鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

東海道線でひたすら西へ

2015-04-22 | 鉄道の旅


2 0 1 5 年 3 月 1 9 日 ( 木 )

午 前 5 時 5 1 分

横 浜 市 戸 塚 区

J R 戸 塚 駅



ブルーラインからJR線への改札を通り、18きっぷを酷使する旅がはじまります。



戸塚駅の発車標は、4日前に開業した上野東京ラインに合わせて、フルカラーLEDのものが新調されていました。
フルカラーLEDのとなりにたたずむ湘南新宿ラインの2色LEDの発車標が、なんともばつの悪そうな感じ。



戸塚駅からは、5時58分発の東海道線・沼津行きに乗車。
西方への旅がここに幕を開けます。




午 前 5 時 5 8 分

J R 戸 塚 駅 を 発 車


東海道線は朝の早い時間でも10両編成。
ただ沿線住民にとっては「短い10両」ですね。



18きっぷに最初のスタンプ。もちろん「JR東日本・戸塚駅」とあります。



ながらの指定席券は温存。

これらのきっぷを撮影したのは、戸塚駅に着く前の段階だったのですが・・・
このきっぷを撮影しておいたことが、のちのちおおいに役に立つとは、このときは知る由もありませんでした。




6時20分ごろ、平塚駅へ。
流れる曲は、季節外れの「たなばたさま」




6時35分ごろ、国府津こうづ
隣に停まっているのは、御殿場線経由の沼津行き電車のようです。



私が乗っている東海道線の沼津行きと、御殿場線の沼津行きが、ほぼ同時に出発。
御殿場線は箱根の向こう側へと消えていきました。


小田原駅を過ぎたあたり。



山肌に立ち並ぶみかんの樹木、順調に生育しているみかんの果実・・・のつもり。


7時10分ごろ、熱海駅に到着。



新幹線も停まる重要駅。
ここから西はJR東海の管区となります。
そうそう、国府津駅で分かれる御殿場線もJR東海の管区でしたね。


7時25分ごろ、熱海駅から函南かんなみ、そして三島駅へ。



三島駅も新幹線が停まります。熱海から在来線でたったの2駅ですが。
100名城では、伊豆山中城へ登城するさいの最寄駅です。


7時27分、最初の電車の終点・沼津駅へ。
いよいよ首都圏を離れ、鉄道事情も変わってきます。




午 前 7 時 3 1 分

静 岡 県 沼 津 市

J R 沼 津 駅 を 発 つ


 

沼津駅の3番線に到着し、次の電車・静岡行きはとなりの2番線から7時31分発。
乗換時間は余裕がありますが、車両数は半減の5両
18きっぷユーザー間で巻き起こるという、座席をめぐる争いがはじまります。

私は駅名標やら発車標やらを撮っていたため、この電車はお立ちのままスタート。



おお、この電車にはトイレがついているぅ~(#^.^#)
静岡県内の東海道線といえば、トイレのない通勤型のロングシートの車両で、延々と3時間の各駅停車に乗せられるという、なかなかの苦行区間だったのです。
わが同好会の大阪遠征でも、トイレのない電車に苦しめられました。
こういう過去があるので、このトイレ付車両は私にとって感慨深いのです。


電車は順調に西へ。
私もこの電車のトイレで小さな用を足し、8時29分、静岡駅へ。




午 前 8 時 3 0 分

J R 静 岡 駅 を 出 発


静岡駅ではなんと乗換時間1分! これではなす術がありません。
なにも撮ることができず、早々に浜松行きの電車に乗り込みます。




午 前 9 時 4 2 分

J R 浜 松 駅 に 到 着


静岡から浜松まで、ほぼ寝てました~。

 

浜松駅でも、乗換時間はたったの2分。でもなんとか駅名標と発車標を押さえました。
次の電車は、18きっぷユーザーの救世主というべき新快速です。

豊橋駅までは各駅停車なんですけどね。

浜松駅から2駅、弁天島駅を過ぎると、車窓に浜名湖が現れます。
しかし外は雨。

 

