電車は四国最初の駅、坂出駅へ。



ここからこのまま高松に向かうのではなく、四国最初の駅で、四国最初のお乗換えです。
座席だけは快適なマリンライナーを乗り捨てて、次に乗車するのはJR予讃線です。

予讃線 普通列車 琴平行きに乗車します。
ちなみにこの列車は、途中の多度津駅土讃線に乗り入れます・・・が、私はそこまで行くこともなく、坂出駅から2駅行ったところにある丸亀駅で下車しました。



「塩飽諸島を望む、丸亀城がある駅・・・予讃線・丸亀駅」

しおあわびしょとう?・・・ではなく「しわく」と読みます。
私の目的は塩飽諸島ではなく、丸亀城の登城です。



いざ参らん!



【今回の乗車記録】

JR岡山駅・6番のりば 13時12分発
瀬戸大橋線(本四備讃線)快速 マリンライナー33号 高松行き 5両
坂出駅(Y08)1番のりば 13時49分着

JR坂出駅(Y08)3番のりば 13時59分発
[Y]予讃線 普通 琴平(D15)行き 2両
丸亀駅(Y10)1番のりば 14時07分着
【移動距離】48.5km  【運賃】18きっぷ使用(不使用の場合は980円)、指定席520円





花火!歓喜と悲劇

2015-10-21 | 公園・庭園


2 0 1 5 年 8 月 4 日 ( 火 )

午 後 4 時 2 5 分

横 浜 市 中 区

山 下 公 園



マリンタワーから下りてきました。

「神奈川新聞花火大会」打上開始時刻・午後7時まで、あと2時間30分。
打上げまで時間はたっぷりありますが、ここで場所取りに着手しました。



マリンタワーが立つ公園の南側から入り、海沿いを歩き、花火を見上げる場所を探します。



氷川丸が停泊しています。
乗船することもできますが、この日はそのようなことをしている暇はありません。



もやい綱・・・ではなくチェーンには、カモメが羽を休めています。
我々も腰を休める場所を探さねば。


そして、



水の守護神像(噴水のところ)のとなりにある芝生の緑地に目をつけました。
この中の適当な場所を見つくろって着座・・・しようとしましたが、

ビニールシートを買い忘れた!!

我々はなんとも重大なミスを冒していたのです。
しかしここは手持ちのタオルなり何なりで凌ぎました。



花火が打ち上がる大さん橋方向。
なかなかよろしい場所を取ることができました(*^^)v


飲み物を買うなり、トイレを済ますなりして、花火が打ち上がるその刻を待ちます。



空はしだいに宵闇に包まれていき、氷川丸にも明かりが灯り始めます。



大さん橋もライトアップがなされます。




午 後 7 時 0 0 分

打 上 げ 開 始


いよいよ打上げが始まりました!
花火の見え具合も良好(#^.^#)



しかし撮影の腕前が全く追いついていない(T_T)







何度か失敗を繰り返し、





ようやく満足のいく画を収められるようになってきました。


しかしここで、デジカメのバッテリが悲鳴を上げています!

ここへ来てまさかのバッテリーレベルが1(T_T)
そういえば「アートアクアリウム」でばっしばし撮影しまくりました。
そこは暗所であるため、想像以上にデジカメさんに負担を強いたようです。

とはいえ、どのような花火が上がるか全くわからない状況。
ここはとにかくデジカメさんがダウンするまで撮影しまくるしかない!!









