鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

鬼ヅモ白熊対決

2014-06-23 | 鬼ヅモ同好会

2 0 1 4 年 5 月 4 日 ( 日 )

午 後 8 時 1 3 分

よ ね 氏 宅



大会3日目、外で夕食を食べた鬼ヅモ会員一同は、その帰りにセブンイレブンに寄りました。

この日は中華料理を食べたので、冷たい、さっぱりしたものを口に入れたい気分でした。
「セブンイレブンの良心」と称賛されるアイスコーヒーのカップを手に取ると、近くにあるものを見つけました。

白熊です。

そして白熊といえば・・・



「やあやあ、○○○○!!」 (←○○○○には副会長たか氏の本名が入ります)

ここに鬼ヅモ同好会白熊対決が勃発します。



白熊はおそらくセブン&アイのPBと思われる260ccのものです。
鬼ヅモ会員の中では私とたか氏、そしてよね氏が藩士でありますので、3人で白熊を購入します。
セブンの店員の不手際で、よね氏の白熊だけスプーンがプリン用のものになってしまいました。


そして・・・鹿児島県の西郷公園で西郷どんに見守られながら対決・・・ではなく、
神奈川県のよね氏邸で、藩士ではない会長ともと氏から「なにやってるんだ、こいつら・・・」という表情で見られながら対決です。


そう氏の「Ready Go!!」の掛け声とともに、3人は一斉に白熊をかき込みます。


最初のアイス部分。これが意外にネバネバで食べづらく、そして冷たい
口の中がキンキンに冷えてしまって、簡単に飲み込むことができません
一気に飲み込んで頭がキンキンのアイスクリーム頭痛に襲われる、それ以前にやられてしまいます。
ミスター鈴井貴之氏と藤村Dはあんな冷たいものをよくもガッツリ食えるなあ、と心から感心してしまいます。いやホントにすごいです。


さて戦況は・・・私とたか氏が同じくらいで、よね氏が少し遅れているか。
よね氏はミスターの「手のひらでカップをおおう」作戦をとっているようです。
私も途中で思い出してやってみるのですが、これまたカップがむちゃくちゃ冷たい!!
あんな冷たいものを長時間じっと持てるよね氏とミスターに、またしても感心します。


想像以上に冷え冷えの白熊にすっかりやられ、三者三様の嗚咽、悲鳴、唸り声をあげていました。


対決が始まって5分以上経過し、ついにたか氏が勝利のテレマーク!!

それに遅れること20秒、私が完食・・・(T_T)
よね氏はセブン店員の失策に足を取られたためか、4分の1ほど残していました。


優勝したたか氏には、「魔神」の称号が贈られました。
敗北した私は、「挑戦者」に降格です・・・。





麻雀大会3日目

2014-06-23 | 鬼ヅモ同好会

2 0 1 4 年 5 月 4 日 ( 日 )

第 6 2 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 3 日 目



大会3日目。
この日はたか氏、そう氏とともにランチを食べに行くところから始まりました。
二人とともに、私も徒歩で鎌倉街道を歩いていきます。

 

「鍋の乱」まっただ中のすき家を見て、「せっかくすき家で食べたかったのにwwwwwwwwww」と談笑しながら通り過ぎていきます。
阪東橋駅近くのすき家は開いていたのですが、「ワンオペじゃねぇのかよ~wwwwwwww」とか言いつつ、当然スルーです。
ランチは横浜橋の商店街にある海鮮料理屋に入りました。



もと氏はこの日で闘牌終了、ということで夕方から麻雀が始まりました。
「路線バスの旅」(テレ東の旅番組)でいうところの「魔の3日目」、鬼ヅモ大会の3日目もさまざまな珍事が起きました。



私がちょうど抜け番のときです。
もと氏が会長に過剰な接待をしていました!!



今度は会長が抜け番のとき。鬼ヅモでは滅多にない4人リーチです。
鬼ヅモの麻雀ルールでは途中入局を採用していない(鬼ヅモ同好会麻雀規約第55条第2項)ため、4人全員オート自摸となります。
ちなみに最後のリーチをかけたのは私ですが、ここで一発で自摸あがりをし、この局を制しました(#^.^#)



途中休憩、会場近所の中華料理屋「太田楼」さんで夕食です。
すぐ近くに鬼ヅモ御用達のそば屋「太田屋」さんがあって「まぎらわしいなぁ」と思いつつ気になっていたお店です。
ギョーザ、チャーハン、牛バラ、エビチリなど基本的な中華料理をいただきましたが、どれもおいしかったです。鬼ヅモ御用達の中華料理店になりそうです。
今後、中華街へ出向く回数は激減するんだろうなぁ~。


その帰り、セブンイレブンでこんなものを買ってみました♪



白熊対決の結果は、別話として・・・
この対決に参加したのはたか氏、よね氏、そして私。
どうでしょう藩士ではない会長とそう氏は「なにやってんだこいつら」といった感です。


壮絶な白熊対決を経て、麻雀再開です。
そう氏にとっては最終日とあって、私とたか氏は悔いが残らないように、そう氏を口撃します。
酒も飲んでないのに、そう氏の渡英話をしつこくせがむ、そしてそう家秘伝のカレーを食わせろだのなんだの。



今大会通算28試合を経て、この日の戦績はこのようになりました。

 1位 よね氏 +103pts
 2位 そう氏  +85pts
 3位 会長   +52pts
 4位 私   -100pts
 5位 たか氏 -140pts

皮肉にも、白熊対決で激闘を繰り広げた私とたか氏が沈んでいました。
??? よね氏は白熊対決で手を抜いたのか???