 

車窓を撮影するスキルも未熟なため、このとおりの画しかありません。。。



そういえば外は雨。
天気予報でも、近畿地方は雨だと報じていました。
ですが荷物を最小限にしたい私は、このとき一切の雨具を持っていませんでした。

本日の最初の目的地は、安土。
かつて12月下旬に一度訪れたことがありましたが、駅周辺には雨具を売っているような店はなかったはず。

なんとしても雨具を手に入れておかねば…!



豊橋駅を過ぎると、いよいよ新快速が真価を発揮します。

(豊橋駅は駅名標なし・・・)

豊橋駅の次は、4駅飛ばして蒲郡駅

(駅名標なし・・・)


そういえば電車の中吊り広告にボートレース蒲郡のものがありました。キャッチフレーズは・・・

 「『1-2-6. キミの誕生日に賭けたよ』
  なんて口説き方もできる。
  ボートレース蒲郡のスペシャルエリアです。」


これを当てはめてみると、

 「7-2-3」・・・ボートは6艇までだからできない。
 「1-2-0」・・・「0号艇」なんて存在しないからできない。
 「1-1-1-2」・・・ボートレースには3連複までしかないからできない。

というわけで、「キミの誕生日では一生ボートレースでは勝てない」「そもそも賭けられない」ことになります。


ボートレース蒲郡の最寄駅である蒲郡を通過した新快速は、



岡崎駅に停車。今度は駅名標を撮れました。この間の通過駅は4駅。



岡崎の次は安城。途中の西岡崎は通過。ここは1駅飛ばし。



安城の次は刈谷です。途中の三河安城東刈谷野田新町は通過。
新幹線の停まる三河安城をすっ飛ばすとは・・・こだましか停まらない駅には用はないってか??



刈谷の次は、1駅飛ばして大府です。
「JR武豊線」・・・タケ・ユタカ線ではなくタケトヨ線の乗換駅です。

大府の次は、5駅飛ばして金山

(駅名標はなし)

JR中央線などの乗換駅で、名古屋市内では交通の要衝ともなる重要駅です。
そして・・・



名古屋駅に到着。しかしこの電車は、その先の大垣行きで、停車時間はそれほど長くありません。
雨具を買ってくる余裕などはなし。


名古屋の次は、2駅飛ばして尾張一宮ですが、その途中の清洲駅付近には清洲城があります。
東海道線は清洲城の城域を貫くかたちで通っています。


清洲城は、織田信長が10年ほど居城とした城で、桶狭間の戦いの際はここから出撃しています。
また徳川家康との清洲同盟が結ばれた地でもあります。

信長が本能寺の変で斃れた後は、織田の重臣が旧領を分割する清洲会議が開かれました。
のち豊臣秀吉子飼いの部下・福島正則が城主となり、秀吉死後の関ヶ原の戦いでは東軍の出撃拠点となり、長い間「歴史の転換点」となった城です。





ぬうう、ちょうどいいところに「日大印刷」が!



ぐぬぬぬぬ・・・今度は上り電車か。車窓風景の撮影は難しいのぅ。


尾張一宮駅の次は、木曽川駅を通過して岐阜駅です。
(尾張一宮の駅名標はありません・・・)



岐阜駅から見える小高い山は、金華山



金華山の頂には、「美濃のマムシ」斉藤道三や「尾張の大うつけ」織田信長の居城であった岐阜城が・・・よく見えませんなぁ。


岐阜駅から先は、終点大垣まで(あと3駅ですが)各駅停車。




午 前 1 1 時 4 6 分

岐 阜 県 大 垣 市

J R 大 垣 駅 に 到 着


青春18きっぷユーザーにはおなじみ、大垣駅に到着です。
次の電車の発車時刻まで約25分あるので、ここで食事をしたいところ。

 

