鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

参拝!出雲大社・後編~おみくじ引くのはどうでしょう

2023-04-09 | どうでしょうロケ地


令 和 元 年 神 在 月 廿 参 日 ( 水 )

午 前 拾 壱 時 四 拾 七 分

島 根 県 出 雲 市

出 雲 大 社 ・ 西 十 九 社 前



縁結び祈願をすべく、出雲大社へ。

 

松の参道にて。
こちらは縁結び祈願ではなく、島根県に来たことがないという理由だけで来てしまった四人組のスタート地点。
水曜どうでしょう「サイコロの旅・第4弾」、スタート地点はいつもの東京ではなく、ここ出雲大社でした。

 

「何が出るかな~、何が出るかな~、それはサイコロ任せよ」
大泉さんがはり切って投じたサイコロは3の目を出し、一行は広島に向かうこととなります。

大泉さんがサイコロを投じたのは、なんと22年前!のこと。
令和の御代となり、出雲大社の松の参道には石畳が整備され、松の木が何本か伐採されたようですね。



 

八足門【国指定重要文化財】の前で、二拝四拍一拝



参拝後、どうでしょう班の皆様はここでおみくじを引きます。



大「旅行 よろし!」
鈴「旅行 同じくよろし!!」


・・・と、素晴らしいサイコロの旅ができそうですが、

鈴「方位 南、吉!!!」

・・・と、北の札幌に帰るのが目的の彼らに、なんともキツいご神託。
作中で「ダメ人間」と罵倒されるミスター、さすがです。



どうでしょう班に倣って、私もおみくじを引きます。



結婚  よい。

出雲大社のおみくじは「大吉」「凶」といったものはありません。
メッセージを読むことが重要であるといいます。
しかし縁結び祈願の出雲大社で「結婚 よい」といわれると、なんだか舞い上がってしまいますね。

失物  見つからず。

・・・と、一部マイナスのメッセージも。
運勢は「大吉」ではなく、「中吉」くらいでしょうか。
そして私は、この日千葉へと戻るのですが・・・

旅行  よい。
方位  東よい。


・・・というわけで、この上ない旅立ちを迎えられそうですね。

 

どうでしょう班がおみくじを確認していたのは、西十九社【国指定重要文化財】脇の「おみくじの木」の前です。
当時は木の枝にもおみくじが結ばれていましたが、この日は木の幹のみにおみくじがありました。
とはいえあの太い木の幹が、おみくじの「衣」をまとっているかのような姿は、なかなかの迫力です。



「神様サミット」において、神様がお泊りになるのがこの十九社。



大泉さんのうんちくでは、「ロイトン出雲大社」と呼ばれていましたね。



おみくじの結果に満足した私は、このまま出雲大社の境内を出ました。



西十九社の脇の出口は、神楽殿へと通じています。



神楽殿に掛る大しめ縄
全長約13.6メートル、太さは最大で約8メートル、重さは約5.2トンで、日本最大級。

日本最大「級」ということは、ほかにも大きなしめ縄が掛かっている神社があるのです。
それは、茨城県笠間市にある常陸國出雲大社
こちらのしめ縄は全長約16メートル、重さは約6トンで、いずれも日本最大。
太さは約2メートルで、こちらは本家?の出雲大社に軍配が上がります。

そしてこの神楽殿付近には、もうひとつの日本一が存在します。
私はすっかりスルーしてしまったのですが、神楽殿付近に掲げられている日章旗(日の丸)です。
縦9メートル、横13.6メートルで、畳75枚分の大きさを誇り、重さも約50kgあるそうです。



神楽殿から西へ。
早めのお昼をいただいた「八雲」さんの方へと歩いていきます。



神楽殿のお隣にある、千家(せんげ)国造(こくそう)
こちらは、出雲大社の宮司を代々務める出雲国造家の住まいです。
「国造(くにのみやつこ)」なんて古代の日本史で出てくるような単語を、令和の御代になって目にするとは思わなかったですね。

出雲国造家では、室町時代初頭に内部紛争が起き、千家北島家の2家に分かれてしまいます。
出雲大社の祭祀は2家で分担されるようになり、偶数月は北島家、奇数月は千家が執り行っていました。
明治になると出雲大社は神社本庁の傘下に置かれ、出雲大社の宮司は千家が継承することとなりました。



門から中をうかがいました。
落ち着いたたたずまいの書院でしょうか。
大正天皇が歴代天皇として初めて出雲大社を行幸されたおりに、滞在されたのがこの書院です。





ふたたび「八雲」さんに到着しました。





出雲そばはどうでしょう・前編~出雲大社前「八雲」

2023-04-09 | どうでしょうロケ地


令 和 元 年 神 在 月 廿 参 日 ( 水 )

午 前 拾 時 参 拾 九 分

島 根 県 出 雲 市

出 雲 大 社 神 楽 殿



出雲大社縁結び祈願
その前に早い時刻ではありますが、お昼を済ませてしまいます。



境内からいったん退出し、巨大なしめ縄がかかる神楽殿を見やりつつ、旅に出る前からあらかじめ目をつけておいたおそば屋さんへ。


神楽殿から300メートルほどで、目的のおそば屋さん・・・



「八雲」本店に到着しました。





中に入るとまずテーブル席があり、奥に座敷席があります。
私が着座したのはもちろん座敷席
ですがこの席ではないところがいいなぁ・・・。

私が座りたかった席には御婦人の方々がいらっしゃったので、「八雲そば」の提灯の正面にあるこの席でおそばをいただくことにしました、



注文してから約10分後。



出雲そば、割子三段!・・・・・・うまいっ!!
お出汁は旨味、塩味、そしてほのかな甘みがじつにバランス良く、最も私好みの味でした。
そばも風味が立っていて美味しかったです。

出雲そばは、割子と呼ばれる丸みを帯びた小さめの漆器に、そばと海苔やねぎなどの薬味が一緒になって供されます。
お出汁は別の器に入っており、それを直接割子のそばにかけて食べます。
上段の割子そばを食べたら、残っているお出汁や薬味などを次の段の割子にかけ、さらに必要に応じてお出汁を足します。
そして下段の割子そばを食べ終えて残ったお出汁などは、空いている器に移してから、これにそば湯をついで飲みます。

お値段は、割子三段が750円、割子五段が1,250円、つまりは割子1段につき250円のようです。
しかし、こんなに美味いのなら三段じゃなくて五段にすればよかった!



そばを食べ始めてから数分、くだんの御婦人方がお帰りになりました。
この機を逃さず、店員さんに尋ねます。

「とても厚かましいお願いなのですが、お膳ごと席を移動してよろしいでしょうか」

店員さんは「変わった客だな」と思ったか思わなかったかはともかく、移動を承諾してくださいました。
というわけで・・・

 

入口から見て一番奥の座敷席、床の間脇のこの席こそ、水曜どうでしょう「サイコロの旅・第4弾」にてどうでしょう軍団が出雲そばを食べていた席なのです。
五段割子を召し上がる大泉さん、隣りには三段割子?を召し上がるミスター
画角は大泉さんをまっすぐに捉えているので、私が座った席はカメラマンの嬉野ディレクターが座ったのでしょう。



私は嬉野Dの座った席で、残りのそばとそば湯を愉しみます。



そば湯・・・うまい!



