鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

帰宅&会計報告

2010-12-19 | 鉄道の旅


2 0 1 0 年 1 2 月 1 1 日 ( 土 )

午 後 5 時 0 6 分

宮 城 県 白 石 市

J R 白 石 駅



急きょ白石城を登城したものの、閉城時刻のため中に入ることはできませんでした。
結局消化不良のまま後にせざるを得ず、JR白石駅に着いたのは午後5時を少し回ったところ。

登城前に調べた終電時刻は、白石駅17時48分発
それよりもだいぶ早い時刻に駅に戻ってきたのですが、白石駅からの上り電車は本数が減る区間のため、その48分発の電車より早い電車はありません。
すなわち必然的に、終電で帰らなければなりません。

2本ほど、仙台行きの電車を見送ったでしょうか。
仙台行きはあるのに、福島行きは来ません。
電車がやってくるまで、各所でもらったパンフレットを読んでは時間をつぶしました。

17時48分、定刻どおりに東北本線 普通電車 福島行きに乗車しました。




午 後 6 時 2 2 分

J R 福 島 駅 に 到 着


福島駅3番線ホームに入った電車より下ります。

白河でラーメンを食べてから、約6時間が経過しています。
城を3つめぐってきた強行軍。
空腹には勝てませんでした。


【今回の金銭支払記録

ウインナーロール 179円
たまご蒸しパン   84円


旅先の夕飯がパン2個ってのはなかなかみじめに感じます。
それでも塩系のパンと甘いパンを1個ずつバランスよく摂取し、長き帰路への備えといたします。


福島駅からの電車は、18時49分発 東北本線 普通電車 黒磯行きです。
なんと一気に関東へ戻れます。
そしてその電車は、先ほど下りた福島行きの電車。
3番線ホームに居座って、そのまま黒磯行きの電車になったのです。
だったら最初から黒磯行きと言いなさいよ・・・とは思いましたが、とにかくその黒磯行きに乗車します。



昼過ぎに下り立った二本松、福島県の中心都市・郡山を通過し、朝下り立った白河へ。
白河駅からの車窓では、ライトアップされた白河小峰城御三階櫓が見えました。

黒磯駅へは、20時44分に到着。

黒磯駅からは、20時50分発 宇都宮線 普通電車 宇都宮行きへ乗車。
宇都宮駅へは定刻どおり、21時41分に到着しました。




午 後 9 時 4 7 分

J R 宇 都 宮 駅 を 発 つ


宇都宮からは、宇都宮線 普通電車 上野行きに乗車。
白石からここまでは、私が確認した時刻表のとおりに進んでいました。

埼玉県に入ったあたりで、車内のLED表示に気になる表示が現れます。

【高崎線 運転見合わせ Takasaki Line suspension of operation】

高崎線は、大宮駅から先で宇都宮線と路線を共有しています。
高崎線のトラブルは、そのまま宇都宮線に影響を与えてくる仕組みになっているはず・・・。
そんな私の心配をよそに、電車は大宮、さいたま新都心、浦和、赤羽、尾久までスムーズに進んでいきました。

(なんだ、私の思い過ごしだったか)

電車は終点・上野駅のホームを目前に、停まってしまいました。
なんでもすべてのホームに電車が入線してしまい、動けないという状況。
この状況が5分以上続き、ようやく上野駅に到着したのは、8分遅れの23時46分でした。



この後は山手線、総武線、そして拙宅の最寄駅がある新京成線と乗り継ぐのですが・・・
新京成の終電から逆算すると、秋葉原駅 23時51分発の電車になんとしても乗らなければなりません。

ここからは1秒を争う闘い。

上野駅からは、まず23時46分発の山手線外回り電車に乗る必要があります。
ダメ元で山手線ホームに急ぐと、山手線も2分遅れてきたのでした。

なんとか首の皮1枚でつながった形。

上野駅から2駅、秋葉原駅に到着したのは23時51分!!
なんと総武線の発車時刻と同じです。
秋葉原駅の構造を考え、電車の中ほどから少し後寄りに乗っていた私は、総武線が出発する秋葉原駅6番線ホームに駆け出します!

階段を駆け6番線ホームに上がると、銀色に黄色いラインの電車はまだ発車してないではないか!
発車メロディは鳴り終わっている!!