外では雨が降りしきっています。
スムーズな乗り継ぎと、街の規模からして、雨具を購入するのは大垣をおいてほかにはありません。
雨具がないので外には出られません。駅ビル・アクアウォーク大垣の中を歩き回って、手ごろな傘を探します。

お、100均があった。しかし置いてあるのはチープなビニール傘だけ。
手荷物は増やしたくないので、なるべくならコンパクトな折り畳み傘が欲しいところ。

さらにアクアウォーク内を歩き回ったところ、折り畳み傘があるにはありました・・・婦人服売り場で。
アパレル大手・ワールド系列の「SHOO・LA・ROO」アクアウォーク大垣店。
明らかにかわいい傘しか置いてない・・・店員さんも目がぱっちりしてかわいい人でしたが。

背に腹は代えられぬと思い、そのいとしげなる店員さんに話しかけます。
「すいません、この中で一番可愛くない傘はどれですか」
かわいい店員さんと一緒になって選んだ傘がこちら。



ペンケースに見えますが、折り畳み傘(2,500円)です。
白と青のストライプに、縁取りはピンクと、30過ぎの男が使っていても違和感のなさそうな傘をチョイスしました。



大垣駅で食事をしたかったのですが、大垣駅にはそば屋がありませんでした。
列車旅では駅そば屋でしか食事をしないというこだわりがある私は、アクアウォーク内にある並み居る飲食店を拒否して、そのまま電車に乗り込みます。


今度の電車は、12時12分発、普通電車米原行きです。
東海道線最大の難所である関ヶ原を越えていきます。



関ヶ原駅のホームには、このとおり関ヶ原古戦場の案内看板が立っています。

東軍の参戦武将・・・関東・江戸城主(240万石)徳川家康(推定兵数30,000)、上野・箕輪城主(12万石)井伊直政(推定兵数3,000)、・・・美濃・岩手城主(6千石)竹中重門(推定兵数200)
西軍の参戦武将・・・近江・佐和山城主(19万4千石)石田三成(推定兵数6,000)、肥後・宇土城主(20万石)小西行長(推定兵数4,000)、備前・備中岡山城主(57万4千石)宇喜多秀家(推定兵数18,000)、筑前・名島城主(52万2千石)小早川秀秋(推定兵数13,000)、美濃・垂井城主(1万2千石)平塚為広(推定兵数400)

ほかに有力な武将がいるにもかかわらずなぜこの二人が?
竹中重門しげかどは西軍の首魁の一人・小西行長を捕らえているからまだしも、(だったら石田三成を捕らえ、石高もずっと上の田中吉政がいないのはなぜ?)西軍の平塚為広があえてピックアップされているのは・・・おそらく地元・美濃の城主だったからでしょうか。
それにしても小早川秀秋は西軍全体で2番目の兵力・・・やはり彼の寝返りは大きかったようです。


雨雲覆う山間部を越えると、岐阜県から滋賀県へ。




午 後 1 2 時 4 6 分

滋 賀 県 米 原 市

J R 米 原 駅 に 到 着




米原駅からはJR西日本の管区に入ります。
電車の乗り場は「●番線」から「●番のりば」へ。
さらに駅の放送は「黄色い点字ブロックの内側にお下がりください」とわざわざのたまいます。

さて米原駅での乗り換えは、先に急ぐなら新快速電車が4分後に出ることになっていましたが、新快速は目的地の安土を飛ばしてしまいます。
そこで14分後に発車する普通電車に乗ることにします。

そしてこの14分間を使って食事。
事前の情報で、米原駅のホームには立ち食いそば屋があることを把握していました。
そば屋があったのは遠くのホーム・7番8番のりば。



米原の駅弁を製作する「井筒屋」が運営する立ち食いそば屋。期待できそうですねぇ~。

ここからは関西エリアに突入です。
となれば、私がいただくのはそばではなくうどんです。
これより怒涛のうどん食祭りがスタート。

その最初を飾る「井筒屋」の天ぷらうどん(500円)。
あまり時間がないのでパッパッと作ってほしかったのですが、少しゆっくりですねぇ。
まぁよい。うどんがうまけりゃ文句はない・・・と思った矢先、

