鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

本土最東端の旅・第3章~望郷の塔

2017-06-26 | 公園・庭園


2 0 1 6 年 9 月 1 9 日 ( 敬 老 の 日 )

午 後 1 2 時 1 8 分

北 海 道 根 室 市

本 土 最 東 端 ・ 納 沙 布 岬



本土最東端・納沙布岬の先っちょ・納沙布岬灯台にて、



近いながらも遠い存在になっている北方領土を眺め、



本土最東端の食堂「鈴木食堂」さんま丼花咲ガニのてっぽう汁をいただきました。


自分の足で本土最東端の地に立ち、自分の舌で本土最東端のグルメを味わったわけですが、もう少し本土最東端の地に留まります。
こんどは本土最東端を空から眺めようというわけです。



本土最東端の地にそびえ立つ望郷の塔
通称は「オーロラ・タワー」で、以前は「笹川記念平和の塔」といいました。
高さは96メートルで、竣工は昭和62年(1987年)の夏。
日本船舶振興会(現・日本財団)を運営していた笹川良一が私財を投じ、建設されました。


駐車場は広く、観光バスが数台停まっていました。
が、中に入ると・・・寂しい・・・。
私が入ったときには、観光客が誰もいませんでした。
入口には受付の女性がただひとり。
この女性に、入場料500円を支払い、塔を上ります。



昭和の香りが色濃く残るエレベータ。
1階が「イベントフロアー」「ライブステージ」とありますが、そんなものは気配すら感じませんでした。


展望フロアに到着しました。
さっそく景色を眺めてみます。



先ほどまで立っていた納沙布岬の様子がよくわかります。
岬の先っちょにある白い納沙布岬灯台
さんま丼をいただいた「鈴木食堂」は、灯台の下にある青い屋根の建物です。
このあたりの納沙布地区には、それなりに民家も建っていることがわかります。



向きを45度変えて、南東方向。
海に向かって突起している岬のような地形がふたつあります。
そのうちのひとつ、右側の突起がポンモイチャシ跡【国指定史跡】。
24ヶ所存在する根室半島チャシ跡群のひとつです。



今度は南方向。
納沙布地区のとなりは珸瑤瑁(ごようまい)地区です。
集落の中心にある珸瑤瑁漁港は、本土最東端の漁港です。
空から黒く見える森林が、一本の帯となってのびています。おもしろい景色です。



塔の西側は温根元地区。
地区の生活の中心であろう温根元漁港が見えます。
漁港の対岸にあるのは、先ほど訪れたヲンネモトチャシ跡【国指定史跡】です。



北東方向の足元。
望郷の岬公園四島(しま)のかけはしです。
この日こちらで行われていたイベントのため、ついに四島のかけはしの所までは行けずじまいでした。


北方領土の様子も、地上から見るものとではまた違ったものが見えます。



納沙布岬灯台の先に見えていた2つの島。
手前の小島が萌茂尻(もえもしり)で、奥側が秋勇留(あきゆり)です。
萌茂尻島は納沙布岬の沖合約6kmで、最も本土に近い北方領土となっています。



北東方向に浮かぶ島は、水晶島です。
納沙布岬の沖合約7kmで、この島にはロシア国境軍が駐留しています。
日本は島国で、国境という概念にあまりイメージが湧かない国民性でありますが、目と鼻の先に不法占拠ながら外国の軍隊が存在している事実・・・・・・この地が(不本意ながら)最前線の地となっていることを感じられます。



萌茂尻島や秋勇留島と水晶島の間、東北東の方角には、うっすらと勇留島が浮かんでいます。
手前には貝殻島灯台もありますね。



タワーの中は寂れた雰囲気でいっぱいだったのですが、上からは北方領土の島々をよく見渡せました。





本土最東端の旅・第2章~最東端の食堂

2017-06-26 | グルメ


2 0 1 6 年 9 月 1 9 日 ( 敬 老 の 日 )

午 後 1 2 時 1 8 分

北 海 道 根 室 市

本 土 最 東 端 ・ 納 沙 布 岬



本土最東端・納沙布岬の先っちょ・納沙布岬灯台にて。



近いながらも遠い存在になっている北方領土を眺めてきました。



しばし感慨にふけっていましたが、時刻は正午を回りました。
ここいらで食事でもしていきたいところです。

納沙布岬周辺はある程度観光地化されていて、食事できる商店もそれなりにありますが、



本土最東端の地に来たからには、本土最東端の食堂で舌鼓を打ちたいものです。
そんなわけで、レンタサイクルを引き続き駐輪させていただき、「鈴木食堂」へ。

「“さんま丼”はここで生まれここだけの味」と、デカデカと掲げている食堂。
その標語?の脇にあるサインのようなものは、いったい誰のものなのでしょうか?
少しばかり疑問に思いながらも、ガラス戸を開いて入店しました。

座席は奥側のテーブル席と、入口近くのカウンター席?があります。
本土最東端の食堂に来た私は、座席もこだわって本土最東端と推定されるカウンター席の一番隅の席に着座。
窓越しにオホーツクの海と空を眺めながらの食事となりました。



鈴木食堂の手書きのメニューを拝見。
ホタテ丼やイクラ丼もいいかな~とは思いましたが、店頭であれだけ堂々とうたわれているさんま丼をいただかないわけにはいきません。
さんま丼セット(1,800円)を注文しました。
ここで生まれたとされるさんま丼に、花咲ガニのてっぽう汁がついてくるというものです。
メニューに貼ってあるピンクの注意書きによると、この時季は生さんまを使用しているとのこと。
(旬でない時季だと、冷凍さんまを使用しているそうです)


約7分後、



さんま丼、うまい!
てっぽう汁、これまたうまい!!


旬のさんまがうまいこと。
それを味わいつつあたたかいご飯をかき込むことに、この上ない幸福感をおぼえます。
小鉢の昆布の佃煮も、本場らしい一品です。
白菜のお新香は苦手なので、お残ししてしまいました。

そして花咲ガニのてっぽう汁。
私はこれが初体験だったのですが、カニの風味が色濃く味噌汁に出ていてうまかった。
身もそこそこ残っていて、はさみとカニスプーンでほじくり出していただきます。
トゲトゲのあるカニとの闘い。何度か指をトゲが攻撃し、なかなか痛かったです。
てっぽう汁をいただく時間が、さんま丼をいただいた時間の2倍くらいかかったと思います。



白菜のお新香以外完食。ごちそうさまでした。





本土最東端の旅・第1章~納沙布岬

2017-06-23 | 公園・庭園


2 0 1 6 年 9 月 1 9 日 ( 敬 老 の 日 )

午 前 1 1 時 2 6 分

北 海 道 根 室 市

温 根 元 漁 港



温根元漁港ヲンネモトチャシ跡【国指定史跡】を観覧し、



この旅最大の目的を達成しました。


チャシ跡や漁港のそばを走る市道から、北海道道35号・根室半島線に戻りました。



道道の行く先にそびえ立つのは望郷の塔(オーロラタワー)
ここまで来たら北海道の最果てまで行くのがスジってものです。

私とレンタサイクル「黒雲」は、まさに最果ての地・納沙布地区に入りました。



温根元漁港から約2km、



オーロラタワーの根元が現れ、



海側に四島(しま)のかけはしというモニュメントが見えてきました。



そして四島のかけはしがある望郷の岬公園に到達しました。

この日は祝日(敬老の日)ということで、なにやらイベントが催されているようです。
マラソン大会でしょうか、この公園入口がゴールになっています。
これでは公園に立ち入ることが難しいので、



