鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

札幌時計台~絵ハガキと拉致

2017-03-31 | どうでしょうロケ地


2 0 1 6 年 9 月 1 8 日 ( 日 )

午 前 9 時 3 0 分

J R 札 幌 駅 南 口



時刻は午前9時半。



北の大都市・札幌の中心街を歩きます。



「札幌かに本家」でかにを食べるわけでもなく、



旧北海道庁本庁舎(赤レンガ庁舎)【国指定重要文化財】をチラっと見るだけ。


札幌駅南口からのびる駅前通から、国道12号・北1条雁木通へ。
私がめざす目的の建物は、高いビルが林立する中で所在なさげにぽつんと建っていました。



やっぱり時計台【国指定重要文化財】ですよね!
正式名称は旧札幌農学校演武場というそうです。

札幌時計台といえば、高知のはりまや橋、沖縄の守礼門または長崎のオランダ坂とともに「日本3大がっかり名所」に挙げられる観光地。
「がっかり」のわけは、まわりをビルに囲まれてぽつんと建っていて、雰囲気ぶち壊しというところにあるようです。

それでもやはり札幌といえば時計台。
がっかりとはわかっていても、時計台には来てしまいました。
いや、どうでしょう藩士の私は、時計台に来なければならなかったのです!


時計台は、水曜どうでしょう「日本全国絵ハガキの旅 第2弾」のロケ地。
日本全国の絵ハガキの束から無作為に1枚を抽出し、その写真の場所に実際に行って、その写真の画角を探すという企画です。

最初に大泉さんが引いた絵ハガキは、「潮来・十二橋を行く娘船頭さん」(茨城)。
どうでしょう班はさっそくボヤきながらも潮来・十二橋を訪れ、「うんざり」とこぼすほどにヤラれてしまいます。

そして潮来でミスターどうでしょう・鈴井貴之氏が引いた2枚目。



なんと「雪の時計台」を引いてしまいます!
この奇跡に藤村D「6年目にして初めて展開が読めなくなてしまった」というくらいの慌てぶり。
ミスターの助言もあって、どうでしょう班は札幌へ日帰りするハメに。

その翌日再結集したどうでしょう班。
日帰りした当時実家暮らしの大泉さんは、帰宅してご尊父と会話をなさったそうですが・・・



「なんとかインチキできんのか」というご尊父の名言が飛び出したのでした。



そしてミスターが引いた「雪の時計台」の写真は、北1条通からの画角となっています。



こちら側は観光客がまったくいませんでしたが、さすがは絵ハガキに採用される画角。
たぶんよく見る正面の時計台よりもいい感じがします。



企画の趣旨にしたがって、どうでしょう班もこのとおり写真に収まります。



どうでしょう班と同じ画角で時計台を撮ろうとしましたが、ときは9月。
時計台を彩る樹木は葉をおおいに茂らせ、時計が全く見えなくなってしまいました。
・・・だから「雪の時計台」なんですね~(*^_^*)


時計台の南側から、正面へとまわります。



南西側には撮影台があります。
時計台をここから撮るのがよろしいのだとか。



う~ん・・・(^_^;)



むむむむむ・・・・(・_・;)
どうしても後ろにあるビルが入ってきてしまいます。札幌時計台ビルです。
「時計台ビル」と時計台の名を使っているくせに、時計台を「がっかり名所」にしてしまっている「犯人」です。

時計台の西側、つまりは正面に回ってきました。



こちらは、時計台を撮影する観光客、時計台を出入りする観光客でいっぱい。


私も時計台の中に入ります。
入場料は、大人200円です。



入口でスタンプをゲット。
時計台の中は資料館になっていて、時計台の仕掛けについての展示と、旧札幌農学校についての展示があります。
時計台の構造を再現した機械時計なども展示されています。



2階は大ホールとなっていて、当時は演武場の講堂として使用されていたそうです。



時計台の構造をかんたんに示した案内板。
時計を動かすおもりが、3階から2階にかけて下りてくるようです。



2階から時計台の構造をのぞく・・・ことはできませんでした。


時計台の外へ。



絵ハガキの画角から時計台をもう一度見て、次の場所へ。



時計台をあとにして、次にやって来たのは・・・



 

時計台の隣りにある札幌時計台ビル
時計台を「がっかり」の地にしている「犯人」です。



このビルには株式会社エフエム北海道が入っています。
FM北海道のスタジオも中にあります。
どうでしょう班のミスター大泉さんも、DJとしてお勤めしていた時期があります。
(ミスターについては、この記事を投稿したまさに本日、「鈴井貴之 ラヂオの時間」の最終回を迎えました。ミスター、お疲れ様でした)



そして時計台ビルは、2度の拉致事件が起きた現場でもあります。



最初の拉致事件・「大泉洋拉致事件」
生放送のラジオ収録に臨んでいた大泉洋氏と安田顕氏。
そこにミスター鈴井貴之氏率いる北星学園大学アメフト部の部員団が乱入。
2人はスタジオから連行され、どうでしょう班が待ち構えるハイエースに突っ込まれてしまいます。

「ひゃははははははははwwwwwww」

ビルの出口からハイエースまでは約50メートルの距離。
ハイエースからは藤村Dの笑い声が響き渡っていたのでした。

この後「十勝二十番勝負」の企画がスタート。
大泉さんと安田さんonちゃんとの闘いが幕を開けるのです。



2回目の拉致事件は、「鈴井貴之拉致に見せかけた大泉洋拉致事件」
藤村Dが大泉さんを、「前回のリベンジでミスターを拉致してやろう」とそそのかします。
「リベンジ」といえばわが国では大石内蔵助
大泉さんは大石に扮し、「目には目を。拉致には拉致を!」とのたまい、再登場のアメフト部の面々を率いてリハーサルを行う始末。

スタジオに乱入した「大石」率いる拉致軍団。
「大石」の「それっ!」の合図とともに、ミスターではなく「大石」さんが逆に拉致をされてしまいます。
そして大石内蔵助の衣装のまま、大泉さんは千歳空港まで連れ去られ、車中では香港に行くと告げられてしまいます。




時計台ビルの出口。拉致される大泉さん目線です。



出口を左に曲がります。このあたりからヒゲDの笑い声が響き渡っていたのでしょう(*^_^*)
大泉さんを十勝や香港へと連行するハイエースは、「北海道経済センター駐車場」のあたりに停まっていました。



ハイエースが停まっていた道。
いちおう違法駐車ではなかったようです。



どうでしょう班は十勝へと向かいましたが、私はこれより先の釧路へと向かいます。





予定外の札幌

2017-03-29 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 9 月 1 8 日 ( 日 )

午 前 7 時 1 2 分

北 海 道 苫 小 牧 市

宿 泊 し た ホ テ ル に て



9月18日。
誕生日を迎えるあの方を遠く千葉に残し、この日は一気に道東最大の都市・釧路へ旅立ちます。


この旅を計画した段階では、苫小牧のホテルをチェックアウトする予定時刻は午前5時45分ごろでした。
この日は鉄道でゆっくりと東へ向かう、まるまる1日を移動日に充てる予定でした。

