鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

憧れのサンライズ出雲

2023-12-26 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 在 月 廿 参 日 ( 水 )

午 後 六 時 拾 四 分

島 根 県 出 雲 市

西 日 本 旅 客 鐡 道 出 雲 市 駅





この旅最後の晩餐をいただき、JR出雲市駅に戻ってきました。



さて、こちら出雲市駅の時刻表。



上り線の15時台から22時台までを抜粋したものです。
普通列車が1時間につき1本から2本、特急列車も同じくらいの本数といえます。
行き先は、普通列車が米子、特急列車は岡山または鳥取というのが大半のようです。

しかし、1本だけ・・・東京の表示があるではありませんか!

列車の名は、特急「サンライズ出雲」
ただの特急ではなく寝台特急、そして現在本邦にて運行している唯一の寝台特急なのです!!



上り線の発車標に、燦然と輝く文字。
「●号」という号数はなく、「サンライズ出雲」とだけ表示される列車名。
そして何より、遠く離れた大都会「東 京」という行先が、特別感満載といったところですね。




午 後 六 時 伍 拾 壱 分

出 雲 市 駅 を 発 つ


サンライズ出雲は出雲市駅を発ち、山陰本線を東へ。
最初の停車駅は、宍道駅
読み方は湖と同じ「しんじ」です。
ここで接続する木次(きすき)からの乗客を加えます。



次の停車駅は、松江
宍道湖の夕陽はとても美しかったです・・・。



松江の次は、安来
難攻不落を誇る月山富田城へは、この駅からバスで向かいます。
緒方拳が演じた大河ドラマでの尼子経久は、恐ろしくも素敵な人物でしたね。



安来駅を発ち、鳥取県に入ります。
鳥取県最初の停車駅は、米子
「鬼太郎列車」の運行する境線の接続駅ですね。
列車は、米子駅の先の伯耆大山(ほうきだいせん)で山陰本線と別れ、伯備線を進んでいきます。


サンライズ出雲は伯備線を進み、中国山地を踏破していきます。
岡山県に入り、山あいの街・新見(にいみ)の中心駅・新見駅で小休止。
新見駅からは姫路へと続く姫新(きしん)が分岐しますが、列車はそのまま伯備線を進みます。


引き続き中国山地の間を進み、備中高梁(たかはし)に停まります。
現存天守を擁する名城・備中松山城の登城拠点となる駅です・・・いつかは行ってみたいなぁ。


約2時間で中国山地を抜け、倉敷駅へ。
鉄道の大動脈というべき山陽本線東海道本線のルートに入り、東京を目指します。



ももたろうランドがあるという岡山駅に到着。
ここでさぬきうどん駅 高松駅からの「サンライズ瀬戸」7両を連結して、東へと向かいます。


列車は中国地方を出て、兵庫県へ。
関西地方に入って最初の停車駅は、姫路



昼間は見える世界遺産・姫路城も、いまは闇の中。
姫路城には二度訪れてはいますが、「平成の大修復」のために華麗なる天守の中には入れていません。
ここもいつかは再訪しなければならない場所ですね。


港町・神戸に入り、日付が変わります。
そして列車は三ノ宮駅で停車。
神戸駅には停車しません。
いつの間にか山陽本線は終わり東海道本線に入っている、といった感じです。


そして西の大都市・大阪へ。
サンライズ号は巨大駅・大阪に停車。
ここで最後の乗客を収容し、東へと向かいます。



午 前 六 時 四 拾 伍 分

横 浜 駅 に 到 着


列車は出雲市駅をおよそ半日かけて、東の大都市・横浜へ。
まぁ、途中静岡、富士、沼津、熱海に停車したらしいのですが・・・ね~て~ま~し~たぁ~。
毎度のことながら、発車メロディを聞いて「関東に帰ってきた」という感覚を味わいます。


そして午前7時08分、長い長い旅路の果てに東京駅に到着しました。



【サンライズ出雲の運行ルート】

JR西日本 出雲市駅 2番のりば 18時51分発
[D]山陰本線 寝台特急 サンライズ出雲 東京行き 7両
岡山駅 4番のりば 22時30分着  サンライズ瀬戸を連結

岡山駅 4番のりば 22時34分発
[S]山陽本線 寝台特急 サンライズ出雲・瀬戸 東京行き 14両
TYO 東京駅 8番線 翌日7時08分着

*所要時間 12時間17分
*移動距離 953.6km
*料金  23,210円
  ・運賃    12,210円(出雲市~東京)
  ・特急料金  3,300円(通常期)
  ・寝台料金  7,700円(シングル(B寝台))





午 後 六 時 参 拾 伍 分

島 根 県 出 雲 市

一 畑 電 車 電 鉄 出 雲 市 駅


嗚呼、サンライズ出雲で東京に戻れたらなぁ~。

サンライズ出雲が入線しているであろう時刻、



JRの出雲市駅ではなく、一畑電車の電鉄出雲市駅のホームにいました。

 

そうそう、忘れずに「城攻め」を。
電鉄出雲市駅では半分城鶴ヶ城を攻略できました。
「鶴ヶ城」といえば福島の会津若松城の雅称で有名ですが、出雲地方にもあるようです。
「半分城」って、「じゃあ残りの半分は何なの?」とでもいいたくなる名称ですね。



そしてこれから乗るのは、松江しんじ湖温泉行きの普通・一畑電車7000系電車です。
当然、寝台などはついていません。はぁ~。



この日の朝に購入した「一畑電車フリー乗車券」を使いたおし、とりあえず松江に戻ります。




午 後 七 時 四 拾 伍 分

島 根 県 松 江 市

一 畑 電 車 松 江 し ん じ 湖 温 泉 駅




朝、フリー乗車券を買った窓口。
松江しんじ湖温泉駅に戻ってきました。
これで一畑電車の全路線、上り下りともに完全乗車ということになりますね。



「温泉」とつく駅らしく、足湯があります。



足湯のそばにおわす、お湯かけ地蔵尊。
これから始まる地獄の帰路を前に、旅の安全祈願をしました。



旅の疲れを癒す・・・というより、地獄の帰路に備え、足湯に浸かります。
気持ちいい、気持ちいいのですが、これから始まる戦慄の旅路を前に、緊張感が先に出てしまいます。



松江しんじ湖温泉駅から宍道湖沿いを歩いて、松江市街へ。





この旅の最後を飾るにふさわしい、松江の夜景です。



朝、駆け足で渡った宍道湖大橋をじっくり眺め、



ゆったりとした足取りで渡ります。
まだまだ松江に滞在したいという思いがあるからか、やや足取りが重いかもしれません。



宍道湖から離れ、中海への水路となっている大橋川へ。
最終決戦の地・遊覧船第2渡船場に到着・・・・・・してしまいました。





出雲市駅へ

2023-10-25 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 在 月 廿 参 日 ( 水 )

午 後 参 時 参 拾 九 分

島 根 県 出 雲 市

一 畑 バ ス 日 御 碕 灯 台 停 留 所



日本一の高さを誇り、日本海を一望できる出雲日御碕灯台【国指定重要文化財】を下りてきました。



日御碕灯台に最も近い駐車場。
出雲大社へと戻るバスも、こちらから発着します。


日御碕は、夕陽の名所。
なにせ日沉宮(ひしずみのみや)(日御碕神社下の宮)が鎮座し、夕陽の神様がおわすのですから。

しかしこの日は曇り空。
これから晴れることはなさそうでした。

そしてなにより、私はこの日千葉へと帰らなければならない。
そのためには、この時間で日御碕を辞去しなければなりません。




15時47分、後ろ髪を引かれつつも、やってきた一畑バス・出雲大社行きに乗り込みました。





進行方向右側の席に座り、行きと同様に日本海を望みながら、出雲大社へと戻ります。





きついカーブと、アップダウンの連続。
旅立ちの前は「レンタサイクルで行ってやるぞ~!」と息巻いていましたが・・・。
バスで移動して大正解です、まったく。

 

 

車窓からの日本海をじっと眺めていきます。
再び日本海を見るのは、しばらく先のこととなりそうですからね。




16時10分、出雲大社バス連絡所に到着しました。

バスのラッピングを見て・・・出雲ナンバー、かっこいいなぁ。
絵柄は神話とドラクエⅢに登場するヤマタノオロチですね。

それにひきかえ・・・わが本拠地のナンバープレートの絵柄なんて、ほとんど印象に残らないです。
まぁ私の主観なんで、これ以上は申し上げませんが、どうでしょう?






