鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

意宇六社めぐり・最終章~熊野神社参拝?

2021-09-20 | チャリ旅


令 和 元 年 神 在 月 廿 弐 日 ( 即 位 礼 正 殿 の 儀 )

午 後 拾 弐 時 参 分

松 江 市 東 出 雲 町

平 賀 公 会 堂 ・ 黄 泉 比 良 坂 伝 説 地 付 近



死の淵から蘇った私を待ち受けていた、公会堂の媼。

 

もしや・・・媼は伊弉諾尊イザナギノミコトを捕捉せんとした伊弉冉尊イザナミノミコトの化身だったのか?!
「黄泉帰り」の証として御朱印を賜ったものの、30分ほど公会堂にとどまることになりました。



意宇おう六社めぐり」最後の神社は、熊野神社【出雲國一宮】。
地図を見ると・・・これはかなり頑張らなきゃいけませんなぁ。
わき目も振らずひたすらママチャリで進み、12時11分。



熊野神社に到着しました。


この日はさらに巡る場所があったため、残念ながら熊野神社の画像は撮れずじまいになってしまいました。
御朱印もいただくことはできなかったのですが、とりあえず六社めぐりはこれにて完了!ということにしましょう。



【熊野神社までのルート】



*移動距離 10.4km


いや~、熊野神社は遠かったですなぁ。
上り坂もなかなかにきつかったです、うんうん。




それでは、先を急ぎますかな。



国道9号を西へと進み、松江市内をめざします。
進行方向右側には、宍道しんじ中海をつなぐ大橋川が見えてきます。



山陰本線の車窓からも見えた、大橋川に浮かぶ塩楯島に鎮座する手間天神社


『古事記』によると、造化三神の一柱・神産巣日神カミムズビノカミ神皇産霊尊カミムスビノミコトが産んだ神で、体がとても小さい少名毘古那神スクナビコナノカミ少彦名命スクナヒコナノミコトがいらっしゃいました。
少名毘古那神は、神産巣日神の指の間から落ちてしまい、地上に降臨することになります。
そのおりに海水が凝固して島になったと伝わり、後世「塩楯島」と呼ばれるようになったそうです。
また少名毘古那神は、手の間から落ちたということで「手間天神」とも呼ばれることになったそうです。

地上に降臨した少名毘古那神は、出雲の神・大国主神オオクニヌシノカミ大己貴命オオアナムチノミコトと兄弟の契りを交わし、ともに国づくりに精を出したといいます。
そして人民や家畜の病を治すための方法を定め、また害鳥や害虫から穀物を守るためのまじないの方法も定めたといい、現在は国土経営の神、農耕の神、医療の神として信仰されています。



この塩楯島も「神蹟地」とされているので、祭礼の日を除いて入島は禁じられています。
また祭礼の日であっても、入島できるのは一部の者に限られているそうです。
私も、国道9号の路上から手を合わせ、先へと進みます。




午 後 拾 弐 時 四 拾 四 分

J R 松 江 駅 北 口


松江の市街地に戻ってきました。



思っていたよりも質素な面持ちのJR松江駅
ママチャリはさらに進み、宍道湖に面する松江の中心街へ。
駅通りから新大橋通りへと曲がったところで、とあるカフェに立ち寄ります。



この日のランチはこちら、「IMAGIN. COFFEE(イマジン. コーヒー)」でいただきます。

こちらは旅立ち前、当時同僚だった女性にお勧めされたカフェ。
彼女は一時期松江に住んでいて、こちらのオーナーさんとは知り合いのようで、「私の名前を出してもいい」と言っていました。

初見の旅人ならばまず素通りするであろう、それほど大きくなく目立たない感じのカフェ。
中に入ると、オーナーさんと思われる女性に客がひとりと、静かな感じの店内。
こりゃあ「Iさん(元同僚)にお勧めされて、はるばる千葉の柏からやってきましたよぉ~」なんて厚かましいことを言える雰囲気ではないですなぁ。
ここは普通の客として、普通にランチをいただいて、普通にコーヒー飲んで、普通に出るとしましょうか。

朝から神社を6社くらい?参拝し、20kmほどの自転車移動を敢行したので、



砂の国の珈琲店でいただいたような、しっかりとしたランチをいただきたいな~と思って、メニューを拝見しました。
すると・・・FOOD(食事)の欄が「トースト」と「チョコレート」しかない模様。
よく見ると、トースト・セット(税抜600円)があったので、これをオーダーすることにしました。
コーヒーは、喉が渇いていたのでアイスコーヒーにしました。


まず、アイスコーヒーがやってきました。



アイスコーヒー、後味酸っぱい???
私は喫茶店をよく利用はしますが、はっきりいってコーヒーの味なんてよくわかりません。
そんななんちゃって珈琲愛好家が飲んだもんだから、後味が酸っぺぇなぁ~ぐらいのうっすーい感想しか出てきません。
そばにあった「本日のコーヒー」の説明書きを読んでみると・・・なるほど、なるほど。
コーヒーチェリーという果実の種子がコーヒー豆であって、云々。
説明書きの内容は詳しくは忘れてしまいましたが、それを読んだ後で再び飲んでみると・・・



アイスコーヒー、後味がフルーティでさわやかです!
・・・ああ、惜しむらくは私の喉が渇いていたため、よく味わうことなく飲み込んでしまったことでしょうか。

そうこうしているうちに、トーストがやってきました。



トースト・バター、うまい!
おいしいですが、やっぱり物足りない?
これは、来店するタイミングを間違えたのでしょうか。

ここは、1時間以上ゆったりし、コーヒーを味わい、ついでに軽食をつまむところ。
ちゃりんこでダーっと来て、ぐいっと飲んでガッツリ食らって、さっと出ていくようなところじゃないのです。

残念なことに、この後私が訪れるべき場所は多く、こちらで長居をすることはできませんでした。




午 後 壱 時 廿 六 分

松 江 新 大 橋


島根県のふたつの湖をつなぐ大橋川



松江新大橋を渡り、北岸へ。
西に見える松江大橋のほうへ進みます。
ひときわ高いビルは山陰合同銀行本社ビルで、島根県で最も高い建築物です。



大橋川の北を流れる京橋川
松江の市街地を東西に走る水路で、慶長16年(1611年)の堀尾吉晴による築城に際して造られたものです。
築城とセットで造られた水路なので、水濠の役割を担っていたわけですね。



午後1時33分。



やっと、この旅最大の目的地・松江城【国指定史跡】にたどり着きました。





半周!牛久沼

2021-07-23 | チャリ旅


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 4 月 3 日 ( 土 )