出雲そば、おいしゅうございました。

八雲さんのおそばは、ヒゲこと藤村ディレクターを唸らせ、

「その時食った『出雲そば』が美味くて美味くて忘れられなかった。
 それ以来、そば日本一の座は『出雲』がどっかり腰をおろしていた」

 (水曜どうでしょう「ウラ話 番組スタッフからのメッセージ」より)

と云わしめた逸品。
その記述に違わぬ美味さを、私も味わうことができて感無量でした。





千里浜で海岸地形を学ぶ

2023-01-29 | どうでしょうロケ地


令 和 4 年 ( 2 0 2 2 年 ) 7 月 2 7 日 ( 水 )

午 後 5 時 3 8 分

石 川 県 羽 咋 市

金 沢 に 向 か っ て 走 行 中



第2王子が熱望していたのと鉄道西岸駅の訪問を終え、一路金沢へ。
第2王子は早くも眠りにつき、女王様のサポートのもと、私の運転で能登半島を横断。

そして能登半島の西側、すなわち日本海へ。
ここからはのと里山海道というフリーウェイで一気に金沢に進めるのですが・・・

時は夕刻、場所は日本海。
日本海に沈みゆく夕陽を眺めていきたいところです。

そこでなるべく海岸沿いを進めるルートで、石川県を南下していきます。



石川県の海岸沿いといえば・・・わかる人にはわかる砂浜海岸。
というわけでここで砂浜海岸について勉強しましょう♪

海岸地形は難しそう? だいじょうぶ!



我々にはあの大泉校長がついているではありませんか!

川の流れによって削られた土砂は、やがて海に出ます。
海に出た土砂は海水によって流されていきますが、流れが緩やかな所で留まり積もっていきます。
こうして砂浜海岸が造られていくんですね。

ポイントは、川の流れが削った土砂によって砂浜ができるということ。
近年砂浜がなくなっているという問題は、川の護岸工事やダム建設により川に流される土砂が減少したことによるものなんですね。
↑ここ、試験に出ますよ!・・・というか出ましたよ~!

そして流された土砂は重い順に積もっていくので、まず先に粒の大きいもの、次第に粒の小さいものが積もっていきます。

石川県には、比較的大きな川に手取川があります。
その手取川が運んだ土砂は日本海に出ると、暖流の対馬海流によって北に運ばれていきます。



対馬海流が北に進むと、石川県羽咋(はくい)市で日本海に突き出ている滝崎にぶつかります。
すると海流は勢いを大きく削られて陸地側にUターンし、粒のきわめて細かい砂が積もっていきます。



こうしてできた砂浜海岸、千里浜(ちりはま)にやってきました。
う~む、前置きが長かったですねぇ。
爆睡中の第2王子もいったん下車。



柏ナンバーのごついVOXYさんを、砂浜の駐車場に停めております。
ここは日本で唯一自動車が通行できる砂浜・千里浜なぎさドライブウェイ



踏みしめて歩いてもこのとおり、沈んでいきません。
自動車ですら沈まないわけですから、人ひとりなど当然沈みませんよね。





時は夕刻、日没まではあと1時間といったところでしょうか。
日本海に沈みゆく夕陽、見てみたいですね。



北を見やると、日本海側に突き出ているのが滝崎
自動車も通れるきめ細かな砂浜を造った要因ですね。




午 後 5 時 5 1 分

道 の 駅 の と 千 里 浜


第2王子「トイレ行きたい」

体調な良好な者も不良な者も、車で寝れない者もはたまた爆睡している者も、平等に訪れる機会、それは排泄。
千里浜からいったん離れ、



道の駅のと千里浜へ。



道の駅のお土産物店や飲食店はすでに営業終了していましたが、敷地内にあるサンドアートをしばし観賞。
千里浜の砂は粒がきめ細かいので、サンドアートにはとても向いているのだといいます。



道の駅のサンドアートは一年中展示されているそうです。
そしてなぎさドライブウェイにも夏季だけサンドアートが展示されているとのことでしたが・・・
砂浜を自動車が走ることにただただ感嘆していた我々には、サンドアートを見つけることはついにできませんでした。



・・・踏まないように気を付けましょう。




午 後 6 時 0 2 分

ふ た た び 千 里 浜 な ぎ さ ド ラ イ ブ ウ ェ イ へ










どうでしょう班も通った千里浜なぎさドライブウェイですが・・・

この画の場所、どこにもねぇぞ!



どうでしょう班の画は日本海が左側、つまりは南から北上しています。
これに対して我々はこれから金沢に向かう、すなわち北から南下しているのです。

ということはこれらの画は、なぎさドライブウェイの終点付近にあるというわけですが・・・
疲労困憊の我々にそのスポットを探す余力はありませんでした。



午後6時12分、千里浜なぎさドライブウェイ、終点へ。



見事なるかな、日本海の夕陽!



なぎさドライブウェイを離れた我々は、のと里山海道というフリーウェイでなおも日本海沿岸を南下していきます。
その間は、砂浜海岸の集中講義を続きからどうぞ~。



海流によって流された土砂によって砂浜ができることは述べましたが、中には特殊な砂浜が存在します。



砂浜が海に飛び出すように積もってできたものを砂嘴と呼びます。
「嘴」は訓読みで「くちばし」、つまりは「砂でできたくちばしみたいなやつ」ということです。
砂嘴の代表例は北海道の野付崎、知床半島と根室半島の間にある釣り針みたいな半島です。



砂嘴が成長し入り江を形成したり、あるいは入り江を完全に塞いでしまった場合、その砂浜は砂州といいます。
砂州の代表例は、京都府にある天橋立(あまのはしだて)ですね。



また陸地と島の間は海流が緩やかになりやすく、したがってここでも土砂が積もりやすくなります。
こうして陸地と島が砂浜で繋がった場合、繋がった島を陸繋島といい、繋げた砂浜を陸繋砂州、またはイタリア語でトンボロといいます。

藤「あんまり覚えなくてもアレですけど・・・」  ←大ウソツキ
大「谷啓が吹く・・・」 鈴「それはトロンボ~ン」

陸繋島の代表例は北海道の函館山で、函館の市街地がトンボロに当たります。
関東では神奈川県の江ノ島が陸繋島の代表例ですね。



さらに砂州によってせき止められてできた湖を潟湖、または英語でラグーンといいます。
潟湖の代表例は秋田県の八郎潟



そして石川県の河北潟です。

これらの砂浜海岸は、体操で覚えてしまいましょう!