美味しんぼ 究極のメニュー3本勝負

2014-06-23 | 日記

2 0 1 4 年 5 月 3 日 ( 土 )

午 後 1 2 時 何 分

よ ね 氏 宅



時刻は午前中だったか、正午を回っていたかわかりませんが、私、起床。

横では鬼ヅモ会員の会長(かつ氏)、たか氏、よね氏が寝ています。
その様子は、ドラクエの夜の人のセリフで表すとこうなります。

*「すやすや・・・・」  こちらはよね氏。
*「ぐうぐう。」  こちらは会長。
*「ぐごー ぐごー」  ・・・・・・・たか氏。

目が覚めて暇を持て余した私は、よね氏のPCで懐かしのゲームを始めます。



今回は「美味しんぼ 究極のメニュー三本勝負」です!!

なに? 「暗黒神話ヤマトタケル」はどうしたって?
そんな会長と同じ指摘をするような輩にはエビチリをお見舞いしてやるぞぉ~



以下は、「美味しんぼ」のプレイ記録を徒然なるままに書き連ねていったものです。




(↓以下、ネタバレ)




一本目は「アンキモ」の章、究極のメニューの方針をめぐって山岡史郎とグルメな評論家のおっさんがケンカする場面です。
評論家が黒海のキャビアを、タイのツバメの巣を、そしてフォアグラを究極のメニューに・・・と大原社主に提案したところ、
「日本の食通とたてまつられている人間は、滑稽だねぇ」
と、原作どおりのセリフを吐き、評論家のおっさん連中にケンカを吹っかけます。
山岡「一番うまいと思うフォアグラを用意しな。それよりもはるかにうまいものを味わわせてやる!」
そう言って那珂湊(茨城県ひたちなか市)でアンキモを捕ってくる・・・という話。


この一本目は2か所の詰みポイントが存在します。

1か所目は、「てんもく」という小料理店に来たとき。

アンキモについて主人から情報を得る場面ですが、主人はいない様子。さあ、どうするか。
  ・まどをのぞく  ・さわぐ  ・とをたたく  ・うそをつく
ここで「まどをのぞく」を選んでしまうと、通りかかった警官に不審人物として職質されてしまいます。さあ、どうする!?
  ・たたかう  ・にげる  じゅもん
たたかうと、非力な山岡が警官にかなうはずもなく、返り討ちにあいゲームオーバー。
にげると、鈍足の山岡が逃げおおせるはずもなく、捕まってしまいゲームオーバー。
そしてじゅもんを唱えると・・・



山岡「アンキモ アンキモ アンキモ!」

かえって警官に怪しまれて捕まりゲームオーバーになってしまいます。つまり警官が来た時点で詰みです。
ここでは「うそをつく」が正解です。

山岡「あっ! こんなところにシマアジが落ちているぞ!」

どんなに騒いでも出てこない主人が、ありえないようなうそにまんまとひっかかって、店の奥から出てくるのです。
この主人、東西新聞社会部御用達の岡星さんに見えますが、別人です。
岡星さんは次の「四万十川のアユ」の章で初登場です。


もうひとつの詰みポイントは、那珂湊沖です。

沖で捕れたアンコウを正しくさばいて、アンキモを採らなければなりません。
アンコウのさばき方は東西新聞社の資料室でを調べられます。「美味しんぼ」ならではのゲーム展開です。

その前に強敵がいます。ムカデ丸のゲンゾウという漁師です。
このゲンゾウなる漁師、相当の酒好きで、アンキモを洗浄するための酒を飲ませろと要求してきます。
そして虫の居所が悪い時に拒否すると、へそを曲げて船を港に戻してしまうという大人げない嫌がらせをかましてきます。
かといって何度も酒を飲ませると、当然ながらアンキモを洗浄できずに詰みとなります。

そして真の敵、それは1週間という期限。
評論家の方々にケンカを売ったときに、社主からは1週間の期限を切られているので、それまでにアンキモを東西新聞社に持ち帰らねばなりません。
運悪くアンコウが捕れない場合や、ゲンゾウを何度も怒らせて時間が経過してしまってもゲームオーバーとなってしまいます。



二本目は「四万十川のアユ」の章。
大原社主のセッティングした料理会に招待された大富豪・京極万太郎が、料理をまったく気に入らず激怒。
それを山岡が「ケツの穴の小さい爺さんだ」とけなしつつ、うまい飯を出してやる、と豪語します。
「美味しんぼ」の王道というべきストーリー展開です。
そして京極氏は、気に入らないものを食わせたら山岡を坊主頭にしてやる、とおおせになります。

この章の詰みポイントはズバリ京極氏との会食。
京極さんは米相場の利益で富豪へとのし上がった人物ですから、そのためちょっとでも非のある米を食べさせると激怒します。



米を炊く調理人は慎重に選ぶべし、と言っておきましょう。
会食を見事成功させると、「美味しんぼ」一のリアクション王・京極さんの珠玉の言霊をたまわることができます。



なんちゅうもんを食わせてくれるんやぁ~


ところで「美味しんぼ」の影の主役・海原雄山
このゲームでは「美食倶楽部」に籠りっきりなのですが、山岡が「美食倶楽部」に出向くと真っ先に出てきます。

山岡「ニャーゴ、ニャーニャー」
雄山「なんだ、猫か。さすがの雄山も、猫までは料理できんわ。わぁーっ、はっはっは」

雄山に会いたくない山岡はとっさに隠れるのですが、そのときに「ものまねをする」ことによって雄山はいとも簡単に巻かれてしまい、「美食倶楽部」の中に引っ込むのです。
その様子が非常に滑稽で、「雄山先生はあんな方ではない!!」と悲嘆した人もいたとかいないとか。



