鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

佐野ラーメンをハシゴする

2019-09-25 | グルメ


平 成 3 1 年 ( 2 0 1 9 年 ) 2 月 2 3 日 ( 土 )

午 前 1 1 時 0 1 分

栃 木 県 佐 野 市

唐 沢 山 を 下 山



約2時間散策した唐沢山城を下りました。
時刻は午前11時を過ぎたところ、昼食には少々早い時刻ではあります。



午前7時に食べた、佐野駅前にある松葉食堂のラーメン。
素朴ながらも私の五官を満足させた、ラーメンの街の一杯でした。


あれから4時間。
昼食はやっぱり佐野ラーメンでしょう!
ということでアイフォンさんで検索し、レンタサイクルを転がしてラーメン屋を探します。



広い県道沿いにあるこのお店。



唐沢山からはそれほど離れていない「田村屋」
自転車で10分強なので、徒歩ではかなり遠くなってしまいますね。
佐野ラーメンの名店は佐野駅前にはほとんどなく、市内にまんべんなく散らばっている、そんな印象を受けます。

レンタサイクルを借りたのは、犬伏の別れの地をめぐるためでもありますが、佐野ラーメンのお店を回るためでもあったのです。

内輪の事情はともかく、いざ入店。
う~ん、ここのバイトのJKはなかなか可愛いのぅ。
開店時刻の午前11時からそれほどたっていませんでしたが、なんと席待ち。なかなかの人気店のようですね。

そして4人席が空いたので、くだんのJKが案内してくれました。
しかし旅の漢一匹に4人席はなんとも広すぎます。
私の後から来た家族連れが、着席を今か今かと待っています。
さらに、わずか3席しかないカウンター席の1席が、まさに空こうとしています。



山城を訪問し多少空腹ぎみであった私は、チャーシューメン(税込960円)をオーダー。
さらに、たった今空席となったカウンターに移ることを提案しました。
席待ちの家族連れ、そして店員さんの感謝の笑顔を頂戴することができました。


約10分後、ラーメンがやってきました。
近頃はラーメンのどんぶりが到着したということで、「着丼」というのだそうな。



いただきます!



佐野ラーメン本日2杯目、うまい!
あっさりながらにしっかりと旨みのあるスープです。
青竹打ちの麺も、その食感を愉しませてくれます。



約8分で完食。ごちそうさまでした!



本日2杯目の佐野ラーメンをいただいたこの場所は・・・



じつは田村屋さんではなくなっているのです!!
まさか・・・廃業してしまった?!
私がブログで取り上げたお店は廃業してしまうというジンクスが、まことしやかに言われているようですが・・・




いえいえご心配なく!
田村屋さんは別の場所にお引越しされたようです。
ああ、ホッとした・・・。




午 前 1 1 時 5 1 分

佐 野 駅 に 戻 る ?


この時間は、駅での電車待ちが発生してしまいます。そこで・・・



佐野ラーメン、おかわり!
こんどのお店は「森田屋」総本店



場所はコチラ。
早朝犬伏に赴く際に見つけたお店です。
さっそく入店。



メニューは中華そばチャーシューメンビールだけ。
そしてこちらのお店は、先にレジでオーダーをしてお会計を済ませます。

店内はかなり広いですが、すでにお客さんでギッシリ。
店員さんはエプロンを着用したおばちゃまが中心、どことなく昭和っぽさ、ノスタルジーを覚えます。
ここにもJK店員がひとり。
いまだ垢抜けていない、素朴でかわいい店員さんでしたのぅ。


さて私はここでもチャーシューメンをオーダーして、着席しました。
そして約10分後・・・



チャーシューメン、着丼!
いただきます!



佐野ラーメン、3杯目! うまい!
昼の2杯目ということでややキツかったですが、それでもスルスルと我が胃の中に収まるラーメン。
こちらの麺は太さがさらに不規則で、いい具合に青竹打ち感が満載です。
スープは、醤油味が少々強いような気がしました。
まぁ、それは先ほどのラーメンで塩分を十分に摂取したからかもしれませんが。
スープの濃さを麺が弱めてくれて、ちょうど良い旨さになっている、そのように感じました。



四の五の云いましたが、うまかったので完食です!
ごちそうさまでした!