午 後 1 時 1 9 分

茨 城 県 龍 ケ 崎 市

牛 久 沼





河童にまつわる伝説が多く残っているという牛久沼
水辺にたたずむ柳が風に揺れ、とてものどかな感じがします。



少し進み、牛久沼の突端部分に到達。
このあたりは泊崎(はっさき)というそうです。



泊崎の先端部には、なんとなく味のある桜の木が1本。
傍らには七浦弁財天が鎮座しています。



桜の木は花びらを多く散らせ、葉桜になりつつあります。





春の終わりを惜しみつつも、枝いっぱいの花を咲かせ、牛久沼を彩る桜。



弁天様に旅の無事を祈ります。




午 後 1 時 2 7 分

茨 城 県 つ く ば 市

泊 崎 大 師 堂


弁天様の鎮座するところから、高台に上りました。



こちらは泊崎大師堂
岩崎山守徳寺に属しています。

平安時代初期の大同年間(806年~810年)に、弘法大師が泊崎の地を訪れ、座護摩を修めたといいます。
その後この場所に弘法大師堂が建てられ、大師をお祀りしているのだそうです。



現在のお堂は、平成27年(2015年)に再建されたものだそうです。


ここでも旅の無事を祈願し、合掌。




大師堂の裏手にある見晴台へ。
ここからの牛久沼は、また格別です。



弁天様の桜も、きれいです。



このあたりは川魚料理のお店、とくに鰻屋がよく見られるのですが・・・素通りして、先へ。
なるべく牛久沼をなぞっていくルートをとっていきますが・・・



泊崎から対岸に行けない!
地図を見てもわかるように、かなり北まで行かないと対岸に渡れないようです。



橋をめざして、進路を北へ。
筑波山の山影が、だんだん大きくなってきたような・・・?
そういえば、ここはつくば市でしたね。



うっすらと彩りを添える桜の花。
それにしても、なかなか対岸に渡れませんなぁ。



ようやく橋が見えてきました。
茎崎(くきざき)というようです。
(ちなみに私は最初「茎崎」を「にらさき」って読んでました。「にらさき(韮崎)」は山梨県ですね)



茎崎橋を渡ります。
向こうに見える茎崎運動公園の桜もきれいでした。


橋を渡り、今度は進路を南へ。




午 後 2 時 1 9 分

茨 城 県 牛 久 市

牛 久 観 光 ア ヤ メ 園




茎崎橋から南進して15分。
牛久沼に注ぐ稲荷川という川を渡りました。



稲荷川にかかる三日月橋
橋詰にはかっぱの像が据えられています。



三日月橋のすぐそば、同じくかっぱさんがたたずむ牛久観光アヤメ園に到達。



相変わらず牛久沼をなぞるように進んでいます。



かっぱの小径という遊歩道へ。





のどかですなぁ。



かっぱの小径が終わると、牛久沼沿いの道はなくなります。
向こうに見える泊崎、そして弁天様の一本桜ともお別れです。





本土最東端の旅・最終章~帰還

2017-07-07 | チャリ旅


2 0 1 6 年 9 月 1 9 日 ( 敬 老 の 日 )

午 後 2 時 4 4 分

北 海 道 根 室 高 等 学 校



本土最東端・納沙布岬から、根室半島の太平洋側をチャリで進んできました。



本土最東端の高等学校北海道根室高等学校が現れ、根室市街に入りました。
本土最東端を訪ねる旅も、そろそろ終幕をむかえます。


私とレンタサイクル「黒雲」は、相変わらず北海道道35号・根室半島線を進んでいきます。

根室高校から少し進み、



道道35号は、この丁字路で右折します。
ちなみにこの丁字路を左折すると、日本最東端の駅JR東根室駅に行けます。
私はスルーしてしまいましたが(^_^;)



丁字路を曲がった先は、片側2車線の快走路がのびています。
国道14号ですら片側1車線という貧困な道路事情を抱えるF市民(当時)の私は、思わず羨望の眼差しを向けてしまいます。



数百メートル進んで、道道35号は左折。
ですが私はここで逆方向に進み、ちょいと寄り道をします。



大正町通という道を進むと、



大正公園ではなく明治公園に到着しました。


【今回の行程記録】



[A]本土最東端の高等学校・北海道根室高等学校 校門前  14時44分発
道道35号・根室半島線経由
[B]明治公園 第1駐車場  14時52分着

*所要時間 8分
*移動距離 約1.3km




レンガ造りのサイロが3基立っているサイロ広場へ足を運びました。
草地の広場では、根室男児がボール遊びに興じていました。



これら3基のサイロは、それぞれ根室市明治公園第1・第2・第3サイロ【国指定登録文化財】という名称で文化財指定されています。
高さ15メートル、直径約6メートルで、南側面に高さ1メートルの開口部が縦一列に4つ並んでいます。
北側に出窓を設けた、こけし状ファイニアル付き鉄板葺ドーム形屋根を冠します。(←なんのこっちゃ?)
国内最大級規模のレンガ造サイロなのだそうです。
(文化庁の文化財等DBの記述より)



明治公園は、北海道で2番目にできた官営牧場である根室牧畜場の跡地を利用しています。
大正時代に北海道練乳(現在の明治)の所有地となりました。
3基のサイロは、昭和の戦前に建てられたものだそうです。



明治公園を出て、道道35号に戻りました。



交通量はまばらですがなんと片側3車線!
国道14号やら国道296号やら県道8号やら、主要な一般道が軒並み片側1車線のF市に住む(当時)私は、軽いジェラシーを感じてしまいます。



広い3車線道路のまま、道道35号は終点へ。
日本最東の国道である国道44号(根釧国道)に変わります。



道道35号の終点である大正町1丁目・常磐町3丁目交差点
わが地元(当時)のF橋市には、人口は根室市の20倍以上ですが、こんな広々とした交差点なんてありません。
国道44号線にとっても、この交差点が終点となります。(東京に近い側の釧路が、国道44号の起点となります)



釧路までは123km、同じ根室市内の厚床まで32kmもあります。
今回のチャリ旅の終点・根室市観光インフォメーションセンターまでは、わずか300メートル。



進行方向右側を見ると、交差点から海へとまっすぐ下る道。
根室は海に囲まれた街ですが、市街地は高台にあるんですね。
そしてこの交差点のわきに、根室市役所があります。


【今回の行程記録】



[A]明治公園 第1駐車場  15時01分発
道道35号・根室半島線、国道44号線(根釧国道)経由
[B]本土最東端の市役所・根室市役所  15時10分着

*所要時間 9分
*移動距離 約1.3km




北方領土返還運動の旗振り役でもある根室市役所。



もちろん、「返せ!北方領土」のコールもございます。



市役所に立つ方向標
北方領土の方角と距離が掲げられています。
東京までは直線距離で約983km、遠くに来たもんだ~と感じてしまいます。



市役所の前に置かれているイカリは、輸送艦「ねむろ」の主錨だったそうです。
「ねむろ」は海上自衛隊大湊地方隊に編入されていたあつみ型輸送艦で、現在は除籍されています。



これまた市役所の前にある「ここに幸あり」の歌碑
私はこの歌を存じ上げなかったのですが、同タイトルの映画の主題歌で、作詞した高橋掬太郎(きくたろう)、作曲した飯田三郎がともに根室出身なんだそうです。
この歌は、いちおう北方領土とは関係ないようです。