打上開始から約30分。









このあたりから打上げは盛り上がりを見せ始め、













大きな4尺玉(だったか??)も大輪の花を咲かせます。
観客からは歓声が漏れ、打上げのひと段落ごとに拍手喝采。



午後7時53分。





特大スターマインの画を収め、ついにデジカメさん、休眠に入られました(T_T)



相方さんのスマホさんも休眠状態に入ったため、この後は、大輪の花々をこの眼にしかと焼き付けよう。
そう誓い合って、花火をじっと見つめていました。



この時、公園の外で異常事態が起きていることなど、知る由もありませんでした。




午 後 8 時 3 0 分

打 上 げ 終 了


静寂を取り戻した夜空。
見物客は、ある者は早々に帰路につき、ある者は余韻を楽しみ着座し、ある者はさらに海を見つめていました。

相方様がうっとりとした顔で余韻にひたり、かくいう私も同様。
そして海のほうへと歩きますが、ベンチはすでにカップルに占拠されています。

この後は、近くにある中華街で食事をして帰路につく。
その予定でしたが、公園を出たところで重大な情報に接します。

JR根岸線、架線事故のため運転見合わせ。
JR東海道線、運転見合わせ。
JR横須賀線、運転見合わせ。
JR横浜線、運転見合わせ。


この状況下でも、「中華街でメシを食べている間に復旧するだろう」と楽観的にとらえ、中華街方向へ歩いていきました。



そしてとある小道を歩いているときのこと。

パァァァン!!!!!!


1台の車が目の前の道路を横切ったときのこと。

その刹那、我々を得体の知れぬ液体が襲い掛かってきました!
その液体は顔にもかかり、服にもかかり、目にも入ってしまい、口にも入ってきました。
嫌でもその味を見ることとなったのですが、その味が到底味わったことのない苦味。
たしか苦味=アルカリ性の液体、と理科の時間に習った覚えがあります。

これはシャレにならない一大事!!
そう感じた私は、まず失明の危険を払うべく、近くのコンビニに駆け込みトイレを・・・トイレねぇのかよ、ここのコンビニは!
次に、コンビニの店員にありったけのお手拭タオルを要求。
とにかく洗い流すことを最優先に行動しました。

なんとか目からは洗い流すことはできた(と思われる)のですが、花火大会の余韻はこの一事で一気に吹き飛んでしまいました。



相方様が現場からつぶれたコイツのパッケージを拾い上げました。
これが史上名高いヒヤロン顔射事件です。


髪が汚れ、服が汚れた彼女はもはや中華街で食事するなど思いもよらず、ただひたすらヒヤロンを洗い流せる施設を探し回ったのでした。



完全私的旅「日本の夏の美」 完

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花火の前のマリンタワー

2015-10-21 | 公園・庭園


2 0 1 5 年 8 月 4 日 ( 火 )

午 後 3 時 3 5 分

横 浜 マ リ ン タ ワ ー



日本橋で妖艶な金魚とアクアリウムの競演を観覧した我々は、横浜に移動しました。
元町で少々遅いランチをとり、周辺をぶら~り。

この日は「神奈川新聞花火大会」の開催日。
そもそもの外出の目的が、この花火大会だったのですが、打上開始は午後7時のため、まだまだ時間はたっぷりあります。

花火を観る場所について、事前に協議を重ねた結果、我々が選んだのは山下公園

多くの人出が予想される花火大会、この時間から場所取りをしてもよかったのですが・・・暑い。


そこで時間をつぶすべく、横浜マリンタワーに立ち寄ったのでした。



海だぁーーー!!
私自身久しぶりの海、そして眼下に広がる港の風景が我々の心を沸き立たせます。

 

山下公園に停泊している氷川丸



タワーの足元・山下公園は、早くも場所取りのビニールシートがちらほらと見受けられます。



公園の先から東京湾に突き出る大さん橋
大さん橋のつけ根にある赤レンガ倉庫には、青いビニールシートがすでにびっしり(T_T)



ハルカスには抜かれましたが、ランドマークタワーも健在です。




反対方向の南側は高台になっています。



海側は大黒ふ頭
クレーンの数が半端ないです。



ベイです。




最後に、山下公園に立ち下りるマリンタワーの影。



我々は、展望室で幾度となく自撮を試みるも、なかなかうまくいかず、順調に時間は流れていきました。



そして午後4時30分前、陽も傾きかけ、
「そろそろ場所取りをしよう」
ということで、マリンタワーを下りたのでした。





アートアクアリウム2015

2015-10-21 | 美術館・博物館


2 0 1 5 年 8 月 4 日 ( 火 )

