鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

唐沢山城・第1章~猫城

2019-08-28 | 城郭【続日本100名城】


平 成 3 1 年 ( 2 0 1 9 年 ) 2 月 2 3 日 ( 土 )

午 前 8 時 0 5 分

栃 木 県 佐 野 市

犬 伏 町 ・ 大 庵 寺



戦国の英雄、真田昌幸・信幸・信繁親子。



親子の運命を決めた地・犬伏を後にしました。



広い栃木県道16号・佐野田沼線に入り、田沼方面に進みます。



しばらく進んでいくと、唐沢山方面の青看が現れます。
この交差点を右折。



行く手にそびえ立つ唐沢山



ハイキングコースがあるようですが、レンタサイクルを捨て置くわけにはいかないので、このまま田沼方面へ。
しば~らく進み、



北関東自動車道の高架が見えてきたら、あと少し。



丁字路に差しかかりますので右折すると、



栃木県道115号・田沼唐沢山公園線へ。
ここからが唐沢山の山道です。




午 前 8 時 3 1 分

唐 沢 山 を 上 る




山道の入口にある神社。
ここからもハイキングコースがあるようですが、私はレンタサイクルとともに県道をひたすら上っていきます。



「カーブ 1」という看板。
ここの山道では、きついカーブにナンバリングがなされているようです。
「カーブ いくつ」になったら到着するのでしょうか?



この先のカーブには、ナンバリングがされておりません。
唐沢山さんは、この程度のうねった道をカーブとは認めない模様です。



「カーブ 2」
曲がりっぷりもさることながら、上りっぷりも半端ではありません。
インコースの傾斜は異常とも言えるくらいで、レンタサイクルがだんだん足枷のように感じていきます。



3を飛ばして、「カーブ 4」
山道は終始きつい上り坂なので、レンタサイクルをこいで進むことはできません。



「カーブ 5」
ゴールはまだか・・・



「カーブ 6」
それにしても、朝っぱらから山登りさせられるのは岐阜城以来です。



「カーブ 7」



木の枝の切れ目からは、旧田沼町の市街地を見下ろす絶景が広がります。



「カーブ 7」より上った先の道からの眺め。
そのすぐ下を、カーブを経る前の道が通っています。
ふもとから一気に唐沢山を駆け上る、そんな道です。



「カーブ 11」に到達。
「唐澤山神社」ののぼりが立っており、いよいよゴールの予感・・・!



「カーブ 11」を曲がると、左側に駐車場が広がっていました。
どうやら唐沢山の山道を踏破したようです。


上り始めてから約1.4kmで、駐車場に到着。
その間の標高差は約140メートルなので、平均の傾斜は約10パーセントということになります。
昨年行った沼田城への道にも肩を並べるキツさです。



【犬伏→唐沢山の行程】



犬伏町(大庵寺) 8時05分発
栃木県道141号唐沢山公園線・同16号佐野田沼線・同115号田沼唐沢山公園線経由
唐沢山城(唐沢山レストハウス) 8時54分着

*所要時間 49分
*移動距離 7.5km




午 前 8 時 5 4 分

唐 沢 山 レ ス ト ハ ウ ス 前




唐沢山城【国指定史跡】の登城拠点となる唐沢山レストハウス
唐沢山城のパンフレットが欲しかったので、登城前に立ち寄りたかったのですが・・・まだ開いていません。

 

レストハウス前の駐車場には、なぜか猫ちゃんたちがくつろいでいます。
その数は、だいたい15匹くらいでしょうか。



レストハウスに貼ってある貼り紙。
唐沢山に捨てられてしまった飼い猫たちを、地域のボランティアの皆さんが保護しているようです。
その甲斐もあって、唐沢山は猫の楽園となっているようです。


レストハウスの開業時刻がよくわからなかったのですが、9時には開くだろうと考え、



レストハウスの裏手にある鏡岩を見てきました。



唐沢山城の城主であった佐野氏は、上杉謙信につくか北条氏康つくかで揺れていました。
はじめは上杉についていましたが、やがて北条に鞍替えしたため、唐沢山城は幾たびも上杉謙信に攻められることになります。
鏡岩は、西日を反射させて攻め手の上杉軍の眼を惑わせたといいます。