根室市役所を発ちます。



国道44号を外れ、根室駅方向へ左折。
長さ100メートルほどの道道312号・根室停車場線に入ります。



本日ラストの返せ!北方領土です。



そして程なく、日本最東端の有人駅JR根室駅に到着しました。



駅のそばにある観光インフォメーションセンターで、「黒雲」を返したのでした。



【「黒雲」の行程記録】



[A][J]JR根室駅・根室市観光インフォメーションセンター  8時16分発
道道312号・根室停車場線、国道44号線(根釧国道)経由
[B]喫茶どりあん  8時23分着

[B]喫茶どりあん  8時46分発
道道35号・根室半島線経由
[C]ノツカマフチャシ跡  9時49分着
[D]ヲンネモトチャシ跡  10時56分着

[D]ヲンネモトチャシ跡・温根元漁港  11時26分発
道道35号・根室半島線経由
[E]納沙布岬  11時34分着

[E]納沙布岬  13時00分発
道道35号・根室半島線、道道989号・豊里歯舞線経由
[F]歯舞小中学校  13時45分着
道道989号・豊里歯舞線、道道35号・根室半島線経由
[G]北海道根室高等学校  14時44分着
[H]明治公園 第1駐車場  14時52分着

[H]明治公園 第1駐車場  15時01分着
道道35号・根室半島線、国道44号線(根釧国道)経由
[I]根室市役所  15時10分着

[I]根室市役所  15時14分発
国道44号線(根釧国道)、道道312号・根室停車場線経由
[A][J]JR根室駅・根室市観光インフォメーションセンター  15時17分着

*所要時間 7時間01分(移動時間 4時間28分)
*移動距離 約49km


「黒雲」さん、お疲れ様でした。





本土最東端の旅・第5章~続・最東端コレクション

2017-07-07 | チャリ旅


2 0 1 6 年 9 月 1 9 日 ( 敬 老 の 日 )

午 後 1 時 4 5 分

北 海 道 根 室 市

歯 舞 小 中 学 校



日本最東端の学校・根室市立歯舞小中学校に立ち寄りました。



学校沿いを通る道道989号・豊里歯舞線をたどって、



道道35号・根室半島線に復帰しました。
この道道を進みJR根室駅まで戻るのですが、途中にある「最東端」と冠するものをひたすらめぐる「最東端コレクション」のチャリ旅を続けます。


交差点のすぐ近くにある3棟の公共施設。



納沙布岬寄りにある根室市立歯舞診療所、こちらは本土最東端の医療機関



その隣りは根室警察署歯舞駐在所、こちらは本土最東端の警察機関ではありません。
納沙布岬のすぐ近くに納沙布駐在所があるようですが、私はスルーしてしまいました。



根室市街寄りにあるのは根室市消防署歯舞消防分遣所、こちらは文句なく本土最東端の消防機関



さらに進むと、セイコーマートうちやま歯舞店
こちらは日本最東端のコンビニエンスストアです。
セコマはこんな最果ての地の一歩前のようなところにもあるんですねぇ~。



最東端のセコマから少し進んだところにあるフラリ(ふらり)バス停
ここのバス停だけ妙に小ぎれいな感じがします・・・根室交通さん、絶対“狙って”ますねぇ~。
根室交通さんの思惑に乗せられた私は、こうして「ふらりバス停」を撮影してしまいました。

「ふらり」とは、当然このあたりの地名です。
漢字では「婦羅理」という珍妙な表記。
由来はアイヌ語「フラ・ルイ」で、「臭う所」という意味なのだそうです。
なぜ臭うのかというと、近くの浜辺に打ち捨てられた昆布が腐り、悪臭を放つのだそうです。
また、かつては根室拓殖鉄道という鉄道があって、このあたりには婦羅理駅があったそうです。



ふらりの集落を過ぎると家々はまばらになり、進行方向左手に太平洋が見えてきます。



引臼橋を渡ります。
このあたりになると、太平洋はすぐそば。



太平洋とは反対側の進行方向右手には、ヒキウス沼という小さな沼がひろがっています。
根室半島を進むとこういった沼地がときおり現れ、ままちゃりライダーの目を楽しませてくれます。


橋を渡ってしばらく進むと、漁港のある小さな集落に入ります。



集落にある双沖漁港
その先に見える出っ張りは、トシモリ岬というそうです。



集落が終わるところにある小学校は、根室市立共和小学校跡です。
こちらもすでに廃校になってしまい、歯舞小中学校に統合されています。


小学校跡を通過すると、まわりはいよいよ寂しくなってきます。



振り返って撮影した、とある青看。
道道1064号・友知(ともしり)牧之内線との交差点です。
道道って1000番台もあるんですねぇ~、さすがはでっかいどうです。



なのになのに、友知牧之内線の六角形(ヘキサゴン)には64とあります!!
ヘキサゴンに4ケタは表示できないんでしょうか?




ときおり太平洋を望みながらも、



草原を突っ切る道道35号。



ついに湿原地帯へ。



「シカ注意」!
・・・・・・心して進みますが、残念ながらこの日はシカさんには会えませんでした。





進行方向右手に大きな沼が見えてきます。オンネ沼という沼です。



なかなか画になる湿地帯ですねぇ~(*^_^*)
このあたりの湿原は根室湿地群のひとつで、「日本の重要湿地500」のひとつに挙げられているそうです。



水辺の周りをオオワシが飛んでいました。



少し進むと、今度はやや小さめの沼。
こちらはタンネ沼というそうです。名称が似ていてなかなかややこしい。




タンネ沼が見えなくなってくるあたりで、道道35号は残り3km。

 

いよいよ根室市街へ。
これより道道35号は千島町通りと呼ばれるようです。

進行方向右側には、





本土最東端の高等学校北海道根室高等学校が現れました。

しかしこの日は敬老の日。
日本最東端のJKに遭遇することはありませんでした(T_T)



【今回の行程記録】



[A]本土最東端の小中学校・歯舞小中学校  13時45分発
道道989号・豊里歯舞線、道道35号・根室半島線経由
[B]本土最東端の医療機関&消防機関・歯舞診療所&歯舞消防分遣所  13時47分着
[C]本土最東端のコンビニ・セイコーマート うちやま歯舞店  13時50分着
[D]旧共和小学校  14時15分着
[E]オンネ沼  14時29分着
[F]本土最東端の高等学校・北海道根室高等学校  14時44分着

*所要時間 59分
*移動距離 約13.5km





本土最東端の旅・第4章~最東端コレクション

2017-07-03 | チャリ旅


2 0 1 6 年 9 月 1 9 日 ( 敬 老 の 日 )

午 後 1 時 0 0 分

北 海 道 根 室 市

本 土 最 東 端 ・ 納 沙 布 岬



本土最東端の地・納沙布岬
一般人が行くことができる日本国の最東端に立ち、さらに東の国土である北方領土を望んできました。



午後1時04分、本土最東端のタワー?望郷の塔(オーロラタワー)から出てきました。

岬に立ったときに垣間見せた青空は消え、灰色の雲が天を覆ってきました。
天気予報によると、この日の根室地方の天気は曇り一時雨。
私の普段の行いが良かったためか、私の晴れ男特性のためか、ここまで一滴の雨も降っていませんでした。
しかしながら、これからも雨は降らないという保証はありません。
レンタサイクルでここまでやって来た私は、20km以上先のJR根室駅まで、自力で戻る必要があります。

というわけで雨が降る前に、根室駅へ。
「北日本完全制覇!?」の旅はこれより帰路となります。



オーロラタワーから道道35号・根室半島線に出ます。
根室半島をぐるりとひと回りするこの道道は、いうまでもなく北海道最東端を走る道道であり、日本最東端を走る地方主要道です。



道道35号は、納沙布岬で90度に曲がります。
この青看は、おそらく日本最東端の青看でしょうか。


普通に根室駅に戻るのではつまらないので、このように最東端のものをコレクションしながら進んでいきます。



アディオス、納沙布岬・・・。



交通量は少なく、歩行者はほぼ皆無ながら、両サイドに歩道が整備されている道道。
草ぼうぼうというところもなく、自転車にとっての快走路がのびています。
わが地元のC県の道路とは大違いです(^_^;)



納沙布岬から約2.5km、進行方向右側に学校が現れました。
広場で子供が遊んでいます・・・今日は休校日だったような?