このゲームにおいては完全なもうろくオヤジの雄山先生と、ものまねの天才・山岡が衝突するのが三本目「究極のラーメン」の章です。
ストーリー展開は、ラーメンをバカにした雄山に対して、山岡がうまいラーメンをお見舞いして雄山をギャフンと言わせる、原作にはあまりない展開です。

「究極のラーメン」の章では、まず東西新聞社会部の面々おすすめのラーメン屋で1杯食べ、うまいラーメンの要素を探っていくところから始まります。
しかし、谷村部長、田畑さん、そして富井副部長がすすめるラーメンそれぞれに対して山岡が酷評していきます。
ちなみに、富井副部長が出てくるのはこの章だけだったりします。

そしてやっぱり材料から吟味しなきゃだめだということになって、小麦粉、たまご、チャーシューなどを集め、「究極のラーメン」が完成するのです。





最後に栗田さんが「これからも究極のメニューづくり、がんばりましょうね」というようなことをおっしゃって、このエンディングです。




麻雀大会2日目

2014-06-23 | 鬼ヅモ同好会

2 0 1 4 年 5 月 3 日 ( 土 )

6 2 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 2 日 目



いきなりですが訂正です。
鬼ヅモ麻雀大会は、2014年のゴールデンウィークで第63回だとさんざん記述いたしましたが、
正しくは第62回の誤りでした。

失礼しました~(#^.^#)



さて大会初日の闘いは、私が仕事帰りの会員諸兄の疲労に乗じてロケットスタートを切るという、近年にない展開でした。
そしてこの日は・・・私の天敵・そう氏がやってくるのです!!

(通算成績を見ると、私は某氏以外にはことごとく負け越しているので、全員が天敵なのですが)
調子のよい時でも、そう氏の参入でいっきに点数がガタ落ちする・・・というのが、近年の傾向だったのです。



会長と副会長が談義で夜ふかしするため、たいてい私とよね氏が早く起きます。
といっても午前中くらいの時刻です。

そして私はよね氏のPCで懐かしのゲームを始めます。



GW後に大騒動となった「美味しんぼ」は、かつてファミコンのカセット(←懐かしい響き(ToT))が出ていたのです。
その名も「美味しんぼ 究極のメニュー 三本勝負」です!!

「美味しんぼ」の原作をそのままに(一本目)、あるいはアレンジして(二本目)、はたまたオリジナルストーリー(三本目)をアドベンチャーゲームにしたものです。
著作権の切れているクラシック音楽が、あのファミコンの音源で流れます。なかなかシュールです。





そのうち会長と副会長も起床し、2日目の麻雀が始まりました。

最初の局は、1日目の勢いそのままにトップ。
しかしその後はぱったりとあがれなくなってしまい、あれよあれよと負債を重ねていきます

そしてこのタイミングで、天敵・そう氏登場。
今回もそう氏とは1勝2敗のペースで苦杯をなめることに。
それでもこの日はなんとか踏みとどまった感じで、スコアを見てみると近年まれにみる接戦となっていました。

ひさしぶりにそう氏が来たので、話題は「カレー」の話になります。
(※もと氏の実家に泊まった者の証言では、夕食で供されたカレーがめちゃくちゃ美味かったそうです)
そしてそう氏との闘いで劣勢を強いられた私は唐突に口撃を始めます。
「カレー食べたい」「カレー作ってくれよぉ~」
しまいには「なんで×××にはカレーを作るのに、俺には作らないんだ!」などと酒を1滴も飲んでいないのにたか氏とともにからんでいました。



そう家秘伝のカレー、ぜひともいただきたいものです。




麻雀大会1日目

2014-06-16 | 鬼ヅモ同好会

2 0 1 4 年 5 月 2 日 ( 金 )

午 後 6 時 5 8 分

横 浜 市 保 土 ヶ 谷 区



日本橋から国道1号をたどって、保土ヶ谷まで来ました。
鬼ヅモ大会会場まではもうすぐです。

もう少しで着くという連絡をするために、会場提供者のよね氏に入電します。

しかし・・・・・・出ません・・・・・・が、直後によね氏から電話が来ました。

よね「11時半ごろ来てください」
よね「掲示板にも入れましたが」


ようやくよね氏宅でゆっくりできる~?と思っていた私に、煮え湯のような言葉が浴びせられたのです。
スマホで確認してみると、たしかにこの日の2日前によね氏が書込みしていたのです。
私は掲示板を確認しないまま、のこのことちゃりんこで横浜まで来てしまったのです。


麻雀で鬼ヅモ会員と闘う前に、私は保土ヶ谷で時間をつぶす闘いを強いられるのでした。




午 後 7 時 0 9 分

横 浜 市 南 区 井 土 ヶ 谷


保土ヶ谷から井土ヶ谷方面へ進み、長居のできそうなファミレスを探します。
そして、すかいらーく系列のイタリアン系ファミレス「クラッチェ・ガーデンズ」を見つけました。

店内に入ってみると、すでに家族連れが5組ほど座席案内を待っています。
4時間ほど時間をつぶさなければならない私にとっては非常に好都合です。

そしてメニューには「ピザ食べ放題コース」なるものがありました。
4時間ほど店内に居座る大義名分が必要な私にとっては、これ以上にないメニューです。
さすがにドリンクバーだけで4時間ってのは精神的にキツイものがありますからねぇ。

ピザ食べ放題をつけると、「ピザおかわりOK」の札?が私の席に置かれました。
10分おきにウェイターが「○○ピザはいかがですか?」とピザを持ってきます。
そして1枚のピザから1ピースを分けてもらいます。

