鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

栗林公園・第1章~北庭

2016-01-26 | 公園・庭園


2 0 1 5 年 3 月 2 2 日 ( 日 )

午 前 9 時 1 2 分

香 川 県 高 松 市

特 別 名 勝 ・ 栗 林 公 園



高松市内をママチャリで回り、朝っぱらからうどんを2杯平らげた私は、日本三名園にも勝ると評される栗林公園【国指定特別名勝】に着いたのでした。



栗林公園の東側の入口・常磐橋から入園。

駐輪場でチャリを停め、園内に入る前にトイレによって、観光案内所に立ち寄りました。
ここで栗林公園のパンフなどの情報をもらおうと思ったのですが、ここではパンフはもらえませんでした。
しかし高松市内のうどん屋さんの情報をゲット。
おおいに役に立つこととなります。





東門(切手御門)の券売所で入園券を買います。
入園料金は、大人が410円です。
開園時刻は月によって変わってきますが、私が訪れた3月は午前6時30分からと、かなり早い時刻から入れます。
開園時刻の遅い12月~2月でも午前7時から、早い4月~9月はなんと午前5時30分からと、夜が明けてすぐにも入れるのです。





中に入ってみると、広々とした園内に手入れの行き届いた植栽がところどころに配置されています。
庭園の向こうにそびえ立つのは紫雲山
処々の場面にて、紫雲山は借景となって佳景に立体感を与えます。



大名の御殿のようなこの建物は、商工奨励館
この日は工事のため中には入れなかったのですが・・・
それにしてもところどころの松の木が見事に立っています。



商工奨励館の近くに立っているのはお手植松
大正時代に皇室の方々がご来園されたおりに植えられた松で、昭和天皇(当時皇太子)のお手植えの松、英国王エドワード8世(当時王太子)の手による松が立ち並びます。



松。



松。



とにかく、松。

栗林公園は「松の庭園」と称されるほど、松の造形美が素晴らしい庭園といわれます。




少し歩けば、小川の流れる光景。
栗林公園は「一歩一景」、一歩歩くごとにちがった景色を味わうことができるといわれています。

現在地を確認すべく手持ちのパンフを見てみると、この小川は潺湲池というようです。読めません。



小川、ではなく潺湲池(たぶんセンエンチ?)に沿う小路を歩きます。
公園の北門を見やりながらさらに歩くと、園内で一番大きな池・群鴨池(ぐんおうち)に出ました。



池の端にかかる永代橋という石橋から眺める群鴨池。



反対側は、芙蓉沼という沼。
夏になるとハスの花が沼を彩ります。



橋の向こうにある北梅林の梅花はこれからが見頃といったぐあい。



群鴨池に出っ張るようにして建っている瞰鴨閣(かんおうかく)



池で越冬する鴨をこの瞰鴨閣からうかがいました。
群鴨池はその名から連想されるとおり鴨の狩猟池で、5つの島が浮かんでいます。



池の末端にある鴨場
鴨をここまで追い込み、鴨引き堀という細い溝に閉じ込めて捕獲しました。



栗林公園の北庭を回り、入口まで戻ってきました。





日が昇り、樹木の緑がよりいっそう際立っていきます。





うどん巡礼・第1章~中西うどん&たも屋

2016-01-17 | グルメ


2 0 1 5 年 3 月 2 2 日 ( 日 )

午 前 7 時 4 5 分

う ど ん 県 高 松 市

琴 電 片 原 町 駅




片原町で借りたレンタサイクル。



本日の相棒「45XY号」にまたがり、高松の市街地を走ります。
(レンタサイクルの整理番号下2ケタを忘れてしまったので、ここでは末尾の数字を"X""Y"とします)

最初にめざすうどん屋は、私があらかじめチェックしていた「上原屋本店」
栗林公園のすぐ近くにあるので、ここで朝うどんを食べてから早めに栗林公園に入る・・・そういう計画でした。

高松港から南に伸びる国道30号・高松中央通りを南下。
国道30号は高松中央公園の前で国道11号と合流。

そのまま南下していると、右手に栗林公園が見えてきます。
広大な栗林公園に沿って走る国道11号。
公園の向かい側、道路の左沿いにその店はありました。しかし・・・

開店 午前9時から、日曜日休業。

店の場所と経路は調べておいたのですが、肝心の営業日&営業時間を調べ忘れていたのです!

