鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

谷地頭温泉で朝風呂

2017-02-26 | 温泉・銭湯


2 0 1 6 年 9 月 1 7 日 ( 土 )

午 前 7 時 5 5 分

函 館 駅 前



函館朝市で海鮮丼を朝食としていただきました。
次に向かうは、谷地頭(やちがしら)温泉
函館のお宿で入れなかった朝風呂に入るため、あえて時間を設けたのです。


谷地頭は函館山のふもとで、山の東側です。



谷地頭へは市電で向かいます。函館市民のいう「電車」ですね。
函館駅前停留場からそのまんま谷地頭行き電車で一本です。
画像はボヤけてしまいましたが、このカラフルな路面電車に乗車します。



12分の乗車で終着・谷地頭停留所へ。



【今回の乗車記録】

函館市電 (DY17)函館駅前停留場 8時00分発
2系統路線 谷地頭行き
Y23)谷地頭停留場 8時12分着

*所要時間 12分
*移動距離 2.7km  *運賃 230円



電車を降りたころに雨が止みました。



停留場のすぐ近くにある谷地頭交差点から、函館八幡宮の参道へ。
このまま函館山の方向にまっすぐ歩かず、少しだけ進んで左折すると・・・



温泉施設「谷地頭温泉」に到着します。
この施設、近年まで市営の温泉でしたが、近年民営化されました。
それでもネーミングが「谷地頭温泉」、なんともストレートな名称です。

入湯料は大人420円。
そしてここは朝6時に開場し、夜10時まで営業しているのです。
朝風呂に入れなかった私にとってはまさに救世主です。



私はここで石鹸とシャンプーセットも購入し、いざ入浴。


温泉は、鉄分が多く含まれているようで、お湯の色は茶褐色。
にごった水たまりに浸かっているような感じもします・・・う~む、表現が悪いですね(^_^;)

それはそうと、朝の温泉を楽しみ、きっちりとヒゲをそって、リフレッシュ。



風呂上がりの一杯、また良し!



こうして朝風呂問題を解決した私は、ソフトクリーム対決を行うべく、谷地頭温泉をあとにしたのでした。





朝市で朝食

2017-02-26 | グルメ


2 0 1 6 年 9 月 1 7 日 ( 土 )

午 前 7 時 0 8 分

函 館 朝 市



JR函館駅とは道を挟んで南側にある函館朝市



「日本三大朝市」・・・には挙げられないのですが、函館の朝市は知名度抜群の市場です。
店舗数は約280店舗と規模も大きく、観光客がよく立ち寄るスポットでもあります。

 ※「日本三大朝市」は、一般的に勝浦朝市(千葉県勝浦市)、輪島朝市(石川県輪島市)、飛騨高山朝市(岐阜県高山市)の3つが挙げられています。



それでは朝市の中へ。





ぴちぴち動く、イキのいいイカ。
函館といえば、まずはイカ
朝市内にはイカのいけすがあって、イカ釣りが体験できる店舗もあります。

そういえば市電の1日乗車券は「ICAS(イカス)Ticket」でした。
多分関係ないとは思いますが。



北海の恵み、カニさんです。
ここで撮影をしていると、恐るべき店員♀が獲物の私を狙ってきました。
私が船橋から来たといえば、「じゃあ郵送で~」と返してきます。
「私、ひとり暮らしなんで料理できない」とか何とか言って、ようやく切り抜けました。


ここで私事ではありますが・・・・・・翌9月18日は、私の大事な方何十何回目の誕生日。
「誕生日という大事な日に、お前はひとりで北海道を旅行しているのか!!」というお叱りは、まったくごもっともです。
そこで誕生日プレゼント・・・というわけではなく、単に北海道のお土産として、このカニを直送するのも悪くないかな~と考えました。
その方の正確な住所を忘れてしまったので、朝早く電話してたずねます。

