苗木城【国指定史跡】からの帰路、苗木遠山史料館のほど近くに、
「消火栓記念碑」という石碑が立っていました。
あまりにもどストレートな篆額ですが、なぜこのような石碑が立てられたのでしょうか?
このあたりは水の便が悪く、たびたび火災に見舞われていたため、住民が熱望していた消火栓だったからなのか・・・
その経緯はまったくわからないまま、歩き出しました。
ひたすら苗木城を目指した往路では、見向きもしなかった立派なお屋敷。
明治末期に建築された旧苗木遠山家住宅です。
苗木遠山家の当主は、明治維新により華族に列せられて東京に住んでいたのですが、明治22年(1889年)に故郷の苗木に戻ったそうです。
その後明治45年(1912年)に建築されたこの住宅に移り住んだようです。
15時35分、苗木バス停に戻ってきました。
バス停のそばにある食堂で、岐阜県の郷土食・五平餅を作っているようでしたが・・・
開店しているのかわからなかったので、そのままバスを待ちました。
15時51分、中津川駅行きのバスがやってきました。
バスは苗木を離れ、木曽川にかかる玉蔵橋を渡り、中津川市街へ。
16時03分、JR中津川駅に到着しました。
【今回のバス乗車記録】
苗木バス停 15時51分発
北恵那交通 (T)付知峡線 中津川駅前行き
中津川駅前バスプール 16時03分着
*所要時間 12分
*運賃 400円
帰りの電車の発車時刻までは1時間あったので、中津川の駅前をぶらり。
駅から徒歩3分ほどの近場にある「サクサクとんかつ 三遊司」さん。
帰りの道中では食事をとる時間がないので、早めの時間帯ですが、ここでいただくこととしました。
平成の御代によね先生が召し上がったとんかつを、令和の御代に私がいただこうではありませんか。
オーダーしたのはもちろんとんかつ定食(850円)。
ごはんのおかわり自由で、お値段もお手頃となっていますね。
オーダーから12分で、御膳がやってきました。
サクサクとんかつ、うまい!
屋号のとおり衣はサクサクです。
よね先生の後追いに、間違いはありませんね。
「三遊司」で休憩中に「城攻め」して、長谷川等伯さんを発見できました。
等伯さんはランダムで発見できる「異能の者」となっていて、このとき偶然苗木城にいたようです。
この機を逃さず登用しました。
等伯さんは狩野永徳らと並ぶ戦国時代を代表する画人で、代表作の「松林図屏風」は国宝に指定されています。
また肖像画では「武田信玄像」が有名なのですが・・・どうもその画のモデルは信玄ではないそうです。
涼しい「三遊司」さんの中でゆっくりさせてもらい、
JR中津川駅に戻りました。
帰りはひたすら中央本線を進んでいきます。
中津川から乗る最初の電車、名古屋からだと2本目の電車は、
16時49分発 特急しなの19号 長野行き・・・ではなく、
17時ちょうど発 普通電車 松本行きです。
座席のクラスは特急には劣るものの、今回も転換クロスシートなのでゆっくりと車窓を眺めることができます。
ここでもよね先生の旅行記を参考にして、進行方向左側の座席を確保しました。
発車してから3分後、
落合ダムのダム湖とともに、木曽川が見えてきます。
中央本線の西側・通称「中央西線」は、この木曽川に沿って進んでいきます。
木曽川の流れが造り出した景色を存分に味わいながら、東京へと向かいます。
中津川から2駅の坂下駅到着前。
このとき、木曽川は進行方向右側から見ることができます。
木曽川さんはたま~に右側に移ることもありますが、行程のほとんどは左側から見えます。
この画の川は、上から読んでも下から読んでも川上川というそうです。
坂下駅からさらに2駅の
進行方向右側から木曽川が見えるのは、ここまで。
この先木曽川とお別れするまでは、ず~っと左側から見ることができます。
木曽の山々がぐっと迫ってきた感じがしますが、南木曽はいわば木曽谷の入口。
木曽路の絶景は、これからが本番といったところです。
はじめての中央西線、ここでも抜かりなく「城攻め」をしていきます。
南木曽駅では
「妻籠」というと中山道六十九次のひとつ・妻籠宿が有名ですが、江戸時代以前には妻籠にも城があったんですね。
南木曽駅を通過し、
木曽川とともに東京へ。
まぁ、途中でお別れするんですが。
木曽川によってできたV字谷も見事です。
沿線にある貯木場、おそらくヒノキの材木が置かれているのでしょうか。
木曽のヒノキ林は日本三大美林に挙げられています。
近年ヒノキの花粉症に罹ってしまった私にとっては、木曽路を進んだ季節が春ではなくてよかったです。
南木曽駅から3駅の大桑駅を過ぎたあたり。
左岸に見えるのは須原発電所です。
長野県に電気を供給する電力会社は中部電力なのですが、この須原発電所をはじめ木曽川にある水力発電所は関西電力が運営しています。
そんなことよりも、木曽谷の相変わらずの迫力です。
大桑駅の次の須原駅、倉本駅付近。