計画を練ったうえで、打てる手はすべて打ったあとで、北海道を激甚災害が襲いました。
平成28年台風9号「ミンドゥル」。
平成28年台風10号「ライオンロック」。

台風9号の影響により、石北本線が不通になってしまいました。
そして台風10号の影響で、根室本線も不通になってしまい、鉄道で道東に移動する途が絶たれてしまったのです。


この日の行程は・・・


JR北海道 (H18)苫小牧駅 6時10分発
室蘭本線 普通 岩見沢行き
(K15)追分駅 6時46分着

(K15)追分駅 7時08分発
[K][Y]石勝線 普通 夕張行き
(K20)新夕張駅 7時41分着

(K20)新夕張駅 8時57分発
[K]石勝線 特急 スーパーとかち1号 帯広行き
(K23)新得駅 9時55分着

(K23)新得駅 10時50分発
[K]根室本線 快速 狩勝 帯広行き
(K31)帯広駅 11時34分着

(K31)帯広駅 14時47分発
[K]根室本線 普通 釧路行き
(K53)釧路駅 18時01分着

*所要時間 11時間51分(移動時間 6時間05分  待ち時間 5時間46分)
*移動距離 322.5km  *運賃 北海道&東日本パス使用(不使用の場合は5,940円)


石勝線・新夕張駅から根室本線・新得駅までは特急列車しか走っていないので、18きっぷや北海道&東日本パスでも特急列車に乗ることができる例外区間です。
平成29年3月でダイヤ改正があったため、現在はこんな行程にはならないようですが・・・とにかく待ち時間が長すぎます。
新夕張駅で1時間強特急列車を待ち、特急列車を下りる新得駅では1時間弱普通列車を待ち、とどめは帯広駅で約3時間の待ち時間。
それぞれの駅での暇つぶし手段もあらかじめ決めておき、「雄大な自然の大地・十勝」の中心都市・帯広ではご当地グルメの豚丼と真っ向勝負するつもりでした。
そしてこの日の宿泊地・釧路へは夕方に到着予定でした。

根室本線が不通のため、この計画は水の泡となってしまいます。
(なお、根室本線は平成28年12月22日に完全復旧したそうです)
そのため私が急きょとった手段は、高速バスです。
札幌から釧路までの都市間高速バスを事前に予約しておいたのでした。



午前7時、苫小牧のホテルに滞在。
おかげでホテルのパン・バイキングをいただくことができるわけです・・・ここのバイキングのパンは味気なかったので、早々にホテルを出ちゃいました。




JR苫小牧駅にやってきました。



駅南口の広場からは大きな煙突が見えます。
中心街の目と鼻の先に工業団地が石油化学コンビナートがあるようですね。
しかしながら駅前には思ったほどに店がなく、



午前7時46分、駅ナカにある「Cafe・駅」という喫茶店へ。



ほほぅ、苫小牧名物・ホッキカレー(730円)ですか・・・これはいいですねぇ。
私が入店する少し前におばちゃんが中に入っていったので、私は開店していると思って中に入ると・・・
「開店は8時からなんですぅ~」
と淑女はいいます。
どうやら中に入っていったおばちゃんは、食材を納品に来たようで、早々に帰っていました。
しかし淑女の特別のお計らいにより、



苫小牧名物ホッキカレー! うまい!
ホッキ貝の歯ごたえもさることながら、やはり淑女の優しさが最高のスパイスとなったようですね。
ただ・・・私は福神漬は嫌いなので残してしまいました。ごめんなさい・・・。



空腹を満たし、苫小牧を発ちます。



この日最初の電車は、7時12分発 JR千歳線 普通電車 札幌方面ほしみ行きです。
「ほしみ」・・・私があまり好きではないひらがな地名ですな。



前日の気動車とは違い、なんとも現代的な電車です。JR北海道733系電車というそうです。

 

苫小牧駅を出発。次の停車駅は沼ノ端駅です。
沼ノ端駅で千歳線室蘭本線が分かれます。



乗客が多くあまり車窓を楽しめないまま、札幌市に入りました。

 

9時08分、札幌駅の4駅前の新札幌駅で下りました。
なんでも、後からやってくる快速電車がほしみ行きの普通電車を追い越すらしいのです。



下りたホームで、次の電車・快速「エアポート85号」 札幌行きを待ちます。

9時13分、快速電車に乗車。
(札幌市の)白石駅で、最初に乗った普通電車を追い越し、

 

ついに札幌駅に到着しました!



「エアポート85号」は回送電車に。



「二刀流」がいました。
そういえば岩手には二刀流選手の母校がありましたね。



広い広い札幌駅構内を抜けて、駅の外へ。



JRタワーが高くそびえます。



札幌駅のシンボル・星の大時計は、このとき9時30分を差していました。



【今回の乗車記録】

JR北海道 (H18)苫小牧駅 1番線 8時12分発
[H][S]千歳線 普通 函館本線直通 札幌経由 ほしみ行き 3両
(H05)新札幌駅 2番線 9時08分着

(H05)JR新札幌駅 2番線 9時13分発
[H]千歳線 快速 エアポート85号 札幌行き
(01)札幌駅 3番線 9時22分着

*所要時間 1時間10分(移動時間 1時間05分  待ち時間 5分)
*移動距離 71.2km  *運賃 北海道&東日本パス使用(不使用の場合は1,450円)





夜の室蘭本線

2017-03-24 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 9 月 1 7 日 ( 土 )

午 後 5 時 5 2 分

北 海 道 山 越 郡 長 万 部 町

J R 長 万 部 駅



17時52分、函館本線の列車は定刻どおり長万部駅に到達しました。





長万部駅は、函館本線室蘭本線の分岐駅です。
今夜のお宿は苫小牧市内にとってあるため、ここで室蘭本線に乗り換えることとなります。
駅名標によると、次は「しずかり(静狩)」の方へ向かいます。

室蘭本線の次の列車は・・・



普通列車の表示がない!
手持ちの北海道&東日本パスでは、特急列車に乗車することはできません。



ホームにあった時刻表を見ると、次に乗車すべき列車は19時26分発 普通列車 室蘭行きになります。
室蘭本線は、特急列車を含めると1時間に1本弱の本数がありますが、普通列車に限ると1日に7本のみ。
そして今度の19時26分発の列車が、普通列車では最終となっています。

もっと厳しいのは、小樽方面へ向かう函館本線。
なんと1日4本しかありません。
6時前の早朝の列車を逃すと、13時過ぎの列車まで運行なし!という少なさ・・・なかなかの地獄表っぷりです。





次の列車まで約1時間半の待ち時間ということで、長万部駅の外へ出ました。



駅前の信号。
直進すると、国道5号線で突き当り、そのまま海岸へ行けます。
しかし日没を過ぎ、静かな闇夜の海は怖いので、海には行かず交差点を左折。



カラスがやけに多い・・・
長万部の駅前通りを歩き、あらかじめ調べておいた暇つぶしの場所へ。



「アリス」という喫茶店。
ここで軽く夕食をとって、列車の時刻が来るまで長居させてもらおう、という魂胆です(^_^;)