迷わず駆け込み乗車!!!




午 後 1 1 時 5 2 分

東 京 都 千 代 田 区

J R 秋 葉 原 駅 6 番 線 ホ ー ム


間に合いました。
私が乗り込んでから、5秒もしないうちにドアが閉まったのでした。


乗車率200%(ぎゅうぎゅう詰め)の総武線 各駅停車 千葉行きは、このまま東へ。
日付が変わった0時25分、津田沼駅に到着しました。



【今回の乗車記録】

JR東日本 白石駅 3番線 17時48分発
東北本線 普通 福島行き
福島駅 3番線 18時22分着

福島駅 3番線 18時49分発
東北本線 普通 黒磯行き
黒磯駅 5番線 20時44分着

黒磯駅 1番線 20時50分発
宇都宮線(東北本線) 普通 宇都宮行き
宇都宮駅 9番線 21時41分着

宇都宮駅 10番線 21時47分発
[JU]宇都宮線(東北本線) 普通 上野行き
[JU02] UEN 上野駅 8番線 23時46分着(遅れ8分)

[JY05] UEN 上野駅 3番線 23時48分発(遅れ2分)
[JY]山手線 外回り 東京・品川方面行き
[JY03] AKB 秋葉原駅 3番線 23時51分着(遅れ2分)

[JB19] AKB 秋葉原駅 6番線 23時51分発
[JB]総武線 各駅停車 千葉行き
[JB33]津田沼駅 4番線 0時25分着

*所要時間 6時間37分(移動時間 5時間56分 待ち時間 41分)
*移動距離 330.1km  *運賃 18きっぷ使用(不使用の場合は5,460円)

※運賃は当時のものを掲載しています。



この後通勤定期のある新京成の終電に乗り、なんとか拙宅へ戻ることができました。




翌 日

千 葉 県 船 橋 市

拙 宅 に て


拙宅にて、今回の旅を振り返ります。

今回登城したのは、

 

最初に白河小峰城【国指定史跡】。

 

次に二本松城【国指定史跡】。



急きょ、白石城へ。
これら3つのお城は、すべて入城料は無料でした。
白石城だけは、ただ時間切れで入れなかっただけなんですがね。


そしていただいた食事。



白河で白河ラーメンをいただきました。
こちらは700円。
それに黒磯駅天ぷらそば、380円。
帰りに福島駅パン2個、263円。
食費は合計1,343円となりました。


おみやげとして、



二本松で買った赤べこのストラップ、367円。
白石城で買った白石城の絵葉書と切手、200円。
同じく白石城で買った片倉小十郎の付せん、300円。
しめて867円


合計 2,210円。

・・・・・・こうして見事に2,000円台に抑え、今回の旅は終了。



日本100名城登城の旅・第2弾「福島二千円の旅」 完

ホーム画面に戻る。


白石城~強行

2010-12-19 | 城郭【続日本100名城】


2 0 1 0 年 1 2 月 1 1 日 ( 土 )

午 後 3 時 0 6 分

福 島 県 二 本 松 市

J R 二 本 松 駅



昼の短き時節、日の傾き始める頃。



二本松城【国指定史跡】を退去し、歩いて二本松駅に戻ってきました。


今回の旅で目的地としていたふたつの城を訪れ、あとは拙宅に戻るだけとなりました。
このときの時刻は、午後3時を回ったばかり。
二本松から東京までの所要時間は、大きく見積もってもだいたい5時間くらい。ということは・・・

まだいける。

そこで100名城をもうひとつ登城できないか、検討してみました。
二本松から近い100名城は・・・
 ・会津若松城【国指定史跡】(福島県)
 ・仙台城【国指定史跡】(宮城県)
 ・多賀城【国指定特別史跡】(宮城県)
携帯さんで時刻表を調べたところ、いずれも帰りの電車がなくなるという結果が出ました。

ただ、100名城ではないのですが、宮城県南部の白石城には行けそうだということがわかりました。
そこで急きょ、東北本線の上り電車ではなく、下り電車へ。


二本松駅のキオスクに立ち寄り、ちょっとしたおみやげを探してみました。



そこで見つけた赤べこのストラップを買いました。
(画像には・・・白石城で買ったおみやげも写っていますねぇ)


【今回の金銭支払記録

赤べこのストラップ 367円 (残553円)