  電話「♪(某EXの楽曲)~~~~」 (※彼女が設定している待機音)
  電話「こちらはauおるすばんサービスです・・・・・・」

残念~~カニ獲得ならず~~。
結局函館朝市では何も買うことはありませんでした。


さてさて、朝市に来た理由はお土産を買うのではなく、朝食をとるためでした。
多くのお店がある中、私が目をつけていたお店は、



「きくよ食堂」本店
よね先生のサイトを思いっきり参考にさせていただきました。

こちらは朝市でも有名な人気店なのか、朝早いのにすでにほぼ満席。
席が少ないせいでもあるようですが、漢一匹の私は相席ということで着席。



テーブルのマットの下にある黄色い紙は、函館弁のリストになっていました。
朝ごはんが来る間に読んでみました。

「なまら」 すごく、とても。
これはよく聞きます。どうでしょうでも大泉さんがたまに口にする言葉です。
「おばんです」 こんばんは。
おばんですって東北のイメージが強い言葉です。仙台では「OH!バンデス」なる番組もあるくらい。
「汽車」 JRの列車。路面電車は「電車」と呼ぶ。
なるほどねぇ。そういえば函館本線は新幹線開通まで非電化でしたね。

函館弁を学んでいるうちに、私の注文したともえ丼(1,815円)がやってきました。



ともえ丼は、イクラ、ホタテ、ウニの三色。きれいな円グラフのように盛りつけされています。
お味噌汁は・・・たぶん岩のりかな?
たくあんは苦手なので、丁重にお返ししました。



ともえ丼! うまいぃぃ!!
北海道に来たなら、やっぱりこういう海鮮ものを食べないとね(^^♪

量はそれほど多くはなかったので、早々に完食してしまいました。
ゆっくり食べたのではありますが(^_^;)



さて外をうかがうと、なんとどしゃぶり。
朝から曇りがちだった函館地方は、この時間に大雨が降ったのです。
傘など持ち合わせていない私は出るに出られず、軒先でお店のおばちゃんとおしゃべり。
スマホさんで確認するとにわか雨のようで、ほどなく止むとのこと。

いつまでも「きくよ食堂」さんの軒下で立ち往生してもいられません。スケジュールに余裕はあまりない旅ですから。
気象庁さんのデータを信じ、私は傘を買わず外に駆け出しました。

局地的な大雨だったようで、函館朝市を後にする頃には小降りになっていました。





市電でトラブル発生?

2017-02-26 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 9 月 1 7 日 ( 土 )

午 前 6 時 3 4 分

函 館 市 元 町



函館で一泊し、旅は4日目をむかえました。

今回宿泊したお宿は、各部屋に内風呂がありません。
すなわち共同浴場ということになりますが、朝の時間帯に浴場は開いていません。
朝シャワーを浴びて、ひげをそる私にとっては、非常に残念な朝のスタートとなったわけです。

こういうこともあり、今後の予定をここで少しだけ変更。

この日の予定は、まず朝食を函館朝市でいただきます。
その後、某有名コーヒーショップでソフトクリームをいただきます。
そして、函館市内にある100名城・函館五稜郭【国指定特別史跡】を訪れ、函館を発ちます。
函館を発ってからは、鈍行列車でゆっくりと苫小牧まで進み、予約したホテルに泊まる予定でした。

しかしどうしても朝にリフレッシュしたい私は、前日のうちに谷地頭温泉の公衆浴場が朝早く開いているという情報をキャッチ。
そこで朝市の次に谷地頭温泉に向かう、という計画に変更しました。



函館で向かう場所が増えたこともあり、この日のチェックアウトは早朝6時半。







お宿の近くにある元町教会群ともお別れです。


函館山からの坂を下り、市電・十字街停留場まで来ました。



前日に買った市電一日乗車券「ICAS(イカス)Ticket」(600円)を使うときがやってきました。

 

使用する日付に合わせ、スクラッチしていきます。
そうすればその日の市電は乗り放題。
市電に乗るときには整理券を取る必要はなく、降りるときに運転手さんに日付部分がわかるように提示すればOKです。

この日は2016年9月17日なので・・・



!!!!!・・・・・・・・・・やってしまった。
このチケットは2016年●月9日しか使えなくなってしまいました。
有効利用できるのは、10月9日、11月9日、12月9日か・・・・・・この日に函館に用事がある人、いないだろうか???

