鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

TOYAMAキラリ!

2022-11-29 | 美術館・博物館


令 和 4 年 ( 2 0 2 2 年 ) 7 月 2 7 日 ( 水 )

午 前 9 時 2 4 分

T O Y A M A キ ラ リ

富 山 市 ガ ラ ス 美 術 館



野沢温泉あっちぃひとっ風呂に入った我々は、朝食をコンビニやサービスエリアの軽食で済まし、富山まで到達しました。



この旅最初の観光スポット・TOYAMAキラリへ。


TOYAMAキラリは富山市にある複合施設で、富山市立図書館本館、富山市ガラス美術館富山第一銀行本店などが入居しています。
北側・東側の外壁(ファサード)は立山連峰の山肌を表現したもので、細長いパネルが約1,000枚使われています。
パネルの素材はアルミ、ガラス、白御影石が用いられていますが、アルミとガラスは富山県で生産されている工業製品です。
これらのパネルがランダムに、そして角度に変化をつけて配置されているので、時間や気候によって光の反射が変化し、それゆえに建物の見え方も変わってきます。

設計は、新国立競技場などを手がけた隈研吾(くまけんご)を中心とするRIA・隈研吾建築都市設計事務所・三四五(さしご)建築研究所JV(共同企業体)によります。
施工は、清水建設・佐藤工業JVにより、平成27年(2015年)5月9日に竣工しました。



中に入ってみると、



各フロアがずれている斜めの吹抜け空間、そしてそれを囲んでいる木材の細長いパネルが目を惹きます。
いかにも隈研吾氏の作品!という印象ですね。



上のフロアから見下ろしてみます。
富山市立図書館の様子もよくわかります。
とても開放的な図書館ですね。



さて我々が訪れるのは、図書館ではなく、富山市ガラス美術館
入館料は大人200円、市で運営しているのでお安く入ることができます。

日本が誇るガラス作家・藤田喬平らの作品が展示されています。
残念ながら撮影NGでしたが、「これってガラスでできてるの?!」と驚くばかりの素晴らしい作品をつぶさにながめていきました。


 

こちらは撮影OK。
アメリカを代表するガラス作家・デイル・チフーリの作品「シャンデリア」
風船細工のようにも見えますが、やっぱりガラス。
赤いやつは、なんらかの心臓のような・・・。
・・・・・・私にアートの感想を求めないでくださいね、この程度のコメントしか吐けませんから。




同じくデイル・チフーリによる作品「トヤマ・リーズ(Toyama Reeds)」
こちらは富山産の木材と直立したガラスのコラボレーションで、川面に生えるアシ(葦・reed)を表現したものだそうです。




デイル・チフーリ「トヤマ・ペルシャン・シーリング」
ペルシャンは "Persian(ペルシャ風の)" で、シーリングは "ceiling(天井)" でしょうか? シーリングはともかくペルシャンはよくわからない・・・。
色とりどりのクラゲといった海洋生物を、水中から見上げているかのような作品ですね。




「トヤマ・フロート(Toyama Float)」
暗室にてスポットライトを浴びている色とりどりの球体の美しさに、ただただ驚くばかりです。
これもガラスでできているんだなぁ~、縁日のヨーヨー釣りみたいだなぁなんて陳腐な感想も出ちゃいましたが・・・アートに疎い者の戯言として聞き流してくださいね。



球体が乗っている笹船は、実際に使われていたものだそうです。
球体の大きさにも驚いてしまいます。






「トヤマ・ミルフィオリ(Toyama Millefiori)」
イタリア語で "mille" は「千の」、"fiori" は「花」を表します。
この作品は、前後左右すべての方向から観賞することができます。
これまでの作品の集大成といった感じ。

 

「千の花」が思い思いに咲き誇る中で、



鈍い輝きを放つこの玉に、妙に惹かれてしまいました。


女王様第2王子ともども大満足。
200円でこれだけの作品を観賞できるのは、すごいです!



金沢がメインのこの旅ですが、富山に立ち寄ってよかった。
そう断言できる、素敵な時間を過ごすことができました。





足立美術館・後編~一幅の絵画

2020-12-29 | 美術館・博物館


令 和 元 年 神 在 月 廿 壱 日 ( 月 )

午 前 九 時 十 八 分

島 根 県 安 来 市

足 立 美 術 館





アメリカの日本庭園専門誌『The Journal of Japanese Gardening』で、17年連続日本一。
そして『LE GUIDE MICHELIN JAPON』では、★★★。
(2020年現在)



創設者・足立全康氏の言葉・・・「庭園もまた一幅の絵画である」



今回はじっくりと「一幅の絵画」を観賞していきます。




午 前 九 時 廿 分

「 苔 庭 」












スギゴケが可愛いですね~。




午 前 九 時 三 十 七 分

「 枯 山 水 庭 」














背後の山々も借景に取り込んでおり、そのために山林の一部も美術館が購入しているのだとか。
その山のひとつが勝山で、毛利元就月山富田城の攻略の時に陣城を築いていた場所です。




午 前 九 時 五 十 三 分

「 池 庭 」




 



「生の掛軸」
「庭園も一幅の絵画」ということで、床の間の掛け軸に庭園が描かれているという趣向のようですが・・・。




午 前 十 時 一 分

「 白 砂 青 松 庭 」










借景となっている山から流れる滝は亀鶴の滝といいます。
この庭園のためだけに開削した人工の滝です。




午 前 十 時 十 分

足 立 コ レ ク シ ョ ン 観 賞


庭園を1時間かけてじっくり観賞し、後半は館内に展示されている横山大観などの巨匠の作品を観賞していきます。

庭園が撮影自由なのに対し、館内に展示されているものは一切撮影禁止です。
作品が撮影禁止なのは当然であるとして、使用されている絵具などの資料展示も一切撮影禁止
私は「天然岩絵具原石標本」をアイフォンさんに収めたら、学芸員さんに注意を受けてしまいました。


それぞれの作品に対して、解説が丁寧に記載されています。
そして何より、巨匠たちの作品の凄まじさ。

庭園を観に来た私にとって、絵画鑑賞はオマケぐらいに思っていましたが、それは明らかな誤りでした。
ここの庭園はプロローグにすぎなかったんですね。




午 前 十 一 時 三 十 九 分

美 術 館 を 出 る




横山大観「紅葉」
竹内栖鳳(せいほう)爐邊(ろべ)
菱田春草「猫梅」・・・・・・。

多くの作品をじっくり観賞してしまい、美術館を出たのは正午前。
庭園以上にゆったりと時を過ごしてしまいました。





昼食は、美術館に隣接するこちらの建物でいただくこととしました。





足立美術館・前編~日本一の庭園へ

2020-12-29 | 美術館・博物館


令 和 元 年 神 在 月 廿 壱 日 ( 月 )

午 前 七 時 四 十 分

松 江 ア ー バ ン ホ テ ル レ ー ク イ ン





朝食、うまい!