最初のうちは「早くピザ持ってきてくれ~」と思っていました。
そして「ピザ全種類制覇してやろう!」と息巻きます。



入店して3時間を過ぎました。

私は延々と続くピザマラソンに飽きてきました。
それ以上に、3時間ずっと同じ席に留まることに疲れてしまいました。

「もう十分時間はつぶした。
 あとは付近をうろついてから行けば、よね氏は家に着いているだろう」

そしてよね氏からも入電。

「これから(自宅に)帰ります」

午後11時15分、会計を済ませ店を後にしました。




午 後 1 1 時 4 2 分

よ ね 氏 宅 前


少しばかり弘明寺方面へ寄り道をして時間を稼いでから、よね氏がお住まいの重厚なアパートに到着。
狭い駐輪場に強引に自転車を留め、着替えの入ったかばんと山田家のうどんを持ってよね氏宅前までやってきました。

しかし、よね氏はまだ到着していません。

よね氏に入電しようとするも、ここでついにスマホさんのバッテリーが切れてしまいました。
スマホさんがお亡くなりになる前に、よね氏の携帯番号をメモしておいた私は、何を血迷ったのか、周辺の公衆電話を探しに徒歩で放浪します。

携帯電話が普及している昨今、公衆電話はなかなか見つかりません。



鎌倉街道ぞいのすき家は「パワーアップ閉店工事中」でした。



ようやく公衆電話を発見!
さっそくよね氏に入電すると、氏はもうすでにご在宅とのことでした。
あ~あ、玄関前で待っていればよかった。




2 0 1 4 年 5 月 3 日 ( 土 )

日 付 が 変 わ っ て 大 会 開 幕


日付がちょうど変わったころ、私は大会会場に到着しました。
会長はすでに会場入りしており、たか氏も約30分後にやってきました。
メンツがそろったので麻雀が始まります。

この夜は、全員が疲れていたので2回戦にとどまりました。
そこで、私は近年まれにみる快進撃を繰り広げたのです!!

一日中物見遊山をして会場入りした私以上に、仕事していた他の会員は疲労困憊だったのでした。




南下!第二京浜・神奈川編

2014-06-16 | 移動の旅

2 0 1 4 年 5 月 2 日 ( 金 )

午 後 5 時 3 2 分

東 京 都 大 田 区 池 上

国 道 1 号 第 二 京 浜



池上本門寺から第二京浜に戻り、再び横浜をめざしました。



矢口という地名が見えました。
多摩川にはかつて矢口渡という渡し船があったはずだから、もうすぐ多摩川だと思い、ペダルをこぐ足にいっそうの力が入ります。

そういえば距離青看に「小田原」の地名が初登場です。



多摩川大橋の北詰までやってきました。
距離青看から「川崎」が消え、ずっと先の「静岡」が登場。



多摩川大橋を渡ります。




午 後 5 時 3 6 分

神 奈 川 県 川 崎 市 に 入 る




橋のちょうど中間あたりに都県境があります。
これで東京とはおさらば、神奈川県に入ります。



多摩川大橋を渡り切り、川崎市の幸区です。
川崎市の行政区には区章がないのでしょうか、おにぎりマークの国道1号が表記されています。




午 後 5 時 5 2 分

神 奈 川 県 横 浜 市 へ




川崎、短いねぇ~!
横浜市の行政区にも区章はないようで、ここでもおにぎりマークが表示されています。


川崎はあっという間でしたが、横浜に入ってからが長かったです。
さらに第二京浜さんはこの期に及んでアップダウンを繰り返してきます

私は心底「第二京浜は二度と使わない!」と思いました。


日が沈んだころ、行く手の左側にだだっ広い線路の帯が見えてきます。
京急線&京浜東北線&横浜線&東海道線&横須賀線が一束となっています。

ここで第二京浜の分かれ道。



右へ行けば横浜新道へとつながりますが、第二京浜は左。
よって私も左の進路をとります。



距離青看の地名はガラリと変わりました。


左手に京急神奈川駅が見えてきたころ、第二京浜は左折。



そしてすぐ次の青木通交差点で、日本橋から分かれた第一京浜と再びめぐり合うのです。



そういえば国道1号はなぜ「第二」京浜なのでしょうか。

当初、東京から横浜へと通じる幹線道路は銀座・新橋・品川・鶴見・神奈川を通る現在の第一京浜しかありませんでした。
そしてこの第一京浜が国道1号に指定されていました。

しかしもともと大都市の東京と、開港以来急激な発展を遂げた横浜を結ぶ幹線道路は、第一京浜だけでは不足になってきました。
そこで霞ヶ関・虎ノ門・五反田から続く新たな幹線道路が造成されました。
これが現在の第二京浜です。

戦後、台湾と朝鮮が日本の領土でなくなったので、国道の指定を改めることとしました。
このときに国道1号は新しい道路である第二京浜が指定され、第一京浜には国道15号の指定がなされたということです。




では第一京浜と第二京浜、どちらが快適でしょうか。

道幅は、双方ともに起点の日本橋から終点の青木通(横浜駅の北側、京急神奈川駅付近)まで片側2車線はあります。
ただどちらかといえば、路側帯の広さは第一京浜に分がありそうです。

順路は、第一京浜は日本橋から青木通までず~っと道なりで進めば到着します。
それに対し第二京浜は交差点の左折を5回、右折を4回しなければなりません。
曲がり角は都心と横浜駅付近に集中しており、五反田から神奈川までは道なりでOKなのですが、とくに都心では青看に注意しないと迷うことでしょう。