出雲大社勢溜(せいだまり)に戻りました。
ここから駅まで続く神門通りの土産物店で買い物をして・・・



出雲大社前駅へ。




午 後 四 時 弐 拾 分

一 畑 電 車 出 雲 大 社 前 駅


今度の電車は、



17時13分発 普通電車 川跡行きです。
発車時刻までかなり時間があるので・・・



お土産物をじっくり観察。

左は、中浦食品「どじょう掬い饅頭」

ぽっと出のキャラクター饅頭かな・・・と思ったら、とんでもない。
販売が始まってから50年以上たつという、山陰地方を代表する銘菓なのだそうです。
こちらは、職場に持っていこうかな。

中央と右は、彩雲堂「若草」
包装紙に包まれているのは女王様ご一家へのお土産用。
そして小さな箱のほうは、おやつとして買ってきたもの。
電車の待ち時間がそこそこあるようなので、



文化財に登録されているステンドグラスの美しい洋風の駅舎で、松江を代表する和菓子「若草」をいただきましょう。



「若草」・・・想像以上に甘い!
緑色の食べ物は、草餅とか抹茶系のように甘さ控えめなイメージがありますが、この「若草」はストレートに甘いです。
そりゃあ、お抹茶と一緒に口にする和菓子ですから、お抹茶の苦味に負けないように甘くできていますよね。

「若草」というお菓子は、「どじょう掬い饅頭」以上に歴史が深く・・・

松江藩七代目の城主松平治郷(はるさと)公は、産業や治水林産などに力を尽され、藩中興の名君としてつとに有名でございますが、号を不昧(ふまい)と称され、茶道不昧流の名声は高く、風流をたしなまれた殿様でございました。
不昧公が当時茶事に用いられたお菓子は非常に多く、茶事十二ヶ月の中に記録されていますが、中でもこの「若草」は一月から四月、春のお茶席に好んで用いられたお菓子です。
若草の由来は、藩主がよまれた歌の

曇るぞよ 雨ふらぬうちに 摘てこむ
栂尾(つがお)山の 春の若草


から命名されたものです。
お菓子のあざやかな色彩と求肥(ぎゅうひ)の柔かい口あたり、感触が春の萌える新緑を連想させます。


・・・箱の説明文によると、こういうものなのだそうです。

そういえばこの「若草」、何かに似ているような気がします。
松江に来る前・・・JR東海道線あたりで見たような・・・。



これです!
このイメージに引っ張られたからか、「若草」は甘さ控えめの和菓子だと思い込んでいたんですね。



文化財の駅舎でちょっとした「お茶席」を愉しんでいると、一畑電車さんが、ホームに入線していました。

出雲大社、稲佐の浜に日御碕。
この日すべての目的地を訪れ、「縁結び祈願のたび」は帰路に就きます。



わが本拠地・柏への帰路。
その最初の電車が、一畑電車大社線 川跡行きです。



17時13分、出雲大社前駅を発ち、



17時24分、川跡駅へ。



ここでは、朝に乗車した松江しんじ湖温泉駅方面の電車ではなく、その反対方向の電鉄出雲市駅行きの電車に乗り換えます。





17時36分、電鉄出雲市駅に到着しました。





旧大社駅

2023-03-05 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 在 月 廿 参 日 ( 水 )

午 前 九 時 四 拾 四 分

島 根 県 出 雲 市

一 畑 電 車 出 雲 大 社 前 駅



松江から一畑電車に乗って、



出雲大社前駅までやってきました。



文化財にも指定されている洋風の駅舎。
登録名称は一畑電鉄出雲大社前駅舎【国登録有形文化財】といいます。
この駅舎を出て右(画像だと左)に歩けば出雲大社に行けますが、私はあえて反対側へと歩き出します。



大社前駅が面している神門通り
大正3年(1914年)整備された参道を南に歩いていくと、すぐに見えてくる大きな大きな白い鳥居。



出雲大社の一の鳥居(神社に向かう際に通る最初の鳥居)にあたる出雲大社宇迦橋(うがばし)大鳥居【国登録有形文化財】です。
神門通りの造成と大正天皇の即位を祝い、出雲国の建設会社社長・小林徳一郎が大正4年に寄進したものだそうです。
大鳥居は鉄筋コンクリート造で、建設当時は日本一の高さを誇りました。
高さは23メートルで、本殿の高さ24メートルを超えないように抑えたのだとか。


通りをさらに進んでいくと、



歌舞伎踊りの創始者といわれる伝説の女性・出雲阿国(いずものおくに)の像が立っています。


そしてGoogle Mapさんのいうとおりに歩いていき、





旧大社駅に到着しました。
正面ではなく駅の裏側に来てしまったんですけどね。




午 前 九 時 伍 拾 七 分

旧 大 社 駅




旧大社駅
「旧」の文字が冠についていることからわかるとおり、この駅に列車が来ることはありません。
平成2年(1990年)4月1日までは、出雲市駅からのJR大社線の終着駅でした。
大社駅の営業終了とともに、JR大社線も廃線となってしまいましたが、旧大社駅周辺の線路やプラットホームは残されています。




駅の裏手から、静寂の構内へ。
当時は2面3線のプラットホームも、いまは動かないD51形蒸気機関車(デゴイチ)が停まっています。

機関車の番号は「D51 774」
昭和17年(1942年)に製造、使用開始されてから、昭和49年(1974年)に運用が終了するまで32年間、じつに107万kmを走破してきたそうです。





ここがボイラーで、ここから石炭やコークスを投入するところですな。



運転席はボイラーの横にあって、かなり狭いですな・・・。
蒸気機関車の中に初めて入ったので大した感想は出てきませんが、なかなかにおもしろかったです。




1番のりば&2番のりば。
かつてはここに構内踏切が設けられていたのでしょうね。



「たいしゃ」駅の駅名標。
次はあらかや(荒茅)駅・・・も、その次の出雲高松駅も廃止されています。




旧大社駅本屋【国指定重要文化財】、「本屋」は「ほんや」と読みます。
左右対称の和風建築ですが、鳥が両翼を延ばしたかのような華やかさももっている駅舎建築の傑作といえますね。



駅舎が重要文化財に指定されている例は、東京駅丸の内本屋門司港駅本屋と、こちらの旧大社駅本屋の3件だけ。
東京駅、門司港駅が洋風建築なのに対し、旧大社駅は和風建築となっています。



近くにある出雲大社前駅舎が洋風なのは、旧大社駅の和風建築に対比して建造されたともいいます。



静寂の旧大社駅でひとときの安らぎを得、いよいよ出雲大社を参拝します。





ばたでんに乗って

2023-03-05 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 在 月 廿 参 日 ( 水 )

午 前 七 時 参 拾 六 分

松 江 ア ー バ ン ホ テ ル レ ー ク イ ン



「縁結び祈願のたび」最終日。



この日も松江アーバンホテルレークインさんの朝食からスタート。
うんうん、こういうのでいいんだよ~という朝食ですねぇ。
すっかり仲良くなった配膳の淑女ともラストのご飯おかわりして餞別とし、ホテルを後にしました。





島根県では利用者数が最も多い、JR松江駅
中心街には面していない、いわば裏口の南口なので、ちょっと地味な画かも。
本日はJRには乗りませんので、このまま通過します。





朝の宍道湖散歩。
松江駅からまっすぐ西へ歩き、湖畔の白潟公園へ。
公園のシンボルで、当時は燈明台の役割を果たしていた青柳楼(あおやぎろう)の大燈籠から、湖沿いを歩いていきます・・・。



この日の島根県地方の天気は曇りがち。
それでも墨客の山水画のような景色が、どことなく神秘的な雰囲気を帯びているのは、やはり神々の集う国だからなのでしょうか。

・・・なんて考えていたら、時刻は午前8時14分。時間がない?!

湖畔の散歩から一転、荷物を抱えてぜぇぜぇはぁはぁ走るハメに。




午 前 八 時 弐 拾 伍 分

一 畑 電 車 松 江 し ん じ 湖 温 泉 駅




一畑電車松江しんじ湖温泉駅に到着、しょっぱなから疲れた・・・。



乗車予定の電車は、8時34分発 北松江線 普通電車 電鉄出雲市行き
発車9分前になんとか駅に駆け込むことができました。



1日乗り放題で1,600円の「一畑電車フリー乗車券」を購入。
これから向かう出雲大社前駅までの普通運賃は820円なので、往復で元が取れる格好ですね。
ちなみに松江駅からJR線経由で出雲大社前まで向かったときは740円なので、出雲大社だけを目的とするならJRを利用した方がいいのですが、私はほかにも目的地があるのでこのチケットのお世話になることとしました。



ホームで待機する2本の電車。
1番のりばには一畑電車7000系(7004形)、2番のりばには一畑電車5000系(5100形)
8時34分発の電車は2番のりばから発車するので、5000系に乗り込みます。



「松江しんじ湖温泉」、次は「松江イングリッシュガーデン前」。
なかなか文字数の多い駅名標ですな。




午 前 八 時 参 拾 四 分

ば た で ん 発 車


一畑電車、通称「ばたでん」は定刻どおり発車。
出雲市方面へと向かいます。

 

車内はご覧のとおり、内装に木材がふんだんに用いられています。
そういえば車両の後方に、「しまねの木」というプレートがヘッドマークに掲げられていましたね。
ドリンクホルダーつきのテーブル席でこれまでの旅日記を編集・・・なんてやってたらあっさり車酔いしてしまうので、宍道湖をぼんやり眺めるべく進行方向左側の席に着席しました。



さて、この日の行程をざっとまとめておきましょう。

まずは出雲大社参拝。
なにせこのたびは「縁結び祈願のたび」ですからね。
神々の集う出雲国に来て、出雲大社を詣でないわけにはいきません。

お食事は当然ながら出雲そば
今回お世話になる出雲そばのお店は2店舗、もちろん「水曜どうでしょう」ゆかりのお店です。
大社のすぐ近くにひとつと、出雲市内にひとつあるのですが、その両方をお昼と夜に伺います。

そして出雲大社からバスに乗り込み、島根半島の西北端・日御碕(ひのみさき)にもまいります。
塔高日本一の灯台・出雲日御碕灯台から日本海を眺め、沈みゆく夕陽を見送っていきたいと考えています。

本日登城するお城はありませんが・・・



「ニッポン城めぐり」は起動して「城攻め」していきます。
23時37分、玉造要害山城攻略!・・・って、時刻がおかしいですねぇ。
前日にホテルの客室で「城攻め」したのでした。
忘れないうちに記載しておきましょう。