100名城登城の旅・第22弾「縁結び祈願のたび」は4日目。
旅の後半戦は松江アーバンホテル レークインをベースキャンプとして、松江周辺をめぐっていきます。

今回のホテルは名称をしっかり明記しているので、私の中では満足できたお宿でした。
(なんらかの不満のあったホテルについては、当ブログでは名称を伏せております)
宿泊費もリーズナブルで、朝食が付いています。
配膳係の淑女もなかなか愛想がよく、私は調子に乗って朝だというのにメシを2膳おかわりしてしまい、そこそこ満腹になりながらも出立します。




午 前 七 時 五 十 七 分

J R 松 江 駅 南 口




ホテルを発って約10分、JR松江駅南口に到着。
駅出口のすぐそばに駐車場があります・・・こちらは駅裏といった感じですね。



今回乗車するのは、8時03分発 山陰本線 普通列車 米子行きです。



山陰海岸の画像がラッピングされている列車です。
車種はキハ126系というもので、「ハ」なので気動車です。
よ~く見たら、たしかにパンタグラフがありませんね。



8時03分、列車は定刻どおりに発車し、東へと進んでいきます。





松江の市街地を抜けると、山陰本線はしばし大橋川と並走します。
大橋川は、西の宍道(しんじ)と東の中海をつなぐ、水路のような川です。



松江駅を出発してから4分ほど。
大橋川に浮かぶ鎮守の杜が見えてきます。

 

この島は塩楯(しおたて)といい、鎮座する手間天神社の境内となっています。
祭礼の日のみに、限られた者だけが上陸できるのだそうです。



並走していた川は・・・



中海へと変貌します。


列車は中海から離れていき、



飯梨川を渡ります。
のちほどの城攻めで重要なカギを握る川なのですが、それはまた別の話です。

それから約3分ほどで、



安来駅に到着しました。



【今回の鉄道乗車記録】

JR西日本 松江駅 1番のりば 8時03分発
[D]山陰本線 普通 米子行き 4両
安来駅 1番のりば 8時27分着

*所要時間 24分
*移動距離 20.1km
*運賃   420円




午 前 八 時 三 十 分

島 根 県 安 来 市

J R 安 来 駅




神社の拝殿のような趣きのあるJR安来駅
神々が集う国は、駅舎もどことなくみやびな感じがしますね。


この日は、もっぱら安来市内を移動していきます。
最初の訪問先は、足立美術館

明治・大正・昭和と日本画壇をリードしてきた横山大観の作品コレクションでも有名な美術館です。
そして最も著名なのが、日本庭園。
アメリカの日本庭園専門誌『Sukiya Living Magagine : The Journal of Japanese Gardening』で、17年連続日本一に選出されています。
ミシュランのグリーンガイドでも★★★に指定されています。

庭園好きの私もかねてから訪れてみたかった足立美術館に・・・



駅の前に停まっている黄色のコミュニティバス「イエローバス」に乗車してもよいのですが・・・

 (美術館到着時に撮影したものです)

さすがは★★★の美術館とあって、無料のシャトルバスがしっかりと運行されています。
安来駅のロータリーには、まだ朝だというのに美術館に向かう人々の長蛇の列ができていました。
私は早めに列に並んでいたので、運良くシャトルバスに乗ることができました。



【今回のバス乗車記録】

安来駅構内バスのりば 8時50分発
足立美術館無料シャトルバス 足立美術館行き
足立美術館 9時07分着

*所要時間 17分
*運賃   無料!




午 前 九 時 八 分

足 立 美 術 館 正 面 玄 関




むむむ・・・なかなかの混みっぷり。



梨のソフトクリーム、うまい!
ひとまずソフトクリームを食べて、混雑が解消するのを待ちました。
そうそう、ソフトクリーム好きのさる御方に画像をお見舞いして・・・と。




足立美術館へ、いざ討入り!
入館料は、大人2,300円。
入場券にQRコードがついていて、自動改札でそれを読み取ることで入館できます。






これは凄い!
最初に出た感想が、美しい・・・というよりも凄い、凄すぎるの一言でした。
植栽の造形、枯山水の汀線、すべてが徹底的に管理されているかのよう。
庭園の手入れをしている職人さんがちらっと見受けられましたが、彼らの見事な仕事ぶりにはただただ恐れ入るばかりです。

そして庭園は、館内からガラス窓越しに観賞します。
基本的には庭園内をそぞろ歩くことはできません。
ガイドブックなどで見かける足立美術館の庭園の写真には人間が一切写っていなかったように思えましたが、そういうことだったんですね。








小さな中庭も手を抜いていません。




庭園を指さす「案内する足立翁」の銅像
傍らには「庭園日本一」の碑がありますね。
私が訪れた当時は「2003年から16年連続」とありました。


足立全康は明治32年(1899年)島根県能義(のぎ)郡飯梨飯梨村字古川(現在の安来市古川町)で生まれました。
14歳で炭運びのバイトの傍ら、道中でその炭を売って利益を上げ、商いの道に入りました。
戦後には大阪で不動産投資を手がけて、一代で財を成しました。
その中で横山大観展で観賞した「紅葉」に深い感銘を受け、大観の作品を中心とした美術品の収集に情熱を上げました。
昭和45年(1970年)故郷の古川の地に足立美術館を創立しました。
平成2年(1990年)に亡くなるまで、庭園の作庭や美術品の収集に陣頭指揮を執り続けました。





「庭園もまた一幅の絵画である」
足立翁の言葉どおり、絵画のように美しい庭園。
またその言葉どおり、絵画のように厳重に管理された庭園。
足立美術館の庭園に対しては賛否それぞれあるようですが、私は美術やら芸術やら庭園やらにそれほど造詣が深いわけでもないので、純粋に「いいねぇ~」「きれいだねぇ~」と感じながら館内を歩いていきます。





足利学校・後編~卒業なるか?!

2019-11-03 | 美術館・博物館


平 成 3 1 年 ( 2 0 1 9 年 ) 2 月 2 3 日 ( 土 )

午 後 1 時 1 1 分

栃 木 県 足 利 市

足 利 学 校



8年前は入学すら許されなかった足利学校



学校の門戸は開け放たれ、私は無事に入学できたのでした。



入学できたとあらば、今度は無事に卒業しなければなりません。
学校の勉学の場であった方丈にて・・・

卒業試験を受けるのです!