 

 

これで完璧ですね!
地形の成り立ちを考慮すると、砂嘴→砂州→潟湖=陸繋島の順がベストではありますが。
でもどうでしょう藩士にとっては、潟湖→砂州→砂嘴→陸繋島なんですよね。


我々がこれから向かうのは、金沢。
河北潟は、まさにこれから通るところです。

 

そして肝心のこの場所、はっきり言って特定不能。
画もただの砂浜で、ヒントに乏しすぎます。
それっぽい場所をGoogle Mapさんのストリートビューで確認しようとしても、見ることができません。
私としては能登島大橋ロードパークでできなかった分、この場所でしっかりと砂浜海岸体操をしたかったのですが、これも断念。




午 後 7 時 3 3 分

ホ テ ル イ ン タ ー ゲ ー ト 金 沢




金沢で~一泊!!・・・はまだ早い。
これより夜食を求め、金沢を歩かなければならないのでした。


早よぅ~眠らせてください・・・。





鳥取砂丘・後編~黒歴史の地

2020-06-21 | どうでしょうロケ地


令 和 元 年 神 無 月 廿 日 ( 日 )

午 前 八 時 廿 三 分

鳥 取 砂 丘 出 入 口







鳥取随一の名所・鳥取砂丘で悠久の時を過ごしました。

 

鳥取砂丘のメインの出入口から、私は砂丘を後にしますが・・・
この出入口こそ、どうでしょう班が鳥取砂丘に足を踏み入れた出入口であります。

「原付西日本制覇」・・・どうでしょう班が、京都から鹿児島までカブで旅をするという企画。



お土産物屋やお食事処が建ち並び、観光客用の駐車場が整備されていて、石碑まで立っているこの場所。
ここが、水曜どうでしょう最大の黒歴史の始まりの地であったのですね。





どうでしょう班も砂丘に足を踏み入れ、高くそびえ立つ馬の背へと歩き出したのでしょう。
そして馬の背を乗り越え、日本海が見渡せるところへ。


ここで・・・砂丘に「水曜どうでしょう」と大書。

鳥取砂丘は山陰海岸国立公園の区域に指定されているので、自然公園法という法令の適用を受けます。
その自然公園法では、

「特別地域(特別保護地域を除く。以下この条において同じ。)内においては、次の各号に掲げる行為は、国立公園にあつては環境大臣の、国定公園にあつては都道府県知事の許可を得なければ、してはならない。
 四 鉱物を掘採し、又は土石を採取すること。
 七 広告物その他これに類する物を掲出し、若しくは設置し、又は広告その他これに類するものを工作物等に表示すること。・・・」

(自然公園法第20条第3項)

とあり、また、

「特別保護地区内においては、次の各号に掲げる行為は、国立公園にあつては環境大臣の、国定公園にあつては都道府県知事の許可を得なければ、してはならない。ただし、非常災害のために必要な応急措置として行う行為は、この限りでない。
 一 前条第三項第一号、第二号、第四号から第七号まで、第九号、第十号、第十五号及び第十六号に掲げる行為。・・・」

(自然公園法第21条第3項)

とあります。
鳥取砂丘は砂地の部分が特別保護地区、それ以外の部分が特別地域に指定されています。
そして、これに違反してしまうと、

「次の各号のいずれかに該当する者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
 三 第二十条第三項、第二十一条第三項、・・・の規定に違反した者」

(自然保護法第83条)

というように、刑事罰の対象となってしまいます。

本件の場合は、番組名を書いてオンエアーしたことが「広告物」を掲出したと解釈されてしまったというのです。
このことが問題化したのはオンエアーから7年たった後のことであったので、すでに公訴時効にかかっていたため摘発はされませんでした。
どうでしょうのDVDでは、この大書のシーンは大きくカットされることとなりました。


ちなみに、どうでしょうの問題があった後に制定された日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例では、自然公園法上の「広告物」に限らず、砂地に落書きを大書することを禁じています。

「何人も、みだりに次に掲げる行為をしてはならない。
 一 文字、図形又は記号(それが内包できる最小の長方形又は円(複数の文字、図形又は記号が一体となって特定の内容を表現しているときは、当該複数の文字、図形又は記号の全部を内包できるものとする。)の面積が10平方メートルを超えるものに限る。)を鳥取砂丘の地面に表示すること。」

(日本一の鳥取砂丘を守り育てる条例第10条)



もうひとつの問題シーン。



砂丘の砂、持ち帰り。

カブの企画では、土地土地のものを積荷にして運ぶシーンが通例となっています。
前を走るミスター・鈴井貴之氏の運んでいるのは、出石のそば粉
そして大泉洋氏の運んでいるものが、鳥取砂丘の砂だというのです!

砂丘の砂を採取することも、自然公園法に反する行為となっています。
DVDでは、大泉さんの積荷をすべてカットするのは不可能だったようですが、積荷が何なのかはまったく触れられないままとなっています。




私は砂を持って帰ってはいませんよぉ!

たしかにどうでしょう班は法令違反行為をしてしまいましたが、このことが自然公園法上の禁止行為についての啓発になったことは否定できません。
彼らの轍を踏まないように注意しつつ、風光明媚な鳥取砂丘の佳景を味わい、私は砂丘を後にしたのでした。





ゲストハウス

2020-06-21 | どうでしょうロケ地


令 和 元 年 神 無 月 十 九 日 ( 土 )

午 後 七 時 十 分

J R 鳥 取 駅





JR鳥取駅に到着。
この日は早朝の竹田城登山に始まり、急きょ向かうこととした福知山城、そして雨降りしきる出石城の3城を制覇しました。
もはや気力も体力も尽きかけており、さっさと宿屋に向かいたいところです。



「鳥取へようこそ」
展示されているしゃんしゃん踊りの巨大な傘をじっくり眺める余裕はありません。



今宵のお宿のある鳥取駅北口へ。



宿に向かう前に、駅ナカので食糧を確保しておきました。
この日はとくに疲れていたので、食事のために街に繰り出すことさえも億劫になっていたのです。
パンは、私がよく食べるちぎりチョコパン
そして飲み物は、コーヒー牛乳コーヒー豆乳の2本です。

コーヒー豆乳は、「すなば珈琲 コーヒー味豆乳」
愛知県岡崎市に本社を構える味噌・豆乳製造会社マルサンアイが、鳥取の「在来種」というべきすなば珈琲監修のもとでできた商品で、マルサンアイの鳥取工場で生産されているということで、土地土地のものを賞味するという今回の旅のテーマにうってつけの飲み物です。

コーヒー牛乳は、「白バラコーヒー」
鳥取県のすべての酪農家が組合員となっている大山(だいせん)乳業農業協同組合の商品で、「最強のコーヒー牛乳」の呼び声も高いとか。
これまた土地土地のものを賞味するという今回の旅のテーマにうってつけの飲み物といえますね。


さて今宵の宿は、表題にもあるとおり「ゲストハウス」

じつは旅立ち前にホテル予約サイトで鳥取の宿を検索していたおり、駅からやや遠いところにあるビジネスホテルを予約していました。
その後再度サイトで検索をしたところ、ゲストハウスというのが私の眼に止まったのです。
「ゲストハウス」というのが気にかかるところでしたが、個室で予約できるということ、それに駅近だし、宿泊料金も安くなるので、ビジネスホテルから鞍替えしたのでした。

