鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

やっと皇居1周完歩

2013-06-29 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 3 年 6 月 1 6 日 ( 日 )

午 前 9 時 3 0 分

千 代 田 区 一 番 町

内 堀 通 り ・ 千 鳥 ヶ 淵



皇居1周まで、あと2キロほど。
某麻雀漫画のごとく展開を引っ張って回を重ねてしまったが、今回で皇居を1周するとお約束しよう。



前回は、代官町通りから内堀通りに合流する千鳥ヶ淵交差点で、デジカメさんが不具合を起こしたのだった。
ここは仕方がないので、スマホさんのカメラ機能をフル活用する手法を採ることとした。



これまた広い広い水濠、半蔵濠
半蔵濠の向こうは、天皇陛下がおわす吹上御所で、かつての西の丸だ。

これまで見てきた大手濠、平川濠などとはちがって、こちらは石垣が高く組まれていない。
画像では見づらいが、濠の上部はしっかり石垣が組まれていて、鉢巻石垣という。
正面玄関の大手濠や本丸に近い平川濠で石をガンガン使ったから、本丸には遠い西側では石をケチったようだ。


内堀通りの向かい側は・・・



雨でちょっと元気のないユニオンジャックとともに、イギリス大使館が建っている。


半蔵濠が尽きるところに、半蔵門



半蔵門も警備が厳重で、門正面の写真が撮れなかった。
皇宮警察の威に屈してしまったのだ・・・。

半蔵門もかつては2段構えの枡形門であったが、現在は一の門のみとなっている。
「半蔵」とは、徳川将軍家を支えた影の軍団・伊賀忍者の総帥であった服部半蔵のこと。
服部家の当主は、代々「半蔵」を名乗った。

2代目の半蔵・服部正成は、徳川家康に仕え「徳川16神将」のひとりに数えられた。
1590年に家康が江戸城に移封された際に、服部正成の屋敷がこのあたりに与えられたことから「半蔵門」の名があるとされる。
また一説には、1582年に本能寺の変が起きた際、軍勢をもたず堺を街ブラしていた家康が、伊賀を通って本拠地への逃亡を図った際(神君伊賀越え)、伊賀が地元であった服部正成の助力があり虎口を脱することができたことを賞し、「半蔵門」の名をつけたともいう。

半蔵門から桜田門までは、桜田濠が皇居を隔てる。
半蔵門は、三宅坂の坂上に位置するので、掘りがものすごく深い。



桜田濠も半蔵濠と同様に、石を節約した鉢巻石垣になっている。
なんたってこの掘りの深さだから、斜面をすべて石にしなくても防御力は遜色ない。


半蔵門前から、内堀通りは国道20号となり、三宅坂の下りが桜田門まで続く。
ゴールまで、あと1.5キロほど。


錚々たる国家機関の庁舎が、通りの向こう側に現れる。



司法を志した者が恐れ敬う?司法府の最高機関・最高裁判所


最高裁前で、国道246号・青山通りが合流。



桜田濠の先に、桜田門が見え始めれば、ゴールは残り1キロ弱。


司法府の次は、立法府。



国会議事堂が見え始めたら、ゴールはもう少し!



ゴールの桜田門がはっきり見えてきた!



午 前 9 時 5 9 分

桜 田 門 一 の 門 前

つ い に 皇 居 1 周 完 走



やっと完走。

スタートが8時40分。
ゴールが9時59分、かかった時間は1時間19分。

遅い、あきらかに遅い。
途中のデジカメ故障で15分ほどもたついていたし、写真を撮りまくっていたから・・・
だいたい5キロを1時間で回ったことになるか。

・・・ええ、歩きました。
ちい散歩を少し速く長く歩いた程度でしたよ!


ちい散歩はよかったなぁ~。
若大将のゆうゆう散歩はまったく見る気がしねぇ。



ともかく皇居周回コースは回った。
だが江戸城はあまりにも広大。
まだまだ江戸城の半分も回ったとはいえないだろう。


早朝の天気では雷雨!!だったはずが、皇居を回るという苦行?をなした私を、天は照覧していたのだろうか、雨は弱まっている。



桜田門二の門【国指定重要文化財】の前で一服して、江戸城の登城は続く。



日本100名城登城の旅・第5段「皇居 ランナー ウォーカー」 第6話へ続く。

皇居1周完歩?