午 前 1 1 時 2 5 分

東 京 都 中 央 区

J R 新 日 本 橋 駅



この日は、世俗では真夏の平日。
そんな中、我々は休日をとりました。



今回の旅は、完全に私的(プライベートな)旅。
今回のテーマは、「日本の夏の美」。



そして、待ち合わせ場所としてはあまり似つかわしくないJR新日本橋駅で待ち合わせをしたのです。



新日本橋駅から地下道で接続しているCOREDO室町
その15階、日本橋三井ホールで開催されていた「アートアクアリウム2015」に行ったのでした。


開場時刻は午前11時、入場料は大人1,000円。
平日だというのになかなかの人列ができています。

長蛇の列に追随すること数分、日本橋三井ホールに到着。
私自身かな~り楽しみにしていたアトラクションということもあり、期待が高まっていきます。



そして・・・



すげぇぇぇ~!!



いきなり最初の作品でヤラれてしまいました。
期待どおりの、いや期待以上のものをお見舞いしてきました。
アートアクアリウム、大丈夫か? いきなり飛ばしすぎてやしないか?



第2ステージ。

 

円形のアクアリウムに、金魚が数匹。

 

照明は一定時間ごとに色を変え、同じアクアリウムでも違った様相を見せます。

 

この金魚は、頭に赤い帽子をかぶっているかのよう。
これを見て故・パンチョ伊東氏を思い出したのは、我々だけではないはずです。

 

お次は出目金です。
今度は同窓生のO氏(完全に内輪ネタですみません・・・)の話を始めた私。

 

それにしてもきれいなアクアリウムです。
金魚のフンひとつ見当たらないのがものすごく不思議。
細かく清掃しているのでしょうか、職員さんの仕事ぶりが光りますね。

 

このゾーンは通路の両サイドにアクアリウムがあるため、人の群れが滞っていました。
ゆっくり見られなかったのが少々残念。



第3ステージ、小さなアクアリウムの通路を抜け、大ホールに到達。
ここから大きな作品が並びます。

 

まりをイメージしたと思われるアクアリウム。
こちらは小さめの作品。



階層のように連なるアクアリウム。



天井からはクリスタルの雨が降り注ぎます。



祭壇と巨大な宝玉のようなアクアリウム。



よーく見たら地球儀になっています。
金魚も宝玉のように輝き、海を行き交う船のように悠然と泳ぎます。



おや? 水槽の外にも金魚??
綺麗な女性のポニーテールって、なんだか金魚の尾ひれのように妖艶ですよね。
そう思うのは私だけ??

 

アクアリウムによって、金魚がゆがんで見えたり、大きく見えたり・・・







極楽浄土に咲き誇るハスの花を連想させる作品。


それにしても大量の金魚です。
どれも金魚すくいで泳いでいるような金魚ではありません。

ちなみに・・・
金魚すくいで泳いでいる一般的な金魚はワキン(和金)といいます。
私の相方さん家ではアロワナなどの巨大淡水魚を飼っていたことがあるようで、「エサ金」という言葉を発していました。

ここで「エサ金」の言葉を使うのはやめなさい(^_^;)
なんて話をしながら、デジカメさんやらスマホさんやらでお互い写真をバシャバシャ撮りまくります。



最終ステージ。



ふすまをイメージしたアクアリウム。



その中を金魚が泳いでいるのですが、



背景が変わり、



金魚の泳いだ後にも模様がぽつぽつ。

二度と同じ画を描くことはできない、という作品でした。



我々はともに大満足のまま、COREDO室町を後にしたのでした。





岡山後楽園・後章~後門の烏

2015-10-17 | 公園・庭園


2 0 1 5 年 3 月 2 0 日 ( 金 )

午 前 1 1 時 3 6 分

岡 山 後 楽 園



 