このとき私は、ゲストハウスの恐ろしさを理解していなかったのです・・・。



鳥取駅北口から徒歩5分、ゲストハウスに到着。
中に入ると・・・1階はパブになっているのか。
チェックインを済ませて、客室のある2階へ・・・ううむ、なんと窮屈な感じ。

2階に上がると・・・これまた窮屈な感じの交流スペースとかいう空間
テーブルには、メガネをかけた30代くらいの男がリンゴのノートPCを開いて、何かやっている模様。
私は宿泊者との交流などするつもりはなかったので、そそくさと私の個室に入っていきました。



ダブルベッドがひとつあるだけの部屋。
この部屋が、今宵の私の寝床となります。
ここはゲストハウス。
テレビもねぇ~ラジオもねぇ~とかいう吉幾三御大の唄どことではない、テーブルひとつありません。
ダブルベッドが部屋の3分の2を占めており、とにかく狭く圧迫感を感じてしまうほど。
クローゼットもない、トイレもシャワーも共用。
そして飲食は交流スペースですることになっており、個室での飲食は禁止されています。


はぁぁぁ・・・宿屋を変更しなければよかった。


Tシャツにおパンツのラフな格好となった私は、他の宿泊者と交流する気など全くなかったので、エアコンをガンガンかけて部屋に閉じ籠りました。
そうだ、手持ちの資料とともに、翌日の予定を確認しておかねば。

JR鳥取駅から路線バスに乗車し、鳥取砂丘へ。
  鳥取駅前 7時00分発 → 砂丘東口バス停 7時20分着
・鳥取砂丘に約1時間ほど滞在し、その後鳥取城を登城。
  砂丘東口バス停 8時52分発 → 西町バス停 9時04分着
・鳥取城を約2時間かけて登城し、JR鳥取駅に戻って、適宜昼食をとる。
  西町バス停 11時18分発 → 鳥取駅前 11時26分着
・鳥取駅からJR因美線・若桜鉄道を経て、若桜(わかさ)鬼ヶ城へ向かう。
  鳥取駅 12時21分発 → 若桜駅 13時08分着

日本100名城の鳥取城、続日本100名城の若桜鬼ヶ城は、どちらも山城。
翌日は山登り2連発があるので、鋭気を養っておかねばなりません。
若桜鬼ヶ城の最寄駅・若桜駅への列車は本数がかなり少なく、山登り&下山を考えると、鳥取駅12時21分発の列車が最後となりそうです。
次発列車は若桜駅15時09分着となってしまうので、山を登り始める時刻としては現実的ではありません。

そして若桜駅から発車する列車は、15時16分発、16時13分発、17時29分発、18時48分発のどれかになりそうです。
15時16分発の列車は、若桜鬼ヶ城の登城を強行軍で行わなければなりませんが、境港へ寄り道することができます。
16時13分発の列車は、境港への寄り道ができなくなりますが、若桜鬼ヶ城が余裕をもって登城でき、またお宿のある松江に問題なく到着できます。
17時29分発の列車も同様ですが、これは松江に到達できる最終列車となります。
18時48分発の列車は、これに乗ってしまうと特急を使わないと松江に到達できない、いわば非常手段といったところ・・・できればあまり使いたくない手です。


これにて準備は万端、あとは休んで鋭気を養うだけ・・・。
・・・部屋の壁が薄いようで、隣りの部屋から話し声がよく聞こえてしまいます。
・・・・・・・・・柏でお留守番の女王様に、LINEで思いっきり愚痴をこぼし、夜は更けていきました。


これが、ゲストハウスなんですね。




令 和 元 年 神 無 月 廿 日 ( 日 )

午 前 六 時 三 十 二 分

J R 鳥 取 駅




「鳥取の街、何もないですね! まぁ二度と来ないから、いいでしょう!」



水曜どうでしょうでは、「サイコロの旅3」ミスターが鳥取をこのようにこき下ろしています。
東京からのサイコロ1投目で、深夜バス「キャメル号」鳥取行きが出てしまい、おそらく疲労困憊で鳥取の地に下り立ったどうでしょう班。
DVDでの藤村Dの解説によると、鳥取に着いた彼らは市内の喫茶店で食事をすることとしたのですが、その店内でサラリーマン風の男とスナックのママのような女が大声でしゃべっていたようで、ミスターの心証を大いに害したのだそうです。



私も鳥取のゲストハウスにお見舞いされてしまったわけですが、この日はさらに鳥取さんに翻弄されてしまったのです。


今回の旅の教訓・・・

メシより宿!
ゲストハウスよりビジネスホテル!






激闘!出石皿そば

2020-05-06 | どうでしょうロケ地


令 和 元 年 神 無 月 十 九 日 ( 土 )

午 後 一 時 廿 二 分

兵 庫 県 豊 岡 市

全 但 バ ス 出 石 営 業 所



「但馬の小京都」出石(いずし)にやってきました。



全但バス出石営業所から、出石の城下町を歩きます。
出石営業所は城下町のややはずれにあるので、



谷山川という小さな川を渡って、城下町に入ります。
そのまままっすぐ歩いていき、



信号のない細い道の丁字路。
斜向かいにある成田酒店さんが目印のところを入っていきます。



本町通りという小路へ。

 

最初の十字路・田結庄(たいのしょう)を過ぎると、



雰囲気ある街並みとともに、道沿いに現れ始めるそば屋



三つ目の十字路・大手前通りとの角にあるのが、



今回おじゃまする「正覚田中屋」さんです。



【今回の移動行程】



全但バス出石営業所 13時22分発
兵庫県道2号宮津養父線・出石城下町本町通り経由
正覚田中屋 13時30分着

*移動距離 550メートル
*移動時間 8分




午 後 一 時 三 十 分

田 中 屋 さ ん に 入 店


何十軒あるそば屋さんの中から選んだお店・「正覚田中屋」さん。
ランチタイムは過ぎていたにもかかわらず、おそばで舌鼓を打つお客さんが数組いらっしゃいました。

さて、どの席でいただこうか・・・・・・お目当ての席が見当たりません。
店内でまごついている不審な客=私に、店員さんが声をかけます。

「いかがなさいましたか?」
「『水曜どうでしょう』のスタッフが座った席は・・・」
「ああ、あちらですね」



入口近くのテーブル席の間から小さな障子戸を隔てた、小ぢんまりした座敷席。
この席こそ、どうでしょう班が皿そばを食べた席なのです。
私は、上座のミスター・鈴井貴之氏の着座した場所に腰を下ろしました。



先付のほうじ茶と素揚げそばが供され、ここでオーダーをします。
オーダーはもちろん皿そばなのですが、問題は何皿いただくか。

出石では、男性は20皿、女性は15皿の皿そばを食べると「そば通」の称号を得られ、記念品がもらえるそうです。
そこで目標は20皿!なのですが、皿そばは5皿で1人前とされています。
4人前のそばを食べきることができるでしょうか・・・?