 ※結局、この日に函館に用事がある人は現れず、このチケットはむなしく私の手元にあります。(2017年2月26日現在)

私が犯したミスのため、急きょ1日乗車券を探し求めるハメに。
スマホさんで調べると、十字街停留場わきのセブンイレブンで取扱いしているようです。

 左に写っているセブンイレブン。

この日は市電を何度も使う予定でしたので、ここで1日乗車券を買うことにしました。





ここのセブンイレブンのわきには、なぜか坂本龍馬像が立っています。
天を指さす龍馬さん・・・・・・あまりイメージがわきませんねぇ。


龍馬さんを眺めている時間はありません。
早急にセブンで1日乗車券を再購入し、十字街停留場へ急ぎました。



思いもよらぬトラブルはありましたが、この日の始発電車に間に合いました。



十字街停留場 6時56分発 函館市電・5系統・湯の川行きに乗車。



定刻どおり7時01分、函館駅前停留場に到着しました。
函館朝市の最寄停留場ではありますが、まず向かうのは、



JR函館駅の2階にあるコインロッカー。
ここで手荷物を預けていき、



函館駅の南側にある函館朝市へ向かいました。



【今回の乗車記録】

函館市電 (DY20)十字街停留場 6時56分発
5系統路線 湯の川行き
DY17)函館駅前停留場 7時01分着

*所要時間 5分
*移動距離 1.3km  *運賃 210円





ラッピ&ハセスト

2017-02-26 | グルメ


2 0 1 6 年 9 月 1 6 日 ( 金 )

午 後 8 時 0 0 分

函 館 市 末 広 町 ベ イ エ リ ア



この日のお食事は、「ラッキーピエロ」(通称「ラッピ」)のハンバーガーをいただきます。



右側のお店が「ラッキーピエロ」ベイエリア本店



函館でハンバーガーといえば「ラッピ」。
あの有名チェーン店・を函館から追い出したともいわれる、函館最強のハンバーガーチェーンです。
札幌や東京には進出せず、もっぱら函館市内で営業しているそうです。



店内に入るとほぼ満席、さすがは函館最強のハンバーガーショップです。
そしてなんとも個性的な内装・・・ちょっと落ち着かないかも。

レジにて函館なまりのおねいさんに注文を伝え、空いていた席に座って待ちました。


注文から約10分、店内が混雑しているため時間はかかりましたが、



チャイニーズ・チキンバーガー(税抜350円)、エビチリバーガー(税抜420円)。
さらにトンカツバーガー(税抜380円)、おまけにフライドポテトS(税抜180円)がやってきました。



チャイニーズチキンバーカー! これはうまいっ!
挟まれているのはレタスに、唐揚げ、そして中華風の甘辛いタレとマヨネーズで味付けがなされています。
ラッピでは人気第1位のメニューですが、それもうなづけます。



トンカツバーガー、うまい!
ラッピでは人気第3位のこちらは、大きめのトンカツとレタスというシンプルな組合せで、おいしゅうございます。

それぞれのハンバーガーがなかなかのボリュームで、少々満腹気味になってきましたが・・・



エビチリバーガー、これもうまい!
中華料理のハンバーガーということで、ラッピではエビチリもバンズに挟みます。


ハンバーガー3個に、Sサイズとはいえポテトを食べた私は、満腹のままラッピを後にします。
そういえばハンバーガーだけで満腹になったのは何年ぶりだろう・・・?




午 後 8 時 3 0 分

ラ ッ キ ー ピ エ ロ を 出 る




ラッキーピエロの隣りの店・・・



こちらは「ハセガワストア」ベイエリア店です。

「ハセガワストア」(通称「ハセスト」)は函館地方のみで展開するコンビニチェーンです。
看板にでかでかと掲げられているやきとり弁当が名物?です。

ラッピで満腹になっている私は、やきとり弁当をテイクアウトすることとしました。



やきとり弁当を注文するには、店内に置かれている注文書を記入して、レジに提出する必要があります。
私はやきとり弁当・中サイズ・たれ味(565円)をオーダーしました。




午 後 9 時 3 9 分

宿 屋 に て


ベイエリアから徒歩で宿屋に戻りました。
ラッピで満杯になっていた私の胃袋は、歩いたおかげで若干の余裕が生まれました。ということで・・・



ここでやきとり弁当を実食!
「やきとり」といいながら、弁当のふたには豚のイラストが描かれています。
函館地方では、「やきとり」は串に刺した焼きトンをいうのだそうです。



やきとり弁当、うまい!
ネギマが3本に、野菜串が1本。
味に飽きが来るころの、この野菜串がなかなかうまいです。
もちろん「やきとり」もおいしかったです。



この日は函館の海の幸を口にすることなく、このまま眠りについたのでした。





夜も元町を歩く

2017-02-25 | 夜景


2 0 1 6 年 9 月 1 6 日 ( 金 )

