鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

うどん巡礼へ出陣!

2016-01-16 | 移動の旅


2 0 1 5 年 3 月 2 2 日 ( 日 )

午 前 6 時 0 0 分

う ど ん 県 高 松 市

キ ャ ン プ 地 ・ 高 松 フ ァ ー ス ト イ ン



この日もスタートは高松ファーストインから。



私が泊まっているこのホテル、アクの強いホテルだったのです。

表にあるホテルの看板でわかるとおり、主力は銭湯とカプセルホテル。
私が泊まっているシングルルームはいわば例外的な扱いのようです。
1階が銭湯だからなのか、このホテルはスリッパの用意がありません。
最悪の場合、裸足でホテル内をうろつくこととなります。
そのかわりお風呂は深夜でも早朝でもほぼ自由に入ることができます。

この日も、まずは目覚めの朝風呂。
そして、前日は早朝出立のためいただくことができなかった、ホテルの朝食をいただきます。
朝食は、よくある朝定食のようなボリューム控えめのものでした。



さてこの日は、青春18きっぷの出番はありません。
高松市内をぐるぐる回っていきます。

まずはミシュラン★★★の庭園・栗林公園
前日、前々日と、そばは通るけど中には入らなかった高松城・玉藻公園
そのあいだにうどん屋を何軒かぶっこんで・・・
ラストのうどん屋をどこにしようか・・・という行程です。

最後のうどん屋は、水曜どうでしょうでもおなじみのにしよう。
そう思って場所なり何なりググって調べたのですが・・・
そーか、そーか、ここはやめよう。

そうだ! どうでしょうでおなじみといえば、八栗寺のふもとにある山田家さん!
スカイツリータウンの支店には行ったけど、本店にはもちろん行ったことはありません。
うどん巡礼の〆に山田家さんのざるぶっかけうどんをいただくこととして、ホテルを出ます。



移動するのは高松市内ということで、交通手段はすっかりおなじみのレンタサイクルです。

旅に出る前に高松市内のレンタサイクルを調べたところ、ここでは利用承認申請書を提出しないといけないのです。
旅先での時間ロスは少しでも避けたいところ、申請書はダウンロードできるので旅に出る前にあらかじめ記入しておきました。

  ※高松市のレンタサイクル利用承認申請書は、こちらをダウンロード ⇒ https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/file/18197_L39_riyousinnseisyo.pdf

記入済みの登録申請書、うどん屋の位置を印刷しておいた紙などの書類をクリアファイルに入れて所持し、ホテルから最寄りのレンタサイクルポートへ。



琴電・片原町駅の向かいにあるレンタサイクルポートへ。
ちょうどそこにいたオヤジに申請書を出すと、申請書は片原町駅の中にある事務所に出すのだと。
じゃあということで事務所に申請書を出すと、レンタサイクル利用証なるカードが交付されました。
レンタサイクルポートの出入りはカードで管理されているのようです。
このカードは何回でも使える素晴らしいカード・・・観光客にこのようなカードをわざわざ作るとは、高松市は財政的に余裕があるのでしょうか。
私がこのカードを2回目に使う日は、果たしてやって来るのでしょうか??



ともかく、まずは最初の1杯を食するべく、栗林公園方面へチャリを駆ったのでした。





夜行の果てに

2014-07-25 | 移動の旅

2 0 1 4 年 5 月 6 日 ( 火 )

午 後 9 時 1 3 分

千 葉 県 船 橋 市

京 成 船 橋 駅 付 近



国道357号・湾岸道路を曲がり、国道14号・千葉街道を越えて、船橋の中心部まで来ました。


川崎大師で食事をして以来、ちゃんとした食事をとっていませんでした。
仲見世で買ったさらし飴は、道中でその都度つまみ食いし、気づいたら東京ゲートブリッジにたどり着く前に食べきってしまいました。

拙宅のある船橋に入ったので、ここでお夜食。
お夜食はなにかガッツリとしたものを食べようと思い、行きつけのラーメン屋に入ります。

船橋駅南口側の狭い路地にある「ラーメン無限大」船橋店。
最後の最後で、二郎系ラーメンを己の胃袋にお見舞いします。



味噌ラーメン中盛り野菜増しバカ豚乗せ! こたえるねぇ!
野菜増しをオーダーしたので、いきなりズルズル~というわけにはいかず、野菜を卓にこぼさないように慎重に食べます。
そして、麺が過度に汁を吸わないように、野菜をかき分け麺をほじくり出して、ゆっくり食べました。


ラーメンを食べて腹は満たされ、体も温まりました。
そなえつけのティシューで鼻をかみ、外に出ます。


寒い。
ラーメン食べて、鼻水が出るほど体を温めたのも束の間、度を過ぎて涼しい空気が体を襲います。
夜の気温は15℃ほどでしたが、私は荷物を減らしたため長袖を1枚も持っていませんでした。