そこでお店の方と相談して、とりあえず15皿オーダー。
その後様子を見て、残りの5皿をオーダーすることとしました。
お食事代は、最初の5皿が900円、以降1枚追加するごとに150円となっています。


おそばがやってくるまで・・・

 

「どうでしょう」の画角を探してみました。
そうこうしているうちに、おだしと薬味がきました。
薬味はおねぎ、わさび、とろろと温玉です。
おだしの徳利とお猪口は、白さ際立つ出石焼のものでしょうか。


オーダーから約10分後、最初の5皿がやってきました。



出石皿そば、うまい!!
まずはおだしをつけずにいただくと・・・そばの風味がとても色濃く感じられ、とてもおいしいです。
おだしの味は、甘みがない江戸そばのおつゆの味に似ています。
ですが、江戸のつゆほど塩辛さは強くはありません。



どうでしょう班、というより大泉さんはなかなか辛辣なことを言っていますが、おそらくおだしの味の好みが合わなかったのかもしれませんね。
甘みのあるおつゆに慣れている方は、じゃっかん違和感を感じるかもしれません。
私は甘いつゆも塩辛いつゆも好きなので、問題なくいただいています。

八鹿駅でパンを食べたとはいえ、まだまだ空腹に近い状況。
難なく5皿を平らげました。



最初の5皿から7分後、第2弾の10皿がやってきました。
そばが10枚も並ぶと、なかなかの画になりますねぇ~。



11皿目からは、とろろを投入。
時としてそばにわさびを一つまみ添えて、飽きが来ないように味わっていきます。
2人前を平らげてきましたが、私の胃袋はまだまだ余裕のようです。



15皿平らげたところで、そば湯がやってきました。
ここでさらに5皿を追加発注します。
やはり目標は「そば通」の称号、20皿です。



追加の5皿が登場。
ここでおだしに温玉を投入、最後の闘いへ。


16皿、17皿、ここにきて胃袋が悲鳴を上げ始めました。
18皿、19皿をなんとか食べて・・・

 

最後の1皿まできました。
ここで店員さんが登場。
なんとオーダーしていないはずのそば団子を出してくださいました!
なんでもどうでしょう藩士限定のサービスらしいです。


午後2時05分、23分間の皿そばの闘いを制し、完食。



「そば通」の称号を獲得し、「そば通」の証である通行手形が授与されました。
そして芳名帳にわが氏名を記入し、永く「そば通」として讃えられることとなったのでした。



サービスのそば団子も含め、すべて完食。
お食事代3,150円を支払って、「正覚田中屋」さんを後にしました。




午 後 一 時 廿 二 分

兵 庫 県 豊 岡 市




「正覚田中屋」さんの入口が面する大手前通り
その先に見えるのは、出石のシンボル・辰鼓楼【豊岡市指定文化財】です。



「嫌味なくらい『そば』だよ」
「これはそばアレルギーの人とか来れないよ、これ」

大泉さんのコメントにもあるように、本当にそば屋さんの多い城下町です。
どうでしょう班は、この大手前通りを辰鼓楼側から田中屋さんの方へやってきましたが、私はその逆を進み・・・

 

辰鼓楼がよく見える出石城大手門跡へ。
どうでしょう班もここで撮影を行ったようですね。
辰鼓楼は、札幌の時計台と並んで日本最古の時計台とされています。
時計台が完成したのは双方ともに明治14年(1881年)で、どちらがより古いものなのかはわからないそうですが、札幌時計台が官営(国が主導となって造られた)なのに対し、辰鼓楼は民間の資本で造られました。

もう少し先へ。



出石観光の拠点・いずし観光センター
ここから辰鼓膜を見ると・・・

 

「山あいの城下町 出石」
どうでしょう班が出石に入ってきたシーンと同じ画角を見ることができます。
辰鼓膜も、左の出石内町郵便局も、30km/h制限&駐車禁止の交通標識もいまだ健在です。



出石のどうでしょうロケ地めぐりも、ここまで。
このあとは、雨の出石城【豊岡市指定史跡】を登城します。





聖地巡礼・後枠~討入り!HTB

2017-08-02 | どうでしょうロケ地


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 前 9 時 2 0 分

札 幌 市 豊 平 区

平 岸 高 台 公 園



聖地巡礼、後枠は・・・



「本丸」HTB(北海道テレビ放送)へ討ち入ります!



「本丸」の屋上には、安田さんonちゃんの姿が。



正面に回ってきました。



HTBの正面玄関。やはりonだらけ。



入口にもon。足元のマットにもon
とりあえず中へ入ると玄関ロビーに、



水曜どうでしょうパビリオン、登場(^^♪
このパネルは、どうでしょう班を苦しめた深夜バスのお歴々ですねぇ~(*^_^*)



隣りには、「水曜どうでしょうおみくじ」だとぉ~?!
(多分)ヒゲめ、細かく銭稼ぎをしおるわい。


  ヒゲD?の思惑に乗り、私もおみくじを1枚。お賽銭ということで、100円を寄付しました。

運勢 小吉。

出ました。小吉。控えめだな。
だが控えめは美しい。
こぼれるほどの、匂い立つまでの美しさはないけれど、それでも秋に咲くコスモスは美しい。可憐な花だな。
そう、控えめは可憐なのだ。
野に咲く花の名も知らず、それでも野辺に花は咲く。
その花の一輪は控えめだけれど、ほら、あんなに風にそよいで気持ちよさげに揺れている。
他人に振り返られることがなくても気持ちよく生きることは出来る。
奥さん、それを人生と呼んでも良いですか。


・・・・・・だそうです。
この語り口、最初は藤村Dの感じがしますが、終わりの方の「奥さん」っていうところからして嬉野Dのもののようにも思えますねぇ。

願望(ねがいごと) 叶いませんよ
待人(まちびと) 来ませんさ
失物(うせもの) 出ませんもの
旅行(たびだち) 家にいましょうね
仕事(しごと) まずまず
金運(きんうん) そんな。あるわきゃないでしょう
学問(がくもん) ぼちぼち
恋愛(れんあい) 恋のキューピッド登場。愛の予感
出産(おさん) 安産にきまってますよ
病気(やまい) 治りますともさ


・・・・・・というわけで、恋愛運だけがやたらと良い、健康運がそこそこで、あとはダメという、いかにも小吉らしいおみくじでした。
まぁ、あんまり欲張っちゃいけませんよ~ということでしょうね。
おみくじの末尾にの印がありますねぇ、奥さん(^^♪

   「伝わってくるのは きみの熱気ばかり」
  (「リヤカーで喜界島一周」最終夜より)