曇天にもやがかかった宍道湖を眺めつつ、ばたでんは最初の駅・松江イングリッシュガーデン前駅へ。

 

ここでは満願寺城本宮山城を攻略。








雲ともやに覆われた宍道湖に、





雲間から差し込む日輪の光線。





湖面にたたずむ水鳥も加わり、水墨画のような風景に。


9時06分、



一畑薬師の最寄駅・一畑口駅に到着。
ばたでんは一畑薬師の参詣列車として敷設されたという歴史があるので、ばたでんにとっては重要な駅です。



ちょっと見づらいかもしれませんが・・・
一畑口駅の駅名標は、左方向(南方向)に隣駅2つが記されています。
すなわちスイッチバック駅、ここで方向転換し、前の車両は後ろの車両になるわけです。



雰囲気ある駅舎です。
映画『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』(平成22年)の舞台になった駅でもあります。


スイッチバック駅の一畑口を発車。
進行方向左側に座っていた私は、座ったままで右側に移ってしまった格好。
車窓から宍道湖が見えなくなってしまうことになりますが、問題なし。
一畑口駅を発つと、ばたでんは程なくして湖から離れてしまうのです。



一畑口駅から3駅の布崎駅にて、平田城を攻略。



宍道湖の西に注ぐ平田船川を渡り、



9時15分、雲州平田駅に到着。
ばたでんの本社は、こちら雲州平田駅にあります。




宍道湖を離れ、のどかな山里の風景を経て・・・



9時26分、川跡駅に到着しました。



川跡駅は、ばたでんの北松江線大社線が分岐する乗換駅。
出雲大社の参拝客は、この川跡駅で必ず乗り換えることとなります。
ばたでんさんはスムーズな乗り換えのために、3方向の電車が川跡駅に集結するようにダイヤを組んでいるようですね。
有難いことです。



というわけで私も川跡駅でお乗り換え。
9時29分発 大社線 普通電車 出雲大社前行きに乗り込みます。



乗換時間3分ですが、「城攻め」もぬかりなくこなしていきます。
川跡駅では鳶ヶ巣(とびがす)【出雲市指定史跡】を攻略。




出雲大社に向け、出発。
ばたでんの車両は、このように自転車を載せるスペースが設けられています。
しかも折りたたむ必要はなく、利用区間は問わず一律1台320円で載せられるそうです。




午 前 九 時 四 拾 壱 分

島 根 県 出 雲 市

出 雲 大 社 前 駅 に 到 着


終点・出雲大社前
その名のとおり、出雲大社の最寄駅です。





次々と降りていく、おそらくは出雲大社へと向かう人々。
私もそのひとり。



一畑電鉄出雲大社前駅舎【国登録有形文化財】から出て右側(画像だと左側)に参拝客が流れていきます。
それを尻目に、私は逆方向へと歩き出しました。



【今回の乗車記録】

一畑電車 (22)松江しんじ湖温泉駅 2番のりば 8時34分発
北松江線 普通 電鉄出雲市行き 2両ワンマン
⑤川跡駅 3番のりば 9時26分着

⑤川跡駅 1番のりば 9時29分発
大社線 普通 出雲大社前行き 1両ワンマン
(26)出雲大社前駅 2番のりば 9時41分着

*所要時間 1時間07分 (移動時間 1時間04分 乗換時間 3分)
*移動距離 37.3km
*運賃   一畑電車フリー乗車券使用(使用しない場合、820円)



【今回の「城攻め」成果】

8時39分 (21)松江イングリッシュガーデン前駅
           満願寺城本宮山城を攻略。
9時11分 ⑩布崎駅  平田城を攻略
9時27分 ⑤川跡駅  鳶ヶ巣城【出雲市指定史跡】を攻略。





西岸駅~花咲く妹よ

2023-01-29 | 鉄道の旅


令 和 4 年 ( 2 0 2 2 年 ) 7 月 2 7 日 ( 水 )

午 後 4 時 2 4 分

石 川 県 七 尾 市

の と 鉄 道 西 岸 駅



のとじま水族館で・・・



雄大なジンベエザメに圧倒された我々は、能登半島の先へと進んでいました。



カマイルカとコンタクトをしていたときは元気そうだった第2王子も、柏ナンバーのVOXYに戻るとすぐに爆睡。



能登島から本土に帰還し、約5分ほど進むと・・・



のと鉄道西岸駅に到着しました。


西岸駅は、石川県七尾市にあるのと鉄道七尾線の駅です。
昭和7年(1932年)国鉄七尾線の駅として開業しますが、昭和47年(1972年)には無人駅となります。
昭和62年(1987年)国鉄民営化にともないJR西日本の駅となりますが、平成3年(1991年)にJR七尾線和倉温泉駅・輪島駅間がのと鉄道に移管され、のと鉄道の駅となりました。
なおのと鉄道七尾線は、平成13年(2001年)に穴水駅・輪島駅間が廃線となり、西岸駅は現在、終点の穴水駅から2つ手前の駅となっています。



七尾駅・和倉温泉駅を除くのと鉄道の各駅には愛称がつけられていて、西岸駅の愛称は小牧風(おまきかぜの)駅」
駅近くの入り江を挟んだ高台・小牧台にちなんでいます。



小さいながらも風情のある駅。
ここを目的地とすることを強く主張したのは、普段の旅を鉄道でする私ではなく、車中で爆睡していた第2王子
その理由は・・・





↑コチラ。
何て云ったかなぁ~? ナントカいろは・・・
は○○○いろは・・・・・・はなげのいろは はなさくいろは・・・「花咲くいろは」


「花咲くいろは」は、日本のアニメ制作会社P.A.WORKSによるオリジナルアニメ作品です。
テレビアニメは平成23年(2011年)4月から9月まで放送され、平成23年度文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査委員会推薦作品に選ばれています。

内容は、石川県にある架空の温泉街「湯乃鷺温泉」の旅館にまつわる物語。
作中に登場する「ぼんぼり祭り」は放映年の平成23年秋に実現し、温泉街の舞台となった湯涌温泉にて湯涌ぼんぼり祭りが行われています。





小さな駅舎の中は、「花咲くいろは」目白押し。
作中における温泉街の最寄駅「湯乃鷺駅」は、この西岸駅をモデルとしています。
そういうことですから、こちらは「花咲くいろは」のファンからすれば重要な聖地。
交流ノートが連綿と残されているのですね。

初石川県!! 初金沢!! 初花いろ聖地巡礼!!

・・・なるほど、「花咲くいろは」は「花いろ」と略されるのですな。
うむ、これなら「はなげのいろは」などという私みたいな輩は出てこないでしょうな。

この3日間で色々な所を回りました。
普段の私生活や仕事のストレスなどがこの旅ですべて癒されました。


・・・ふむふむ、それは良かった。
第2王子らしい、落ち着いた文面ですなぁ。しかし・・・

この先もずっと花咲くいろはを大好きでいます!!!!!

感嘆符(!)が5つも現れるほどの昂揚感、そして・・・

明日からもぼんぼるぞー!!!!!

ぼんぼるって、何?!
文献によれば、「花咲くいろは」第11話で主人公がぼんぼりを洗っているときにひらめいた造語で、目標に向かって頑張りたいと思うことだそうな。
どうでもいいことかもしれないが・・・

「初」は「ネ(しめすへん)」じゃなくて「ネ′(ころもへん)」ですよぉ。

後世に残るものですから、誤字脱字の類には注意しましょうね。



今回は第2王子に加えて私も記帳します。




駅舎の中に掲げられている時刻表。
平日は1日17往復、休日は1日16往復と、それなりに本数はあるようです。
上り線の時刻には金沢方面への連絡時刻も併記されています。
七尾駅での乗換えの待ち時間はおおむね10分以内、長くても28分とスムーズなようです。

このときの時刻は、16時25分。
16時31分発の上り列車が、もうまもなくやってきそうです。




味のある駅舎から、ホームへ。

 (下り・穴水方面)

ホームは2面2線の相対式。
列車は1両ないし2両程度なのに比べると、ホームは長め。
かつて急行列車などの優等車両が乗り入れていた名残でしょうか。



駅舎側にある上り線ホームには、湯乃鷺駅の駅名標が立っています。
ひとつ前が「守田駅」、ひとつ先は「大塚駅」



同じく上り線ホームに立つ、本物の西岸駅の駅名標
つまりは能登鹿島駅守田駅能登中島駅大塚駅・・・ではないそうです。
「花いろ」では能登中島駅も主人公の通う高校の最寄駅として登場し、そこでは「小松崎駅」となっています。



ひっそりとたたずむ、「にしぎし」の駅名標

 (上り・七尾方面)



下り線ホームには、七尾寄りにある構内踏切で渡ることができます。




午 後 4 時 3 0 分

上 り 列 車 入 線






普通列車七尾行きがやってきました。
車両はNT200形気動車・・・





おっと、2両目は「花いろ」ラッピング車両です!
これには体調不良の第2王子もいたくご満悦。
扉にある「喜翠荘」は主人公が居住している温泉旅館です。



16時31分。
列車は定刻どおり西岸駅を後にしました。




最後に記帳。
誤字脱字に十分注意しながらも、くだらないことを書いてしまいました。



「花いろ」の舞台・西岸駅を後にして、
「ついでだから小松崎駅能登中島駅)にも寄るか?」
と尋ねてみましたが、やはり第2王子体調不良
能登中島駅には立ち寄らず、柏ナンバーのVOXYは金沢方面へと走っていきました。



