鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

第71回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記・後枠~秋風五丈原

2018-02-10 | 鬼ヅモ同好会


2 0 1 7 年 1 2 月 3 1 日 ( 日 )

第 7 1 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 ・ 最 終 日



これまでのところ・・・




よね先生が圧倒的に優勢・・・というより優勝をほぼ手中に収めたかといったところ。
三国志でいうならば、ちょうど赤壁の戦い以前の曹操軍でしょうか。
魏軍の天下統一が間近に迫っている場面ですね。

15試合まではよね先生の独壇場。
そこに第16試合で私がようやく反撃を開始、ここで大きく61ptsもの差を縮めることに成功しました。



大晦日は午後5時ごろまで試合をし、年越しそばを食べてから8試合を行うこととなりました。

大晦日第1試合(通算第17試合)。
私は幸先よくトップを獲り、+45pts。
よね先生も手堅く2着で、+5pts。

大晦日第2試合。
私は連続でトップを獲り、+47pts。
よね先生はここでラスに甘んじ、△34pts。

大晦日第3試合。
今回は会長がトップを飾り、私は2着で±0p。
よね先生は3着で、△12pts。

この3試合で123ptsもの差を詰めることに成功。
三国志でいうならば、劉備軍(蜀軍)の快進撃が遅まきながら始まったところでしょうか。



このとき、時刻は午後5時を迎えようとしていました。




午 後 5 時 2 4 分

年 越 し そ ば




鴨せいろ!・・・は、たか先生



天ざる!・・・は、会長よね先生
私は、よね先生がこのそば屋で天ざる以外のオーダーをしているところを見たことがありません。
もしよね先生が「鍋焼きうどん!」なんてオーダーをした時には・・・何かが起こる前ぶれかもしれません。

そして私は、



鍋焼きうどん! うまい!!
世の中には「年明けうどん」などというものがあるとかないとかハッキリしませんが・・・
とにかく「年明けうどん」を早々に済ませてしまったのでした。早すぎ???




午 後 6 時 す ぎ

試 合 再 開


大晦日第4試合(通算20試合)。
年越しそばの中休みをおいても私は好調をキープし、トップの+38pts。
よね先生はここも手堅く2着で、+1p。



ついによね先生と私との点数差は、100ptsを切りました。
三国志でいうなら、劉備軍が蜀の地を奪い取り本拠地を得たところ。


大晦日第5試合。
会長がトップを獲り、私は2着で+5pts。
よね先生はラスとなってしまい、△22pts・・・・・・ラスとはいえ被害を最小限に抑えた格好でしょうか。
ともあれ差を27pts縮め、二者の差は72ptsまで迫ることができました。


劉備軍の快進撃はさらに続き、蜀の入口にあたる漢中の地を奪取。
曹操魏王に対抗して、劉備漢中王を称しました。
しかしここで劉備の勢いは頂点を迎えてしまいます。

その後劉備軍は、重鎮の関羽が守っていた荊州を奪われ、関羽も落命。
さらに張飛、黄忠、馬超、法正といった文武の要が次々に斃れていきます。
荊州の奪還と関羽の敵討ちのために出陣した劉備は、夷陵の戦いで惨敗。
ついには劉備その人も、白帝城で亡くなったのです。



大晦日第6試合。
私は3着で△18pts、この日最初のマイナスに甘んじます。
よね先生は2着で、+11pts。
差は再び100pts以上に開いていきました。

大晦日第7試合。
私はここでも3着で、△18pts・・・痛い。
よね先生はトップで、+27pts。
むむむ・・・・・・

大晦日第8試合。
私は痛恨のラスで、△32pts。
よね先生はここぞとばかりトップを攫い、+37pts。
ああ・・・もうキビしいな・・・。


劉備は亡くなる前にを建国し、初代皇帝になりました。
劉備のあとを継いだのは、劉禅
劉禅は名宰相・諸葛亮の補佐を受け、国を保っていました。
諸葛亮は蜀の南方で抵抗していた孟獲らを平定。
「出師の表」を劉禅に奉り、魏軍との決戦に乗り出したのでした。



大晦日第9試合。
私はトップに返り咲き、+37pts。
よね先生は3着となり、△16pts。

大晦日第10試合。
私はここでもトップを獲り、+50pts。
よね先生は手堅く2着にとどまり、△5pts。


諸葛亮の北伐は、5度に及びました。
最初の北伐は優勢に進めましたが、馬謖の敗北のため失敗に終わりました。
以後の北伐では、2郡を奪うことはできましたが、司馬懿率いる魏軍の堅守のため、撤退に追い込まれています。
そして5度目の北伐。

亮 病篤し。
大星あり、赤くして芒あり。亮の陣中に墜つ。
未だ(いくばく)ならずして、亮 卒す。



最終試合。
やはりよね先生は強かった!
私は2着で、+5pts。
よね先生は最後をトップで飾り、+31ptsでした。


懿、笑ひて曰はく、
(われ) ()く生を(はか)るも、死を料ること(あた)はず」
と。








最終スコアはこのとおり。
よね先生、優勝おめでとうございます!!