2013-06-29 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 3 年 6 月 1 6 日 ( 日 )

午 前 9 時 0 9 分

千 代 田 区 一 ツ 橋

代 官 町 通 り ・ 竹 橋



皇居1周まで、あと3キロ。



内堀通りからいったん離れ、竹橋を渡って代官町通りへ入る。



雨の中咲き誇るあじさい。
背後には、濠ごしの見事な石垣。



上にいくにつれて勾配が急になる「扇の勾配」も見られる。



私が考える江戸城の最大の見どころ、桔橋(はねばし)



深く大きな平川濠
高くそびえ立つ、けた外れの規模を誇る石垣。
関東では大きな石はあまり採れず、佐倉城のような土づくりの城が主流であることから、征夷大将軍の絶大なる権勢をもって西国から大量の石材を運んだのではないだろうか。



そして北桔橋門の先は江戸城の本丸で、すぐ近くに天守があった(現在は天守台のみ残る)ので、きわめて堅固なつくりになったのだと推測できる。
かつては大手門のように城壁に囲まれる二段構えの枡形門であり、現在はない第2の門は渡櫓門であった。
また「はね橋」の名のとおり、橋は内側から跳ね上げができた。

現在は、ここから皇居東御苑(かつての江戸城本丸・二の丸・三の丸)に入ることができる。


代官町通りは、江戸城の北の丸を貫いて通っている。
北桔橋門からは、代官町通りをはさんで北の丸公園へ行くことができる。
北の丸には、日本武道館東京国立近代美術館科学技術館などがある。


北桔橋門からだいたい200メートルほどで、首都高速の入口(代官町ランプ)が見えてくる。
その脇にあるのが・・・



江戸時代にはなかった乾門
かつて坂下門の近くにあった西の丸裏門を移築したものという。

ここは警備が厳しく、近づくこともできない。


代官町ランプの分岐から先は、交通量がぐっと減り閑静な雰囲気に。
しかしこの一帯は、天皇陛下のおわす吹上御所から最も近いため、皇宮警察の職員がいたるところに配置されている。
そのため、ランニングコースとしては治安が非常によく、女性も安心というわけだ。



首都高越しに見えるハイカラな建物は、東京国立近代美術館工芸館【国指定重要文化財】。
近代美術館の別館であり、帝国陸軍近衛師団司令部庁舎を改修したもの。


警察職員の多い吹上御所ぞいの代官町通りを抜け、再び内堀通りにさしかかったとき・・・

デジカメ殿、ご乱心!!

何を写しても映像が白くなる白飛びを起こしてしまう。

・・・ああ、ここまでか・・・。



日本100名城登城の旅・第5段「皇居 ランナー ウォーカー」 第5話へ続く。

皇居を走る?

2013-06-26 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 3 年 6 月 1 6 日 ( 日 )

午 前 8 時 4 0 分

千 代 田 区 大 手 町

皇 居 外 苑 ・ 桜 田 門



ついに皇居を走る!



1周は5キロ。(正確には5キロより20メートルほど少ないらしい)
歩道の路上には、100メートルごとに「都道府県の花」のレリーフがあり、走行距離の目安となる。
走行を妨げる信号機はないので、悠々と走ることができる。
地下鉄駅も随所にあり、途中棄権も可能(^_^;)




工事中の桜田門【国指定重要文化財】からスタート。

桜田門は、江戸城の内堀を守る門のひとつ。
こちらの門は、正式には外桜田門という。

1860年(安政7年)に、この門の近くで桜田門外の変が起きた。
大老・井伊直弼が、水戸藩浪士らに襲撃され落命している。


皇居周回コースは通常桜田門をくぐって行くのだが、工事中のため通行不可。
桜田門には入らず、祝田橋交差点から左折し内堀通りに入る。


桜田門前は、皇居ランナーたちが「ここをキャンプ地とする」と言わんばかりに、荷物を放置しているようだ。
この日は、ボランティアの人々が多く集まっており、なんらかの駅伝が行われていたらしい。
(なんとひどい文章・・・)


私は、早歩き程度のスピードであったため、順調に皇居ランナーに抜かされていく。


内堀通りに入ってしばらくは、お濠と離ればなれ。
スタートから1キロ地点に差しかかると、左側にお濠が見えてくる。



桜田二重櫓【現存】は、二の丸の一角に配置された隅櫓で、その方位から(たつみ)櫓ともいう。
(巽=辰己=東南。十二支の「子」が北となる)