おみやげを買って、程なくやって来た 15時16分発 東北本線 普通電車 福島行きに乗車。
福島駅には、15時39分に到着。

福島駅からは、さらに東北本線を北上。
待ち時間もほとんどなく、15時45分発 東北本線 普通電車 仙台行きに乗り継ぐことができました。

予定にはなかった宮城県入り。
16時18分、白石駅に到着しました。


【今回の乗車記録】

JR東日本 二本松駅 1番線 15時16分発
東北本線 普通 福島行き
福島駅 3番線 15時39分着

福島駅 1番線 15時45分発
東北本線 普通 仙台行き
白石駅 1番線 16時18分着

*所要時間 1時間02分(移動時間 56分 待ち時間 6分)
*移動距離 56.5km  *運賃 18きっぷ使用(不使用の場合は950円)

※運賃は当時のものを掲載しています。




午 後 4 時 2 0 分

宮 城 県 白 石 市

J R 白 石 駅


白石城に行く前に、まずなすべきことは、終電時刻の確認
調べたところ、白石からの終電は17時48分。
滞在時間は1時間半弱といったところです。

さらになすべきことは、白石城の位置確認。
登城予定外の城とあって、白石城に関する情報はほぼありません。
駅の案内所で周辺地図をもらいます。
白石城までは大した距離はなさそうでした。


それでは、白石城へ!


刻々と、宵闇が空を覆っていきます。

駅前の道を歩いていると、片倉小十郎ののぼりがやたらと多く立っているのを見かけます。
カプコンの某ゲームのものと見受けられます。
わが鬼ヅモ同好会で片倉小十郎といったら、



断然コッチですな。


片倉小十郎、諱は景綱
米沢城主・伊達輝宗に才を見出され、嫡男・梵天丸(のちの政宗)の教育係となります。
片目を失い内気になる梵天丸に対し、失明した右目をえぐり出すという荒療治をしたといいます。
成長した政宗は闊達な武将となり、24歳にして南奥州に覇を唱えました。

「伊達三傑」のひとりで、武の伊達成実(しげざね)、政の鬼庭綱元と並び智の武将とされています。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐の際には、時機の遅れを説き秀吉との徹底抗戦を説いた成実に対し、秀吉を「夏のハエ」にたとえ「追い払ってもしつこく飛んでくるから」と小田原への参陣を主張し、主家の危機を救いました。
秀吉は、三春の地(福島県)を景綱に与え政宗との分断を図りましたが、景綱はこれを固辞し、終生政宗に仕えました。
征夷大将軍となった徳川家康も、景綱の智勇を高く評価したといいます。



白石城へ向かう城来路(シロクロード)へ。
そこに待ち受けていたのは、片倉小十郎ののぼりよりはるかに多い、飛び立つカラスの群れ
城に近づくにつれ、迫る宵闇、カラスの群れ。
否が応にも緊張感が高まってきます。
おおガラス6体(ドラクエ3)よりも普通のカラス200羽(推定)のほうが断然恐ろしく感じます。



幸いにしてカラスの群れに襲われることはなく、白石城に到着しました。



時刻はすでに閉館時刻を過ぎ、本丸には入れませんでした。
そびえ立つ三階櫓【再建】と大手門【再建】をながめるだけとなりました。

さてこの「三階櫓」は事実上の天守となっていますが、白石城では「天守」とはいいません。
それは、片倉氏の主君である伊達氏の居城である仙台城天守がないため、それに遠慮して「天守」と呼ばないのだそうです。


白石の地は、鎌倉時代に刈田(かった)氏が居住して以来、所領としていました。
刈田氏は白石氏と改め、伊達氏に仕えます。
しかし天正18年(1590年)豊臣秀吉奥州仕置により、伊達家の領域に属していた白石は召し上げられ、蒲生氏郷に与えられました。

氏郷は白石に家臣・蒲生郷成を配し、郷成により白石の地に城が築かれることとなりました。
これが白石城のはじまりです。
蒲生氏郷の死後は上杉景勝の領地となり、上杉家臣・甘糟清長が城主となり、再構築がなされました。
関ヶ原の戦い直前、伊達政宗が白石城を攻略し、片倉小十郎景綱が城主となりました。