上杉謙信は、唐沢山城を9度も攻めたといいます。
そのさいに鏡岩は上杉軍の兵火に遭い、表面が黒く焦げてしまったといいます。



鏡岩の近くにも、猫さまがいらっしゃいました。
昔は戦場でもあったこの地が、今や猫の楽園に・・・なんだか、ホッとしますね。





時刻は9時を回り、レストハウスが開きました。
ここではパンフレットを入手して、



枡形虎口から入ります。



かぎ状に折れ曲がっている虎口。
これを形作っているのは石垣です。

唐沢山城は関東でも珍しい、石垣がふんだんに造成されている城郭です。
関東では採石に適した地が少なく、石垣を造成するには江戸城のように権力財力にものをいわせて西日本から運ぶ場合が多いのです。
唐沢山城の城主であった佐野氏は、江戸城の征夷大将軍のような権力はないので、この山が採石に適していたと考えるのが自然です。



虎口の先にある、天狗岩の登り口。



荒々しい岩肌の天狗岩。
この岩も、唐沢山が採石に適していたことを示唆しているように思えます。



天狗岩からの眺望、見事!
北西の旧田沼町方向を眺めています。
早朝に犬伏の別れの現場を訪れなかった場合は、あちらにある田沼駅から歩いてくることになっていました。



南西の佐野市街。
太い帯は北関東自動車道で、この唐沢山城の地下をトンネルで貫いています。



南方向、東京方面。
この日はさすがに東京までは見えませんでしたが、江戸時代初頭にはここから江戸の火事が見えたといいます。
ときの城主・佐野信吉は江戸で兵火が起きたと思い込み、軍勢を率いて江戸に入ったのですが、これを無断参府、幕府の許しも得ずに軍を率いて江戸に入ったことを咎められ、のちに改易になってしまいました。
幕府としては、江戸のほど近くに外様大名を置いとくわけにはいかないという処置だったのでしょう。

江戸の様子までも見渡すことのできる天狗岩。
唐沢山城を攻め寄せる軍勢の様子は、手に取るように見ることができたでしょうね。


天狗岩から下りました。



虎口にたたずむ虎・・・?



唐澤山神社の鳥居をくぐって、唐沢山城の本格的な登城は始まります。





第76回鬼ヅモ同好会麻雀大会手顛末記~不発弾

2019-08-25 | 鬼ヅモ同好会


令 和 元 年 ( 2 0 1 9 年 ) 8 月 1 5 日 ( 木 )

午 後 9 時 4 2 分

横 浜 市 某 所

鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会 会 場



ある者は四十路の境を越え、ある者は未だ三十代の令和元年の夏。
横浜に集いて繰り広げられる・・・



麻雀決戦。
今回からは時間短縮ということで、索子緑發紅中のみを使うこととなりました!



・・・という「すずめ雀」をオープニングゲームとして行いました。
う~む、なぜだか私は対子ばっかり揃ってしまったのですが、すずめ雀は七対子に対応する役がないので、いささか苦戦してしまいました。



さて本戦へ。



あ、会長の七対子に刺されてしまった・・・。
これを皮切りに会長の躍進が始まってしまいました。
私は立直をかわされたり、大物手を安手で蹴られたりと、なかなかに苦しい展開。

この日の会長は麻雀だけでなく、酒の席でもトリスを一瞬にして消すマジックを披露し・・・
酒の席が終わった後も北門の温州事変を講談しておられましたなぁ。
(※「北門温州事変」は完全に内輪ネタなので、お気になさらないでくださいね)



とある私の配牌。



この配牌なので門前混一色を狙おうかとも思いましたが、和了から遠ざかっていた私はダブル立直へ。
待ちがど真ん中の五筒なのでそうそう出ては来ないでしょうが、まぁいずれ自摸あがりできるだろう・・・そう考えていたのですが、

出ねぇぞ~!