午 後 1 時 3 0 分

足 利 学 校 卒 業 試 験



問題一 漢字には、音と訓の二つの読み方があります。
    次のア~トの音をひらがなで(  )内に記入しなさい。
    音がない場合は、(  )内に×を記入しなさい。

 ア、山(   )  イ、川(   )  ウ、草(   )  エ、木(   )  オ、森(   )
 カ、雪(   )  キ、組(   )  ク、犬(   )  ケ、麦(   )  コ、屋(   )
 サ、笛(   )  シ、戸(   )  ス、林(   )  セ、炭(   )  ソ、糸(   )
 タ、札(   )  チ、束(   )  ツ、耳(   )  テ、竹(   )  ト、肉(   )


問題二 次のア~トの訓をひらがなで(  )内に記入しなさい。
    訓がない場合は、(  )内に×を記入しなさい。
 
 ア、雨(   )  イ、右(   )  ウ、円(   )い エ、月(   )  オ、子(   )
 カ、夕(   )  キ、千(   )  ク、先(   )  ケ、土(   )  コ、遠(   )い
 サ、会(   )う シ、楽(  )しい ス、記(   )す セ、市(   )  ソ、社(   )
 タ、太(   )い チ、直(   )す ツ、売(   )る テ、歩(   )む ト、育(   )つ


問題三 次のア~コの十字形(※原文ママ)の中央の□に、ある漢字一字を入れ、
    上下左右(※ここも原文ママ)の矢印の方向に読むと単語ができます。
    例を参考にして、□に一字を記入しなさい。

   (例)最・夢 → □ → 央・心
       上の□に「中」を入れると、「最中」「夢中」「中央」「中心」になります。

 ア、選・苦 → □ → 芸・紙   イ、天・長 → □ → 神・王   ウ、風・水 → □ → 輪・窓
 エ、役・注 → □ → 前・的   オ、木・起 → □ → 場・案   カ、見・絵 → □ → 立・気
 キ、作・注 → □ → 化・集   ク、満・遠 → □ → 音・場
 ケ、親・級 → □ → 人・達   コ、早・明 → □ → 日・顔


問題は50問で各2点、100点満点となっています。
60点以上80点未満で「初段」、80点以上で「二段」とされているようです。



さて私は・・・



100点中94点! 合格

私が間違えてしまったのは、音読み&訓読み問題です。
漢字の読み方が音読みか訓読みかということは、小学校を卒業して以降は気にも留めませんでしたからね。
いや、小学校の時でさえ音読み訓読みの区別は、それほど意識してなかったかも・・・。


まずは「戸」の音読み。
普通の読みは「と」だけど・・・他には読み方はなかったはずだよなぁ? だから「と」は音読みだ!・・・というのは誤りです。
「戸」は、「と」の他に「へ」とも読みます。青森県の八戸(はちのへ)のように。
しかし「と」「へ」はともに訓読みなのです。
「戸」はさらに「こ」とも読みます。戸籍(こせき)のように。
そして「こ」の読みが音読みとなるわけです。


次は「夕」の訓読み。
普通の読みは「ゆう」ですが、これを音読みと勘違いしてしまいました。
「夕」は「ゆう」の他に「せき」とも読みます。一朝一夕(いっせき)がいい例です。
私はすっかり忘れていた「せき」の読みが音読みで、「ゆう」は訓読みとなるわけです。


最後に「千」の訓読み。
「千(せん)」に限らず「一(いち)」「二(に)」といった数の呼称は、意外にも音読みであることは知っていました。
「一」は「ひと(つ)」、「二」は「ふた(つ)」といった呼称もあり、これが訓読みであることからも察しがつきます。
しかし「千」は・・・???
なので「千」に訓読みはない!と考えたのですが、これは間違い。
「千」は「せん」の他に千葉の「ち」という読み方があります。
そして意外なことに、この「ち」が「千」の訓読みになっているのです。


問題三はパーフェクト! まぁ、当然ですな。



これでも大学出てますから。



私の点数は94点なので、文句なしの卒業!といった感じですが・・・
足利学校の方針は「自学自習」で何年制という定めはなく、自分自身が納得いくまで学んだら卒業ということになっていたそうです。
なので点数の多い少ないに関係なく、自分はこのとおり音読み訓読みの復習をして納得いくまで学んだので、足利学校を卒業いたします!




午 後 1 時 4 4 分

学 び 舎 を 出 る


勉学に勤しんだ学び舎を後にします。



校舎の南庭園を眺めた後、



歴代校長の墓を詣で、



旧足利学校遺蹟図書館【足利市指定文化財】でさらに学問を深め、



足利学校を後にしました。



振り返ると、学校は新入生を多く迎え入れていました。



日本100名城登城の旅・第20弾~「東武鉄道で行く両毛城めぐり」第9話へ続く。


足利学校・前編~念願の入学

2019-11-03 | 美術館・博物館


平 成 3 1 年 ( 2 0 1 9 年 ) 2 月 2 3 日 ( 土 )

午 後 1 2 時 1 8 分

栃 木 県 佐 野 市

佐 野 駅 前



犬伏唐沢山城【国指定史跡】を訪れました。
そして朝に1杯、昼に2杯の佐野ラーメンを平らげ、佐野駅に戻ってきました。



さのまるに別れを告げ、



JRのほうの佐野駅へ。

お次の目的地は、日本100名城・足利氏館【国指定史跡】です。
こちらは平成23年(2011年)1月に訪れたのですが、時刻が夕暮れ時であったために駆け足の訪問とならざるを得ず、当時所有していたデジカメさんの体力が異常に弱かったために、あまり画像が残っていないのです。
同じく時刻が遅かったために、足利学校には入学できずじまい。

私にとっては、足利はぜひともリベンジしなければならない場所でありました。



というわけで、JRのほうの佐野駅へ。



今回は「ふらっと両毛 東武フリーパス」を所持しているのだから、できれば東武佐野線の佐野駅に向かいたいところです。
しかし・・・

 (東武鉄道のサイトより引用)

佐野駅から足利市駅に向かうには、いったん館林駅に南下してから再北上するというルートをたどることとなります。
いっぽうJR両毛線ならば、佐野駅から西にサクっと進め、足利駅までわずか3駅、13分。
さらに東武足利市駅は、JR足利駅よりも市街地から離れていることもあるので、移動時間短縮のためにもJRを使うこととしました。