「請望苑」という土産物屋の近くに「黒雲」を停めました。
ここでちょっとしたお土産を購入し、望郷の岬公園へ。



納沙布岬は、霧がよく発生する海の難所として知られています。
夏から秋の時季はとくに霧が出やすく、真っ白な海を見せられた観光客はがっかりして帰路につくのだとか。
この日の天気はそれほどよくはありませんでしたが、霧が海を覆うことはなく、彼方の北方領土をしかと目にすることができました。

あ、この画像は納沙布岬じゃありませんよ~。



海沿いに立つひときわ古い石碑は、寛政の蜂起和人殉難墓碑【根室市指定文化財】です。



そばには案内板が立っています。

寛政元年(1789年)5月、和人のアイヌ民族に対する非道行為によって追い詰められた結果、国後島と現在の標津町、羅臼町付近のアイヌ民族が和人71人を殺害しました。
この出来事はクナシリ・メナシの戦いと呼ばれ、最終的にノッカマップ(ノツカマフ)で戦いに関わった37人のアイヌ民族が和人によって処刑されました。
この墓碑は、殺害された和人71人の供養のために文化9年(1812年)に造られたもので、明治45年(1912年)納沙布岬に近い珸瑤瑁(ごようまい)の海中で発見されたといいます。
昭和43年(1968年)、国後島を望むこの地に移設されました。
墓碑裏面には、和人の視点から、アイヌ民族が不意に襲ってきたとありますが、和人が殺害された原因はアイヌ民族への迫害が原因にあるため、石碑の内容は史実と異なっています。

(案内板の記述を編集)

この墓碑の左隣。



四島(しま)のかえる日 平和の日」の標語とともにある、前方に見える島々の案内板です。
この標語は、英語表記とロシア語表記があります。

この案内板から左、四島のかけはしの方には、右のグループが立てていった「北方領土返せ~!」的な石碑がいくつもあります。
「右の石碑」のおかげで、納沙布岬は最果て感だけではない、なんだかヘンなテイストが混じってしまっています。
ちょっと残念ですね。


四島のかけはしの方ではイベントをやっているようなので、納沙布岬本体?のほうへ近づいていきましょう。



路面にペイントされた北方四島の地図。
私が小学生のころは「歯舞諸島」と習ったのですが、現在は「歯舞群島」と呼ぶようです。
この先が展望台になっています。



もちろん「北方領土は日本固有の領土です」というアピールも忘れません。さすが根室市。

 

展望台には島までの距離と方向がペイントされています。
あれが秋勇留(あきゆり)か・・・。

 

勇留島までは約16.6km。ややかすんで見えます。

 

貝殻島灯台までは約3.7km。灯台がはっきり見えます。
ここだけ「貝殻島灯台」という表記なのは、貝殻島が高潮になると水没してしまうため、国連海洋法条約(海洋法に関する国際連合条約)の「島」にはあたらないからです。

"An island is a naturally formed area of land, surrounded by water, which is above water at high tide."
(島とは、自然に形成された陸地であって、水に囲まれ、満潮時においても水面上にあるものをいう)

(United Nations Convention on the Law of the Sea ; Article 121 (海洋法に関する国際連合条約第121条第1項))

 

納沙布岬からの距離は約7kmと近い、北方領土・水晶島です。
肉眼ではっきり見えるのに、日本国の領土であるはずなのに、到達することはきわめて困難。
「近くて遠い場所」という言葉は、まさに水晶島のような場所をいうのでしょう。

 

展望台の先には、「返せ北方領土 納沙布岬」の標柱が立ちます。
路面にも経緯度を示すペイントがなされていますが、納沙布岬の先っちょはこちらではありません。



東の果てまで足を運びます。



私が買い物をした「請望苑」の脇に、日本最東端のポストが立っています。
今思えば、ここで絵はがきの1枚でも買って、誕生日をすっぽかしてしまったあのお方に便りでも書けばよかったのですが、当時そんなことは頭に浮かぶこともなく、そのままチャリにまたがって移動しました。



納沙布岬の先っちょは、納沙布岬灯台の立つ突端のあたりです。



「請望苑」の砂利敷きの駐車場に、「本土最東端 納沙布岬」の標柱がありました。
なんとも中途半端な場所に立っています(^_^;)

その先は公道へ出ます。



日本最東端の食堂・「鈴木食堂」
この前には駐車スペースがあって、先客のバイクが1台停まっていました。
私もそれにならい、「黒雲」をここで停めます。



「鈴木食堂」の先で、公道が終わっています。
駐車禁止・終わりの交通標識が、日本最東端の交通標識と推定・・・



反対側の駐車禁止・始まりが、日本最東端の交通標識です! 多分。



納沙布岬灯台に到達。いよいよ東の最果てです。
入口には「北海道灯台発祥の地」とあります。

納沙布岬灯台は、明治5年(1872年)に北海道で最初に設置された灯台です。
最初は木造でしたが、昭和5年(1930年)に現在のコンクリート造に改築されました。
光のエネルギー源は、石油からアセチレンガスを経て電気に変わりましたが、光を放つ4等レンズだけは当時のままです。
立地は北緯43度22分58秒、東経145度49分16秒、言うまでもなく本土最東端です。

(案内板の記述を編集)



真っ白なフォルムの納沙布岬灯台。
ここに来て空は青くなり、灯台の白さが映えるようになりました。
カップルが東の海を見てたたずんでいます。
ここもふたりで来たかったなぁ。



灯台の先の海へり。まさに東の最果て。

私はまさに今、日本で一番東にいるんだなぁ~。

しかしながら、目と鼻の先に日本の領土が見える現実。
最果てでありながら、実は最果てではない、そんな複雑な事情もありますが・・・
地の尽きるところに立つことの感慨にしばしひたっていました。





根室半島チャシ跡群・最終章~ヲンネモトチャシ

2017-06-23 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 6 年 9 月 1 9 日 ( 敬 老 の 日 )

午 前 9 時 5 3 分

北 海 道 根 室 市

ノ ツ カ マ フ チ ャ シ 跡 付 近



JR根室駅から、



レンタサイクル「黒雲」にまたがり約11km。



ノツカマフチャシ跡【国指定史跡】の入口まで到達しましたが、



草ぼうぼうの小路に恐れをなし、



遠目で見て終了!・・・という醜態をさらしてしまった私。


根室市観光協会のサイト(ヲンネモトチャシ跡・ノツカマフチャシ跡 詳細MAP)【PDFファイル】より引用)

さらに東にあるヲンネモトチャシ跡【国指定史跡】をめざして、ちゃりんこ旅を再開します。
ヲンネモトチャシへ向かう途中にもチャシ跡があるので、なるべく取りこぼしのないよう地図と照らし合わせつつ進んでいきます。



荒涼とした原野の中を、東の果てまで伸びている北海道道35号・根室半島線



そして突如現れる、



返せ! 北方領土のかわいらしい意見広告。
そんなんじゃプーさんになめられちゃうんじゃねぇのか?
それに北方領土を不法占拠しているのはロシアなんだから、こういう主張こそロシア語も併記すべきでは?