そこで船橋駅周辺の銭湯に駆け込むことにしたのです。



分け入った路地の中にたたずむ「松の湯」



男湯の脱衣所にはなぜかキリンが立っていらっしゃいます。

松の湯! うえええええい!
・・・と大泉さんのように大声を発することなく、銭湯で温まりました。



風呂上がりの一杯! うぇぇぇ~・・・うまい!
何かドラマを放映しているテレビの前にどっかり座り込んで、牛乳を飲み干しました。

それから・・・なんだか動きたくない。

銭湯で湯船にゆっくり浸かった私は、体から力が抜けてしまい、家に帰る気力がなくなっていきました。

それでも家に帰らなければならない。

帰り道は暗闇の中をなんとか進んでいきました。
その速さは明らかに遅く、その間に涼風は確実に私の体を冷やしていきました。



午 後 1 1 時 2 6 分

よ う や く 帰 宅


帰宅した私は、シャワーで汗を落とし、早々に床に就きました。
体はだるく、熱っぽく、とうとう風邪をひいてしまったのです。



その後数日間、風邪と喘息に苦しめられながら日々を過ごすこととなりました。



・・・今度は、1枚くらいは長袖を持っていこう。



「第62回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記」完

夜の東京ベイサイド

2014-07-25 | 移動の旅

2 0 1 4 年 5 月 6 日 ( 火 )

午 後 7 時 1 0 分

東 京 都 江 東 区

東 京 ゲ ー ト ブ リ ッ ジ





日は沈み、夜の東京ベイサイド。
帰りは国道357号・東京湾岸道路を通ります。
せっかくなので東京湾の夜景を見ながら帰ろう、そう思っていました。


まずは東京ゲートブリッジから新木場方面へ戻ります。



ゲートブリッジのある若洲から夢の島へと渡る橋からは、葛西臨海公園ひまわりの大観覧車が見えます。



湾岸道路に戻る前にちょっとばかり寄り道。
新木場にかかる橋からゲートブリッジをチラ見。
う~ん、ゲートブリッジはそばで見たほうがいいですねぇ。



国道357号に入っても、私の夜景熱はおさまらず、進んでは止まりを繰り返しました。



遠くで光る東京スカイツリーと、その手前の工場夜景。

夜景の撮影がへたくそな私は、何度も撮影をやり直します。
そのために帰る時間は遅くなっていき、冷たい夜風は私の体を着実に冷やしていきました。


陸橋のやたらと多い国道357号をアップダウンしながら、荒川を渡って葛西へ。
葛西臨海公園がそばにあり、遠くから望んでいたひまわりの大観覧車が間近に見える・・・はずでした。



観覧車の間に横たわる太いガード。
東行きのほうの歩道(北側の歩道)にいたので、間を通る首都高速湾岸線が観覧車の下部分を隠してしまっています。

だったら反対車線(南側の歩道)へ行けと? もちろん行きました。
そうすると湾岸線以上の強敵がいたのです。

 

こいつが。風がちょっと吹けば停まってしまうこいつ。
JR京葉線がドカっと立ちふさがり、夜景が全く見えなかったのでした。

チャリは東京都を離れ、浦安に入っていたのですが、東京ディズニーリゾートの前には常にJR京葉線が立ちふさがっていました。
私は夜景の撮影をあきらめ、早いとこ自宅に戻ろうと思っていました。



舞浜の駅前を通過し、ふと右側を見てみると、JR京葉線のガードがなくなっています。

・・・あれ? 京葉線って、湾岸道路をまたいで北側に出たか?
・・・でもこれで夜景の前にふさがる障害はなくなったな。


そう楽観的に考え、チャリを進めていましたが、



お、東京ディズニーリゾートかな?



ホテルユーラシア舞浜?! こんなホテルあったか?
何度も湾岸道路をチャリで走っているけど、こんなホテルは記憶にない! これはおかしい!!

これまでの疲れが注意力を奪っていたので気づかなかったが、この道路、片側2車線道路だけど対面交通の道路だ!
湾岸道路は西行きと東行きが首都高速&東関東自動車道をはさんで完全に分離しているので、対面交通はありえません。
そういえば高速道路のガードがない!

こうして別の道に迷い込んでいたことが発覚。
どっと疲れが出てきます。
今まで通ったことがない道路ならまだしも、湾岸道路は何度も通っている道路。
こういうところでの走行ミスが一番堪えます。


元来た道を戻ること、だいたい7分。距離にすると2Kmほどでしょうか。

  

道を間違えたの原因は、舞浜駅前のこのポイントでした。
左画像の手前は新木場側、右手側にJR舞浜駅や東京ディズニーリゾートがあります。

このあたりは首都高へ接続する立体交差(舞浜インター)やら、湾岸道路へ接続する平面交差やらが絡む複雑なポイントで、湾岸道路を進む歩行者・自転車は、右の陸橋へ続くスロープを上らなければならないのです。
そしてそのスロープへ続く道は細く、夜ともなれば目立たない。
そして案内看板も見当たらないという不親切設計です。

スロープへの道を見逃してそのまま進むと、いつの間にか浦安の海に向かってしまうのです。



こうして紆余曲折の末に舞浜を通過し、これを機に西行き歩道から東行き歩道へ鞍替え。



「船橋 10Km」です。
おそらく船橋市役所の入口がある日の出町までの距離と思われます。
私も日の出町の交差点を曲がる予定でしたので、もうひとふんばりといったところ。