この後我々は新年の祝杯を挙げ、



何かと話題の「ストロング・ゼロ」を飲み干したのでした。



第71回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記 完

「関八州城攻め旅」後半戦へ。

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第71回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記・前枠~魏軍隆盛

2018-02-10 | 鬼ヅモ同好会


2 0 1 7 年 1 2 月 2 9 日 ( 金 )

午 後 9 時 3 0 分 ご ろ

横 浜 市 某 所

よ ね 氏 宅



平成29年の年末、横浜で麻雀です。
今回は約12時間かけて柏から横浜へ。
食事もすでに済ませ、満を持してよね先生のお宅へ参ります。


到着すると、いつものとおりよね先生はご在宅・・・って当たり前か。
そしていつものとおり、かつ会長が一番乗りしていました。
私はいつものとおり、二番手で到着。
今回はご~先生が1日ながらも参加してくださり、ここに闘いが始まりました。

闘いの最中、いつものとおりたか先生が終電間際に到着。




立直・一発・自摸・平和・ドラ1!
わずか2巡目でテンパイ、リーチをかけたら一発であがりました。
なんとも幸先のいい出だしです。



よね先生の手ですけどね。

この和了が象徴するように、今大会はよね先生の勢力が台頭し、一気に隆盛へ。
「三国志」でいうなら、群雄割拠から戦い抜いてのし上がった曹操軍(魏軍)・・・というより、その曹操らが倒せなかった圧倒的な強さを誇った董卓軍のようです。
董卓に例えるのはさすがに失礼ですな・・・やはり曹操軍といったところでしょうな。


さてその曹操ことよね先生、並みいる群雄の我々に計略を仕掛けてきました。



「九州みやげ」の計!
旅先の九州で買ったというお菓子を配り始めたのです!

おいしゅうございました。

しかしこれで籠絡されてしまった群雄たちは、よね先生への攻勢を鈍らせてしまいます。
春秋時代の縦横家・張儀による「連衡策」か。
三国志の曹操の幕僚・荀彧による「二虎競食の計」か。
ともかく並みいる群雄を尻目に、よね先生の隆盛は続いたのでした。


ご家庭の都合もあり、初日限りの参加となるご~先生



小三元・混一色・全帯ヤオ・白・中・海底撈月
ドラが1枚もないのに親倍です・・・さすがにキッチリ見せ場を用意してくださいます。

それでも隆盛し続けるよね先生を誰も止めることはできず、



初日10試合の結果はこのとおりとなりました。




2 0 1 7 年 1 2 月 3 0 日 ( 土 )

大 会 2 日 目


この日、よね先生は他所で飲酒&麻雀。
たか先生は趣味の銭湯めぐり。
会長はぐっすりお休みになり、



私は「里見八犬伝」なるゲームを始めていました。
微妙なゲームを攻略するのが通例ともなっているようですが、この「里見八犬伝」はなかなかマトモ?なゲームのようです。
今大会中に完全攻略とは成りませんでしたが、いずれはキッチリ終わらせたいと思います。


ご両所がお戻りで、競技再開。
初日の勢いほどではありませんでしたが、この日もよね先生は好調をキープ。
とにかく負けないんですよ・・・ラスになってくれない。
それでいて、しっかりとトップは攫っていく・・・これでは勝てません。

通算15試合が終了した時点で、よね先生+270pts
いっぽう私は△61pts、その差はじつに300pts以上。

16試合目、この日の最終試合。



立直・一発・門前混一色・一盃口・中・ドラ1!
久々に親倍を炸裂させ、私はトップで+48pts。
よね先生は3着で△14pts。




61ptsもの差を縮めはしたものの、よね先生の優位は揺るぎません。
もはや優勝はよね先生だろう、魏軍が天下を統一するだろう、誰もがそのように考えていました。