12時29分、JR両毛線 普通電車 高崎行きは佐野駅を発車。
富田駅と、近年設置されたあしかがフラワーパーク駅を経て、



12時42分、足利駅に到着しました。



【今回の乗車記録】

JR東日本 佐野駅 1番線 12時29分発
両毛線 普通 高崎行き
足利駅 2番線 12時42分着

*所要時間 13分
*移動距離 11.km
*運賃 237円(IC運賃) ※消費税率改定前(8%)のときの運賃です。





足利駅を出ます。
画像には写っていませんが、8年前に食事したはなまるうどんさんはご健在のようですな。
嬉しいかぎりです。



いかにも「学問の街」というような案内看板に導かれ、



学校への道を進み、



足利学校【国指定史跡】にやって参りました。



足利学校の最初の門・入徳門
もともとあった入徳門は天保2年(1831年)に焼亡してしまい、現在の門は明治42年(1909年)に裏門を移築したものとされています。
「入徳」は「道徳心を養う」すなわち学校に入ることを意味しており、扁額は紀州徳川家11代藩主・徳川斉順(なりゆき)の揮毫によるものです。



孔子立像
儒学の祖・孔子の像であり、足利学校でも孔子が祀られていました。
足利学校の教員は主に禅僧がこれを務めていましたが、仏教の経典については寺院で学ぶべきとされ、講義内容から排除されていました。
したがって、教育は儒学が中心となっていました。



8年前とは違い、この日は学校の門戸が開いておりました!
傍らには遅咲きながらも、学問の象徴とされる梅の花が咲き誇っています。

足利学校。
入学金は大人420円、高校生は半額の210円。
中学生以下は無料となっています。
憲法26条1項の教育を受ける権利と、これに基づく教育基本法&学校教育法の精神が、こんなところにも及んでいるのでしょうか?!



足利学校のシンボル・学校門
寛文8年(1668年)に建てられ、今日まで足利学校の表玄関の役割を果たしています。


足利学校は、奈良時代もしくは平安時代に下野(しもつけ)国の国学(律令制下の学校)として成立したともいいます。
承和6年(839年)ごろに小野(たかむら)によって創設されたともいいます。
あるいは12世紀末に足利義兼によるともいいます。

学校の成立・起源ははっきりしていませんが、15世紀半ばの関東管領・上杉憲実(のりざね)は、このころに衰退していた学校の再興に尽力しました。
学校で仏教を扱わないという指針は、上杉憲実により定められたといいます。
戦国時代には講義内容が儒学のみならず易学、兵学、医学にも及び、学生も3,000人を数えたともいいます。

江戸時代に入ると、朱子学の官学化により、また平和な時代が続いたことによって兵学などが好まれなくなったこともあり、足利学校の学問は時代遅れとなってしまいます。
しかしながら学校は貴重な古書を多数所蔵していたので、図書館としての役割を果たすこととなります。

明治5年(1872年)足利学校が廃校となりますが、大正10年(1921年)国の史跡に指定され、建物や蔵書の保存が図られることとなりました。





午 後 1 時 0 7 分

栃 木 県 足 利 市

足 利 学 校 に 入 学


学校門をくぐって歩くと、右側に・・・



字降(かなふり)という背の高い松が立っています。
学生が典籍の中で読めない字と遭遇すると、紙に書き記して松の枝にくくりつけていたそうです。
それを講師である和尚が見つけると、ふり仮名や注釈を書き加えていたといいます。

字降松の正面には・・・



儒学の祖・孔子をお祀りする孔子廟が建っています。
しかしこの日は、改修工事のために入れず。



孔子廟は、このようなお姿をしているのだそうです。




いよいよ学校の校舎へ。



後者の南側に広がる南庭園
発掘調査と当時の絵図面を参考に、江戸時代中期の姿に復元されたそうです。
この日は、学問を象徴する梅の花が美しく咲き誇っていました。



正面玄関・・・ですが、ここからは校舎に入れないようです。
もう少し外をぶらりとしましょう。



空は青く晴れ渡り、梅の花が咲き誇っています。
学校で勉学に励むのはもったいないような、すばらしい天気です・・・これはとんだ失言でしたかな。
学生が勉学に励んでいた校舎は方丈【再建】といいますが、現代でも机を前に学徒が物書きをしているようですね???



南庭園から外に通じる裏門【再建】です。
「裏門」とはいいますが、実際は学生が日常的に利用していた出入口だったそうです。



裏門付近にあった茶園場(さえんば)
江戸時代の絵図面にはカタカナで「サエンバ」と表記されているようですが、「茶園場」という字が充てられていたと推測されています。
そしてここでは茶、薬草から大根などの食料、そして観賞用の花なども栽培されていたそうです。



茶園場の傍らに建っているのは、衆寮【再建】。
一言でいえば学生寮です。



校舎のほうに戻ります。
勉学の場である方丈に連なる大きな建物は、庫裡(くり)【再建】です。
こちらはかまどのある土間や台所が備わっており、日常生活の場でした。
ここから中に入れるようです。



入口に据えてある珍妙な器械、その名は宥座之器
斜めに傾いている器に水を注ぐと、傾いていた器は直立して水をたたえるが、水が多すぎると器がひっくり返ってしまう。
このことをもって、孔子は中庸の大切さを説いたといいます。

私も試しに水を注いでみましたが・・・私はまだまだ中庸の何たるかがわかっていなかったようです。


校舎に入ります。



校舎の中は、足利学校が所蔵する蔵書や彫像が展示されています。
こちらは木造 小野篁坐像【足利市指定文化財】です。
学校の伝説上の創始者である小野篁の彫像で、江戸時代の延喜3年(1746年)のものだそうです。
たぶん本物・・・レプリカではないはずです。



こちらは木造 孔子坐像【栃木県指定文化財】。
普段孔子像は孔子廟で祀られていますが、廟は工事中のため、校舎に移されて安置されているようです。
こちらもたぶん本物・・・レプリカではないはず。



そしてこちらは宋刊本「文選」【国宝】!!・・・のレプリカですよね、たぶん。
押印されている印影は、関東の戦国大名・北条氏政「虎の朱印」とされています。
文選(もんぜん)は、中国の南北朝時代に梁王朝の昭明太子によってまとめられた詩文集で、中国古典文学の集大成といっていい詩集です。

諸葛亮「出師表」曹操「短歌行」曹丕「典論」論文曹植「洛神賦」
官渡の戦い前に、曹操を罵倒しまくったあまりに曹操自身の頭痛を治してしまったという陳琳の檄文。

・・・私の三国志熱が上がる前に、終了~。



校舎の北側にある書院
庠主(しょうしゅ)が来客に応対する場です。
つまりは校長室なのですが、それらしく落ち着いた造りになっています。



校舎の北側に築庭されている北庭園
陽光の陰になっているからか、落ち着いた雰囲気があります。
泉水の中島には、弁天様をお祀りする石祠が築かれています。


こうして校舎をめぐったところで、学生が勉学に励んだという方丈へ。
旅人であるはずの私も、ここで試験を受けることになってしまいます。
果たして私は、無事に学校を卒業できるのでしょうか?!