・・・・・・気を取り直して、うどん巡礼を続行、用意していたうどん店リストをあらためて拝見。

すると、栗林公園から少々郊外へ出たところにある「中西うどん」が、朝6時から営業で日曜も開店していることをつかみます。
私は「45XY」にまたがり、さらに国道11号を南下すること約2km。



「ウチの近所にある丸源ラーメンは高松にもあるのか~」
なんてちょっとばかりの驚きとともに、「45XY」と私はさらに南下。

高松自動車道の高架をくぐる交差点を越え、国道193号・高松空港通りに直進。



国道193号。
「酷道」業界では「一休さん」の名で畏怖される存在です。
その恐るべき「一休さん」を進むこと約1km、その本性が顕わになる前、



「中西うどん」の案内看板を発見。
おやおや、本日(日曜日)の開店時刻は午前7時とな? ならば問題なし。
案内看板のとおり交差点を右折・・・

朝なのに行列!?

まさか「中西うどん」はそれほどまでの人気店なのか!?
しかし地図と場所が違う??

よく見るとそこは「菓子工房ルーヴ」高松空港通り店でした。
行列を見つけるとなんとなく興味がわいてくる私ですが、この日は効率よくうどん屋さんを回る腹づもりだったので、行列はスルー。
そのまま「中西うどん」へ急行します。

交差点を曲がってから約500mほどで、



ようやくこの日1杯目うどんにありつけそうです。さっそく入店。

ところで今回私の中では、うどん巡礼を行うにあたってルールを設けました。
 ・注文するうどんは温かけうどん。せっかくなのでおなじかけうどんで食べ比べをします。
 ・うどんのサイズは小サイズ。何軒もハシコするため、胃袋に余裕を持たせます。
 ・天ぷらは頼まなくてもよしとしますが、食べるときはちくわ天とします。
 ・おでんは食べても食べなくてもよしとします。
 ・ネギはひとつまみ、天かすもひとつまみまで。あくまでメインはうどんとおつゆ。
 ・移動中にうどん屋を見つけたときは必ず立ち寄る。
こういうルールでうどん巡礼をしていきます。
しかし私のこと、こういうルールを守ったためしはなく、今回もじょじょにルールを空文化していきます。

さて1杯目のうどん。当然かけうどんです。
サイズの表記は「大中小」ではなく「1玉2玉3玉」
というわけでここでは温かけの1玉(250円)を注文。
そして最初のお店ですから、ちくわ天(120円)とおでん(110円)も追加。

「中西うどん」は、うどん県ではメジャーなセルフ方式のお店。
天ぷらとおでんを自分で取って・・・と、ここまでは普通。
そしてうどんはうどん玉のみがどんぶりによそわれて渡されます。そしてお勘定。
その後、レジ近くの湯槽でうどん玉をザル(ラーメン屋やうどん屋でよくある取っ手付きのやつ)に入れて自分で湯がいてかけだしを注いでいきます。

丸亀やはなまるのようなチェーン店に慣れている私にとって、純然たるセルフ方式はなかなか戸惑います。

かけうどんの場合は、まずどんぶりをお湯で温めて、うどんをだいたい10秒ほど湯がいて、だしを機械で注いでできあがり。



かけうどん! ずるずるずるずる・・・うまい!
ちくわ天!
サクッ・・・うまぁい!

手打ちのうどんはコシが強く、だしも香り高く、うまい。
チェーン店のものとは比べ物にならないです。

この日1杯目のうどんをあったり完食。
ここは1玉ではなく2玉にすべきであったか?




午 前 8 時 4 4 分

中 西 う ど ん を 出 る


「中西うどん」をあとにして、栗林公園に向かいます。

GoogleMap先生によると、栗林公園へは別のルートをとったほうが近いとのこと。
そこで、さきほどの道を引き返さずさらに進み、国道32号に合流。



あ、2軒目発見。
なかなか広い駐車場には自動車も数台停まっているし、これは立ち寄っていこう。

2軒目は「たも屋」勅使店。
店内もそこそこ広いし、これはチェーン店ぽいなぁ~、まぁ期待しないで食べてみよう…。
今回もかけうどんの1玉(230円)、麺を自分で湯がいて…と。



2杯目のかけうどん!・・・ずるずるずるずる・・・ああっ! うまい!!
ここは麺もうまかったけど、かけだしがまぁ~うまい!
あまり期待しないでいただけに、なんともうれしい誤算です。

店内のポスターでわかったのですが、このたも屋、テレビにも何度ともなく登場し、そして有楽町やシンガポールにも店舗があるそうなのです。




午 前 8 時 4 4 分

た も 屋 を 出 る


例によって店内でgoogleMapを見て、栗林公園への道を確認しておきました。

予想を上回る味に満足しながら、自転車にまたがって国道32号を北へ進みます。

たも屋から進むこと600m、またもうどん屋が!
うどん屋を見たら立ち寄る、なんてルールを打ち立ててしまった以上、立ち寄らないわけにはいきません。

今度のうどん屋はなかなかこぢんまりした「讃岐うどんきまい(生舞)」…あれ?開いていない??

