鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

小樽運河散策・第2章~北運河

2017-09-28 | 街並み


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 後 2 時 4 8 分

ふ た た び 小 樽 運 河 へ



小樽の街ブラを中断して、



「柳川湯」でひとっ風呂浴びた後は、再び小樽運河を散策します。



太陽が傾いてくる時刻を迎え、小樽の青空はより澄み切っていました。
レトロな倉庫群が水面に映る運河は小樽を代表する風景ですが・・・



あえてその反対側の遊歩道を歩いていきます。
こちらはレトロな倉庫が運河沿いにはなく、現役感のある建物が建ち並んでいるようです。
運河沿いを走る小樽臨港道路に、レトロな建築物が並びます。



最初の建築物は、旧小樽倉庫【小樽市指定歴史的建築物・第13号】。
小樽散策前に観光案内所だと思って入った運河プラザも、旧小樽倉庫の一部分だったのです。

明治23年(1890年)から明治27年建築、倉庫は木骨石造りで事務所は木骨煉瓦造りとなっています。
色内地先の埋め立て直後に建てられた営業用倉庫のひとつ。
正面右手の倉庫が最初の建設で、増築を重ね2つの中庭を囲む大倉庫となりました。
寄棟の瓦屋根にしゃちほこをのせた和洋折衷のデザインで煉瓦造りの事務所を中心に左右対称に展開し、全体として優雅な美しさをみせています。
北側を市博物館、南側を運河プラザに活用、公開されています。
(小樽市の案内看板より)




運河プラザから離れたところにある入口は、小樽市総合博物館別館「運河館」に続きます。
せっかくなので中に入ってみます。
そういえばこれまで何軒も歴史的建造物をめぐってきましたが、中に入ったのはこの旧小樽倉庫と、後述の1軒だけになってしまいました。



館内にあった人口の棒グラフ。
大正時代までは、小樽市の人口が札幌のそれを上回っていたのです。現在はというと・・・・・・(T_T)
札幌は明治4年でわずか13人の集落だったのが、現在は人口190万超となりました。
一方小樽は平成に入って人口が減り始め、現在は約12万人ほどとなっています。



活気があったかつての商都・小樽の街並みの再現。



小樽の自然、小樽周辺にはこんな動物がいますよ~的な展示だったでしょうか。



なぜか火をおこしてみようというコーナーがありました。
やってみましたが、火がおこる前にリタイア・・・。
ライターやマッチがいかに便利なものなのか、思い知らされました。
そして平素の体力不足も・・・(T_T)



旧小樽倉庫の中庭。
秋の晴天に向け、しゃちほこがのびのびと背伸びしているかのようです。


旧小樽倉庫の次に現れたのは、旧大家倉庫【小樽市指定歴史的建築物・第1号】です。



明治24年(1891年)建築、木骨石造り。
石川県出身の海産商・大家七平によって建てられ、建物の妻壁に「山七」の印があります。
外壁に札幌軟石を使用し、越屋根と入口部分の二重アーチが特徴です。
その雄大さと独特の姿は運河地区の石造倉庫を代表するもののひとつです。
(小樽市の案内看板より)



いっぽう運河は、









あまりレトロな雰囲気はありません。
歩いている観光客も少なかったです。



古いアパートのような社宅のような建物の先で、運河の幅が広がります。
このあたりは通称北運河と呼ばれるそうですが、この広い幅が元来の小樽運河だったのでした。
現在の小樽運河の姿は、道路拡張工事のため半分を埋め立てられたことに由来するのですが、このあたりは埋立てが行われず元の姿が残っています。


北運河のところにある歴史的建築物、

 

旧澁澤倉庫【小樽市指定歴史的建築物・第20号】。

明治28年(1895年)建築、木骨石造り。
運河北部寄りの倉庫群のひとつ。
大きな切妻屋根を架けた本体の前面に、2棟の角屋が突き出る変わった形をしています。
向かって右手が一番古く、明治28年に建てられた棟。
その後左棟を並べて建て、次いで2棟をあわせた大屋根を架けて、今の姿になったといわれます。
(小樽市の案内看板より)


現在は「GOLD STONE」というカフェになっているようですね。
当時は店名を見て、「ああ、歌いながら作っていくアイスクリーム屋か」と思いました。
でもあちらは"GOLD"じゃなくて"COLD"でしたね。




現役感あふれる運河沿いの建物。



北運河に停泊する船舶。
こちらの運河はいちおう現役のようですね。



北運河を離れ、近くにある運河公園へ。





西日に照らされる噴水が、なんとも美しいです。
そして、この公園内にも建築物が。



旧日本石油倉庫【小樽市指定歴史的建築物・第53号】です。

大正9年(1920年)建築、木骨石造り。
小樽運河周辺には、明治から大正期にかけて、木骨石造の倉庫が軒を連ねていましたが、本倉庫は、その典型的な建物です。
小屋組は、クイーンポストトラス(対束小屋組)と呼ばれる洋風の構造です。
2本の束が、陸梁の中央付近で左右対称に建てられています。
平成10年の運河公園オープンに先立ち、新しい石を用いて建て直されています。