入店すると、なつかしい昭和のたたずまいが残った喫茶店です。
テーブルがこんなゲームになっている喫茶店、すごく久しぶりです。

 

ミックスピザアイスティーをいただきました。

空き時間を利用してノートPCを開き、旅の記録をメモしていると、カウンター席から喫茶店のオーナー夫妻と常連客と思われるおっさんの会話が耳に入ってきました。
内容をかんたんにまとめると、今の会社に不満があるから辞めたい、けど社長が辞めさせてくれない・・・といった具合。

「そんなの簡単ですよ、『退職願』じゃなくて『退職届』を出せば、約2週間で辞めることができますよ」
「どうしても相手が聞かないなら、『内容証明郵便』を送りつけましょう。私が書きましょうか?」


・・・行きずりの人間の法律相談をしてやるほど、私もお人よしではありません。
右から左へと聞き流して、PCに向かい合っていました。





19時05分、列車の発車時刻にはやや早いですが、長万部駅に戻ってきました。



発車標が消えてる! 駅員もいねぇ!



発車標代わりの案内板。
これを見て、列車が来そうになったら勝手にホームに入れ!ということです。
それはいいのですが・・・駅員が長万部駅のスタンプも片づけて帰ってしまったようです。
駅に着いた時にスタンプをゲットしておけばよかった(T_T)




午 後 7 時 2 3 分

室 蘭 行 き 列 車 に 乗 車


今度の列車も、キハ40形1両編成。



そして19時28分、先発の特急列車に後れること5分、定刻どおり長万部を発ちました。


長万部から2駅目。



車内を撮影したわけではありません。
駅名標を撮影したかったのですが・・・・・・あまりに外が暗すぎて、もはや窓に反射して見える車内の様子しか写りません(T_T)
かすかに「しずかり(静狩)」「れぶん(礼文)」の文字は見えるかな?
この2駅に挟まれた秘境駅中の秘境駅小幌駅です。

小幌駅は三方を山に囲まれ、残る一方は海。駅の両側にはすぐトンネルが迫っています。
人里から隔離されていて、店はもちろん民家も1軒もなし。
自動車はもちろん徒歩で駅に来ることも困難だそうです。

そんな駅に、夜を行く列車はわざわざ停車します。
もちろんこんな駅に誰も下りるわけはありません。
私? まだ死にたくありません。
当然、小幌はスルーとさせていただきました。



函館本線のときとは違って、車窓は夜のため楽しむことはできません。
こうなれば、あとは眠るのみ。




午 後 9 時 0 5 分

北 海 道 室 蘭 市

東 室 蘭 駅 に 到 着




室蘭本線の分岐駅・東室蘭駅に到着しました。



ホームの向かいには、特急「スーパー北斗21号」 札幌行きが待機していますが、もちろんこれには乗りません。

室蘭本線は、苫小牧方面から長万部へと続く本線と、東室蘭から室蘭までの支線があります。
先ほどまで乗っていた列車は、支線に入り室蘭まで行くもの。
苫小牧へ向かうには、東室蘭で本線を進む列車に乗り換える必要があります。

 

発車標によると、苫小牧へ続く普通列車は21時59分発、つまりは約50分待ち。
室蘭へ行く列車は21時22分発で、東室蘭で15分強停車するようです。

ここで私はひらめいて、駅員氏に尋ねます。

私『21時22分発の室蘭行きですが、室蘭まで行ったらこの後東室蘭に戻ってきますよね?』
駅員「そうですね」
私『その戻ってきた列車は、21時59分発の苫小牧行きになりますよね?』
駅員「そのとおりです」

思ったとおりです。
こんなことは「時刻表」一冊持っていけばすぐにわかることなのですが、荷物を減らしている関係で「時刻表」は持ってきていません。
とにかく、先ほど乗ってきた列車にず~~っと乗っていれば、自動的に苫小牧まで行けることがわかりました。
東室蘭での暇つぶしは考えてなかったので、22分発の室蘭行きに乗ることとしました。



列車の停車時間を利用して、駅の外へ。
東室蘭駅の西口。わかりづらいですが、現代的な赤枠の駅舎です。



反対側の東口。
さらにわかりづらいですが、西口と同じく現代的な赤枠の駅舎です。



東室蘭駅のスタンプは「工場夜景とくじらのまち」
室蘭は古くから北海道有数の工業都市として発展してきました。


21時22分、列車は定刻どおり発車。
これより室蘭支線に入ります。


21時35分、

 

終着・室蘭駅に到着しました。
列車を下りると、階段もなくまっすぐ歩くだけで、



駅の外へ。
入口と時計台というシンプルな駅舎ですが、なかなか小粋なデザインですね。



この駅もすでに駅員は帰り、もぬけの殻。



今度の列車は、21時43分発 普通列車 苫小牧行きです。
長万部から乗ってきた列車に再び乗車します。




午 後 1 1 時 1 4 分

北 海 道 苫 小 牧 市

苫 小 牧 駅 に 到 着




ついに苫小牧までやってきました。



この日は苫小牧駅を発つ列車はありません。
函館駅を14時31分に出発して以来、約8時間半の列車旅もここに完結したわけです。



オレンジ色のナトリウム灯に照らされる苫小牧駅を尻目に、ホテルに急ぎます。
早く横になりたい~
早くいかめしを食べたい~



この日は、某バス旅の蛭子先生ご納得のビジネスホテル(*^_^*)



うんうん、お宿はこれでいいのです。もちろん内風呂付きです(^^♪
これで朝のパン・バイキングがついて4,200円ですから、なんの文句もありません。



シャワーで旅の垢を洗い流したところで、



いかめし登場♪



レトルトパウチのいかめしさんと、阿部商店秘伝のたれが入っています。



ホテルの電子レンジを探すのが面倒だったので、冷えたままいただきます。

 

阿部商店のいかめし! 冷えてもうまいぃぃ!!
これは機会があったら、ぜひまた食べたいですね。


いかめしで、わずかながらの至福の時を過ごし、この日は床に就きました。



【今回の乗車記録】

JR北海道 (H47)長万部駅 3番線 19時28分発
[H][M]室蘭本線 普通 室蘭行き 1両ワンマン
(H32)東室蘭駅 3番線 21時05分着  17分停車
(M36)室蘭駅 1番線 21時36分着

(M36)室蘭駅 1番線 21時43分発
[M][H]室蘭本線 普通 苫小牧行き 1両ワンマン
(H18)苫小牧駅 4番線 23時14分着

*所要時間 3時間46分(移動時間 3時間22分  待ち時間 24分)
*移動距離 149.2km  *運賃 北海道&東日本パス使用(不使用の場合は2,910円)





函館本線の旅・第2章~いかめしと共に

2017-03-20 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 9 月 1 7 日 ( 土 )