午 後 7 時 1 9 分

函 館 市 内 の ペ ン シ ョ ン



夜景を眺め、函館山から下山。
宿泊場所のペンションに戻ってきました。

自室で少々休息をとり、お次は食事のために再び外出します。
ペンションのオーナーに再び鍵を預けます。
落ち着きのない宿泊客だな~って思われてそうです(^_^;)



ペンションに戻っている間に食事をする店を調査、確認し、夜の街ブラへ。



まずは函館聖ヨハネ教会



次はカトリック元町教会



函館ハリトリス正教会主の復活聖堂【国指定重要文化財】。



ぼやけてしまいましたが、八幡坂から港を望みます。



八幡坂の坂上に位置するのが、北海道函館西高校です。
ここはかの大御所・北島三郎御大が卒業された高校なのだそうです。
ですがこの函館西高校、2019年3月をもって統廃合されることとなり、新しい学校となって再出発するのだそうです。


元町をさらに夜歩きし、元町公園へ。



茶煉瓦の旧開拓使函館支庁書籍庫【北海道指定有形文化財】。



淡い緑色の旧北海道庁函館支庁庁舎【北海道指定有形文化財】。
画角はくだんのカメラ台からのものです(*^_^*)



元町公園から見上げる旧函館区公会堂本館【国指定重要文化財】。
閉館時刻とあって、さすがにレイヤーさんはいないようです。



元町公園から見下ろす函館港
今宵のお食事処は函館港に近いところです。


公園を出て基坂を下り、函館港方面へ歩きます。



基坂に面する旧イギリス領事館
この日もお月様がきれいです。



基坂と、市電が走る海峡通りに面する相馬株式会社函館本社社屋
大正時代の建築で、現在も社屋として使用されています。

ここで海峡通りに曲がり、



このビルは・・・?



御大の記念館はこちらにありましたか(*^_^*)



そして函館港へ。



この日のお食事処に到着しました(^^♪





函館山の夜景

2017-02-24 | 夜景


2 0 1 6 年 9 月 1 6 日 ( 金 )

午 後 5 時 0 4 分

函 館 山 ロ ー プ ウ ェ イ 山 麓 駅



函館元町の街ブラを切り上げ、函館山を登ります。

この日の日没時刻は、国立天文台のサイトによると、17時45分前後のようです。
また夜景の美しいとされるトワイライトタイムは、「こよなく夜景を愛する人へ」という夜景紹介サイトによると、18時03分ごろから15分程度のようです。

しかし函館山の夜景といえば、六甲からの神戸、稲佐山からの長崎とならぶ「日本三大夜景」のひとつ。
さらには香港、ナポリとならぶ「世界三大夜景」のひとつにも挙げられています。
近年では「新日本三大夜景」が長崎、札幌、神戸となり、函館が外されてもいますが、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでは函館山の夜景が★★★(わざわざ旅行する価値がある)とされており、函館山の夜景は世界的にも根強い人気があるようです。

そういうこともあり、日没時刻よりもかなり早い時刻ではありますが、早々に山に登るべきと判断しました。




函館山ロープウェイ・山麓駅に到着しました。
おぉぅ、早くも団体観光客の群れが・・・早々にロープウェイ乗り場に急いだのですが、すでに長蛇の列はできていたのでした。



往復分の搭乗券(1,280円)を購入し、列に並びます。
搭乗するロープウェイは17時10分発の次だろうな・・・そう思っていたら、意外と行列は進んでいきました。




午 後 5 時 1 0 分

ロ ー プ ウ ェ イ に 搭 乗


125人乗りの大型ゴンドラに搭乗。
満員電車のドアそばキープのテクニックを駆使し、窓際の位置をおさえることに成功。



函館の港町を見下ろしながら、ロープウェイは上っていきます。
まずは元町の街並み。
左から函館ハリトリス正教会函館聖ヨハネ教会カトリック元町教会



そのうち建物は小さくなっていき、眼下には函館港がひろがってきます。


ロープウェイは約3分で、山頂駅に到着。



ゴンドラから下りる前に、正面の窓から見下ろした函館。
向こうの山々、西の函館湾と東の津軽海峡にはさまれた函館市街地のトンボロ。
函館山から見下ろしたおなじみの景色です。