以来倒幕まで260年余り、一国一城令の例外として存続し、片倉氏が代々城主を務めました。
戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟が白石城で結ばれ、その公議府が置かれました。



当時のデジカメさんのキャパシティの限界で、画像には残っておりませんが・・・
宵闇に月がかかる三階櫓は、なかなか趣深いものでした。



本丸に入れなかった代わりに、白石城歴史探訪ミュージアムにあるおみやげ屋さんへ。



ここでは白石城の絵葉書&切手セット(200円)と、片倉小十郎の付せんセット(300円)をお買い上げ。


【今回の金銭支払記録

白石城の絵葉書&切手 200円
片倉小十郎の付せん  300円 (残53円)


いちおう白石まで足を運びましたが・・・やっぱり三階櫓には上ってみたかったな。
100名城ではないですが、白石城への再訪を心に誓い、白石駅へと戻っていきました。



※白石城は、平成29年4月6日付で「続日本100名城」に選定されました。(第5番)





二本松城~あれが安達太良山

2010-12-18 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 0 年 1 2 月 1 1 日 ( 土 )

午 後 1 時 0 5 分

福 島 県 二 本 松 市

J R 二 本 松 駅



二本松駅の中にある観光案内所に立ち寄り、



11番、二本松城!
早々にスタンプをゲットし、ガイドマップも入手。
スタンプをゲットしたからもう用はない!ということはせず、しっかりと二本松城へ向かいます。


二本松駅から二本松城址のある霞ヶ城公園までは、久保丁坂という坂を上り、丘陵をひとつ跨いでいかなければなりません。

二本松神社の脇から始まる久保丁坂。
これをわが健脚でもって、ひたすら上っていきます。
500メートルほどの坂なのですが、傾斜が半端じゃありません
斜度を表示する道路標識はなかったのですが、おそらく20%ほど。
とある坂沿いの民家に「もう少しです。がんばって」なんて貼り紙もありました。

坂を上りきると、今度は下り坂。
下りは傾斜も長さも大したことはありません。

駅から歩くこと約18分、霞ヶ城公園入口に到着しました。


二本松城は、応永21年(1414年)に二本松満泰が居館を築いたことに始まります。
二本松家は元は足利幕府の管領・畠山氏の系譜を引きますが、勢力範囲は二本松周辺に限られていました。

天正13年(1585年)二本松義継は米沢城主・伊達政宗と敵対し、政宗に攻め込まれてしまいます。
義継は降伏し、政宗の父・輝宗に面会しますがが、一転、輝宗を拉致します。
政宗は粟ノ須(現二本松市)で父もろとも義継を討ち、二本松への侵攻を再開。
一時は人取橋の戦いで苦境に立つも、政宗は二本松城を攻め取りました。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が小田原の北条氏を大軍勢で包囲すると、政宗は秀吉に降伏。
二本松と会津の地は、蒲生氏郷に与えられました。
蒲生氏郷の死後は上杉景勝に、関ヶ原の戦いの後は蒲生秀行(氏郷の子)に、その後加藤嘉明に移り、寛永20年(1643年)に丹羽長秀の孫である丹羽光重白河小峰城から移ってきてからは、倒幕まで丹羽氏の居城となりました。

戊辰戦争では、二本松藩は奥羽越列藩同盟に加盟したため、新政府軍に攻められて落城してしまいます。
このとき城内の建物はほとんどが焼失してしまいました。
明治5年(1872年)の廃城令により、残っていた建物も破却され、廃城となりました。





霞ヶ城公園の入口にある像は、二本松少年隊の像です。
少年隊の奮戦と、我が子の出陣服を仕立てる母の姿を表しています。


戊辰戦争では奥羽悦列藩同盟に加盟した二本松藩。
対する新政府軍は白河小峰城を奪取し、ここをめぐる攻防(白河口の戦い)が激化します。
列藩同盟軍は白河小峰城の奪還をめざし、諸藩の軍勢を集め白河に幾度も攻勢を仕掛けます。
しかし藩祖・丹羽光重の父・長重が築き上げた石垣の小峰城を、列藩同盟軍は攻め落とすことができません。
そのうち新政府軍が軍勢を整え、手薄となっていた二本松城に攻め込んできました。