立て続けにうどん3杯はさすがにきついなぁ~と思っていた私は、内心ホッとしながら栗林公園への道を急ぎ進んでいきました。





うどん巡礼へ出陣!

2016-01-16 | 移動の旅


2 0 1 5 年 3 月 2 2 日 ( 日 )

午 前 6 時 0 0 分

う ど ん 県 高 松 市

キ ャ ン プ 地 ・ 高 松 フ ァ ー ス ト イ ン



この日もスタートは高松ファーストインから。



私が泊まっているこのホテル、アクの強いホテルだったのです。

表にあるホテルの看板でわかるとおり、主力は銭湯とカプセルホテル。
私が泊まっているシングルルームはいわば例外的な扱いのようです。
1階が銭湯だからなのか、このホテルはスリッパの用意がありません。
最悪の場合、裸足でホテル内をうろつくこととなります。
そのかわりお風呂は深夜でも早朝でもほぼ自由に入ることができます。

この日も、まずは目覚めの朝風呂。
そして、前日は早朝出立のためいただくことができなかった、ホテルの朝食をいただきます。
朝食は、よくある朝定食のようなボリューム控えめのものでした。



さてこの日は、青春18きっぷの出番はありません。
高松市内をぐるぐる回っていきます。

まずはミシュラン★★★の庭園・栗林公園
前日、前々日と、そばは通るけど中には入らなかった高松城・玉藻公園
そのあいだにうどん屋を何軒かぶっこんで・・・
ラストのうどん屋をどこにしようか・・・という行程です。

最後のうどん屋は、水曜どうでしょうでもおなじみのにしよう。
そう思って場所なり何なりググって調べたのですが・・・
そーか、そーか、ここはやめよう。

そうだ! どうでしょうでおなじみといえば、八栗寺のふもとにある山田家さん!
スカイツリータウンの支店には行ったけど、本店にはもちろん行ったことはありません。
うどん巡礼の〆に山田家さんのざるぶっかけうどんをいただくこととして、ホテルを出ます。



移動するのは高松市内ということで、交通手段はすっかりおなじみのレンタサイクルです。

旅に出る前に高松市内のレンタサイクルを調べたところ、ここでは利用承認申請書を提出しないといけないのです。
旅先での時間ロスは少しでも避けたいところ、申請書はダウンロードできるので旅に出る前にあらかじめ記入しておきました。

  ※高松市のレンタサイクル利用承認申請書は、こちらをダウンロード ⇒ https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/file/18197_L39_riyousinnseisyo.pdf

記入済みの登録申請書、うどん屋の位置を印刷しておいた紙などの書類をクリアファイルに入れて所持し、ホテルから最寄りのレンタサイクルポートへ。



琴電・片原町駅の向かいにあるレンタサイクルポートへ。
ちょうどそこにいたオヤジに申請書を出すと、申請書は片原町駅の中にある事務所に出すのだと。
じゃあということで事務所に申請書を出すと、レンタサイクル利用証なるカードが交付されました。
レンタサイクルポートの出入りはカードで管理されているのようです。
このカードは何回でも使える素晴らしいカード・・・観光客にこのようなカードをわざわざ作るとは、高松市は財政的に余裕があるのでしょうか。
私がこのカードを2回目に使う日は、果たしてやって来るのでしょうか??



ともかく、まずは最初の1杯を食するべく、栗林公園方面へチャリを駆ったのでした。





ゆっくりと高松へ戻る

2016-01-10 | 鉄道の旅


2 0 1 5 年 3 月 2 1 日 ( 土 )

午 後 5 時 0 4 分

愛 媛 県 今 治 市

J R 今 治 駅



今治城なにかに追い立てられるように登城し、JR今治駅に戻ってきました。

私を追い立てた「なにか」とは?
そうです、1,500円を人質?に取ったレンタサイクルです!
まぁ、今治城の登城については満足にできたので何も言いますまい。
それに本来1,000円のところを500円にしてくれたのだから・・・

もうすぐ日没のため、この日の城攻めは今治城をもって終了。
この旅のキャンプ地である高松に戻らねばなりません。

18きっぷユーザーの私は、当然のことながら特急なぞ使いません。乗るは鈍行のみ!