唐沢山城・最終章~山頂の高石垣

2019-09-08 | 城郭【続日本100名城】


平 成 3 1 年 ( 2 0 1 9 年 ) 2 月 2 3 日 ( 土 )

午 前 1 0 時 0 7 分

栃 木 県 佐 野 市

唐 沢 山 城 二 の 丸



唐沢山城【国指定史跡】の散策を続けます。



山の西側から登山道を上り、天狗岩避来矢(ひらいし)のそびえ立つ虎口からいったん本丸まで上りました。
今回は二の丸へと下り、



この虎口から、本丸の東側に尾根伝いで連なる郭を見てまいります。



ヒェッ・・・



本丸の北側にある郭。
案内看板によると局曲輪(つぼねくるわ)と呼ばれていたそうです。
このあたりには侍たちの屋敷が建っており、搦め手から攻め寄せる軍勢を待ち受ける武者溜となっていたようです。



郭の外周には、高さ1メートルほどの土塁が残っています。



本丸を見上げると、頭頂部には石垣が施されています。



あれだけの石が落っこちてきたら、ひとたまりもありません。
この局曲輪は、終始本丸から見下ろされる位置にあります。
搦め手における重要な防衛線、といったところでしょうか。




局曲輪の東隣に位置する郭は、長門丸
佐野家の重臣・弓削(ゆげ)長門守の屋敷があったところです。
この郭で薬草の栽培をおこなっていたことから、御花畑とも呼ばれていたそうです。



長門丸から振り返ったところです。
車道の両脇を土塁が構えていて、喰い違い虎口が形成されています。
車道を造成するために土塁を削ったため、わかりづらくなっています。
虎口の先にそびえるのは、本丸の石垣です。
本丸からの援護射撃も期待できる、防御力の高い虎口であったことが想像できますね。




その隣りは、平城
ここには金蔵が建っていたことから、金の丸宝蔵曲輪とも呼ばれていたそうです。



平城から振り返ると、長門丸との間に施されている堀切がわかります。
といっても、舗装された道路が敷設されているので、雰囲気はあまり感じられませんね。



堀切に下りたところ。
深さは約4メートル、それほど深くはありません。



反対側も、堀切で隔てられています。
ここも道路が敷設され、雰囲気を味わうことはできません。




平城の隣りは、杉曲輪
かつては御仏殿があったとされています。
郭の外周には土塁も残っています。



東側の堀切。
規模はそれほど大きくはないものの、はっきりとわかる堀切です。
舗装された道路がないので、堀切らしさを感じることができますね。




その先は平とや丸北の丸ともいいます。



案内看板によると、平とや丸の東には二重の堀切があるとのことです。
単純に、堀切が連続してふたつあるのだろう。
そう考えて進むと・・・



二重の堀切???
たしかに堀切のようなものはあるようですが、それが二重にあるのかはよくわかりません。
車道が造成されてしまっているので、「これが堀切だ!」とは言い切れないのです。
(私の観察眼や劣っている、山城登城の経験値が少ないということに他ならないのですが)

 

 

周囲を見渡すと、いかにも奈落の底へと続いている竪堀のようなみぞが複数見受けられます。
これらが二重の堀切を構成していたのでしょうか。



二重の堀切の行方よりも、異様に目立つ3基の仮設トイレが気になってしまいました。



本丸付近に戻りました。



恒例となりました、スタンプの画角探しです。
絵柄は、唐沢山が誇る本丸の高石垣唐澤山神社の神門です。
本丸の周囲を歩き、



二の丸を退出すると、



さっそく登場!



関東でこれほどの石垣は、そうそうお目にかかれません。
まぁ、江戸城という例外中の例外はありますが。



なんとも見事な石垣。
日本100名城に唐沢山城が落選したのが不思議なくらいです。
さすがに続100名城には選定されましたけどね。

高石垣の下にも、ネコさまが闊歩しておられます。
癒されますねぇ~。

しかしスタンプの画角がなかなか見つかりません。

 

ここ? わずかに違うなぁ。

 

ここでもない。

 

ここだと神門が映らない。



木が多すぎる。



まったく違う。

 

やはりここか!?