こちらは根室市立珸瑤瑁(ごようまい)小学校
本土最東端の小学校だったところです。
平成24年(2013年)3月末で廃校となり、歯舞(はぼまい)小中学校に統合されています。

 

散発的な「返せ!北方領土」コールの飛び交う珸瑤瑁地区を進みます。
それにしても「珸瑤瑁(ごようまい)」って、初見では読めないですよね・・・私は最初「ごようぼう」と読んでいました。
三国志に蔡瑁(さいぼう)って武将がいますし・・・。



旧珸瑤瑁小学校から1km弱、進行方向右側に郵便局が現れました。
珸瑤瑁郵便局です。



こちらは現在も営業していて、正真正銘の日本最東端の郵便局です。
郵便局のそばにはポストも立っていますが、このポストは日本最東端のポストではありません。
(最東端のポストは納沙布岬にある土産屋「請望苑」の脇に立つポストです)
この日は祝日のため、お休みでした。



珸瑤瑁郵便局から500mほど、これまた進行方向右側。
こちらは浄土真宗大谷派・真宗寺です。
おそらく本土最東端のお寺さんだと思われます。



根室半島の海岸段丘を行く道道35号、時折このようなアップダウンが登場します。
真宗寺近くのこちらの横断歩道、おそらく本土最東端の横断歩道です。
これより東の旧珸瑤瑁小学校のところにも横断歩道があったようですが、廃校の影響でしょうか、削られて廃止されていました(T_T)



短い坂を上り、進行方向左側を見ると、本土最東端の港湾施設珸瑤瑁漁港が見えます。

 

すぐ近くに立っている珸瑤瑁バス停
こちらは最東端のバス停ではありません。(最東端はもちろん納沙布岬)
時刻表を見てみると、バスは1日8本運行されているようです。




歯舞地区に入りました。



海を見やると、名も知らぬ島がひとつ。
そういえばこちら側は根室半島の南側、見渡す海は太平洋でしたね。



道路沿いに立つ白い鳥居、歯舞神社です。
こちらは本土最東端の神社・・・といいたいところですが、最東端はこちらではありません。
オーロラタワーの脇に鎮座する金刀比羅神社という小さなお社が、日本最東端の神社となります。
私の不注意ですっかりスルーしてしまいました。



本土最東端と推定されるガソリンスタンドエクソンモービル石油・歯舞SS



大地みらい信用金庫 歯舞支店
本土最東端の金融機関・・・と当時は思っていましたが、珸瑤瑁郵便局(ゆうちょ銀行)の存在を忘れていました。
というわけで、本土最東端の金融機関ではなく、本土最東端の信用金庫ということになります。


そして、納沙布岬から約8km。



道道989号・豊里歯舞線と分岐する交差点。
こちらの交差点は、日本最東端の都道府県道が分岐する交差点となります。
道道989号はこのまま北上し、納沙布岬から西へと回り込む道道35号に合流するのですが、Google Mapで確かめたところ、こちらの交差点がより東側にあると確認できました。



この交差点の脇にある押ボタン式信号機。
おそらく本土最東端の信号機であろうと思われます。


ここで少しばかり寄り道。
この交差点を曲がり、道道989号に入ります。



進行方向左側、さっそく最東端物件登場。
本土最東端の保育所はぼまい保育所です。
本日はお休み。



交差点からそれほど進んでいないところで、信号機に遭遇。
あれ? ひょっとしてこっちの方が東にあるんじゃねぇか?
そう思いGoogle Map先生に確認したところ、どうやら交差点の信号機の方が東に位置しているようでした。



信号機の前にあるのが、歯舞小中学校です。
歯舞地区周辺の小学校と、もとからあった歯舞中学校が統廃合され、創立された学校です。
本土最東端の小学校、中学校、小中学校(小中一貫校)となっています。



ここまでに「最東端」と冠打てる場所をいくつか回ってきました。
再び道道35号に引き返し、「最東端コレクション」はさらに続きます。



【今回の行程記録】



[A}望郷の塔(オーロラタワー)  13時00分発
道道35号・根室半島線経由
[B]かつての本土最東端の学校・旧珸瑤瑁小学校  13時15分着
[C]日本最東端の郵便局・珸瑤瑁郵便局  13時21分着
[D]推定・本土最東端の寺院・真宗寺  13時24分着
[E]本土最東端ではありませんが歯舞神社  13時36分着
[F]本土最東端のガソリンスタンド・エクソンモービル石油 歯舞SS  13時37分着
[G]日本最東端の信用金庫・大地みらい信用金庫 歯舞支店  13時40分着
[H]推定・本土最東端の信号機  13時41分着
道道989号・豊里歯舞線経由
[I]本土最東端の保育所・はぼまい保育所  13時43分着
[J]本土最東端の小中学校・歯舞小中学校  13時45分着

*所要時間 45分
*移動距離 約8.3km





暗闇の国道16号

2015-03-25 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 後 4 時 1 6 分

千 葉 県 富 津 市

富 津 岬 公 園



富津岬から海の国道16号を眺め、いよいよ完全走破へ。



残りの行程は、富津(地図上の赤いピン)から出発地・千葉市中央区村田町交差点(地図上の黄色ピン)で、だいたい50kmほどです。

まずは国道16号にたどり着かなければなりません。
富津岬から富津交差点へ戻ります。



交通量の多くない寂しげな交差点から国道16号は始まります。
首都圏の大動脈である国道16号も、最初は片側1車線です。



1kmも進まないうちに、最初の国道分岐・新井交差点
ここでは、富津岬に向かうときに歩んだ国道465号に分かれます。
左に曲がれば千葉県道90号
青看では千葉・木更津方面へは直進するよう表示されているので、そのまま直進します。
そもそも国道16号完全走破の旅なので、ここで左折する理由はありませんでしたね。



最初のキロポストは、「横浜まで220km」と「木更津まで11km」。
横浜まで行くのなら、外回りの東京湾を越えていくルートのほうが、距離はぐっと短いですね。



最初の距離青看。
この旅のゴールである千葉までは48km。




午 後 4 時 4 5 分

君 津 市 に 入 る




小糸川にかかる、国道16号最初の橋。



橋を渡って君津市に入りました。
金谷港以来の富津市をようやく脱出。



君津市に入って1kmも進まぬうちに、国道16号はこの大和田交差点ではじめて方向転換をすることになります。
青看でもわかるように、左に曲がって、すぐに右に。

大和田交差点を左に曲がったところで、国道16号初の片側2車線。
そして100mほどで、今度は右に曲がります。



右に曲がる先の道は広い広い快走路のようです。
そしてその道は、国道465号の分岐点・新井交差点から伸びる県道90号。
道路の規格を考えれば、新井交差点の時点で国道16号を外れたほうが早そうです。
手持ちのライトマップルにも「こっちのほうがいい」というような注意書がありました。



先ほどとはうって変わって、この広々とした道。
ママチャリにとっても優しい、16号全体でもトップクラスの快走区間です。



館山自動車道・木更津南インター入口です。
信号機による交差点なので、自転車は何の問題もなく通過できます。ありがたい!