  鹿児島の喜界島を歩いて1周するという企画。
  どうでしょう班は途中のムチャカナ公園近くのキャンプ場で、テントを張ることになりました。

  狭いテントの中で、大の男4人が横になって寝る。
  「狭い」「デブの隣りは嫌だ」「機材が邪魔だ」などと罵り合いながら一夜を過ごします。

  そして翌朝。

  藤村「おはようございます」
  大泉「んんーっ!」
  藤村「いかがでしたか?」
  鈴井「寒かったです」
  大泉「んー、寒かったぞぉ、やっぱり」
  藤村「おかしいじゃないですか。僕はそんな、全然・・・」
  大泉「なにぃ?この野郎。厳寒気用のやつを着てんだろぉ。おまえは・・・」
  藤村「寒かったってかい・・・?」
  大泉「寒かったっつってんだろぉ! 俺たちの毛布はねぇ。寒かったんだ!
  藤村「(僕は暑くて)どっちかというと半袖で・・・」
  大泉「わかったっつってんだろぉ。そらぁキミ暑いかもしんないよ。
     伝わってくるのはキミの熱気ばかりだよ。
     でもそんなんじゃやっぱりねぇ、ぼくたちがあったかくなるまでにはならないんだよぉ」

  寝具はDの所有する寝袋2枚と、ホテルから借りてきた毛布2枚
  出演陣のふたりは、それぞれ毛布1枚で寝させられ、起床後に「寒かった」と不満を口にしたというシーンです。





自販機には、



これまた金もうけのグッズ販売。



買ってしまった・・・・・・大泉洋氏による「水曜どうでしょうトランプ」



トランプは全部で54枚。ババならぬバカが藤村Dです。
この似顔絵、本人ととてもよく似ています。
大泉さんの多才ぶりを表すこの絵は、「どうでしょう」でもしばしば登場します。


水曜どうでしょう「北極圏突入 アラスカ半島620マイル」の最終夜の一幕。

ミスター・鈴井氏が「オーロラが見たい」ということで、北極圏まで連れてこられた大泉さん。
オーロラをよく見ることができるというコールドフットにやってきたどうでしょう班は、ここのトラックステーションに滞在し、オーロラが出るときを待ちました。
しかしこの日は、あいにくの雨。
待てど暮らせどオーロラが見える気配はありません。
暇を持て余した大泉さんは、手持ちの紙でトランプを作りはじめます。

ジャックがミスター
クィーンが嬉野D
キングが大泉さん

藤村「ボクは仲間外れかい?」
大泉「ババに決まってるでしょう、あんたは。いまここにババ描くから」



藤村「これババなんだよね?」
大泉「うん」
藤村「バカって書いちゃってんじゃないの
大泉「バカ・・・・・・ま、いいや、バカで」

結局オーロラは見えず、最後はこのトランプでババ抜きならぬバカ抜きをして、企画は終了したのでした。



自分へのちょっとしたおみやげを買い、

  

記念スタンプをもらって、HTBの社屋から出ました。





社屋の裏へと回り、HTB通用口
こちらはどうでしょうの企画発表が行われる場所です。
何も聞かされていない大泉さんが、企画をはじめて耳にしてリアクションをしてから、企画の地へと連れて行かれるのがお決まりになっています。

ここは正面玄関とは違い、本当の職場。
あまりうろうろするのもどうかな~と思っていたら、ガードマン氏が「入ってもいいけど、仕事の邪魔はしないように」というので、敷地中に入りました。



HTBの関係者が使う入口。



その対面にあるのは、倉庫かなにかでしょうか。
このあたりは、



クリスマスパーティー会場だったところです。



もっとじっくりと検分したかったのですが、ここはテレビマンが熱心に働いている職場。
物見遊山でやってきた者が、長居すべき場所ではありませんので、すぐに退出しました。



HTB本社は、平成29年(2018年)の春に平岸から移転することが決まっています。
どうでしょう藩士にとっての聖地が、現存しているこの時期に訪問できたのは、大変喜ばしいことでした。
それと同時に、社内見学の予約をしておくなど、しっかりとした計画を立案しておけばよかったな・・・とも思いました。



大いなる歓喜と、ちょっとした後悔を抱きつつ、「本丸」の討入り、ここに終了。





聖地巡礼・前枠~高台公園

2017-07-29 | どうでしょうロケ地


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 前 8 時 3 0 分

札 幌 市 内 の ホ テ ル



札幌の中島公園にほど近いビジネスホテルに一泊。



この旅2度目の朝風呂抜きということになりました。



朝食もとらず、そのまま市営地下鉄 中島公園駅へ。
このまま南北線に乗車、私は藩士でございますので行き先はもちろん・・・



中島公園から4駅先の南平岸駅


【今回の乗車記録】

ST札幌市営地下鉄 (N09)中島公園駅 1番線 8時41分発
(N)南北線 真駒内行き 6両
(N13)南平岸駅 1番線 8時48分着

*所要時間 7分
*移動距離 3.3km  *運賃 250円


南平岸駅から出ました。



駅から出て右側、女性が歩いている方向に向かえば、すぐに白石藻岩通という大通りに出ます。
「本丸」へは、この大通りを歩いたほうが早いのですが、私はあえて逆側へ。

駅から左へ出てすぐの丁字路を曲がり、道なりに進みます。



すでに「本丸」の姿が見えてはおりますが、



「藩士」の聖地・平岸高台公園に到着しました!


私自身、どうでしょう藩士としてはそれほど古参ではありません。

はじめて「水曜どうでしょう」を見たのは、千葉テレビで再放送されていた「水曜どうでしょうClassic」の「試験に出るどうでしょう」の回。
その第2夜で、桶狭間の戦いをやたら詳しく解説していて、それがなかなかにわかりやすい。
歴史に興味のある私は、これをきっかけに「水曜どうでしょう」を見るようになり、魅力にとりつかれてしまったのです。

あれから約10年、北海道を旅するにあたり、ここだけはどうしても外すことはできませんでした。



そしてこの時、「どうでしょう」の「前枠・後枠」(オープニング・エンディング)が収録されるこの地に立ちました。
草地の真ん中にカメラがポツンと1台、おそらく私と同じ藩士に相違ありません。
藩士のものと思われるカメラは、斜面の途中にある木の茂みの方向を向いているようです。
おそらくは、



この画角。

(「ユーコン川160キロ~地獄の6日間~」第3夜より)

どうでしょうで最も登場回数の多い画角と思われる、「藩士」にはおなじみの画です。



収録場所も1ヶ所だけではなく、こちらは草地から外れた、滑り台などの遊具があるあたりです。

(「初めてのアフリカ」第12夜より)

この当時の最新作(といっても、初放映からすでに3年たちますが)では、このあたりで大泉さんとミスターが竹馬を乗っていました。


水曜どうでしょうの収録があって、「本丸」HTB(北海道テレビ放送)が近くにあるのを除けば、ごく普通の公園。
親子連れも普通に散歩にやってきますし、子供たちも普通に遊びます。
そんな中でどうでしょう班が「前枠・後枠」の収録を行い、子供たちも普通に番組に出ている回もあります。
この回では大泉さんが「お前をカブトムシにしてやろうか~!」と子供を追い回し、泣かしてしまう様子が撮影されています。
(あとで大泉さんが、泣いている子供に「ゴメン、ゴメン」と謝るシーンがあります)


お次は、高台公園の高台へ。



高台はなかなかの急傾斜
高台へ至る通路がまっすぐではなく、蛇行することで傾斜をおさえる造りになっていることからも、想像できるでしょう。



高台に立てば、なかなかの絶景。



「前枠・後枠」で登場する茂みを見下ろした画。
冬のシーンでは、この高台からそりで滑り降りる(落とされる)画がよく使われます。しかし・・・



この傾斜!!