距離は、第一京浜のほうが3Kmほど短くなっています。
第二京浜は少しだけ山の手に造成しているので、その分遠回りとなっています。

そして、自転車にとって重要な高低差の具合。
第一京浜は海寄りにあるので、目立ったアップダウンは少ないです。
それに対し第二京浜は東京タワーのあたりから池上までアップダウンを繰り返し、また横浜市内に入ってもアップダウンを繰り返します。

以上から、第一京浜は第二京浜よりも断然快適であるといえます。

第一京浜は、脇道の海岸通りや産業道路に入ってしまえば、首都高速のガード下を通行することで夏場の直射日光を回避できるという利点もあります。

注意点として挙げるなら、第一京浜も第二京浜も歩道橋の構造が自転車にとって厳しいものとなっていることです。
歩道橋のある交差点は歩行者(&自転車)の交差点侵入を阻むためにガードレールがこしらえてあり、歩道から直接交差点を渡ることはできません。
かといって歩道橋を渡ろうとすると、階段しかなく自転車が渡れないという仕打ちを受けます。
歩道橋を見かけたら、多少の危険は覚悟しても車道に出ておいたほうがいいでしょう。



さて私は、このまま国道1号を通り、保土ヶ谷方面へと進みます。



京急線の戸部駅前です。
横浜駅の隣駅ですが、普通電車しか停まりません。
戸部駅のガードには、京急に乗って行ける地名が書かれています。

(北行き)銀座・押上・成田方面

京急線は、泉岳寺駅から都営浅草線、そしてその先の押上駅から京成線(京成押上線、高砂駅から先が京成本線)に直通しています。
ですが横浜から品川へ向かう電車は、ほとんどが都営浅草線には直通していないはずです。
(相互直通しているのは、羽田空港から品川・押上・高砂を経て成田空港へ行く電車がほとんど)
まあ、これらは途中駅で乗り換えれば行けないことはありません。

(南行き)三浦海岸・南房総方面

京急線の南端・三崎口駅から三浦海岸に行くことはできます。
問題は南房総。どうやって行くんだ?
おそらく浦賀駅から久里浜港へ行って、そこからフェリーに乗って、さらに金谷港(千葉県富津市)から浜金谷駅でJR内房線に乗って・・・ってかなりの乗り継ぎが必要になります。
これって「○○方面」って記載して許されるレベルなのか? と大いに疑問を感じました。





午後6時58分、鬼ヅモ大会会場に近い保土ヶ谷区に入りました。




池上本門寺

2014-06-10 | 寺院仏閣

2 0 1 4 年 5 月 2 日 ( 金 )

午 後 3 時 5 0 分

東 京 都 大 田 区

第 二 京 浜 を 南 下 中



拙宅のある船橋から鬼ヅモ大会の開かれる横浜までママチャリで向かう旅。
いつもなら第一京浜を通るところ、この日は気分を変えて第二京浜を通って行きました。

第二京浜付近にある古刹・池上本門寺を詣でようと考えていましたが、時刻は閉門の差し迫る午後4時前。
この日の参拝はパスしてもいいかな~とも思いました。

しかし第二京浜の度重なるアップダウンに心身ともにやられていた私は「二度と第二京浜は使わない」と固く決心していました。
そうであるならば、この機会に、第二京浜に近い(第一京浜からは遠い)本門寺に行っておかなきゃ、とも考えたのでした。


第二京浜から脇道に入ると、それまでと比べ物にならないほど傾斜の急な坂が行く手を阻みます。
修行の地だけあって、寺院は山や台地の上におわすものですから、ママチャリを押しながら歩いて上ります。


そうして着いた池上本門寺・・・の裏手のようです。
駐輪場・駐車場の目の前に本堂と思われる大きな御堂がそびえておりました。


時刻は午後4時前、参拝時刻に余裕がありません。
しかし体力・精神はさらに余裕がなく、私は駐輪場近くにあった「お休処」なる屋内に駆け込みます。

するとそこは喫茶店でした。
思考能力が落ちていた私は、ためらわず冷たい飲み物と甘いものを注文します。

 

冷甘酒(400円)と豆乳アイス(500円)をいただきます。
店内の涼しさと相まって、心身の疲労が消え失せていくようです。


池上本門寺は、山号を長栄山、院号を大国院とし、日蓮聖人入滅の霊場として日蓮宗の大本山のひとつとされています。

日蓮は、弘安5年(1282年)9月8日身延山(山梨県)を出て、病気療養の湯治のため常陸に向かいました。
その途上、9月18日に武蔵国池上郷(現在の東京都大田区池上)の池上宗仲の館に留まり、一堂を建立したのが本門寺の始まりとされます。
10月13日、日蓮が池上郷で亡くなると、池上宗仲は法華経の字数(69,384字)に合わせて69,384坪の土地を寄進し、本門寺の基礎が成りました。

以来、本門寺は関東の武士より庇護を受け、江戸時代に入ってからも加藤清正や紀伊徳川家などの祈願寺となりました。
第二次世界大戦の空襲によって寺内の伽藍のほとんどが焼失してしまいますが、戦後に復興して現在に至ります。