天ぷらを袋から出して載せた!
その天ぷらが、明らかに大量生産されて作られたであろうシロモノ
どん兵衛の後のせサクサクうどんじゃねぇんだから。



この旅最初のうどんは、なんとも評し難いものでした。



さて気を取り直して、13時ちょうど発の普通電車に乗ります。



JR西日本管区の東海道線は、区間ごとに愛称がついています。
米原~京都は「琵琶湖線」、京都~大阪は「京都線」、大阪~神戸~姫路は「神戸線」


米原の次、彦根駅付近。
車窓をぼけ~っとながめていると、「石田三成修行の寺」という立て看板が見えた。
ほうほう、あれが「三献茶」の舞台となった寺だな~と思っていたその時。

「佐和山城跡」



ああっ! またシャッターチャンスを逃してしまった。
佐和山城石田三成の居城であり、「三成に過ぎたるもの」と称されるほどの豪壮な天守を誇ったといいます。
異説として、三成は善政を敷いて余計なものに金をかけなかったため、壁は粗壁で金目のものなどない質素な造りの城であったとも言います。





13時23分、最初の目的地・安土駅に到着しました。



【今回の乗車記録】

JR東日本 [JT06]戸塚駅 3番線 5時58分発
[JT]東海道線 普通 沼津行き 10両
JR東海 沼津駅 3番線 7時27分着

沼津駅 2番線 7時31分発
東海道線 普通 静岡行き 5両
静岡駅 4番線 8時29分着

静岡駅 3番線 8時30分発
東海道線 普通 浜松行き 3両
浜松駅 4番線 9時42分着

浜松駅 3番線 9時44分発
東海道線 新快速 大垣行き 6両
大垣駅 1番線 11時46分着

大垣駅 1番線 12時12分発
東海道線 普通 米原行き 4両
JR西日本 米原駅 2番線 12時46分着

米原駅 3番線 13時00分発
[A]琵琶湖線(東海道線) 普通 姫路行き 8両
安土駅 3番線 13時23分着

*所要時間 7時間25分(乗車時間 6時間48分)
*移動距離 429.9km  *運賃 18きっぷ使用(不使用の場合は7,340円)





今回の目的地

2015-04-17 | 旅立ち


2 0 1 5 年 3 月 1 9 日 ( 木 )