このまま流局となってしまい、まさかのダブリー不発。
五筒はよね先生が3枚手中に収めていたのでした。


とある会長の配牌。

 (C)へぶつい@会長

紆余曲折は会長のサイトをご覧いただくとして、この回もダブリー不発。


そしてとある局にて。



こんどは副会長・たか先生がダブリー。
と思えば会長の捨牌は・・・世に云う「マネ満」ではありませんか!
当会ではマネ満は採用していないのでこのまま続行となりますが、これが結末を暗示しているかのようです。



ダブリーの攻め手をかいくぐり、会長が三暗刻のみという、いぶし銀のような和了。
たか先生の手牌は七対子で、赤牌を有しての五索単騎待ちでした。

う~ん、私の場合といい、ど真ん中で待つダブリーはあがれませんねぇ~。
そして会長の場合も含め、ダブリーが3発でて、そのすべてが不発というのも、珍しいケースでした。



珍しいといえば、

 (C)へぶつい@会長

会長が三色同刻をあがりました。
振り込んだのは私・・・かなりのレア役なんですが、たったの2翻なんですよね。
それより暗刻の二筒がドラだった・・・こっちのほうが痛かったですね。



今大会のスコアは、こんなもんです。






初日、2日目に躍進した会長が、そのまま逃げ切って優勝となりました。
意外なことですが、会長は平成29年5月の第70回大会以来6大会ぶりの優勝となります。
おめでとうございます!



第76回鬼ヅモ同好会麻雀大会顛末記 完

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犬伏の別れ

2019-08-11 | 寺院仏閣


平 成 3 1 年 ( 2 0 1 9 年 ) 2 月 2 3 日 ( 土 )

午 前 7 時 1 1 分

栃 木 県 佐 野 市

佐 野 駅 前



佐野駅を出ました。



朝早く開いている飲食店を探します。
駅前を見てみると、があるだけでファミレス、ハンバーガー、牛丼の店は見当たりません。



7の隣りにレンタサイクルしのはらがありました。
朝早いからまだ営業を・・・おや、開いている?



本日の我が愛馬です。
ほの暗い室内から突然現れた翁にやや驚いたものの、営業は午前7時からということで無事に借りることができました。
レンタル料金は1時間110円、以後1時間ごとに70円ずつ加算されていきます。
3時間で250円、5時間でも400円弱ですから、お安いといえますね。


さあ、まずは朝飯を食べられるところを探しましょう!



あ、向かいにあった・・・。
けど、開いているのか?
あ、扉はカギがかかっていない、中にはすでに先客がいます。

佐野駅に一番近い飲食店、「松葉食堂」
「本日、親子丼550円」という札が懸っているので、おすすめは親子丼なのかもしれませんが・・・



佐野ラーメン1杯目、うまい!
朝飯としてはちょうど良いラーメンを食し、550円を支払いました。
「こんなのでいいんだよ~」というような素朴だけどうまいラーメンで、幸先の良い旅のスタートです。





再び佐野駅前。
丁字路を右に進みます。
そのまま道なりに進むと細い道になりますが、そのまま進み・・・



センターラインが黄色の、幹線道路っぽい道が現れたら、左折。



JR両毛線の踏切を越え、その先の東武佐野線の高架をくぐり、



その先の丁字路を栃木市方面へ右折、栃木県道141号線に入ります。



唐沢山まで6km・・・ですが、最初の目的地はそちらではありません。



「真田丸農場直売所」・・・こんなところにも大河ドラマの影響が。



「犬伏町」
最初の目的地が近づいてまいりました。
前方に見える低い山、その足元。



真田六文銭が翻る小さなお堂、新町薬師堂に到着しました。



【佐野駅前→新町薬師堂の行程】



佐野駅前(松葉食堂) 7時30分発
栃木県道141号唐沢山公園線・同75号栃木佐野線経由
新町薬師堂 7時47分着

*所要時間 17分
*移動距離 3.3km




慶 長 5 年 ( 1 6 0 0 年 ) 7 月 2 1 日 ( 金 )

下 野 国 安 蘇 郡 犬 伏 ( 現 在 の 栃 木 県 佐 野 市 )