(「シェフ大泉 車内でクリスマス・パーティー」より)

そりで滑り降りるのものもなかなか怖いのですが・・・

(「原付日本列島制覇」第9夜より)

ミスターは、カゴを背負い、皿を回しながら、そりに立って乗り、急傾斜を滑り降りる荒業をさせられます。
・・・首謀者は、おそらくヒゲ。
このときのミスター、齢49、肩書は社長。(現在は会長)
ミスターがいかに体を張っているかがわかります・・・偉大なり! ミスター・鈴井(T_T)


いっぽう私は、安全に慎重に高台を下りました。



公園の隣りには、「本丸」が威容を誇っています。


次はいよいよ「本丸」に討ち入ります!





札幌時計台~絵ハガキと拉致

2017-03-31 | どうでしょうロケ地


2 0 1 6 年 9 月 1 8 日 ( 日 )

午 前 9 時 3 0 分

J R 札 幌 駅 南 口



時刻は午前9時半。



北の大都市・札幌の中心街を歩きます。



「札幌かに本家」でかにを食べるわけでもなく、



旧北海道庁本庁舎(赤レンガ庁舎)【国指定重要文化財】をチラっと見るだけ。


札幌駅南口からのびる駅前通から、国道12号・北1条雁木通へ。
私がめざす目的の建物は、高いビルが林立する中で所在なさげにぽつんと建っていました。



やっぱり時計台【国指定重要文化財】ですよね!
正式名称は旧札幌農学校演武場というそうです。

札幌時計台といえば、高知のはりまや橋、沖縄の守礼門または長崎のオランダ坂とともに「日本3大がっかり名所」に挙げられる観光地。
「がっかり」のわけは、まわりをビルに囲まれてぽつんと建っていて、雰囲気ぶち壊しというところにあるようです。

それでもやはり札幌といえば時計台。
がっかりとはわかっていても、時計台には来てしまいました。
いや、どうでしょう藩士の私は、時計台に来なければならなかったのです!


時計台は、水曜どうでしょう「日本全国絵ハガキの旅 第2弾」のロケ地。
日本全国の絵ハガキの束から無作為に1枚を抽出し、その写真の場所に実際に行って、その写真の画角を探すという企画です。

最初に大泉さんが引いた絵ハガキは、「潮来・十二橋を行く娘船頭さん」(茨城)。
どうでしょう班はさっそくボヤきながらも潮来・十二橋を訪れ、「うんざり」とこぼすほどにヤラれてしまいます。

そして潮来でミスターどうでしょう・鈴井貴之氏が引いた2枚目。



なんと「雪の時計台」を引いてしまいます!
この奇跡に藤村D「6年目にして初めて展開が読めなくなてしまった」というくらいの慌てぶり。
ミスターの助言もあって、どうでしょう班は札幌へ日帰りするハメに。

その翌日再結集したどうでしょう班。
日帰りした当時実家暮らしの大泉さんは、帰宅してご尊父と会話をなさったそうですが・・・



「なんとかインチキできんのか」というご尊父の名言が飛び出したのでした。



そしてミスターが引いた「雪の時計台」の写真は、北1条通からの画角となっています。



こちら側は観光客がまったくいませんでしたが、さすがは絵ハガキに採用される画角。
たぶんよく見る正面の時計台よりもいい感じがします。



企画の趣旨にしたがって、どうでしょう班もこのとおり写真に収まります。



どうでしょう班と同じ画角で時計台を撮ろうとしましたが、ときは9月。
時計台を彩る樹木は葉をおおいに茂らせ、時計が全く見えなくなってしまいました。
・・・だから「雪の時計台」なんですね~(*^_^*)


時計台の南側から、正面へとまわります。



南西側には撮影台があります。
時計台をここから撮るのがよろしいのだとか。



う~ん・・・(^_^;)



むむむむむ・・・・(・_・;)
どうしても後ろにあるビルが入ってきてしまいます。札幌時計台ビルです。
「時計台ビル」と時計台の名を使っているくせに、時計台を「がっかり名所」にしてしまっている「犯人」です。

時計台の西側、つまりは正面に回ってきました。



こちらは、時計台を撮影する観光客、時計台を出入りする観光客でいっぱい。


私も時計台の中に入ります。
入場料は、大人200円です。



入口でスタンプをゲット。
時計台の中は資料館になっていて、時計台の仕掛けについての展示と、旧札幌農学校についての展示があります。
時計台の構造を再現した機械時計なども展示されています。



2階は大ホールとなっていて、当時は演武場の講堂として使用されていたそうです。



時計台の構造をかんたんに示した案内板。
時計を動かすおもりが、3階から2階にかけて下りてくるようです。



2階から時計台の構造をのぞく・・・ことはできませんでした。


時計台の外へ。



絵ハガキの画角から時計台をもう一度見て、次の場所へ。



時計台をあとにして、次にやって来たのは・・・



 

時計台の隣りにある札幌時計台ビル
時計台を「がっかり」の地にしている「犯人」です。



このビルには株式会社エフエム北海道が入っています。
FM北海道のスタジオも中にあります。
どうでしょう班のミスター大泉さんも、DJとしてお勤めしていた時期があります。
(ミスターについては、この記事を投稿したまさに本日、「鈴井貴之 ラヂオの時間」の最終回を迎えました。ミスター、お疲れ様でした)



そして時計台ビルは、2度の拉致事件が起きた現場でもあります。



最初の拉致事件・「大泉洋拉致事件」
生放送のラジオ収録に臨んでいた大泉洋氏と安田顕氏。
そこにミスター鈴井貴之氏率いる北星学園大学アメフト部の部員団が乱入。
2人はスタジオから連行され、どうでしょう班が待ち構えるハイエースに突っ込まれてしまいます。

「ひゃははははははははwwwwwww」

ビルの出口からハイエースまでは約50メートルの距離。
ハイエースからは藤村Dの笑い声が響き渡っていたのでした。

この後「十勝二十番勝負」の企画がスタート。
大泉さんと安田さんonちゃんとの闘いが幕を開けるのです。



2回目の拉致事件は、「鈴井貴之拉致に見せかけた大泉洋拉致事件」
藤村Dが大泉さんを、「前回のリベンジでミスターを拉致してやろう」とそそのかします。
「リベンジ」といえばわが国では大石内蔵助
大泉さんは大石に扮し、「目には目を。拉致には拉致を!」とのたまい、再登場のアメフト部の面々を率いてリハーサルを行う始末。

スタジオに乱入した「大石」率いる拉致軍団。
「大石」の「それっ!」の合図とともに、ミスターではなく「大石」さんが逆に拉致をされてしまいます。
そして大石内蔵助の衣装のまま、大泉さんは千歳空港まで連れ去られ、車中では香港に行くと告げられてしまいます。




