これまでのところ・・・
よね先生が圧倒的に優勢・・・というより優勝をほぼ手中に収めたかといったところ。
三国志でいうならば、ちょうど赤壁の戦い以前の曹操軍でしょうか。
魏軍の天下統一が間近に迫っている場面ですね。
15試合まではよね先生の独壇場。
そこに第16試合で私がようやく反撃を開始、ここで大きく61ptsもの差を縮めることに成功しました。
大晦日は午後5時ごろまで試合をし、年越しそばを食べてから8試合を行うこととなりました。
大晦日第1試合(通算第17試合)。
私は幸先よくトップを獲り、+45pts。
よね先生も手堅く2着で、+5pts。
大晦日第2試合。
私は連続でトップを獲り、+47pts。
よね先生はここでラスに甘んじ、△34pts。
大晦日第3試合。
今回は会長がトップを飾り、私は2着で±0p。
よね先生は3着で、△12pts。
この3試合で123ptsもの差を詰めることに成功。
三国志でいうならば、劉備軍(蜀軍)の快進撃が遅まきながら始まったところでしょうか。
このとき、時刻は午後5時を迎えようとしていました。
鴨せいろ!・・・は、たか先生。
天ざる!・・・は、会長とよね先生。
私は、よね先生がこのそば屋で天ざる以外のオーダーをしているところを見たことがありません。
もしよね先生が「鍋焼きうどん!」なんてオーダーをした時には・・・何かが起こる前ぶれかもしれません。
そして私は、
鍋焼きうどん! うまい!!
世の中には「年明けうどん」などというものがあるとかないとかハッキリしませんが・・・
とにかく「年明けうどん」を早々に済ませてしまったのでした。早すぎ???
大晦日第4試合(通算20試合)。
年越しそばの中休みをおいても私は好調をキープし、トップの+38pts。
よね先生はここも手堅く2着で、+1p。
ついによね先生と私との点数差は、100ptsを切りました。
三国志でいうなら、劉備軍が蜀の地を奪い取り本拠地を得たところ。
大晦日第5試合。
会長がトップを獲り、私は2着で+5pts。
よね先生はラスとなってしまい、△22pts・・・・・・ラスとはいえ被害を最小限に抑えた格好でしょうか。
ともあれ差を27pts縮め、二者の差は72ptsまで迫ることができました。
劉備軍の快進撃はさらに続き、蜀の入口にあたる漢中の地を奪取。
曹操の魏王に対抗して、劉備は漢中王を称しました。
しかしここで劉備の勢いは頂点を迎えてしまいます。
その後劉備軍は、重鎮の関羽が守っていた荊州を奪われ、関羽も落命。
さらに張飛、黄忠、馬超、法正といった文武の要が次々に斃れていきます。
荊州の奪還と関羽の敵討ちのために出陣した劉備は、夷陵の戦いで惨敗。
ついには劉備その人も、白帝城で亡くなったのです。
大晦日第6試合。
私は3着で△18pts、この日最初のマイナスに甘んじます。
よね先生は2着で、+11pts。
差は再び100pts以上に開いていきました。
大晦日第7試合。
私はここでも3着で、△18pts・・・痛い。
よね先生はトップで、+27pts。
むむむ・・・・・・
大晦日第8試合。
私は痛恨のラスで、△32pts。
よね先生はここぞとばかりトップを攫い、+37pts。
ああ・・・もうキビしいな・・・。
劉備は亡くなる前に蜀を建国し、初代皇帝になりました。
劉備のあとを継いだのは、劉禅。
劉禅は名宰相・諸葛亮の補佐を受け、国を保っていました。
諸葛亮は蜀の南方で抵抗していた孟獲らを平定。
「出師の表」を劉禅に奉り、魏軍との決戦に乗り出したのでした。
大晦日第9試合。
私はトップに返り咲き、+37pts。
よね先生は3着となり、△16pts。
大晦日第10試合。
私はここでもトップを獲り、+50pts。
よね先生は手堅く2着にとどまり、△5pts。
諸葛亮の北伐は、5度に及びました。
最初の北伐は優勢に進めましたが、馬謖の敗北のため失敗に終わりました。
以後の北伐では、2郡を奪うことはできましたが、司馬懿率いる魏軍の堅守のため、撤退に追い込まれています。
そして5度目の北伐。
亮 病篤し。
大星あり、赤くして芒あり。亮の陣中に墜つ。
未だ
最終試合。
やはりよね先生は強かった!
私は2着で、+5pts。
よね先生は最後をトップで飾り、+31ptsでした。
懿、笑ひて曰はく、
「
と。
最終スコアはこのとおり。
よね先生、優勝おめでとうございます!!
この後我々は新年の祝杯を挙げ、
何かと話題の「ストロング・ゼロ」を飲み干したのでした。