午 前 5 時 4 9 分

横 浜 市 戸 塚 区

横 浜 市 営 地 下 鉄 ブ ル ー ラ イ ン ・ 戸 塚 駅



朝早くから、横浜。
前日はよね先生のお宅に泊めていただいて、スタート地点はJR戸塚駅。


今回の手荷物は、かばん2個。それと、



今回も青春18きっぷ。



ムーンライトながらの指定席券、片道だけ
今回の目的地は西日本だな・・・という予想がつきます。
それともう一枚の指定席券。



これで目的地はおわかりになったかと思います。



旅のスタートとくれば、今回もこの曲。






「この店でもっとも可愛くない傘をください」



「この城に来るといっつも天気にヤラれるねぇ」



「姑息な手段がかえって仇になったのかねぇ?」



『鍵を返していただきたいのですが・・・』



「後楽園でたき火でもやってるかねぇ?」



「やぁやぁ魔神、藤村忠寿・・・」



「瀬戸大橋、それ魅力!」



「どこ探しても『丸亀製麺』はないねぇ」



「このホテルはアクが強いねぇ」



「謎のまち 臼杵」



「伊予西条行き 13時34分」



「なんでこんなに必死になって城を巡らなきゃなんないの?」



「鳴り止まぬ『山田家』コール」



「ご当地キティのコンプリートは想像を絶する苦行だねぇ」



「あと3日、あと3日・・・」



「この街はやべぇぞ!」



「えらいテンションの高い石碑だわ、こりゃ」



「汚い、汚いぞ、江崎グリコ!」



「これが噂の『スーパー玉出』!!」



「寝られないんだよ・・・」


日本100名城の旅・第14弾「はじめての四国」







「四国が『地獄』に聞こえてくるよ・・・」



午前5時51分、地上へと上がり、JR戸塚駅の改札を通過。
いよいよ地獄・・・じゃなくて四国への旅がはじまります。





江戸城・千鳥ヶ淵で花見

2015-04-11 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 5 年 4 月 2 日 ( 木 )

午 後 2 時 5 8 分

東 京 都 千 代 田 区

東 京 メ ト ロ 九 段 下 駅



2015年4月。
季節は移ろい、天気は変わりやすい春の候。

この日振休となった私は、花見を思い立ち、東葉高速線&東西線に乗って九段下へ向かったのでした。

週間天気によれば、次の日からは雨が続くということでした。
今年の花見は、この日を置いてほかにはない。



そして九段下の駅から地上へ出て、九段下交差点の角にある昭和館。



此岸の桜、お濠を隔てて対岸の桜、そして日本武道館の光るタマネギ。



この日は桜が満開で、花びらはあまり散っていなかったので、お濠に浮かぶピンクのじゅうたんもやや小さめでした。



昭和館から靖国通りを歩いて、日本武道館の入口・田安門【国指定重要文化財】へ。





田安門二の門と、千鳥ヶ淵の桜。
うっすらと浮かぶピンクのじゅうたんがまた至高です。



せっかくなので、今年最初の靖国神社参拝へ。

大鳥居からの参道は、露店でぎっしり。大村益次郎像までずら~っと続きます。
私は参道に出ている露店の誘惑を跳ねのけ続け、跳ねのけ・・・られず、五平餅(300円)を食べてしまいます。

さらに靖国神社の売店で・・・



さくらソフトクリーム(250円)を購入。さっそく外に出て食べようとしたら・・・



あ゛あ゛っ!!
デジカメにソフトクリームを収めようとして、クリームが付け根からボトッと落ちてしまいました。
そして、このフォントくらい大きなリアクションをしてしまい、衆目を浴びるハメに。

あまりにもくやしかったので、ソフトクリームを再購入。
あらかじめ売店の人に落としたことを伝えていたので、無償で新しいクリームをいただけました。

落ちたクリームは、売店の方がお掃除されていました。ホントにすみません。。。



靖国の英霊を詣でて午後4時前、遊就館にも足を運びます。
ただし閉館時刻が4時30分だというので、奥には入らずエントランスホールのみ見学。



零式艦上戦闘機(通称「零戦」)の52型が復元されています。
「ゼロ」とは、この戦闘機が海軍に制式採用されたのが皇紀2600年(昭和15年)だったので、皇紀の下2桁にちなんで命名されました。







零戦をじっくり見入って、ふたたび外へ。





靖国神社の桜もまた、美しい。



靖国神社を出てからは、千鳥ヶ淵緑道を歩きました。







平日の午後5時前だというのに、人出があまりにも多かったので、あまり深くは立ち入らずに後にしました。



日本100名城の旅番外編「江戸城・千鳥ヶ淵で花見」 完


第64回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記

2015-04-07 | 鬼ヅモ同好会


自 2 0 1 4 年 1 2 月 2 6 日

至 2 0 1 5 年 元 日

第 6 4 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会



毎年恒例の年末大会、ザ・トシ忘れが開かれ、会員こぞって横浜のよね先生宅へ集結したのでした。

私も勤務をそそくさと終わらせ、一目散に横浜へと急行したのですが・・・
今回も一筋縄ではいかない、さまざまな出来事が私を襲ったのです。




第 1 日 目

京 急 上 大 岡 駅 に て


大会で横浜に向かう際には、品川で京急に乗り換える私。
乗るのはもちろん快特電車。
時速130kmの赤い電車が並み居るJRの電車群を追い抜いていくのを、人知れず悦に入るのが密かな楽しみなのです。

この日もわざわざ品川で快特電車に乗り、ゆずの「夏色」の流れる上大岡駅まで着いたので、よね先生に電話しようとしたところ・・・

携帯がない!!