午 後 9 時 0 5 分

つ い に 船 橋 へ




ようやく船橋へ戻ってきました。
しかし心はすさみきり、体は冷え切っていました。

河川や立体交差のためにアップダウンがやたらと多い国道357号。
疲労は着実に蓄積し、私は357も嫌いになっていきました。
道は狭いしゴミゴミしてるけど、やっぱり国道14号のほうがいいや。





第一京浜で北上

2014-07-06 | 移動の旅

2 0 1 4 年 5 月 6 日 ( 火 )

午 前 1 0 時 0 5 分

横 浜 市 南 区

坂 東 三 十 三 箇 所 第 1 4 番 霊 場 ・ 弘 明 寺



弘明寺でたか氏と別れ、この日は自宅に戻るべくママチャリをこいで北上を開始します。



弘明寺からは鎌倉街道をまっすぐ進みます。
30分後、みなとみらいへ。意外と時間がかかりました。

 

せっかくのみなとみらいも曇天では少しばかり寂しいものです。



そしてこの日は、前日までの暑さとは打って変わって、半そででは肌寒いくらいでした。

チャリ旅の場合、荷物は最小限にとどめる必要が出てきます。
そうすると削ることになるのは衣類、とくに長袖です。この日は長袖、長ズボンを1枚も持っていませんでした

↑前フリっぽい記述ですねぇ。
そうです前フリです。



艦船「日本丸」が泊まっているところ。
それには似つかわしくない、なんだかポップな音楽が聞こえてきたので、様子を探ってみました。
小学生の女子がダンスをしています。
そして30歳近い女性がひとり、中心で踊って掛け声をかけています。
おそらくは横浜市内のダンススクールのイベントだったのでしょう。

これこれ、「ババアはいらねえ」なんて言うのはどこの同好会員ですかな?



みなとみらいからそのまままっすぐ進み、国道15号・第一京浜へ入ります。
横浜・東京間のルート、こたびは第一京浜を使うことにしました。
アップダウンのない平坦なルート、長距離移動をするのにこれほどよい条件はありません



1Kmも進まないところに最初の青看は、「東京 29Km」とあります。
つまり横浜の第一・第二京浜の分岐点から日本橋までは、約30Kmです。



ちなみにこちらは、日本橋から3Km進んだ霞ヶ関にある国道1号の青看、「横浜 32Km」。
この場合の「横浜」は横浜市役所と考えられますが、そこは京浜国道の分岐点から1Kmほど南側にあります。
そこから考えると、京浜国道の分岐点から第二京浜を通って日本橋までは、約34Kmということになります。

やっぱ第一京浜がいいね!


さてさて私は、その青看から7Km先の鶴見で最初の寄り道をするつもりでおりました。

鶴見といえば・・・

花月園の競輪場。これはもう廃止になっています。
箱根駅伝の最初・最後の中継所。いまは正月ではありません。
テツ分色濃いJR鶴見線。しかしこの日はチャリ旅です。

總持寺。そう、總持寺です。
鶴見で広大な境内を有する・・・というより石原裕次郎の墓があることで有名な曹洞宗の寺院です。




午 前 1 1 時 1 2 分

横 浜 市 鶴 見 区

京 急 ・ 花 月 園 駅 付 近


花月園駅のあたりで、「總持寺 左」の案内表示が出たので、ここで第一京浜を外れて商店街へ入っていきます。
おでんやさんでは、すべての具が1本60円で売っていました。おおいに惹かれます。
しかしながら、まずは總持寺に行こう、おでんはお昼に食べよう、ということで通過。

すぐ先のJR、京急の2段構えの踏切へ。





いつまでたっても踏切が開きません。とくにJRの踏切はひどい。
私は京急線とJR線の間に取り残されてしまいます。



「この踏切道をご利用の皆様でお急ぎの方は、横浜方にある花月園跨線橋をご利用ください」
京急の踏切前にある、この勧告を無視して待つこと15分





遮断機は下りたままです。


いったん引き返し、商店街のおでん屋さんに行っちゃいます。



この日最初の朝食は、おでん6本(360円)です。
具はなんだったかおぼえていませんが、踏切を待つ間、あつあつおでんに食いつきます。

おでんを食べるのが先か。
遮断機が上がるのが先か。

むちゃくちゃ行儀が悪いですが、チャリにまたがっておでんをはふはふ。
あつあつおでんをムリヤリ急いで食べた結果、遮断機は上がらず。



それから5分後、ようやく遮断機が上がり、私はJR京浜東北線&JR東海道線&JR横須賀線を越えていくことができました。





南下!第二京浜・神奈川編

2014-06-16 | 移動の旅

2 0 1 4 年 5 月 2 日 ( 金 )