このとき主だった兵が白河にいた二本松藩では、少年であった藩士の子弟らも出陣することとなりました。
しかし戦況に利あらず、少年兵はひとり、またひとりと戦場の露と消えていきました。
彼らの歳は、上は17歳から下は13歳。
後世の人々は彼らの生死を悼み、彼らはやがて「二本松少年隊」と呼ばれるようになりました。



背後には石垣が高くそびえ立っています。
これらの高石垣は、加藤氏の時代に築かれたようです。



箕輪門【再建】は、箕輪村という村の樫の木を使い、門としたそうです。
外側には二重櫓、内側には平櫓が備わっています。


門の内側へ足を運ぶと、まず作業用の自動車が何台も停められていました。
作業で出たであろう廃棄物もところどころに落ちていました。
看板から察するに、おそらくは菊人形展の後始末をしているのでしょう。


さらに進むと、るり池、霞池という池があります。
そしてその池に流れ込む水が、上流からこんこんと流れてきています。
城というより日本庭園を歩いているかのようです。

通路は坂の上に続いているようです。



二本松城で唯一江戸時代から残っている建物である洗心亭【福島県指定文化財】。
「墨絵の御茶屋」と称されたこの茶屋は、天保8年(1837年)に城外の阿武隈川河畔に移築されました。
そのため戊辰戦争の戦火を免れ、再び城内に戻されています。



傘のような形をしているので、そのまんま「傘松」【二本松市指定天然記念物】。
アカマツの古木で、樹齢は約300年なのだそうです。



洗心堂の近くにある「洗心滝」
だいぶ坂を上ってきているのですが、なかなかに豊かな水量。
城内の庭園へ水を導くこの水路は二合田用水といい、丹羽氏の時代に幕府に内密に引いたのだといいます。

通路を外れると、イロハカエデの落葉がふかふかのじゅうたんのように積もっています。
カエデはすっかり色あせて、うす茶色になってしまっていました。
季節が合えば、ここの景色はさぞ見事であろう・・・。

それにしても、雨水の流れ道をも覆っているカエデの落葉。
おかげで何度も足をとられてしまい、坂道を上るのにいささか難儀してしまいました。


「洗心滝」を過ぎたあたりから、坂道がきつくなってきます。



智恵子抄詩碑
彫刻家で詩人の高村光太郎が、愛妻・智恵子を偲んで詠んだ詩が刻まれています。

あれが阿多多羅山
あの光るのが阿武隈川


智恵子は二本松で生まれ、画家を志して上京します。
そこで高村光太郎と出会うのですが、精神病にかかってしまいます。
それでも故郷の景色は忘れず、安達太良山と阿武隈川の風景を想っていたそうです。


少年隊を顕彰する碑がある「少年隊の丘」
さらに進んで搦手門跡を経て、本丸に到着。



本丸は全面が石垣で囲まれています。



あれが安達太良山
本丸に登ると、東は阿武隈高地、西は安達太良山を見渡すことができました。

90歳にもなる壮健なご老人が、安達太良の山々の写真を撮られていました。
私が船橋から来た旨を伝えると、ご老人は市川の旧日本軍関連施設に勤務していたことをお話しされました。
お元気な御仁にくらべ、私は息切れが・・・。





本丸から戻りました。
斜陽に照らされる箕輪門を尻目に、二本松駅へと歩き出すのでした。





二本松へ

2010-12-18 | 鉄道の旅


2 0 1 0 年 1 2 月 1 1 日 ( 土 )

午 前 1 1 時 4 0 分

福 島 県 白 河 市

J R 白 河 駅





白河ラーメンを食し、白河駅に戻ってきました。

この旅ひとつめの城・白河小峰城【国指定史跡】を登城し、次にめざすは二本松城【国指定史跡】。
白河よりさらに北へと歩を進めていきます。

次の電車は、12時ちょうど発 東北本線 普通電車 郡山行きです。
出発時刻まで約20分ほどの待ち時間があります。
そこで駅近くの観光案内所をのぞいて、時間をつぶしていました。

 ・白河には、南湖公園という公園がある。
 ・南湖公園は、老中・松平定信が開設した日本最初の公園なのだそうな。
 ・南湖公園までは徒歩で約1時間、自転車で約20分の距離がある。
 ・ここのレンタサイクルは無料。

