鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

【資料集】77駅スタンプの設置場所

2013-12-28 | 鉄道の旅

ここでは、JR東日本東京支社77駅スタンプの設置場所をまとめております。
2013年11月29日(赤・黄駅は2013年12月4日)に、私が実際にスタンプを収集した場所です。

新宿駅など一部の駅では、スタンプ設置場所が複数存在します。
みどりの窓口の中にあるスタンプは、窓口の営業時間外では入手できません。



山手線
大崎南改札外キオスクの脇埼京線、湘南新宿ライン
品川北改札を出て右、みどりの窓口内京浜東北線(快速・各駅停車)、横須賀線、東海道線
田町北改札口の前京浜東北線(快速・各駅停車)
浜松町南口改札を出て左脇京浜東北線(快速・各駅停車)
新橋烏森改札前京浜東北線(各駅停車)、横須賀線、東海道線
有楽町銀座口改札の横京浜東北線(各駅停車)
東京丸の内南改札から出て右側京浜東北線(快速・各駅停車)、中央線(快速)、横須賀・総武線(快速)、京葉線、東海道線
神田南口みどりの窓口前京浜東北線(各駅停車)、中央線(快速)
秋葉原電気街口改札外みどりの窓口京浜東北線(快速・各駅停車)、総武線(各駅停車)
御徒町北口改札を出てすぐ脇京浜東北線(各駅停車)
上野中央改札外ガレリア付近京浜東北線(快速・各駅停車)、宇都宮・高崎線、常磐線(快速)
鶯谷南口改札外京浜東北線(各駅停車)
日暮里北口改札を出て正面京浜東北線(各駅停車)、常磐線(快速)
西日暮里改札を出て右側京浜東北線(各駅停車)
田端北口のみどりの窓口京浜東北線(快速・各駅停車)
駒込北口みどりの窓口前
巣鴨改札を出て正面
大塚南口改札を出て右
池袋南口改札外付近埼京線、湘南新宿ライン
目白改札を出て左側
高田馬場早稲田口外みどりの窓口内
新大久保改札外左、券売機の横
新宿東口・中央東口改札外、みどりの窓口内中央線(快速・各駅停車)、埼京線、湘南新宿ライン
代々木西口みどりの窓口内中央線(各駅停車)
原宿表参道口脇
渋谷南口みどりの窓口内埼京線、湘南新宿ライン
恵比寿西口みどりの窓口内埼京線、湘南新宿ライン
目黒中央改札外付近
五反田改札外付近

JR各線で最も過密なダイヤである山手線。
通常で2分間隔、昼間でも5分間隔と待ち時間は少なく済みます。
田町~田端の京浜東北線併走区間では、待ち時間は1分未満ということもザラです。
過密ダイヤの代償なのか数分程度の遅延も多く、併走区間では京浜東北線に後れをとることもしばしばです。



京浜東北線
蒲田中央改札を出た右脇快速・各駅停車
大森中央改札を出たそば快速・各駅停車
大井町西口改札を出た脇快速・各駅停車
品川北改札を出て右、みどりの窓口内快速・各駅停車山手線、横須賀線、東海道線
田町北改札口の前快速・各駅停車山手線
浜松町南口改札を出て左脇快速・各駅停車山手線
新橋烏森改札前各駅停車山手線、横須賀線、東海道線
有楽町銀座口改札の横各駅停車山手線
東京丸の内南改札から出て右側快速・各駅停車山手線、中央線(快速)、横須賀・総武線(快速)、京葉線
神田南口みどりの窓口前各駅停車山手線、中央線(快速)
秋葉原電気街口改札外みどりの窓口快速・各駅停車山手線、総武線(各駅停車)
御徒町北口改札を出てすぐ脇各駅停車山手線
上野中央改札外ガレリア付近快速・各駅停車山手線、宇都宮・高崎線、常磐線(快速)
鶯谷南口改札外各駅停車山手線
日暮里北口改札を出て正面各駅停車山手線、常磐線(快速)
西日暮里改札を出て右側各駅停車山手線
田端北口のみどりの窓口快速・各駅停車山手線
上中里改札を出てすぐ横快速・各駅停車
王子北口改札前快速・各駅停車
東十条北口券売機横快速・各駅停車
赤羽北口のみどりの窓口内快速・各駅停車宇都宮・高崎線、埼京線、湘南新宿ライン

京浜東北線も過密ダイヤですが山手線ほどではなく、昼間は6分間隔となります。
下車してからスタンプを入手してふたたびホームに戻るまでの時間が、だいたい6分です。
そして昼間は田町~田端で快速運転をするので、この間は利用しづらいでしょう。



横須賀線・総武快速線
西大井改札内そば湘南新宿ライン
品川北改札を出て右、みどりの窓口内山手線、京浜東北線(快速・各駅停車)、東海道線
新橋烏森改札前山手線、京浜東北線(各駅停車)、東海道線
東京丸の内南改札から出て右側山手線、京浜東北線(快速・各駅停車)、中央線(快速)、京葉線、東海道線
新日本橋改札を出てすぐそば
馬喰町改札を出て正面

通勤時間帯は3~5分間隔ですが、昼間は10分超の運転間隔になります。
この路線で最も注意すべきは、東京どまりの電車が少なくないことです(特に総武線)。
千葉都民の天敵!?成田エクスプレスや、しおさい、あやめなどの特急も地味にダイヤに影響を与えます。
新橋~馬喰町は地下駅となっていますが、新橋と東京の地下ホームはスタンプ設置場所から遠いことも注意してください。