茨城県自然博物館・第3章~サメ展

2017-12-02 | 美術館・博物館


2 0 1 7 年 1 1 月 1 2 日 ( 日 )

午 後 1 2 時 4 5 分

茨 城 県 坂 東 市

茨 城 県 自 然 博 物 館 ・ サ メ 展 入 口



ミュージアムパーク茨城県自然博物館に入って、そろそろ1時間半になろうとしています。

常設展示はほぼ観覧し、



あとは博物館がやたらと推す「サメ展」のみ。



心を癒される青い空間へ、私と女王様が足を踏み入れます。



エントランスは、世界最大のサメ・ジンベエザメが泳ぐ沖縄の海をモチーフとしているようです。



本日3度目の大口!
今回の口の持ち主は、ムカシオオホホジロサメという絶滅したサメだそうです。
「ムカシ」「オオ」「ホホジロ」と修飾語が多く落ち着きのないネーミングですが、学名は「メガロドン」というドラクエにでも出てきそうな名前になっています。
推定体長は13~20メートルと、ジンベエザメと同等かそれ以上とされています。



和名の「ムカシオオホホジロザメ」は、昔にいた大きなホホジロザメに似てるやつ、という意味でしょうか。
わかりやすいといえば、わかりやすい。



ここからは、サメ展による珠玉のサメ紹介。



1番、ネズミザメ



なかなかのワル顔。
北太平洋で暮らし、サケやニシンを好んで食べることから「サーモン・シャーク」とも呼ばれます。
ネズミザメが人を襲ったという事例はないようですが、大型で獰猛であることから危険な種とされているようです。
東北地方ではよく水揚げされ、切り身や練り物の材料として扱われるようです。



2番、ホホジロザメ
これぞ「サメ」! といった感じのこのサメは、ホホが白いから「ホホジロ」ザメです。単純ですね。
標準和名は「ホホジロ」ですが、頬(ほお)の読み方から「ホオジロザメ」ともいいます。



こいつはなんとも悪い顔をしてますねぇ~。
ハリウッド映画「ジョーズ」のサメは、ホホジロザメをイメージしたものとされています。
体長は6メートルほどにもなり、オットセイなどの大型哺乳類をも食べてしまうそうです。
そしてこいつは、人間を何人も食っています。代表的な人食いサメです。



3番、アオザメ
これまた悪党顔のこのお方。
体はぜんぜん青くないのですが・・・おそらく水中で見たら青いのでしょう。
アオザメはサメ類の中で最も速く泳ぐことができ、その速さは時速35kmにのぼることもあるそうです。



4番、マオナガ(真尾長)
5番、ニタリ(似)
6番、ハヒワレ(八割れ)

オナガザメ(尾長鮫)のみなさん、勢揃い。
温暖な海に生息し、マグロ漁などで一緒に捕獲される場合が多いようです。



7番、ヨシキリザメ
9,200kmもの距離を回遊し、東北では最も水揚げされるサメです。
優良なフカヒレの材料になり、宮城県の気仙沼では年1回給食に出されるそうです。



8番、OTY アカシュモクザメ
別名の「ハンマーヘッド」の方がメジャーかもしれませんね。
わが鬼ヅモ同好会では「OTY氏」という異名で知られた存在です。
(内輪ネタ失礼。本名は伏せました)



9番、ダウリアチョウザメ
チョウザメということで、あのキャビアの親です。
ダウリアチョウザメは、体重が1,000kgにもなる大型種ですが、チョウザメの仲間はサメではありません。



口の中を見てみると、このとおり鋭い歯がありません。



なおこれらのサメたちは、



博物館の職員さんが、おいしくいただきました???



1階のフロアに出ました。

  

巨大恐竜・ヌオエロサウルスの足元へ。
全貌を捉えようとしましたが・・・



無理です!!



これで自然博物館の館内展示は、観賞完了。
私も女王様も大満足で後にします。
やっぱり科学をビジュアルで理解させてくれる博物館は、おもしろいです!!



紅葉はどこにいったの?



完全私的旅「紅葉ドライブ2017」第4話に続く。


茨城県自然博物館・第2章~いまも生きる者たち

2017-11-26 | 美術館・博物館


2 0 1 7 年 1 1 月 1 2 日 ( 日 )

午 前 1 1 時 5 3 分

茨 城 県 坂 東 市

茨 城 県 自 然 博 物 館 ・ 第 3 展 示 室 入 口





むむ・・・また大口を開ける魚か・・・。
サメの模型をやり過ごして、



今度はマンボウ。



マンボウはこんなに薄っぺらいのか・・・でも正面の顔が意外とゴツいですね。


彼らに出迎えられて、第3展示室へ。
ここのテーマは「自然のしくみ」ということで、さまざまな自然に形成されている生態系を観賞していきます。


最初は、土の中の生き物。



アリだーーー!!
こんな巨大なアリが、この世の中にいるとは・・・末恐ろしいものです。

・・・というのは冗談で、もちろんこれは巨大化したオブジェ。
地面の森羅万象を巨大化したコーナーです。
アリが大きいということは・・・

(▼クリックすると別ウィンドゥで表示されます。)
【閲覧注意】巨大ムカデ?

おおぅ、なんとリアルなムカデ・・・。
しかもこのムカデのオブジェ、足がニョロニョロと動きます。
ご一緒に歩いていた女王様も、このコーナーだけは立入りを拒絶されました。


お次は、森の中。



木の上に棲む生き物、根元の地面を歩く生き物。
さらには・・・

(▼クリックすると別ウィンドゥで表示されます。)
【閲覧注意】朽木の中の生き物

朽木の中の生き物も、しっかりと再現。
この部分も、女王様はスキップなさいました。


水の生き物のコーナーでは、

 

ヤマメイワナの水槽。
ここだけ本物の魚です。



イワナの水槽に「知っていたらマニア級」の生き物と銘打って、ナベブタムシが展示してありました。
ここの学芸員さんのコメントでは、「他の水族館でこの生物が展示されているのを見たことがありません」とのこと。
なんとなく惹かれた私が水槽を凝視するのですが・・・

どこにおるん?



