鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

北日本完全制覇!?・あとがき

2017-10-08 | 日記


2 0 1 7 年 1 0 月 8 日 ( 日 )

午 後 4 時 5 6 分

千 葉 県 柏 市

本 拠 地 に て



私の城攻め旅史上最大の旅が終わってから、1年以上がたちました。
旅日記も話数が膨らんでいき、気がつけば80話になっていました。


さて第15弾の「北日本完全制覇」
じつは途中でタイトルがマイナーチェンジしています。
それは・・・・・・

北海道に渡る前は、「北日本完全制覇!」。
北海道に渡った後、「北日本完全制覇?」。

このことは理由がありまして・・・
私の100名城スタンプ帳を見ていただければ、おわかりになると思います。



まず1ページ目。
1番・根室半島チャシ跡群から6番・盛岡城まで、すべてのスタンプをゲットできました。
まさに完全制覇です(*^^)v



2ページ目・・・1箇所目立つブランク。
9番・久保田城(秋田県)だけゲットできていません。
これでは北日本完全制覇とはいえません。


今回の旅は「北日本完全制覇」のタイトルどおり、北海道と東北地方の100名城を制覇するつもりでした。
それを念頭に計画を立てていたのですが、予定日数の制約上久保田城、根城、松前城、五稜郭のいずれかの登城を断念せざるを得なかったのです。
久保田城の登城はまた今度・・・ということになったのでした。



そこで、いつになるかはわかりませんが、「北日本完全制覇・完結編」と銘打って、久保田城の登城を敢行しようと思っています。






こんな結びで締めくくるつもりでした。
平成29年4月6日、「城の日」を迎えるまでは。







平成29年4月6日、「北日本完全制覇」の旅日記を編集している私に、衝撃的なニュースが舞い込んできました。



日本城郭協会、「続日本100名城」を選定。

今回の旅では、100名城の久保田城を積み残しました。
そのうえ、描く都道府県の続100名城が追加されました。
もはや「北日本完全制覇」なんて言えないレベルになってしまいました。

私の旅日記のメインは「100名城登城」ですが、今回の続100名城選定により「続100名城登城」もわがライフワークとなりました。
「北日本完全制覇」は先の話になりそうですが、それでも必ずや成し遂げてまいりたいと思っています。



期間限定の弘前城の姿を拝むことはできましたが・・・
やっぱり真の弘前城の姿を見たい!
できれば桜に囲まれる天守の姿が見たいですね。



振り返ると、ああすればよかった、こうすればよかったという思いはありますが、それを思い起こせばきりがないので、このあたりで筆を置くこととします。



日本100名城登城の旅・第15弾「北日本完全制覇?」 完

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はじめてのフライト

2017-10-08 | フライト


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 後 6 時 1 2 分

新 千 歳 空 港



小樽から札幌を通過し、たどり着いたのは新千歳空港駅



駅名からもわかりますが、改札口を出ると北海道の空の玄関口・新千歳空港に続きます。



わが100名城の登城の旅では、交通費を節約するために「青春18きっぷ」などの格安きっぷを使うのが定番となっていました。
しかし今回、格安きっぷで北海道を脱出するには2日ほどかかってしまいます。
格安きっぷを使うことで、かえって時間と宿代がかかってしまうのです。

そこで今回の旅では、100名城の旅史上、のみならず自分史上はじめて飛行機を使います!
そのために、旅立ちの3ヶ月前から予約をしていたのでした。


今回利用するのは、スカイマーク730便 21時00分発 東京行きです。
予定では、22時40分に羽田空港に到着します。


さて、当方はじめてのフライトということもあり、搭乗手続きにかかる時間がよくわかりません。
それに空港のターミナルは相当広いとのこと、搭乗の場所なども確認しておかなければなりません。
この飛行機を逃したら、私は東京に帰れないのですから。
そのため、小樽の観光を17時という早めの時刻で切り上げてきました。

ターミナル内の案内図をたよりに、搭乗カウンターに到着。
ああ、私は地図が読める人間でよかった
スカイマークの搭乗口は、ずいぶん隅に追いやられているようですねぇ(・_・;)

ここでファイルの中に眠っていた搭乗予約証を取り出して・・・
なになに・・・カウンター前にある自動チェックイン機で手続してください・・・か。
それで・・・予約番号と照会番号を入力して・・・と。
あとは・・・手荷物タグ? かばんは2つと、あとお土産があるからタグは3枚だぁ!