真 田 軍 本 陣


太閤・豊臣秀吉が薨去し、徳川家康が次の天下人に名乗りを上げようとしている時節。

家康は会津の上杉景勝難癖をつけ「謀反の疑いあり」として、申し開きのために上洛をするように促しましたが、景勝がこれを拒否。
家臣の直江兼続から「直江状」を送られ・・・たかどうかはわかりませんが、家康は「上杉の謀反、疑いなし!」として、上杉討伐軍を起こしました。
上杉討伐軍には主に東国の諸大名が参加し、信州上田の領主・真田昌幸とその次男・信繁(幸村)、上州沼田の真田信幸も参戦すべく、軍勢を動かしておりました。

昌幸の軍と長男の信幸の軍は、下野国犬伏の地で合流しました。
その晩、はるか西の上方から重大な書状が届けられたのです。

「内府違いの条々」、内大臣・徳川家康に対する弾劾状。
豊臣五大老の毛利輝元宇喜多秀家、そして豊臣五奉行の前田玄以増田長盛長束正家の5名が連署しています。
石田三成はこのとき佐和山城に謹慎していたため、表向きは記名していません)
これに応じた西国の大名は軍勢を大坂に集結させ、石田三成とその親友といわれる大谷吉継も加わります。



これを受けて、真田親子は今後の去就を決めるべく、犬伏の地にあった薬師堂で話し合いをしたといいます。

父・昌幸は、その正室・山手殿が三成の正室の姉という説があります。さらに上田合戦以来、家康は仇敵。
兄・信幸は、その正室・小松姫が家康の重臣・本多忠勝の娘で、家康の養女でもあります。
弟・信繁は、その正室・竹林院が大谷吉継の娘です。

父と弟は西軍に、兄は東軍につくことを主張しましたが、両者は折り合いません。
そこで双方が敵味方に分かれ、東西どちらが勝っても真田の家は生き残るという策をとりました。

この犬伏の談合が、昌幸・信繁と信幸との今生の別れとなりました。
世に云う、「犬伏の別れ」です。





午 前 7 時 4 8 分

新 町 薬 師 堂


犬伏の別れから400年。



当時のままではありませんが、今もなおお薬師さまが祀られているようです。



お堂の中には、コスプレ用と思われる3領の甲冑が置いてありました。
信幸(信之)の甲冑の背後には、93歳もの天寿を全うした真田信之その人の辞世が掲げられていました。

何事も 移ればかわる 世の中を 夢なりけりと 思はざりけり
(どのような事も時が過ぎれば変わってしまうものであるが、それでも昔あった出来事を夢であったと思うことはできない)




薬師堂で互いの去就を決断した親子は、近くの川にかかっていた橋で今生の別れをしました。
現在は川はなく、当然橋もかかっていないのですが、その橋は道路を挟んだ向かいの寿司屋付近にあったそうです。



別れ橋伝承地
当時の川は、現在では暗渠になっているようですね。




午 前 8 時 0 1 分

犬 伏 町 ・ 大 庵 寺


薬師堂から佐野駅方面へ引き返します。



進んでいる道は日光例幣使街道
江戸時代に天皇の代理として、日光東照宮へ幣帛(お供え物)を運ぶ使者が例幣使でした。
例幣使は中山道から東国に下り、高崎の倉賀野宿から脇街道を進みましたが、その脇街道が日光例幣使街道です。
上杉討伐に向かう真田の軍勢も、この道を通ったことでしょう。



1km弱進んだところで、大庵寺に着きました。



【新町薬師堂→大庵寺の行程】



新町薬師堂 7時57分発
栃木県道75号栃木佐野線・同141号唐沢山公園線経由
大庵寺 8時01分着

*所要時間 4分
*移動距離 0.9km





寺の境内へ。



朝早い境内には、まだ誰もいません。



本堂でしょうか。
ずいぶん現代的ではありますが・・・

「犬伏の別れ」の話し合いが行われたのは、薬師堂ではなくこのお寺だったという説もあるのです。
真田親子も名のある大名でありますし、親子とはいえ昌幸と信幸は別々の所領が与えられていたので、大名同士の会談としてはふさわしい場所かもしれません。
しかしながら小さな薬師堂で談合したというほうが、よりドラマチックではありますね。