茶屋での一服から立ち上がり、岡山後楽園の回遊を再開。



後半は沢の池越しに岡山城天守を仰ぎ見ます。
「後門の烏」を眺めるのに最もふさわしい場所を探して、園内を歩きます。


なにやら小高い築山に立つお堂は、慈眼堂



池田綱政が元禄10年に池田家と領民の繁栄を願って建立し、観音像を祀りました。今は、空室となっています。
境内には、花崗岩を36個に割って組み上げた烏帽子岩、門と仁王像、板張の腰掛などが残っています。
(園内の案内表示より)

この日は、おそらく仁王門とおぼしき建物の工事をしていましたが、問題なく入ることができました。

 

花崗岩の烏帽子岩は、だいたい5メートルほど(適当)と、たしかにデカい。



ここからの岡山城は至高ですなぁ!
そういえば茶屋の淑女だったか?も、「慈眼堂からの岡山城が最高ですよ」というようなことをおっしゃっていました。
慈眼堂から見ると、ちょうど天守の正面にあたります。
手前に見える仁王門のしゃちほこも、なんだかイイ感じ。



慈眼堂から下りたところからの岡山城。
やはり慈眼堂からの景色にはかなわない・・・か?


慈眼堂の近くにある、沢の池に面した造作は五十三次腰掛茶屋です。



幕末から明治時代初期にできた建物で、東海道五十三次を描いた扁額が掲げられていたことから、この名が付いたといわれています。
池に面した連子窓を通して見る城や唯心山の景色には格別の趣があります。
(園内の案内表示より)



東海道五十三次の扁額です。



「東海道五十三次」と聞いて、TPOをわきまえず花火玉を投げまくる主人公のゲームを思い出すのは、私だけでしょうか?
現代であればまず明治十七年太政官布告第三十二号(爆発物取締罰則)によって訴追されます。

脱線はこの辺にして・・・
ここから望む沢の池と岡山城です。



岡山城天守の黒、唯心山の深緑とうす黄色、沢の池の水色が対照的。
画の周りの飾るかのような松がまたよろし。


沢の池沿いを歩きます。



白砂と岡山城。
こちらは唯心山がよく見えます。



沢の池の3島のひとつ、砂利島です。 
ここからだと、岡山城天守はちょうど木の陰に隠れてしまうようです。


ここで沢の池に背を向けて・・・





地表にむしたコケは、後楽園の歴史を感じさせます。
庭園を手入れする庭師さんの仕事の見事さが表れているようです。



沢の池の広がる空間からは一線を画した、木々の繁れる鬱蒼とした空間にたたずむ建物は、観騎亭です。

藩主が家臣の乗馬の技を見るための建物で、馬場側にも窓が開いています。
戦災をまぬがれ、往時の姿を今に伝えています。
馬場の長さは約80メートルで、年若い藩主たちはここで乗馬の稽古に励みました。
(園内の案内表示より)

観騎亭のそばにある水場。



ここから園内に流れ出た一筋の水路は曲水となり、池や滝となって優れた景観を作り、旭川に戻っていきます。
昔は旭川の約4キロ上流から対岸までひいた後楽園用水を利用していましたが、今は伏流水をくみ上げています。
(園内の案内表示より)

ここからの水が、



入口近くの廉池軒を通り、





唯心山を取り囲み、



流店をくぐって、



蘇鉄畑を潤し、



花交の池に注ぎ、そこから旭川へと注いでいます。
なんとなくですが、壮大なストーリーのようなものを感じるのは私だけ・・・でしょうか。


空間の開けた沢の池に戻ります。



寒翠細響軒(かんすいさいきょうけん)という、必殺技みたいな名前の小さな建物。



このあたりはもう沢の池のふちなので、城を仰ぎ見る景色も少々もの足りないかもしれません。


沢の池を離れます。



江戸時代の御殿のようなこの建物は、鶴鳴館(かくめいかん)です。
明治時代にあった社交場と名前が似ていますが、こちらは和風建築ですね。



鶴鳴館に隣接していて、当時絶賛工事中だったこちらの建物は、延養亭です。

藩主の居間で、園内で最も重要な建物でしたが、戦災で焼失し、昭和35年に当時第一級の木材と技術で築庭当時の間取りに復元されました。
園内外の景勝が一望できるように作られており、歴代藩主もここから眺めました。
(園内の案内表示より)