「アクア連絡道」なんて高速道路があったことをはじめて知りました。
英語表記は"AQUA RENRAKU EXPWY"となっています。
「アクア」は英語なのに「連絡」はローマ字表記なのがなんともおかしい。




午 後 5 時 0 0 分 ご ろ ?

木 更 津 市 に 入 っ て い た


ところで、いつの間にか木更津市に入っていたようです。
富津市滞在が3時間15分に対し、君津市はわずか15分で通過。

しかし君津市ちっちぇ~なぁというのは大きな誤解です。
君津市の本領は内陸部。
戦国大名の里見家が本拠とした久留里城があるのも君津市内だし、JR久留里線の終点・上総亀山駅も君津市内にあります。



さてさて国道16号は、木更津港付近で右に曲がります。



その後も快走路は続きます。



「横浜まで210km」のキロポスト。
木更津市内に入ったので、副表示は「千葉まで40km」になっています。



木更津港付近から1kmほどで、千葉県側最初の陸橋・桜井陸橋へ。
ここでは陸橋側の道に合流しなければならず、ひさびさの急坂を進みます。まぁ100メートルほどですが。

陸橋へ入る交差点で、左に行けば国道16号千葉方面へ、右に行くと国道127号館山方面へ。
つまりは金谷港からきた道をそのまま進めば自動的に国道16号に入るということです。


しばらくは木更津の市街地を進むことになりますが、国道16号は首都圏の大動脈。
なのでむやみに交差点を設置するわけにはいきません。ということは・・・

  

自動車にとってはありがたい、そして自転車にとってはまったくありがたくない陸橋地獄。



千葉はホントに不親切設計の道路が多いな!(ママチャリユーザーより)
それはそうと、この坂を上ると、



小櫃(おびつ)にかかる木更津大橋
小櫃川は、利根川に次いで、千葉県内で2番目に長い川なのだそうです。




午 後 5 時 5 9 分

袖 ヶ 浦 市 へ




木更津大橋を渡って、3番目の市・袖ヶ浦市に入りました。
袖ヶ浦市に入って早々、眼前に見える高架の道路。



出ました、アクア連絡道 AQUA RENRAKU Expresswayです。
高架下の交差点もなにげに国道409号国道410号とが分岐する重要交差点。



おいおい、RENRAKU道はママチャリに立体交差を要求するのかい?!


アクア連絡道を過ぎたところで、いよいよ国道16号が、いや千葉県の道路事情が牙をむきます。

  

東京都、神奈川県ではまったく見られなかった雑草ゾーンが現れ始めます。



自転車だけ下ろされる陸橋・・・

そしてこの陸橋を過ぎたところで市街地を外れ、いよいよ工業地帯へ。
この先は、京葉工業地帯のコンビナートを左手に見ながら進むことになります。

国道16号は海の近くを通っているのですが、工場と防風林のため、海は全く見えません。



ここにも雑草ゾーンが。




午 後 5 時 3 8 分

市 原 市 に入 る




工業地帯らしい、パイプラインが付いている橋を渡ると、



市原市に入ります。ここからが工業地帯の本番。


日没時刻は過ぎ、行き交う自動車はヘッドライトを灯して行くころ。
工業団地を進む歩道に街灯はなく、しかも防風林とも相まって真っ暗。



申し訳程度でも街灯のある反対側の歩道へ移動します。
向かいからのヘッドライトも助けとしつつ、ママチャリと私はひたすら北上。


日輪はとうに消え失せ、漆黒の帳があたりを覆っていきます。



括目すべし、この暗さ!



おもな光源はヘッドライトと工場夜景のみ。




青看に「東京」が初登場。
東京まで50km、そしてゴールの千葉までは14km。

このあたりになると、正方向側の歩道も少し明るくなってきたので、そちらに戻って進むことにしました。



養老川にかかる養老川大橋を渡ると・・・やっぱり市原市のまま。市原はデカい。



養老川大橋からの工場夜景を撮ってみました。


国道16号の左側には、京葉臨海鉄道のレールが伸びています。



このレールを左手に見ながら進んでいくこととなりますが・・・



往く手を樹木ゾーンが妨害します。
臨海鉄道からの刺客なのか!?



なんと臨海鉄道さんが自ら歩道を塞ぎにやって来ました!
こうなってはひとたまりもなく、反対側の歩道へ退避。



このあたりの青看によると千葉まで9km。ゴールまでカウントダウンです。
しかし16号さんは最後の試練をお見舞いしてきます。



反対側の歩道にも雑草!



正方向側の歩道に戻っても、雑草!!



「横浜まで179km」のキロポスト。
雑草の攻撃をかわすのが精一杯で、180kmのキロポストをスルーしてしまいました。




市原市八幡町付近。JR内房線でいうと八幡宿駅付近。
国道16号と国道357号の分岐を予告する看板が出てきたということは、そろそろゴール?

青看も「千葉まで8km」と減ってきて・・・
「東京まで49km」?! 増えてる!!
(※2015年3月25日の執筆中に気が付きました)

「フエまでの距離が、増えてんじゃん」(ベトナムにて ミスター)

東京までの距離はともかく、ゴールには確実に近づいています。
そしてようやく、



国道357号との分岐を表す青看、この旅のスタート地点でありゴール地点でもある村田町交差点はあと300m。




午 後 8 時 0 7 分

千 葉 市 に 入 る




村田町まであと300mを切ったところで千葉市に突入。
村田町から市原は目と鼻の先だったんですね。




午 後 8 時 0 8 分

国 道 1 6 号 完 全 走 破 達 成




画像はぼやけていますが、村田町交差点です。

国道16号を、ママチャリで走破。
賞品などはなく、誰からも褒められるわけでもなく、ただただ自己満足のためだけに走った全251km。
人知れず悦に浸っていたのでした。




しかし旅はここで終わりではなかったのです。
小学校時代の遠足でも、引率の教頭先生がおっしゃいました。

「おうちに帰るまでが遠足ですよ」



悦びに浸るのもつかの間。
私は自宅のある船橋まで22kmのチャリ旅を再開しなければならなかったのでした。



ママチャリの旅「国道16号完全走破」 完





◆編集後記

長かった国道16号。
長かった長かった長かった編集時間。

旅したのが2014年の8月、そして編集が完結したのが2015年の3月。

その間にも鬼ヅモの大会は開かれ、私自身も旅に出て、またまた宿題がたまってしまっています。

私の遅筆もここに極まれり、といったところです。

言い訳を言いますと、去年の12月にマイノートPCさんが不具合を起こしまして、電源が一切入らなくなってしまったのです。
12月の時点でじゅうぶん遅筆なのですが、さらに時間を要してしまいました。
そしてPCをダメ元で見てもらうことにすると、
PCを清掃するだけで直ってしまったのです。

はぁ~、この間の私の気苦労はいったい・・・?