どこ? どこ? どこよ? どこなのよ?

結局見当たらず、水槽を泳ぎ回るイワナを見て癒されていました。




午 後 1 2 時 1 8 分

第 4 展 示 室


第4展示室のテーマは、「生命のしくみ」ということで・・・



細胞の部屋に入ります。
顕微鏡を通すと葉緑体以外は無色透明である細胞も、こうして色がつくと美しささえ感じられます。



赤い、核の中にある核小体(仁)
オレンジ色で、中にひだひだがあるミトコンドリア
青いのは、おそらく液胞でしょうか。
葉緑体があるから、これは植物細胞でしょう。

こんな話は女王様の興味を惹くことはなく、早々に退出となりました。



隣りの部屋は、DNAの部屋です。
DNAは正式名をデオキシリボ核酸といって、二重らせん構造で・・・女王様は部屋を出られたようです。


生物の体のしくみを説明する展示の一角で、



動物の視角を体験できるコーナーへ。
こちらはネコの視角を体験できるのですが・・・う~ん、普通ですね。



トンボの視角・・・なんじゃこりゃ?! わけわからん!!
トンボの目は2つに見えますが、その1つ1つに多くの目が集まっているという複眼となっているのです。



さかなの目は・・・両側がよく見えますね。

女王様はケラケラと笑っていました。
私が覗き込んでいる画が、殊の外おかしかったようですね。




午 後 1 2 時 3 0 分

第 5 展 示 室


第5展示室のテーマは、「人間と環境」です。
人間の活動が、環境や動植物へどのような影響を与えているかを考える展示となっています。



ホッキョクグマのはく製です。
地球温暖化により北極の氷が解け、ホッキョクグマの生息範囲は年々狭まっているようです。



こちらはホッキョクギツネ

「かわいい~! うちのレオみたい~!」

女王様はこのキツネがいたくお気に入りの様子。
ちなみに「レオ」は、本拠地でともに暮らす飼い犬です。


こうして、地球環境の変化に思いを巡らすということもなく、第5展示室を出てきたのでした。



完全私的旅「紅葉ドライブ2017」第4話に続く。


茨城県自然博物館・第1章~太古に生きた者たち

2017-11-25 | 美術館・博物館


2 0 1 7 年 1 1 月 1 2 日 ( 日 )

午 前 1 1 時 2 5 分

茨 城 県 坂 東 市

茨 城 県 自 然 博 物 館 ・ エ ン ト ラ ン ス



本拠地を出発してから約2時間。
途中の野田市内でゆったり朝食をとったため、



ミュージアムパーク茨城県自然博物館に到着したのは正午前でした。

ここの博物館は本館の屋内展示と、広大な敷地を誇る野外施設とに分かれています。
入館料は、屋内野外のセットで740円です。



この日はやたらと「サメ展」推しの博物館。
こういった企画展をやっているときは740円で、そうでないときは530円となっているそうです。

そして・・・翌日の茨城県民の日(11月13日)は、入館料が無料になっていたのでした・・・。

カネの話は置いといて、いざ、入館!



最初の展示は、いきなりの大物です。



マンモスの化石・・・でかい。
大きさは5メートル超。
マンモスは象に毛が生えたやつ、というふうに認識していた私は、ただただその大きさに驚きました。

案内板を見ると、このマンモスは松花江マンモスというそうです。
「まつはなえ」? ではなく、普通に音読みして「ショウカコウ」。
中国の内モンゴルで出土されたそうです。
よくよく案内板を見ると・・・(複製)とありました。そりゃあそうでしょうね。



その次はマンモスよりさらに大きい、恐竜です。
モンゴルのゴビ砂漠で発見された、ヌオエロサウルスというそうです。
推定体重は約60トン、体長は25メートル超、高さも10メートル超だったようです。



大きすぎて、2フロアにまたがっています。
全貌を拝見するのは、1階に下りてからということになりますね。



思えば、私はこのような科学博物館に来たことがありませんでした。
恐竜の骨格とかの展示は、この日はじめて目にしたのです。
この博物館を教えてくれた女王様に、私は心からお礼を申し上げたいです。




午 前 1 1 時 3 1 分

第 1 展 示 室


第1展示室は、「進化する宇宙」をテーマとしています。
さまざまな銀河、太陽と太陽系の惑星などの特徴や、宇宙空間の環境などについての展示が常設されています。

・・・あれれ? 女王様の歩みが早い?

せっかくだからゆっくり見ればいいのに、とは思いましたが・・・
科学に疎い女王様らしく、ここのコーナーは小難しいから飛ばしてしまうのだそうです。

「隕石を持ち上げよう」の展示だけで、私もこの部屋を出てしまいました。





ぬおおおおー!?



ダンクルオステウスの模型でした。
古生代、デボン紀後期(約3億8000万年~3億6000万年前)に生息していた魚類の祖先です。
体の前半分は硬い骨性の板で覆われていました。
あごが発達しており、当時の生態系において頂点に君臨していたといわれています。
骨格は化石になりにくい軟骨でできていたとされ、体の後半分の情報はほとんどないそうです。



ダンクルオステウスが泳ぐ古生代の海底トンネルをくぐって、次の展示室へ。




午 前 1 1 時 4 0 分

第 2 展 示 室


第2展示室のテーマは、「地球のおいたち」です。
この展示室では、地球をつくる岩石・鉱物や大地の様子とともに、さまざまな動物・植物の進化・移り変わりを紹介しています。

この日の翌日、11月13日に地質学においてチバニアン(千葉時代)の名称が誕生する見通しというニュースが流れましたが・・・
11月12日に博物館を訪れた我々はそのようなことは知る由もなく、また女王様の興味を惹かなかったことから、前半部分はほぼスキップ。


生命が登場する先カンブリア時代
生命が飛躍する古生代・・・はすっ飛ばして、

 

恐竜がわが世の春を謳歌する中生代へ。



こちらの恐竜、なんと動きます
さらに、おたけびを上げます



あまり動きのない四足歩行の恐竜はトリケラトプス
それを襲わんとしている二足歩行のティラノサウルス
・・・なのですが、実際の大きさはもっとあったようです。
トリケラトプスが体長約9メートル、ティラノサウルスは約11メートルで、この博物館のスペースじゃ置くことのできない大きさを誇ります。