時計台ビルの出口。拉致される大泉さん目線です。



出口を左に曲がります。このあたりからヒゲDの笑い声が響き渡っていたのでしょう(*^_^*)
大泉さんを十勝や香港へと連行するハイエースは、「北海道経済センター駐車場」のあたりに停まっていました。



ハイエースが停まっていた道。
いちおう違法駐車ではなかったようです。



どうでしょう班は十勝へと向かいましたが、私はこれより先の釧路へと向かいます。





コーヒールームきくち~函館・ソフトクリーム対決の地

2017-03-02 | どうでしょうロケ地


2 0 1 6 年 9 月 1 7 日 ( 土 )

午 前 9 時 0 9 分

函 館 市 電 ・ 谷 地 頭 停 留 場



谷地頭(やちがしら)温泉朝のリフレッシュをした私は、次なる目的地を目指して市電・谷地頭停留場へ。



そういえばひとっ風呂入りに谷地頭まで来たときは、この停留場をさっさと後にしたのでした。
市電が来るまでの暇つぶしに、停留場を検分するとしましょうか。



市電のどん詰まり@谷地頭。
電車はいったんどん詰まりまで進んでから、反対側のレールに進入する仕組みです。




湯の川行きの電車がやってきました。
運転手は感じの良いおねいさんでした。



電車は9時15分に出発。

始めは席に余裕のある車内も、十字街停留場を過ぎ、函館の市街地に差しかかるにつれ、満員になっていきました。
車内が混雑するにつれ、明らかに運行に遅れが出ている気配。

そんな中でも、乗客のおばあちゃんに対するおねいさん運転手の優しい接客。
私は人知れず癒されていました。
そんな私を悲劇が襲います。
それは函館競馬場前で、おっちゃん乗客がごっそり下りた後のこと。



駒場車庫前停留場乗務員交代(T_T)
おねいさん運転手は電車を下りていき、代わって普通のおじさん乗務員が運転席に座りました。



10時01分、電車はほぼ定刻どおり終点・湯の川停留場に到着しました。



【今回の乗車記録】

函館市電 (DY17)谷地頭停留場 9時15分発
2系統路線 湯の川行き
DY1)湯の川停留場 10時01分着

*所要時間 46分
*移動距離 9.2km  *運賃 250円




午 前 1 0 時 0 3 分

対 決 の 地 へ 向 か う


朝市、温泉ときて、次の目的地は、「コーヒールームきくち」
水曜どうでしょう「対決列島 ~甘いもの国盗り物語~」最初の対決地です。


「ミスターどうでしょう」鈴井貴之氏と「魔神」藤村忠寿ディレクターによる日本列島を舞台に繰り広げられた甘いもの早食い対決
初戦は函館の甘いものということで、藤村Dはコーヒールームきくちのソフトクリーム早食い対決をセッティングしました。
ソフトクリームならミスターもそんなに苦手ではないし、藤村Dの日記によると初戦は勝ちを譲ってやるつもりだったようです。

対決の内容は、モカバニラの3本のソフトクリームを先に食べた方の勝ち。
ミスターと藤村Dは、店から約100メートル離れた橋の近くで勝負。
ミスター方は大泉さんが、藤村方はヤスケン(安田顕さん)が、それぞれ店でソフトクリームを買って持ってくるというものでした。

勝敗は・・・・・・あの天才が藤村Dの筋書きを見事に台無しにしてくれました。



というわけで、ここでもどうでしょう班が対決した場所で、同じものを食べます。



湯の川停留場からは、市電とは反対側の方向へと歩いていきます。



この先をさらに進んでいきます。
停留場の前の信号を右側に渡り、あとはひたすら道なりに進んでいきます。



ものの5分ほどで、「コーヒールームきくち」の黄色い看板が見えてきます。




午 前 1 0 時 0 9 分

コ ー ヒ ー ル ー ム き く ち に 到 着


きくちの立看板。



「函館といえば・・・ランキング!」で、きくちのソフトクリームが第10位にランクインしてました・・・んだそうです。
このアンケートに答えた人には、どうでしょうバカが多かったのでしょう。



正面に回ってきました。
黄色い建物と味のある店名板は、対決列島が放映された平成13年(2001年)当時のままです。
それでは入店してソフトクリームをいただこうかと思いましたが・・・

オーナー氏「ソフトクリームは外からの注文ですよ」

ソフトクリームは、自販機の並ぶ店の横から窓口ごしに買うことができるのです。モカバニラの3種類のソフトクリームは、いずれも260円です。
それではまずは1本目。



バニラソフト! うまい!
店頭の看板で「ジェラート風」とうたっているように、ひんやりとした味わい。
乳脂肪分はそれほど感じず、あっさりとしています。
これならペロリと1本食べることができます。3本食いもキツくはなさそう。
おなかの弱い私も、まずはひと安心?


あっさりと平らげ、お次はモカです。
2本目をオーダーして、店員のおばちゃんから手渡しされます。

おば「落とさないように気をつけてくださいね~」
私『どこかの誰かさんみたいにならないようにね(^^♪』
おば「あら~、そんな人もいましたわねぇwww

そうして手渡されたモカソフト



バニラは「きくち」のそばでいただきましたが、モカは場所を変えていただきます。
その場所とは、「きくち」さんからさらに歩き、



橋のたもとで右に曲がり、



美容院「びびっど」の脇にある草地。

 

これぞ函館ソフトクリーム対決の決戦地です。
ここでミスターと藤村Dは、ソフトクリームを3本食べきるわけです。



ちょっととけていますが、モカソフト、うまい!
さすがはコーヒールーム、モカの風味が見事にマッチしています。
あっさりした味わいで、苦もなく2本目を食べきりました。


「きくち」の方に戻っていきます。

 

「きくち」が面する北海道道100号・函館上磯線です。
この画角は・・・



このあたりにカメラを据え置いて、ソフトクリームを持って疾走する大泉さん、安田さんを撮影していました。
しかしこの道路上で、天才がやらかしたのです。

 

バス停があるため、歩道が少し狭くなり始めるこのあたり。


対決が始まり、川そばから疾走する大泉さん安田さん
そして最初に戻ってきたのは大泉さん、次いで安田さんでした。
窓口がひとつのため時間差ができてしまいますが、順調に食べるミスター魔神・藤村Dが猛追してほぼ同時に2本目へ。
2本目も大泉さんが最初に戻ってきましたが、安田さんがなかなか戻ってこなかったのでした。

安田さん、なんとモカソフトを落としてしまったのです!
ミスターに勝ちを譲ってやるという魔神のシナリオはここで破たん。
魔神は「リズム食い」でミスターを猛追しますが、この差はいかんともし難く、惨敗。
ミスターは、北海道の面積である83,000ポイントをもぎ取ったのでした。



対決の地を細かく検分したところで、3本目のソフトクリームをいただく・・・つもりでしたが、おなかの弱い私は先のことを考えて、ここで終了することとしました。