延養亭付近からの眺めです。
沢の池唯心山と、背後にある借景の(みさお)を望むことができます。
岡山城の天守は見えませんけど。


「陽」の雰囲気がある沢の池からは離れ、「陰」の雰囲気のある木々の繁れる空間にも足を運びます。



まるで陰陽の境界になっているかのようなたたずまいの花歯の池

この池には、大輪の白い花を咲かせる蓮の「一天四海」(通称・大名蓮)が夏に見頃となります。
池には、園内の曲水と沢の池から滝の石組の中に巧みに導かれた水が美しく流れ落ちています。
(園内の案内表示より)



たしかに、石組みからは静かではありますが、水が池に注がれています。



池のそばに置かれた大立石

巨大な花崗岩を90数個に割り、もとの形に組み上げたもので、築庭にあたり池田綱政が運ばせました。
大名庭園ならでわの豪快さと石の加工技術の高さがうかがえます。
(園内の案内表示より)



大立石の「歯型」のような加工痕は、石を割るときにいれたくさびのあとです。


花葉の池のまわりを歩いていたときのこと。
地面を見ると、黒い紙のようなものがひらひらと地を舞っています。

・・・後楽園でなにかたき火でもやっているんだろうなぁ。

しかし特別名勝でたき火なんて真っ昼間からするでしょうか?
そう思っていると、その黒い紙は珍妙な動きをするのです。



黒い紙の正体はコイツでした。
どうやら羽根を損傷していたのでしょうか、それともコウモリの習性なのか、うまく飛び立つことができないでいました。
捕獲するのは容易だったことでしょう。

つかまえて、修学旅行の中学生にでも見せてやろうか。
・・・などと考えましたが、そのままにしてこの場を立ち去りました。



鳥居が構えられた地蔵堂をあっさり通って、スタート地点の南門まで戻ってきました。



 

最後に旭川からの岡山城を見て、岡山の周遊はこれにて終了。





岡山後楽園・前章~芝の庭園

2015-10-16 | 公園・庭園


2 0 1 5 年 3 月 2 0 日 ( 金 )

午 前 1 0 時 5 7 分

岡 山 市 北 区

岡 山 城 本 丸 を 出 る



岡山城をあとにして、くだんの青き名馬にまたがり、次に向かうは日本三名園のひとつ後楽園



両者は岡山城の水濠の役割を果たしている旭川に隔てられていますが、歩行者専用の月見橋によって行き来することができます。


私と名馬は、難なく川を越え、後楽園至近の駐輪場を探します・・・が、ない!
駐輪場じゃないところに自転車が何台か停まっているのは見えましたが、自分のではなく人様の自転車ですから、違法駐輪したのちに撤去されてしまっては一大事です。

駐輪場を探し回ること約10分、結局駐輪場は見つからずじまい。



画になる岡山城を見ながら、今来たばかりの橋を戻るはめに。



さて、みたび月見橋を渡り、そこから至近である南門から入園します。

入園料は、大人400円、小人160円です。
岡山城との共通券だと、大人は560円となって20%お得となります。
・・・が、私が訪れた時は岡山城で展示物入替えをやっていて、共通券は販売されていませんでした。

ともかく、入園料400円を支払って、後楽園に入ります。


岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政が家臣津田永忠に命じて、貞享4年(1687年)に着工、元禄13年(1700年)に竣工しました。
その後も時の藩主の好みで手が加えられましたが、その姿に大きな変更はなく現在に至っています。

明治維新後は、明治17年(1884年)に岡山県に譲渡され、大名の私園であった後楽園は一般に供される公園となりました。
昭和9年(1934年)の水害、昭和20年(1945年)の戦災で被害を受けたものの復旧され、昭和27年(1952年)には文化財保護法に基づく特別名勝に指定されています。