飽きることのない、木曽川の車窓です。
倉本駅の次の駅、
木曽川随一の渓谷・寝覚の床【国指定名勝】です。
ああ、うまくカメラに収めることができなかった・・・。
特急列車では、近くを通過する際に車掌がアナウンスしたり、列車の速度を落として運転することもあるようですが、私が乗ったのは普通電車。
国指定名勝であっても、容赦なく進んでいきました。
18時05分、木曽谷の中心駅・木曽福島駅に到達。
ここでは木曽福島城を攻略。
木曽福島城は戦国大名木曽氏の本拠地ともいえる城だったので、
木曽
木曽義在は木曽谷の支配権を確立し、義康はこれを発展させますが、東から勢力を拡大させる武田信玄に帰順します。
その子・義昌は信玄の娘・真理姫を正室に迎えますが、信玄が没して勝頼の代になると織田信長に寝返り、勢力を保ちます。
信長薨去後は徳川家康につき、小牧長久手の戦い直前に羽柴秀吉に鞍替えするも、家康が秀吉に帰順すると、義昌は家康の下につけられてしまい、家康の関東移封とともに義昌も木曽谷から下総国阿知戸(千葉県旭市網戸)に移ることになってしまいました。
義昌の子・
関ヶ原の戦いで山村良勝らの木曽旧臣は、旧領の木曽谷から東美濃方面の攻略に功績を挙げ、戦後に木曽谷の所領を与えられて旧領に復帰することができました。
木曽福島駅から3駅の藪原駅を過ぎたら、木曽川とはお別れです。
木曽川と別れた後は、目をつむってリラックスタイム・・・・・・
目を覚ましてふと車窓を見ると、夕陽の朱に染まった紫雲が広がっていました。
あまりに見事な朱色だったので、しばし空を眺めていました。
後日談ですが、このとき柏にいた女王様も、見事に朱に染まった雲を眺めていたようです。
直線距離にして250キロ離れていたのですが、空と太陽は等しく美しいものなんですね。
18時50分、
塩尻駅に到着。
電車はこの先の松本駅まで行きますが、私はここで下車。
ここからはサクサク進みます。
今度の電車は、18時59分発 中央東線 普通電車 大月行き。
この塩尻駅では中央線の運行系統が東西で分離するため、「中央東線」「中央西線」という表記がなされています。
21時26分、大月駅に到着。
中央線・ラストの電車は、21時31分発 中央特快 東京行きです。
「中央特快」という響き・・・関東に戻ってきた感が湧きたちますが、大月はまだ山梨県なんですよね。
23時12分、
東京駅に到着、すなわち中央線完全走破、達成!
「都内は通らねぇ」とか云いながら、東京のど真ん中に来てしまいました。
でも混雑はしていない夜の時間帯ですから、防疫の観点からは問題ないはずです、うん。
23時18分発 京浜東北線 各駅停車 大宮行きで、北上。
日暮里駅で下車し、23時32分発 常磐線 快速電車 取手行きにお乗り換え。
日暮里駅の京浜東北線&山手線ホームと、常磐線ホームとは少し離れているので、2分乗換はちょっとした冒険でもありますが、難なく乗換成功。
23時57分、
柏駅に戻ってまいりました。
中央線完全走破。
名古屋から塩尻までの西側部分は初めて乗車し、美しい車窓を味わうことができ、大満足。
そして1日で中央線を乗り通したという、わたしだけの達成感に浸っていたのですが・・・・・・
辰野支線は?
・・・・・・中央線ほぼ完全走破を成し遂げ、本拠へと帰っていきました。
【今回の鉄道乗車記録】
JR東海 [CF19]中津川駅 2番線 17時00分発
[CF]中央本線(中央西線) 普通 篠ノ井線直通 松本行き 2両
JR東日本 塩尻駅 6番線 18時50分着
塩尻駅 1番線 18時59分発
■中央本線(中央東線) 普通 大月行き 3両
[JC32]大月駅 4番線 21時26分着
[JC32]大月駅 3番線 21時31分発
[JC]中央線 中央特快 東京行き 10両
[JC01] TYO 東京駅 2番線 23時12分着
[JK26] TYO 東京駅 3番線 23時18分発
[JK]京浜東北線 各駅停車 大宮行き 10両
[JK32] NPR 日暮里駅 12番線 23時30分着
[JJ02] NPR 日暮里駅 4番線 23時32分発
[JJ]常磐線 快速 取手行き 15両
[JJ07]柏駅 4番線 23時57分着
*所要時間 6時間57分 (移動時間 6時間35分 乗換時間 22分)
*移動距離 347.1km
*運賃 青春18きっぷ使用(使用しない場合、6,050円)
【今回の「城攻め」成果】
[CF]中央線
16時27分 [CF19]中津川駅前「サクサクとんかつ 三遊司」店内 放浪異能の者・長谷川等伯を登用。
(17時00分 [CF19]中津川駅発車)
17時18分 [CF23]南木曽駅 妻籠城【長野県指定史跡】を攻略。
18時05分 [CF30]木曽福島駅 木曽福島城を攻略。
木曽義在・木曽義康・木曽義昌・山村良勝を登用。
(18時50分 塩尻駅到着)