「返せ!北方領土」へのツッコミを誰もいない空の下でつぶやきながら、進むこと約5km。



海沿いの小さな集落が見えてきました。
向こうに見える、海に突き出ているのはサンコタン岬というそうです。



サンコタン橋という橋を渡ります。
流れているのはサンコタン川という小さな川。



湿原に流れる小さな川と、雄大なる根室湾。
後から調べたところ、この付近にはサンコタンチャシ【国指定史跡】があったそうです。



サンコタンチャシの跡地はこのあたりらしいです。





さらに東に進み、本土最東端・納沙布岬まで7.5km。



進行方向右手に、湿原に囲まれた沼地が見えてきました。



ここでちゃりんこライダーの私にとって、悲しいお知らせ。
歩行者なんてほぼ皆無であるにもかかわらず整備されていた歩道が、ここで途絶えてしまいました。
北海道はドライバーがスピードを出しまくるゆえに事故が多い、というイメージを抱いている私にとっては、ここから緊張の時間をむかえます。
数分おきに通る自動車の動きに注意しつつ、東をめざして進みます。



広めの川が現れます。
いや、広い沼が川となって出ていますね。
この川にかかる赤い橋を渡ることになりそうです。



進行方向左側。
小さな灯台のあたりが河口となっているようです。



赤い橋は、協力橋というそうです。
ネーミングの由来はわかりません・・・・・・日本人とアイヌ人が協力してかけた橋なんでしょうか。
勝手な想像をめぐらしつつ、橋を渡ります。



先ほどから見えていた水場は、トウサムポロ沼というそうです。

 

協力橋から、進行方向左手を望みます。
トウサムポロ沼は、その水路が直接根室湾に通じており、淡水と海水の混じる汽水湖ということになります。



反対側。
北海道でないと見られない、水と緑の雄大な景色。
手前には、漁撈用の小舟でしょうか。



汽水湖といえば良い漁場となるのですが、このトウサムポロ沼一帯は禁漁区域になっているようです。



雄大な景色をもう一度。
地図を見ると、このあたりはチャシ跡が密集している地域・・・ということは、沼のむこうのモッコリがチャシなのでは!?



こんな具合で進んできました。
この記事を執筆した時に確認したところ・・・



協力橋をちょうど渡ったあたりに、トウサムポロ2号チャシ跡



灯台の立つ埠頭の対岸に、トウシャム2号チャシ跡(トーサムポロR1西チャシ跡)【国指定史跡】、



協力橋からさらに上流側にトウシャム1号チャシ跡



漁港のすぐそばにヒリヲカタチャシ跡【国指定史跡】があるようです。



チャシ跡が集中するトウサムポロ沼を過ぎると、



ほどなく歩道は復活。



少し進んだところにある、とあるバス停。
停留所名はとくになく、「スクールバス専用」と表示されているだけ。
そしてその時刻が、7時15分の1本だけ!
みうらじゅん氏のいう「地獄表」が掲載されています。
(※氏のいう「地獄表」とは、地獄にはまって出られないくらいのおそろしく本数の少ない時刻表をいうそうです)
行き先は歯舞(はぼまい)小中学校、日本最東端の小中学校です。


さらに進むと、



遠くの彼方に望郷の塔(オーロラタワー)が見えてきました。
本土最東端・納沙布岬に近づいてきています。



再び小規模な「返せ!北方領土」コール。


協力橋から約1.5km。

 

ヲンネモトチャシ跡の方向を示す看板が現れました!
ここで県道35号を外れます。



漁港のある集落が見えてきました。
このあたりは温根元地区というそうです。



漁港が近くなってきたところで、ヲンネモトチャシ跡付近の駐車場に到達しました。



【今回の行程記録】



[A}ノツカマフチャシ跡  9時53分発
サンコタン橋(サンコタンチャシ跡)・協力橋(トウサムポロ沼)経由
[B]ヲンネモトチャシ跡  10時56分着

*所要時間 1時間03分
*移動距離 約10km




午 前 1 0 時 5 3 分

ヲ ン ネ モ ト チ ャ シ 跡


ヲンネモトチャシ跡。
100名城の旅「北日本完全制覇!?」、この旅の一番の目的といっていいでしょう。
100名城の第1番にして、最難関の場所といえる地に、今回はビシッと足を踏み入れます。



チャシ跡の駐車場。
ここに「黒雲」を停めていきます。
チャシのそばには、「温根元野鳥観察舎」なる小屋があるようです。



駐車場からチャシまでは約220メートル。



立看板どおりに進めば、迷うことなく到達できます。



草地の中を、チャシへと続く砂利道がのびています。

 

砂利道のつき当たりに、案内板が設置されています。


チャシ跡は、アイヌ文化期(13~19世紀)の砦跡とされていますが、チャシ跡の築造は18世紀までとされています。
砦のほかにも見張場、整地、祭祀場などの使われ方をしたようで、その規模や形状は様々です。
北海道内には500ヶ所以上のチャシ跡が確認されています。
根室市内にはチャシ跡が32ヶ所現存していて、そのほとんどが根室湾を臨む海岸段丘上に造られています。
根室半島チャシ跡群は保存状態が良好なこと、分泌密度が高いこと、寛政元年(1789年)のクナシリ・メナシの戦いと関連性が高いことから、24ヶ所のチャシ跡が昭和58年に国指定の史跡となっています。

ヲンネモトチャシ跡は、湾に突出した岬の上に盛り土を行い、壕で区画し、盛り土の頂上に平坦面を2ヶ所造り出しています。
近隣の温根元漁港から側面を見ると「お供え餅」のように見え、形の良好なチャシ跡として知られています。

(案内看板の記述を編集して記載)


案内看板の丁字路を右に曲がると、ヲンネモトチャシ跡へと続きます。



もとの地面からは、約2メートルほどの高低差があります。
現在は階段が据えられていて、それを上ると史跡区域内のチャシ跡に入ります。



チャシに上りました。
根室湾と温根元漁港を望むことができます。



チャシ自体は、荒れるに任せた草地です。
私のような観光客がよく来るためか、踏み分け道がくっきりとできています。



チャシの中腹部。
少々見づらいですが、先端部との間にくぼみがあります。
先端部とを分ける壕です。



チャシ先端部。
案内板の記述どおり、地表はなめらかな平坦面で造成されています。



先端に立つ標柱。



先端部からさらに海側には、三角形の区画があるようです。
あまりにも草ぼうぼうなので、私は立ち入りませんでしたが。



チャシの先端部から、本土最東端の納沙布岬方面を望みます。



方向を変えて、根室湾の沖合に浮かぶ小島を眺めます。
この日はよく見えませんでしたが、天気が良ければはるか国後島まで見えるようです。


私の旅も、いよいよ最果ての地に来たんだなぁ・・・・・・。

しばし感慨にふけっていました。



いったん駐車場に戻りました。
今度は側面からヲンネモトチャシを眺めます。



案内板には「歯舞漁港」とありますが、こちらが温根元漁港
歯舞漁港は太平洋側にあるので、この看板は間違っているのではないでしょうか?



温根元漁港の入口。
こちらの看板はきっちり「温根元漁港」と表示されています。
ますます「歯舞漁港」がナゾです。



漁船が居並ぶ中を突き進んでいきます。
当時は漁も終わったのか誰もいませんでしたが、まさに漁師たちの仕事場を正面切って突き進む格好になります。
くれぐれも漁師さんの仕事の邪魔はしないように注意したいところです。





側面からのヲンネモトチャシ跡です。
潮位がやや引き気味であるためか、書籍でもおなじみの姿とはちょっと違うかな。



100名城スタンプの絵柄も、側面のヲオネモトチャシ跡です。
スタンプの方も、潮位は満ち潮のようですね(^_^;)



午前11時26分、温根元漁港を出ました。
日本最東端の登城は、これにて終了。





サバ水煮缶食べくらべ・第2章~続・メーカー製品食べくらべ

2017-06-19 | 日記


2 0 1 7 年 6 月 1 8 日 ( 日 )

午 後 7 時 0 5 分

千 葉 県 柏 市

ら ら ぽ ー と 柏 の 葉



この日はわが御前と、ららぽーと柏の葉にて夕食。
その帰り、御前が買い物をなさるということで、ららぽの中にある東急ストアに入りました。

ここでふと、わが心の中に立ち上る探究心。



探究心のおもむくままに買いそろえたのは、またしてもサバ水煮缶・3缶です。



翌 日

午 後 1 時 4 0 分

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て




2週間前にサバ缶15個を買い、うち7個を食べ、残るサバ缶は8缶。
そこにららぽで購入した3缶を加え、



11缶のサバ水煮缶食べくらべとまいります。

前回7缶を平らげ、気分が悪くなった私。
もう無理はしません。
この日は最大で3缶まで!と、ゆるめのノルマを設定して臨みます。



この日最初のサバ缶は、伊藤食品「美味しい鯖 水煮」です。



私の不見識で、伊藤食品というメーカーは、今回の食べくらべ企画をするまでは知りませんでした。
静岡の清水にある水産品缶詰のメーカーです。
商号が似ている伊藤ハム(旧・合名会社伊藤食品工業)とは関係はありません。
商品名に「美味しい」と銘打っていますが、こういうのは「口だけ」で終わるものが多い中、このサバ缶はどうでしょうか。
それでは開缶!