入園して最初に目を惹くのは、廉池軒です。

 

戦災をまぬがれた数少ない建物の一つで、池に架かる石橋や対岸の小島なども、往時の姿を今に伝えています。
この建物からは沢の池越しに見える松林や曲水と池の段差など、起伏に富んだ景観を眺めることができます。
(園内の案内看板より)



廉池軒の脇にお土産物の出店がありました。



このきびだんご・・・どこかで見覚えのあるきびだんごです。
「やあやあ、鈴井貴之~!」とか言ってたような・・・?

・・・というわけで、この旅最初のお土産を購入しました。





後楽園は「芝の庭園」と呼ばれることがあるくらい、芝生が美しい庭園なのですが・・・
私お得意の「時季外し」で、芝生はまだ黄色いまま。
それでも泉水の配置がどことなく幾何学的な曲線で、これまた美しい。



まずは外周をぐるりと回っていきます。
日本庭園には異色の蘇鉄畑を見やり、



小径にそって流れる小川の先には、



花交(かこう)の池が水をたたえています。

築庭当時は各種の花木が混合した景色で、池辺には花交という名の建物があり、池や滝にはその名が残りました。
江戸時代の和歌には、花の色が滝の水によってさらに美しく見えるという風情が詠まれています。
(園内の案内看板より)



池の小島の向こう側に、花交の池に注ぐ花交の滝が見えます。



池畔にある建物は、茶祖堂です。
幕末に家老の下屋敷に造成された千利休をまつる利休堂が、明治になって移築されたものです。
戦後に再建され、飲茶を日本に伝えた栄西禅師も一緒にまつられたことから、「茶祖堂」と呼ばれるようになったそうです。



茶祖堂のとなりにある梅林の梅は、遅咲きの梅がちらほらと咲いていました。


後楽園の中央付近まで回ってきました。



岡山城天守が見事な姿を見せています!
生え変わる前の黄色い芝生もなかなか美しいです。



花交の池に続く小川は、雰囲気のある建物の真下を通っていきます。
この建物は流店と呼ばれます。
建物の中央を通る小川には、美しい色の石を配していて、かつては庭園を巡る藩主の休憩所として使われていました。

この日は、遠足か修学旅行かで訪れていた中学生が足休めをしていました。
・・・中学生に庭園の良さがわかるかな?




流店から、小川に沿って歩みを進めます。
小高い築山と石組み、植わっている草木はツツジでしょうか。



さらに小川に沿って進んでいくと、築山の頂上とそこに立つお堂が見えてきました。
園内で唯一のこの築山は唯心山と呼ばれます。

唯心山は池田綱政の子、継政の時に築かれ、平面的だった庭園が立体的な景観へと変化しました。
山腹には唯心堂があり、斜面には石組に合わせて、ツツジやサツキが植えられ、季節には紅白の花で彩られます。
(園内の案内看板より)



唯心山から、園内最大の池沢の池を望みます。
この画像では池が3つあるように見えますが、奥の池と左側の水場が沢の池です。

それにしても泉水が湾曲しているさまと、黄色い芝生のコントラストもなかなか佳景ですねぁ~。



別方向、沢の池の右側を見てみると、左手前に井田、その奥に茶畑
新殿という建物の右には千入(ちしお)の森というモミジ林が広がります。



唯心山から下りました。
さきほどの流店花交の池へと続く泉水沿いを歩いていきます。



2本の水路があるように見えますが、右側が泉水、左側は沢の池の一部です。



水路側からの唯心山



同じく沢の池です。
今度は沢の池に沿って歩いていきます。



沢の池には小島が3つ浮かんでいます。
橋が架かっていて、行き来できる中の島
橋は架かっていないのですが、釣殿がある御野島(みのしま)
この画像には写っていませんが、砂利島です。