午 後 5 時 3 2 分

東 京 都 大 田 区 池 上

国 道 1 号 第 二 京 浜



池上本門寺から第二京浜に戻り、再び横浜をめざしました。



矢口という地名が見えました。
多摩川にはかつて矢口渡という渡し船があったはずだから、もうすぐ多摩川だと思い、ペダルをこぐ足にいっそうの力が入ります。

そういえば距離青看に「小田原」の地名が初登場です。



多摩川大橋の北詰までやってきました。
距離青看から「川崎」が消え、ずっと先の「静岡」が登場。



多摩川大橋を渡ります。




午 後 5 時 3 6 分

神 奈 川 県 川 崎 市 に 入 る




橋のちょうど中間あたりに都県境があります。
これで東京とはおさらば、神奈川県に入ります。



多摩川大橋を渡り切り、川崎市の幸区です。
川崎市の行政区には区章がないのでしょうか、おにぎりマークの国道1号が表記されています。




午 後 5 時 5 2 分

神 奈 川 県 横 浜 市 へ




川崎、短いねぇ~!
横浜市の行政区にも区章はないようで、ここでもおにぎりマークが表示されています。


川崎はあっという間でしたが、横浜に入ってからが長かったです。
さらに第二京浜さんはこの期に及んでアップダウンを繰り返してきます

私は心底「第二京浜は二度と使わない!」と思いました。


日が沈んだころ、行く手の左側にだだっ広い線路の帯が見えてきます。
京急線&京浜東北線&横浜線&東海道線&横須賀線が一束となっています。

ここで第二京浜の分かれ道。



右へ行けば横浜新道へとつながりますが、第二京浜は左。
よって私も左の進路をとります。



距離青看の地名はガラリと変わりました。


左手に京急神奈川駅が見えてきたころ、第二京浜は左折。



そしてすぐ次の青木通交差点で、日本橋から分かれた第一京浜と再びめぐり合うのです。



そういえば国道1号はなぜ「第二」京浜なのでしょうか。

当初、東京から横浜へと通じる幹線道路は銀座・新橋・品川・鶴見・神奈川を通る現在の第一京浜しかありませんでした。
そしてこの第一京浜が国道1号に指定されていました。

しかしもともと大都市の東京と、開港以来急激な発展を遂げた横浜を結ぶ幹線道路は、第一京浜だけでは不足になってきました。
そこで霞ヶ関・虎ノ門・五反田から続く新たな幹線道路が造成されました。
これが現在の第二京浜です。

戦後、台湾と朝鮮が日本の領土でなくなったので、国道の指定を改めることとしました。
このときに国道1号は新しい道路である第二京浜が指定され、第一京浜には国道15号の指定がなされたということです。




では第一京浜と第二京浜、どちらが快適でしょうか。

道幅は、双方ともに起点の日本橋から終点の青木通(横浜駅の北側、京急神奈川駅付近)まで片側2車線はあります。
ただどちらかといえば、路側帯の広さは第一京浜に分がありそうです。

順路は、第一京浜は日本橋から青木通までず~っと道なりで進めば到着します。
それに対し第二京浜は交差点の左折を5回、右折を4回しなければなりません。
曲がり角は都心と横浜駅付近に集中しており、五反田から神奈川までは道なりでOKなのですが、とくに都心では青看に注意しないと迷うことでしょう。

距離は、第一京浜のほうが3Kmほど短くなっています。
第二京浜は少しだけ山の手に造成しているので、その分遠回りとなっています。

そして、自転車にとって重要な高低差の具合。
第一京浜は海寄りにあるので、目立ったアップダウンは少ないです。
それに対し第二京浜は東京タワーのあたりから池上までアップダウンを繰り返し、また横浜市内に入ってもアップダウンを繰り返します。

以上から、第一京浜は第二京浜よりも断然快適であるといえます。

第一京浜は、脇道の海岸通りや産業道路に入ってしまえば、首都高速のガード下を通行することで夏場の直射日光を回避できるという利点もあります。

注意点として挙げるなら、第一京浜も第二京浜も歩道橋の構造が自転車にとって厳しいものとなっていることです。
歩道橋のある交差点は歩行者(&自転車)の交差点侵入を阻むためにガードレールがこしらえてあり、歩道から直接交差点を渡ることはできません。
かといって歩道橋を渡ろうとすると、階段しかなく自転車が渡れないという仕打ちを受けます。
歩道橋を見かけたら、多少の危険は覚悟しても車道に出ておいたほうがいいでしょう。



さて私は、このまま国道1号を通り、保土ヶ谷方面へと進みます。



京急線の戸部駅前です。
横浜駅の隣駅ですが、普通電車しか停まりません。
戸部駅のガードには、京急に乗って行ける地名が書かれています。

(北行き)銀座・押上・成田方面

京急線は、泉岳寺駅から都営浅草線、そしてその先の押上駅から京成線(京成押上線、高砂駅から先が京成本線)に直通しています。
ですが横浜から品川へ向かう電車は、ほとんどが都営浅草線には直通していないはずです。
(相互直通しているのは、羽田空港から品川・押上・高砂を経て成田空港へ行く電車がほとんど)
まあ、これらは途中駅で乗り換えれば行けないことはありません。

(南行き)三浦海岸・南房総方面

京急線の南端・三崎口駅から三浦海岸に行くことはできます。
問題は南房総。どうやって行くんだ?
おそらく浦賀駅から久里浜港へ行って、そこからフェリーに乗って、さらに金谷港(千葉県富津市)から浜金谷駅でJR内房線に乗って・・・ってかなりの乗り継ぎが必要になります。
これって「○○方面」って記載して許されるレベルなのか? と大いに疑問を感じました。





午後6時58分、鬼ヅモ大会会場に近い保土ヶ谷区に入りました。




南下!第二京浜・都内編

2014-06-05 | 移動の旅

2 0 1 4 年 5 月 2 日 ( 金 )