それでも、小さな子供をおびえさせるには十分な迫力です。
博物館のミニチュアですらこれですから、実物に遭遇したらとても逃げられないでしょう。
今の世の中が「ジュラシックパーク」じゃなくてよかったです。

現在の恐竜は、よく見ると羽毛が生えています。
かつて子供のころ図鑑で見た恐竜は、ワニのように硬い皮膚で覆われていたように記憶していますが・・・
「恐竜は爬虫類ではなく鳥類が進化したもの」という、現在の学説が反映されているようですね。


大地の支配者であった恐竜は、6500万年前に絶滅してしまいます。
中生代から新生代・・・



一気に時は流れ、ヒトの誕生へ。
まず、二本足で立ち上がり・・・



地上に降り、道具を使うようになりました。
たぶん、アウストラロピテクスでしょうか。



ホモ・エルガステルという原人



われわれホモ・サピエンス・サピエンスの祖先にあたるクロマニョン人の登場をもって、第2展示室は〆となります。





アートアクアリウム2016

2016-09-06 | 美術館・博物館


2 0 1 6 年 8 月 1 1 日 ( 木 )

午 後 4 時 2 9 分

東 京 都 中 央 区 日 本 橋



この日は腰のあたりがくすぶっていたため、「接骨院に行く」ということで休暇を取りました。
しかしながらお盆のこの時期、近所の接骨院も休診。
拙宅で静養ということになりましたが、思いのほか腰の具合は悪くなかったので、お出かけしてみようということに。



南砂町のお婆様のところへお見舞いに行った後は、日本橋へ向かいました。



東京メトロ日本橋駅から地上に出ると、日本の交通の起点・日本橋【国指定重要文化財】は目の前です。



橋を覆う首都高速



橋の中央に立つモニュメントは麒麟像で、国道1号(&15号・20号)国道4号(&6号&14号&17号)との境になっています。


国道1号から国道4号に入り、だいたい200mほど歩くと、この日の目的地・COREDO室町に到着しました。
COREDO室町5階・日本橋三井ホールで開催されている「アートアクアリウム2016」の観覧にやってきたのですが・・・

ですがこの日はちょうどお盆休みまっただ中。
人列が上層階から伸びて、伸びて、地下へ。
人列はCOREDO室町の地下階では止まらず、まだまだ伸びて、東京メトロ三越前駅まで続いています。

最後尾に立っている係員によると、なんと60分待ちとのこと。
この日は中に入るのはあきらめ、市川に戻って夜景を見ようということになりました。






2 0 1 6 年 8 月 2 3 日 ( 火 )

午 前 1 1 時 2 0 分

J R 新 日 本 橋 駅


この日はJR総武線からやってきました。
お盆も終わった平日の昼間、それでも人は多く30分待ち

30分後、日本橋三井ホールへの入場を許された私たちは、さらに入場券を購入するために列に並ぶ・・・
ということはなく、あらかじめセヴンで購入していた前売券をもってあっさりと入場しました。



最初のフロアは、やや狭めの通路。



円筒の水槽と、その周囲にビー玉をあしらったアクアリウムが並んでいます。
白い照明を当てていて、水底に映る金魚の影もおもしろいです。
ビー玉はよく見ると、模様がなんとなく金魚に見えます。

  

  

ひとつの水槽には、ひとつの品種の金魚と、少々の水草。



この出目金、なんと目が上を向いています。
チョウテンガン(頂点眼)という種類で、中国産の金魚なのだそうです。



こちらはスイホウガン(水泡眼)という品種。
同じく中国産の金魚で歴史は古く、清の時代には貴族の間でに飼われていたそうです。



タンチョウ(丹頂)です。
なんとなくとくダネ!の小倉さんを連想してしまうのはなぜでしょうか?



通路を抜けると、広々としたホールへ。



赤ちょうちんのもとで花開く水槽の群れ。



この作品は「大奥」というそうです。



江戸城内における女の園は、御台所みだいどころ(将軍の正妻)を頂点とするピラミッド状の階級社会でした。



足元を照らす灯りです。
おやおや、御台所様の足元が写ってしまいました(^_^;)



この灯りも水槽になっております。
「アンドンリウム」という作品だそうです。



「大奥」の隣りにも、巨大なアクアリウム。



この作品は「超・花魁おいらん



アートアクアリウムの展示が今年で10周年になることを記念して、従来展示していた「花魁」という作品をより大がかりにリニューアルしたそうです。



花魁が使用人などを引き連れて馴染み客を迎えに行く「花魁道中」の様子を表しているのでしょうか。



お次はこちら。



「ロータスリウム」という作品です。
こちらは昨年もありましたね。



おじさまもじっくり観覧しております。
おやおや、水槽から金魚ちゃんが2匹逃げたようですなぁ(#^.^#)



広々とした空間には、巨大なアクアリウムとともに小ぢんまりとした作品もありました。



手鞠のような水槽は、「鞠リウム」という作品。
こちらも昨年からの連続出場ですね。



こちらは「プリズリウム」という作品。





アクアリウムの形による反射で、金魚も赤ちょうちんも複雑怪奇に見えてしまいます。



今年のアートアクアリウムは、江戸の硝子工芸・江戸切子をふんだんに取り入れています。

 

江戸切子の器をそのまま金魚鉢にしてしまった「切子リウム」という作品。



 

泳いでいる金魚もさることながら、使用している江戸切子が見事です。

  

 

江戸切子と金魚。
江戸の工芸の競艶もまた素晴らしい。



逆ピラミッドのシャンデリア。



これらのグラスも江戸切子。
その下にある作品は「江戸桜リウム」というそうです。



中に沈めてある江戸切子の器が、よりいっそうの涼やかさを引き立ててくれるようです。

 



これまた素晴らしい伝統工芸の競艶です。



ちょいとひと休み、とばかりに小規模なアクアリウム。



昨年より連続出場の円形アクアリウム。



中を泳ぐ金魚の朱色がとても印象的でした。

 

別の水槽にはころころかわいいピンポンパールが泳いでいました。



突如現れる獺祭だっさいの酒樽。



酒樽の足元には・・・





題して「獺祭リウム」でしょうか???



アートアクアリウムがやたらとパワープレイする「獺祭」は口にすることなく、最後の作品。



昨年もトリを務めた「ビョウブリウム」です。
金魚が泳ぐ屏風に、CGによる物語?が描かれていきます。
物語は1周5分、そのために人山の黒だかりが絶えません。



雲でしょうか?