今治駅から東へ向かう電車は、17時36分発の予讃線・観音寺行きです。
これに乗ってしまえば乗り換えなしで愛媛県を脱出できそうです。

発車時刻までは30分ほどあります。
高松に到着するのは午後9時を過ぎそうなので、今治駅で夕食をとっておきます。



本日2杯目のかけうどん! ズルズルズル・・・うまい!

そして今治の名産品といえばタオル。



小さなフェイスタオルを自分用に買っておきました。

発車時刻までまだ時間がありますなぁ~。



駅の中に「バリィさん」がお立ちになっていました。
私は知りませんでしたが、2012年にゆるきゃらグランプリを受賞されていて、かなりメジャーな御方なのだとか。

改札そばの駅員事務所には駅スタンプが置いてありました。



「タオル生産日本一の駅」・・・いやいや、今治駅は1枚もタオルを作ってねぇだろ・・・ってツッコミはなしでお願いしますm(_ _)m

今治駅のスタンプをもらったところ、今治駅の事務員さんが、「ほかの駅のスタンプもありますよ」
というわけで、さらにスタンプをゲットできました。



「造船の町 大西」・・・今治駅から松山寄りへ3駅、大西駅のスタンプ。
「予讃線」がまだ「予讃本線」だったころの古いスタンプですね。



「菊間瓦のある駅」・・・大西駅からさらに松山寄りへ2駅、菊間駅のスタンプ。
これまた「予讃本線」時代の古いスタンプ。

駅事務員さんとの温かい交流を経て、電車がやってきました。



駅名標はすっかりオレンジ色に染まっています。
17時35分、定刻どおり2両編成の電車がやってきました。




午 後 5 時 3 6 分

今 治 駅 を 出 発


今治駅から東へ。
ご乗車の電車は、予讃線・普通電車・観音寺行きです。

2両編成の電車で、私は前の車両に乗りました。



"This train is bound for."
"for"の後ろが省略されている?? 文脈から読み解けってか?!



「この電車は リセット リセット行 です」
この電車は何をほざいておるのだ??


隣りに座った地元JKが会話をしています。
耳をそばだてて会話が耳に入ってきたのですが、伊予西条駅の「とらや」でお菓子を買って帰る云々・・・。

「とらや」といえば羊羹が名高い菓匠、あの「とらや」が伊予西条にあるのか・・・?

ともかく電車は私にとって因縁ある伊予西条駅に到着しました。




午 後 6 時 1 7 分

愛 媛 県 西 条 市

J R 伊 予 西 条 駅




伊予西条駅では22分停車。2両しかない車両はここで1両切り離しです。



伊予西条駅の北口から外に出てみました。



北口の目の前にある「とらや」。
さっそく入店してみると、お高くとまったたたずまいではなく、地元によくある普通の和菓子屋さんのようです。
羊羹の「とらや」とは別物のもよう。



「うちぬき」という小さなお餅の和菓子と、マドレーヌをひとつずつ購入しました。
停車時間はそれほど長くはないので、伊予西条駅に戻りました。電車が発車する前に実食。



「うちぬき」は甘さ控えめのお上品な味。
マドレーヌはふつうにおいしゅうございます。



さらに、松山駅で買ったじゃこ天も食べてしまいます!
・・・甘いものを食べたからか、あっさりした塩味、旨味を色濃く味わうことができました。




午 後 6 時 3 9 分

伊 予 西 条 駅 を 発 つ


1両となってしまった電車に乗り込み、伊予西条駅を発ちました。



伊予西条から先、電車はワンマンカーとなりました。
あやしげな表示をしていた料金表も、問題なく稼働しています。
それにしても初乗り料金が220円というのはちょっぴり高額な感じもします。