ともかく、国道16号を完走して世界が変わったわけでもありませんが、国道16号ってこんなにも面白い路線なんだと発見できただけでも有意義な旅だったと思います。
そしてこの旅日記の上でもようやく国道16号を「完走」できたことも嬉しい限りです。

(2015年3月25日 筆者しるす)

富津岬へ~影の国道16号・その参

2015-03-19 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 後 1 時 0 0 分

千 葉 県 富 津 市

東 京 湾 フ ェ リ ー 金 谷 港





横須賀の久里浜港から、房総半島の金谷港へ、東京湾を越えてきました。

船内では「横須賀海軍カリーパン」を食べはしましたが、これからの長丁場をパン1個でやっていけるわけがありません。



金谷港のすぐそばにあった回転寿司「船主」総本店で、魚介を心ゆくままいただきます。
近辺には竹岡式ラーメンというB級グルメの店もあるのですが、せっかく房総半島の先のほうに来たのですから、ここはやはり魚を食べたいものです。

(ちなみに筆者の中では、総武快速線直通電車が乗り入れていない君津駅・上総一ノ宮駅以南が「房総半島の先のほう」という認識です)

相当に空腹だったからか、なまじカリーパンを食べたがために食欲が刺激されてしまったのか。
この先の行程がかなりあるというのに、この回転寿司屋で20皿も食べてしまいました。



英気を十分に養ったところで、金谷港を出発。



金谷港のそばを走っている国道127号を北上していきます。



金谷付近の国道127号は、山が海ぎわまで迫っているので、トンネルがいくつもあります。
このように歩道がない危険なものもありますが、



ほとんどのトンネルはこのような親切設計になっています。



金谷港から最初のキロポスト。
国道127号の終点・館山までは26km、対して最終目的地の千葉まではなんと65kmもあります。

この65kmは、寄り道しなければの話。

国道127号は、木更津市内でそのまま国道16号につながります。つまり道なりに行けばそのままゴール地点にたどり着きます。

しかし今回の旅は「国道16号完全走破」。
国道16号の千葉県側の端点、さらには富津岬にも行かなければならないので、走行距離は70kmを超えます。



山がちの土地を進む国道127号。
しかし左側を見ると・・・



プライベートビーチのような小さな海岸がいたるところに点在します。

富津の小海岸は岩がちで、人が誰もいない。
『おくのほそ道』の中の松島と象潟のように、「横須賀は笑うがごとし、富津はうらむがごとし」といったところでしょうか。



海岸の先には、フェリーからも拝める東京湾観音
このときは着実に東京湾観音の方向へ進んでいきました。


国道127号を進み、左手側に海が見えなくなってきたころ。



海を見ながら進みたいと思った私は、国道127号を外れ、千葉県道256号に入りました。
この道は、富津岬へ向かう近道でもありますが、



予想外のアップダウン。
この感じはまさかの険道!?



下り坂から拝める東京湾観音。

道路もいつしかセンターライン付きの2車線になり、どうやら険道ではなかった模様。

 

国道465号に合流。



今度は千葉県道255号に入ります。
青看にも「富津岬」が出てきました。



広い富津市の中心街へと進む県道255号。なんとなく寂れている・・・。
そういえば富津市は、財政的にきわめて危機的な状況で、「第二の夕張市」までカウントダウンの段階にあるとか。


県道255号を進んでいくと、

 

国道16号の表示がある青看が出てきました!
ということはこの先の交差点が、国道16号・千葉側の端点ということになります。



国道16号の端点・富津交差点です。
自動車の行き来もほとんどなく、ここがあの首都圏の大動脈・国道16号の事実上のスタート地点なのかと思ってしまうほどです。
そういえば横須賀側の端点・走水交差点も、なんとなくものさびしい感じがしました。



あとは富津交差点から国道16号をたどっていけば、国道16号完全走破と相成るのですが、ここは「影の国道16号」の一部・富津岬に足を運びます。
この交差点を国道16号とは反対側、県道255号を進みます。



再三タイトルに載せた「影の国道16号」なる文言。
それは国道16号が「海上国道」のひとつであること。

国道16号は一見、神奈川県の横須賀や千葉県の富津で終わっているように見えます。
しかし法令上は起点も終点も横浜市になっています。
この考え方を貫くと、じつは国道16号は影となって続き、海を越えて横須賀から富津へ至ることになります。

このように、実際には通れないが法令上は続いている国道は「点線国道」といいます。
そのうち海上を通過するものは「海上国道」といいます。

海上国道は、実際の道路は存在しませんが、その海上を行く航路が存在しています。
東京湾フェリーもそのような航路のひとつで、いわば国道16号の一部といえるでしょう。



それでは、海の国道を見に行きましょう。



南房総国定公園内の富津公園に入ります。
ここで県道255号は終了。
道路は続くので、そのままひた走ります。



意外と続く道。1km以上はあります。



オブジェのようにも見える展望台が見えてきました。
明治百年記念展望台といい、文字通り明治100年にあたる1968年・・・ではなく1971年(昭和46年)に建てられました。
最上階の高さは21.8メートル。



北に目を向けると、京葉工業地域のコンビナート。



湾上にのびる一本の筋、東京湾アクアライン。



富津岬は長いねぇ~。



横須賀の観音崎方向。
影の国道16号が走っているのはこのあたりでしょうか。



展望台を下り、帰路へ就くことにしました。





ママチャリ、海を往く~影の国道16号・その弐

2015-03-13 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 1 1 時 2 0 分

神 奈 川 県 横 須 賀 市

観 音 崎







観音崎から見た東京湾はとても爽快で、浜風は強かったけど心地よいものでした。



石碑の影に停めておいたママチャリにまたがり、16号走破の旅を再開します。
といっても、このあたりには国道16号はありません。



国道16号は観音崎から1km離れた走水交差点(地図上の青いピン)でいったん終了しています。
まだ走破していない国道16号は、東京湾の対岸・房総半島のみ。
出発地点の千葉市中央区村田町交差点(地図上の黄色ピン)から富津岬付近(地図上の赤いピン)を残しています。

そこで、ママチャリ旅では初の、自身としても2度目のフェリーで移動という手段を執ることとしました。
東京湾を渡る東京湾フェリーは、観音崎から少し進んだところにある久里浜港から出ています。



というわけで、観音崎から移動を再開。
まずは比較的アップダウンの多い道を進んでいきます。

海に近い土地だからか、暑いには暑いですが埼玉の時のようなクソ暑さは感じませんでした。



丘を乗り越えると海岸沿いの道へ。
横須賀市内にはところどころに小さな浜辺があって、地元民?が海水浴を楽しんでいました。



京急浦賀線の終点・浦賀駅を尻目に、私とママチャリは海岸沿いの道を進みます。



道路が海のそばを走っています。



運命の分かれ道のようなY字路。



トンネルを出ると、



またまた海岸に出ました。
あの大きな構造物はなんだろう・・・火力発電所か何かか?