川だったようです。
今年のビョウブリウムは水墨画をイメージしているようです。



梅の花が咲き誇り・・・



あれ? 水墨画ではない・・・?



場面は京都か奈良か?



都の夕暮れ。



都が朱に染まります。



終わった? いや、よく見ると大きな金魚の魚影が。



秋の草花が咲き誇ります。



スタッフロールが現れて、物語も、アートアクアリウムも終幕です。



完全私的夏休み2016・第5話「アートアクアリウム2016」 完

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通天閣~商魂

2016-04-26 | 美術館・博物館


2 0 1 5 年 3 月 2 3 日 ( 月 )

午 後 4 時 5 5 分

大 阪 市 西 成 区

J R 新 今 宮 駅





新今宮駅で下車し、大阪を南北に通る大通り・堺筋に出ました。



めざすは大阪のシンボル・通天閣【国指定登録文化財】です。

このまま通天閣を最短経路で向かってもよかったのですが、私の通天閣に対するイメージといえば・・・
通りの前面にド~ンとそびえる通天閣!
そのイメージどおりの画が見たかったので、回り道して向かうこととしました。

周辺地図を確認したところ、通天閣に一直線に通じる通りは、堺筋を北に歩いたところにあるようです。

・・・なんかこう、大都市の街並みとはなにか違う、殺伐とした雰囲気はなんだろう・・・?

そういえば新今宮駅は西成区にあります。
新今宮駅の南側は、あのあいりん地区がすぐ隣に。
駅の北側は浪速区なのですが、南側の雰囲気をそのまま引っ張って来たかのような雰囲気を感じてしまいます。
手荷物多い旅行者の私は、いつも以上に通行人への警戒を解かぬまま、堺筋を歩きました。



堺筋を歩くこと約500メートル。
阪堺鉄道恵美須町駅に到達。
「はんかい線」って鉄道があることを初めて知りました。

堺筋をはさんで恵美須町駅の対面に、



通天閣本通の入口がありました。



目の前にドド~ンてとそびえたつ通天閣!
でもなんか私の思い描く画とは違う・・・?
アーチ状のなにかが、ちょいとじゃまにも見えます(^_^;)



通天閣本通の終点、すなわち通天閣の入口に着きました。



入口からしてはやくもカオスの状況を呈しています。
展望台ではありますが、まずは地下1階に潜ることとなります。

そこそこの行列が並びます・・・さすがは大阪を代表する観光地です。
その中でも漢の一人旅はどうも私だけ。
やめときゃよかったかな~?



レトロ調を目指した内装?のようですが、かえってチープな感じもしてしまいます(^_^;)
やっぱりやめときゃよかったかな~?



エレベータが近づいてきたようです。


展望フロアへのエレベータに乗りました。



エレベータの天井からは、公式キャラのビリケンさんが見守ってくださいます。
「ビリケン」と聞いて、藤子不二雄A氏の「ビリ犬」を思い出したのは私だけでしょうか?

エレベータは、地上約80メートルの展望フロアに到着しました。


まずは東側。



日本一の高層ビル・あべのハルカスが、こちらを見下ろしています。

やっぱハルカスにすればよかったかな~?

次は西側。



ユニバーサル・シティがあったような・・・(?_?)
地図を見て妙に頭に残っている「咲くやこの花高校」とかいう高校もあったかな?



北西方向。
大阪ドームが見えています。
そういえばいまは「京セラドーム大阪」っていうんだったか。



北方向。
大阪ビジネスパークの高層ビル群が居並ぶ中、



大阪城天守【国指定登録文化財】が存在感を出している?・・・やや埋もれている感もありますなぁ(^_^;)



展望フロアを一周。
展望窓とは反対側にたたずむビリケンさん。

ビリケンは通天閣にある妖怪・・・ではなく、生まれは意外にもアメリカ。
女性芸術家フローレンス=ブリッツ「夢の中で見た神様」をモデルに製作したのが始まりとされています。
その後、シカゴの企業ビリケンカンパニーがビリケン像を制作、販売したのがもとで、世界に広がったそうです。

日本には明治時代にやってきました。
大阪の田村商店(繊維商社で、現在は田村駒株式会社)が商標登録を行い、通天閣に併設された遊園地にビリケン堂を建立したことから、ビリケンは通天閣の神様ということになったそうです。


そして、ビリケン像の足の裏をなでるとご利益がある・・・ということですが、私は当然スルーしました。


展望フロアをもう1周。
今度は説明写真を見ながら、眺望を楽しむとしましょうか。



なになに・・・スパワールド 世界の大温泉とな?
こんなの展望台からわざわざ見下ろすようなシロモノなのか?



すぐ下! 説明書きなどいらんわ!



なになに・・・今度は天保山か。



んなもん、見えるかい!
※天保山は、標高4.5m、日本一低い山


通天閣がかましてくるボケの数々に対し、漢の一人旅の悲哀か、こっそりクスっと微笑むリアクションをとるのが精一杯。
誰かと一緒にいれば、「あほやな~」みたいに笑いを共有できるのですが・・・やっぱりここは一人にはつらい場所かもしれません。



しかし通天閣の本領は、展望フロアを下りたあとに待っていました。



帰りのルート、まずは通天閣の歴史を紹介するフロアです。



なんだ、この賽銭箱は!?
小銭を寄付する理由もないので、そそくさと通過。


今度は江崎グリコの歴史を紹介するフロアでしょうか?



「ひとつぶ300メートル」のキャッチフレーズでのロングセラーを誇るキャラメル「グリコ」。
その絵柄である「ゴールイン・マーク」の変遷をまとめたもののようです。

だからなんなんだ、この賽銭箱は!?

そして江崎グリコのアンテナショップへ。
このアンテナショップ、順路に完全に組み込まれていて、レジ前を強制通過しなければならないのです!!

・・・汚い、汚いぞ、江崎グリコ!



併設されている飲食用のテーブル。
江崎グリコの人気商品「ポッキー」が全面にラッピングされています。
マザー牧場のパンフがありましたが、なんででしょうか?


商魂たくましい通天閣の攻勢をかわして、



最後も、土産物店を強制通過させられたうえで、ようやく外に出られました。



やっぱりあべのハルカスにしておけばよかったかな~?



通天閣のおもてなしにすっかりヤラれてしまった私。



「安心と信頼の日立グループ」・・・フ~ン(;一_一)



ビリケンさんの足を撫でることなどまったく意識せず、そそくさと新世界を後にしたのでした。



日本100名城の旅・第14弾「はじめての四国」第50話へ続く。