電車は愛媛県から香川県に入り、



定刻より5分遅れの20時09分に観音寺駅に到着しました。

この次に乗る電車は、20時26分発の多度津行き。



待ち時間の17分を利用して、駅の周辺をぶら~り・・・といってももう真っ暗。
あまり遠くには行かず、近くのミニストップでお茶でも買って、電車を待ちました。




午 後 8 時 2 6 分

観 音 寺 駅 を 出 発


多度津行きの電車は定刻どおりに出発。

外は真っ暗で、もはや何も見えない。
朝4時に起きた私にとって、あとは車内で眠るだけ・・・。

そう思っていたら、わずか30分で多度津駅に到着。
眠るいとまもありませんでした。


多度津駅で乗る電車は、やっとやっとの高松行き。
乗り換え時間はわずか1分。
さらに車両はワンマンカーの1両編成。

高松に近づくにつれて車内は手ぜまになり、あまり休めません・・・。
そこで、坂出駅で下車。
ここで因縁の快速マリンライナーに乗り換えます。

マリンライナーには指定席券がなくても乗車できます。
そして指定席券を買ったら負けです。




午 後 9 時 3 8 分

高 松 駅 に 到 着




なんだかちょっと神秘的でもある "Smile Station" 高松駅を背にして、キャンプ地のホテルに戻っていきました。



【今回の乗車記録】

JR今治駅(Y40)1番のりば 17時36分発
[Y]予讃線 普通 観音寺(Y19)行き 2両
3番のりば 20時09分着(遅れ5分)

JR観音寺駅(Y19)2番のりば 20時26分発
[Y]予讃線 普通 多度津(Y12)行き 2両
2番のりば 20時56分着

JR多度津駅(Y12)1番のりば 20時57分発
[Y]予讃線 普通ワンマン 高松(Y00)行き 1両
坂出駅(Y08)1番のりば 21時09分着

JR坂出駅・1番のりば 21時23分発
[Y]予讃線 快速 マリンライナー63号 高松(Y00)行き 5両
6番のりば 21時38分着
【移動距離】144.9km  【運賃】18きっぷ使用(不使用の場合は2,750円)





今治城・後章~スタンプラリーは時間との闘い

2016-01-04 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 5 年 3 月 2 1 日 ( 土 )

午 後 4 時 2 6 分

愛 媛 県 今 治 市

今 治 城 天 守 閣



天守の中で、100名城スタンプとともに見つけてしまったこの台紙。



「今治城櫓めぐりスタンプラリー」です。
スタンプを全部そろえると景品がもらえる・・・とのことで、旅の思い出づくりにスタンプラリーに挑みます。

さっそく「1.天守」のスタンプを頂戴いたしますよ~。



1番、天守!
絵柄は天守閣とゆるきゃら「バリィさん」です。


さてさてこの天守、歴史的価値の観点から分別すると「模擬天守」という種別にあたります。

歴史的価値の高い順に・・・
1.現存天守 ・・・ 天守が現役であった江戸時代までに完成した天守で、それ以降ずっと残っているもの。
2.再建天守 ・・・ 天守が使用されない明治時代以降に再建された天守で、現役時代の工法をもって再建されたもの。
3.復興天守 ・・・ 明治時代以降に再建された天守で、現代の工法で再建されたもの。
4.模擬天守 ・・・ 天守がなかったり、天守があった当時とは外観があきらかに異なるなど、史実に基づかない天守。

そして今治城には天守がなかった・・・わけではなく、藤堂高虎が築城した当時は層塔型の天守があったとの記録があります。
ただし、天守があった期間は短く、その天守も丹波亀山城(京都府)に移築されたそうです。



そして現在再建された天守は望楼型で、移築されたとされる丹波亀山城の天守とは外観が異なることから、史実に基づいていないとされ「模擬天守」とされるのです。



100名城スタンプの絵柄が天守でないのは、このあたりに要因があるのかもしれませんね。



時刻は午後4時半を回ろうとしています。
今治城の閉城時刻が午後5時。
そしてレンタサイクルの返却時刻も午後5時。
スタンプラリーは時間との闘いとなってきました。



天守から出た私は、櫓を反時計回りにめぐることとしました。
すなわち次に向かうは、



北東にある御金櫓【再建】です。



なにかの石碑のようですが、時間がない私は読まずにスキップ。



今治城2体目の銅像。下の字は読めません。
碑文に目をやると、「今治綿業の父」矢野七三郎の像のようです。
そういえば今治はタオル生産日本一の街。
おみやげに1枚買って帰るのもいいかもしれません。



城壁沿いの武者走りを駆け上り、御金櫓に到着。



2番、御金櫓!
そして御金櫓の中ではなにやら絵画が展示されています。
どうも各々の櫓が小さな展示会をやっているかのようです。



私の目を惹いた1枚。
私にはあーとへの造詣はないので、この絵をどう評するかは読者の皆様に委ねたいと思います。



御金櫓を出ると、西日に照らされた逆光の天守。



北東の御金櫓を制し(?)、



次は北西の(くろがね)御門【再建】ではなく、そのそばの武具櫓【再建】です。

 

西側の城壁に上がったところからの模擬天守はなかなか画になってます。



武具櫓に到着、このとき時刻は午後4時38分。



お先に4番、鉄御門&武具櫓!
さあ残るは「3.山里櫓」だけだ~と思っていたら、武具櫓のおっちゃんいわく。

「山里櫓はもう閉まってると思うから~」

なにっ!? ここでは5分前行動ならぬ20分前行動なのか!?
しかしおっちゃん、

「残りのスタンプも押してください」



3番、山里櫓! そして・・・



達成スタンプ! 藤堂高虎公!!



