戦国の英雄、真田昌幸・信幸・信繁親子。
親子の運命を決めた地・犬伏を後にしました。
広い栃木県道16号・佐野田沼線に入り、田沼方面に進みます。
しばらく進んでいくと、唐沢山方面の青看が現れます。
この交差点を右折。
行く手にそびえ立つ唐沢山。
ハイキングコースがあるようですが、レンタサイクルを捨て置くわけにはいかないので、このまま田沼方面へ。
しば~らく進み、
北関東自動車道の高架が見えてきたら、あと少し。
丁字路に差しかかりますので右折すると、
栃木県道115号・田沼唐沢山公園線へ。
ここからが唐沢山の山道です。
山道の入口にある神社。
ここからもハイキングコースがあるようですが、私はレンタサイクルとともに県道をひたすら上っていきます。
「カーブ 1」という看板。
ここの山道では、きついカーブにナンバリングがなされているようです。
「カーブ いくつ」になったら到着するのでしょうか?
この先のカーブには、ナンバリングがされておりません。
唐沢山さんは、この程度のうねった道をカーブとは認めない模様です。
「カーブ 2」。
曲がりっぷりもさることながら、上りっぷりも半端ではありません。
インコースの傾斜は異常とも言えるくらいで、レンタサイクルがだんだん足枷のように感じていきます。
3を飛ばして、「カーブ 4」。
山道は終始きつい上り坂なので、レンタサイクルをこいで進むことはできません。
「カーブ 5」。
ゴールはまだか・・・
「カーブ 6」。
それにしても、朝っぱらから山登りさせられるのは岐阜城以来です。
「カーブ 7」。
木の枝の切れ目からは、旧田沼町の市街地を見下ろす絶景が広がります。
「カーブ 7」より上った先の道からの眺め。
そのすぐ下を、カーブを経る前の道が通っています。
ふもとから一気に唐沢山を駆け上る、そんな道です。
「カーブ 11」に到達。
「唐澤山神社」ののぼりが立っており、いよいよゴールの予感・・・!
「カーブ 11」を曲がると、左側に駐車場が広がっていました。
どうやら唐沢山の山道を踏破したようです。
上り始めてから約1.4kmで、駐車場に到着。
その間の標高差は約140メートルなので、平均の傾斜は約10パーセントということになります。
昨年行った沼田城への道にも肩を並べるキツさです。
【犬伏→唐沢山の行程】
犬伏町(大庵寺) 8時05分発
栃木県道141号唐沢山公園線・同16号佐野田沼線・同115号田沼唐沢山公園線経由
唐沢山城(唐沢山レストハウス) 8時54分着
*所要時間 49分
*移動距離 7.5km
唐沢山城【国指定史跡】の登城拠点となる唐沢山レストハウス。
唐沢山城のパンフレットが欲しかったので、登城前に立ち寄りたかったのですが・・・まだ開いていません。
レストハウス前の駐車場には、なぜか猫ちゃんたちがくつろいでいます。
その数は、だいたい15匹くらいでしょうか。
レストハウスに貼ってある貼り紙。
唐沢山に捨てられてしまった飼い猫たちを、地域のボランティアの皆さんが保護しているようです。
その甲斐もあって、唐沢山は猫の楽園となっているようです。
レストハウスの開業時刻がよくわからなかったのですが、9時には開くだろうと考え、
レストハウスの裏手にある鏡岩を見てきました。
唐沢山城の城主であった佐野氏は、上杉謙信につくか北条氏康つくかで揺れていました。
はじめは上杉についていましたが、やがて北条に鞍替えしたため、唐沢山城は幾たびも上杉謙信に攻められることになります。
鏡岩は、西日を反射させて攻め手の上杉軍の眼を惑わせたといいます。
上杉謙信は、唐沢山城を9度も攻めたといいます。
そのさいに鏡岩は上杉軍の兵火に遭い、表面が黒く焦げてしまったといいます。
鏡岩の近くにも、猫さまがいらっしゃいました。
昔は戦場でもあったこの地が、今や猫の楽園に・・・なんだか、ホッとしますね。
時刻は9時を回り、レストハウスが開きました。
ここではパンフレットを入手して、
枡形虎口から入ります。
かぎ状に折れ曲がっている虎口。
これを形作っているのは石垣です。
唐沢山城は関東でも珍しい、石垣がふんだんに造成されている城郭です。
関東では採石に適した地が少なく、石垣を造成するには江戸城のように権力財力にものをいわせて西日本から運ぶ場合が多いのです。
唐沢山城の城主であった佐野氏は、江戸城の征夷大将軍のような権力はないので、この山が採石に適していたと考えるのが自然です。
虎口の先にある、天狗岩の登り口。
荒々しい岩肌の天狗岩。
この岩も、唐沢山が採石に適していたことを示唆しているように思えます。
天狗岩からの眺望、見事!
北西の旧田沼町方向を眺めています。
早朝に犬伏の別れの現場を訪れなかった場合は、あちらにある田沼駅から歩いてくることになっていました。
南西の佐野市街。
太い帯は北関東自動車道で、この唐沢山城の地下をトンネルで貫いています。
南方向、東京方面。
この日はさすがに東京までは見えませんでしたが、江戸時代初頭にはここから江戸の火事が見えたといいます。
ときの城主・佐野信吉は江戸で兵火が起きたと思い込み、軍勢を率いて江戸に入ったのですが、これを無断参府、幕府の許しも得ずに軍を率いて江戸に入ったことを咎められ、のちに改易になってしまいました。
幕府としては、江戸のほど近くに外様大名を置いとくわけにはいかないという処置だったのでしょう。
江戸の様子までも見渡すことのできる天狗岩。
唐沢山城を攻め寄せる軍勢の様子は、手に取るように見ることができたでしょうね。
天狗岩から下りました。
虎口にたたずむ虎・・・?
唐澤山神社の鳥居をくぐって、唐沢山城の本格的な登城は始まります。