櫓を隔てる水濠は、桔梗濠と呼ばれる。



なお、この隅櫓に限らず皇居内の建造物は、宮内庁が管理しているため、文化財指定がされていない。


桜田二重櫓のすぐ先には、大手門【復元】。



桜田櫓から続いていた桔梗濠は、大手門で途切れる。



大手門からは皇居東御苑(旧江戸城二の丸・本丸)へ入れる。
開門時刻は午前9時のため、この時点では門扉で封鎖されていた。



大手門からは、大手濠が皇居の前に横たわる。

大手門前の濠には、なぜか白鳥が1羽ずつ停泊?している。
この時季は白鳥って北に帰るのではないか?
ということは、こいつらは白鳥のオブジェ??

少し気になって調べてみたら、どうやら本物の白鳥らしい。
コブハクチョウという種で、白鳥の中ではもっともよく見られる。


そろそろおわかりになってきたであろうか。
「皇居ランナー」といいながら、実際は江戸城めぐりになっていることを。
城好きの私が江戸城の遺構をスルーすることなど、どだい無理だったのだ。

目的が、皇居を走ることから100名城登城の旅に変わっていく。

だいいち、こんなにすばらしい櫓や石垣を見もせずに黙々とただただ走るなど、ランナー諸君のなんとももったいないことよ!
・・・と強弁でごまかしてみる(^_^;)




大手濠ぞいをほんの少し走ってみる。


気象庁前の交差点前は、皇居ランナーの休憩ポイントになっている。
ここは東京メトロ・竹橋駅の入口があり、ここでリタイヤも可能。



和気清麻呂公の銅像


奈良時代後期の女帝・称徳天皇は、怪僧・道鏡より自らの病の治療を受けて以来、道鏡を寵愛するようになった。
769年(神護景雲3年)宇佐八幡宮の神官が宇佐八幡神の神託として、道鏡を皇位に就かせれば天下太平になる、と称徳天皇へ奏上する。
一説には、称徳天皇が道鏡の皇位継承を望んでいたともいう。

このとき勅使として宇佐八幡宮に神託を確認するよう遣わされたのが、和気清麻呂であった。
宇佐八幡の神託は、
「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」
というものであり、これをそのまま持ち帰って奏上した。
(宇佐八幡宮神託事件)

これにより道鏡は皇位継承の途を断たれることになった。
称徳天皇は激怒し、清麻呂を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させられ、大隅国(鹿児島県)に流罪とされた。

称徳天皇崩御後、道鏡が失脚すると、清麻呂は名をもとに戻されたうえで流罪を解かれた。
その後は有力な官僚として活躍し、桓武天皇平安京遷都の建議を献じ、新都の建設に尽力した。

後世になると、孝明天皇より神階正一位と「護王大明神」の神号を贈られた。
1898年(明治31年)には、正一位を贈られた。
皇統を守った功績により、楠木正成とならぶ勤皇の忠臣とされ、その銅像は今も皇居を見守っている。



和気公の銅像から少し進んで、平川門【現存】。



平川門は江戸城の裏門にあたり、大奥に最も近いため大奥女中達の出入りする通用門でもあった。
不浄門ともいい、罪人や遺体はここから出されたという。
殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭は、城内の座敷牢に留め置かれた後にお預け先の田村建顕(一関藩主)邸に出されるときも、この平川門からであった。


平川門に入らず、皇居1周コースを進んでいく。



平川門から先も大手濠が続く。
石垣がまったく見事!
平川門は木橋がかかっているため、大手濠とは一本でつながっている。




濠にかかる竹橋を渡り、皇居周回はあと3キロ。
まだまだ続く。







【参考資料】
  ・国民公園協会皇居外苑支部ホームページ http://www.fng.or.jp/koukyo/info/koukyo_miryoku2.html

雨上がりを待って

2013-06-23 | 移動の旅

2 0 1 3 年 6 月 1 6 日 ( 日 )