午後4時20分、池上本門寺の散策開始。
最初はお休処に隣接する経蔵【大田区指定文化財】です。



何度か焼失の末、天明4年(1784年)に再建されて現在に至ります。
江戸中期の大型の経蔵ですが、現在はお経は保管されていないそうです。


お次は大堂です。



戦災で焼失しましたが、昭和39年に鉄筋コンクリート造で復興しました。

「無事、横浜に到着しますように」
「鬼ヅモ大会、優勝したいなぁ」


大堂で本日最後の祈願をします。


大堂からやや外れたところにそびえ立つ五重塔【国指定重要文化財】。



文禄2年(1593年)徳川秀忠が悪性の疱瘡にかかった際、病気の平癒を祈願しました。
病は治り、秀忠は長じて2代将軍に就任し、平癒の御礼と武運長久を祈願して慶長12年(1607年)に建立されたものです。
関東地方で現存する五重塔で最も古く、また桃山期の様式による現存唯一の五重塔とされています。


ふたたび大堂のところまで戻り、



仁王門(三門)から参道を下って行きます。
以前奉納されていた仁王像は、当時20歳代のアントニオ猪木氏をモデルにしているのだとか。


ここで参道から少し外れて、

 

日蓮上人説法像です。
アルミニウム製の像で、昭和58年(1983年)の日蓮の700回忌に建立されました。


参道を歩き、96段の石段を下りていきます。





此経難持坂(しきょうなんじざか)【大田区指定文化財】と呼ばれています。
96段の段数は、「法華経」宝塔品の偈文(げもん)96字にちなむそうです。
難しそうな名前は、その偈文の最初の4字からとっています。
加藤清正が本門寺の祖師堂(江戸時代中期に焼失)を建立した際に整備された石段で、その当時のものが現存しています。


石段を下りたところに、お社が鎮座しています。



長栄堂といい、守護神・長栄大威徳天をお祀りしています。
この日はツツジがきれいに咲いておりました。


本門寺の入口・総門【大田区指定文化財】に到達です。



江戸時代の元禄年間に建てられた簡素な門です。
扁額は江戸時代初期の芸術家・本阿弥光悦の筆によるものだそうです。


これにて本門寺の散策は終了・・・ではなく、3分の2くらいでしょうか。
下った参道をまた上って、大堂のところに戻ります。

時刻は午後5時を回りました。


大堂とは道路をはさんで向かい側に本殿



その奥に日蓮聖人御廟所があります。



時刻の関係で閉門となっていました。

そして境内のはずれ、坂を下りたところの墓地。
このあたりは、入滅した日蓮聖人を荼毘に付したとされています。



そしてここに建つのが多宝塔【国指定重要文化財】です。
聖人の550回忌を期して、天保元年(1830年)に建立されました。
ここには、日蓮聖人が持っていた水晶念珠が奉安されているそうです。



斜陽に染まりゆく本門寺。



人気の全くない墓地と多宝塔に少しばかりビビりながらも、本門寺を後にしました。



◆参考文献
  日蓮宗大本山 池上本門寺  http://honmonji.jp/




南下!第二京浜・都内編

2014-06-05 | 移動の旅

2 0 1 4 年 5 月 2 日 ( 金 )

午 後 1 時 5 0 分

東 京 都 墨 田 区

浅 草 通 り ・ 吾 妻 橋



スカイツリーでうどんを食べた私は、ママチャリ「????」(まだ名前はありません)にまたがってふたたび西に進みます。
雷門通りぞいのとある有名なビルを素通りして、隅田川までやってきました。



隅田川にかかる赤い欄干が特徴の吾妻橋です。
隅田川の橋はどれも個性的で、サイクリングの愉しみにもなっています。



吾妻橋を渡って振り返ると、これまた個性的なビルが並んでいます。
スカイツリーの左隣は墨田区庁舎、右隣はアサヒビールタワー、そしてうんスーパードライホールです。

スーパードライホールのオブジェは「炎のオブジェ」というそうで、金色の炎をかたちにしたといいます。
もともとは、炎の向きは逆向きで、しかもアサヒビールタワーを貫いたようにして造られる計画だったそうです。
でもメンテナンスを考えれば、そのような計画には無理があったようです。
そして現在のかたちとなり、うん・・・・・・・・・


吾妻橋から300mほど進むと、浅草寺風神雷神門(雷門)です。



相変わらずムチャクチャ人が多いです。そして外国人が多いです。
こんなところはさっさと通過します。


雷門通りから、浅草国際通り、春日通り、昭和通りと、ほぼつくばエクスプレスの地下ルートにそって進みます。
昭和通りから国道4号となります。



御徒町、秋葉原と昭和通りを進み、日本橋本町へ入ると、江戸通り・国道6号との交差点です。
昭和通りからはお別れして、江戸通りに入っていきます。

200mほど進むと、JR新日本橋駅が見えてきて、今度は中央通り・国道17号との交差点がです。
ここで中央通りに入ります。



少し進むと、三越本館【国指定重要文化財】が見えてきます。
沿道を行きかう人々を尻目に進みます。



見えてきました、日本橋【国指定重要文化財】です。




午 後 2 時 3 1 分

東 京 都 中 央 区 日 本 橋

よ う や く 国 道 1 号 線 に 突 入


長い長い「前枠」を経て、やっと国道1号線に入ります。
国道1号・中央通りです、ですが・・・



国道1号線はいきなり最初の交差点で右に曲がり、永代通りに入ります。
ここが第一京浜と第二京浜の分かれ道です。
国道1号線はさきほどの4号線と同様、右折左折を繰り返して都内を抜けていきます。

ちなみに直進する国道15号線は、終点の横浜まで1度も曲がりません。
道なりで進めば終点に到着します。


左手にJR東京駅日本橋口を見て、JR線の大ガードをくぐり、地下迷宮・大手町駅を通過して第2の曲がり角です。

 