私の興味を惹く南湖公園。
ここで得た情報が、いつの日か役に立つときが来るかもしれませんね。




ホームから見える御三階櫓を背にして、12時00分、定刻どおり白河駅を出発。

郡山駅には、12時37分に到着しました。
郡山駅では待ち時間もほとんどなく、12時42分、東北本線 普通電車 福島行きが発車しました。




午 後 1 時 0 4 分

福 島 県 二 本 松 市

J R 二 本 松 駅 に 到 着


白河小峰城の時とは異なり、二本松駅から二本松城を見ることはできません。
そこでまずは二本松城の位置情報を把握しなければなりません。

二本松駅の中にある観光案内所へ。
まずは位置確認ということで、「にほんまつガイドマップ」という冊子をもらいます。
地図を見ると・・・・・・二本松城へ向かうには丘をひとつ越えていかなければならないのです。
案内所ではレンタサイクルを借りることもできるようですが、今回は自分の健脚を信じて徒歩で向かうこととしました。

そして・・・なんとここでも100名城のスタンプをもらえるそうじゃ。
便利な世の中になったものよのう。



11番、二本松城!
・・・左にずれてしまいました。



【今回の乗車記録】

JR東日本 白河駅 2番線 12時00分発
東北本線 普通 郡山行き
郡山駅 2番線 12時37分着

郡山駅 4番線 12時42分発
東北本線 普通 福島行き
二本松駅 1番線 13時04分着

*所要時間 1時間04分(移動時間 59分 待ち時間 5分)
*移動距離 62.1km  *運賃 18きっぷ使用(不使用の場合は1,110円)

※運賃は当時のものを掲載しています。





白河ラーメン「田中屋」

2010-12-18 | グルメ


2 0 1 0 年 1 2 月 1 1 日 ( 土 )

午 前 1 1 時 0 3 分

福 島 県 白 河 市

J R 白 河 駅





白河小峰城を後にして、JR白河駅に戻ってきました。


そろそろお昼ということで・・・
2時間前に黒磯でそばを食べましたが・・・
今回の旅ではメインの食事となるであろう昼食を求め、白河市街を歩くこととします。


白河小峰城を出る前に、休憩所で「白河うまいもんMAP」というパンフレットを手に入れていました。
内容を見て・・・白河ラーメンを食べようと決めます。
そこでパンフレットの中から、駅に近い店を探すこととしました。

駅に近いお店は意外にもあまりなさそうでしたが、そんな中「手打ちワンタンと手打ちラーメンの専門店」という田中屋さんが比較的至近であったため、そちらへ。
「リピーターの多い店です」という宣伝文句が決め手となりました。


駅から徒歩8分、田中屋さんに到着。
地元密着の大衆食堂といった感じです。

店内に入ってみると、すでにほぼ満席。
多くは地元の人々のようですが、観光客の姿もありました。

店内の雰囲気は、「昭和」。
メニューの札、「味噌味じは五〇円増し」と書いてある札なんていかにもレトロな感じ。
そんなメニューの札を見ることはなく、パンフ推奨のワンタンメンを注文しました。

ご主人が調理を担当し、おかみさんがひとりでホールを担当しているようです。
繁盛している店内、お二人はとても忙しそうです。
そういうこともあり、お冷はセルフサービスとなっていました。


注文から10分もしないうちに、ワンタンメン登場。



ワンタンメン! うまいっ!
麺は太めのちぢれ麺で、手打ちのようだがモチモチしています。
そしてワンタンが1個1個デカい。
濃いしょうゆ味のスープという事前情報とは少し異なっているようにもみえるが、なかなかに上品な味。
うまいです。そして・・・

なんちゅうボリュームだろうか!
朝ついつい食べてしまった、黒磯のそばが影響しているのか、腹いっぱいでちと苦しかったです。

そして会計。
この店は注文伝票を使用していないようで、おかみさんに会計を申し出ると、
「何をご注文なさいましたか?」
と尋ねてきました。
どうやら客の良心に委ねているようです。
この旅は低予算ということもあり・・・・・・いやいや、お店側の期待に応えるべく、ワンタンメンをいただいたことを申告して、正当にお金を支払いました。



【今回の金銭支払記録

ワンタンメン 1杯 700円 (残920円)





18きっぷと2000円とともに

2010-12-12 | 鉄道の旅


2 0 1 0 年 1 2 月 1 1 日 ( 土 )