午 後 4 時 0 3 分

北 海 道 茅 部 郡 森 町

J R 森 駅



函館本線 普通列車 長万部行きに乗車して約1時間半。



函館と長万部のほぼ中間、森駅まで到達しました。



2両編成のキハ40形は、森駅で前後を切り離します。
前の車両は長万部まで行き、後ろの車両は森から函館へ引き返します。



森駅を出発する時刻は、16時37分。
停車時間は36分とかなりあるので、森駅周辺をぶらりと散策することにしました。


森駅に来てまずすること、それはいかめしを買うこと。
事前の情報では、いかめしは駅のキオスクで売っているというので、急ぎ足でキオスクに向かいます。

しかし・・・・・・さすがは日本一の呼び声高き駅弁。
すでに売り切れてしまったと、キオスクのおばちゃんに言われてしまいました。

あきらめるのはまだ早い!
いかめしは森駅のキオスクのほか、駅の真ん前にある柴田商店でも売っているとのこと。



柴田商店、無情の閉店。
やむを得ない・・・・・・



駅弁ではなくレトルトのいかめしを買いました。
レトルトとはいえ、正真正銘阿部商店製のいかめしです。



おいしくいただくには、お湯で10~15分温めるレンジで2~3分温める必要があります。
本当なら温かい駅弁のいかめしを、函館本線の車窓を見ながらいただきたかったのですが・・・まぁ、いいでしょう。
この日のお宿でレンチンして、お夜食でいただくとしましょう。



も  り と うらら
北海道限定の緑茶でしょうか? こんなものも買ってみました。
味は・・・普通の緑茶だったかと。


発車時刻まで、森駅の中をうろついてみました。



「駒ヶ岳と鳥崎八景の駅」 森駅のスタンプです。
「鳥崎八景」は、森町にある鳥崎渓谷の八景をいうのだそうです。



「森まちの四季」というモザイク画。
あまり関係ないですが、北海道内で「町」を「まち」と読むのは森町(もりまち)だけなのだそうです。


駅の跨線橋からのながめ。



北海道駒ヶ岳です。
少し雲がかかっていますが、よく見ると「森まちの四季」のとおりに2つの頂が並んでいます。



森駅の北側。



南側。
駅の間近に内浦湾が迫っています。
この画像からは少し見えづらいですが、明治天皇御上陸地の碑が駅の近くの海に立っています。
駒ヶ岳の稜線も美しいですね。



森駅の駅名標@平成28年(2016年)9月17日。
旅をした当時はこの駅名標でしたが、平成29年3月で桂川駅姫川駅が廃止になってしまいました。
さらに姫川駅の隣り・東山駅も廃駅に。
現在は、「かつらがわ」の部分が「いしや」(石谷)に、「ひめかわ」の部分は「こまがたけ」(駒ヶ岳)になっています。




午 後 4 時 3 7 分

森 駅 を 発 車


30分超の停車時間を経て、列車はようやく発車しました。
引き続き、進行方向右側の席に座ります。



森駅からの函館本線は、しばらく内浦湾のそばを進みます。



対岸の山々はどこの山だろう・・・と物思いにふけっていると、



漁港が見えてきて、



今は亡き桂川駅







こんな景色を見ながら食べるいかめしはさぞ美味いだろうな~。



現在の森駅の隣駅・石谷駅
この日はJKさんが下りていきましたが、石谷駅の1日平均乗車人員はなんと1人(2013年)。
石谷駅はこのJKでもっているようなもの?
彼女が卒業したら、平均乗車人員は0人になってしまいそうです。



国道5号線とともに、海沿いを走る函館本線。



本石倉駅。こちらの1日平均乗車人員は5人(2013年)と、なかなかにぎやかな駅です。



本石倉の次は、石倉駅
ひなびた感じの駅ですが、こちらの乗車人員は7人/日(2013年)と、本石倉よりも繁盛しています。



ホーム越しに内浦湾の景色を愉しめます。



石倉駅近くの漁港を通り過ぎ、



列車はふたたび海のそばを走ります。



海岸線に沿ってカーブする函館本線。
この先通るであろうトンネルが見えています。



振り返ると、海越しの北海道駒ヶ岳
頂に雲がかかってしまいましたが、雄大な山肌と美しい稜線は健在です。



いったん海から離れ、落部(おとしべ)駅に到着しました。
火気厳禁・・・これを見ただけで何かを感じずにはいられないのは、同好会員の性か・・・。


ここからは海から着かず離れずに進むので、珠玉の駅紹介へ。

 

H56 野田生(のだおい)駅



H55 山越駅
駅舎は江戸時代の関所を再現したもの。
江戸幕府が設置した最北の関所があったそうです。

 

H54 八雲駅
かつてある同好会員が、八雲の旅館でひどい目にあったそうです・・・私は素通りしますが。
ちなみにこの八雲駅、現在北海道で最西端にある駅なのだそうです。
八雲の駅名標の「やまさき」の部分が、上から新しくコーティングされています。



H52 山崎駅
駅名標がずいぶん新しい・・・こんなところに新駅でもできたのでしょうか?
いや、よくよく振り返れば駅番号H53がありません。
じつは八雲・山崎間には、鷲ノ巣(わしのす)がありましたが、平成28年3月で廃駅となり信号場に格下げとなったのです。
なので、山崎駅は新駅でもなんでもありません。




ふと左の車窓を見やると、夕日が山際に沈もうとしています。



線路は再び海沿いへ。
海のそばに立つ鳥居、なかなか味のある風景です。





東の空は徐々に暗がりはじめ、(多分)北海道駒ヶ岳も姿をくらまし始めました。



おそらくは何らかの石碑。



黒岩駅に到着しました。



く ろ い わ
く ろ い わ
く ろ い わ




黒岩駅の駅名標・その5。
この駅名標も現在は見ることができません。
次の北豊津駅も平成29年3月で廃駅となり、信号場に格下げとなってしまったからです。



森の中を通り抜ける函館本線。
その脇には大量の倒木が放置されておりました。
倒木の処理を急ピッチで行ってくれたからこそ、私が函館本線の旅をすることができたわけですね。

 

今は亡き北豊津駅

 

その次は、難読駅・国縫(くんぬい)駅です。
国鉄時代は国鉄瀬棚(せたな)の分岐駅でした。



ボヤけてしまいましたが、中ノ沢駅を経て、



ついに終点へ。



17時52分。



定刻どおり、長万部(おしゃまんべ)駅に到着しました。


気がつけば、森~長万部間の全駅を紹介してしまいました(*^^)v



【今回の乗車記録】

JR北海道 (H75)函館駅 3番線 14時31分発
[H][N]函館本線 普通 鹿部経由 長万部行き 2両ワンマン
(H62)森駅 2番線 16時01分着  37分停車・後ろ車両切り離し
(H47)長万部駅 4番線 17時52分着

*所要時間 3時間21分(移動時間 2時間44分  待ち時間 37分)
*移動距離 125.6km  *運賃 北海道&東日本パス使用(不使用の場合は2,160円)






函館本線の旅・第1章~鹿部はこっちだ

2017-03-18 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 9 月 1 7 日 ( 土 )