向こうに見える江戸城大手門に到達することなく、その手前で左折。
日比谷通りに入ります。


日比谷通りの右手側はお濠と皇居外苑がひろがり、左手側は近代的な建築物が並びます。



こちらは右手側、皇居外苑・江戸城旧和田倉門跡



左手側は、行幸通りからJR東京駅の丸の内駅舎【国指定重要文化財】を見渡せます。



皇居外苑のお濠が折れ曲がると同じくして、国道1号線も右に曲がります。


今度は晴海通りです。
晴海通りの国道1号線も短く、信号2つで終わり。



皇居ランナーのキャンプ地・江戸城桜田門【国指定重要文化財】が右手に見えるところで、今度は左折。



ここで国道20号(甲州街道)と分岐します。


桜田門から先、国道1号線はしばらく桜田通りと呼ばれます。



桜田門の交差点にある法務省旧庁舎【国指定重要文化財】をはじめとする官庁街を通過します。



霞が関で初めての距離青看です。(正式名はわかりませんので、こう表すことにします)
「横浜 32Km」はおそらく横浜市役所までの距離と考えられます。
「五反田 7Km」はJR五反田駅まででしょうか。
3Kmほど進む間に4回曲がったからなのか、ずいぶん進んだ印象を受けていたのですが、「まだ横浜まで30Km以上もあるのか」と軽くがっかり。



経済産業省前を不法占拠する輩、なおも居座っていました。
「よくも世界をだましたな」とか噴飯ものの垂れ幕が並んでいました(*^_^*)



霞が関、虎ノ門を通過し、第2の距離青看です。
川崎までは18Kmあります。意外と東京都内は長いです。



左手に東京タワーが見えるあたりから、国道1号最初のアップダウンが始まります。

都内を出るまでの国道1号は、緩やかながらもアップダウンを繰り返します
東京が多くの台地で形成されていることを実感します。
このような守りに適する土地だったので、太田道灌は江戸に城を構え、徳川家康は江戸に幕府を置いたのでしょう。


東京タワーを背にして進み、右手に慶応大学が見えてきたところで、国道1号はまたも右に曲がります。



少し進むと、右手に慶応大学三田キャンパス正門、その隣りに・・・



ある者からすれば聖地とされる「ラーメン二郎」三田本店です。
二郎本店のビルは三角柱といういびつな形をしていて、店内はいかにも狭そうです。
ラーメン二郎独特の注文システムは、このような小さい店舗に対応して形成されたのでしょうか。

ラーメン二郎のすぐ先の交差点で国道1号線は左折、さらに、



東京メトロ白金高輪駅のところにある交差点でまた左折です。
ここを左折すると、国道1号はしばらく道なりに進むことになります。


ここまで国道1号は桜田通りと呼ばれます。
桜田通りは桜田門付近にとどまらず、意外と長く続きます。



白金にあるお嬢様学校・明治学院大学です。
さすがに品のよろしいたたずまいのように感じられますねぇ(*^_^*)
塾講時代に担当した生徒で明学に進学した女子がいたけど、元気かなぁ?
(某知り合いが、その女子を見に、高校の体育祭にのこのこ出向いたという話は秘密ですよぉ)


白金、高輪といったセレブ感漂う地を進み、次は9,800円のホテルで有名な五反田です。
(わからない? もう古いネタだモナ~)



JR五反田駅は国道1号の真上にホームがあります。



五反田駅から300mほど進み、中原街道へ分岐する中原口交差点です。
ここより、国道1号は桜田通りの名称を捨て、第二京浜と名乗ります。


第二京浜は、都県境の多摩川大橋まで道なりに、アップダウンを繰り返しながら進みます。



私は、その途上駒を休め、池上本門寺を詣でていきました。




うどん!本陣山田家

2014-06-05 | どうでしょうロケ地

2 0 1 4 年 5 月 2 日 ( 金 )

午 後 1 2 時 3 0 分

東 京 都 江 東 区

亀 戸 天 神 社



大勢の観光客でにぎわう亀戸天神を後にしました。
大通りの蔵前橋通りには出ずに、天神様の北側にある横十間川という小さな川に沿って進みます。



現れました、東京スカイツリーです。
隣りのビルは東京スカイツリーイーストタワーという31階建てのビルです。

絶対混んでいるだろうなぁ~と思いながらも、ママチャリでスカイツリーに突入します。


京成電鉄本社の跡地をショートカットしてスカイツリー前の道路に差しかかると、やったら長いガードレールが道路の横断を阻みます。
目の前に地下駐輪場への入口があるのに、200mほど離れた横断歩道への移動を余儀なくされます。

地下駐輪場はスカイツリーだからといって特別なものでもなく、いたって普通の自動ロック式駐輪場です。
自転車でスカイツリーに来る人はあまり多くないようで、この日も空きスペースが半分近くありました。



スカイツリーに来たのはオープン当日以来です。
オープン当日は弱い雨が降りしきるという展望塔にとっては最悪のスタートでした。
人出もそれほど多くはなかったと思いますが、ランチのためだけに来た私にとっては好都合。
やすやすと食事にありつけたのでした。

それ以来2年ぶりに訪れるスカイツリー。
今回訪れる目的も2年前と同じ、ランチを食す、この1点のみです。



平日であっても、さすがのにぎわい。
修学旅行で来ているのか、かわいらしい制服姿の女子高校生も大勢いらっしゃいます(*^_^*)
今やすっかり東京の定番観光地です。