午 前 4 時 1 3 分

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



年末、空はまだ真っ暗な早朝。
これより旅立ちとなります。

目的地は、福島県です。
今回は、100名城のうち白河小峰城二本松城を訪ねます。

そして今回は日帰り旅。
あらかじめ購入していた青春18きっぷをもって、朝っぱらから夜遅くまで回ってきます。



今回の目的地は福島。
ところで福島が生んだ偉人といえば、野口英世です。
1000円札の顔にもなっている、日本を代表するドクターですね。

そして最終到達点は、二本松。


野口さんと、二本松。
野口さんと、二本松。
野口さんが、二本。

今回のたびは、「野口さん」を「二本」。
すなわち・・・「野口さん」が「2枚」。
所持金2,000円で回ることとします!!

緊急事態に備え、予備の千円札とキャッシュカードは持っていきます。

あと、冷蔵庫にあるお茶2リットルと、食料庫にあるビスケットも持って行きます。



2,000円という低予算で、どこまで城攻め旅を楽しむことができるのか!?
人間の限界に挑むこの企画、いよいよ始動です!!




午 前 6 時 1 7 分

東 京 都 台 東 区

J R 上 野 駅


午前6時の上野駅
空はまだ真っ暗です。
そんな中、次の電車は30分待ち。
都内で30分待ちとは・・・早く出すぎたのでしょうか。

待ち時間に朝食を・・・といきたいところでしたが、立ち食いそば屋はまだ開店前。
いや!そもそも2,000円の旅なら、そんな無駄遣いは控えなければなりません。
ここは家から持ってきたビスケットを頬張り、朝食の代わりにします。


上野駅の8番線ホームに、ようやく電車が入線してきました。
北へ向かう最初の電車は、6時49分発 宇都宮線 快速ラビット 宇都宮行きです。
早朝に起きた私は、暖かい車内に入るや、速攻で眠りにつきました。

その間に電車は発車し、太陽が昇るとともに北へとひた走っていきました。




午 前 8 時 1 8 分

宇 都 宮 駅 に 到 着


北関東最大のターミナル駅・宇都宮駅
ここでの滞在時間はわずか2分!
すなわち2分で乗り換えなければならないわけですが、次の電車は同じホームの向かい側なので問題なし。

8時20分発 宇都宮線 普通 黒磯行きに乗車します。

上野から宇都宮までは15両の電車も、黒磯行きでは4両に激減してしまいます。
宇都宮駅からの乗客をすでに収容していた車両に空いている座席はなく、お立ちを余儀なくされます。

乗車約50分間、終始お立ちのまま黒磯駅に到着しました。




午 前 9 時 1 0 分

黒 磯 駅 に 到 着


黒磯駅からは、9時39分発 東北本線 普通 郡山行きに乗車します。

出発まで約30分待ちです。
やることは特になく、駅の観光案内所に行ってはパンフレットを見て回ります。
そういえば黒磯市はなくなって、那須塩原市になったんですよね。いまだになじめません。

黒磯駅では在来線は必ず乗り換えることになっています。
それは、黒磯駅の構内で架線の電流が直流から交流に変わるからだそうです。
そのせいか、駅には立ち食いそば屋さんがあります。

・・・食べてしまった。


【今回の金銭使用記録

天ぷらそば 1杯 380円 (残 1,620円)


まともな朝食をとったところで、入線してきた電車に乗りました。

関東を脱出し、東北の玄関口・白河へ。

10時04分、白河駅に到着。



白河駅のホームに降り立つと、白河小峰城が私を出迎えてくれたのでした。



【今回の乗車記録】

JR東日本 [JU02] UEN 上野駅 8番線 6時49分発
[JU]宇都宮線(東北本線) 快速ラビット 宇都宮行き
宇都宮駅 7番線 8時18分着

宇都宮駅 8番線 8時20分発
宇都宮線(東北本線) 普通 黒磯行き
黒磯駅 1番線 9時10分着

黒磯駅 4番線 9時39分発
東北本線 普通 郡山行き
白河駅 2番線 10時04分着

*所要時間 3時間15分(移動時間 2時間44分 待ち時間 31分)
*移動距離 184.6km  *運賃 18きっぷ使用(不使用の場合は3,260円)

※運賃は当時のものを掲載しています。