唐沢山城【国指定史跡】に行く前に、少しばかり寄り道をいたしました。





東武アーバンパークライン&スカイツリーライン

2019-08-03 | 鉄道の旅


平 成 3 1 年 ( 2 0 1 9 年 ) 2 月 2 3 日 ( 土 )

午 前 5 時 1 8 分

千 葉 県 流 山 市

東 武 鉄 道 江 戸 川 台 駅



今回の旅のスタート地点は、



いつもの柏駅とは異なり、東武アーバンパークライン 江戸川台駅東口です。
江戸川台駅は、柏駅から東武アーバンパークラインで大宮方面に4駅のところにあります。
なぜJRを使わないかと申しますと、



今回は「ふらっと両毛 東武フリーパス」を利用するからです。
したがって行き先は両毛地域、栃木県南西部から群馬県南東部をめぐっていきます。

 (東武鉄道のサイトより引用)

「ふらっと両毛 東武フリーパス」(以下、「ふらっと両毛」といいますね、この呼称は長いから)は、
 ・出発駅からフリーエリアまでの往復乗車券
 ・フリーエリアの乗り降り自由
2つの乗車券がセットになっているきっぷになっています。
また「ふらっと両毛」の有効期間は3日間となっています。



私が持っているこの「ふらっと両毛」の場合は、以下の効力をもっています。
 ・江戸川台駅から茂林寺駅まで、往路を1回だけ乗ることができる
 ・茂林寺駅から先のフリーエリアは、3日間乗り放題となる。
 ・茂林寺駅から江戸川台駅まで、復路を1回だけ乗ることができる
さらにこのエリアは、有料の特急である特急りょうもうが走っています。
「ふらっと両毛」をもっている場合は、特急料金を別途支払うだけで、特急りょうもうに乗車できます。

江戸川台駅発着の「ふらっと両毛」は、2,200円。
これより東の初石、流山おおたかの森、豊四季、柏、新柏、増尾、逆井、高柳、六実、新鎌ヶ谷、鎌ヶ谷の各駅発着のときは、2,400円となります。
わが本拠地の最寄駅は豊四季駅なのですが・・・まぁ、経費節減ですね。
それにしても柏・新鎌ヶ谷間の通常運賃が250円なのに、「ふらっと両毛」では金額が同じなのは意外でした。


なお「ふらっと両毛」などの企画もののきっぷは、券売機では買うことができません。
駅の窓口で買う必要があるのですが、早朝は閉まっているので、事前に購入しておきました。
購入時には使用期日を指定しなければならないので、旅行日をよく確認しておく必要があります。


江戸川台駅の改札を通過して、



最初の電車は、5時23分発 東武アーバンパークライン 普通電車 大宮行きです。
そうそう、「ふらっと両毛」は自動改札でも通過できます。



旅立つ前に、筆者が申し上げなければならないことがあります。

東武鉄道のみなさま、
長年「東武スカイツリーライン」と、
「東武アーバンパークライン」の呼称をバカにして
申し訳ありませんでした m(_ _)m


今回は東武鉄道の旅。
当然のことながら、東武鉄道さんが推奨する「スカイツリーライン」「アーバンパークライン」の呼称を尊重してまいります。



5時23分、電車は定刻どおりに発車。
まだ夜が明けていないので、ニッポン城めぐりをいじったり、居眠りしたり・・・。



カーモンベイビー カーモンベイビー たまねぎ食べれる?