山頂駅の自販機で、こんなものを買ってみました。



「いろはす ハスカップ味」、すっきりとした果実の風味がなかなかよろし。

のどの渇きを潤して、展望台に向かいます。




午 後 5 時 1 9 分

函 館 山 展 望 台


人、多すぎ・・・。
函館市街方向を望む場所は、すでに多くの観光客で占められております。



観光客の比較的少ない西側から望みます。
函館湾を照らしつつ、松前半島に沈みゆく日輪がとても美しい。



夕日に照らされている函館港



夕焼けに染まった函館市街。

函館山はもとは単独の島でしたが、土砂が堆積して対岸の亀田半島とつながってできた陸繋島(りくけいとう)です。
そして函館山と亀田半島をつなぐ陸繋砂州(トンボロ)の部分が市街地となって発展しました。

この独特の地形が、世界でも屈指の夜景のもととなっているのですね。


函館市街を望みつつ、時がたつのを待ちます。



私の前にはすでに待ち人あり。
人が入らないように撮影するのに一苦労です。
地平線がえらく傾いて写ってしまったり、さらに夜となると手ブレが写ってしまったりと、何度も失敗を重ねることに。





時は日没をむかえ、街の明かりがぽつぽつと点灯し始めました。



東の方角、亀田半島のほうを見やると、満月が昇っています。
この日は中秋の名月・・・の次の日。
夜景に月というぜいたくな組み合わせがお目にかかれそうです。


午後6時を回り、街の明かりも増えてきました。
夜景がもっとも美しいとされるトワイライトタイムをむかえます。







宵闇とともに、街の灯りと漆黒の海のコントラストがくっきりと顕れてきます。
そこに、大通りを走り行く車列の明かりが加わります。





東の海には、月光の道筋が浮かんでいます。なんとも神秘的。


ここで天の配剤。
前列にいた観光客は下山し、展望台の手すり最前列に進出。










空はいつの間にか雲が消え失せ、名月のやさしい光が注ぎます。
山頂の夜風はいくぶん肌寒かったですが、函館山を登って本当に良かった・・・そう思わせる、素晴らしい夜景でした。



ここは本当にふたりで来たかったな。





さらに元町を歩く~洋館探訪

2017-02-23 | 教会・洋館


2 0 1 6 年 9 月 1 6 日 ( 金 )

午 後 4 時 1 9 分

函 館 市 元 町



バルコニーでコスプレしている♂♀。



こやつらをなるべく写らないようにして・・・



あらためまして、旧函館区公会堂本館【国指定重要文化財】です。


旧函館区公会堂は、明治42年(1909年)5月に起工し、翌43年9月に竣工した建物です。
明治40年8月の大火で町会所が焼失したため、費用約5万8千円で建築されました。
この費用のうち大部分の5万円は、函館の豪商・相馬哲平の寄付によるものでした。

明治44年8月、ときの皇太子殿下(大正天皇)の行啓の宿舎として、また大正11年(1922年)7月にはときの摂政宮殿下(昭和天皇)の行啓のおりに御休息の場として用いられました。
昭和32年(1957年)からは函館市公会堂として使用されてきました。

本館は昭和49年(1974年)5月に、附属棟は昭和55年(1980年)に国の重要文化財に指定されました。
昭和55年から3年間の保存修復工事を経て、現在もコンサートホールとして利用されているそうです。



入館料は大人300円です。
私はこのあとにもうひとつ洋館に入るつもりでいたので、2館共通券を500円で購入しました。

それでは中へ。
観光客も多く、漢一匹が入るにはふさわしくない場所ですが・・・
そんなことは意に介さず普通に入ります。こっちははるばる千葉から来てるわけだし。


まずは1階、大食堂



シャンデリアは蘭?をモチーフにした、派手さは控えながらもかわいらしいもの。





どの部屋か忘れてしまいましたが、調度品は往時のものを使用しているのでしょうか。



階段を上って2階へ。



当時のトイレでしょうか。もちろん現在は使用できません。



階段の近くにある部屋、御寝室(貴賓室寝室)です。
大正天皇が皇太子であったおりに、この部屋が御寝所として使用されたそうです。
昭和天皇が摂政宮であったときに御休息をとられた部屋もこちらで、調度品は往時のものが配置してあるそうです。



その隣りは御座所(貴賓室)
こちらの部屋で、大正天皇も昭和天皇もおくつろぎになったそうです。

この2室だけは、シャンデリアのかたちが異なっているそうですが・・・私は気づきませんでした(^_^;)
また壁や天井には、植物文様(アールヌーボー)の外国製壁紙が貼られています。