午 後 1 時 5 0 分

東 京 都 墨 田 区

浅 草 通 り ・ 吾 妻 橋



スカイツリーでうどんを食べた私は、ママチャリ「????」(まだ名前はありません)にまたがってふたたび西に進みます。
雷門通りぞいのとある有名なビルを素通りして、隅田川までやってきました。



隅田川にかかる赤い欄干が特徴の吾妻橋です。
隅田川の橋はどれも個性的で、サイクリングの愉しみにもなっています。



吾妻橋を渡って振り返ると、これまた個性的なビルが並んでいます。
スカイツリーの左隣は墨田区庁舎、右隣はアサヒビールタワー、そしてうんスーパードライホールです。

スーパードライホールのオブジェは「炎のオブジェ」というそうで、金色の炎をかたちにしたといいます。
もともとは、炎の向きは逆向きで、しかもアサヒビールタワーを貫いたようにして造られる計画だったそうです。
でもメンテナンスを考えれば、そのような計画には無理があったようです。
そして現在のかたちとなり、うん・・・・・・・・・


吾妻橋から300mほど進むと、浅草寺風神雷神門(雷門)です。



相変わらずムチャクチャ人が多いです。そして外国人が多いです。
こんなところはさっさと通過します。


雷門通りから、浅草国際通り、春日通り、昭和通りと、ほぼつくばエクスプレスの地下ルートにそって進みます。
昭和通りから国道4号となります。



御徒町、秋葉原と昭和通りを進み、日本橋本町へ入ると、江戸通り・国道6号との交差点です。
昭和通りからはお別れして、江戸通りに入っていきます。

200mほど進むと、JR新日本橋駅が見えてきて、今度は中央通り・国道17号との交差点がです。
ここで中央通りに入ります。



少し進むと、三越本館【国指定重要文化財】が見えてきます。
沿道を行きかう人々を尻目に進みます。



見えてきました、日本橋【国指定重要文化財】です。




午 後 2 時 3 1 分

東 京 都 中 央 区 日 本 橋

よ う や く 国 道 1 号 線 に 突 入


長い長い「前枠」を経て、やっと国道1号線に入ります。
国道1号・中央通りです、ですが・・・



国道1号線はいきなり最初の交差点で右に曲がり、永代通りに入ります。
ここが第一京浜と第二京浜の分かれ道です。
国道1号線はさきほどの4号線と同様、右折左折を繰り返して都内を抜けていきます。

ちなみに直進する国道15号線は、終点の横浜まで1度も曲がりません。
道なりで進めば終点に到着します。


左手にJR東京駅日本橋口を見て、JR線の大ガードをくぐり、地下迷宮・大手町駅を通過して第2の曲がり角です。

 

向こうに見える江戸城大手門に到達することなく、その手前で左折。
日比谷通りに入ります。


日比谷通りの右手側はお濠と皇居外苑がひろがり、左手側は近代的な建築物が並びます。



こちらは右手側、皇居外苑・江戸城旧和田倉門跡



左手側は、行幸通りからJR東京駅の丸の内駅舎【国指定重要文化財】を見渡せます。



皇居外苑のお濠が折れ曲がると同じくして、国道1号線も右に曲がります。


今度は晴海通りです。
晴海通りの国道1号線も短く、信号2つで終わり。



皇居ランナーのキャンプ地・江戸城桜田門【国指定重要文化財】が右手に見えるところで、今度は左折。



ここで国道20号(甲州街道)と分岐します。


桜田門から先、国道1号線はしばらく桜田通りと呼ばれます。



桜田門の交差点にある法務省旧庁舎【国指定重要文化財】をはじめとする官庁街を通過します。



霞が関で初めての距離青看です。(正式名はわかりませんので、こう表すことにします)
「横浜 32Km」はおそらく横浜市役所までの距離と考えられます。
「五反田 7Km」はJR五反田駅まででしょうか。
3Kmほど進む間に4回曲がったからなのか、ずいぶん進んだ印象を受けていたのですが、「まだ横浜まで30Km以上もあるのか」と軽くがっかり。



経済産業省前を不法占拠する輩、なおも居座っていました。
「よくも世界をだましたな」とか噴飯ものの垂れ幕が並んでいました(*^_^*)



霞が関、虎ノ門を通過し、第2の距離青看です。
川崎までは18Kmあります。意外と東京都内は長いです。



左手に東京タワーが見えるあたりから、国道1号最初のアップダウンが始まります。

都内を出るまでの国道1号は、緩やかながらもアップダウンを繰り返します
東京が多くの台地で形成されていることを実感します。
このような守りに適する土地だったので、太田道灌は江戸に城を構え、徳川家康は江戸に幕府を置いたのでしょう。


東京タワーを背にして進み、右手に慶応大学が見えてきたところで、国道1号はまたも右に曲がります。



少し進むと、右手に慶応大学三田キャンパス正門、その隣りに・・・



ある者からすれば聖地とされる「ラーメン二郎」三田本店です。
二郎本店のビルは三角柱といういびつな形をしていて、店内はいかにも狭そうです。
ラーメン二郎独特の注文システムは、このような小さい店舗に対応して形成されたのでしょうか。