午 後 1 時 1 8 分

函 館 市 五 稜 郭



★から出ると、時刻は午後1時を回っていました。
そろそろランチが食べたくなる頃です。



五稜郭を訪れる前に、目をつけておいた「ラッキーピエロ」五稜郭公園前店
函館を発つ前に、短時間で食べられて、しかもウマイ!ものといえば「ラッピ」のハンバーガーと考えていましたが、さすがは函館最強のハンバーガーチェーンです。
ランチタイムもそろそろ終わりだというのに、満席と思われる混雑っぷり。



五稜郭でのランチは早々に見切りをつけ、市電で函館駅へと向かいます。
市電も相当の混雑っぷり・・・ですが、なぜか優先席だけ空いています。
優先席のそばで立っていた高校生♂連中もかたくなに着席することを拒絶。
後ろの乗客を下ろすために誤って座ってしまったひとりを、ほかの連中がからかう始末です。
「いいか~、混雑している電車で空席に座らないのは、むしろマナー違反なんだぞ~」と説教してやる度胸はなく、市電はそのまま函館駅前停車場に到着しました。



【今回の乗車記録】

函館市電 (DY09)五稜郭公園前停留場 13時34分発
5系統路線 函館どっく前行き
DY17)函館駅前停車場 13時54分着

*所要時間 16分
*移動距離 3.0km  *運賃 230円




午 後 1 時 5 6 分

J R 函 館 駅 前




朝市で食事をして以来、約5時間ぶりにJR函館駅に戻ってきました。

これから乗る列車の発車時刻は、14時31分。
約30分間に、ランチをとり、コインロッカーから荷物を回収しなければなりません。



混雑する市電の中、スマホさんで場所を調べた「ラッキーピエロ」函館駅前店は・・・さきほど以上の混みっぷり。
ハンバーガーにありつくまでに、列車が発車してしまいそうです。
早々にあきらめ、駅ナカで食事をとることとしました。



函館塩ラーメン、うまいっ!
駅ナカにある「麺厨房 あじさい」函館駅店味彩塩拉麺(750円)をいただきました。
「あじさい」は五稜郭に本店を構える、函館でも人気のラーメン店のようです。
そういえば、五稜郭でやたらと混雑しているラーメン屋さんを目撃したような・・・?
味はあっさりとした王道的なもので、安定的においしかったです。

少々急ぎ気味に塩ラーメンを食べ、コインロッカーから荷物を回収して、いよいよ函館を発つときは来ました。



この日は、函館観光を楽しんだのちは、函館を出発しひたすら列車に乗るだけ。
そして宿泊地は、札幌の南、太平洋に面した工業都市・苫小牧です。



この日最初の列車(電車ではない!)は、14時31分発 函館本線 普通列車 長万部行きです。
発車標には「長万部」の次に「鹿部経由」とあります。



3番線に入線している列車。函館市民は「汽車」というんでしたね。
車両はキハ40形というものだそうです。

 

列車の方向板は手差し式。その下には「キハ40」とありますね。
車両は2両編成で、前の車両が長万部行き、後の車両は途中の森止まりです。
そして小さく「砂原経由」とあります。


私は苫小牧に向かうので、長万部まで行く前寄りの車両に乗車。
そして進行方向右側、方角で東側の席に座りました。




午 後 2 時 3 1 分

函 館 本 線 北 上 の 旅 が 始 ま る


14時31分、「汽車」は定刻どおりに函館駅を発ちました。

この旅に出る約2か月前の平成26年台風10号「ライオンロック」で、北海道の鉄道網は大きなダメージを受けました。
乗車した函館本線は倒木500本という被害を受け、運休を余儀なくされていました。
ですが函館本線は、旅客営業だけでなく貨物列車にとっても重要な路線。
JRはその復旧を急ピッチで行い、この日は何の支障もなく苫小牧まで進むことができるわけです。


さてさて、初めて路線恒例の「難読駅名クイズ~」♪

(1)七飯
(2)掛澗
(3)落部
(4)野田生
(5)国縫
(6)長万部


「長万部」はかえって有名になっちゃって、難しくないかもしれませんね。


函館から4駅目。

 

七飯(ななえ)駅です。
七飯駅の次は、新函館北斗駅大沼駅??
北海道新幹線が停まる新函館北斗を飛ばす列車がある・・・?


  ここで道南の地図を見てみましょう。
  函館本線は七飯、大沼と森の間で8の字を描くような路線になっていることがわかります。

  まず北側の大きな円。
  こちらは西側の短いほうが本線、東側の遠回りが砂原支線です。
  円の中央にあるのが、駒ヶ岳(蝦夷駒ヶ岳)
  遠回り路線は、駒ヶ岳の山すそを通る傾斜の急なルートを迂回するために敷設された路線なのです。

  南側の小さい円。
  こちらも西側が本線。
  東側は藤城支線と呼ばれます。
  この支線も傾斜の急なルートを回避するためにできたのですが、傾斜が急なのは北へ向かう下り線だけ。
  藤城支線は下り線のみが通るという、変わった路線となっています。




そして・・・



列車は新函館北斗駅へ。
すなわち藤城支線ではなく本線を通ったのですね。

なだらかな平地を進んでいた函館本線はこう配の急な難所に差しかかり、



仁山駅へ。
ここは急こう配の途中に設けられた信号所で、のちに駅に昇格したところです。

難所の仁山を越えた列車は、

 

8の字の結び目にあたる大沼駅に到着。
ここの駅名標は、下り線の次の駅が「いけだえん/おおぬまこうえん」となっています。
すなわち本線と砂原支線の分岐駅というわけです。
駅名標の上りの次の駅は「にやま」のみ・・・上り線は藤城支線を進まないためです。




鬼の指さす鹿部方面を進んでいきます。
私は相変わらず進行方向の右側の席に座っていましたが、左側に大沼国定公園の景色が現れました。
本格的な一眼レフを構えたおっちゃんがバッシバシ大沼の景色を撮影、私は席に座ったまま何もできませんでした(T_T)



森林豊かな山地を進んでいきます。



木々が間近に迫る中を列車は進んでゆき、大沼駅から4駅の鹿部駅に到着しました。



し か べ。



し か べ

し か べ

し か べ




し か べ
し か べ

し か べ

しかべ SHIKABE




しかべ SHIKABE

し か べ

鹿部駅


以上、鹿部駅でした。


鹿部駅を出ると、またも森の中を進む函館本線。
珠玉の駅紹介が続きますよ~。



鹿部の次は、渡島沼尻駅



渡島砂原駅
渡島砂原の次は、掛澗(かかりま)駅です。



森の切れ目から海が見えてきました。



尾白内駅
スーパーハウスを駅舎にしちゃった感じですが、味がありますね。



東森駅を過ぎると、森を完全に抜け・・・いや森町を抜けたわけじゃないのですが(^_^;)・・・とにかく、



内浦湾のすぐそばを進みます。



海に突っ立っている石碑、明治天皇御上陸地の碑です。
明治14年(1881年)の北海道御巡幸で室蘭から渡海され、当時存在した森さん橋に上陸されたのだそうです。



石碑のすぐそばに、森駅はありました。



も   り です。

この列車は、前の車両が長万部行きで後ろの車両が森止まりです。
森駅で車両の切り離しがあるため、停車時間は約30分とかなりの長さ。
停車時間を利用して森駅を散策すべく、いったん列車を出たのでした。