この日私は横浜へと急ぐあまり、携帯を職場のロッカーに忘れてきたようなのです。
はぁ~・・・職場の面々には何度も「よいお年を~」なんて言ってきたのに・・・。




第 4 日 目

J R 横 浜 駅


早朝の横浜駅。
目的はもちろん、行きたくもねぇ職場に向かうためにいます。

駅のキオスクで「横濱ミルフィユ」を買って手土産とし、いざ携帯奪還へ。




さ ら に 第 4 日 目

大 会 会 場


携帯を奪還し、ホントの「よいお年を~」宣言をしたところへ、急ぎ大会会場へ。

この日は調子よく手が入って、ついには、



自身2度目の役満となる四暗刻を自摸あがり。



いちおう裏ドラと槓裏ドラを確認して・・・やっぱり四暗刻を自摸あがり。




最 終 日

年 越 し そ ば


毎年恒例、「太田屋」さんで年越しそばをいただきます。



今年は原点に立ち返って、もりそばをいただきました。
というよりも、毎年年越しそばはもりそばになっている気がします。




以上、第64回大会の顛末記でした。



結果は・・・公式ホームページをご覧ください(T_T)




日 付 不 詳

大 会 会 場


何日目かは忘れてしまいましたが、たわいもない話をしながら麻雀をしていたときのこと。

「みんなは実家に帰るの?」
「だったらドライブ行きましょうよ」
「初詣なんていいんじゃない」
「だったら●●●●へ行きましょうよ」



新年最初の目的地が決まった瞬間でした。
(ここは完全な内輪ネタなので、鬼ヅモ会員以外の方はご覧になれません。すみませんねぇ)





天長節・一般参賀

2015-04-07 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 4 年 1 2 月 2 3 日 ( 天 皇 誕 生 日 )

午 前 1 0 時 5 6 分

J R 東 京 駅 丸 の 内 北 口



この日は天長節(天皇誕生日)。
天皇陛下のお誕生日を祝して、皇居内の宮殿前広場にて一般参賀が行われます。


この日は、鬼ヅモ同好会副会長・たか先生と一緒。
私は前日に大宮の先生宅に宿泊。
そして翌朝、なんとなくダラダラして出発時刻が遅れ、東京駅に着いたのは午前11時前になっていました。


一般参賀は、皇居の中で行われます。
普段は予約しないと入れない二重橋の向こう側に、天長節の一般参賀と、新年1月2日の一般参賀のときだけは予約なしで入ることができます。

ただし天長節の一般参賀では、皇居正門の閉門時刻が午前11時20分となっています。
この時刻を過ぎると、天皇陛下に謁見することができません。
当然、天皇陛下のお言葉もいただくことはできません。
祝賀の記帳をすることはできるのですが、その場所は坂下門付近となり、皇居内の移動範囲が狭まってしまうことにもなります。


皇居正門の閉門時刻まで20分ほどということで、さすがに私も、たか先生も口々に、
「もっと早く出ればよかった」
と言いつつ、速足で歩きます。


日比谷通りから行幸通りへと入ると、



反社会的人物に備え、護送車がスタンバイしています。


人の列は皇居外苑付近から始まる長蛇の列。
ああ、これは閉門時刻に間に合うのか??