中央線
東京丸の内南改札から出て右側通特・中特・通快・快速山手線、京浜東北線(快速・各駅停車)、京葉線、横須賀・総武線(快速)、東海道線
神田南口みどりの窓口前通特・中特・通快・快速山手線、京浜東北線(各駅停車)
御茶ノ水御茶ノ水橋口改札を出てすぐ左通特・中特・通快・快速・各停総武線(各駅停車)
水道橋東口を出てすぐ各停
飯田橋東口みどりの窓口内各停
市ヶ谷>みどりの窓口内各停
四ッ谷四ツ谷口券売機付近通特・中特・通快・快速・各停
信濃町改札を出てすぐ右側各停
千駄ヶ谷改札内の左側各停
代々木西口みどりの窓口内各停山手線
新宿東口・中央東口改札外、みどりの窓口内通特・中特・通快・快速・各停山手線、埼京線、湘南新宿ライン
大久保北口NEWDAYS前各停
東中野改札駅員各停
中野南口みどりの窓口前中特・通快・快速・各停・東西
高円寺改札外コンコース快速(平日のみ)・各停・東西
阿佐ヶ谷南口脇(スターバックスのロゴ下)快速(平日のみ)・各停・東西
荻窪東口みどりの窓口横通快・快速・各停・東西
西荻窪改札を出て右側快速(平日のみ)・各停・東西

中央線を制覇するにあたっての注意事項は、停車駅です。
快速の停車駅は平日と休日で異なります。
主に黄色い電車の各駅停車を利用することになり、快速は荻窪から新宿or東京に戻る際に使うのみでしょう。



京葉線
東京丸の内南改札から出て右側通快・快速・各停山手線、京浜東北線(快速・各駅停車)、中央線(快速)、横須賀・総武線(快速)、東海道線
八丁堀改札を出たそば通快・快速・各停
越中島改札を出て右側各停

京葉線も、電車の停車駅に注意が必要です。
八丁堀は問題ないですが、越中島に泊まる電車は各駅停車のみ。
タイミングが悪いと、快速や特急の通過でなかなか電車が来ないこともあります。



武蔵野線
新松戸西口みどりの窓口内常磐線(各駅停車)
南流山改札駅員

武蔵野線内のスタンプ設置駅は、すべて千葉県内にあります。
東京駅から京葉線経由で新松戸に向かう手もありますが、時間がかかりすぎます。
常磐線経由で向かうのが常道といえるでしょう。
私のようにちゃりんこで収集しますか?



宇都宮・高崎線
上野中央改札外ガレリア付近山手線、京浜東北線(快速・各駅停車)、常磐線(快速)
尾久券売機の横
赤羽北口のみどりの窓口内京浜東北線(快速・各駅停車)、埼京線、湘南新宿ライン

尾久駅に行くためだけに乗車することになります。
運転間隔は昼間で15分ほどと余裕ありまくりです。
軽く食事をして時間をつぶそうにも、尾久駅周辺は飲食店がありませんでした。(探索が甘かったのか?)
ホームで足休めをするにはいいかもしれません。、



埼京線
大崎南改札外キオスクの脇通快・快速・各停山手線、湘南新宿ライン
恵比寿西口みどりの窓口内通快・快速・各停山手線、湘南新宿ライン
渋谷南口みどりの窓口内通快・快速・各停山手線、湘南新宿ライン
新宿東口・中央東口改札外、みどりの窓口内通快・快速・各停山手線、中央線(快速・各駅停車)、湘南新宿ライン
池袋南口改札外付近通快・快速・各停山手線、湘南新宿ライン
板橋西口改札を出て右側通快・快速・各停
十条北口脇通快・快速・各停
赤羽北口のみどりの窓口内通快・快速・各停京浜東北線(快速・各駅停車)、宇都宮・高崎線、湘南新宿ライン
北赤羽北口(浮間口)改札を出て右側各停
浮間舟渡改札を出て正面各停

赤羽を境にしてがらりと様相が変わる埼京線。
大崎~赤羽はすべての電車が停車するのに対し、北赤羽・浮間舟渡は各駅停車のみ。
そして赤羽どまりの電車もそこそこあり、赤羽以降の各駅停車の待ち時間は、最悪の場合20分にもなります。
ちなみに、浮間舟渡は「うきまふなど」と読みますよ~。



常磐線
上野中央改札外ガレリア付近特快・快速山手線、京浜東北線(快速・各駅停車)、宇都宮・高崎線
日暮里北口改札を出て正面特快・快速山手線、京浜東北線(各駅停車)
三河島改札外NEWDAYSの前快速
南千住改札内横快速
北千住北口改札前快速・各停
亀有NEWDAYS横コインロッカー付近各停
金町みどりの窓口内各停
松戸中央改札を出て脇特快・快速・各停
北松戸改札を出て左脇各停
馬橋改札駅員各停
新松戸西口みどりの窓口内各停武蔵野線
北小金改札を出てすぐ左各停
南柏改札外NEWDAYS脇各停
中央改札正面みどりの窓口前特快・快速・各停
北柏改札外やや北口寄り各停
我孫子改札駅員快速・各停
天王台改札駅員快速・各停
取手西口改札外みどりの窓口脇特快・快速・各停

快速と各駅停車の関係がなかなかめんどくさい常磐線。
そして松戸から先は都区内パスは使えなくなります。
逆に地下鉄千代田線内の北千住~綾瀬は、都区内パスで乗降できますが、綾瀬は77駅ではありませんのでご注意を。



常磐線・武蔵野線内の12駅は、東京都区外なので都区内パスで改札外に出ることはできません。
ただし黄文字の駅は改札の駅員がスタンプを持っているので、改札を出ずにスタンプを入手できると思われます。

東葛地域に輪を描く

2013-12-28 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 後 5 時 5 1 分

千 葉 県 我 孫 子 市

J R 天 王 台 駅





最後の駅・取手の「喜多そば」でかき揚げそばをいただき、迅速に天王台へ戻ってきた。



さて、帰ろう!

暗闇の移動なので、道に迷うリスクの小さい幹線道路を使う。
千葉県道8号線・通称「船取県道」を南下して、鎌ヶ谷大仏のもとに戻る。


途中通過する手賀沼大橋。





手賀沼は真っ暗でほとんど見えない・・・。

  

手賀沼を題材にするスタンプがこんだけありましたなぁ~。
手賀沼とあけぼの山農業公園」「手賀沼とオオバン」「あやめと手賀沼」、これで行った・・・と言い切ってしまおう!