車中、ふと女王様がおっしゃいます。
「前にドラマで見たことがある」と。

平成6年秋のフジテレビ系、いわゆる「月9」で放送されたドラマ「妹よ」
作中で和久井映見唐沢寿明が小さな駅で別れるシーン。
この撮影地が西岸駅だったのだそうです。

それにしても女王様、20年以上も前のドラマのワンシーンをよく覚えていたなぁ。





山形線峠越え

2021-11-13 | 鉄道の旅


令 和 2 年 ( 2 0 2 0 年 ) 8 月 1 5 日 ( 土 )

午 前 6 時 2 5 分

千 葉 県 柏 市

J R 柏 駅 南 口



東京五輪2020が開催されるはずだった、令和2年8月。
赤壁の戦いがあったとされる地域で発生したという疫病がまん延し、五輪は延期となってしまったのです。
疫病のまん延に対する措置で、大いに打撃を受けたわが国の観光業。
これに対する施策で始められた、「GO TO トラベル キャンペーン」
まん延防止の観点からは真っ向から対立するこの施策は、賛否両論が巻き起こっています。

それとは関係なく、わが「GO TO 続100名城キャンペーン」は粛々と続行中。



今回も、わが本拠地・柏から旅は始まります。



旅のおとも・青春18きっぷに、3回目の改札印が刻まれました。
こたびは南口から入ったので、しっかり「柏駅(南)」と表示されていますね。



最初の電車は、6時32分発 常磐線 快速電車 上野行きです。



すっかりおなじみの柏駅の駅名標をこの日も仰ぎ見て、3番線ホームにやってきた電車に乗り込みました。



ZZZ...



松戸、北千住、南千住、三河島、日暮里の各停車駅を居眠りしながら通過して、



問題なく上野駅に到着。




午 前 7 時 0 2 分

東 京 都 台 東 区

J R 上 野 駅


上野から、進路を北へ。
本格的な旅の始まりといったところでしょうか。



今度の電車は7時16分発 宇都宮線 普通電車 宇都宮行きで、5番線から出るようです。
発車まで少々時間があるので、



電車旅ではおなじみ、駅そばをもって朝飯としましょう。
発車ホームのお隣、7番線・8番線ホームにある「爽亭」というお蕎麦屋さんへ。



券売機の下の方にあった「タイムサービス 朝得」(310円)。
きつねのお揚げとたぬきの揚げ玉が入っている、いわゆる「むじなそば」というやつですな。
でも「むじな」と「たぬき」って同じじゃなかったっけ?
たぬき・むじな事件とかいう刑法の重要判例もあったような。
そんなことはどうでもよく、この旅最初のお食事をおいしくいただきました。



7時16分、電車は定刻どおり発車。
この間も睡眠時間に充てて、一路、宇都宮へ。



宇都宮駅到着前に目を覚まし、「ニッポン城めぐり」を起動。



8時56分、JR日光線が合流するあたりで江曽島城を攻略できました。



2分後の8時58分、



宇都宮駅に到着しました。




午 前 9 時 0 2 分

J R 宇 都 宮 駅


宇都宮駅から、さらに北へ。



今度の電車は、発車標が見づらいですが、9時12分発 宇都宮線 普通電車 黒磯行きです。
宇都宮駅での乗換時間は約10分、と珍しく時間に余裕があるので・・・



朝飯の次はブランチということで駅そばをいただこうとしましたが、残念、ここの蕎麦屋さんは11時開店からだそうな。



黒磯行きの電車に乗って、



矢板駅の手前で川崎城【矢板市指定史跡】を攻略。



終点の黒磯駅到着直前で伊王野城【那須町指定史跡】を攻略し、



10時04分、黒磯駅に到着しました。




午 前 1 0 時 0 4 分

栃 木 県 那 須 塩 原 市

J R 黒 磯 駅




「黒磯」の文字を見て、いよいよ関東を出るんだなぁという実感が湧いてきます。
正確には、黒磯駅から3駅の豊原駅の先が栃木・福島県境なのですけどね。
しかし鉄分を大いに含む私からすれば、電流方式のために必ず乗り換えがあって「宇都宮線」の名乗りをやめる黒磯駅こそが、東北地方の玄関口というイメージがありますね。



今度の電車は、10時23分発 東北本線 普通電車 新白河行きです。
発車標が「宇都宮線(東北本線)」じゃなくて、ストレートに「東北本線」と表記されていますね。



近年新たに登場した「新白河の関」。
そこに向かう電車はE531系電車、柏市民が毎日見てる青い方の常磐線です。

このポスターには「ドアが押しボタン式で開けられます」と書いてあります。
そうそう、東北地方の電車は、乗降客の多いJR仙台駅であってもドアを押しボタンで開ける方式になっていました。
ですがかの疫病のまん延を防止するため、押しボタンによるドア開閉は中止となっていました。


発車時刻を迎え、E531系5両編成の電車は、開いている20ヶ所すべてのドアが乗務員によって一斉に閉められました。



栃木県最北の豊原駅を過ぎ、ついに東北へ。



10時47分、新白河駅に到着。




午 前 1 0 時 4 8 分

福 島 県 西 白 河 郡 西 郷 村

J R 新 白 河 駅


新幹線が停まる新白河駅
「白河」を名乗ってはいますが実は白河市ではなく、隣りの西郷村にあります。
「村」にある新幹線停車駅は、この新白河駅のみだそうです。



発車標がほとんど見えていませんが、今度の電車は10時54分発 東北本線 普通電車 郡山行き
7番線ホームに停まっているこちらの電車、ロングシートで18きっぱーを苦しめるE701系電車です。
私の学生時代から運用されているこの車両、令和の御代になってもいまだに現役です。



端っから座ることはせず、ドアそばから車窓を眺めることにしました。



新白河駅のお隣、白河駅から白河小峰城【国指定史跡】を拝見。
事実上の天守だった御三階櫓【再建】は、相変わらず見事なお姿ですね。





11時32分、郡山駅に到着。




午 前 1 1 時 3 2 分

福 島 県 郡 山 市

J R 郡 山 駅




11時39分発 東北本線 普通電車 福島行きに乗車。





西の空を見ると、安達太良山に分厚い灰色の雲がかかっています。
この日は奥羽山脈の向こう側に行くので、この先の天気が不安ですね・・・。





12時27分、福島駅に到着。




午 後 1 2 時 2 8 分

J R 福 島 駅




今度の電車は、12時51分発 山形線 普通電車 米沢行きです。
発車時刻まで20分ほど待ち時間がありますが、それよりも次発の電車が16時04分と3時間以上も発車がありません。
12時51分発の電車に乗り遅れないようにしなければなりませんね。



コンコースからホームを見下ろすと、米沢行きのE719系電車が停まっています。
この電車で米沢に行くのかなぁ~と思っていましたが、奥のホームにもう一編成停車していました。



コンコースから離れた5番線ホームに停車している米沢行きのE719系電車。
発車時刻を迎え、年齢35前後の淑女たる乗務員がドアを閉めます。
電車は2両編成ですが、故あって後ろの車両の座席を確保しました。





福島から笹木野、そして庭坂の2駅までは、福島盆地の平地を進みますが、



庭坂駅を過ぎると、奥羽山脈を分け入って進む峠越えが始まります。
淑女たる乗務員さんが検札に来るのも、庭坂を過ぎたあたり。





深い深い山の中です。
こんなところを新幹線が通るなんて信じられません。



山形県に入って最初の駅は、板谷駅
豪雪地帯のため、駅全体がスノーシェルターに覆われています。
そして板谷駅に到達したということで、私は千円札を財布から取出し、スタンバイ。

 (※帰りの電車から撮影)

「ちか~ら~もちぃ~」
板谷駅と同じくスノーシェルターに覆われた峠駅のホームに、響き渡る売り子の声。
私は開扉した右側のドアへ向かいます。
峠駅での停車時間は約30秒
限られた時間の中、売り子さんは手際よく千円札と力餅を交換していきます。
売り子さんは電車の後方から売り回るので、後方の車両にいたほうが購入しやすいのだそうです。



以前はレジ袋に入れて渡していたそうですが、セクスィーな奴が頑張ったためにレジ袋を廃止にしたそうです。
短い停車時間で売りさばくためには、レジ袋代を徴収するよりもレジ袋そのものを廃止した方が理にかなっていますね。
この日の昼飯と決めていた峠の茶屋「峠の力餅」



峠の力餅、うまし!
あんこは甘さ控えめのこしあんですが、さすがに何個もいただくと飽きがきてしまいました。
2個ほどお残ししましたが、これらは帰りの電車でいただくこととしましょう。





車窓の山川を眺めながら、奥羽山脈を通過していきます。
このときは進行方向左側に座っていましたが、どうも反対側の車窓の方が見ごたえがあったような・・・?
帰りは逆の車窓を眺めることとしましょう。



13時38分、



米沢駅2番線ホームに到着しました。



1番線ホームには、つばささんがスタンバイしていらっしゃいました。



【今回の鉄道乗車記録】

JR東日本 [JJ07]柏駅 3番線 6時32分発
[JJ]常磐線 快速 上野行き 15両
[JJ02] UEN 上野駅 12番線 7時01分着

[JU02] UEN 上野駅 5番線 7時16分発
[JU]宇都宮線(東北本線) 普通 宇都宮行き 15両
宇都宮駅 7番線 8時58分着

宇都宮駅 8番線 9時12分発
宇都宮線(東北本線) 普通 黒磯行き 4両
黒磯駅 1番線 10時04分着

黒磯駅 4番線 10時23分発
東北本線 普通 新白河行き 5両ワンマン
新白河駅 6番線 10時47分着

新白河駅 7番線 10時54分発
東北本線 普通 郡山行き 4両
郡山駅 4番線 11時32分着

郡山駅 5番線 11時39分発
東北本線 普通 福島行き 4両
福島駅 3番線 12時27分着

福島駅 5番線 12時51分発
山形線(奥羽本線) 普通 米沢行き 2両
米沢駅 2番線 13時38分着

*所要時間 7時間06分 (移動時間 5時間35分 待ち時間 1時間31分)
*移動距離 338.4km
*運賃 青春18きっぷ使用(使用しない場合、5,720円)