ラーメン二郎のすぐ先の交差点で国道1号線は左折、さらに、



東京メトロ白金高輪駅のところにある交差点でまた左折です。
ここを左折すると、国道1号はしばらく道なりに進むことになります。


ここまで国道1号は桜田通りと呼ばれます。
桜田通りは桜田門付近にとどまらず、意外と長く続きます。



白金にあるお嬢様学校・明治学院大学です。
さすがに品のよろしいたたずまいのように感じられますねぇ(*^_^*)
塾講時代に担当した生徒で明学に進学した女子がいたけど、元気かなぁ?
(某知り合いが、その女子を見に、高校の体育祭にのこのこ出向いたという話は秘密ですよぉ)


白金、高輪といったセレブ感漂う地を進み、次は9,800円のホテルで有名な五反田です。
(わからない? もう古いネタだモナ~)



JR五反田駅は国道1号の真上にホームがあります。



五反田駅から300mほど進み、中原街道へ分岐する中原口交差点です。
ここより、国道1号は桜田通りの名称を捨て、第二京浜と名乗ります。


第二京浜は、都県境の多摩川大橋まで道なりに、アップダウンを繰り返しながら進みます。



私は、その途上駒を休め、池上本門寺を詣でていきました。




蔵前橋通りを進む

2014-06-03 | 移動の旅

2 0 1 4 年 5 月 2 日 ( 金 )

午 前 1 0 時 5 7 分

千 葉 県 市 川 市

国 道 1 4 号 ・ 市 川 橋





「飛電」は死して、新たなる自転車を新調しました。
まだ、名前はつけておりません。

今回のママチャリはギアつき、価格は「飛電」の2倍です!!
乗り心地も悪くなく、「飛電」以上にスピードが出せるようです。



さてさて私は、ふたたび国道14号千葉街道に戻ってきました。
日本橋をめざして西へと走ります。



都県境をなしている江戸川、これにかかる市川橋を渡っていきます。



午前10時59分、東京都に入りました。
都に入ってすぐの交差点で、国道14号は左折することになります。

私は左折せず、このまま蔵前橋通りに入ります。




午 前 1 1 時 2 4 分

東 京 都 葛 飾 区

蔵 前 橋 通 り ・ 平 井 大 橋




眼前に横たわる首都高速のガード。
いよいよ大いなる荒川越えです。



蔵前橋通り付近は区境が入り組んでいて、目まぐるしく区が変わります。
JR小岩駅付近は江戸川区ですが、JR新小岩駅付近は葛飾区になります。
そして平井大橋を渡るとまたも江戸川区

「昼ごはんはスカイツリーで食べよう!」

荒川の向こうに見えてきた東京スカイツリー。
そして時刻もそろそろお昼。
GW期間で混んでいるだろうが、この日は平日だし、少しは人出も控えめであろう。
そう期待して、スカイツリーをめざして進みます。


JR平井駅付近を通過し、旧中川にかかる江東新橋を渡ると、今度は江東区です。
江東新橋のすぐ次に待ち受けるのが、新小原橋という橋です。

この新小原橋、自転車で進むものにとってはなかなか曲者。

車道を通ろうにも路肩がとても狭く(ほぼないに等しく)、かなり危険です。
となればいったん陸橋を下りて、丸八通りという通りを越えていかなければならない。
せっかく高所にいたのに下りていく、そしてまた高所に上がって行かなきゃいけない、なんとも腹立たしい造りです。
そしてその高所へ上がっていく道は歩行者用の階段だけ。自転車はどこへいけばいいのか!?

前回の大会でも新小原橋に差しかかって15分ほど迷い、あげく自転車を担いで階段を強行突破しました。
歩道部分を強行突破すると、今度は降りる階段が現れ、またも自転車を担ぐハメに。


今回は階段を強行突破せず、いったん蔵前橋通りを離れる作戦をとって、5分弱で新小原橋を通過しました。


江東区に入って蔵前橋通りはにぎわいを見せ始めます。
近くに鎮座する亀戸天神社、こちらも藤の名所として有名です。



市川の高圓寺で満足な藤を見られなかった私は、藤棚目当てに亀戸天神に立ち寄ることにしました。




飛電憤死

2014-05-30 | 移動の旅

2 0 1 4 年 4 月 2 8 日 ( 月 )