缶を開けると、内容液の下に沈んでいるサバの身を確認できます。



内容液を除いた様子。
パッと見ではサバが何切れ入っているかわかりません。



皿に盛りますと、身が柔らかいため1切れだけ崩してしまいました。
中くらいの身が4切れ入っていました。
実食してみると・・・たしかに美味しい!
前回の7缶を加えても、このサバ缶が一番美味しく感じられました。
あまり大きな特徴ではないですが、このサバ水煮にはセキツイ(背骨)は入っておらず、細い骨が数本だけ入っていました。
栄養分を見てみると、炭水化物の数値がほかの缶とは大きく違います。

前回に引き続き本日も、サバの旨味、塩分の濃さ、脂分の濃さ、鯖の生臭さ、身の肉厚さ、お買い得度の6つの観点をチェックしていきます。
伊藤食品「美味しい鯖 水煮」の私的評価は・・・

 ◆サバの旨味  ★★★★★ (サバの味がしっかり現れていて、かつ、うまい)
 ◆塩分の濃さ  ★★★☆☆ (★が多いほど濃くなります。沖縄の塩「シママース」のやさしい塩味がサバをうまき引き立てています)
 ◆脂分の濃さ  ★★★☆☆ (★が多いほど脂っぽいです。脂分もくどくなくバランス良し)
 ◆鯖の生臭さ  ★★★☆☆ (★が多いほど魚臭さがありません。においはありますが、きつくはありません)
 ◆身の肉厚さ  ★★★★☆ (身の部分は140gと食べごたえあり。身は柔らかく、スーッと胃に入っていきます)
 ◆お買い得度  ★★★★☆ (少々割高ですが、うまさを考えると★5つでもいいくらいです)

伊藤食品「美味しい鯖 水煮」のデータです。購入価格以外は、缶に表記されている内容を転載しています。
栄養分のデータは、1缶当たりのものと100g当たりのものを記載し、黄色文字が缶に表記されている内容です。

 ▲内容量   190g(うち固形量 140g)
 ▲購入価格  204円(税込、東急ストアにて購入)
 ▲原材料   さば、食塩
 ▲原産国   日本

 ●エネルギー  388kcal/缶  204kcal/100g
 ●タンパク質  28.3g/缶   14.9g/100g
 ●脂質     27.9g/缶   14.7g/100g
 ●炭水化物   5.5g/缶    2.9g/100g
 ●食塩相当量  1.7g/缶    0.9g/100g





次なるサバ缶は、SSKセールス「旬 鯖水煮」です。



SSKの前身は清水食品という会社で、静岡に本社を置くメーカーです。(清水区じゃなくて葵区にあります)
"Jack has a bat and two balls."(男の子は1本のバットと2個のボールを持っている)のCMで有名なスポーツ用品会社のSSKとは関係ありません。
こちらも「下関の最進の塩」を使用、ということで塩にこだわっているようです。



開缶すると、サバの魚肉は見えず。
内容液がやや多いようですね。



液体を取り除くと、ようやく魚肉登場。
大、中、小、極小とふぞろいな4切れのサバです。



皿に盛ると、先ほどのものとは違って、身がしっかり締まっているサバ。
きれいに4つ移すことができました。
実食すると・・・・・・あっさり。
魚肉が締まっているのが相まって、かな~りのあっさりサバです。
「最進の塩」の良さを、あまり感じることができなかったです。
内容液が55gで、食塩相当量が0.7g/100g、液体が多く塩が少ないとなれば、当然味は薄くなるということですね。

 ◆サバの旨味  ★★☆☆☆ (サバの味を感じられますが、パサパサな感じを受けてしまいました)
 ◆塩分の濃さ  ★★☆☆☆ (塩分はうすいです)
 ◆脂分の濃さ  ★★★☆☆ (脂分はうすくはありません、普通くらい)
 ◆鯖の生臭さ  ★★☆☆☆ (鼻の弱い私ですが、においをはっきりと感じました)
 ◆身の肉厚さ  ★★★☆☆ (内容量は普通サイズとなります)
 ◆お買い得度  ★☆☆☆☆ (この値段でこれでは・・・・・・)

私にとっては、相性がよろしくなかったです。

 ▲内容量   175g(うち固形量 120g)
 ▲購入価格  300円(税込、東急ストアにて購入)
 ▲原材料   さば、食塩
 ▲原産国   日本

 ●エネルギー  340kcal/缶  194kcal/100g
 ●タンパク質  26.6g/缶   15.2g/100g
 ●脂質     25.9g/缶    14.8g/100g
 ●炭水化物   0.2g/缶    0.1g/100g
 ●食塩相当量  1.2g/缶    0.7g/100g





3番目にいただいたのは、マルハニチロ「月花 さば水煮」です。

 

マルハニチロのサバ水煮は前回いただきました。
その日の7缶目という大ハンデを負ったにもかかわらず、それなりにおいしくいただけました。
そして「月花」は、いわばプレミアム缶といったところでしょうか。
価格も普通缶の2倍弱なので、いやが上にも期待は高まります。



サバの身が見えます。
内容液のカサ増しは小さいですね。



サバの身はが3切れ。あと細かい魚肉?が入っているようですね。



大きい魚肉は歯ごたえも十分。
まわりの小さい魚肉は柔らか目、と両論併記的な食感です。
そして味付けですが、なかなか濃いです。
脂分もなかなかで、量、質の両方の面からもボリューミーな一品といえます。
私的評価は・・・・・・

 ◆サバの旨味  ★★★★☆ (サバの旨味もしっかり出ています)
 ◆塩分の濃さ  ★★★★☆ (塩味がはっきり出ています)
 ◆脂分の濃さ  ★★★★★ (こってりですが、味付けもしっかりして負けていません)
 ◆鯖の生臭さ  ★★★★★ (においはほとんど感じることはできませんでした)
 ◆身の肉厚さ  ★★★★☆ (カサ増しが小さいので、必然的に魚肉は多めです)
 ◆お買い得度  ★★★☆☆ (量も多く、うまいですが、普通缶のコスパには一歩及ばずか)

マルハの普通缶と月花缶は、たしかに味に差がありますね。
それにしても、この日は3缶目で限界を感じてしまいました。

 ▲内容量   200g
 ▲購入価格  246円(税込、西友にて購入)
 ▲原材料   さば、食塩
 ▲原産国   日本

 ●エネルギー  414kcal/缶  212kcal/100g
 ●タンパク質  30.6g/缶   15.3g/100g
 ●脂質     32.4g/缶   16.2g/100g
 ●炭水化物   0.0g/缶    0.0g/100g
 ●食塩相当量  1.9g/缶    1.0g/100g