あ、難読地名クイズ(3)~(6)の答えが出てませんねぇ~、続きは次回で。





市電1日乗車券・後日談

2017-03-16 | 日記


2 0 1 7 年 3 月 1 6 日 ( 木 )

午 後 5 時 5 5 分

千 葉 県 松 戸 市

喫 茶 店 に て



この日は仕事を早々に切り上げ、100名城登城の旅「北日本完全制覇!?」を編集中でした。
旅日記の「函館編」にリンクづけをしていたところ、ふと気になったことがありました。



私の旅先での屈辱。

市電1日乗車券の使用日付を2016年9月17日とすべきところ、2016年・・・9日としてしまったのでした。
このために急遽新たな1日乗車券を買うハメになってしまったのでした。

旅から戻った2016年9月当時なら、まだ2016年10月9日、11月9日、12月9日に有効利用できたのですが、残念ながらその機会もありませんでした。
失敗を忘れないためのモニュメントとなってしまった1日乗車券は、この姿のまま、今でも私の手元にあります。



この1日乗車券を有効利用する手はないものか・・・ふと考え、ネットで検索してみると、未使用であるならば払い戻すことができるという情報を得ました。

未使用・・・たしかに未使用ではありますが、間違ってスクラッチした1日乗車券は払い戻すことができるのでしょうか?
その疑問を解決すべく、函館市交通部事業課 電車担当あてに電話をかけちゃいました!!

tururururururu・・・ 「はい、電車です」

おおぅ、いきなり「電車です」と名乗るとは・・・

私『市電の1日乗車券のことでお尋ねしたいのですが』
私『乗車券のスクラッチを間違ってしまったのですが、これはどうしたらいいのでしょう』

電車「間違えたのでしたら、交換することができますよ、年月日を完全に削りきる前でしたら」

何だと!? だったらあのとき新しく乗車券を買う必要はなかったのではないか!

電車「間違えたのは本日ですか?」
私『いえ、2016年9月です』
電車「う~~ん、それでしたら交換することはできませんねぇ」

むむむ・・・ということは間違ってスクラッチしたら、すぐに交換すればよかったのか・・・。
しかしなおも食い下がる私。

私『じつは2016年9月17日に乗車券を使おうとして、「2016年」を削って、そして間違えて「9日」のところを削ってしまったんですね。
  それで月のところは削ってなくてそのままにしているんですよ。その場合は交換できませんか?』

電車「う~~~ん・・・やはりできませんねぇ・・・申し訳ありません・・・」

なんと電車のおじさんを困らせてしまいました。
払い戻しなり、乗車券交換なりで利得を得ようとは全く思っていない私。
電車のおじさんを困らせることなど、まったく本意ではありませんでしたので、

私『いやいや、ちょっとふと疑問に思ったので質問してみたまでなんです。こちらこそ申し訳ありません』

そして電話は終了。



函館1日乗車券についての教訓。

もしスクラッチをミスしたら、これ以上手をつけず、直ちに購入した場所で交換を申し出るべし。





函館五稜郭・最終章~★の中心核

2017-03-13 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 6 年 9 月 1 7 日 ( 土 )

午 後 1 2 時 2 7 分

五 稜 郭 ・ 箱 館 奉 行 所



★の中心核・箱館奉行所へ。



★に入るまでは無料ですが、箱館奉行所に入るには大人500円の入場料が必要です。
玄関(右側)で靴を脱いで、中へと入ります。

ところで、建物への出入りは玄関(表玄関)が使われることはまれで、普段は左側の内玄関(勝手口)が使われていました。
箱館奉行所の表玄関は、奉行が交代するときの送り迎えや、江戸幕府から明治政府への引き継ぎなどにのみ使われたそうです。


玄関から入ると、まずは使者之間へ。



その名のとおり、使者が奉行らにお目通りする際の控えとなる部屋です。



旧幕府軍の指導者・榎本武揚(たけあき)が詠んだ詩。
この掛け軸は詩書(榎本武揚筆)【函館市指定文化財】の複製で・・・

   健武帯刀前後行  籃輿羅網失窓明
   山河百戦恍如夢  獨仰皇裁向玉城
     就囚赴東京途中作  武揚

読めない・・・
武をナントカし刀を帯びて前後を行き、●◎※★▼□?? 山河で百戦し恍とすること夢のごとし? ひとり皇裁を仰ぐべく玉城に向かふ・・・かな?
榎本が箱館戦争で敗れて明治政府軍の捕虜となり、東京へ護送されるときに書いたものといいます。

なお榎本は、箱館戦争で明治政府軍を率いた黒田清隆(のちの2代内閣総理大臣)に才能を認められ、黒田の嘆願により助命されました。
のちに明治政府に登用され、黒田内閣では逓信(ていしん)大臣を務めるなど、大臣を歴任しました。




使者之間の隣りには、当時のトイレが再現されています。
もちろん現在は使用禁止です。



使者之間を出ると、まっすぐのびる畳敷きの廊下。



その廊下ぞいにあるのが大広間です。
常時使用される部屋ではなく、年中行事などで使用されていたようです。
大広間はふすまで4部屋に区切られていて、役職の格によって入れる部屋が決まっていたようです。
ここは最格下の四之間



ひとつランクアップして参之間



さらに格上の弐之間



最上の壹之間です。
床の間、違い棚、付け書院がある格式高い部屋です。
床の間の掛け軸は、2代箱館奉行・利煕(としひろ)筆の複製です。



壹之間から四之間方向を見てみました。
なんとなく広く見えるのは気のせいでしょうか。


大広間のさらに奥、



武器置所には刀、槍、弓矢や洋式銃がしまわれていました。



表座敷です。
奉行が執務を行っていた場所で、最も格式が高い場所といえます。
隣りにある武器置所は、非常時に備えて表座敷の脇にあったのでしょう。
こちらの掛け軸は、箱館奉行・杉浦誠の手によるものの複製。
杉浦は箱館奉行所を朝廷に引き渡し、江戸幕府における最後の箱館奉行となりました。


表座敷から戻って、



中庭に出ました。
中庭は採光と雨水処理のために造られたそうです。
中庭からの太鼓櫓がいい感じ。


奉行所で最も大きい部屋・御役所調役
奉行、組頭に次ぐ地位の調役の執務室であり、現在では展示スペースになっています。

 

幕末人物列伝の展示。
人物のコマを中央にのせると、その人物の列伝が表示されます。
ペリーをのせたらペリーの列伝が表示されました。


中庭から見た太鼓櫓は、このようになっています。

 