道の駅しょうなん・・・の向かい側、スーパー銭湯「満点の湯」のイルミネーション。



手賀沼大橋を渡り、ここから再び柏市。


この旅は、見た目以上に、思った以上に、つらかった。

 ♪SUPER TROUPER by A☆Teens


 2013年11月29日。
 新小岩駅で買った730円の乗車券――。
 すべてはここから始まった――。



 7時23分。
 最初の駅、馬喰町。
 通勤時間に浮きまくる旅人――。




 8時46分。
 京浜東北線蒲田駅に到達。
 「やっぱやめようかなぁ」
 倦怠感との戦いが始まる――。



 9時39分。
 有楽町駅の外に出て、
 徒歩で京葉線東京駅に到達。



 9時50分。
 スタンプのない潮見駅を訪れる
 痛恨のミス。



 12時20分。
 常磐線金町駅到達。
 最初の食事。



 14時08分。
 足の疲労が溜まりつつも、
 北端の浮間舟渡駅を制覇。




 14時28分。
 尾久駅で最初の靴&靴下脱ぎ。
 足をそよぐ冷風が心地よい。




 14時50分。
 上野駅で「北限の海女」に面会。
 水とクッキーをゲット。



 15時43分。
 埼京線十条駅。
 高校生の群れに翻弄されるも、
 倦怠感は消えうせていた――。



 17時30分。
 大崎駅で疲労ピーク。
 二度目の食事。



 17時56分。
 神田駅に到達。
 本日最後の路線・中央線へ――。




 20時02分。
 都区内西端のJR駅・西荻窪到達。
 ここから東へ引き返す。




 20時30分。
 なつかしき戦いの地、中野。
 ここで三度目の食事をしたが――。



 21時01分。
 東京駅のライトアップが時間切れ。





船取県道をひたすら南下。



いつの間にか鎌ヶ谷市に入っていた。





 2013年12月4日。
 鎌ヶ谷大仏で祈願。
 残りのスタンプを求め、旅を再開。



 9時46分。
 松戸、中華そば富田食堂。
 いつもと違った最初の食事。



 10時29分。
 戸定歴史館の特別展。
 徳川慶喜公の遺品を拝見。



 10時55分。
 戸定邸にハマる。
 武家屋敷好きな私は、流れる時を忘れた――。



 12時08分。
 脳内にCMソングが流れる
 松戸競輪を尻目に――。




 13時03分。
 北小金駅に到達。
 松戸、北松戸、馬橋、新松戸と、
 松戸市内5駅を制覇。


 13時19分。
 本土寺を参拝。
 紅葉の終焉に思い――。



 14時12分。
 南流山駅に到達。
 武蔵野線制覇。



 14時41分。
 近藤勇陣屋跡をサクっと訪問。




 16時17分。
 北柏駅に到達。
 雨に悩まされながらも柏市内3駅を制する。



 17時14分。
 天王台駅制覇、千葉県内を制す。
 残るは1駅!



 兵は神速を貴ぶ――。
 神速というべき移動で取手駅に到達!


そして――。



 17時25分。
 77駅スタンプ、完全制覇。





私とママチャリ「飛電」は、鎌ヶ谷市内の中心部に入っていった。



鉄道の高架橋&踏切が一緒にある光景。
上が北総線・成田スカイアクセス線、下が新京成線。




午 後 7 時 2 8 分

千 葉 県 鎌 ヶ 谷 市

新 京 成 電 鉄 鎌 ヶ 谷 大 仏 駅




スタート地点である鎌ヶ谷大仏とはほんの少し離れるが、鎌ヶ谷大仏駅に戻ってきた。
なにせ鎌ヶ谷大仏は普通の墓地の中にぽつんと鎮座してるし、夜に大仏様のご尊顔を拝するのは失礼千万ってもんですな。



鎌ヶ谷大仏を出発してから、鎌ヶ谷大仏駅に戻るまでのママチャリ「飛電」の走行距離 69.7km 61.1km、走行時間 6時間47分。
千葉県の鎌ヶ谷、松戸、柏、我孫子一帯の東葛地域に大きな輪を描いた。



このあと私は、激安スーパー「スーパーてらお」で食料品を買って帰宅の途に就いた。



小さなたび「東京等77駅完全巡回」完

ついに77駅制覇!?

2013-12-27 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 後 4 時 2 0 分

千 葉 県 柏 市

J R 北 柏 駅





北柏駅のスタンプをとり、残るスタンプは3つ。

武蔵野線 完全制覇!
新松戸、南流山

常磐線
松戸、北松戸、馬橋、新松戸、北小金、南柏、柏、北柏、我孫子、天王台、取手

残る3駅をポン、ポン、ポーンと行って、完全制覇の勝ち名乗りを堂々とあげたいものですなぁ~。
(↑なんという駄文・・・)



空はじょじょに宵闇に染まりつつあった。
我孫子駅までのルートを確認した。国道重視のルートだとかなりの遠回りになりそうだったので、道に迷うというリスクはあるものの、最短経路に沿って行くことにした。



見知らぬ土地というのは、少しの距離であっても長く感じるものだ。
ましてやアップダウンがあると、だんだんやさぐれてくる。




午 後 4 時 4 0 分

千 葉 県 我 孫 子 市

J R 我 孫 子 駅


我孫子駅は下り坂を下りたところにあった。



我孫子駅の北口。
この階段の下にママチャリ「飛電」を留め置く。



改札に入らず(乗り鉄の立場からすると、改札を出て)駅長室付近にスタンプ台はあった。
が、あるのは台だけで、スタンプは改札の駅員さんにもらう。



75番、我孫子! あと2つ!
絵柄は「手賀沼とオオバン」。「オバハン」じゃないですぞ。



我孫子駅から天王台駅の最短ルートを確認して進んだ。

地名に「台」とか「丘」とかつくところは上り坂がある。
柏あたりからのアップダウン連続にもはや辟易していた私は、天に唾するように天王台を罵りながら進む(^_^;)
最短経路の道は複雑で、暗闇もありじゃっかん迷った挙句・・・



最初に検索した最短経路とは全く違う道をたどって、天王台駅に着いた。




午 後 5 時 1 0 分

千 葉 県 我 孫 子 市

J R 天 王 台 駅






天王台駅南口脇の小路に「飛電」を留めた。

 

ああ、ここも台だけだ。改札の駅員からもらうことに。



76番、天王台! あと1つ!!
絵柄は「あやめと手賀沼」。手賀沼に行ってる時間はない!