午 後 2 時 2 0 分

こ の 日 の 食 べ く ら べ 終 了


この日は無理せず3缶で終了。
最後の月花がかなりボリューミーだったので、これ以上は無理だったでしょうね。


残る8缶は、また後日いただきます。



「サバ水煮缶食べ比べコンプリート!」・第4話に続く。


サバ水煮缶食べくらべ・第1章~メーカー製品食べくらべ

2017-06-16 | 日記


2 0 1 7 年 6 月 5 日 ( 月 )

午 前 1 1 時 2 5 分

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



とりあえず買いそろえた15缶ものサバ水煮。



これらを食べくらべてまいります。
これらすべてを食べていく腹づもりなので、朝から何も食べていません。
そして米飯などは炊かず、サバの水煮だけをひたすら食べていきます。

行程は、まずサバ缶を食べる。



そして口直しに麦茶を1杯飲み、口内のサバの残り香?をかき消す。
次のサバ缶を食べる。
麦茶を飲む。
この繰り返しです。

食べる順番は、まったくのランダム・・・ということも考えましたが、ここではまずメーカー製のものをいただき、次にPB(プライベート・ブランド)製品、最後にメーカーの特別製をいただくこととします。



それではサバ水煮缶食べくらべ、開幕です。



最初のサバ缶は、いなば水産「ひと口さば 水煮」です。



最初のサバ缶ピラミッドの頂に置いたやつです。
商品名が「ひとくち~」というだけあって、他のサバ缶とくらべると小ぶり。
そのため価格も一番安いものとなっています。
それでは開缶!



缶を開けると、サバの身がよく見えません。
今回の食べくらべでは、なるべくサバの身の味を確かめていきたいので、余分な塩水は捨てていきます。



塩水を捨てると、ようやく見えてきました。
たしかにひとくちサイズの、小ぶりの身が4切れ・・・だったのですが、不注意で1切れをシンクに落としてしまいました。



不注意で3切れになってしまった、いなばのさば水煮。
そして画像ではよくわからないかもしれませんが、この缶詰の特徴としてショウガが数切れ入っていて、サバの生臭さを抑えています。
実食すると、歯ごたえはあり背骨も入っています。
味は全体的にあっさりした印象。ショウガが入っていることも、それを後押ししているようです。
私はショウガがあまり得意ではありませんので、ショウガはお残しとさせていただきました。

今回の食べくらべでは、サバの旨味、塩分の濃さ、脂分の濃さ、鯖の生臭さ、身の肉厚さ、お買い得度の6つの観点をチェックしていきます。
いなば「ひとくちさば水煮」の私的評価は・・・

 ◆サバの旨味  ★★☆☆☆ (あっさりめで、サバの味があまり感じられなかったです)
 ◆塩分の濃さ  ★★☆☆☆ (★が多いほど濃くなります。ショウガが塩味を抑えている感じ))
 ◆脂分の濃さ  ★★☆☆☆ (★が多いほど脂っぽいです。この製品はあっさり目)
 ◆鯖の生臭さ  ★★★★★ (★が多いほど魚臭さがありません。この製品はニオイ対策は万全か)
 ◆身の肉厚さ  ★☆☆☆☆ (食べごたえはありません。内容液もちょっと多いかも)
 ◆お買い得度  ★★☆☆☆ (量が少なく、液体が多いことを考えると割高かも)

いなば「ひとくちさば水煮」のデータです。購入価格以外は、缶に表記されている内容を転載しています。
栄養分のデータは、1缶当たりのものと100g当たりのものを記載し、黄色文字が缶に表記されている内容です。

 ▲内容量   115g
 ▲購入価格  105円(税込、西友にて購入)
 ▲原材料   さば、食塩、しょうが、野菜エキス、酵母エキス
 ▲原産国   タイ(日本産さばをタイで加工)

 ●エネルギー  147kcal/缶  128kcal/100g
 ●タンパク質  17.7g/缶   15.4g/100g
 ●脂質     8.3g/缶    7.2g/100g
 ●炭水化物   0.3g/缶    0.3g/100g
 ●食塩相当量  1.4g/缶    1.2g/100g





次なるサバ缶は、ニッスイ「魚介和惣菜 さば水煮」です。

 

わが国を代表する食品メーカー・日本水産株式会社。
缶詰製品メーカーでは最大手の会社によるさば水煮をいただきます。



開缶すると、サバの魚肉がもうすでに見えています。
これはなかなかボリューミーな水煮が出てきそうです。



液体を取り除くと、先ほどのものとは比べ物にならない大きさです。



缶から取り出した水煮。
皿の中央で大輪の花を咲かせています!
実食すると、うまい。
塩分、脂分、旨味がバランスよく出ています。
大きい肉厚の魚肉は、歯ごたえも十分。背骨は取り除かれています。

難なく完食。さっそく私的評価をしていきましょう。

 ◆サバの旨味  ★★★★☆ (サバの味を色濃く感じることができます)
 ◆塩分の濃さ  ★★★☆☆ (塩分はちょうど良い感じです))
 ◆脂分の濃さ  ★★★★☆ (こってりの部類に入りますが、嫌味な脂分ではありません)
 ◆鯖の生臭さ  ★★★☆☆ (においますが、きつくはありません)
 ◆身の肉厚さ  ★★★★★ (身が大きく、がっつりさばを食べられます)
 ◆お買い得度  ★★★★☆ (味は今日イチ。価格がじゃっかん高めなのが残念)

わが御前の評価は第2位ですが、私の中では第1位ですね。

 ▲内容量   190g
 ▲購入価格  159円(税込、西友にて購入)
 ▲原材料   さば、食塩
 ▲原産国   日本

 ●エネルギー  302kcal/缶  159kcal/100g
 ●タンパク質  32.4g/缶   17.0g/100g
 ●脂質     14.3~26.0g/缶    6.5~13.7g/100g
 ●炭水化物   0.0g/缶    0.0g/100g
 ●食塩相当量  1.8g/缶    0.9g/100g

詳細は、「ニッスイ」のホームページへ・・・といいたいところですが、なぜか商品紹介にこの製品がありませんでした。
「ニッスイ」さんはこのサバ缶をあまり押してはいないようですね・・・。



3番目にいただいたのは、田原缶詰「ちょうした 鯖水煮」

 

田原缶詰は銚子にある缶詰会社で、「ちょうした」のブランドによる缶詰が有名です。
なかでもさんま蒲焼の缶詰は、田原缶詰が元祖とされています。
「ちょうした」とは、「銚子」の「わら」という意味だそうです。



「ちょうした」のサバはいかがなもんでしょう?
開缶すると、魚肉を覆う内容液。
液体は油膜で覆われていて、脂分が強そうな感じが目でわかります。



内容液を捨てると、サバの身が3.5切れほど入っていました。

NO PHOTO

皿に盛った画を取り忘れてしまいました!
他のサバの画像を使い回し・・・潔く非を認め、「ちょうした」のサバ水煮をレポートしましょう。
この水煮は、味付けがやや強い感じがしました。
魚肉の歯ごたえは普通といったところです。背骨は入っています。
私的評価は・・・・・・

 ◆サバの旨味  ★★☆☆☆ (サバの旨味はあまり印象に残りませんでした)
 ◆塩分の濃さ  ★★★★☆ (やや塩っぽいかも)
 ◆脂分の濃さ  ★★★★★ (かなり脂っぽいです。魚肉の旨味を消しているかも)
 ◆鯖の生臭さ  ★★★☆☆ (においますが、きつくはありません)
 ◆身の肉厚さ  ★★★☆☆ (大きくもなく、小さくもなく、といったところ)
 ◆お買い得度  ★★★☆☆ (店によっては安く買えますが、私は高いところで買ってしまいました)