たぶん建築法令のために、現在は入れません。



内玄関から出ました。



五稜郭を出る前に3つの蔵へ。



売店となっている板蔵で、箱館奉行所のスタンプをゲット。
ここには100名城スタンプも置いてありました。



午後1時18分、★から出ました。



五稜郭タワーで出会った「にしおかすみこ」とも、ここでお別れです。





函館五稜郭・第2章~★の中へ

2017-03-13 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 6 年 9 月 1 7 日 ( 土 )

午 前 1 1 時 5 9 分

五 稜 郭 タ ワ ー を 出 る



五稜郭タワーを下りたところの自販機にて。



「ハコダテニ キテクダ サイダー」??? なんともナメたネーミング。



買ってしまいました・・・(^_^;)
よく読めば、"The soda pop made from grandwater of Mt.Hakodate"(函館山の地下水を使ったソーダ水)とありますが、そんなことは関係なく、のどが渇いていたので普通においしくいただきました。





いよいよ★へ。



水濠の対岸が★。
くるわの下半分に石垣が施されている腰巻石垣です。
それでは★に上陸・・・



その前に▼(半月堡)を見てみましょう。
出撃拠点である馬出の役割を果たす半月堡にも、高い土塁が築かれています。
その土塁には石が隙間なく敷き詰められ、また上部には武者返しとよばれる出っ張りが施されています。



半月堡の土塁に上ってみました。
なかなかの高さがあります。



★に入る前に、橋から振り返った半月堡の姿。
このように、土塁にも簡単に上がることができます。


さて、ようやく★に入ります。



箱館奉行所の表門が再現されています。



堅牢な本塁です。
周囲はほとんどが土塁ですが、表門付近には石垣が造成されています。
石が成形されていて隙間なく敷き詰められている切込接ぎです。



上部には武者返しが施されています。



みごとな切込接ぎの石垣です。



表門に入ると、かつては門番所がありました。


ここからまっすぐ奉行所には向かわず、本塁に上がってみました。





表門付近の本塁。





本塁から半月堡(▼)を眺めます。







門から離れると、石垣はなくなり土塁に。
それにしても桜の木が多いです。
五稜郭は、北海道を代表する桜の名所になっています。


本塁から下りて、★の真ん中へ。



武田斐三郎(あやさぶろう)先生顕彰碑です。
昭和39年(1964年)、五稜郭が竣工して100年にあたる年に、函館市が建てた碑文です。
なお、この碑文の周りにはロープが張られていて、あまり近づくことができませんでした。
なんでも、折れた枝が落ちてくるから近づくな、とのこと。



奉行所の西側にある3つの建物。



左の建物は土蔵(兵糧庫)【現存】。
郭内で唯一現存している建物で、いつしか「兵糧庫」と呼ばれるようになったとか。



右の建物も、土蔵【復元】。
土壁造りの建物で、現在は管理事務所になっています。

真ん中の建物は、板蔵【復元】で、こちらは板壁造り。
現在はお土産物屋さんが入っています。


そして、★の中心・箱館奉行所【復元】へ。





見事に古写真と同じアングルです(*^_^*)
平成22年(2010年)に復元された奉行所は、古写真と比べればわかるように、建物の一部にとどまります。
それでも、当時の技術をそのまま復元に用いたようで、古写真のそれと見事に一致しています。




★の中心核・奉行所の中へと入っていきます。





函館五稜郭・第1章~★を眺める

2017-03-10 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 6 年 9 月 1 7 日 ( 土 )

午 前 1 1 時 0 2 分

函 館 市 電 ・ 五 稜 郭 停 留 場



「コーヒーハウスきくち」ひとりソフトクリーム対決をしてきた私は、市電で五稜郭停留場まで移動しました。



停留場から函館の市街地を歩くこと数分、ビルの谷間を抜けて五稜郭タワーが見えてきました。
五稜郭の中に入る前に、まずはタワーから五稜郭を眺めることとします。
入場料・大人840円を支払い・・・



2番、五稜郭!
スタンプ帳にはスタンプの設置場所が「五稜郭公園管理事務所」とありますが、こちらの五稜郭タワーのチケット売り場で押印することができました。



北海道らしい熊の木彫りが安置されている男性トイレで用を足し、いよいよ展望室へ。




★です。
五稜郭といえば★を見下ろすこのアングルですね(*^_^*)

★の中央に箱館奉行所【復元】。
また左側にある3つの蔵は手前から土蔵(兵糧庫)【現存】、板蔵【復元】、土蔵【復元】で、それぞれ文書や物品を保管していたそうです。
▼にある赤い屋根は、ボート乗り場・・・・・・幕末当時の姿を復元している中で、これだけきわめて異質です。


五稜郭は幕末に造られた、箱館奉行所が置かれた城郭です。

はじめ箱館奉行所は、箱館開港後に現在の元町公園のある場所に建てられましたが、海から近く砲撃を受ける恐れがある、外国人が自由に行き来できる函館山から見下ろされる(内側が見えてしまう)という欠点がありました。
そこで幕府は箱館奉行所を移転することとし、武田斐三郎(あやさぶろう)の設計により、元治元年(1864年)に竣工。
慶応2年(1866年)にすべての工事が完了しました。

「星型要塞」とよばれる城郭は、ヨーロッパの城郭技術を取り入れたもので、城内側面からの射撃で死角をなくす工夫です。
また火砲による攻撃を想定し、衝撃をブロックしやすい土塁を前面に築いています。
★の下から1ヶ所だけ飛び出ている▼は、半月()といい、出撃拠点となるものでした。かつての城郭の馬出しの役割を果たします。
当初は5ヶ所に造られる計画だった▼は、予算がなかったために1ヶ所だけになってしまったそうです。

築城当時は国内最先端の城郭だったのですが、ヨーロッパではりゅう弾による戦闘が主流となってきました。
弾を高速でぶっ放して破壊するものから、弾自体が爆発して破壊するものへと変わったのです。
そのためにこの★は、ヨーロッパではもはや時代遅れのものになりつつあったといいます。





こちらが箱館奉行所
蝦夷地の政治の中心となり、戊辰戦争(箱館戦争)においては旧幕府軍の本拠にもなりました。



五稜郭の表入口。土塁には石垣が施されています。
このあたりには入口を監視する番所がありました。



★の左下のトンガリ。
表入口から離れると、このように石垣はなく土塁だけ。
石も費用も節約されています。


五稜郭タワーからの眺めは五稜郭だけでなく、



函館山も見事に見渡せます。
箱館奉行所が五稜郭に移る前は、山のふもとにある元町公園のあたりに置かれていました。



函館湾と、その向こうの松前半島
松前城は、あの山の向こう側にあるんだろうな~。



タワーによくある、真下が見える床。
真下よりも、自分の履いている靴のボロさが気になってしまいます(^_^;)
ちなみにこの靴は、この旅をもって引退いたしました。




展望室は、五稜郭の築城に関する資料や、箱館戦争(五稜郭の戦い)に関する資料も豊富に展示されています。
そのひとつ?が、土方歳三之像
旧幕府軍の指導者のひとりで、新選組の生き残りである土方は、箱館の地で戦死するのですが・・・