おお~、搭乗券が出てきたぁ!
・・・これで完了? だよね?? あとは飛行機に乗るときにこの券をわたせばいいんだよね???
搭乗手続きがあっさり終わり、逆に疑心暗鬼に陥ってしまいました。



搭乗手続きがとりあえず一段落したので、



北海道最後の食事は、やっぱりラーメンでしょう!
空港内の北海道ラーメン道場に入ります。
しかしながら、どこも満席(^_^;)



そんな中で、他店と比べると席に余裕があった弟子屈ラーメンに入りました。
弟子屈町は摩周湖屈斜路湖を有する道東の町・・・ですがあまり地名になじみがないのでしょうか。
「弟子屈」を「てしかが」と読める人もあまり多くなさそうですし。



焼豚味噌ラーメン、うまい!
地名はマイナー(失礼)ですが、それと味とは話は別です。



うんうん、函館では塩を食べたけど、やっぱり北海道は味噌だねぇ。
いや、函館の塩もうまかったですよ、でも味噌はうまいです!
北海道最後の食事は御代900円でしたが、それでも満足のいくものとなりました。



あとは・・・お土産か。
北海道土産の定番ともいえる白い恋人マルセイバターサンドは買わない!
あと某牧場の生キャラメルも買わないぞ!
そう決めてお土産を吟味していきます。

その結果買ったのが、ROYCE'(ロイズ)生チョコレート
十分定番やん! しかも安全牌選びやがって。
生チョコは1箱777円だったので、各箱味を変えて4箱お買い上げ。



さらに自分へのお土産で、阿部商店いかめし(レトルト)もお買い上げです。



こうして、北海道を発つ前になすべきことは済ませました。
しかしなにぶん、空港にやってくるのが早すぎました。
特にやることもなく、1時間ほど無為に空港で過ごすこととなりました。




午 後 8 時 3 0 分

搭 乗 口 へ


午後8時半、離陸30分前。
そういえば手荷物を預けていなかったので、搭乗口へと向かいます。

衣服が入ったかばん。
PCが入ったかばん。
お土産が入った紙バッグ。

何も考えずに手荷物タグを3枚出力してしまった私は、仕方なく各手荷物に1枚タグをつけることとしました。
すなわち手荷物すべてを預け、手ぶらで飛行機に乗ることになりました。



搭乗する飛行機は、スカイマーク730便 札幌(新千歳)21時00分発 東京(羽田)行きです。



(・・・キンコン鳴ったらどうしよう・・・)
内心ドキドキしながら、18番搭乗口のゲートを通ります。

ちなみに18番搭乗口の次のフライトは、0時10分発の東京行き。
羽田には深夜に到着するということで、接続する京急東京モノレールも営業を終了している時刻。
空港で一夜を明かさなければならないという、旅の疲れにトドメを刺すようなオプションがついています。
そのぶん料金は格安なのですが・・・さすがにこの便で帰路につくのはやめてきました。


そうしてついに、私は初めて機内に足を踏み入れました。



私の席は、19Gか・・・3列席の真ん中だ(T_T)
そして窓側にはすでに女性が着席しているので、空から見下ろす夜景を楽しむことはできません。残念。
でもまあいいや、窓側の女性はなかなか可愛いし(*^_^*)

そういえば、私以外の乗客はみな手荷物を持ってきています。
手ぶらなのは私くらいです。
よくよく見れば、預けるような手荷物はスーツケースのような大きなものに限られます。
PC入りのビジネスバッグやら、果ては土産物入りの紙袋を預けていたのは私くらい。
大きなバッグの中に、所在なく縮こまっているであそうお土産物の紙袋。



紙袋の中には、こんなワレモノも入っています。
そのため、着陸して手荷物を受け取るまで、お土産物が無事かやきもきするハメになってしまいました。




午 後 9 時 0 0 分

ス カ イ マ ー ク 7 3 0 便   離 陸


「試される大地」を離れるときが、ついにきました。

飛行機がゆっくりと動き出し・・・機体を揺らしながら加速を始め、ついに離陸。

無事離陸したことにホッとしていた私を、気圧差からくる耳の激痛が襲います。
旅立ちの3ヶ月前から入念に旅の準備をしてきた私ですが、この耳痛の対策だけはまるっきり怠っていたのです。
こういうときはスマホさんで対処法を検索・・・むむっ! バッテリーレベルが最低だ・・・。
スマホさんの力を借りることはできません。


はじめてのフライトは、耳の痛みとの闘いで始まりました。

離陸から30分ほどたって、ようやく耳が慣れてきたようです。
痛みも和らいだので、ここでひと眠り・・・。

しかしほどなく、スカイマーク730便は着陸態勢に入るとのこと。
フライトは1時間40分、本当にあっという間です。
札幌から釧路まで5時間かけて行くバスとは違います。
そして着陸ということは・・・