午 後 5 時 5 9 分

千 葉 県 野 田 市

ホ ワ イ ト 餃 子 野 田 本 店 を 出 る



ホワイト餃子で大量の餃子をお見舞いされた私は、やっとこさママチャリ「飛電」に乗り込んで帰路につきました。



ホワイト餃子野田本店から西へ進むと、夕暮れの江戸川野田橋にたどり着きます。



夕焼けでピンクに染まるキッコーマンの工場。
しばらくは江戸川沿いのサイクリングロードを南下して行きます。


カタッ カタッ カタッ
「飛電」から耳慣れない異音が聞こえてきます。
それに構わず、私は「飛電」を走らせます。

カタカタカタカタカタ
「飛電」からの異音は看過できないくらいに大きくなってきました。
おそらくはペダルあたりから聞こえてくるようです。

それでも、暗闇に包まれたサイクリングロードで、工具を持っていない私はどうすることもできず、とにかく早く拙宅に戻ることが肝要と思って、「飛電」を走らせます。

カタカタ(ガタッ)カタカタ(ガタッ)・・・
「飛電」の異音は激しさを増し、ついにはガタッという異音とともにサドルに振動が伝わってくるまでになってきました。


「飛電」を停めて、ペダルを観察してみると、



ペダルを留めているネジが緩んでいるように見え、ペダルもガタガタに揺らいでいました。

このままではペダルが外れてしまう。
こんな川沿いでペダルが外れたら、家に帰れなくなる。

一気に緊迫してきたサイクリングロード。
ひとまずペダルのネジを締める工具を買わなければ。




午 後 7 時 0 8 分

流 山 市 に 入 る


常磐自動車道の橋が見え、とりあえず流山市内に入ったところ。
まずはホームセンターを探さなければなりません。

すると遠方にイトーヨーカドーがあるのが見えます。
ひとまずそこを目指していきます。




一大事に至ることなく、イトーヨーカドーに着きました。

工具を売っていそうなフロアを探してみます。
ですがしょせんはスーパーマーケットにすぎないイトーヨーカドー。
店内図を見ても、工具を売っていそうなところは見当たりません。

店員に尋ねても色よい返事はなく、そのままイトーヨーカドーを後にします。


「飛電」の修理は時間との闘いでもありました。

ペダルのねじが外れて走行不能になる恐怖、閉店時刻が差し迫る切迫。
流鉄流山線の沿線地域に入ったので、最悪の野宿は避けられそうですが、電車で帰る場合はそのまま「飛電」を乗り捨てなければなりません。

それを回避するために、スマホで流山市内のホームセンターを検索します。
するとビバホームがありそうなので、そこへ行きます。



なんだ、イトーヨーカドーの隣りじゃねぇか。
だったら初めからビバホームに駆け込めばよかった。


ここは店の外に自転車が並んでいないな。
自転車は売っていないのだな。当然自転車の担当の店員もいない。

そう勝手に考えた私は、緩んだペダルのネジを自力で締めるため、それにあったレンチを買うことに。

1本目・・・合わない。

払い戻しして2本目・・・合わない。ぬわぁぁっ!!

レンチに傷をつけてしまったため、払い戻しせずそのままお買い上げ(T_T)

3本目・・・合わない、というか入らない。

レジ担当の店員さんが自転車担当の店員さんを呼び出してくださいました。
いままでの私の努力はまったくの無駄であったということです。


店員さんに症状を伝え、ペダル周辺を分解して修理することになりました。
その時間、約20分。

ペダルのネジはしっかり締まっていて、店員さんから「特に異常はない」とのコメントをいただきました。
修理費用は、私が払い戻しできなかったレンチ(700円程度)の分でいいですよ、ということでおまけしていただきました。
これじゃあ申し訳ないので、壊れたライトを交換して新調することとしました。



取付けのLEDライト(1,300円)。懐中電灯にも使えます。
ハンドルに取り付けてもらいました。




午 後 8 時 1 0 分

ビ バ ホ ー ム 流 山 店 を 出 る


さあて準備万端!
そう思って店内から「飛電」を押していきます。

カタ カタ カタ カタ
不穏な音がかすかに聞こえてきます。

カタカタカタカタカタカタカタ
乗車してペダルを漕いだ瞬間から、「飛電」は音を立てました。

私はうんざりしながらも、仕方なく自転車屋を探します。

カタカタ(ガタッ)カタカタ(ガタッ)・・・
異音は再び激しさを増していきます。

先程は川沿いを走行していましたが、帰り道は住宅街を通ります。
「飛電」はもはや騒音公害の根源と化してしまったのです。

絶え間なく続くけたたましいカタカタ音。
時折感じるサドルの振動。
そして何より騒音公害をもたらしているという精神的重圧。

ストレスの塊。


時刻は午後8時、南流山駅付近。
ここで1軒の自転車屋を見つけたのですが、営業時間は午後8時で終了していました。


このまま「飛電」を連れて家に帰るしかない。
家に戻るまで、騒音を出し続けてなければならない。



肉体的疲労よりも精神的疲労が著しいママチャリ旅となってしまいました。




5 月 1 日 ( 木 )

午 前 1 1 時 3 5 分

拙 宅 付 近 の 自 転 車 屋


「飛電」を修理してもらった自転車屋をふたたび訪れることになりました。


そういえば・・・・・・

「クランクが劣化しているので交換が必要ですね」

最初に修理してもらった時に、店員さんが言っていました。
当時は軽く考えていたのですが、異音の原因はそこにあるのではないか。

症状を店員さんに伝えると、原因は後輪のクランチにあると言い、修理には5,000円以上かかると言います。



私は非情ながらも、「飛電」の処分する判断を下しました。




一気呵成に野田へ

2014-05-12 | 移動の旅

2 0 1 4 年 4 月 2 8 日 ( 月 )

午 後 1 2 時 1 4 分

千 葉 県 鎌 ヶ 谷 市

鎌 ヶ 谷 大 仏



船橋のお隣・鎌ヶ谷のシンボルである鎌ヶ谷大仏【鎌ヶ谷市指定文化財】です。



墓地の中にある大仏様に旅の無事を祈って、今回のママチャリ旅も本格的に始まります。


ルートは途中までほぼ新京成電鉄ぞいに進みます。
新京成の踏切を越え、陸上自衛隊の駐屯地が左手に見えると、松戸市に入ります。



街路樹により見づらいですが、松戸市の市境看板はちょっと変わっています。
「これより松戸市 安全運転お願いします」
・・・松戸市内には荒々しい運転の車が多いのでしょうか。