思いがけずスタンプ制覇を成し遂げたので、景品のもらえる天守に戻ります。
その時刻、午後4時46分。
天守の看板を見ると、「入場は4時30分ごろまで」とあるので、相当ギリギリであるといえます。

さてと、景品は何かな~?



おおっ、これはなかなか素敵な絵はがきですな~(*^_^*)
うんうん、スタンプを必死になって(^_^;)かき集めた甲斐があるってものです。



スタンプはそろい、景品ももらいましたが、



天守の西側・山里櫓【再建】のほうにも行ってみました。



鉄御門とは反対側のこちらにも櫓門が構えられています。



櫓門を出たところからの天守はなんとも端整で美しい!



さざなみひとつなく、水鏡のごとき水濠と、往時の姿を残す石垣。



武具櫓のほうを望みます。
今治城の水濠は意外と大きいことがわかります。
現在は埋め立てられてしまいましたが、海から船がお濠に入ってくる姿が思い起こされます。




午 後 4 時 5 2 分

今 治 城 を 出 る


おだやかな晴天、夕日の朱に染まる天守を見てみたかったのですが・・・



「おのみち010940A」の返却期限が間近に迫っています!!
レンタサイクルのおっちゃんが突き付けてきた非情なる条件・・・

17時までに返却すれば、おつりの500円と保証金1,000円をお返しします。
17時までに帰ってこなかったら、1,500円はボッシュートね(^^♪


この1,500円惜しさに、私は「おのみち010940A」にまたがり、この日2度目のチャリで暴走。
今治市街を颯爽と・・・なんてものではなく無我夢中で駆け抜けて、今治駅臨時レンタサイクルターミナルに到着。

時刻は午後5時を回っていましたが、おっちゃんは帰らずにいて、無事1,500円を奪還したのでした。





今治城・前章~築城の名手

2016-01-03 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 5 年 3 月 2 1 日 ( 土 )

午 後 3 時 4 1 分

J R 今 治 駅 南 口



この日は松山城湯築城?と続き、最後の3城目が今治城



今治駅の南口。
今回もレンタサイクルの力を借りるべく、予讃線の高架ぞいに東へ歩き、JR今治駅臨時レンタサイクルターミナルへ。



今治で借りた自転車「おのみち010940A」です。
なぜ「おのみち」??
今治と尾道は瀬戸内海を挟んで対岸にある街。
その2つの街を結ぶしまなみ海道をサイクリングしたい、と思うのは至極当然のこと。
ここのレンタサイクルは対岸の尾道で乗り捨てることができるのです。
そのかわり故障・紛失のリスクも高いため、借用時には賃料を支払うほかに保証金を預ける必要があります。
(ただし乗り捨ての場合、保証金は没収されます)

レンタル料金は1日1,000円と割高。保証料も1,000円。
ですが、今治にいる2時間程度で1,000円は高いと察してくれたのか、レンタル料金は半額の500円にしてくれました。
ただしおつりの500円玉を持ち合わせていないということで、おっちゃんには2,000円を預けます。
そのかわりに非情なる条件が。

17時までに返却すれば、おつりの500円と保証金1,000円をお返しします。
17時までに帰ってこなかったら、2,000円はボッシュートね(^^♪


営業時間は17時で終わりで、(早ぇとこ家に帰りたい)おっちゃんは帰っちゃうのだと。
ということは、明日高松市内をめぐる私にとっては、17時に戻らないと1,500円を諦めなければならないことになります。
時刻は午後4時に差しかかろうというところ。
今治城をめぐる時間は1時間もなさそうです。



「おのみち010940A」にまたがった私は、今治市街を颯爽と駆け抜けて、



レンタサイクルターミナルから10分ほどで今治城に到着しました。



御門をくぐる前に水濠を見渡しましょう。

 

今治城は讃岐高松城豊前中津城とともに「日本三大海城」のひとつとされています。
まぁ、この「日本三大○○」自体不明確なものではあるのですが・・・ともかく今治城は海のそばにあるということで、その水濠は海水を引いています。
右の画像にある濠からの水路は海に通じています。



水濠に泳ぐ魚は海水魚のチヌ(クロダイ)です。



それでは入城。

 