5時53分、春日部駅で下車しました。




午 前 5 時 5 5 分

埼 玉 県 春 日 部 市

東 武 鉄 道 春 日 部 駅


春日部駅
東武スカイツリーライン東武アーバンパークラインが交差するターミナル駅です。
某幼稚園児のご尊父が、ここから東京方面へ出勤されているようですが・・・



私はその逆方向へ。
今度の電車は、6時00分発 東武スカイツリーライン 区間急行 館林行きです。
東武鉄道の編成種別は、普通、区間準急、準急、区間急行、急行と、特急の6種類。
特急以外の5種類は、乗車券だけで乗ることができます。



ここで最初の「城攻め」
春日部氏館(埼玉県春日部市)を攻略しました。


パニック パニック パニック みんなが慌ててる~
6時00分、春日部駅を発車。



区間急行は春日部から2駅飛ばして、東武動物公園駅へ。
ここで東武伊勢崎線東武日光線に分岐しますが、電車はそのまま伊勢崎線に乗り入れます。
なお、東武動物公園から先は各駅停車となります。


夜が明けて、





利根川を渡って、群馬県へ。



「ふらっと両毛」のフリーエリアに突入し、



6時42分、館林駅に到着。




午 前 6 時 4 4 分

群 馬 県 館 林 市

東 武 鉄 道 館 林 駅


小泉線佐野線が分岐する館林駅。



今度の電車は、6時47分発 佐野線 普通電車 葛生(くずう)行きです。



1番線でありながら、追いやられ感アリアリの佐野線に乗車します。
発車前に「城攻め」しといて・・・



館林城(群馬県館林市)を攻略、



「徳川四天王」榊原康政を登用!
康政は部隊の統率に優れた名将で、豊臣秀吉との直接対決・小牧長久手の戦いでは豊臣軍を大いに破り、これに激怒した秀吉に「榊原の首を取った者には10万石を与える!」と賞金を懸けられてしまったといいます。
のちに秀吉とは和解し、家康が関東に移ると館林に10万石の所領を与えられました。

酒井忠次井伊直政はすでに家臣に加えているので、残る「四天王」は本多忠勝のみとなりました。



6時47分、発車。





電車は渡良瀬川を渡り、栃木県に入りました。



今回の旅、最初の目的地は唐沢山城【国指定史跡】です。
平成30年の夏に登城しようとしましたが、天候の悪化を理由に取りやめたところです。

今回の旅のテーマは、リベンジ
ここ最近毎回リベンジと銘打っている感じもしますけどね。

唐沢山城の最寄駅は、佐野線の田沼駅という小さい駅なのですが・・・早朝から何も食べていない私は、



田沼駅の2つ手前、周囲に飲食店のありそうな佐野駅で下車。



佐野駅を出て、まずは飲食店を探します。



【今回の乗車記録】

T O B E 東武鉄道 [TD20]江戸川台駅 1番線 5時23分発
[TD]東武アーバンパークライン(野田線) 普通 大宮行き 6両
[TD10]春日部駅 8番線 5時53分着

[TS27]春日部駅 3番線 6時00分発
[TS]東武スカイツリーライン(伊勢崎線) 区間急行 館林行き 8両
[TI10]館林駅 5番線 6時42分着

[TI10]館林駅 1番線 6時47分発
[TI]東武佐野線 普通 葛生行き 2両ワンマン
[TI34]佐野駅 1番線 7時04分着

*所要時間 1時間41分 (移動時間 1時間29分 乗換時間 12分)
*移動距離 70.7km
*運賃 ふらっと両毛使用(使用しない場合、IC運賃 885円)



【今回の「城攻め」成果】

[TS]東武スカイツリーライン(伊勢崎線)
5時59分 [TS27]春日部駅     春日部氏館(埼玉県春日部市)を攻略
6時00分 [TS27]春日部駅     発車
6時04分 [TS30]東武動物公園駅  到達、このまま[TI]東武伊勢崎線に直通

[TI]東武伊勢崎線
6時05分 [TS30]東武動物公園駅  発車
6時18分 [TI03]鷲宮駅      粟原城(埼玉県久喜市)を攻略
6時21分 [TI04]花崎駅      花崎城(埼玉県加須市)を攻略
6時42分 [TI10]館林駅      到着

[TI]東武佐野線
6時46分 [TI10]館林駅  館林城(群馬県館林市)を攻略、榊原康政を登用
6時47分 [TI10]館林駅  発車
6時56分 [TI32]田島駅  植野城(栃木県佐野市)を攻略
7時04分 [TI34]佐野駅  到着