午 前 5 時 5 5 分

千 代 田 区 大 手 町



容赦のない雨は、まったく止む気配がない。
スマホで天気予報を見ても、千代田区の天気は一日中雨。
しかも午前10時ごろには雷雨と報じている。

多少の雨ならまだ我慢できるが、雷は嫌だ。
ああ、それならもう帰ろうかな~。

でも顔本で「雨が降ろうが走る」と決意表明をした手前、退路はない。

とりあえず雨が弱まるまで待機しよう。



大手町の地下街に入ったが、この時間は店が開いてない。
大手町のようなオフィス街で、会社の休業日の早朝にわざわざ開店するような奇特な店はそうそうない。


待機する場所を探すのに窮して、地下街を歩き回って、東京駅に。


そうだ、電車に乗って時機を待つか。


JR東京駅 総武地下ホーム1番線 6時01分発
  横須賀線 普通 横須賀行き
  武蔵小杉駅 3番線 6時21分着


武蔵小杉駅の横須賀線ホームと南武線ホームとは400メートルも離れている。


JR武蔵小杉駅 2番線 6時32分発
  南武線 各駅停車 立川行き
  立川駅 8番線 7時15分着


夜も明けきらぬ時刻に家を出た私は、すっかり車内で寝てしまう。
いやいや、ここで睡眠時間の調整を図ったまでのこと。

終点の立川駅は、長野やその先の北陸へ遠征するときにお世話になる。


JR立川駅 3番線 7時21分発
  中央線 中央特快 東京行き
  神田駅 5番線 7時58分着


東京のひとつ先、有楽町まで行こうと考えていた。
東京のひとつ前、乗り換えのスムーズな神田で下車。
車窓から見るに、雨は弱まってきている。


JR神田駅 2番線 8時02分発
  山手線 外回り 東京・品川方面行き
  有楽町駅 3番線 8時06分着


早朝には傘がなきゃやってられないほど降っていた雨も、この時間には傘がなくても問題ないくらいまで弱まっていた。


有楽町駅から歩いて、皇居ランナーのスタート地点・桜田門【国指定重要文化財】へ。



なんと桜田門は工事中・・・。

それはそうと、こんな天気の悪い日なのに、皇居ランナーは少なからず走っている。
なんだろう、何らかの駅伝大会でもあるのか、管理ボランティアと思われる人々が少なからず配置についていた。

初心者の私にはどうも居心地が悪い・・・。



とりあえず走ってみましょうかね。



次回へ続く。

皇居ランナーデビュー??

2013-06-22 | 旅立ち

2 0 1 3 年 6 月 1 6 日 ( 日 )

午 前 5 時 4 5 分

J R 東 京 駅 丸 の 内 口



朝っぱらのこんなに早い時刻に、東京駅に降り立っている。

18きっぷで旅に出るのか?

否である。
この時期に18きっぷはない。



先日佐倉を回った際、痛感した己の運動不足



かつては1日で東京、千葉、埼玉、茨城、栃木、群馬をママチャリで走破した私。
江戸川河口をスタートし、利根川まで遡上し、さらにさかのぼって群馬まで到達した。



県境密集地帯だけど・・・それでもトータルの走行距離は160キロ。
筋肉痛に苛まれ、お尻がランブータンになるほど痛かったし、なによりハンドルを握る手のひらがやばかった。



自宅から佐倉まで約20キロ、往復でも40キロである。
佐倉城という平山城を歩いただけである。

なのに、この体のやられよう。

体重は順調に右肩上がり。

このままではいけないのである。



そこで私は、自分の顔本に宣言してしまったのである。

6月13日は皇居を走る!

自分の体力とも、当日の天気とも相談することもなく、顔本の上で蛮勇をふるってしまったのである。

そしてそのコメントに対し、私が尊敬するある御仁がコメントを投入。

頑張れ!

文字数にしてたったの4文字で、しかしながら退却の路を完全に断つコメントである。



そんなわけで私は、皇居ランナーがワラワラ出ていない早朝に、のこのこと東京駅に出頭したのである。



遊びのない雨・・・


皇居ランナーデビューはできるのか?



「皇居ランナーデビュー?」第2話へ続く。

帰り道にて

2013-06-21 | 公園・庭園

2 0 1 3 年 6 月 9 日 ( 日 )

午 後 5 時 2 5 分

千 葉 県 佐 倉 市

佐 倉 ふ る さ と 広 場



佐倉からの帰り道は、いつもどおり印旛沼ぞいのサイクリングロードを往く。




印旛沼のほとりにそびえ立つオランダ風車。
京成本線の車窓に突如現れる風車はコレです。

チューリップが咲き乱れる春や、コスモスが乱舞する秋などはかなりおすすめです。




桜並木から突如として侍立する4本のポプラ。
風車から100メートルほど離れたところに立っており、やはり京成本線の車窓からよく見える。

個人的には、ここに来ると北海道の美瑛のような景色を想像してしまう。
でもまわりが田んぼだからなぁ~美瑛とは比べるべくもないのか?