時刻は午後5時14分。
天王台駅から取手駅までの距離は、最短経路で4.3kmか・・・。




午 後 5 時 2 1 分

茨 城 県 取 手 市

J R 取 手 駅
















77番! 取手!
小生、たったいま結願いたしました!!





にわか雨・・・柏3駅

2013-12-25 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 後 2 時 4 4 分

千 葉 県 流 山 市

近 藤 勇 陣 屋 跡





近藤勇陣屋跡の石碑をチラ見しただけで、流山を発つ。



旅の目的をおさらいしておこう。

今回はJR東日本東京支社管内77駅のスタンプをすべて回収すること。
そしてこの日の残り12駅をママチャリで訪れ、さらにスタンプの絵柄に選ばれた史跡名勝などをなるべく見物するのだ。
戸定が丘歴史公園でまったりし、本土寺で紅葉を愉しみ、流山の近藤勇陣屋跡をチラ見して・・・スタンプがすっかりサブメニューになりつつあったので、ここで心機一転。

本日分の訪問駅は・・・

武蔵野線 完全制覇!
新松戸、南流山

常磐線
松戸、北松戸、馬橋、新松戸、北小金、南柏、柏、北柏、我孫子、天王台、取手

残る駅のうち、まずは柏市内の3駅を制覇していく。



いつものようにスマホで最短経路を確認して行く。
だが途中で道を間違えたり、スマホが自転車の通れない階段道を表示していたりで、経路はこうなった。



さらに途中で雨が降る。
雨は、はじめ小雨であったが、南柏駅に近づくにつれ「遊びのない」普通の雨になってきた。




午 後 3 時 2 3 分

千 葉 県 柏 市

J R 南 柏 駅


国道6号から南柏駅へと続く道に入った。
その途中にある某薬局チェーン店にママチャリ「飛電」号を留めた。



南柏駅西口から駅構内へ。



駅構内のNEWDAYS脇にスタンプ台を発見。



72番、南柏!
絵柄は「駅舎と209系」


雨が弱くならない。
南柏駅西口周辺には一休みできそうなファミレスが見当たらなかったので、このまま突破することにした。



次の柏駅の位置を確認する。
雨が強くなったときに避難できる店を確保するため、最短経路ではなく国道6号を経由する安全策をとる。




午 後 3 時 5 0 分

J R 柏 駅 付 近


おや、雨が弱くなってきたかな?

国道6号沿いにある東葛飾高校の生徒が歩道を闊歩していた。もう下校時刻を迎えているのか。

東葛飾高校(通称「東葛」)は、千葉高校(通称「県千葉」)、船橋高校(通称「県船」)とともに千葉県の県立高校「御三家」とされ、入試での必要偏差値はだいたい65以上といわれる。
ちなみに全国的に有名で、漢字変換も一発で出る「市船」(船橋市立船橋高校)の必要偏差値はだいたい50強といわれる。
そのため卒業して他県へ出た県船の卒業生が、他県民から「市船じゃないんだ~」と言われると、「あんなところと一緒にするな」と思ったりするとかしないとか。

駅近くの某コンビニにママチャリ「飛電」を留め、柏駅へ。



さすがに柏駅は人が多いなぁ。
2012年JR東日本の1日平均乗車人数は、船橋駅、西船橋駅についで千葉県内で3位(119,064人/日)。
東武鉄道の1日平均乗降人数は、138,686人/日で東武野田線では最多で、大宮、船橋より多い。

おやおや、先客ですな。



中央改札正面のみどりの窓口の前にあるスタンプ台。



73番、柏!
絵柄は「柏の葉公園」だが、悪天候のためスキップさせていただく。


次は北柏駅。
そこへの経路も、国道6号を軸に検討した。



「飛電」を留めていたコンビニで茶を買い、出立。
いつしか雨は止んでいった。しかし徐々に空が暗くなっていった。




午 後 4 時 1 4 分

J R 北 柏 駅




北柏駅に到着。近くの郵便局に「飛電」を留めて、駅の中へ。



スタンプ台は少しだけ北口寄りの改札付近に、自販機の陰に隠れるように立っていた。



74番、北柏駅! あと3駅!
絵柄は「手賀沼とあけぼの山農業公園」。寄る時間はないのでパスです(^_^;)



ともかく柏市内の3駅は制覇。




ちょっと遠い?!南流山

2013-12-23 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 後 1 時 4 9 分

千 葉 県 松 戸 市

長 谷 山 本 土 寺 仁 王 門 前





本土寺を出た。

弊ブログの記事では本土寺を長々と紹介したが、実際のところは30分強程度の滞在であった。
12月初旬では紅葉が終わりを迎えつつあり、境内を少しばかり足早に歩いていたかもしれない。
いや、これから流山と柏と我孫子に取手まで行かなきゃならなかったのが大きいだろう。



さて、例のごとくスマホで本土寺から南流山駅までの経路を検索したところ、「本土寺」の位置があさっての方角になっている・・・。
スマホのGoogle Mapで始点をずらす方法を知らなかったので、仕方なく表示されたルートの所まで移動してから、Google Mapの最短経路にしたがって進むことにした。



南流山駅に向かう途中・・・



難読地名登場(^_^;)・・・すぐ横にあったのが、



あぁ、すっきりした。




午 後 2 時 1 2 分

千 葉 県 流 山 市

J R 南 流 山 駅 に 到 着




南流山駅周辺で「飛電」を留められそうなところを探し、北口の某コンビニに駐車させていただいた。

スタンプ台を探し、南北出口通路からは少し隠れたところに発見。



ああ、このパターンか。改札の駅員にスタンプを出してもらい、



71番、南流山駅!
絵柄は「駅舎と近藤勇の石碑」


スタンプの絵柄に採用された「近藤勇の石碑」というのは、近藤勇陣屋跡にあるようだ。
というわけで近藤勇陣屋跡までのルートを確認する。

しかしGoogle Mapさんは、近藤勇陣屋跡までのルートをなかなか表示してくれない。
検索結果の中には、近藤勇さんという人の税理士事務所とかが出てくる。その事務所は大阪にあるようだ。
ママチャリで大阪まで行けってか!