人待ち列の脇では、ボランティアの小学生が日章旗を配っていました。
「意識高い系」の学生ずれがやっているものよりもずっと殊勝な高尚なボランティアです。
私とたか先生は丁寧に「ありがとうございます」とお礼を申し上げたのでした。

皇居へ向かう人の群れは、ゆっくりながらも着実に進みます。
警視庁からの交通整理員によって人列は制御され、立ち止まることが許されない状況。



こんな状況下でも、晴天に映える桜田櫓【復元】をスルーすることはできません。
なんとかデジカメさんにその姿を収めます。



桜田櫓から水濠を隔てた上方にそびえるのは富士見櫓【現存】。
普段はチラ見程度しか見られないのですが、皇居に入れるこの日だけはたっぷりとお姿を拝むことができるのです。


そうこうしているうちに、皇居前広場に到着。
ここで警視庁による荷物チェック&ボディチェックが行われます。
そういえば桜田門は警視庁のおひざ元でしたね。



こんな日に限ってカバンを2つも持ってきてしまった!
ああっ、カバンの中にカッターナイフが入ってる・・・。


職場で使ったカッターナイフをそのままカバンに入れてきてしまったようです。
そしてそのままたか先生宅に宿泊してしまったのでした。

皇居に入る人の列は、荷物を持つ人とそうでない人とに振り分けられます。
荷物持ちの人のほうが当然時間がかかります。
荷物はコインロッカーにでも預けたほうが無難でしょう。


―――荷物チェック―――ボディチェック―――


心配していた荷物チェックは問題なく通過。
ボディチェックは意外にも女性の警官が行いました。もっとさわっていいんだよ~?

なんて思っていたら、小柄な女性警官が野太い声で人列整理をしていました。
こういう職業の人って、剣道の先生みたいなしゃべり方になってしまうのでしょうか。

まえぇ~ あとぉ~ 右斜めまえぇ~




午 前 1 1 時 3 6 分

皇 居 正 門 前


ボディチェックが終わって皇居正門前に到達。
その時刻はなんと閉門の4分前

なんというギリギリの時刻でしょうか。
思えば東京駅丸の内北口前の信号を強行突破気味に通過したことが功を奏したようです。

・・・だったらもっと早く大宮を出ろよと。

それはともかく、



いつもは固く閉じられ、皇宮警察職員によって守られている皇居正門が開いています。



皇居正門前にかかる正門石橋を渡っています。普段は渡ることができません。
正門石橋から見えるのは正門鉄橋と伏見櫓です。

ちなみに二重橋とはこの正門鉄橋のことを言います。
江戸時代、皇居がまだ江戸城であったころは、ここには木製の橋がかかっていました。
橋からお濠までがあまりにも深かったため、低い橋をかけ、その上にもう一本橋をかけて通行できるようにした二重の橋だったのです。




午 前 1 1 時 4 0 分

つ い に 皇 居 の 中 へ


日本人として生を受けて35年、ついに皇居に入りました!

皇居正門からは、いささか急な坂道とともに180度曲がる急カーブを経て、本当の二重橋に差しかかります。



皇居前広場の正門石橋からはチラ見程度しか見えない伏見櫓【現存】をじっくりと拝むことができます。

ほかにも、正門鉄橋から正門石橋を眺めるなど、普段ではできない貴重な体験が続きます。



正門鉄橋の先にある宮殿東庭門をくぐると、いよいよ天皇陛下がお出ましになる宮殿前広場です。


先に進んでいた参加者たちが、天皇陛下のお出ましを待っています。
手には、おそらく小学生のボランティアが配っていた紙製の日章旗。
自前の大きな日章旗を持ってきた人もいました。




午 前 1 1 時 4 5 分

天 皇 陛 下 お 出 ま し


皇居長和殿のテラスに、天皇・皇后両陛下、皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻、眞子内親王がお出ましになりました。