ともかく、私が思う佐倉の隠れた名所でした。



小さなたび「佐倉城」 完

佐倉城・其之弐

2013-06-19 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 3 年 6 月 9 日 ( 日 )

午 後 4 時 5 2 分

千 葉 県 佐 倉 市

佐 倉 城 址 公 園



3時間弱滞在した歴博から、菖蒲園へ戻った。
ここからは、佐倉城址公園の周りをめぐる。



城の北東部、国道296号付近。





佐倉城を取り囲む水濠土塁がよく残っている。




歴博入口は、いまでこそ城址公園の正門にも見えるが、往時は田町門があり、搦め手(裏手)であった。


西側にはひときわ大きな水濠が横たわる。





西側は出丸が2つあって、北西の出丸の傍らには、裏口として引き橋が架けられていた。





南西の出丸は、しっかりとした土塁が築かれている。


城の南西部で水濠は途切れるが、高さ3メートルほどの土塁がそびえる。



土塁が続く長さは、およそ500メートル。



民家のブロック塀が出てきたところで、佐倉城の攻城は終了。



佐倉城登城・最終話へ続く。

駆け足の近現代・・・歴博・其之五

2013-06-18 | 美術館・博物館

2 0 1 3 年 6 月 9 日 ( 日 )

午 後 4 時 1 4 分

千 葉 県 佐 倉 市

歴 博 ・ 第 5 展 示 室



ついに歴博で5話も使ってしまった・・・が、今回で歴博は〆です。
もはや佐倉城はサブメニューになっているような・・・。



第5展示室は近代、開国・幕末から明治、そして大正時代までを取り扱う。

ペルリ(ペリー提督)の風刺画とか、明治時代の学校の模型とか。
大正のムービースターのポスター、そして街並み。



当時のカフェーは、現在でいうところのキャバレーであった。

喫茶の気軽さとカフエーの濃艶とを兼ねた情熱工場
酒と喫茶の美人局うるとらは、
コーヒー一杯でも朗らかに商売しておりました(#^.^#)

隣りの薬屋では、ワキガに効くがあるよ~という看板がかかっていた。
当時もワキガは大きなコンプレックスだったようだ。



午 後 4 時 2 7 分

第 6 展 示 室


日本史でもっとも重要と私が考える近代をあっさり通過。
第6展示室の現代へ。




こちらは本物の赤紙。
「右臨時召集ヲ令セラル依テ左記日時到着地ニ参着シ此ノ令状ヲ以テ当該召集事務所ニ届出ヅベシ」
(旧字体は新字体に改めています)


鬼ヅモ同好会で一時期盛り上がった「決戦イロハかるた」を探したが、なかった。




1964年の東京オリンピックのポスター。
ふたたび東京でオリンピックは開かれるのか!? 猪瀬君、余計なことはするなよ。



午 後 4 時 4 8 分

歴 博 を 出 る


足の痛みに負けて、時間がまだ残っていたが歴博を出た。

学校の歴史の授業と同じく、古代をじっくり近現代をあっさり。
できれば近現代から古代へとさかのぼって進みたいが、どうやらできない模様。

滞在時間は2時間半程度であったが、まったく足りない。
構内はとても広いので、博物館であるが体調をととのえておかなければならない。



歴博よ、また存分に闘おうぞ!!



佐倉城登城・第8話へ続く。

アイス債権の由来?歴博・其之四

2013-06-17 | 美術館・博物館

2 0 1 3 年 6 月 9 日 ( 日 )

午 後 4 時 0 4 分

千 葉 県 佐 倉 市

歴 博 ・ 第 4 展 示 室



歴博でこんなに話数を重ねてしまうとは・・・まぁいいや。

第4展示室は「民俗」という、超時代的なテーマである。
早い話、複数の時代にまたがるものや、時代に関係ないもの・・・だと思う。


で、この部屋の最初の展示物が、なぜか三越のおせち料理のカタログ。
はっきりいってよくわからないので、この部屋はかなりスキップしている。
そのため、展示内容についてはあんまり覚えてない。