【今回の「城攻め」成果】

宇都宮線(東北本線)

(7時56分 [JJ02]上野駅発車)
8時56分 雀宮(小山から4駅)・宇都宮駅間(田川橋梁・日光線分岐付近)  江曽島城を攻略。
(8時58分 宇都宮駅到着)

(9時12分 宇都宮駅発車)
9時40分 片岡(宇都宮から5駅)・矢板駅間(内川橋梁)  川崎城【矢板市指定史跡】を攻略。
10時03分 黒磯駅  伊王野城【那須町指定史跡】を攻略。
(10時04分 黒磯駅到着)



日本100名城・続日本100名城登城の旅・第23弾~「GO TO 続100名城キャンペーン」第12話へ続く。


鶴見線完全制覇・後編~3つの終点

2021-06-30 | 鉄道の旅


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 5 月 4 日 ( み ど り の 日 )

午 前 9 時 0 4 分

横 浜 市 鶴 見 区

J R 海 芝 浦 駅



JR鶴見線の13の駅を訪れる「鶴見線完全制覇」のたび。



13駅のなかで唯一ママチャリで行くことのできない海芝浦駅へ。
浅野駅から鶴見線に乗車すること約3分の9時04分、到着。




[JI52] 海芝浦駅制覇!
欄干の先は、即、京浜運河!・・・で、厳密には海ではありません。
しかし、横浜・川崎市内の京浜運河よりも海側にある東扇島・扇島・大黒埠頭はすべて人工島なので、「日本一海に近い」という表現も間違いとは言い切れないところですね。



厳密にいえば海ではないものの、この風景を観れば「日本一海に近い駅」ともいわれるのもわかります。
向こうに見えるのは、扇島の工業地帯、それと大黒埠頭をつないでいる鶴見つばさ橋です。



鶴見つばさ橋。
主塔から斜めにワイヤーが下りている斜張橋で、全長は1,020メートルあります。
現在は首都高速道路湾岸線の道路橋となっています。



大黒埠頭方面。
横浜ベイブリッジもかすかに見えますね。




駅改札口を入ったところにある横型駅名標。
「浜」のマークがあるとおり、ここはれっきとした横浜市内の駅です。



改札口、そして東芝 京浜事業所の入口。
この先は東芝の構内なので、私も含め関係者以外は駅の外に出られません。
出場の簡易Suica改札機に財布(&中に忍ばせてあるKitaca)をタッチして、浅野→海芝浦の運賃を精算。
そしてすぐさま、入場の簡易Suica改札機に財布をタッチします。

駅出口(東芝の入口)に向かって左側は、



海芝公園が造成されています。
こちらも東芝さんの私有地となっているのですが、わざわざ海芝浦駅にやってくる非東芝民のために、東芝さんがこしらえてくれたものだそうです。



小さいながらも、彩り豊かな花壇。
そして京浜運河に目を向けると、



扇島に建つJFEスチール 東日本製鉄所



鶴見つばさ橋



大黒埠頭横浜ベイブリッジ、そして東京電力 横浜火力発電所
来てよかったなぁ~と思わせる、海の工業地帯の風景を堪能できました。


海芝公園を開放している東芝さんに敬意を込めて・・・



京浜事業所で製作されている100万kW級 超々臨界方式蒸気タービン・発電機をご紹介!
・・・しようと思ったのですが、機械工学に疎い私には手に負えませんでした。


さて、帰りの電車ですが・・・



浅野駅から乗ってきたこの電車で戻ります。
9時17分発 鶴見線 普通電車 鶴見行きです。



海芝浦支線のどん詰まり。
周囲の建物を見ると、東芝の事業所が間近にあるというのがよくわかります。



9時17分、電車は定刻どおり発車し、



9時21分、浅野駅に到着しました。
懸案の海芝浦駅も見聞し、鶴見線全駅の半分を制覇したことになります。



【今回の鉄道乗車記録】

JR東日本 [JI05]浅野駅 3番線 9時01分発
[JI]鶴見線 海芝浦支線 海芝浦行き 4両
[JI52]海芝浦駅 9時04分着

[JI52]海芝浦駅 9時17分発
[JI]鶴見線 普通 鶴見行き 4両
[JI05]浅野駅 4番線 9時21分着

*所要時間 20分(移動時間 6分 海芝浦駅滞在時間 13分)
*移動距離 3.4km(片道1.7km)
*運賃   IC運賃 272円(片道 136円)




午 前 9 時 2 5 分

J R 浅 野 駅


浅野駅の近くに停めておいたママチャリにまたがり、残り半分の鶴見線6駅を順番に制していきます。


9時31分、





[JI06] 安善駅制覇!
駅名は、浅野財閥と深いつながりにあった安田財閥の創始者・安田善次郎にちなんで付けられました。




鶴見線とともに境運河を渡り、9時36分・・・



[JI07] 武蔵白石(しらいし)制覇!
駅名は、浅野総一郎の娘婿で日本鋼管(現在のJFEホールディングス)の創立者・白石元治郎にちなんで付けられました。
開業の大正15年(1926年)にはすでに東北本線函館本線白石駅があったため、「武蔵」の冠2文字が付けられています。

なお、全国の「白石駅」で「しらいし」と読むのはここだけです。




武蔵白石駅そばの踏切。



武蔵白石駅のホームがよく見えます。
ここからは見づらいのですが、鶴見線は武蔵白石駅の直前で本線大川支線が分岐しています。
かつては武蔵白石駅に大川支線のホームがあったのですが、現在は廃止されています。
したがって大川支線の乗換駅は、ひとつ前の安善駅ということになります。



踏切を渡って大川支線と並行して進み、大川駅を目指します。
武蔵白石駅と大川駅の中間ほどにある白石運河を、ママチャリは大川橋で、大川支線は鶴見線第5橋梁で渡ります。



進行方向右側に、ぽつんとたたずむ駅舎が見えてきました。
踏切を越えて回り込み、9時43分・・・



[JI61] 大川駅制覇!
駅名は、「日本の製紙王」の異名をとった富士製紙(現在は王子製紙)の創業者・大川平三郎にちなんで付けられています。
大川は、浅野財閥による鶴見沖の埋立事業に協力、出資した人物でもあります。



大川駅の地獄表時刻表。
平日は8時51分発のあとは17時29分発まで、8時間以上電車がありません。
休日に至っては、1日3本の運行のみ。
「電車に乗らなければならない」という制約がある乗り鉄にとっては、なかなか厄介な路線。
しかしそのような制約のない私は、武蔵白石駅から自転車で数分で来ることができました。
近くの武蔵白石駅までは徒歩15分ほどなので、仮に大川駅で終電を逃したとしても、大川駅で立ち往生することはないと思います。



電車空白時間のため、誰もいない駅。
回りの雑草の生えっぷりもあって、寂れた駅という感じが色濃いです。



大川支線のどん詰まりを確認して、大川駅はこれにて終了。




午 前 1 0 時 0 2 分

川 崎 市 川 崎 区

J R 浜 川 崎 駅


ママチャリはいつの間にか横浜を抜け、川崎市内に入っていました。



[JI08] 浜川崎駅制覇!
こちらは鶴見線のりばで、道を挟んで反対側は・・・



こちらは南武線(南武支線)のりばとなっています。

浜川崎駅は2路線双方に駅舎が分かれていて、さらに双方に簡易Suica改札機が設置されています。
鶴見線⇔南武線の乗り換えをするときは、双方の簡易Suica改札機にICカードをタッチしないで通過しなければなりません。



鶴見線、残るは昭和、扇町の2駅。



扇橋という橋で、運河を渡ります。
扇町方面に向かって進行方向左側は、どことなくレトロな雰囲気のある浅野運河



進行方向右側は、現役バリバリに稼働している工場が建ち並ぶ南渡田運河
鶴見線が並行しているのは、こちら側。



これぞ工場!という感じの構造物。


橋を渡り、小さな場末の飲食街を通過して、10時12分・・・



[JI09] 昭和駅制覇!

2020年5月の改元で、ちょっとだけ話題になった昭和駅。
大正駅(大阪市大正区・JR大阪環状線・大阪メトロ長堀鶴見緑地線)から始まり・・・
昭和駅(川崎市川崎区・JR鶴見線本線)を経て・・・
平成駅(熊本市中央区・JR豊肥本線)に至る「元号駅ツアー」をする人もいました。

ところで、なんで「昭和駅」なんでしょ?



ああ、納得。



鶴見線は昭和駅で大きくカーブを描き、終点の扇町駅へと続きます。


そして、10時16分。



[JI10] 扇町駅制覇!



寂れた感じの改札口とトイレ。
(画には映していませんが、このそばで、ホームレスっぽい人が寝転がっていました)



扇町駅の駅名標。
ここは川崎市ですが、「浜」の文字があります。
鶴見線13駅のうち、武蔵白石、浜川崎、昭和、扇町と大川の各駅は川崎市内にあるのですが、JRの旅客営業規則第86条で「横浜市内」扱いとされています。
ちなみに、川崎市の中心駅である川崎駅も、「横浜市内」扱いとされています。



鶴見線本線のどん詰まり。
これにて「鶴見線完全制覇」達成!