現在も使用されるという大広間です。
こちらは白漆喰塗の質素な感じですが、かえって広々としているように感じます。
大広間からはバルコニーが続いています。



コスプレ♀に交じってバルコニーに出てみました。
眼下には元町公園、そして函館港が見えるなかなかの景色です。


別階段で1階に下りると・・・コスプレ準備中の♂♀が数人。
衣装レンタルは20分で1,000円、ヘアメイクも1,000円、しめて2,000円で明治の貴婦人になることができます。

私? できるわけないでしょう~漢一匹の旅だし。

・・・・・・ふたりだったら、絶対やってただろうな(^_^;)




午 後 4 時 3 4 分

元 町 公 園 へ


漢一匹ではいささかつらい旧函館区公会堂を出て、隣接する元町公園に足を踏み入れました。



函館の港がよりいっそう近くに見えます。
湾の対岸には、よく見ると五稜郭タワーも。



公園から見上げた旧函館区公会堂。画になります。



公会堂を見上げた地点の脇には、4体の銅像が立っています。
号して函館四天王像
函館の発展に尽くした漢たちで、右から今井市右衛門平田文右衛門渡邉熊四郎平塚時蔵です。
彼ら4人は元町公園から、函館の港町を見下ろしているんですね。



四天王像のすぐ近くには、同じような色彩の洋館が建っています。
旧北海道庁函館支庁庁舎【北海道指定有形文化財】で、明治42年(1909年)に建てられたものです。

ちなみに元町公園のある地には、19世紀初めから箱館奉行が置かれていました。
しかし開国後、海に近いこの地は防衛上不利ということで、箱館奉行は五稜郭に移転することになります。



旧函館支庁舎の前に立つ台座。
この台座を使って庁舎の写真を撮ると、いい画になるそうですが・・・



うむ、なるほど。



隣りにある赤煉瓦の建物は、旧開拓使函館支庁書籍庫【北海道指定有形文化財】。
明治40年の函館大火の際も類焼を免れ、行政文書を守り抜きました。

北海道は、はじめ開拓使(北海道開拓使)が置かれ、明治政府主導のもとで北海道の開拓が行われました。
明治15年(1882年)に開拓使は廃止され、札幌県・函館県・根室県の3県が置かれました。
しかし3県の統治はうまく機能せず、北海道庁を置くことで内務省の管轄下となり、3県はそれぞれ支庁となりました。



元町公園を出ました。



公園わきの基坂(もといざか)を挟んで向かいにあるのが、



函館市旧イギリス領事館【函館市指定文化財】に入ります。



芸人N氏の顔のような旧式の電話がお出迎え。



領事の家族が居住していた家族居室



領事執務室からは、リチャード=コックス領事が函館の港を観察しています。



2階から領事館のお庭を拝見。



お庭からの領事館。
画になる建物を拝見して、あっさりですが後にします。

・・・・・・ああ、やっぱり二人で歩きたかったな。




午 後 4 時 5 6 分

領 事 館 を 出 る


時刻は夕刻、午後5時前。
日没までの時間は約1時間、函館山の夜景を望むべく、ロープウェー乗り場へ向かいます。



旧相馬邸【伝統的建造物】は素通り。
相馬邸は、函館区公会堂の建設に多額の寄付をした豪商・相馬哲平の私邸です。
イギリス領事館のお隣さんで、坂の上に建てられております。
市民の私邸から外国の公邸を見下ろすことができるのは、この相馬邸だけだそうです。



狭いながらも雰囲気のある石畳の坂を通過。



東本願寺函館別院を右に見つつ、元町を後にしました。





ハイソフト「日本の名城」15城目

2017-02-18 | 日記


2 0 1 7 年 2 月 1 6 日 ( 木 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



前日に名城中の名城・姫路城を引いた私。
残るカードは2枚という状況で、この日も驚異の引きをやってのけました。



黒壁の天守閣といえば、No.15 岡山城!

