鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

第65回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記

2015-06-30 | 鬼ヅモ同好会


自 2 0 1 5 年 4 月 2 8 日 ( 月 )

至 5 月 6 日 ( 水 )

第 6 5 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会



毎年恒例のGW大会が開かれ、会員こぞって横浜のよね氏宅へ集結したのでした。
行楽地に人ごみを見に行くよりは、引きこもってしっぽりと麻雀に興じる、なんともよろしい休日の過ごし方です。

今回の大会は、私にとって印象深いものとなりました。

そういえばちまたでは、プロ野球のセントラル・リーグで、あの!横浜DeNAが首位になっているではありませんか!
(2015年5月21日現在)
それと比肩すべきことが起きたのです。



2 0 1 5 年 4 月 2 8 日 ( 月 )

第 1 日 目

大 会 会 場 に て


この日は勤務を定時で早々に切り上げ、自宅へ馳せ戻ります。
しかし、堕落の巣窟と化している自宅。このまま私をおいそれと横浜へとは放しません。

無為にのんべんだらりんと過ごしてしまい、横浜の大会会場に到着したのは、日付が変わった午前0時半。
会場のよね氏宅には、すでに会長、副会長、そしてご~氏がいて、闘牌が始まっていました。


この日の成績~。



次の日、というよりも当日になっていましたが、勤務に赴かねばならなかったので、私は2試合で切り上げさせてもらいました。
幸先の良いスタートを切り、そのまま勝ち逃げという格好で、そのまま床に就いたのでした。




4 月 2 9 日

J R 横 浜 駅


今回も早朝の横浜駅。
目的はもちろん、行きたくもねぇ職場に向かうためにいます。

駅のキオスクで、今回は「横濱ミルフィユ」ではなく自分用の「シウマイ弁当」を買って、いざ出陣。




職 場 に て


さて勤務終了。
同僚にも「これから横浜に戻って麻雀する」ことを話していたところ、たか氏からの着歴が残っていました。

たか氏に入電すると、この日は4人そろわない、したがって卓が立たないということでした。
翌4月30日も卓が立たないことが確定していたので、ここは横浜ではなく、自宅にいったん戻ることにしました。




4 月 3 0 日

こ の 日 も 出 勤


GWに挟まれた平日。
会員諸氏も出勤、私も出勤。

ですがこの日はあきらかに体調がおかしい。

「気のせいだろう。仕事してりゃそのうち回復するだろう」

私の思惑とは裏腹に、体調は悪化の一途をたどっていきました。
朝はのどが荒れていただけでしたが、頭が重くなり、ついには発熱。

近くのコンビニで「冷えピタ」を買い、額、首の裏と左わきの下、計3枚を貼って解熱を図りましたが、まったくダメ。



こうなっては手遅れになる前に帰社するにほかはない。
中休み前の午後3時30分をもって帰ろうとGMRに伝えたところ、

「アカン、アカン、早ょ帰りぃ、さっさと帰りぃ」

即時帰社を命ぜられ、退社。



なんとか自宅にたどりついた私は、翌日までの体調回復を期して、ひたすらに床に就いたのでした。



5 月 1 日

な ん と か 出 勤


前日とは打って変わって・・・というまでにはいかなかったものの、数値で表すならば2割程度といった体調は6割程度まで回復しました。

この日は、なんとしても私が休むわけにはいかなかったのです。

麗しき豪傑の凱旋・・・
若き英傑との別れ・・・
新しき仲間の歓迎・・・

もろもろの意味が込められた飲み会、そして私はその幹事だったのです。

「牛角」での飲み会はつつがなく終わり、私は家路に就こうとしましたが、



どうでしょう藩士であった若き英傑が言い放った一言。
私の徹夜が確定してしまいました。

完全回復していない体調のまま、イガイガしていたノドのまま、深夜のカラオケに興じることとなりました。



カラオケの営業終了時刻、午前5時で解散。
不思議と眠くなく、松戸で新京成の始発に乗って家路につきました。




5 月 2 日

家 に 戻 っ て


早朝、就寝。

ノドの酷使は多方面に影響を及ぼし、またも体調が不良に。
体温も順調に上昇し、ふたたび38度超えとなったのです。

こうなっては横浜へ出張し、ましてや徹夜で麻雀するわけにはいきませんでした。
午後8時ごろ、よね先生に当日不参加のメールを発し、この日はひたすら寝ることとなったのでした。