そして大きな煙突の根元あたりに停泊している船・・・もしや!!



近づくにつれて見えてくる「かなや丸」の文字。間違いなく東京湾フェリーです!
「かなや」は久里浜港の対岸、千葉県富津市の金谷港



途中にある、道沿いからも見えるくらいに大きな石碑は、ペリー上陸紀念碑
漢字で「米合衆國水師提督伯理(ペルリ)上陸紀念碑」とあり、この書は初代内閣総理大臣の伊藤博文によるものだそうです。

ペリー上陸紀念碑からすぐ近くのところに、久里浜港はあります。




午 後 1 2 時 0 7 分

久 里 浜 港

フ ェ リ ー タ ー ミ ナ ル に 到 着




広い駐車場の先にあるフェリーターミナル。
さてママチャリはどこに停めればよいのやら・・・?
とりあえず日陰にあるターミナルのところに駐輪しようか。

そう思っていたら、ターミナル玄関の目と鼻の先に駐輪スペースがありました。
自転車はオートバイと同じ扱いになるようです。


窓口で乗船券を購入。
運賃は、旅客料金が720円と車両料金が330円で、合わせて1,050円。
なかなか安いです。

乗船券を買って一安心していると、なかなか可愛い窓口のおねいさんから「出航時刻が迫っている」とのこと。
急いでママチャリのもとへ。



急いで撮影したオートバイ(兼自転車)駐輪スペース。
出航時間が迫っているので、先に停まっていたオートバイはいません。自動車も1台もいない。



これから乗るフェリーは、海岸線から見えていた「かなや丸」
これも急いで撮影。

ママチャリは自動車と同じく車両用の出入口から乗船します。



待ち受ける乗船員のお兄さんが、ママチャリを固定します。



ママチャリを置いて、私は一人船室へ上がりました。

 

船室は広々としていて、なんだか社交場のようにも感じました。
「水曜どうでしょう」で出てくるような、船室にごろ寝スペースがあるようなチープ感はありませんでした。



私にとっては、小学校4年生以来のフェリー乗船。

房総半島を1周するというドライブに、今は亡きわが父と出かけた。
最初こそ喜び勇んでいたが、元来乗り物酔いの体質である私。
荒っぽい運転をする、当時60超のわが父。
助手席に座っていたにもかかわらず酔っぱらってしまう。

勝浦で食べたサザエの壺焼きが、まったくと言っていいほど私の口に合わなかった。
天津小湊の鯛の浦クルーズ(小舟の上から鯛の群れが見える)で船酔いにやられる。

この日のドライブは、とにかく酔っぱらったということが印象に強く、道中のことなど記憶にない。
いつもは車中で寝ない私も、このときは後部座席で横になっていた。

そして私にとどめを刺したのが、夜の東京湾フェリーだった。

少しばかり体調が回復していた私は、フェリーに乗船して晩飯を食べた。
せっかく船に乗ったのでデッキに出てみるが、夜の海はただただ揺れるだけで何も見えない。

久里浜港に着く前に、やっぱり患ってしまった船酔い。

乗船中はリバースすることはなかったが、気分は最悪。
さすがにわが父も、茨城県内にある自宅に戻ることをあきらめ、モーテルを探すことにした。

しかしモーテル=Hホテルという図式があるわが国では、老人1人と小学生1人の組合せに理解のないモーテルもあり、宿泊を断られ続けた。
(わが父は「満員らしいよ」なんて言ってたが、おそらく「ホモお断り」と言われたのだろう)

ついに臨界点に。
宿泊を断ってきたモーテルの庭で、不覚
そういえば父は「ここで吐いちゃえ」なんて言ってたような~。


船にはトラウマがある私。
最近でも横浜のシーバスで、山下公園から赤レンガ広場に船で移動しただけなのに、あっさり船酔いするという醜態を女性の前でさらしたばかりなのです。




午 後 1 2 時 1 5 分

緊 張 の 出 航


「かなや丸」は久里浜港内を旋回して、東京湾へ出ていきます。

おおっ! 思ったほど揺れてない!



船室から見える東京湾越しの房総半島が、私の目をおおいに愉しませてくれたためか、揺れが全く気になりませんでした。

こりゃあ船酔いなしでいけるぞ!
そうなれば空腹を満たすために、船室の売店で食べ物を買います。

 

横須賀海軍カリーパン! うまい!
中のカリーは甘味がほとんどないスパイシーなものでしたが、かといってそんなに辛くはありませんでした。


パンを1個食べて、船室からデッキに出てみました。



風 TUEEEEEEE~~!!



東京湾とはいえ、海原の真ん中というのはこんなにも風が強いものなのか!
しかし風は涼しく、このまま強風を体に受けているのも悪くない・・・が、メガネが吹き飛ばされてしまいそう。



富津岬の手前に立ち東京湾を見守る東京湾観音



東京湾を航行する貨物船。
"NYK-HINODE"ってあるから「日の出埠頭からニューヨークまで行き来するのか~」なんて考えてました。
(実際は"NYK"は「日本郵船株式会社」の略称です)



金谷港から久里浜港へ向かう「しらはま丸」に出会いました。
このあたりで航路の半分といったところでしょうか。

東京湾は世界でも有数の過密航路らしく、航行する船を何隻も見ることができます。


体が冷えてきたので船室に戻りました。



船室の正面窓から(のこぎり)がはっきり見えてきました。
ギザギザに刻まれたかのような山肌が見えてきたら、東京湾クルーズもいよいよ終焉。




午 後 1 時 0 0 分

千 葉 県 富 津 市

金 谷 港 に 到 着




不覚をとることもなく、無事に到着しました。





観音崎~影の国道16号・その壱

2015-03-09 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 1 0 時 1 0 分

神 奈 川 県 横 須 賀 市

国 道 1 6 号 南 西 端 ・ 走 水 交 差 点



国道16号の南西端・走水交差点



ここが事実上の終点(起点?)になるのですが、一般国道の路線を指定する政令(昭和40年・政令第58号)によると、国道16号の起点および終点は横浜市の高島町交差点となっています。