カードの絵柄は「烏城」の異名をもつ天守【外観復元】です。
画角はおそらく南東側、そばを流れる旭川の船上から撮影したか、対岸の後楽園から撮影したのでしょうか。
夕刻の「烏城」もなかなかのものですね(*^_^*)


戦国時代、岡山周辺を支配していた金光宗高を、1573年(天正元年)に宇喜多直家が暗殺して勢力を拡大したところから、岡山城の歴史は始まります。
直家は備前の戦国大名浦上宗景の支配下にあった「暗殺のプロ」ともいうべき謀略家でした。
ついには宗景に反旗を翻して勝利、追放し、備前一国を支配する大名にのし上がりました。

そんな折、近畿からは織田信長が中国地方にまで勢力拡大を図ると、直家は中国攻略の総大将・羽柴秀吉に降伏し、その勢力を保つことに成功。
ですが直家は病に倒れ、嫡子秀家の行く末を秀吉に託し、世を去ります。
このとき直家は、自らの妻を秀吉の側室に出したため、秀家は秀吉の一門と同様の扱いを受けました。

その秀家は成長して備前57万4千石の大名となり、直家以来の居城が手狭になったため、あらたな城を築くことを計画します。
天正18年(1590年)から築城が始まりました。
途中の朝鮮出兵で秀家は総大将になったため中断しますが、帰国後に再開し、慶長2年(1597年)ここに岡山城が建ったのでした。

しかし秀吉死後の関ヶ原の戦いで西軍の首脳となった秀家は八丈島へ流されることとなり、代わって備前に入ったのは小早川秀秋です。
秀秋は岡山の城下の開発に精を出しましたが、2年で死去。
世継ぎがいなかったため家名は絶えてしまい、代わって池田家が入り、明治維新まで続きました。

明治に入ると城の建物は多く撤去され、また戦時には空襲のため天守などが戦災にあって焼失してしまいます。
天守は昭和41年に外観復元というかたちで再建され、現在に至っています。



岡山城は1度登城をしております。
岡山城単独というより、対岸にある後楽園からの岡山城天守が素晴らしく見えました。
また岡山城天守と後楽園を隔てる旭川には月見橋という橋がかかっていて、橋上からの岡山城天守も画になるものでした。
カードで採用された画角は、私が見てきたものとは異なる画角。
私の登城旅もまだまだ甘いのかな~とは考えつつも・・・

カードは残り1枚!

残るカードはNo.10。
番号は北東から南西へ順番に付けられているので、No.10の名城は名古屋城(No.9)以西以南、大坂城(No.11)以東以北ということになりそうです。
考えられるのは滋賀県、三重県、京都府、奈良県のどこか。
Google先生の力を借りればたちどころにわかるのでしょうが、最後の名城は自分で引いて確かめたいと思います。

私の予想としては、
 ◎ 二条城(京都、二の丸御殿が国宝となっている)
 ○ 彦根城(滋賀、天守が国宝、ひこにゃんで有名、平成29年の大河ドラマの影響?)
 △ 伊賀上野城(三重、石垣が高く天守もある、100名城)
このあたりでしょうか。



最後のカードを心待ちにしつつ、明日もおやつは森永ハイソフトです。





ハイソフト「日本の名城」14城目

2017-02-18 | 日記


2 0 1 7 年 2 月 1 5 日 ( 水 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



2月15日。
前日はとある方から巨大なチョコレートマフィンをもらったので、いつものハイソフトはお休みしていました。
この日はその余韻にひたることなく当然森永ハイソフトをおやつにいただきます。


2月の中旬、立て続けに新しいカードを引いています。
そしてこの日は・・・



ついに出ました! 名城中の名城・姫路城です!! あ、No.12ですよ。

カードの絵柄は、現存では最大の規模を誇る天守群です。
姫路城の天守は、絵柄中央の大天守【国宝】、右端の東小天守【国宝】、大天守の裏に西小天守【国宝】、東小天守の裏側に乾小天守【国宝】の4基が建っています。
なお「乾(いぬい)」とは十二支の戌(いぬ)亥(い)で、北西の方角を表します。
それらの天守が4棟の渡櫓(イ・ロ・ハ・ニの渡櫓)【国宝】で連結されている構造です。
カードに写っているのはイの渡櫓で、反時計回りにロ・ハ・ニとついているようです。