まずは商業施設街・東京ソラマチをうろつきます。
ここでおみやげでも買っていこうかとも考えました。しかし・・・

「水ごときに400円も払えるか!!」

ペットボトルがスカイツリーの形をしているだけで、いろはすの8倍もします。
いろはすが500mlで100円程度に対し、ここの水は250mlほどで398円です。

私はそそくさとこの場を離れました。


ソラマチの飲食店フロア・ソラマチダイニングはイーストタワーの6・7階にあります。
そこでお目当ての店を捜します。

「うどん本陣 山田家」東京スカイツリータウン・ソラマチ店

水曜どうでしょうの四国八十八箇所完全巡拝ではおなじみ、86番札所・八栗寺の近くにある讃岐うどんの名店です。
どうでしょう班は四国八十八箇所を3周!!もしていますが、3回すべてで登場しており、
「山田家のざるぶっかけうどんを食べることを、この企画の目的にしていたのである」(四国八十八箇所Ⅱ・藤村Dのナレーション)
「手にかかえきれないほどのうどんをおみやげに・・・」(四国八十八箇所Ⅱ・大泉さんのセリフ)
そして、八栗寺の拝観時間終了が近い夕刻であってもうどんを優先(四国八十八箇所Ⅲ)。
ついには、高松空港の出発時刻が差し迫る中、結願寺の大窪寺への巡拝よりも山田家のうどんを優先し、大窪寺には巡拝しない「大窪寺」の方向を示す看板のところで「88番、大窪寺!!」と宣言)するというムチャクチャぶり。

どうでしょうバカにとって山田家の存在は小さくありません。

そんな山田家さんが、八栗寺のふもとを飛び出して東京進出をしたのが、ここソラマチだったのです。
あのどうでしょう班が絶賛したうどん、食べないわけにはいきません。

2年前のスカイツリーオープン当日、私は山田家さんだけをめざして突き進んだのでした。

そしてこの日も、目標は当初から山田家さんでした。


6階の山田家さんの前では、すでに10人以上の待ち人がいました。
見た感じでは、はなっから山田家さんを目指してやってきたどうでしょうバカは私ひとりのようでした。

30分ほど待って、ようやく2年ぶりの入店を果たします。
そしてオーダーしようとしたら、

店員氏「(ブラウスの)表裏、反対では・・・?」
私『!!!!!!』

さすがはどうでしょう班を唸らせる名店、私の初歩的ミスを一発で見破ります(^_^;)

改めてオーダー。まずやってきたのは・・・



おでん! うま~い!!
讃岐うどんの前座であるおでん(小)は、牛スジ・焼き豆腐と何らかの練り物(??)で490円。

「スカイツリー価格」のためやや割高ではありますが、確かにうまいです。
牛スジは噛んだ瞬間にほろほろと崩れるほどの柔らかさで、ほかの具ともども煮汁がしっかりしみわたっています。
ねぎがかけられているのはマヨネーズではなく白味噌です。
そのまま食べても十分おいしいのですが、この白味噌が甘辛くってやみつきになります。
おでんのためだけに山田家に行ってもいいくらい、私にとってはうまいおでんでした。

それにしてもあの練り物はなんでしょうか・・・?

そしてついに、どうでしょう班が絶賛したうどんが登場します。
私にとっては2年ぶりのご対面です。



うどん! ズルズルズルズルズルズルズルズル・・・ うまい!!
ざるはどこにもないけど、ざるぶっかけうどん(860円)、うまいです!!

おだしをかける前に麺のみを食べるとわかりますが、麺自体の味が強く出ていて、麺だけでもうま味を十分に感じることができます。
そのため、おだしの味は塩辛味や甘味が控えめになっているようです。
そして麺のコシはとても強い。さすがは讃岐の名店です。
麺は普通の麺よりも長くなっています。(なのでズルズル~が多めなのです)


ゆっくり食べたつもりでしたが、あっさりと完食しました。
どうでしょう班に倣うがごとく・・・

 

手にいっぱいのうどん・・・とまではいかないまでも、おみやげ用のうどん(1,000円)を2箱購入していきます。



鬼ヅモ会員におみまいするうどんを持って、このまま横浜へと快走します。




亀戸天神

2014-06-03 | 神社

2 0 1 4 年 5 月 2 日 ( 金 )

午 前 1 1 時 4 6 分

東 京 都 江 東 区

亀 戸 天 神 社



藤の花咲く亀戸天神社を参拝します。





平日だというのに、とんでもないにぎわいです。
休日平日関係ないご年齢の方々がかなり多くおります。

亀の甲羅をかたどっているような太鼓橋で渋滞が起きています。
橋の頂上付近で一眼レフを構えて動かない初老の爺がいました。



橋の頂上から見えるスカイツリーと藤棚です。
おそらくくだんの爺が撮っていたと思われるものです。



藤棚の下ではつつじが咲き誇っています。







人ごみに流されながらも、藤棚とつつじを愉しみます。









亀戸天神の藤棚も満開ではないようです。
でも市川・高圓寺の藤棚とはちがって花が散ってしまったようではありませんでした。
見ごろはもう少し先なのでしょう。


それでは亀戸天神社を詣でます。
お祀りしているのは学問の神様とされる菅原道真公です。



最初の鳥居から太鼓橋を2本渡って拝殿に進みます。
太鼓橋は思いのほか傾斜が急です。



亀の像から水が出る手水舎です。
「亀戸」ですから。



「無事に横浜に着きますように」
「鬼ヅモ大会、優勝できますように」
学問とはほとんど関係ない内容を祈願しました。


拝殿の脇が少しばかりにぎわっています。



 

私もミスター(鈴井貴之氏)にも乗りこなせない竹馬を、お猿さんが乗りこなしています!
はじめて猿回しという芸能をまじまじと見ていきました。



亀戸天神を出た時刻、午後12時半。
ランチを求め、そびえ立つスカイツリーへと向かいます。