そんな中、私の心を射止めた展示が・・・



おまじないの言葉についてまとめた展示だ。

くしゃみをしたときに、ハークション!くそぉ!!だかなんだか言ってしまうのには理由があるのだとか。
くしゃみをすると、自分に宿っていた魂だか何かが逃げてしまうそうで、それにより病気になりやすくなるから、くしゃみをしたあとに呪文?を加えることで災厄から身を守るらしい。

くわばらくわばら・・・というのも、雷除けのおまじない。


そしてハッピーアイスクリーム!も、こういった呪文のひとつらしい。

「ハッピーアイスクリーム」といえば、わが鬼ヅモ同好会では一時期恐怖の呪文であった。
ルールは、同じ言葉や台詞を同時に言ったときに、相手の耳をつまんで「ハッピーアイスクリーム」と先に言った人は、その相手からアイスをおごってもらえるというものだ。

我が同好会にもいつの間にか採用され、数々のドラマを生んだ。
そして同校会員諸兄は律儀にもしっかりアイス債務を履行してきた。
(いや、某氏は債務を踏み倒したような気がするが・・・)

ここ数年はアイス債権は発生していない。
会員諸兄は、たいてい耳をつままれないように身構え、身を退き回避するためノーゲームになってしまうのだ。


同時に同じ言葉を言ったときの、ある種の間が気まずさを生む。
その気まずさを払しょくするための呪文が「ハッピーアイスクリーム」なのだという。

ちなみに歴博の展示によると、耳をつまむのではなく肩を触って「ハッピーアイスクリーム」と言うのだそうだ。



・・・とこのように長々と記述したが、第4展示室はわずか10分で出た。

閉館時刻まで、残り46分。
展示室は、あとふたつ。



佐倉城登城・第7話へ続く。

出世にはカネ!歴博其之参

2013-06-17 | 美術館・博物館

2 0 1 3 年 6 月 9 日 ( 日 )

午 後 3 時 4 8 分

千 葉 県 佐 倉 市

歴 博 ・ 第 3 展 示 室



歴博の終了時刻は午後5時。時間がなくなってきた。
展示室は第6展示室まであるので、展示室ひとつあたり20分弱で回らなければならない。


第3展示室は近世、江戸時代のはじめから開国まで。

江戸時代といえば、一般庶民が中心の化政文化が花開いているが、これは世界で最初なのである。
それまで文化の担い手は王侯将相、あるいは豪商や知識人など限られた階層の者たちであった。

展示物も、北前船の原寸模型、商家の再現、寺子屋の教材などなど多彩。


ここで私の興味を惹いたのが・・・



御大名出世双六である。
大名が出世して幕閣になるのが目的。

まずは右下、「(一)小普請 (二)御先手 (三)交代衆 (四)寺社奉行 (五)御小性衆 (六)御旗奉行」のマスからスタート。

サイコロを振って、出た目のマスに移動する。
たとえばが出たら、寺社奉行(寺社御奉行)のマスに移動する。

寺社御奉行のマスは上から2段目の中ほど。
上段ほど地位が高いので、この場合は異例の昇進ということになる。

そして寺社御奉行のマスの左に細かく、「御老中 三  御奏者 三  伏見奉行 三」とあるのは、寺社奉行に就くときに必要となる礼金・・・早い話、ワイロである。
所持金から、老中に3、奏者に3、伏見奉行に3支払うようだ。
プレイヤーのなかに老中がいたらワイロを3もらえる、といった具合だろうか。

次の番になったら右の部分に、「(一)(六)御城代 (二)(五)日光御名代 (四)隠居」とあるとおり、サイコロの目に応じたマスに移動し、また礼金を払う。
この場合、が出たらそのまま、昇進も左遷もない。

ここでを出したら「隠居」することになる。
位置は最下層の一番右なので「振りだしに戻る」のようなものである。
隠居するのに礼金は不要だが、次のマスは「(三)家督」しかないので、なかなか抜けられない。
そして家督のマスには、「御大老 二  若年寄 二  御側御用人 二  佐渡奉行 二  御書院番頭 二  御奏者 二  寺社奉行 二  御側衆 二」と出費がデカく、「隠居」はペナルティが大きい。

このようにして出世を目指すのだが、出世にはなんともカネがご入り用なのだという冷徹な現実を学んだのだった。



この部屋も展示物あまたであるが、時間がない&足が痛いというわけで早々に切り上げた。



佐倉城登城・第6話へ続く。