さらに絵柄にある城門、櫓、さらには城壁まで、これらのほとんどが現存しているものであり、国指定の重要文化財になっているのです。

姫路城は数ある城の中でも別格。
相撲でいうなら横綱ではなく大横綱、谷風双葉山大鵬千代の富士クラスなのです。


姫路城は、播磨守護・赤松則村が正慶2年(1333年)にとりでを築き、その子・貞範が正平元年(1346年)に城を構えたことに始まります。
その後、家臣の小寺氏、黒田氏が守っていました。
小寺氏の家臣であった黒田官兵衛孝高は、主家ともども羽柴秀吉に帰順しました。
秀吉は、姫路城を西国攻略の本拠地とし、天正9年(1581年)に改修、天守を完成させました。

その後、秀吉の弟・秀長、秀吉の一族・木下家定が城主を務め、関ヶ原の戦いの後は池田輝政が入封しました。
輝政は、8年の歳月を費やして改修、拡張し、現在の天守を築きました。

池田氏3代の後は、本多忠政が入封し、長男・忠刻とその室・千姫のために西の丸を整備し、現在の姫路城の姿となりました。
その後、城主は松平氏、榊原氏、酒井氏と変わり、明治維新を迎えました。

平成5年(1993年)12月、姫路城は法隆寺地域の仏教建造物とともに、ユネスコの世界遺産委員会で、わが国で初めて世界文化遺産に登録されました。


(※1346年は南朝方では正平元年、北朝では貞和2年となりますが、赤松氏範は最終的に南朝についたので、南朝の元号を表記しています)


わが国最初の世界遺産ということもあり、



前回のシリーズ「日本の世界遺産」でも採用されていた姫路城。
このカードの画角は南西側からの天守群、おそらくは西の丸から撮影したものでしょうか。
大天守と、中央に西小天守、左端に見切れた乾小天守が写っています。


私は姫路城を2度登城していますが・・・



平成23年(2011年)1月8日の第1回登城では、平成の大修復のまっただ中で、大天守は覆いの中。
当然天守には入れませんでした。
そして第2回登城。

 

平成27年(2015年)3月23日、平成の大修復は完了し、グランドオープン3日前。
真っ白になった大天守は見られたのですが、立入禁止区域が前回よりも広がっていて、あまり中に入れなかったのでした。

こういうこともあり、「日本の名城」カードの画角である東側からの天守群は拝見したことがありません。
姫路城、ここもまた私が再訪しなければならない名城であります。



「日本の名城」カードは残り2枚、明日のおやつも森永ハイソフトです。





ハイソフト「日本の名城」13城目

2017-02-15 | 日記


2 0 1 7 年 2 月 1 3 日 ( 月 )

千 葉 県 某 所

拙 宅 に て



2月13日。
この日もチョコレートではなく森永ハイソフトをおやつにいただきます。


2月に入ってからの引きはなかなかのもので、多少ダブリは出るものの、すんなりと新しいカードが出てきているという印象です。
そしてこの日のカードは・・・



巨大な天守閣、屋根に輝く金のしゃちほこと来れば・・・No.9 名古屋城!

カードの絵柄は日本一の容積を誇る大天守【外観復元】です。
このカードには写っていませんが、隣には小天守があり、両者は連結しています。


名古屋城は徳川家康の命により、西国の諸大名による「天下普請」により築城されました。
家康は名古屋城を九男・義直に与えました。
この義直の家系が尾張徳川家であり、水戸、紀州と並ぶ「徳川御三家」のひとつです。

名古屋城は江戸時代を通じて尾張徳川家が城主を務めました。
明治維新を迎えると城郭は次々と破却されていきましたが、名古屋城は明治政府の決定により破却を免れました。
しかし第2次大戦で米軍の空襲を受け、天守と御殿は炎上してしまいました。

現在の天守閣は、戦後に鉄筋コンクリート造で復元されたものです。



そして現在の名古屋城には、大天守の脇にエレベータが据えられているのですが・・・
さすがに森永さんはそんな画角で撮りはしませんね~(*^_^*)

そんな名古屋城の大天守ですが、鉄筋コンクリートから木造へと再建しようというプロジェクトが立ち上がっているようです。
そして現在の大天守は耐震性能が低いため、立入禁止になってしまうとか・・・(・_・;)

私事ながら、名古屋城は2009年に登城していますが、このときはあまり時間がなく、すみずみまで回りきれませんでした。
(登った城のほとんどがそうなのですが)
ここもまたじっくりと歩いてみたいですね。



残るカードはいよいよあと3枚。
残りの城はどこなのか・・・Google先生の力は借りず、森永ハイソフトを食べて自ら確認していきます。