雨がしとしとと降る中、
白石城をあとにしました。
時刻は、すでに午後4時前です。
神社仏閣、名所旧跡の受付がそろそろ閉まる時刻。
さらに、18きっぱーの私の場合は終電も視野に入れなければならないのです。
白石には白石城のほかにも、片倉小十郎景綱の墓があるという傑山寺、そして歴代城主の霊廟・片倉家廟所も行きたいところなのですが・・・
双方とも、白石城からわりと離れています。
時間も問題なのですが、この日はしとしと降る雨のため、今回の旅では泣く泣く行程から外すこととなりました。
白石城の二ノ丸を進むと、
武家屋敷への近道が現れます。
今回は、片倉家の家臣が住んでいた武家屋敷を訪れることにします。
その途上、
小雨と相まって幽玄な雰囲気を漂わせている神社が鎮座しています。
参道にいる軽自動車がものすご~く残念なのですが・・・
神明社、通称白石神明社です。
主祭神は
さらに伊達政宗(
神明社の総本社は、皇大神宮(伊勢神宮内宮)です。
鳥居の前の手水舎。
う~ん、この軽自動車が返す返す残念ですなぁ。
船橋や八戸で見かけた女の子、白石にもいらっしゃいました。
御手洗を済ませ、鳥居をくぐり、神門へ。
この神門は、昭和48年(1973年)の第60回式年遷宮の際に解体された御門を、伊勢神宮内宮より下賜されたものだそうです。
神門の両脇には、奇敏鎌刈田彦命と武振彦命の旗が掲げられていますね。
拝殿へ。
社殿は明治時代の白石大火で焼亡してしまったため、昭和に入ってあらたにこの地で再建されたそうです。
私はここでいつもどおり、さる御方のご健勝を祈願しました。
それと、「雨を止ませてください」ともお願いし、神明社を後にしました。
神明社の参道を下って、水の流れる道へ。
水路のように見えるこの水流は、じつは沢端川という川なのです。
白石城の水濠ともなっているこの川には大小のコイが放流されており、とても趣深い情景を映すのです・・・が、雨がなんだか強くなってきたようですね。
武家屋敷が見えてきました。
鬱蒼とした緑に囲まれた敷地、それを取り巻く沢端川の水流、見事なものです。
ああ、雨がもっと弱かったなら・・・。
門の対面に料金所と駐輪場があります。
自転車を急いで止め、入場料200円を払ってから、
木橋で川を越えて、棟門をくぐります。
武家屋敷 旧小関家【宮城県指定文化財】。
片倉家の家臣であった小関家の屋敷で、享保15年(1730年)の建築であることが、修復時に発見された墨書きにより明らかになっています。
小関家周辺は中級クラスの武士が住む区域であり、小関家の地位も中級クラスであっただろうと推定されています。
小関家はもとは蝦夷地の大名・松前家に仕えていましたが、松前家初代・松前慶広の七男・安広が伊達政宗に請われて仙台藩に入りました。
そして政宗の意向で、安広は片倉重長の娘を娶り、白石に移住しました。
安広の家臣だった小関家も、主に続いて白石に居を構えるようになったのだといいます。
片倉重長には男子が生まれなかったため、松前安広の子を養子に迎えます。
この子が「3代目小十郎」片倉景長です。
のき?
てんじょう
にわ
だいどころ
ちゃのま(おかみ)
なかま
うらぐち?
旧小関家住宅は、それ単独のパンフレットがなく、また説明書きが一切ないため、このようなあっさりとした記述になりました。
こういう説明書きのない古民家というのも、悪くはありませんね。
外にいるときは鬱陶しい以外の何物でもない雨が、木々を生き生きとさせ、庭石や砂利に鈍い輝きを与えます。
なんともいえない、落ち着いた、すがすがしささえ覚える、そんな感覚になります。
心が洗われ、雨も弱くなってきたところで、さあ帰ろう。