 

足下の苔を蹂躙することになるので、これ以上の画角の追求はやめておきましょう。





レンタサイクルを停めた、唐沢山レストハウス前の駐車場に戻りました。
おだやかな陽光に、眠りこけておられるネコさまに別れを告げ、



旧田沼町の市街地を眺めつつも、下り坂を一気に下る・・・のはかなり怖いので、ブレーキいっぱい握りしめてゆっくりゆっくり下っていきます。



唐沢山、下山!




午 前 1 1 時 1 6 分

佐 野 ラ ー メ ン を 食 べ な が ら


忘れていました! 唐沢山で「城攻め」するのを。
とはいえ唐沢山城自体はすでに攻略済みではありますが、



城主・佐野房綱と、その重臣・山上道及を登用できました。



これにて、唐沢山城は登城完了!





唐沢山城・第2章~唐澤山神社

2019-09-05 | 城郭【続日本100名城】


平 成 3 1 年 ( 2 0 1 9 年 ) 2 月 2 3 日 ( 土 )

午 前 9 時 1 8 分

栃 木 県 佐 野 市

唐 沢 山 城



現在は神社が鎮座する唐沢山城【国指定史跡】。



唐澤山神社の鳥居をくぐり、城の本丸へと向かいます。

 

私をまず出迎えるのは、大炊(おおい)の井
直径8メートル、深さ9メートルの大きな井戸です。
伝説によると、築城の際に厳島大明神に祈願したところ、大明神が夢に現れて水源を告げたそうです。
お告げの場所を掘ったところ、水がこんこんと湧きだしたそうで、今日に至るまで水涸れをしたことがないそうです。



石鳥居をくぐって、先へ。



石製の神橋
その下は四ツ目堀という空堀で、唐沢山の山頂部分を東西に分断しています。
当時は曳き橋が架けられていて、防戦時には橋を引き払って防衛したようです。

 

四ツ目堀ぞいを歩いてみました。
入口側の舗装道から見ると深さは2メートルほど、奥側からは深さが6メートルほどでしょうか。
この舗装道は、天狗岩とともに入口の虎口を取り囲む避来矢(ひらいし)へと続きます。



避来矢山に建つ霊廟。
唐澤山神社創建の功労者をお祀りしているそうです。
「避来矢」の名称は、城主の佐野氏の先祖で、平将門の乱の平定に大功のあった藤原秀郷の鎧から来ています。


神橋まで戻り、



唐沢山城内&唐澤山神社境内を進みます。
唐澤山神社の参道は、唐沢山城の本丸へと至る大手道でした。



大手道の途中にある桜の馬場跡
唐沢山城の兵士が馬を訓練した場所で、桜の木が多くあったことからこの名があるそうです・・・が、馬場というにはかなり手ぜまな感じがします。
ここの斜面は崖下まで続いており、三ツ目堀という竪堀を形成しています。



大手道神社の参道を引き続き歩いていきます。
大手道はこの手前で急旋回し、急斜面を駆け上がっていきます。
私はこの大手道を見逃してしまったわけですが・・・。



南城という郭に入りました。



唐澤山神社の社務所は、南城にあります。
外に据えられている机には、続100名城スタンプがありますね。



114番、唐沢山城!
絵柄は高石垣のようですね・・・あとでスタンプの画角を探すことにしましょうか。
続100名城のスタンプは朱肉のいらない「シヤチハタ式」なのですが、ここのスタンプはインクの出が悪いようです。
スタンプとともに据えてある緑色のスタンプ台を使わざるを得ず、印影の外にスタンプの淵がついてしまいました。
少し残念ですね。


唐沢山城【国指定史跡】は、伝説によると藤原秀郷によって築城されたとされています。
しかし史料にはその事実はなく、実際の築城時期は室町時代の後期、15世紀後半ごろという説が有力です。