午 前 1 0 時 5 1 分

大 師 橋 ・ 産 業 道 路




多摩川にかかる大師橋を渡り、ママチャリと私は都内へと入っていきました。





鶴見線完全制覇・前編~ママチャリを乗り捨てて

2021-06-02 | 鉄道の旅


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 5 月 4 日 ( み ど り の 日 )

午 前 6 時 2 8 分

横 浜 市 中 区

山 下 公 園



早朝によね先生のお宅を出立。
柏への帰路は、当然ママチャリに跨って往くことになります。



朝早く人出少ない、港町・ヨコハマをぶらり。
幼い時分に亡父が何度となく連れてきてくれた山下公園
茨城の片田舎から、車を飛ばしてよく連れてきてくれたものだと、四十路になって心打たれるものがあります。



山下公園の海上で停泊保存されている氷川丸【国指定重要文化財】。
この船にもよく乗りました。



現在はコロナ禍のため、公開を中止しているようです。



コロナ禍といえば、洋上から引き返していたクルーズ船「飛鳥Ⅱ」も、向こうの大桟橋に停泊していました。



園内のバラ園は、まさに花盛り。

 

バラのかおりを愉しみながらも、深入りせずに軽く観賞して、山下公園を出立。





山下公園の近く、何らかの液体をぶっかけられた現場




万国橋からのランドマークタワー



ここからの夜景は、横浜一だと思っています。



近くの汽車道にも寄り道。
この日は快晴、ママチャリ日和でした。




赤レンガ倉庫を傍目に見つつ、みなとみらい地区を後にしました。




午 前 7 時 4 1 分

横 浜 市 鶴 見 区

J R 国 道 駅


みなとみらいから、国道15号・第一京浜を北上。



国道沿いにあるということで、その名も国道駅に到達。

帰りのチャリ旅・前半戦は、国道駅が所属するJR鶴見線の駅を全部訪問していきます。
すなわち「鶴見線完全制覇」の旅、ここに開幕。



(浅野駅の運賃表より)

JR鶴見線は、鶴見駅を起点駅とする京浜工業地帯へのアクセス路線です。
戦前の浅野財閥が運営する鶴見臨海鉄道を前身とし、付近の工業地帯も浅野財閥によって育まれていきました。
昭和18年(1943年)戦時買収私鉄に指定され、国鉄鶴見線へ。
昭和62年(1987年)国鉄民営化によってJR鶴見線となり、現在に至ります。



(車内「鶴見線 停車駅のご案内」より)

鶴見線の運行系統は3つあります。
ひとつは、鶴見駅から浜川崎駅を経て扇町駅まで続く本線
浜川崎駅では、南武線浜川崎支線に乗り換えることができます。
ふたつ目は、途中の安善駅で分かれて大川駅へと続く大川支線
最後は、さらに手前の浅野駅で分かれて海芝浦駅へと続く海芝浦支線です。


支線を含めた鶴見線13駅を、ほぼママチャリでもって制覇していきます。


鶴見線完全制覇の旅を始めるので、あらためて国道駅制覇の勝ち名乗りを。



[JI02] 国道駅制覇!



鶴見線の高架下をそのまま利用した駅舎。
昭和5年(1930年)の開業以来、改築されたのは改札口の位置くらいなものだそうです。
昭和の雰囲気を色濃く残すたたずまいは、ドラマや映画のロケ地としても使用されています。



7時47分・・・



[JI01] 鶴見駅制覇!
鶴見駅は大きな駅ですね~、それ以外に特にコメントはありません。
駅前の松屋で朝食をとって、出立。



8時18分・・・



[JI03] 鶴見小野駅制覇!
工業地帯の一歩手前といったところで、駅周辺にあるのは商店街と住宅街。
このあたりは小野町といい、地元の名主を務めた小野氏によって新田開発が行われたことに由来します。



8時24分・・・



[JI04] 弁天橋駅制覇!
いよいよ工業地帯に足を踏み入れ、鶴見線の本領発揮!といったところ。
かつてこのあたりに弁天様をお祀りする社があり、その社の池には赤い橋が架かっていたといいます。
現在は、某D海岸が周辺にあるとか。



駅前の名も無き小さな公園。
花壇には美しく彩られており、周辺で働く人々に安らぎをもたらしているようですね。



駅のすぐそばには、JFEエンジニアリング 鶴見製作所の通用門が控えます。



8時31分・・・



鶴見線の踏切の傍ら、



[JI05] 浅野駅制覇!
ここから見える浅野駅の1・2番線ホームは、本線の発着するホームです。
このあたりは浅野財閥によってできた埋立地であり、浅野財閥の創始者・浅野総一郎にちなんだ駅名となっています。



駅近くのもうひとつの踏切からは、浅野駅の3・4番線ホームが見えます。
こちらは海芝浦支線のホーム。



海芝浦支線は、踏切の先へと続く道と並行しています。
このまま進んでいくと・・・



東芝 京浜事業所の敷地内に入ってしまいます。
敷地内に少々立ち入ったところ、事業所のひさしのそば。
8時38分・・・



[JI51] 新芝浦駅制覇!
駅名は、東芝の前身・芝浦製作所の最寄駅だったことによります。
また「新」の頭文字は、当時芝浦駅が東京都芝浦にあったため、それとの混同を避けるために付けられました。

傍らに立つ単管バリケードには、「これより先 私有地につき 関係者以外 立入禁止」とあります。
ということで、新芝浦駅は東芝の敷地内にあるのですが、私人の立入ができるということです。
しかしその先にある海芝浦駅へは、ママチャリで向かうことはできません。



簡易Suica改札機が据え置かれているだけの、いたってシンプルな駅ナカです。
鶴見線は、起点の鶴見駅以外、すべて無人駅となっています。

新芝浦駅の傍らに停めているのは、わがママチャリ。
東芝の敷地とあっては、ここで駐輪できそうもないので・・・



浅野駅に戻ることとしました。




午 前 8 時 4 2 分

J R 浅 野 駅


浅野駅周辺の手ごろな場所にママチャリを停めて、駅構内へ。
自力では行くことのできない海芝浦駅へは、ここから電車に乗り込んで向かうことにします。



浅野駅の時刻表。
この日はみどりの日ということで、休日ダイヤでの運行。
今度の電車は8時46分発ということになりますが、この電車は行き先が違うため乗りません。



浅野駅の構内。
駅のプラットホームは、前方に見える3・4番線ホームと、ここで右手に分かれる・・・



1・2番線ホームがあります。
ちょうど8時46分発 本線 扇町行きの電車が停まっていました。



8時46分の電車を見送り、今度の電車は9時01分発 海芝浦支線 海芝浦行き



3番線ホームで、電車を待ちます。
(画は、3番線の向かい側の4番線です)



駅名標。
次の駅は、新芝浦です。



3番線ホームから上り線を見ます。
本線海芝浦支線の分岐がよく見えます。



9時01分発の電車がやってきました。



浅野駅から海芝浦駅まで、たった2駅の電車旅。
いや、海芝浦から復路があるので4駅かな。



ママチャリからは望むことのできない、進行方向左側の風景を観ていきます。
旭運河を挟んで向かいのヤマト運輸の倉庫、



旭運河と安善運河の分岐を過ぎ、



9時03分、新芝浦駅へ。



運河沿いに建ち並ぶモービル石油の石油タンクは、次第に離れていき・・・



電車が大きなカーブを曲がったところで、終点に到着します。





中央線完全走破・後編~夕刻の木曽路

2021-04-09 | 鉄道の旅


令 和 2 年 ( 2 0 2 0 年 ) 8 月 1 0 日 ( 山 の 日 )

午 後 3 時 1 4 分

岐 阜 県 中 津 川 市

苗 木 城 か ら の 帰 路



苗木城【国指定史跡】からの帰路、苗木遠山史料館のほど近くに、



「消火栓記念碑」という石碑が立っていました。
あまりにもどストレートな篆額ですが、なぜこのような石碑が立てられたのでしょうか?
このあたりは水の便が悪く、たびたび火災に見舞われていたため、住民が熱望していた消火栓だったからなのか・・・
その経緯はまったくわからないまま、歩き出しました。




ひたすら苗木城を目指した往路では、見向きもしなかった立派なお屋敷。
明治末期に建築された旧苗木遠山家住宅です。

苗木遠山家の当主は、明治維新により華族に列せられて東京に住んでいたのですが、明治22年(1889年)に故郷の苗木に戻ったそうです。
その後明治45年(1912年)に建築されたこの住宅に移り住んだようです。




15時35分、苗木バス停に戻ってきました。

バス停のそばにある食堂で、岐阜県の郷土食・五平餅を作っているようでしたが・・・
開店しているのかわからなかったので、そのままバスを待ちました。




15時51分、中津川駅行きのバスがやってきました。




バスは苗木を離れ、木曽川にかかる玉蔵橋を渡り、中津川市街へ。




16時03分、JR中津川駅に到着しました。



【今回のバス乗車記録】

苗木バス停 15時51分発
北恵那交通 (T)付知峡線 中津川駅前行き
中津川駅前バスプール 16時03分着

*所要時間 12分
*運賃 400円




午 後 4 時 0 4 分

J R 中 津 川 駅




帰りの電車の発車時刻までは1時間あったので、中津川の駅前をぶらり。



駅から徒歩3分ほどの近場にある「サクサクとんかつ 三遊司」さん。
帰りの道中では食事をとる時間がないので、早めの時間帯ですが、ここでいただくこととしました。
平成の御代によね先生が召し上がったとんかつを、令和の御代に私がいただこうではありませんか。