スマホでいろいろ検索していくうちに、近藤屋敷陣屋跡は流鉄流山線の終点・流山駅の近くにあるとわかった。
とりあえず流山駅を目標としつつ、進路をとった。



南流山駅からなんと2.4km、なかなか遠いわ~。






流山は、新撰組の局長・近藤勇と副長・土方歳三が最後に別れた地。

戊辰の戦役で敗走を重ねていた新撰組は、流山で敗残兵をまとめるべく、また新規の兵を募るべく陣屋を構えていた。
そこに新政府軍が流山を包囲する。
当時幕臣となり名を「大久保大和」と改めていた近藤。
土方は、その改名がまだ周知の事実でないことを利用し、包囲する新政府軍に釈明する策を立てた。
近藤は新政府軍の陣屋に出頭したが、新撰組が粛清した御陵衛士の生き残りにより身元が判明してしまう。
そのまま捕縛、板橋に身柄を送られ、斬首された。



土方は北へ逃れ、宇都宮、会津、函館で転戦し、戦死した。




松戸で長居してしまったので、流山はあっさりと終了。




楓三色・・・長谷山本土寺

2013-12-22 | 寺院仏閣

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 後 1 時 0 7 分

千 葉 県 松 戸 市

J R 北 小 金 駅 東 口



北小金駅の駅スタンプの絵柄になっている「本土寺のアジサイとしょうぶ」



この時季はアジサイもしょうぶも咲いてないが、本土寺は千葉県屈指の紅葉の名所であるという。
スマホさんの紅葉情報によると、本土寺の紅葉は「見ごろ」を迎えていた。


ということで、「飛電」を留めていた北小金駅東口のイトーヨーカドーから出発。
スマホでGoogle Mapを確認し、北小金駅東口から本土寺までの最短経路を確認すると・・・駅構内を突っ切って西口に出ろってか!?
(最短経路をてっとり早く調べるため、徒歩経路の検索を使っている)
自転車かついでペデストリアンデッキに上がるのはきびしいので、Mapを確認しながら進むことにした。



ちょいと遠回りして進むこと7分、850m。



並木連なる参道を抜け、仲見世へ。



だいたい150mほど進み、木々を羽織った山門(仁王門)に到着。



仁王門をくぐると、色とりどりの楓が参拝客を出迎える。



全体的には、紅葉は色あせ始めていた。1週間くらい早く来ればよかったのかな。



振り返れば、紅葉は仁王門を暖かく包んでいる。



お、楓が3色そろっている。
赤赤赤黄黄黄緑緑緑・・・こいつは三色同刻だ!!
などと無粋な連想するのは私だけであろう(^_^;)


文永6年(1269年)に蔭山土佐守が建てた法華堂を、建治3年(1277年)に曽谷教信がこの地に移し、日蓮の弟子である日朗が開堂供養したのが本土寺のはじまりであるという。
池上の長栄山本門寺、鎌倉の長興山妙本寺とともに「朗流の三長三本」と称される。
(「朗流」は日朗の門流、「三長三本」は山号に「長」、寺号に「本」の字を含む3寺を表している)




仁王門から先の境内に入るには、受付で拝観料500円を支払う必要がある。


 

まずは五重塔と鐘楼。



鐘楼の中にある梵鐘【国指定重要文化財】は鎌倉時代に造られたという。
梵鐘は見えないが、傍らの紅葉がなかなか見事。



五重塔と、陽光に照らされる紅葉。
五重塔は平成3年建立と、比較的新しい。


続いて本堂へ。

 

本堂の紅葉はもう終わりかな。



本堂脇の仏塔の紅葉。


本堂の裏手には歴代住職の墓と、それとは少し離れた墓がある。

 

秋山夫人墓所【松戸市指定文化財】。

秋山夫人は武田家臣・秋山虎康の娘で、徳川家康の側室となり武田信吉を産んだが、1591年この地で逝去。
武田信吉はのち水戸藩主となったが、子がなかったため断絶となった。
秋山夫人の墓は、信吉の甥にあたる水戸藩主・徳川光圀によって建立された。





本堂の裏手は西日に照らされ、終焉を迎えつつある紅葉が最後の輝きを見せる。

 

6月には多くの人でにぎわうアジサイ園も、今はちと寂しい。


アジサイ園を抜けると竹林が見えてきた。



常緑の竹林と紅葉。

 

竹林を抜け、開けた場所にある菖蒲池
季節外れの池はアタリメのように干からびていたが・・・



池向こうの銀杏がいいアクセントになってますなぁ~。


歩みを進め、菖蒲池の向かい側。





このあたりはまだ色あせていない紅の錦が残っていた!

 

もみじに彩られた像師堂

 

さきほどまでいた菖蒲池の対岸には、宝物殿が建つ。
日蓮上人直筆の書が保管されている。



正面からの像師堂。こちらはもみじが控えめ。


像師堂から順路に従って進むと、池沿いの道へ。

 

分かれ道の先にある稲荷堂。紅葉と鳥居の色がほとんど同じですな~。



本土寺の高僧・日像上人像

日像は、本土寺開山の祖・日朗の異母弟にあたり、ともに日蓮の弟子であった。
日蓮は京都での布教と禁裏(朝廷)の帰依を、当時13歳の日像に託して入滅した。
日像はその遺命に従い、他宗や禁裏の迫害を受けながらも布教に努め、ついに後醍醐天皇からの帰依を得た。



 

こぢんまりした瑞鳳門は、紅の冠を装う。



池周りの紅葉はもうすっかり色あせていたが、水辺から離れている木々はまだまだ赤い。

 

寺内施設の入口である赤門は、赤に限らぬ錦をまとう。



おっ! 見事な赤だねぇ。

 