沢の池から振り返ると、泉水越しの唯心山
黄色い芝がとても映えて見えます。



なぜか排水口?に群がるコイ。
なにかエサとなるものでも流れてくるのでしょうか。



もうひとつ、唯心山
まばらにあるツツジの植栽がいいコントラストを醸し出しています。



沢の池沿いに歩みを進めて、中の島に架かる橋へ。



この橋は渡ることができます。
中の島に立ち入ることもできます。



後楽園の周遊、ちょうど半ばに差しかかりました。
沢の池の池畔にある茶屋で一服。



庭園とくればやはりお抹茶(300円)ですねぇ(*^。^*)
お茶のお供は、やはり岡山らしくきびだんごです。
このきびだんごは・・・どうもあんこが入っているようです。



茶屋の淑女が、お口直しにほうじ茶を勧めてくれました。
このほうじ茶は、後楽園内にある茶畑でとれたお茶を使っているとのことです。
やかん一杯のほうじ茶をタダでもらったので、もうしばらく茶屋で腰を下ろします。



ほうじ茶をすすりながら、後楽園越しの岡山城天守を仰ぎます。



茶屋から望む沢の池

園内中央にある池で、左から島茶屋のある中の島、釣殿のある御野島、白砂青松が美しい砂利島があります。
中の島と御野島の間には、かつての上道郡と御野郡の郡境があり、今でも石標がそのなごりを伝えています。
(園内案内より)


ほうじ茶を飲み干しました。
お茶碗とやかんを淑女にお返しして・・・

この茶屋でもきびだんごが売っています。さすがは岡山です。



ここのきびだんごは・・・お茶請けで供されたあんこ入りきびだんごですなぁ。
ただでほうじ茶をもらったことだし、ひとつくらい買っていくか。

こうしてこの旅第2のお土産を購入です。
きびだんごはこれで2つ目です(^_^;)

ああ、俺はこういう情には弱い・・・(T_T)



手荷物にきびだんごの入った袋ふたつをひっ提げ、後楽園の周遊は続きます。





岡山城~黒き烏の天守

2015-10-02 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 5 年 3 月 2 0 日 ( 金 )

午 前 9 時 5 7 分

岡 山 市 北 区

岡 山 駅 前 郵 便 局





岡山駅前郵便局で重要な用事を済ませた私。





桃太郎像がたたずむ岡山駅南口東口から、登城の旅をスタートします。



岡山で借りた青い名馬にまたがり、岡山城へ急行します。




駅前から続く大通りを、路面電車とともに進んでいきます。
岡山駅から自転車でだいたい10分ほどで、岡山城本丸に到着しました。

旭川のほとりにたたずむ岡山城。


対岸には日本三名園のひとつ後楽園があり、



旭川にかかる月見橋という橋で行き来できます。
月見橋付近にある砂利の広場が駐輪場になっているようで、ここに青き名馬を停めて、岡山城へ。


戦国時代、岡山周辺を支配していた金光宗高を、1573年(天正元年)に宇喜多直家が暗殺して勢力を拡大したところから、岡山城の歴史は始まります。
直家は備前の戦国大名浦上宗景の支配下にあった「暗殺のプロ」ともいうべき謀略家でした。
ついには宗景に反旗を翻して勝利、追放し、備前一国を支配する大名にのし上がりました。

そんな折、近畿からは織田信長が中国地方にまで勢力拡大を図ると、直家は中国攻略の総大将・羽柴秀吉に降伏し、その勢力を保つことに成功。
ですが直家は病に倒れ、嫡子秀家の行く末を秀吉に託し、世を去ります。
このとき直家は、自らの妻を秀吉の側室に出したため、秀家は秀吉の一門と同様の扱いを受けました。

その秀家は成長して備前57万4千石の大名となり、直家以来の居城が手狭になったため、あらたな城を築くことを計画します。
天正18年(1590年)から築城が始まりました。
途中の朝鮮出兵で秀家は総大将になったため中断しますが、帰国後に再開し、慶長2年(1597年)ここに岡山城が建ったのでした。