オーダーしたのはもちろんとんかつ定食(850円)。
ごはんのおかわり自由で、お値段もお手頃となっていますね。
オーダーから12分で、御膳がやってきました。



サクサクとんかつ、うまい!
屋号のとおり衣はサクサクです。
よね先生の後追いに、間違いはありませんね。



「三遊司」で休憩中に「城攻め」して、長谷川等伯さんを発見できました。
等伯さんはランダムで発見できる「異能の者」となっていて、このとき偶然苗木城にいたようです。



この機を逃さず登用しました。
等伯さんは狩野永徳らと並ぶ戦国時代を代表する画人で、代表作の「松林図屏風」は国宝に指定されています。
また肖像画では「武田信玄像」が有名なのですが・・・どうもその画のモデルは信玄ではないそうです。


涼しい「三遊司」さんの中でゆっくりさせてもらい、



JR中津川駅に戻りました。



帰りはひたすら中央本線を進んでいきます。
中津川から乗る最初の電車、名古屋からだと2本目の電車は、



16時49分発 特急しなの19号 長野行き・・・ではなく、



17時ちょうど発 普通電車 松本行きです。
座席のクラスは特急には劣るものの、今回も転換クロスシートなのでゆっくりと車窓を眺めることができます。
ここでもよね先生の旅行記を参考にして、進行方向左側の座席を確保しました。




午 後 5 時 0 0 分

J R 中 津 川 駅 を 発 車


発車してから3分後、



落合ダムのダム湖とともに、木曽川が見えてきます。
中央本線の西側・通称「中央西線」は、この木曽川に沿って進んでいきます。
木曽川の流れが造り出した景色を存分に味わいながら、東京へと向かいます。




中津川から2駅の坂下駅到着前。
このとき、木曽川は進行方向右側から見ることができます。
木曽川さんはたま~に右側に移ることもありますが、行程のほとんどは左側から見えます。
この画の川は、上から読んでも下から読んでも川上川というそうです。




坂下駅からさらに2駅の南木曽(なぎそ)
進行方向右側から木曽川が見えるのは、ここまで。
この先木曽川とお別れするまでは、ず~っと左側から見ることができます。
木曽の山々がぐっと迫ってきた感じがしますが、南木曽はいわば木曽谷の入口。
木曽路の絶景は、これからが本番といったところです。



はじめての中央西線、ここでも抜かりなく「城攻め」をしていきます。
南木曽駅では妻籠(つまご)【長野県指定史跡】を攻略。
「妻籠」というと中山道六十九次のひとつ・妻籠宿が有名ですが、江戸時代以前には妻籠にも城があったんですね。


南木曽駅を通過し、



木曽川とともに東京へ。
まぁ、途中でお別れするんですが。





木曽川によってできたV字谷も見事です。




沿線にある貯木場、おそらくヒノキの材木が置かれているのでしょうか。
木曽のヒノキ林は日本三大美林に挙げられています。
近年ヒノキの花粉症に罹ってしまった私にとっては、木曽路を進んだ季節が春ではなくてよかったです。




南木曽駅から3駅の大桑駅を過ぎたあたり。
左岸に見えるのは須原発電所です。
長野県に電気を供給する電力会社は中部電力なのですが、この須原発電所をはじめ木曽川にある水力発電所は関西電力が運営しています。

そんなことよりも、木曽谷の相変わらずの迫力です。






大桑駅の次の須原駅倉本駅付近。
飽きることのない、木曽川の車窓です。


倉本駅の次の駅、上松(あげまつ)到着前、木曽路の車窓はハイライトを迎えます。







木曽川随一の渓谷・寝覚の床【国指定名勝】です。
ああ、うまくカメラに収めることができなかった・・・。
特急列車では、近くを通過する際に車掌がアナウンスしたり、列車の速度を落として運転することもあるようですが、私が乗ったのは普通電車。
国指定名勝であっても、容赦なく進んでいきました。


18時05分、木曽谷の中心駅・木曽福島駅に到達。



ここでは木曽福島城を攻略。
木曽福島城は戦国大名木曽氏の本拠地ともいえる城だったので、



木曽義在(よしあり)・義康・義昌の木曽家三代と、その家臣・山村良勝を発見できました。

木曽義在は木曽谷の支配権を確立し、義康はこれを発展させますが、東から勢力を拡大させる武田信玄に帰順します。
その子・義昌は信玄の娘・真理姫を正室に迎えますが、信玄が没して勝頼の代になると織田信長に寝返り、勢力を保ちます。
信長薨去後は徳川家康につき、小牧長久手の戦い直前に羽柴秀吉に鞍替えするも、家康が秀吉に帰順すると、義昌は家康の下につけられてしまい、家康の関東移封とともに義昌も木曽谷から下総国阿知戸(千葉県旭市網戸)に移ることになってしまいました。
義昌の子・義利(よしとし)は行状不良のため領地をボッシュートされてしまい、家臣の山村らは徳川家康の家臣となりました。
関ヶ原の戦いで山村良勝らの木曽旧臣は、旧領の木曽谷から東美濃方面の攻略に功績を挙げ、戦後に木曽谷の所領を与えられて旧領に復帰することができました。




木曽福島駅から3駅の藪原駅を過ぎたら、木曽川とはお別れです。



木曽川と別れた後は、目をつむってリラックスタイム・・・・・・



目を覚ましてふと車窓を見ると、夕陽の朱に染まった紫雲が広がっていました。



あまりに見事な朱色だったので、しばし空を眺めていました。



後日談ですが、このとき柏にいた女王様も、見事に朱に染まった雲を眺めていたようです。
直線距離にして250キロ離れていたのですが、空と太陽は等しく美しいものなんですね。



18時50分、



塩尻駅に到着。
電車はこの先の松本駅まで行きますが、私はここで下車。




午 後 6 時 5 1 分

長 野 県 塩 尻 市

J R 塩 尻 駅


ここからはサクサク進みます。



今度の電車は、18時59分発 中央東線 普通電車 大月行き
この塩尻駅では中央線の運行系統が東西で分離するため、「中央東線」「中央西線」という表記がなされています。




21時26分、大月駅に到着。
中央線・ラストの電車は、21時31分発 中央特快 東京行きです。
「中央特快」という響き・・・関東に戻ってきた感が湧きたちますが、大月はまだ山梨県なんですよね。



23時12分、



東京駅に到着、すなわち中央線完全走破、達成!

「都内は通らねぇ」とか云いながら、東京のど真ん中に来てしまいました。
でも混雑はしていない夜の時間帯ですから、防疫の観点からは問題ないはずです、うん。





23時18分発 京浜東北線 各駅停車 大宮行きで、北上。




日暮里駅で下車し、23時32分発 常磐線 快速電車 取手行きにお乗り換え。
日暮里駅の京浜東北線&山手線ホームと、常磐線ホームとは少し離れているので、2分乗換はちょっとした冒険でもありますが、難なく乗換成功。



23時57分、



柏駅に戻ってまいりました。





中央線完全走破。
名古屋から塩尻までの西側部分は初めて乗車し、美しい車窓を味わうことができ、大満足。
そして1日で中央線を乗り通したという、わたしだけの達成感に浸っていたのですが・・・・・・

辰野支線は?

・・・・・・中央線ほぼ完全走破を成し遂げ、本拠へと帰っていきました。



【今回の鉄道乗車記録】

JR東海 [CF19]中津川駅 2番線 17時00分発
[CF]中央本線(中央西線) 普通 篠ノ井線直通 松本行き 2両
JR東日本 塩尻駅 6番線 18時50分着

塩尻駅 1番線 18時59分発
中央本線(中央東線) 普通 大月行き 3両
[JC32]大月駅 4番線 21時26分着

[JC32]大月駅 3番線 21時31分発
[JC]中央線 中央特快 東京行き 10両
[JC01] TYO 東京駅 2番線 23時12分着

[JK26] TYO 東京駅 3番線 23時18分発
[JK]京浜東北線 各駅停車 大宮行き 10両
[JK32] NPR 日暮里駅 12番線 23時30分着

[JJ02] NPR 日暮里駅 4番線 23時32分発
[JJ]常磐線 快速 取手行き 15両
[JJ07]柏駅 4番線 23時57分着

*所要時間 6時間57分 (移動時間 6時間35分 乗換時間 22分)
*移動距離 347.1km
*運賃 青春18きっぷ使用(使用しない場合、6,050円)



【今回の「城攻め」成果】

[CF]中央線

16時27分 [CF19]中津川駅前「サクサクとんかつ 三遊司」店内  放浪異能の者・長谷川等伯を登用。
(17時00分 [CF19]中津川駅発車)
17時18分 [CF23]南木曽駅   妻籠城【長野県指定史跡】を攻略。
18時05分 [CF30]木曽福島駅  木曽福島城を攻略。
            木曽義在・木曽義康・木曽義昌・山村良勝を登用。
(18時50分 塩尻駅到着)





中央線完全走破・前編~名古屋へ向かう

2021-02-28 | 鉄道の旅


令 和 2 年 ( 2 0 2 0 年 ) 8 月 1 0 日 ( 山 の 日 )

