縁結び祈願をすべく、出雲大社へ。
松の参道にて。
こちらは縁結び祈願ではなく、島根県に来たことがないという理由だけで来てしまった四人組のスタート地点。
水曜どうでしょう「サイコロの旅・第4弾」、スタート地点はいつもの東京ではなく、ここ出雲大社でした。
「何が出るかな~、何が出るかな~、それはサイコロ任せよ」
大泉さんがはり切って投じたサイコロは3の目を出し、一行は広島に向かうこととなります。
大泉さんがサイコロを投じたのは、なんと22年前!のこと。
令和の御代となり、出雲大社の松の参道には石畳が整備され、松の木が何本か伐採されたようですね。
八足門【国指定重要文化財】の前で、二拝四拍一拝。
参拝後、どうでしょう班の皆様はここでおみくじを引きます。
大「旅行 よろし!」
鈴「旅行 同じくよろし!!」
・・・と、素晴らしいサイコロの旅ができそうですが、
鈴「方位 南、吉!!!」
・・・と、北の札幌に帰るのが目的の彼らに、なんともキツいご神託。
作中で「ダメ人間」と罵倒されるミスター、さすがです。
どうでしょう班に倣って、私もおみくじを引きます。
結婚 よい。
出雲大社のおみくじは「大吉」「凶」といったものはありません。
メッセージを読むことが重要であるといいます。
しかし縁結び祈願の出雲大社で「結婚 よい」といわれると、なんだか舞い上がってしまいますね。
失物 見つからず。
・・・と、一部マイナスのメッセージも。
運勢は「大吉」ではなく、「中吉」くらいでしょうか。
そして私は、この日千葉へと戻るのですが・・・
旅行 よい。
方位 東よい。
・・・というわけで、この上ない旅立ちを迎えられそうですね。
どうでしょう班がおみくじを確認していたのは、西十九社【国指定重要文化財】脇の「おみくじの木」の前です。
当時は木の枝にもおみくじが結ばれていましたが、この日は木の幹のみにおみくじがありました。
とはいえあの太い木の幹が、おみくじの「衣」をまとっているかのような姿は、なかなかの迫力です。
「神様サミット」において、神様がお泊りになるのがこの十九社。
大泉さんのうんちくでは、「ロイトン出雲大社」と呼ばれていましたね。
おみくじの結果に満足した私は、このまま出雲大社の境内を出ました。
西十九社の脇の出口は、神楽殿へと通じています。
神楽殿に掛る大しめ縄。
全長約13.6メートル、太さは最大で約8メートル、重さは約5.2トンで、日本最大級。
日本最大「級」ということは、ほかにも大きなしめ縄が掛かっている神社があるのです。
それは、茨城県笠間市にある常陸國出雲大社。
こちらのしめ縄は全長約16メートル、重さは約6トンで、いずれも日本最大。
太さは約2メートルで、こちらは本家?の出雲大社に軍配が上がります。
そしてこの神楽殿付近には、もうひとつの日本一が存在します。
私はすっかりスルーしてしまったのですが、神楽殿付近に掲げられている日章旗(日の丸)です。
縦9メートル、横13.6メートルで、畳75枚分の大きさを誇り、重さも約50kgあるそうです。
神楽殿から西へ。
早めのお昼をいただいた「八雲」さんの方へと歩いていきます。
神楽殿のお隣にある、
こちらは、出雲大社の宮司を代々務める出雲国造家の住まいです。
「国造(くにのみやつこ)」なんて古代の日本史で出てくるような単語を、令和の御代になって目にするとは思わなかったですね。
出雲国造家では、室町時代初頭に内部紛争が起き、千家、北島家の2家に分かれてしまいます。
出雲大社の祭祀は2家で分担されるようになり、偶数月は北島家、奇数月は千家が執り行っていました。
明治になると出雲大社は神社本庁の傘下に置かれ、出雲大社の宮司は千家が継承することとなりました。
門から中をうかがいました。
落ち着いたたたずまいの書院でしょうか。
大正天皇が歴代天皇として初めて出雲大社を行幸されたおりに、滞在されたのがこの書院です。
ふたたび「八雲」さんに到着しました。