やはり「ちょうした」の本領はサンマなのかもしれません。

 ▲内容量   150g
 ▲購入価格  162円(税込、イオンにて購入) (※BigAで103円で売っていました)
 ▲原材料   さば、食塩、野菜エキスパウダー
 ▲原産国   日本

 ●エネルギー  245kcal/缶  163kcal/100g
 ●タンパク質  23.7g/缶   15.8g/100g
 ●脂質     16.5g/缶   11.0g/100g
 ●炭水化物   0.2g/缶    0.1g/100g
 ●食塩相当量  1.5g/缶    1.0g/100g





4食目は、極洋「さば水煮」です。

 

キョクヨー(極洋)は、日本水産(ニッスイ)、マルハニチロにならぶ大手の水産会社です。
製品は業務用が多いためか、メディアに露出する機会が多くなく、知名度はいま一つかも。
缶詰は家庭用の製品も手がけており、今回いただく「さば水煮」もそのひとつです。



開缶すると、すでに魚肉が見えています。



内容液を除いた姿。液体によるカサ増しがないのは好感できますね。



大きなかたまりのサバ4つを皿に盛ります。
今日イチのボリュームです。
実食すると、味もなかなかバランスよく、すでに3食いただいた身の私でも、抵抗なく味わえました。

 ◆サバの旨味  ★★★★☆ (しっかりとしたサバの旨味を味わえます)
 ◆塩分の濃さ  ★★★★☆ (こちらはやや塩味がきいた製品です)
 ◆脂分の濃さ  ★★★★☆ (脂分もありますが、きつくはないです)
 ◆鯖の生臭さ  ★★★☆☆ (におうものの、正常の範囲内です)
 ◆身の肉厚さ  ★★★★★ (大きいです。内容液でカサ増ししていないのもGOOD)
 ◆お買い得度  ★★★★★ (コスパ良し。味もなかなかでお買い得)

わが御前イチオシのサバ缶。御前はこれをほぼ毎日夜に召し上がっているのだそうな。
私がいただいた中でもナンバー2の味、そして優れたコスパが、御前の歓心を得ているのかもしれませんね。

 ▲内容量   190g
 ▲購入価格  105円(税込、イオンにて購入)
 ▲原材料   さば、食塩
 ▲原産国   日本

 ●エネルギー  215~454kcal/缶  113~239kcal/100g
 ●タンパク質  31.9g/缶   16.8g/100g
 ●脂質     9.5~36.1g/缶   5.0~19.0g/100g
 ●炭水化物   0.2g/缶    0.1g/100g
 ●食塩相当量  1.7g/缶    0.9g/100g





胃袋もややきつくなる5缶目は、はごろもフーズ「さばで健康 水煮」です。

 

静岡の清水に本社があるはごろもフーズは、シーチキンで有名ですね。
さて、はごろもフーズ製のサバ水煮は、通常バージョンの製品もあるのですが、近所のスーパーに置いてありませんでした。
そのため、はごろもフーズだけ、やや「変化球」気味の製品を扱うことになってしまいました。
通常バージョンのサバ缶もいずれ入手して、レポートをしていく予定です。



開缶すると、内容液で魚肉が見えません。



中身はこんな具合。

NO PHOTO

やってしまいました!2度目の撮り忘れ。
早々に食べてしまったのでした。
口にすると・・・・・・旨味のないシーチキンを食べたような印象です。

 ◆サバの旨味  ★★☆☆☆ (サバの味はあまりを感じられませんでした)
 ◆塩分の濃さ  ★★★☆☆ (ある程度の味付けはなされていました)
 ◆脂分の濃さ  ★★★☆☆ (栄養価の割には脂分もなくはない印象を受けました)
 ◆鯖の生臭さ  ★★★★☆ (ニオイについても、サバが前面に出ていない感じがしました)
 ◆身の肉厚さ  ★★★☆☆ (サイズはいたって普通)
 ◆お買い得度  ★★☆☆☆ (コスパは並、といったところ)

5食目でそろそろサバに飽きが来るころなので、それが評価に影響を与えているのかもしれないですね。
コンディションの良い時に再挑戦しようと思います。

 ▲内容量   160g
 ▲購入価格  138円(税込、イオンにて購入)
 ▲原材料   さば、食塩
 ▲原産国   日本

 ●エネルギー  198kcal/缶  124kcal/100g
 ●タンパク質  26.6g/缶   16.7g/100g
 ●脂質     10.1g/缶   6.3g/100g
 ●炭水化物   0.2g/缶    0.1g/100g
 ●食塩相当量  1.8g/缶    1.1g/100g





サバを食べるのがきつくなってくる6食目は、宝幸「さば水煮」です。

 

水産品の加工製造が本業ですが、一時倒産し、日本ハムの完全子会社となって復興しています。
現在はフリーズドライ食品など非水産品の製品が主力となりつつありますが、今回は宝幸の本分ともいうべきものをいただきます。



開缶すると、内容液の下に魚肉を確認することができます。



内容液を除くと、4切れのサバが登場。
なかなかの大きさですが、少々身崩れしているようです。



皿に盛った水煮。
かなり脂っぽく、また塩分が控えめなせいか、サバのにおいが少し強く感じました。

 ◆サバの旨味  ★★★☆☆ (サバの味を感じられる一品です)
 ◆塩分の濃さ  ★★★☆☆ (★2.7くらいのやや薄味です)
 ◆脂分の濃さ  ★★★★★ (なかなかに脂っぽい。後味に影響するかもしれません)
 ◆鯖の生臭さ  ★★☆☆☆ (少々においます。脂が強いからでしょうか)
 ◆身の肉厚さ  ★★★★☆ (肉厚のサバが入ってます)
 ◆お買い得度  ★★★☆☆ (コスパはいいです)

価格は安いものの、そこそこクセがあるように感じました。
まぁ、サバ水煮自体クセのある食べ物のように思いますがね。

 ▲内容量   190g
 ▲購入価格  106円(税込、業務スーパーにて購入)
 ▲原材料   さば、食塩
 ▲原産国   日本

 ●エネルギー  339kcal/缶  178kcal/100g
 ●タンパク質  29.6g/缶   15.6g/100g
 ●脂質     24.5g/缶   12.9g/100g
 ●炭水化物   0.0g/缶    0.0g/100g
 ●食塩相当量  1.4g/缶    0.7g/100g





もうサバは食べたくない・・・が、残り1個のメーカー品なので無理して食べます。
この日最後のサバ缶は、マルハニチロ「さば水煮」です。



マルハニチロは、遠洋漁業の大手・マルハと北洋漁業の大手・ニチロが合併した会社で、水産加工業ではニッスイに並ぶ大手です。
マルハはもともと大洋漁業といい、野球の「大洋ホエールズ」のオーナー企業でした。



開缶すると、ひたひたに入っている内容液。



内容液を除くと、しっかりした肉厚のサバが現れました。



お皿に盛り、実食。
あれだけ水煮ば~~っかり食べた割には、スムーズに口に入れることができました。
味は濃いのですが、サバ自体がうまかったです。

 ◆サバの旨味  ★★★★☆ (サバのうま味がしっかり込められています)
 ◆塩分の濃さ  ★★★★☆ (塩味は普通よりもじゃっかん強めですが、決してしょっぱいものではありません)
 ◆脂分の濃さ  ★★★★☆ (脂分も濃く、全般的にサバが強めの一品です))
 ◆鯖の生臭さ  ★★★☆☆ (ニオイは普通といったところ)
 ◆身の肉厚さ  ★★★★☆ (身は肉厚ですが、内容液がやや多めか)
 ◆お買い得度  ★★★★☆ (コスパも悪くなく、味もいいのでおすすめ)