午 前 4 時 4 5 分

横 浜 市 南 区

京 急 井 土 ヶ 谷 駅



コロナ禍の中、東京23区を避けて横浜入りした私。
帰りもなるべく東京を避けて、本拠地の柏へと戻らなければなりません。



それならば、青春18きっぷを手にして・・・西へ。
ついでに城にも寄っていきたい。
しかし本日中に、柏に戻らなければならない。

18きっぷの限界ギリギリの、柏へ帰る旅がここに始まります。




まずは京浜急行・井土ヶ谷駅
5時13分発 エアポート急行羽田空港行きに乗車。



5時20分、横浜駅到着。
ここでJRにお乗り換え。


普通に柏に帰るなら東京方面の電車に乗ればいいのですが、今回は東京を避けるので・・・



反対方向の電車に乗ることとなります。
5時48分発 東海道線 普通電車 沼津行き・・・これで一気に静岡県へ。



沼津駅までは乗らず、ひとつ前の三島駅で降ります。



今度の電車は、7時29分発 東海道線 普通電車 静岡行きです。
この電車は三島駅が始発となるので、沼津まで乗り続けなかったというわけです。


7時53分に富士駅を発った電車は、



「日本三急流」のひとつ・富士川を渡ります。今日はいい天気だ・・・。
美しいアーチを描いている橋は、鉄橋でも道路橋でもなく、水道管が通る水道橋なのだそうです。
よーく見ると、水道橋の奥に東海道新幹線富士川橋梁がありますね。



8時28分、終点の静岡駅に到着。



次の電車は、8時30分発 東海道線 普通電車 浜松行きです。
乗換時間はわずか2分ですが、ホームの向かいなので問題なしです。
まぁ、駅名標などを撮る時間がギリギリとなってしまうのは、こういう旅日記を記述している身としては困るのですが。


静岡から7駅目の島田駅を発ち、



8時59分、江戸時代には橋を架けられることを禁じられていた大井川を渡河。



9時35分、「暴れ天竜」と称される天竜川を渡河。
9時41分、終点の浜松駅に到着しました。




発車標がはっきり写っていませんが・・・今度の電車は9時43分発 東海道線 特別快速 大垣行きです。
またしても2分乗換、そのため浜松駅の駅名標を撮る時間はありませんでした。



浜松から2駅の舞阪駅を過ぎると、いよいよ浜名湖が見えてきます。



晴天の浜名湖です!
すっきりと晴れ渡る浜名湖を見たのは、おそらく初めてだと思います。
城攻め旅で東海道線を何度も往復していますが、たいていは夜だったり、あるいは天候に恵まれなかった浜名湖。
東海道線は浜名湖を3度渡りますが、その最初の鉄橋・第一浜名橋梁から進行方向左側を眺めています。



すぐ脇に国道301号弁天大橋が架かっています。
その隣りには、弁天橋
そして向こうには、遠州灘への河口に架かる浜名大橋が見えます。



鉄橋を渡ると、浜名湖に浮かぶ弁天島に続きます。
東海道線はここで弁天島駅に停車してから、



第二浜名橋梁、そして・・・



3番目の鉄橋・第三浜名橋梁へ。
今回も脇には国道301号が一緒です。
また反対側には東海道新幹線が並走しています。



9時57分、浜名湖を通過。
晴天の浜名湖で、思いのほか盛り上がってしまいました。



岡崎駅を出て、10時44分、矢作川を渡ります。


11時12分、



名古屋駅に到着しました。




午 前 1 1 時 1 3 分

名 古 屋 駅 7 番 線 ホ ー ム




やってきました、名古屋駅
ここから中央線完全走破の旅が始まります。
東京から名古屋ではなく、名古屋からスタートして東京に戻ってまいります。



中央線完全走破の旅・最初の電車は、11時24分発 快速電車 中津川行きです。
愛知県の北東部を抜け、岐阜県の東部・東濃地方へ。
長野県の一歩手前まで、一気に駆け抜ける電車に乗り込みます。



その前に・・・



ワンコインメニュー、きしめん(500円)をいただきます。



きしめん、うまい!
発車時刻まで10分足らずだったので、なかなか出てこないきしめんにヤキモキしながらも、しっかりと昼食をとることができました。



進行方向左側の座席を確保できました。
JR東海さんの電車は、座席がゆったりしていていいですねぇ~。
の方の電車なんてロングシートばっかりで、こんな座席はグリーン車か特急じゃないとお目にかかれませんからね。
でも静岡県内の東海道線は・・・きついなぁ。



11時24分、快速電車は定刻どおりに発車しました。

快速電車の停車駅は、金山、鶴舞、千種(ちぐさ)大曽根(おおぞね)勝川(かちがわ)、春日井、高蔵寺、多治見と、多治見からの各駅です。
どこぞの先生には鬼門である尾頭橋(おとうばし)は名古屋駅と金山駅の間にあって、東海道線は普通電車のみ停車しますが、中央線は普通電車も通過します。

「ニッポン城めぐり」の未踏地帯に入りましたので、ここから入念に「城攻め」していきます。



鶴舞駅にて、この日最初の城・末森城を攻略。
末森城は織田信長の父・信秀により築城され、信秀没後は信長の弟・信勝(信行)に譲られました。
信勝は後継をめぐって信長と争いますが、敗北。
ふたたび謀反を企てたため、信勝は信長によって謀殺されてしまい、そのまま末森城は廃城となったようです。



大曽根駅では守山城を攻略し、



この日最初の浪人ふたりを発見。
信長と争って身を滅ぼした織田信勝・・・「ニッポン城めぐり」では信行となっているようですね。
信長に助命され、その有力な部将となった信勝の子・信澄
ふたりともこの場で登用しました。

春日井駅停車中に、



「米五郎左」丹羽長秀
同時に発見した信長の三男・信孝も登用しました。



高蔵寺駅を過ぎると、車窓から建物が減っていきます。
高蔵寺の次の停車駅は、岐阜県の多治見駅
愛知県と岐阜県の県境に近づいていくと、右側の車窓には庄内川(岐阜県では土岐川)の景色が広がってきました。

中央線の車窓、最初の見どころである古虎(ここ)
進行方向左側に座ってしまった私は、古虎渓をほとんど見ることができませんでした。

ちょっとした悔いを残し、電車は岐阜県に入ります。




岐阜県に入って最初の停車駅・多治見駅
多治見を代表する岐阜県の東濃地方は、本邦有数の酷暑地帯であります。
この日の多治見市の最高気温は、38.6℃だったようです。
石垣山城のとき以上の酷暑で、私はこれから寄り道をしようとしています。

多治見駅から先は、終点まで各駅停車となります。




多治見の次の駅、土岐市駅
このあたりは明智光秀公の出身地とされています。






電車は着実に山々の方へと向かっています。
晴れ渡る蒼天・・・外は暑そうだなぁ。



川のせせらぎが、ひとときの癒しにもなります。



終点・中津川駅の2駅前の恵那駅
日本100名城の岩村城【国指定史跡】へは、ここで明知鉄道明知線にお乗り換えしますが、この日は通過。
「城攻め」だけはしておきましょ。



ああっ! 続日本100名城・第142番、苗木城・・・。
10km以上離れているはずの苗木城が、こんなところで攻略できてしまうとは・・・。
登城予定の城は現地で攻略する主義の私にとっては、ちょっぴり複雑な心境でした。





電車は木曽川の支流・中津川を渡り、



12時39分、終点・中津川駅に到着。
これより苗木城【国指定史跡】へと向かいます。



【今回の鉄道乗車記録】

KEIKYU 京急電鉄 (KK42)井土ヶ谷駅 2番線 5時13分発
(KK)京急線 エアポート急行 羽田空港行き 8両
(KK37)横浜駅 2番線 5時20分着

JR東日本 [JT05] YHM 横浜駅 6番線 5時48分発
[JT]東海道線 普通 沼津行き 10両
JR東海 [CA02]三島駅 2番線 7時21分着

[CA02]三島駅 4番線 7時29分発
[CA]東海道線 普通 静岡行き 5両
[CA17]静岡駅 2番線 8時28分着

[CA17]静岡駅 3番線 8時30分発
[CA]東海道線 普通 浜松行き 6両
[CA34]浜松駅 4番線 9時41分着

[CA34]浜松駅 3番線 9時43分発
[CA]東海道線 特別快速 大垣行き 6両
[CA68]名古屋駅 6番線 11時12分着

[CF00]名古屋駅 7番線 11時24分発
[CF]中央線 快速 中津川行き 6両
[CF19]中津川駅 1番線 12時39分着

*所要時間 7時間26分 (移動時間 6時間34分 乗換時間 52分)
*移動距離 422.6km
*運賃 京急 IC運賃 157円
    JR  青春18きっぷ使用(使用しない場合、6,930円)



【今回の「城攻め」成果】

[CF]中央線
(11時24分 [CF00]名古屋駅発車)
11時30分 [CF02]鶴舞駅   末森城を攻略。
11時36分 [CF04]大曽根駅  守山城を攻略、織田信澄織田信行を登用。
11時44分 [CF07]春日井駅  上条城を攻略、丹羽長秀織田信孝を登用。
11時47分 [CF08]神領駅   入尾城を攻略、毛利良勝を登用。
12時00分 [CF12]多治見駅  多治見国長邸【岐阜県指定史跡】、根本城妻木城【岐阜県指定史跡】を攻略。
12時05分 [CF13]土岐市駅  鶴ヶ城【岐阜県指定史跡】を攻略。
12時11分 [CF14]瑞浪駅   小里(おり)【岐阜県指定史跡】を攻略。
12時27分 [CF17]恵那駅   苗木城【国指定史跡】と大博士城を攻略。
(12時39分 [CF19]中津川駅到着)