しかし秀吉死後の関ヶ原の戦いで西軍の首脳となった秀家は八丈島へ流されることとなり、代わって備前に入ったのは小早川秀秋です。
秀秋は岡山の城下の開発に精を出しましたが、2年で死去。
世継ぎがいなかったため家名は絶えてしまい、代わって池田家が入り、明治維新まで続きました。

明治に入ると城の建物は多く撤去され、また戦時には空襲のため天守などが戦災にあって焼失してしまいます。
天守は昭和41年に外観復元というかたちで再建され、現在に至っています。



それでは岡山城を登城しましょう。

まずは旭川の川べりの道から、廊下門をくぐります。



廊下門をくぐると、早くも岡山城の本丸です。
この門からのルートは城の搦め手(裏手)、岡山城最大の泣き所ともいうべきところです。
そのため宇喜多秀家は、旭川の流れを変更して、その弱点をカバーしました。

このあたりは、岡山城の御殿があった場所です。
廊下門は藩主の住居(本段)と政庁(表書院)を結ぶ廊下の役割を果たしていたため、この名が付いたといいます。



廊下門をくぐりました。
門と城壁に囲まれた白壁の通路もいい感じです。

この先は、表書院跡
岡山藩の政庁があったところです。

表書院跡の一画になにやら窪地が。

 

宇喜多秀家の頃の石垣が展示されています。
こんな石の塊の、そのまた一部を見たところでなんの面白味もなさそうですが・・・
案内板によると、この石垣の隅にあたる部分は、2辺のなす角が70度。
このような、石垣の2辺がなす角が鋭角となっている石垣は、全国的に珍しいそうです。

それにしても「なす角」「鋭角」なる表現は、数学以外ではとんと聞かないですね。



表書院跡からの天守と廊下門。
そこから後ろを振り向くと、

 

月見櫓【国指定重要文化財】です。
岡山城で歴史的価値のある建物はこちら。
1620年代に建てられたそうです。
城の北西を守る隅櫓で、城外(右の画像)は白漆喰で塗り固められ、防火も万全の堅固な造り。
しかし城内(左の画像)は、2階に雨戸付きの縁側が備えついていて、月見などの催しがあったそうです。



表書院跡と、天守側を隔てる不明門をくぐります。

不明門をくぐった先の広場は本段跡で、藩主が生活していたところです。



本段の勝手口、六十一雁木上門は、石段が61段あったためその名が付いたとか。



そしていよいよ天守【外観復元】が見えてきます。



「烏城」の異名をとる黒い天守は、当時、壁を黒漆で塗ったためであり、戦国時代末期のトレンドに沿ったものといいます。
フォルムはかなり個性的で、2階建ての建物を上中下の3層に重ねた構造です。
天守の礎である天守台は、かなり珍しい不等辺の5角形をしています。



天守に入ろうとすると・・・展示品入替のため入場料半額になっているではないか!
ということで、150円を支払って中に入ります。


天守入口にある100名城スタンプを滞りなく回収します。



70番、岡山城!
このスタンプ帳に新たなるスタンプが押印されるのは、なんと3年ぶりのことです。涙、涙、涙(T_T)

あ!観音寺城のスタンプがあったか・・・でも中国地方の城攻めは初!ですな。




中はえらく近代的なエレベータが配備されています(T_T)
例のとおり、岡山城の歴史、宇喜多直家・秀家や小早川秀秋ら城主の業績などが展示されていました。
あとは、備前焼の陶芸体験なんてものもありました。なぜ城の中で!?



天守のしゃちほこを見て、



次に行く後楽園を望んで、早々に出てしまいました。


ふたたび旭川の川辺。



いろいろな角度から天守を見上げます。
まずは北東から。



天守の石垣は、宇喜多秀家の築城当初から残る野面積みのものです。



南東側から天守を仰ぎ見て・・・そろそろ時間かな。



岡山城本丸から旭川にかかる月見橋を渡ります。





いちばん画になる旭川の川べりに立つ天守を眺めつつ、後楽園に向かいました。