二の丸を守る(くろがね)御門【再建】です。
現在再建されているのは櫓門であるこの門のみですが、往時はこの門の前にもうひとつ門があって、枡形虎口を形成していました。



鉄御門の脇には武具櫓が建っています。


鉄御門をくぐった先に、さっそくご登場。



晴天を貫かん勢いで直立する天守【模擬】と、その主の銅像。



 

藤堂高虎は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名で、今治城をはじめ宇和島城伊賀上野城江戸城など多くの築城に携わり、黒田官兵衛孝高加藤清正とともに「築城の名手」と称されます。
また主君を7回変えた武将ですが、そのたびに禄高を高めていきました。
はじめは出身地・近江国の戦国大名・浅井長政に足軽として仕え、浅井家滅亡後はその旧臣阿閉貞征(あつじさだゆき)、次いで同じく浅井旧臣の磯野員昌(かずまさ)、員昌の養子となっていた津田信澄織田信長の甥)の家臣として仕えます。
しかしいずれも長続きせず、津田信澄とはそりが合わなかったようで、やがてその元を去ります。
次に仕えた信長の重臣・羽柴秀吉の弟・秀長は高虎の能力を高く評価し、高虎も功績を重ねていき大名に列せられるまでになりました。
天正19年(1591年)、高虎の最大の理解者ともいえる豊臣秀長が死去すると、甥で養子の豊臣秀保に仕えますが、秀保が早世するとその菩提を弔うべく出家して高野山に上ってしまいます。
しかしその将才を惜しんだ豊臣秀吉が呼び戻したため還俗、さらに伊予国板島7万石の大名に封ぜられました。このときに宇和島城を築城し、「板島」から「宇和島」に改称しています。

慶長3年(1598年)8月の秀吉の死去直前から徳川家康に急接近していきます。高虎は豊臣恩顧の武将ともいえますが、家康の天下泰平の志を理解していたから家康についたといいます。
関ヶ原の戦いでは東軍につき、西軍の名将・大谷吉嗣(よしつぐ)と死闘を演じ、戦後に家康から宇和島の所領に加えて今治20万石に加増されました。
関ヶ原の戦いの後は天下泰平の時代が近いと考えた高虎は、交通の便の良い港近くに今治城を築城しました。
以後は徳川家の重臣として仕え、江戸城改築などに携わり、伊賀伊勢22万石に加増移封され、津藩主となります。
家康は高虎の才と忠義を高く評価し、外様大名でありながらも譜代大名と同等に重用しました。
大坂の陣では徳川方として参戦し、豊臣方の長宗我部盛親隊と死闘を演じ、戦後32万石に加増されました。
家康死後は2代将軍秀忠、3代将軍家光に仕え、寛永7年(1630年)10月5日に江戸で亡くなります。享年75。


ちなみに東京の神田和泉(いずみ)町は、津藩の藩邸があったところで、高虎の官位であった和泉守からその名がついています。



次は天守に向かいます。



天守に入るには、まず櫓門をくぐって本丸に入ります。



本丸にある吹揚神社を正面にして、その右側に天守への入口があります。
天守への入場料は、大人500円。
天守内は資料館になっています。



なぜ仕込み杖?

「細身の刀剣を杖の中に仕込んで、杖と武器を兼用したもの。明治期の廃刀令(明治10年3月28日)以降、護身用としてさまざまな形の仕込み杖が作られた。」

説明書きより。これだけだとなんで今治城の資料館に置かれているか疑問なのですが、

「この仕込み杖は、今治藩の最後の藩主であった松平定法が所用したものと伝わる。
 握り手の突起を押すと、留め金がはずれ、杖から刀を抜きだすことができる構造となっている」


なるほどねぇ~。
この仕込み杖が唯一私の気を引いた資料でした。


天守最上階に到達。



遠く北西を見渡すと瀬戸内海、そしてしまなみ海道・来島海峡大橋が見えます。



また遠くを見ずに見下ろすと、先ほどの鉄御門藤堂高虎公像
水濠の向こうには今治港が至近にあることがわかり、今治城が海城(水城)であることがよくわかります。



天守の北東には御金櫓【再建】という隅櫓が建っています。
やはり向こうには海が見えますね。



天守の西側には山里櫓【再建】が建ちます。


天守からの眺めをひととおり味わったところで、忘れてはいけない100名城スタンプ。



79番、今治城!
絵柄は意外なことに天守ではなく隅櫓。おそらくは武具櫓だと思われるのですが・・・なぜでしょう?
その理由と思われる事柄は次話に回すとして・・・



ここでも見つけてしまったスタンプラリー!
しかも今治城のスタンプラリーは景品付き!