耳の痛みとの闘い・再戦です。
あとはお土産物が無事なのかという問題もあります。




午 後 1 0 時 4 1 分

東 京 都 大 田 区

羽 田 空 港 に 到 着


定刻にわずか1分遅れはしたものの、



羽田空港に到着しました。
相変わらず耳はおかしい状況です。

じゃっかん右往左往して手荷物受取所にたどり着くと、女王陛下へのお誕生日プレゼントをはじめとするお土産物は破損もなく無事でした。



千葉県民の私は、京急線・都営浅草線・京成線で(当時の)拙宅に戻るのみ。




午 後 1 1 時 2 8 分

J R 横 浜 駅




拙宅とは逆方向の横浜駅



この旅に出る日のこと。
電車運行スケジュールの都合上、至便である大宮に住まうたか先生のお宅にお邪魔したのでした。
ここで鬼ヅモ同好会麻雀大会へのお誘いがあったのです。
私としては当然参加しないわけにはいきません。
そのため・・・




拙宅とは逆方向の横浜駅
ここから、大会会場をめざすこととなったのでした。



【今回のフライト記録】

CTS 新千歳空港 21時00分発
SKYスカイマーク 730便 東京行き
HND 羽田空港 22時41分着(1分遅れ)

*所要時間 1時間41分
*移動距離 894km  *運賃 11,530円(割引運賃 8,290円 +手数料 3,240円  / 通常運賃 28,190円)





別れの快速エアポート

2017-10-04 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 後 4 時 4 5 分

J R 小 樽 駅



小樽の地に下り立ち、そろそろ6時間が経とうとしています。
時は夕刻、風情ある街並みはそれぞれに明かりを灯し、宵闇に煌かんとしている頃・・・。

私はこの日、東京に戻らねばなりません。



後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、小樽の玄関口・JR小樽駅に戻りました。
コインロッカーに預けていた手荷物に、



新たに購入したお土産を加え、小樽駅本屋【国登録有形文化財】に入ります。



今回乗車する電車は、17時00分発 快速エアポート174号 札幌方面 新千歳空港行きです。
当時はこの駅舎が文化財であることを気にしていなかったので、あっさりホームに入ってしまいました。

 

快速エアポート174号は、すでに5番線に入線していました。
その向かいの4番線、なんだか表示が特別な仕様になっているようですね??

4番線はかつて、昭和の俳優・石原裕次郎がテレビ番組かなにかで4番線に下り立つシーンがあり、のちに「裕次郎ホーム」と呼ばれるようになったそうです。
よくよくみると「4」の数字は、裕次郎が趣味にしていたヨットをかたどったものになっています。
ほかに4番線には石原裕次郎のパネルなどがあるそうですが、私はすべてスルーしてしまいました。



JR北海道731系電車に乗って、札幌方面へ戻ります。




小樽駅から2駅目の小樽築港駅を過ぎると、電車は石狩湾ぞいを走ります。
札幌から小樽に向かった時とは違い、逆方向の電車はまさに海岸線すれすれを走っていきます。



西側を振り返ってみました。
小樽の街を見ているつもりでしたが、たぶんその先の余市方面だと思います。



東の方角。
遠くにぼんやり見えるのは札幌かな?



朝里駅を過ぎると、夕空にいささか寂しげな恵比須岩が登場。



恵比須岩の姿をもって、この旅の車窓は見納めとなります。



18時12分。



札幌を通過し、終着・新千歳空港駅に到着してしまいました。



【今回の乗車記録】

JR北海道 (S15)小樽駅 5番線 17時00分発
[S][H][AP]函館本線 快速エアポート174号 千歳線直通 新千歳空港行き 6両
(AP15)新千歳空港駅 1番線 18時12分着

*所要時間 1時間12分
*移動距離 80.4km  *運賃 1,780円





旧手宮線跡地

2017-10-04 | お散歩


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 後 4 時 3 1 分

小 樽 駅 へ の 戻 り 道



港町・小樽は夕刻を迎えました。
私は駅へと戻るべく、



旧手宮線跡地を歩いていました。



かつて利用されていた線路の脇に、遊歩道が整備されています。



こらこら~!
こんなところに車を停めるでない!!