花のないアジサイと五重塔。
入口でもらったパンフレットとほぼ同じアングルなんだけど・・・。
心の眼で咲き乱れるアジサイを想像してくださいな・・・。


入口に戻ってきた。



最後に、紅葉に包まれる仁王門をもう一度。




名曲の地?・・・松戸制覇

2013-12-18 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 前 1 1 時 4 3 分

千 葉 県 松 戸 市

戸 定 が 丘 歴 史 公 園





戸定が丘歴史公園で長居してしまった・・・。



77駅スタンプを本日ですべてそろえると決意したが、すでに正午前。
本日いかなければならない駅は、残り11か所。

武蔵野線
新松戸、南流山
常磐線
松戸、北松戸、馬橋、新松戸、北小金、南柏、柏、北柏、我孫子、天王台、取手

ここから一番遠い取手駅までは、スマホで調べたところ約30km。
戸定が丘歴史公園で2時間ほど滞在してしまい、時間がおし始めていた。
それだけ戸定が丘歴史公園がよかったのではあるが・・・。




午 前 1 1 時 5 8 分

J R 北 松 戸 駅 東 口




戸定が丘歴史公園から3.1km、ぎりぎり正午前に着くことができた。



駅前ロータリーのところにあるコンビニ前に「飛電」を留める。



改札前右脇(乗り鉄側からすると、改札を出て左脇)にスタンプ台を発見。



67番、北松戸!
スタンプの絵柄は「上本郷の七不思議」。マニアックなものを題材にしているなぁ。

「上本郷の七不思議」というのは、
 ・切られ地蔵(スタンプの絵柄になっている)
 ・二つ井戸(これも絵柄になっている)
 ・富士見の松
 ・揺るぎの松
 ・八百比丘尼(やおびくに)
 ・大杉の影
 ・官女の化け物
上本郷に伝わる民話が7話あって、それにまつわる史跡がそれぞれ残っているという。

このときの私は、「七不思議」の中身など当然知るはずもなく、「そんな話があるのね」程度にしか思わなかった。
よって「上本郷の七不思議」はスキップさせていただいた。



北松戸駅の次は、馬橋駅。
常磐線各駅停車が乗り入れているほか、総武流山鉄道(流鉄)流山線の始発駅。



常磐線に沿って流れる新坂川沿いの道を進む。




午 後 1 2 時 0 8 分

松 戸 競 輪 場 付 近




♪カ~ン カ~ン 栄光の カ~ン カ~ン 鐘が鳴~る~
♪ま~つ~ど~け~ぃ~り~~~~ん


ラジオからよく流れてきたこの曲が脳内で再生される松戸競輪場(T_T)


この曲は「走れ!自転車」という名前がついており、歌っているのは「およげ!たいやきくん」で有名な子門真人氏。
そしてよく聴くと、カ~ンカ~ンじゃなくてサ~ンサ~ンだった!! 30年も勘違いしていた。
歌詞に出る「33バンク」とは、松戸競輪場の1周333メートルのコースを表している。

私は小学生のころ千葉競輪場と取手競輪場はよく行っていたのだが、松戸は今も行ったことはない。
小3のときに単勝式、複勝式、連勝複式、連勝単式の内容をマスターし、千葉競輪のことを学校の作文に書いたこともあった。
・・・まぁ、こういう親父でしたので(^_^;)



競輪場に隣接しているのは、宝酒造の工場。



突如の腹痛&便意!!
実は戸定歴史館で1回じっくり用を足していたが、再び来るとは・・・。
少し進んだところにあるミニストップで所用を足した。

このチャリ旅は、
チャリをこぐ → 暑い → 発汗多量 → ジャケット脱ぐ → 体冷える → おなかゆるくなる → 所用 → ジャケット着る → 暑い ・・・
のループに陥ることとなり、トイレによりさらに時間がおすこととなった。




午 後 1 2 時 2 3 分

J R 馬 橋 駅 西 口


馬橋駅の西口は、川を渡る通路とともにある。



西口付近の東武ストアの駐輪場に停めて、馬橋駅構内へ。



スタンプ台がパンフ置きにされている!この冷遇っぷり。



スタンプは改札の駅員が保管しているようだ。



68番、馬橋!
スタンプの絵柄は「駅舎と噴水」



これかい?! すっかり干上がってらぁ。




午 後 1 2 時 4 2 分

J R 新 松 戸 駅 西 口




馬橋駅から1.6km、新松戸駅に到着。



駐輪場が見つからない上に、おじちゃん監視員が配備していたので、素直におじちゃんに問うた。
・・・おじちゃんがそう言ったわけではないが、付近の某銀行にムリヤリ停めることにした。



スタンプは西口のみどりの窓口に入ってすぐ右側にあった。



69番、新松戸!
絵柄は「駅と武蔵野線&常磐線」




午 後 1 2 時 5 8 分

J R 北 小 金 駅 付 近




新松戸駅から北小金駅までは約1.5km。その途中で・・・



神社と銀杏は本当に画になるねぇ~

銀杏の見事な八坂神社から450mほどで・・・



北小金駅に到着。
「飛電」は近くのイトーヨーカドーに留めた。



スタンプ台は改札前右脇(乗り鉄側からだと、改札を出てすぐ左)、証明写真機のそばにあった。



70番、北小金!
スタンプの絵柄は「本土寺のアジサイとしょうぶ」
松戸の名刹とあっては行かずにはおられまい!



ここまでで松戸市内の駅スタンプはすべて集めた!
残りのスタンプは、流山市内に1つ、柏市内に3つ、我孫子市内に2つ、取手市に1つ。
時刻は午後1時を回り、本土寺に進路をとる。




フツカ ニバン ニテ マイル ・・・戸定邸

2013-12-16 | 公園・庭園

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 前 1 0 時 4 8 分

千 葉 県 松 戸 市

戸 定 が 丘 歴 史 公 園





戸定が丘歴史公園に入って約1時間。
戸定歴史館徳川慶喜の遺品を拝見し、公園内の木々の彩りを愉しんだ。



徳川昭武の屋敷であった戸定邸【国指定重要文化財】に入る。
入場料は150円だが、戸定歴史館の共通券は240円(20%OFF)。
この日は歴史館の特別展のため、歴史館の入館料が2倍だったので、共通券は360円。