さすがは安定のマルハです。ふぅぅ。

 ▲内容量   190g
 ▲購入価格  138円(税込、西友にて購入)
 ▲原材料   さば、食塩
 ▲原産国   日本

 ●エネルギー  322kcal/缶  169kcal/100g
 ●タンパク質  27.3g/缶   14.4g/100g
 ●脂質     23.5g/缶   12.4g/100g
 ●炭水化物   0.3g/缶    0.2g/100g
 ●食塩相当量  1.9g/缶    1.0g/100g





午 後 1 時 0 0 分

こ の 日 の 食 べ く ら べ 終 了


最初は「15缶全部食ってやる!」と意気揚々と始めたこの企画。

キツイ。

気持ち悪い。

このまま私は横になり、この日の休日を棒に振ったのでした。


調査方法を再検討して、近日中に残りのサバ缶に挑む所存です。



「サバ水煮缶食べ比べコンプリート!」・第3話に続く。


サバ水煮缶食べ比べ・プロローグ

2017-06-13 | 日記


2 0 1 7 年 6 月 5 日 ( 月 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



昨今、健康法だかダイエット法だかでサバの缶詰がブームになっているようです。

そんなブームとは関係なく、わが御前は毎日夜にサバの水煮缶を食べているそうです。
その生活を1年も継続しているのだとか・・・飽きないのだろうか?

そのサバ缶でも好き嫌いがあるようで、わが御前K社のサバ缶がお好みで、N社のサバ缶が2番目に好みだといいます。
そしてH社のサバ缶はあまり好きではないそうです。



そこで今回の食べ日記は、「サバ水煮缶食べ比べコンプリート!」
とにかく多くの種類のサバ水煮を食べ、うまいまずいを私の五官の作用で調べていくという、単純な企画です。


拙宅の周辺にある、サバ缶を取り扱っていそうなお店をしらみつぶしにあたり、



とりあえず15種類ものサバ缶をそろえました。
K社N社H社のサバ缶もしっかり用意しました。



これより、実食! とまいります。



「サバ水煮缶食べ比べコンプリート!」・第2話に続く。


「真田十勇士」攻略記・最終章~歴史は変わる?

2017-06-09 | 日記


2 0 1 6 年 5 月 6 日 ( 土 )

午 後 5 時 0 0 分 ご ろ

鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 会 場



第70回鬼ヅモ同好会麻雀大会・4日目。
この日は朝から、



「スーパー大航海時代」をプレイしていきます。

リスボン(ポルトガル)の砂糖と、ボルドー(フランス)の陶磁器で利益を上げました。
ピサ(イタリア)の美術品を他の地中海都市で売りさばき、大きな利益を上げました。
リスボンの武器と、新大陸の港・プエルトリコ珊瑚の交易で、莫大な利益を上げました。
ピサ美術品を他の地域に持っていき、路銀が底を尽きかけました。
しかしゴア(インド西岸)の綿織物をアフリカへ持っていってなんとか路銀を回復し、長崎で大きな利益を上げ、世界周航を達成しました。




「真田十勇士」ですか?

はて・・・・・・そんなゲームもありましたねぇ。



仕方ない、やるか・・・・・・。あと少しで家康を討ち取れそうだし。

















※ご注意
今回も、ネタバレの要素を多分に含みます。
このゲームを自力で攻略されたい方は、閲覧されないことをお奨めいたします。


(あ、「スーパー大航海時代」のネタバレを載せちゃいましたね)














午 後 5 時 0 2 分

上 田 城 へ 戻 る


この日は夕刻から「真田十勇士」をプレイ。

春日山の城下町で三好清海入道女史を配下にし、「十勇士」が集結した真田軍。
この勇姿をぜひとも父・真田昌幸公のお目にかけねば・・・!


上田城に戻り、父に面会。



「わしの目の黒いうちに、家康の首を取ってきてくれ」・・・・・・これだけ??
確か、十勇士をそろえて昌幸に会うと、三河攻めの作戦を・・・ 仕方がないので、まだ行っていないところをしらみつぶしに当たってみることにしました。


そういえば天竜の町の近くで「舟を貸してやる」と言っていたおっさんがいました。



こうして真田軍は、上田→春日山→金沢→諏訪→小田原→天竜と長い行軍を経て、船着き場へ。
熊野の船頭・根津甚八に命令し、出帆。



天竜の対岸・三河国へ上陸しました。
山々に囲まれた城は、家康の居城、おそらく岡崎城でしょうか。
ですが・・・・・・



ここから岡崎城には到達することはできません。
霧隠才蔵に命じても、先には進めないとのこと。



ここで出ました! お父上の出番です!
武田信玄「我が両眼」と評され、豊臣秀吉からは「表裏比興の者」と評された戦国屈指の策士。
いったいどんな作戦を立てるのでしょうか?


そんなわけで、再び上田城へ。
もちろん「ルーラ」(ドラクエの移動呪文)なんて気の利いたものはないので、天竜→小田原→諏訪→金沢→春日山→上田と歩いて戻ります。




午 後 5 時 2 0 分

ふ た た び 上 田 城 へ 戻 る


稀代の謀将であるお父上・真田昌幸公にお目通り。



さあ、三河攻めの秘策を授けてもらいましょう!



「誰もその存在を知らぬ謎の島」。



「あじと」って、思いっきりロシア語じゃねえか!
(агитпункт ;「アジトプンクト」と読むらしいです)



なるほど・・・小田原から船で「あじと」に乗り込むようです。



秘策、以上!
秘策というより、「あじと」の場所とそこに乗り込む方法を教えてくれただけでした。
「あじと」に乗り込んだ後は、己の才覚で道を拓けということでしょう。
しかし、何年も前から小田原に船を隠し三河攻めに備えておくあたり、さすがは稀代の謀将といったところです。



ともかく、ま~~~た上田から小田原まで歩いていきます。




午 後 5 時 2 7 分

徳 川 の あ じ と に 討 ち 入 り


小田原の南、日本地図でいうと伊豆稲取のあたり。



今回もまた、1本だけ向きが異なる大木。
今回もまた、三好伊三入道の力を用いて、船を発見します。
今回もまた、根津甚八の力で、船を出帆します。



「あじと」のある島に上陸しました。
ここから先は敵地です。



敵の数は十数人・・・なんて生易しいものではなく、100人超の部隊、200人に達することもあります。
そしてここが重要なのですが、敵の前口上はかならず「密命によりお命頂戴」「家康様の命令で」と述べます。
つまりは、敵方を説得して味方の部隊に加えることはできないということです。
これよりは、できるだけ余分な戦いを避けていかなければならないのです。



さて島に上陸すると、余分な戦いを避けたいという思惑に反するかのように洞窟が3つ。当然、フェイクの洞窟があるわけです。
まずは中央の洞窟に入りましょう。(画像中、幸村様のそばにある洞窟です)



「あじと」のある所に出られます。
扉っぽい障害物は、



三好清海入道に命令して、開けてもらいます。



「あじと」へ踏み込むと、そこには侍がひとり。
家康に逆らったということで、ここに閉じ込められていたようです。
三河への進入方法を聞き出すことができました。

ここまでの道を引き返し、



今度は船着き場寄りの洞窟へ。
軍備が心もとない場合は、小田原へいったん引き返す方がよいと思います。



洞窟を抜けて、謎の島の西岸へ。
三好伊三根津甚八の力で、いざ三河へ!




高く険しそうな山々に囲まれた岡崎城。実際の岡崎城は平地にある平城なのですけどね。
ともかく家康の首を取るべく、城攻め開始!