つまり法令上では、国道16号は走水で終わらず、この先の観音崎まで続き、そこから海を渡るかたちで千葉県の富津岬に続いていることになっています。



そういうわけで、県道を通って観音崎をめざすことにしました。



走水交差点から先は、県道209号・観音崎通りをたどって進みます。



観音崎通りを進むと、小さな海岸がいくつもありました。
夏まっただ中だからか、いずれの海岸にも人がいて、海水浴を楽しんでいました。



あれは灯台!?・・・ではなさそうです。



海の向こうには、対岸の房総半島。
京葉工業地域のコンビナートがぼんやりと見えます。



男の裸族が闊歩する観音崎通りを進んでいくと、あっさりと観音崎に到達しました。



ママチャリを停める適当な場所がなかったので、石碑の裏手に停めて、徒歩で観音埼灯台を目指します。

遊歩道は、磯辺から徐々に離れていき、坂道に。
ママチャリを停めた観音崎の石碑からおよそ500メートルほど歩くと・・・



白亜の観音埼灯台が前方に見えてきます。

つづら折りの急坂を100メートルほど上っていくと、



観音埼灯台【横須賀市指定市民文化資産】に着きました。


日米修好通商条約をはじめとする安政5か国条約で開国した江戸幕府は、慶応2年(1866年)米英仏蘭の4国と改税約定をあらたに結びました。
このとき航行の要衝に灯明台を設置することが義務付けられ、その要衝のひとつが観音崎でした。

ほどなく幕府は倒れ、明治元年(1868年)9月に灯台の建設が始まりました。
建設の監督は、横須賀製鉄所の首長であったフランス人技師・フランソワ=レオンス=ヴェルニーが担当し、3か月後の12月に完成しました。
これは我が国初の洋式灯台で、翌年1月から光を灯しました。

大正12年(1922年)4月の地震、そして大正13年(1923年)の関東大震災で2度の建て直しを余儀なくされましたが、大正14年に完成した3代目の灯台は、現在に至るまで闇夜に光を灯し続けています。



・・・灯台の近くに立っていた立て看板より。
もうひとつ立っていた立て看板・・・



私の苦手なヘビが出るのか! しかもマムシ!!
こりゃあ、さっさと灯台に入ろう。

灯台の入口は海側に空いています。



真っ白な灯台が、これまた真っ青な空に映えます。
それにしてもこの日は素晴らしい晴天でした。

灯台の1階部分は、観音崎灯台や東京湾航路の資料館になっていて、入場料200円を支払う必要があります。
資料をひととおり眺めたうえで、灯台の上部へ。

 

人間1.5車線分の狭いらせん階段。
そして低い天井。油断をすると、身長173センチの私でも頭をぶつけてしまいます。



そして最上階。
東京湾を照らす光源と、その力を増幅する巨大なレンズ。
これほど大きいレンズですが、ランクは「第4等」と、灯台の中ではそこそこの位置のようです。

ちなみに最上級の第1等のレンズを擁する灯台(第1等灯台)は日本に5基しかなく、関東では千葉県銚子市にある犬吠埼灯台が第1等灯台です。



灯台の外へ。踊り場は狭そうで、いささか怖い。



風TUEEEEE~!



おやおや、とんびがあぶらげを狙っているようですなぁ。









おや? あの島はなんだろう??







まぁ、いいか。








ところで、読者諸氏は気づかれたでしょうか。

誤植???

そう、1ヶ所だけ、あえて組み入れた「誤植」。

「風TUEEEEE~!」は「誤植」じゃないですよ~いちおう。











この記事の中にふたつの「かんのんざき」があることを。

ひとつは「観音崎」
もうひとつは「観音埼灯台」

普通は「観音」なのに、「灯台」の文字が後ろにつくと「観音」になっているのです。


字義からすると、「崎」は山足の突き出た部分を表します。
それに対して、「埼」は陸地が海に突き出た部分を表しています。

そして、日本地図を作製する大御所といえば国土地理院
国土地理院の前身は、帝国陸軍陸地測量部
陸軍からすれば、山足の突き出た険しい地形は、海のそばであっても「崎」になるわけです。
そうして、地名として用いられる際には「●●崎」となりました。

いっぽう、海図を作製する大御所は海上保安庁海洋情報部。こちらはあまり知られていませんね。
海洋情報部の前身は、帝国海軍水路部
海軍にとっては、海に面した突出しの地形は「埼」の字が当てるのが妥当といえます。
そして、海図に表示される際は「●●埼」、そこにある灯台は「●●埼灯台」となります。

一般の人々は、海図などは目にする機会はほとんどありません。地図はよく目にするでしょう。
そのため、地名としては「●●崎」のほうが優先して使われる場合が多く、灯台のみ「●●埼」と表示されるのです。


なので・・・

津軽海峡に面する竜飛崎にある灯台は、竜飛埼灯台。
伊豆半島の先っちょ・石廊崎にある灯台は、石廊埼灯台。
房総半島の南端・野島崎にある灯台は、野島埼灯台、というふうになります。





海の街・横須賀~国道16号南西端へ

2015-03-08 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 9 時 0 8 分

神 奈 川 県 横 須 賀 市

京 急 線 横 須 賀 中 央 駅 付 近



横須賀市内の中心部にやってきました。
ここで本日2回目の休憩をとり、国道16号のはずれにある観音崎をめざします。


横須賀は古くから海軍の街として知られています。
そして現在も、アメリカ海軍が横須賀に駐留しています。



米軍基地の入口にかかる歩道橋。
階段の途中に、なんと検問所があります。
おそらく日本一ものものしい歩道橋だと思います。


横須賀市役所を通過してから2kmほど。

 

国道134号と分岐する救急医療センター前交差点です。
ここで国道16号は左折します。

ちなみに並走する京急線も、この付近にある堀ノ内駅で、浦賀へ行く京急浦賀線と、久里浜・三崎方面へ行く京急久里浜線に分かれます。



交通量はぐっと減っても、相変わらず片側2車線の国道16号です。

 

あと5km。



長い歩道橋のある交差点から先は、よこすか海岸通りとなります。



海だぁぁぁーー!!



島だぁぁぁーー!!

国道16号から直接海を見渡すことができるのは、ここ横須賀だけ。
千葉県内も海沿いを通るのですが、京葉工業地域のコンビナートが阻んで、海を見ることはできません。



よこすか海岸通りから見渡せる馬堀海岸
遊歩道が完備されている快走路で、私は心地よい潮風を体に吸収しながらママチャリを走らせます。



遊歩道がなくなったところで、片側2車線はおしまい。
あとは南西端まで対面交通で進みます。


海岸を離れると、最後に待つのは海岸段丘を上っていく急な上り坂です。



国道16号南西端のオニギリ。



走水まであと2km。



あっという間に絶景です。



海抜23mからの10%の下り坂。いよいよゴールです。




午 前 1 0 時 1 0 分

国 道 1 6 号 南 西 端 へ


10%の坂を下りたところで、最後の青看。



観音崎まで1kmというから、あと一息!
そう思った矢先、



国道16号南西端・走水交差点に着いてしまいました。
「観音崎1km」の青看の直後にあったので、「あれ!? 着いちゃった」という印象を受けました。

ホントに16号の終末なんだろうか。疑ってもみましたが、



この交差点を境に、国交省の管轄(国道)から神奈川県の管轄(県道)へと変わります。



たしかに、交差点の先は県道になっています。



ということで、

国道16号、南西端まで走破!!



でもまだ完全走破じゃありません。



富津岬から千葉市内までの部分が残っています。
そして船橋にある自宅に戻るためには、是が非でも走破しなければならないのです。



ともあれ、しばらくの間は国道16号から外れ、自由なルートを走行していきました。