徳川昭武は、水戸藩主・徳川斉昭の十八男で、15代将軍・徳川慶喜の異母弟にあたる。
慶喜が将軍に就任すると、御三卿の清水家に養子に出る。これは当時子のいなかった慶喜が昭武を将軍の後継と考えており、将軍位に就くことのできる御三卿に養子に出したという。
13歳のとき、慶応3年(1867年)のパリ万博には、国内事情で日本を離れられない慶喜の名代として派遣され、ヨーロッパ各国を歴訪し、パリに留学した。
在仏のまま大政奉還を迎えたが、明治政府により帰国を求められ帰国。水戸藩主に就任し、明治2年(1869年)の版籍奉還まで藩主を務め、明治4年(1871年)の廃藩置県まで知藩事を務めた。
明治16年(1883年)隠居し、水戸徳川家の家督を甥に譲り、自身は松戸の戸定邸に移った。
明治25年(1892年)子の武定が3歳にして子爵に封ぜられ、松戸徳川家が成立する。
明治43年(1910年)没。



 

入口から左サイドにある棟は使者の間という。
この部屋は、身分の高い訪問者のお供の者たちが主人を待つ控え室であった。
お供の者たちは現在の入口である正面玄関は使えず、お供の者専用の玄関から出入りする必要があった。
そしてこの棟だけは昭和21年に撤去されていたが、平成8年に印西市で発見され平成10年に再び移築された。

欄間には、鳥だか雲だかをかたどった意匠が施されている。
これはコウモリであるとされ、魔除けのための意匠だという。







使者の間からの景色。
灯籠などの造作がいいですなぁ~。

 

使者の間から見える一本の木。
根本は一本だが、上は三種類の木に分かれている。


使者の間から玄関に戻ると、老人の群れが大挙して入ってきた!
その群れを率いて、齢60ほどのガイドが解説をしている。
私もその群れに混ざって、ガイドを拝聴することにした。


 

木造の和風建築に突如現れる石造りの間、内蔵
石造りであるのは防火のため。



建築当時としては珍しく、床部分の石が研磨されてすべすべになっている。



内蔵の中には、高松宮喜久子妃殿下のご婚礼の際に使われた長押しが展示されている。
喜久子妃殿下は徳川慶喜の孫にあたられる。






こぎれいな中庭がすごくいい!!


内蔵の先は表屋敷棟

 

表屋敷棟の廊下は約13メートル。
廊下の梁に使われている木は、つぎはぎのない一本の杉の大木。
柱に使われている杉も木目がまっすぐで、フシのない見事なもの。
一見質素にも見える屋敷であるが、こういうところには贅を尽くしている。





廊下から望む戸定邸庭園【千葉県指定名勝】。
なだらかな起伏のある土地には芝生を敷きつめ、周りを丸い植え込みで囲んでいる。
和洋折衷庭園の初期の作例であるという。

 

客間は接客用の部屋であり、この屋敷の中心。
床の間と違い棚を設けた書院造り。



客間の欄間は、双葉葵。徳川家の家紋「三つ葉葵」をモチーフとしている。
現実には存在しない三つ葉のアオイではなく、現実に存在する双葉のアオイを描く。

戸定邸には、嘉仁親王(のちの大正天皇)が行啓されたこともあり、この客間に腰を掛けられた。
また異母兄の徳川慶喜もたびたび戸定邸を訪れ、共通の趣味である写真談義をしたり戸定邸の写真を撮ったりした。


フツカ ニバン
ニテ マイル
サシツカエ ナキヤ
ヘンジ マツ
トクガワ ケイキ


明治4年5月30日に慶喜から昭武に宛てて送られた電報。


表座敷棟、客間の裏は書斎

 

屋敷で最も日当たりが良い部屋で、主人の昭武のプライベートルームであった。
通常、主人のプライベートルームは屋敷の一番奥の部屋であるが、その部屋は生母と妻にあてがわれていた。
昭武はこの部屋でよくフランス語を学んでいたという。


表座敷から奥座敷へ。

 

ここも木々の手入れが行き届いてこぎれいですな~。
よく見ると外の景色が微妙に波打って見えるのは、硝子が建築当時のものである証である。


奥座敷棟の一部屋は「八重の間」と呼ばれる。

 

こちらは昭武の後妻・斉藤八重のプライベートルーム。
昭武は明治16年(1883年)に先妻・瑛子を亡くしている。
(このことにより隠居を決心したらしい)


奥座敷から離れ、湯殿へ。

 

湯桶(風呂桶)は部屋の割には小さく、そしてかなり深い。座ると全身が完全に入ってしまう。
そのため、現在のように風呂桶に浸かるのではなく、湯浴みのみをするための部屋だったらしい。
湯桶は昭和になって設けられたものといわれ、湯桶とコンクリの床以外の部分が建築当初からの部分であるという。

 

湯殿脇の中庭は、ワンポイントの紅葉がなんともいえないねぇ。


次いで離れ座敷

 

屋敷で最も奥の部屋は「秋庭の間」と呼ばれ、昭武の生母・萬里小路睦子(までのこうじちかこ)が使っていた。
睦子は「秋庭」と号し、この部屋で和歌を嗜んだという。



 

欄間は蝶をかたどったものと、竹と雀をかたどったものが掛けられている。
蝶の欄間は、和歌を嗜んだ女性らしい意匠。
竹と雀の欄間は、秋庭の実家・萬里小路家の家紋「竹に雀」にちなんでいる。
釘隠しには四葉葵。


最後にガイドの御仁とご老体一行は、私が最初に入った使者の間に入って、その由来を話していた。



戸定邸を出た。



見事なるイチョウの頭上には、冬晴れの蒼天がひろがっていた。




特別展!戸定が丘歴史公園

2013-12-15 | 公園・庭園

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 前 9 時 5 5 分

千 葉 県 松 戸 市

中 華 そ ば 富 田 食 堂 前




朝食をとった富田食堂からスタート。



富田食堂向かいの100円ローソンで買い物をして、停めていた「飛電」のもとへ戻った。


スタンプ旅の後編は、残った12駅をママチャリ「飛電」に乗って巡回する。
そしてママチャリ旅なので、スタンプの絵柄になった名所旧跡をできる限りめぐっていこうと考えている。



松戸駅の絵柄は「戸定が丘歴史公園」なので、そこへ行く。


今回もスマホさんで最短距離ルートを検索。



富田食堂から南に650メートルのところにあるようだ。




午 前 1 0 時 0 3 分

戸 定 が 丘 歴 史 公 園 に 到 着




細い小路に入って、少し急な坂を上ったところにあった入口。
木々の色づき具合もよさそうだ。



門の傍らにある大きなイチョウが何とも言えない!