 (松戸・流山市境にて)

ちなみに松戸から出るときには、
「これまで松戸市 安全運転ありがとう」
読みようによっては、松戸の先は安全運転しなくていいよ、みたいにも聞こえてしまいます。

とにかく松戸に入りましたが、街の雰囲気がこころなしか変わった感じがします。



松戸のカーブミラーにはいろいろと注意書きが記されています。
「かがみをこわしたとき、こわれたのを見つけたときは、市役所へ連絡ください」

さらに松戸のお隣・流山市に入ると、カーブミラーの注意書きは、
「カガミをこわさないで」

カーブミラーってそんなに壊れるものなのか?
カーブミラーがそんなに壊されているほど治安が悪いのか!?
戦慄が走ります。




午 後 1 時 2 1 分

千 葉 県 松 戸 市

J R 新 松 戸 駅 付 近


船橋を出る前にアイスを食べたので、このあたりでのどが渇きました。
途中で見つけたセブンイレブンに立ち寄ります。

簡単な昼食としておにぎりを2個、旅の水がめとして麦茶2リットルを買います。
そしてのどの渇きを潤すアイスコーヒーです(*^_^*)



ここの店員の無愛想な態度にイラッとしながらも、ホッとひといき。




ほどなく流山市に入ります。

南流山駅で私用を足した後、流鉄の流山駅方向へ。
ルートが完全に77駅スタンプの旅(後編)とカブッています。

 

近藤勇陣屋跡です。
77駅スタンプの旅でも訪れています。
今回もあっさり通過です。




午 後 1 2 時 1 4 分

千 葉 県 流 山 市

江 戸 川 に 到 達


近藤勇陣屋跡から100メートルほどで、江戸川が見えてきます。



ここからは、江戸川沿いの千葉県道401号・松戸野田関宿自転車道線を北上していきます。



最初の橋・常磐自動車道を越え、江戸川に注ぐ利根運河を右に見て、



2番目の玉葉橋を越えると、右側に醤油工場とおぼしきプラントが見えてきます。



3番目の野田橋が見えてきて、



野田を牛耳る?キッコーマンの工場が見えてくると、清水公園はあと少しです。




午 後 2 時 5 0 分

千 葉 県 野 田 市

清 水 公 園 に 到 着




サイクリングロードぞいをさらに進んで、こんな看板が出てきたらひなびた住宅街に入っていきます。
看板が要所要所にあるのでこれに従っていけば清水公園に到着します。

清水公園に到着しますが、公園の裏手側でキャンプ場の入口です。
私はつつじを見にきたので、キャンプ場には用がありません。
公園を西から東へ横断するように進んで、



ようやく清水公園の入口に到着です。




歴史館・偕楽園へ

2014-04-06 | 移動の旅

2 0 1 4 年 3 月 2 9 日 ( 土 )

午 後 1 2 時 1 6 分

水 戸 芸 術 館





いろいろな体験をした水戸芸術館のシンボルタワーを出ました。
しばらくはきれいなおねいさんの癒し声はお預けだろうな(ToT)/~~~





そろそろお昼なので、お腹はあんまり減っていなかったのですが、足を休めたいので近くの京成百貨店に向かいました。
「ウェスタン牧場」というファミリーレストランで照り焼きハンバーグステーキを食べました。

ここのウェイターさんもなかなかかわいかったですね(*^_^*)




午 後 1 時 1 0 分

水 戸 京 成 百 貨 店


京成百貨店の前にバス停があります。

偕楽園方面へ行くバスは、1時間に5本もあります。
昼間の常磐線各駅停車と同じ頻度です。
ほかに茨大(茨城大学)前行きのバスはそれ以上の本数。
2、3分もすればバスが来る、といった感じです。

次の目的地は茨城県立歴史館ですので、歴史館・偕楽園行きのバスを待ちました。


茨城交通バス 泉町一丁目バス停 13時16分発
10系統 歴史館・偕楽園行き
緑町歴史館前バス停 13時24分着
移動距離 1.6km 運賃 180円


茨城交通バスではSuicaを使うことができません。
乗る前に細かい硬貨があることを確認する必要があります。



バスを降りると、歴史館の正門は目と鼻の先です。



それでは入場!・・・しようと思ったのですが、デジカメのバッテリーがそろそろ危なくなってきたので、歴史館へは寄らず、そのまま偕楽園へ行きました。



歴史館内に移築されたある旧水海道小学校校舎【茨城県指定文化財】を横に見ながら、偕楽園へ歩きます。
ああ、それならバスを降りなきゃよかった。




歴史館から続く偕楽園御成門通りに入っていきます。



ここで降りればよかった(T_T)



好文亭表門通りの看板がある十字路を曲がります。
ここで曲がらずまっすぐ進むと御成門に着きますが、ここは「真」の入口ではないのです。



好文亭表門通りを200メートルほど進みます。







偕楽園の好文亭表門に到達です。