歓声とともに乱舞するかのごとき日章旗。

静粛の後に天皇陛下がお言葉を述べられました。

お言葉が終わるとふたたび日章旗は乱舞。
そして「天皇陛下、万歳!」の歓声が・・・みんな言っているわけではないようです。
たぶん半々ぐらいだった印象です。



皇族の皆様方が立っておられたテラス。



天皇陛下がお言葉を述べられた際のマイク。



長和殿の脇に立っているこのオブジェは、「松の塔」というものらしいです。



しばらく宮殿前広場にたたずんだあとで、皇居からの退出口へ。



皇居二の丸方面へ下る坂道から、とてもよく見える富士見櫓【現存】。
江戸城で唯一現存する三階櫓で、江戸城の天守が再建されなくなってからは、この富士見櫓が事実上の天守となっていました。

江戸城の天守が再建されなくなったことにより、将軍の臣下である大名が居城を修復、改築した際には、
「将軍家のお膝元である江戸城に天守閣がないのに、ウチの城に天守があっちゃあ気まずいよね・・・そうだ! 見てくれは天守閣だけど『三階櫓』って名前にしちゃおう!」
という城がかなり存在します。
有名なところでは、松平定信の居城であった白河小峰城です。

・・・と、こんな話をたか先生に延々とまくし立てていました。





皇居からの退出門である坂下門です。
この門も普段は固く閉じられています。
ここから出ると皇居前広場の北側に出られます。

しかし坂下門からは退出せず、普段は入れない皇居をもう少し歩きます。



坂下門の近くにあるモダンな建築物は、宮内庁庁舎です。
天皇陛下への祝賀の記帳は、ここに設けられたテントで行います。



坂下門からさらに北のほうへと歩き、富士見櫓に近づいてきました。



櫓の足下に積まれている石垣は、自然石をそのまま積んだ野面積みで、角は見事な「扇の勾配」。
江戸城の普請には各地の大名が動員されていますが(いわゆる「天下普請」)、ここを担当したのは普請の名手・加藤清正だそうです。



進行方向の右手側にある富士見櫓に対して、その反対側にあって人々に見向きもされないのは富士見多聞(たもん)【現存】。
こちらをじっくり見る人はかなりの城好きだと思います。

多聞櫓とは、防衛の役割を果たした長屋のような建物の武器庫です。
「多聞」は大和国にあった多聞山城のことで、城主であった戦国一の梟雄・松永久秀がはじめて建造したことから「多聞櫓」と呼ばれています。

多聞櫓の下側にそびえる石垣がなんとも見事。
(くるわ)を取り巻く石垣は入り組んでいて、石垣を上ってくる敵兵を横から矢で狙撃できる横矢掛かりという仕掛けが組まれています。




皇居二の丸・百人番屋【現存】の前に出ました。
これにて、普段は入れない皇居の散策はおしまいです。




午 後 1 2 時 3 2 分

皇 居 を 出 る


皇居二の丸と本丸を散策し、皇居を出たのは正午過ぎ。
この後は、北の丸を歩いて、靖国神社へ。

靖国神社の参道に立っている銅像が誰だか思い出せなくて・・・
旧名の「村田蔵六」はパッと出てきたのですが・・・
頭の中で悶々と、知識の引出しをかき回して思い出そうとするも、ダメ。

ついに立て看板を見て、大村益次郎だったことを確認しました。
(思い出せなかったのが悔しいので、フォントを大きくしました)

英霊の前で、鬼ヅモ大会の勝利を祈願。



その後は、千鳥ヶ淵の中華料理屋に入って昼食。
歌舞伎町以来の私の引きはこの日も健在でした(T_T)

清澄庭園で散策。
さまざまな巨石が配され「岩の庭園」ともいわれているそうですがたか先生は、
「おんなじ岩ばっかりじゃねぇか」
と暴言。すぐそばに清澄庭園のガイドのじいさんがいました(・.・;)

東京スカイツリー・・・には上らず、とうきょうスカイツリータウンの中にある「うどん本陣山田家」のざるぶっかけうどんを食べてお開きとなりました。



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