江戸幕府の大政奉還ののち、最後の将軍・徳川慶喜の異母弟にして最後の水戸藩藩主であった徳川昭武は、松戸の戸定の地に邸宅を築き、この地で暮らした。
昭武の邸宅はのちに松戸市に譲渡され、邸宅を中心とした公園が整備され、昭武の遺品を保存する戸定歴史館が建てられた。
こうして戸定が丘歴史公園が成立し、日本の歴史公園100選に指定されている。




まずは戸定歴史館に入った。



この日は、徳川慶喜の没後100年ということで特別展を行っていた。
入館料は通常ならば150円だが、特別展開催ということで300円であった。
戸定邸との共通券は通常240円、特別展価格360円ってことで、共通券を購入~。

特別展では、徳川慶喜の遺品が公開されていた。


徳川慶喜は、水戸藩主・徳川斉昭の七男で、江戸幕府最後の将軍。
大政奉還により将軍位を退くが、戊辰戦争に及び鳥羽伏見の戦いで抗戦するが、旧幕府軍は敗れる。
新政府は慶喜を「朝敵」とし、東征を開始。慶喜はひたすら恭順を示して家名を守った。
明治政府により静岡に謹慎を命ぜられる。2年ほどで謹慎が解かれた後も、静岡に30年在住した。
将軍を退いた慶喜は、書画や写真などの趣味の世界に没頭し、政治の表舞台から姿を消した。
明治35年(1902年)、明治維新に功があったとして公爵に叙され、貴族院議員にも選出された。





父である徳川斉昭の書による和歌懐紙
慶喜が御三卿の一橋家に養子に入る際、祝いの歌を詠んだものという。
斉昭の諡号・烈公のとおり、強烈に豪快な文字だ。



「秘密事情」と題される原稿。慶喜直筆のメモみたいなもの。
慶喜はなかなか筆まめだったようで、日記も私とは違ってしっかりつけていた。
日記も2つに分け、ブログのようなオフィシャルな日記と、あまりおおっぴらにできないことをメモする「秘密事情」があった。
慶喜の文字は知的で繊細な感じがする。



慶喜が還暦になった際に撮った写真。
写真は慶喜が最もハマった趣味のようで、戸定邸の主である弟・昭武の趣味も写真だったため、ちょくちょく戸定邸を訪れては弟と写真談義をしていたらしい。
館内には慶喜が使っていたカメラも展示されていた。

館内から出ようとすると、カメラにスラッシュのマークが!! ここは撮影禁止・・・。
が、撮ってしまったものはしょうがない、有効に使わせてもらうとしよう!!・・・すみませんでした。



歴史館から出て公園内を散策。





紅葉はそろそろ色あせ始めている。



あざやかな紅の葉をつけているもみじもちらほら残る。



茶屋「松雲亭」と木々。



こちらは公園に隣接する千葉大学園芸学部の構内への出入口。



青い竹林に小さなもみじが彩りをなしている。



つばきはまだ1分咲き。



白いつばきは5分咲き、といったところ。



与謝野晶子の句碑。
それほど広くない園内に、ごろごろ置かれている。



なかなかかわいい女の子だねぇ。


公園内の紅葉を愉しみ、戸定邸に入ることにした。




松戸駅とつけ麺

2013-12-12 | 移動の旅

2 0 1 3 年 1 2 月 4 日 ( 水 )

午 前 8 時 2 5 分

千 葉 県 鎌 ケ 谷 市

鎌 ヶ 谷 大 仏





鎌ヶ谷大仏に駅スタンプ完全制覇を祈願。



いちおう振り返っておきましょうか。

JR東日本東京支社管内の駅には、「駅の数だけ、発見がある。」ってことでそれぞれの駅のスタンプが設置されている。
その数、77
そのうち11月29日に、都内の駅を歩き回って65のスタンプを収集した。
残りのスタンプ、12
残りの駅はすべて東京都の外、千葉県と茨城県にある。

武蔵野線
新松戸、南流山
常磐線
松戸、北松戸、馬橋、新松戸、北小金、南柏、柏、北柏、我孫子、天王台、取手



愛馬「飛電」にまたがってこれらの駅を回り、スタンプを回収していくこととなる。



スマホさんで最短距離を検索。



鎌ヶ谷大仏から12km進み、9時33分、松戸駅東口へ。



近くの100均で「飛電」を留め、駅に入る。
時差通勤の時間帯なのか、人出はまだ多い。
中央改札の脇にスタンプ台があった。5日ぶりの駅スタンプ。



66番、松戸!
絵柄は戸定(とじょう)が丘歴史公園」


本日最初のスタンプとともに、本日最初の食事も松戸でとることにした。



つけ麺の名店「中華そば とみ田」の支店?と思われる「松戸中華そば 富田食堂」
「とみ田」のつけ麺は日比谷公園の「つけ麺フェスティバル」で食べたことがあったが・・・味は忘れてしまった(^_^;)
・・・腹減ったし、とにかく行ってみよう。

予想に反し、話し方のしっかりした色白とおぼしき女性の店員がひとりで店を切り盛りしている。
席に着こうとしたら「食券を買ってください」と促される。
食券を渡すと、6分ほどでつけ麺が出てきた。



端整な麺がきれいに盛られたつけ麺220g+半熟玉子(830円)。
つけ汁はネギが多めに入っており、あっさり目、そして酸味が少しきいている。
私は酸っぱいものが苦手なのだが、問題なく食べられる。

麺を完食し、スープ割りしてつけ汁を味わったが・・・酸味はともかく、苦味がするどく主張するスープ・・・。
正直、私の口には合わない。が、饗されたものは完食するのが信条。



富田食堂の向かいの100均に停めていた「飛電」にまたがり、そこで買った茶を飲みつつ出立した。