戦死するのですが・・・・・・



この中国人がどいてくれないので、一緒に撮影してやりました!
こちらの♀はにしおかすみこ似のなかなかの美人でした。



「にしおかすみこ」がどいてくれたので、じっくりと土方歳三之像とご対面。



さてタワーからの眺めを楽しみ、展示も軽くですがひととおり見たので、タワーを下りようとしたところ・・・



こんなものを見つけてしまいました。
スタンプラリーは貫徹しなければ気が済まない私。



このとおりです(^^♪




旧幕府軍の指導者であった榎本武揚(たけあき)之像をもって、五稜郭タワーは〆とします。



次は★の中へと入っていきます。





コーヒールームきくち~函館・ソフトクリーム対決の地

2017-03-02 | どうでしょうロケ地


2 0 1 6 年 9 月 1 7 日 ( 土 )

午 前 9 時 0 9 分

函 館 市 電 ・ 谷 地 頭 停 留 場



谷地頭(やちがしら)温泉朝のリフレッシュをした私は、次なる目的地を目指して市電・谷地頭停留場へ。



そういえばひとっ風呂入りに谷地頭まで来たときは、この停留場をさっさと後にしたのでした。
市電が来るまでの暇つぶしに、停留場を検分するとしましょうか。



市電のどん詰まり@谷地頭。
電車はいったんどん詰まりまで進んでから、反対側のレールに進入する仕組みです。




湯の川行きの電車がやってきました。
運転手は感じの良いおねいさんでした。



電車は9時15分に出発。

始めは席に余裕のある車内も、十字街停留場を過ぎ、函館の市街地に差しかかるにつれ、満員になっていきました。
車内が混雑するにつれ、明らかに運行に遅れが出ている気配。

そんな中でも、乗客のおばあちゃんに対するおねいさん運転手の優しい接客。
私は人知れず癒されていました。
そんな私を悲劇が襲います。
それは函館競馬場前で、おっちゃん乗客がごっそり下りた後のこと。



駒場車庫前停留場乗務員交代(T_T)
おねいさん運転手は電車を下りていき、代わって普通のおじさん乗務員が運転席に座りました。



10時01分、電車はほぼ定刻どおり終点・湯の川停留場に到着しました。



【今回の乗車記録】

函館市電 (DY17)谷地頭停留場 9時15分発
2系統路線 湯の川行き
DY1)湯の川停留場 10時01分着

*所要時間 46分
*移動距離 9.2km  *運賃 250円




午 前 1 0 時 0 3 分

対 決 の 地 へ 向 か う


朝市、温泉ときて、次の目的地は、「コーヒールームきくち」
水曜どうでしょう「対決列島 ~甘いもの国盗り物語~」最初の対決地です。


「ミスターどうでしょう」鈴井貴之氏と「魔神」藤村忠寿ディレクターによる日本列島を舞台に繰り広げられた甘いもの早食い対決
初戦は函館の甘いものということで、藤村Dはコーヒールームきくちのソフトクリーム早食い対決をセッティングしました。
ソフトクリームならミスターもそんなに苦手ではないし、藤村Dの日記によると初戦は勝ちを譲ってやるつもりだったようです。

対決の内容は、モカバニラの3本のソフトクリームを先に食べた方の勝ち。
ミスターと藤村Dは、店から約100メートル離れた橋の近くで勝負。
ミスター方は大泉さんが、藤村方はヤスケン(安田顕さん)が、それぞれ店でソフトクリームを買って持ってくるというものでした。

勝敗は・・・・・・あの天才が藤村Dの筋書きを見事に台無しにしてくれました。



というわけで、ここでもどうでしょう班が対決した場所で、同じものを食べます。



湯の川停留場からは、市電とは反対側の方向へと歩いていきます。



この先をさらに進んでいきます。
停留場の前の信号を右側に渡り、あとはひたすら道なりに進んでいきます。



ものの5分ほどで、「コーヒールームきくち」の黄色い看板が見えてきます。




午 前 1 0 時 0 9 分

コ ー ヒ ー ル ー ム き く ち に 到 着


きくちの立看板。



「函館といえば・・・ランキング!」で、きくちのソフトクリームが第10位にランクインしてました・・・んだそうです。
このアンケートに答えた人には、どうでしょうバカが多かったのでしょう。



正面に回ってきました。
黄色い建物と味のある店名板は、対決列島が放映された平成13年(2001年)当時のままです。
それでは入店してソフトクリームをいただこうかと思いましたが・・・

オーナー氏「ソフトクリームは外からの注文ですよ」

ソフトクリームは、自販機の並ぶ店の横から窓口ごしに買うことができるのです。モカバニラの3種類のソフトクリームは、いずれも260円です。
それではまずは1本目。



バニラソフト! うまい!
店頭の看板で「ジェラート風」とうたっているように、ひんやりとした味わい。
乳脂肪分はそれほど感じず、あっさりとしています。
これならペロリと1本食べることができます。3本食いもキツくはなさそう。
おなかの弱い私も、まずはひと安心?


あっさりと平らげ、お次はモカです。
2本目をオーダーして、店員のおばちゃんから手渡しされます。

おば「落とさないように気をつけてくださいね~」
私『どこかの誰かさんみたいにならないようにね(^^♪』
おば「あら~、そんな人もいましたわねぇwww

そうして手渡されたモカソフト



バニラは「きくち」のそばでいただきましたが、モカは場所を変えていただきます。
その場所とは、「きくち」さんからさらに歩き、



橋のたもとで右に曲がり、



美容院「びびっど」の脇にある草地。

 

これぞ函館ソフトクリーム対決の決戦地です。
ここでミスターと藤村Dは、ソフトクリームを3本食べきるわけです。



ちょっととけていますが、モカソフト、うまい!
さすがはコーヒールーム、モカの風味が見事にマッチしています。
あっさりした味わいで、苦もなく2本目を食べきりました。


「きくち」の方に戻っていきます。

 

「きくち」が面する北海道道100号・函館上磯線です。
この画角は・・・



このあたりにカメラを据え置いて、ソフトクリームを持って疾走する大泉さん、安田さんを撮影していました。
しかしこの道路上で、天才がやらかしたのです。

 

バス停があるため、歩道が少し狭くなり始めるこのあたり。


対決が始まり、川そばから疾走する大泉さん安田さん
そして最初に戻ってきたのは大泉さん、次いで安田さんでした。
窓口がひとつのため時間差ができてしまいますが、順調に食べるミスター魔神・藤村Dが猛追してほぼ同時に2本目へ。
2本目も大泉さんが最初に戻ってきましたが、安田さんがなかなか戻ってこなかったのでした。

安田さん、なんとモカソフトを落としてしまったのです!
ミスターに勝ちを譲ってやるという魔神のシナリオはここで破たん。
魔神は「リズム食い」でミスターを猛追しますが、この差はいかんともし難く、惨敗。
ミスターは、北海道の面積である83,000ポイントをもぎ取ったのでした。



対決の地を細かく検分したところで、3本目のソフトクリームをいただく・・・つもりでしたが、おなかの弱い私は先のことを考えて、ここで終了することとしました。