戦国時代の佐野氏は、相模の北条氏康・氏政、越後の上杉謙信の2大勢力に挟まれていました。
城主の佐野昌綱は北条方、上杉方、再び北条方と立場を変え、そのたびに軍を差し向けられますが、唐沢山城の堅い守りをもって撃退していきました。
とくに上杉謙信は9度も唐沢山城を攻め、時には撃退し、時には降伏することもありましたが、謙信が越後に帰ると即座に北条方に寝返るなどして、佐野家の命脈を保ちました。
このことで、唐沢山城は「関東一の山城」とも謳われました。
昌綱の子・宗綱の代になると、北条と手切れして常陸の佐竹義重と同盟を組みます。
このときも北条氏照率いる大軍に攻められますが、佐竹の援軍とともに撃退しました。

しかし天正13年(1585年)宗綱が不慮の死を遂げると、佐野家にお家騒動が勃発します。
宗綱には嫡子がいなかったため、養嗣子を佐竹から迎えるか北条から迎えるかで家中が二分し、そこを北条に利用されてしまい、北条氏政の弟・氏忠を城主に据えられてしまいます。
反北条方の叔父・房綱らの有力家臣は唐沢山城を離れ、のちに豊臣秀吉小田原征伐に参加することとなります。

北条家の滅亡後は房綱が城主となって佐野家が再興。
房綱は秀吉の家臣・富田信高の弟・信種を養子としており、天正20年(1592年)に家督が譲られて信種改め佐野信吉が城主となりました。
信吉は関ヶ原の戦いで東軍に属して所領を守りましたが、慶長7年(1602年)ふもとに佐野城【佐野市指定史跡】が築城され、唐沢山城は廃城となりました。
慶長19年(1614年)兄の富田信高が改易されると、これに連座するかたちで信吉も改易にあってしまいます。





スタンプの設置場所は神社の社務所ということで、ここでは御朱印ももらうことができます。
100名城スタンプは無料でもらえますが、御朱印は1枚につき500円支払う必要があります。



唐澤山神社の御朱印はバリエーションが豊富にあり、月ごと、時節ごとに絵柄が変わるそうです。
2月は春の訪れにちなんだ絵柄で、私が選んだのは「勝利の揚羽~春を告げる鶯色~」という題がついていました。



社務所のある南城は、標高800尺だそうです。
1尺=30.3センチほどなので、800尺はだいたい242メートルほど。



雲が消え晴れ渡る唐沢山の空。
空気が澄んでいる日には、東京のビル群まで見渡すことができるそうですが、この日は少し霞かかっていました。
スカイツリーくらいは見えるかな~とも思ったのですが、見えそうで見えませんでした。

 



南城を取り囲む石垣です。
廃城から400年の風雨にも耐えてきた、素朴で荒々しい野面積みの石垣。




神社本殿への参道を上ります。
本殿は唐沢山城の本丸に鎮座しています。



引局(ひきつぼね)と呼ばれる、本丸と南城の間に位置する腰曲輪へ。
先に見える神門のあるところが本丸ですが・・・



本丸を取り囲む石垣を拝見。
こちら側の石は、比較的小さめでしょうか。


神門をくぐって、



唐沢山城の本丸へ。
唐澤山神社の拝殿本殿が鎮座します。
ここでいつもどおりの祈願をして、



別の石段から本丸を退出。
こちら側は唐沢山城の大手道にあたり、



その下は二の丸です。

 

こちらの石は大きいです。
城の主要道である大手道なので、城主の威勢をアピールするために大きな石が用いられているようですね。
それにしても、こんな山の上によくもこんな大きな石を運んできたものです。



二の丸から見上げてみると、なるほど高い石垣です。
土造りの城が主流の関東地方で、これだけの高石垣はなかなかお目にかかれません。



二の丸からの出口。
石垣による虎口が築かれています。



ここは大手道ではなく、本丸の東側に尾根伝いで連なる郭への道になります。
いわば裏道、搦め手といえるでしょうか。



唐沢山城は山ひとつをそのまま城にしてしまった広大な城なので、すべてを見回るのは困難です。
そこで二の丸から続く東の連郭を見つつ、スタンプの絵柄を探していくこととします。