というわけで、城攻めとスタンプラリーを兼ねつつ、城内を回っていきます。





第66回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記

2016-01-01 | 鬼ヅモ同好会


自 2 0 1 5 年 1 2 月 2 9 日 ( 火 )

至 2 0 1 6 年 元 日 ( 金 )

第 6 6 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会



会員諸兄の事情で初めて夏大会の開催が見送られた本年、半年を超えるインターバルをおいて年末大会が開催されたのでした。




2 0 1 5 年 1 2 月 2 9 日 ( 火 )

第 1 日 目

大 会 会 場 に て


私はこの日から年末休暇に入ります。
昼までに昼寝その他さまざまな方法をもって鋭気を養い、大会会場たる横浜入り。

家主のよね氏とともに、すでに会長・かつ氏が会場入りしていました。



よね氏のPCより。
会員用アカウントで、なぜかGoogle検索していたワードが「人生は紙飛行機 意味不明」と、なんとも意味不明なもの。
朝の連ドラの主題歌の歌詞が意味不明・・・という話で盛り上がると、ここでご~氏が合流。
約7か月ぶりの闘牌が幕を開けます。



ついに同好会から妻帯者を輩出した今年。
ご~氏の順調な闘牌と、その薬指には誓いの証が煌きます。

それにひきかえ私はというと・・・いつもどおりのスロースタート(^_^;)
スロースタートだったときはそのままズルズルと下降線を描いてしまうのですが、今回はいかに?



第1試合、起家・・・私。
第2試合、起家・・・私。
第3試合、起家・・・私。
第4試合、起家・・・私。

それにしてもこの日は私の起家で始まる試合が多いような・・・?
私は起家は苦手なのに・・・(T_T)

第4試合途中で副会長・たか氏が合流。
以降の取り決めで抜け番の順序は、私(めい)→よね→ご~→かつ→たか となりました。

第5試合、私が抜け番。

第6試合、起家・・・私。
第7試合、ご~氏が確率1/36の6ゾロを出して起家、私!
第8試合、たか氏が確率1/18の1・2の3を出して起家、また私!!

ザオラル10回連続失敗(確率=1/1024)をしのぐ、
7回連続起家(確率=1/16384)を達成した私。

そして起家でいきなり親カブリを食らうのがもはや形式美となってしまいました。


というわけでこの日の成績はまったく振るわず。
私は9試合参加でトップが0回という苦しいスタート。

ご~氏は+19pts で終了。
守るべきご家庭がありながら参加してくださいまして誠にありがたい限りです。




2 0 1 5 年 1 2 月 3 0 日 ( 水 )

第 2 日 目


この日からかつ、たか、よね、めい4者による闘い。
前日とともにたか氏が絶好調。ほぼ優勝は決まったか?という情勢。
対する私はこの日もダメ。
かつ氏もよね氏も振るわず、家路についたご~氏の+19pts が高い壁となって二人を阻みます。

私? さぁ~どうでしょう??


(日付はとうに変わっていますが)この日の闘牌終了後の酒宴がやたらと気合が入っていて、



会長がズワイガニを購入、かにパーティとなりました♪




2 0 1 5 年 1 2 月 3 1 日 ( 木 )

大 会 最 終 日


大みそか。

例年どおり、近所の「太田屋」さんで年越しそば。
今回は変化球で鴨南ばんそば(大盛り・1,150円)をいただきました。



うんうん、鴨肉のだしと油がいいですね~(*^_^*)
でも温そばはそば湯がないのがちょっと残念ですね。


ともかく2015年最後の食事をして、闘いは終盤へ。

この日もたか氏は飛ばして、一時は+300ptsも窺う勢い。
たか氏は局の序盤で支出するも、盛りかえして2着をキープしてなかなかダメージを受けない。

 

「たか氏には自動回復機能が備わっているのでは?」

混沌としていたかつ、よね、(この場にいない)ご~3氏による準優勝争いも、かつ氏が抜け出しました。



結果は・・・
優勝・たか氏。
準優勝・かつ氏。



私? 知らねぇや。

敗因は・・・大きいのは聴牌合戦に打ち負けることが多かったことでしょうか。
退くべきときに退かず、匹夫の勇をもって進んでしまったことで失点を重ねてしまいました。
前回大会の堅守で競り勝つ麻雀とは正反対の麻雀となってしまった。

あとは、私の得意でない鳴き麻雀の土俵に乗ってしまったこともあります。

これらの反省点を踏まえ、次回、捲土重来を期します。