午 後 8 時 0 4 分

決 戦 ! 岡 崎 城


 

 



城攻めの前の食事。腹が減っては戦はできませんからね(^^♪



それでは改めまして、岡崎城攻め開始!



むむむ・・・さすがは家康。
城内は迷路になっていて、消耗戦を余儀なくされます。
まずは左側の道(幸村様の向いている方向です)に入り、最初の丁字路を左折します。
あとは道なりに進めば、家康が待ち受ける天守閣に到達します。

天守閣は扉が閉ざされているので、三好清海に命じて扉を開け、中へ。



上への階段はふたつあり、右寄りの階段が最上階へ通じています。



そしてついに、徳川家康その人と対面。



ここに来ての物価変動。
この時代の最重要人物が討ち取られようとしているということで、財界が敏感に反応したのでしょう。


最終決戦。ここでも家康本人は戦いません。



甲賀忍者170人隊。



僧兵180人隊。



伊賀忍者190人隊。



槍部隊200人。



剣士210人隊。



鉄砲隊220人。



根来忍者230人隊。



くの一240人隊。



そしてラスト、侍250人隊
本多、井伊、酒井、榊原、鳥居、大久保、渡辺、夏目、服部、平岩、諸々の武将が襲いかかってきたのでしょうか?
あ、服部は伊賀部隊かな?

これらの部隊を打ち破り、





見事、家康の首級を上げることができました。




午 後 8 時 2 0 分

上 田 城 へ 凱 旋




家康の首級をあげ、上田城へ凱旋する真田軍。

 

幸村と十勇士に、昌幸公からねぎらいの言葉がかけられます。









そして大団円。




午 後 8 時 2 3 分

歴 史 は 変 わ っ た の か ?




その後の歴史は変わったのでしょうか?



ここでなんと、家康の三男・徳川秀忠が登場。
岡崎時代の家康ですから、長男・信康と二男・秀康がいるはずですが、秀忠が家督を継いだのでしょう。
真田軍は家康の首を取ったのですが、徳川軍を完全に叩き潰さなかったのです。なんという手ぬかり(T_T)



歴史は変わることはなく、1600年の関ヶ原を迎えてしまったようです。



・・・・・・ついに大泉洋さん真田信之(幸村の兄)は登場しませんでした。



「真田十勇士」攻略記  完

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「真田十勇士」攻略記・第5章~十勇士集結

2017-06-02 | 日記


2 0 1 6 年 5 月 5 日 ( こ ど も の 日 )

午 後 7 時 3 0 分 ご ろ

鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 会 場



第70回鬼ヅモ同好会麻雀大会・3日目、夜。
この日は朝から、



「真田十勇士」を進めていたのですが・・・・・・

飽きちゃいました。



気分転換に始めた「スーパー大航海時代」にハマってしまいました。
家康の首は取らなくてもいいかな~なんて思い始めていましたが、「大航海時代」も十分楽しんだところで「十勇士」の攻略に戻ります。
















※ご注意
今回も、ネタバレの要素を多分に含みます。
このゲームを自力で攻略されたい方は、閲覧されないことをお奨めいたします。
















午 後 7 時 3 7 分 ご ろ

京 都 へ 向 か う 道 に て


那智の滝にある小屋で仲間にした筧十蔵によると、家康の本拠地・三河へ攻め入るには船が必要らしいのです。
そして、船を手に入れるには京都に行く必要があるというのです。



道をふさぐ岩・・・ということで、三好伊三入道に命じますが、今回は一筋縄ではいかないようです。



まずは霧隠才蔵に命じて情報収集。



次いで海野六郎に命じて物探し。
岩の呪いを解くべく、いったん大坂へ引き返します。


大坂の城下町北側にある商人の家にて。



「なにわの商人はけちやと思いまっか?」と聞いてくるので、「いいえ」と答えます。
すると気をよくした商人は、タダで岩の呪いを解く「まきもの」を譲ってくれます。


それでは京都へ。



「まきもの」を持った状態で伊三入道に命令すると、伊三が呪文を唱えて岩をどけてくれました。




午 後 7 時 4 7 分 ご ろ

京 都 の 街


真田軍、ついに上洛を果たしました!
これで将軍を奉戴して諸侯に命令を・・・ということはなく、あくまで京都は途中のひとつの街。



街というよりむしろ村? いちおう大文字山があるようですね(^_^;)
この大文字山のふもと?にあるお寺にて。



このお寺を祈り倒す(何回も祈る)と、僧侶がついに船のありかを白状します。

 

京都の街の北、日本地図でいうと若狭湾沿岸。
京都の街からかなり近い場所に、ひとつだけ向きが逆の大木があるので、伊三入道に命じて大木をどけてもらいましょう。
このとおり船が出現します・・・が、この時点では使えません。船頭がいないからです。


京都では、腕の良い船頭が熊野にいるという情報が聞けます。
熊野といえば古来より水軍の本拠地として知られています。
源平の合戦では、源義経の軍勢に加勢し、壇ノ浦といった戦いで勝利に貢献しました。

熊野は京都の南東、紀伊半島の南東部にあるはずですが・・・
このゲームではなぜか熊野は琵琶湖の西岸にあります。



町のはずれにいる女の子。
「貧しい私に恵んでください」といってなんと1000両も要求してきます。
しかしここは我らが幸村様。
1000両という大金ももはやハシタ金だといわんばかりに、女の子に分けてあげました。
このときの所持金が11295両

どれだけ多くの侍や忍者や盗賊や農民やらをぶちのめしてきたことでしょう。
飽きるくらいの戦闘を重ねてきました。そして実際飽きました。


むなしく増えていった所持金・・・使い道はもはや兵糧の購入だけ。
その兵糧も、1回で50ずつしか購入できないという面倒臭さ。
兵糧購入もやらなくなり、小判はますます貯まっていきます。

さて女の子に1000両を恵んでから、そばにいた男に話しかけると・・・



熊野の船頭・根津甚八が仲間になります。
そういえば根津甚八という俳優さんもいましたが、彼の芸名のもとになったのが真田十勇士の根津甚八です。

このゲームでは、根津甚八は根来衆(根来忍者)ということになっています。
敵キャラの根来忍者はそこら辺をうろついているので、部隊の増強にはそれほど苦労はしないと思います。
また武器は吹き矢です・・・・・・根来衆なのに。




日本地図でいう若狭湾に停泊中の船。
これに乗り根津甚八に命令すると船が出帆、同じ日本海側の金沢付近に戻ることができます。




午 後 8 時 0 0 分

北 陸 地 方 を さ ま よ う


さて最後の十勇士・三好清海入道を探し、北陸地方へ。
清海が北陸にいるという情報はないのですが、京都から金沢へ移動するという流れに従えば、たぶん北陸かと・・・。



信州・越後の国境近くに住む物知り爺さんの家を、久しぶりに訪れます。
すると、「清海というがいるのじゃ」というヒントを得られます。
そして清海は「おきよ」を名乗っているといいます。

え? 入道じゃないの? しかも性転換してるし。

ともかく爺さんのヒントをもとに、「おきよ」を探していきます。
たどり着いたのは、春日山城です。

当初「おきよ」はそっけない返答しかしないのですが、



筧十蔵に命令して、「えーい!! 透視の術!!」をしてもらうと、清海が素性を明かします。
ちなみにこの「透視の術」、出番は今回限りです(T_T)



三好清海三好伊三、感動の再会です。

清海はくの一という設定で、率いる部隊もくの一隊です。
くの一もそこら辺をうろついているので、部隊はすぐに調うでしょう。
ちなみに武器は短剣です。



ゲームを始めて数時間、ここに真田十勇士が集結したのです。
次回、真田軍は三河へと進撃、ついに家康との戦争に臨みます。



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