あらためまして、旧手宮線を歩きます。



明治13年(1880年)、官設幌内鉄道が北海道で初めての鉄道として開通しますが、運営は安定せず、その後北有社が運営を委託されます。
明治22年(1889年)、石炭生産と輸送の一体化をめざした北海道炭礦鉄道(北炭)が設立され、幌内鉄道を引き継ぎました。
北炭は、空知地方の炭鉱と小樽、室蘭を結ぶ路線を増強し、石炭輸送は飛躍的に増加しました。
明治39年(1906年)、鉄道国有法が施行され、北炭の鉄道部門は国有化され、明治42年(1909年)、手宮・小樽間は国鉄手宮線となりました。
(当時の小樽駅は、現在の南小樽駅にあたります)
輸送量増強のための複線化も、このころ実施されました。
しかし太平洋戦争の影響で乗客取扱いを廃止し、物資供給のため複線部分の線路も失われてしまいました。
戦後一時的に旅客運転が再開されますが継続せず、また複線部分も復元されませんでした。
昭和62年(1987年)の廃線まで、単線での貨物営業を行いました。
(この看板の記載内容を編集)


現在は、旧手宮駅である小樽市総合博物館 鉄道・化学・歴史館から、函館本線分岐点近くの寿司屋通りまで、遊歩道が整備されています。


地図でいうと・・・



ココです!!




廃線なので、線路の上を歩いてもOK。



なかば線路に横たわりながらの撮影もOK。



かつての遮断機も残っていますが、自動車は一時停止しなくてもOK。
「停まんなくていいよ」という案内標識もありました。



なんか・・・画になるねぇ・・・。



やっぱり小樽はふたりで歩きたかったな。





小樽運河散策・最終章~日本郵船

2017-10-04 | 教会・洋館


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 後 2 時 4 8 分

北 海 道 小 樽 市

運 河 公 園



北運河(小樽運河北側)からほど近い運河公園



西日に輝く噴水の向こうにある建物は、



旧日本郵船株式会社 小樽支店【国指定重要文化財】です。
・・・・・・むむっ、タクシーがなかなかどいてくれない(T_T)

明治39年(1906年)建築、石造り2階建て。
この建物は、日本郵船株式会社が小樽支店として新築したものです。
設計は工部大学校(現在の東京大学工学部)出身の佐立七次郎工学博士で、当時としては最新の石造洋風建築でした。
新築後まもなく、ポーツマス講和条約による樺太国境画定会議がこの建物で開かれました。
昭和30年(1955年)小樽市が建物を譲り受け、小樽市博物館として使用していました。
昭和59年から62年にかけて保存修復工事を実施し、現在の姿となっています。
(小樽市の案内看板の記述を編集)


・・・・・・建物正面の画を撮りたかったのですが、このタクシーがどいてくれなかったので、仕方なくそのまま中に入りました。
入館料は、大人300円。
小樽市総合博物館「運河館」との共通券は500円でしたが、私はその存在をスルーしてしまいました(^_^;)
入口で履物をスリッパに履き替えて、入館します。



まずは1階、業務が行われていた営業室です。
外部とは木製のカウンターで仕切られていて、柱はギリシアの神殿建築に用いられたエンタシスを思わせます。
商業施設としての機能性と、会社の「顔」を担う優美性を兼ね備えた意匠は、小樽の建築物の「横綱」にふさわしいといえます。



営業室は海運資料の展示コーナーとなっています。
調度品、ブラケットライトなど、往時の会社の雰囲気が再現されているかのよう。



外来客との商談は、



応接室で行われていたのでしょう。


一般業務、一般顧客のフロアである1階から、

 

特別業務、重要顧客用のフロアであった・・・



2階へ。



階段正面の部屋は、貴賓室です。



壁紙、照明、カーテン、調度品、じゅうたん・・・1階の応接室とは比べるまでもない、豪奢な内装です。



2階で最も広い部屋、会議室です。
ここで、日露両国の代表による樺太国境画定会議が開かれました。
その結果、北緯50度を境として南側が日本領となりました。

第2次世界大戦後の日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)で、日本政府は南樺太の領有を放棄しました。
しかしこの条約では旧ソ連(現在のロシア)が締約国とはなっていないため、日本政府は「南樺太の領有権は宙に浮いている」という立場をとっています。

 

隣りの食堂室には、境界標のレプリカが展示されています。



再び1階に下りました。



玄関とは反対側の戸口から、渡り廊下でつながる附属舎へ。
会社の顧客の目が届かないこの質素なフロアは、もっぱら従業員のための空間で、宿直室倶楽部室球戯室(ビリヤード室)などもありました。

ここで無料ガイドに遭遇、しばし同行することに。



附属舎にある男性用トイレ
ですがここのタイルがなかなか凝っていて・・・と、たしかガイドさんがおっしゃっていたような???


附属舎から営業室に戻ります。
最後の部屋は、



金庫室です。



金庫です・・・・・・以上。



外に出ると、時計の針は午後4時を回っていました。



建物前に居座っていたタクシーもさすがにいなくなり、ようやく建物の全貌を目にすることができました。



隣りには旧日本郵船株式会社小樽支店 残荷倉庫【小樽市指定歴史的建築物・第54号】が建っています。
こちらは横目に眺めるにとどめ、小樽運河をめぐる街ブラはこれにて終了。