そしてこの後、噴水の後ろに構える建物に、私は入っていきました。





誕生日ドライブ2017・後篇~エアポート成田

2017-09-24 | ドライブ


2 0 1 7 年 9 月 1 8 日 ( 女 王 誕 生 日 )

午 後 2 時 1 3 分

茨 城 県 鹿 嶋 市 を 走 行 中



太平洋が見たいということで、



茨城県鉾田市の大竹海岸までドライブ。

そして、帰りは往きのルートとは違った道を走るという私のヘンなこだわりで、国道51号線を千葉方面に進んでいました。



カシマサッカースタジアムです!
私の地元は鹿島アントラーズのホームタウンですが、このスタジアムの中には一度も入ったことはないのです。
なんでもカシマのスタジアムグルメはJリーグ随一との呼び声も高いとか。
ここいらで食事でも・・・と助手席の女王様に提案申し上げましたが、却下されました。

結局、イオン鹿島店(ショッピングセンター・チェリオ!!・・・おおぅ、懐かしい響き)近くのサイゼリアで遅めのランチをとりました。



時計は午後3時を回り、我々はこのまま国道51号をたどっていきました。



午後3時15分、国道51号・神宮橋を通過。



神宮橋からの鰐川
今回も私は運転中のため、車窓からの撮影は女王様にお任せしております。



国道355号との分岐点。
約30年の間疑問に思っていたのですが、この上に架かる橋はどうやって行くのでしょうか?
ここを初めて通る女王様も同じことを思ったらしく、デジカメさんでパシャリ。



そのすぐ先にある北利根橋
「右手が霞ヶ浦だよ」
私のその言葉を聞いた女王様がデジカメさんを操作したのですが、ちょっと残念なものになってしまいました。
女王様もいささか悔しそうでした。うんうん、かわいいのぅ(*^_^*)



茨城県と千葉県を結ぶ水郷大橋
水面はおそらく利根川でしょうか。


我々はついに千葉県へ。
利根川沿いの香取市で国道356号に進路変更すれば、本拠地・柏へあっさり帰ることはできますが・・・
そんなことをする私ではありません。
このまま国道51号を進みます。




午 後 4 時 0 5 分

成 田 国 際 空 港






なんと成田空港まで来てしまいました。
柏へは帰らずに、このまま外国へと旅立つ・・・?







ジェットスターに乗るか?





はたまたJAL(日本航空)か?!


もちろん飛行機には乗りません、飛行機を見に来ただけ。
国道51号沿いにある十余三東雲とよみしののめの丘という飛行機見物の公園に立ち寄っただけでした。
この日は気温30度超の晴れ、女王様お肌の問題も考慮しなければならないので、



ちょいと失敗してしまいましたが、3着目のJALをカメラに収め、この日の撮影会は終了。



帰り道女王様から、「トイレに行きたくなりそうだから、コンビニに寄って」とのリクエストが。
さらに女王様から、「ソフトクリーム食べたいからミニストップに寄って」とのリクエスト。
ホントにソフトクリームがお好きですなぁ。

車は成田市内で国道465号に乗り換え、狭い田舎道を通っていると、偶然ミニストップを発見。
女王様のご命令をなんとかクリアできたのでした。



時は夕刻。



なんとか印旛沼をカメラに収め、



夕陽に照らされた我々は、千葉ニュータウンを通って柏の本拠地へ帰りました。



完全私的旅「誕生日ドライブ2017」 完

ホーム画面に戻る。


誕生日ドライブ2017・前編~太平洋が見たくて

2017-09-23 | ドライブ


2 0 1 7 年 9 月 1 8 日 ( 女 王 誕 生 日 )

午 前 9 時 4 3 分

千 葉 県 我 孫 子 市

デ ニ ー ズ で 朝 食



なんと? 9月18日は敬老の日ではないかと?!

たしかに世の中は敬老の日という国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)第2条に定められている日なのですが・・・
私の中では「女王誕生日」となっているのです!!
傍らの女王様がまた一歩祝われる側へと近づいて・・・何でもありません(^_^;)

昨年の女王誕生日には・・・



札幌時計台【国指定重要文化財】を訪れ、



夕刻の釧路港を歩き、



炉端焼きのお店で海の幸を堪能したのでした。

ひとりで。

2年連続このようなお留守番をさせることなど、社会的にも許されるはずはありません。



今年は隣町・我孫子のデニーズで、



モーニングを食して、日帰りのドライブへと出かけます。
運転するのは私なので、車窓からの撮影は女王様にカメラを預けることとなります。



この日は、台風が接近した夜を経ての青空。
草木はこのようにこうべを垂れていました。

午前10時18分、我孫子のデニーズを出発。
行き先は・・・とりあえず太平洋が見たいというだけで、あまり明確に定めてはいませんでした。



デニーズを出た我々は、国道6号を北上します。
そして利根川の橋梁に差しかかったところで、国道6号を外れました。

そのうち国道356号へ。



千葉県は出ず、利根川の流れと共に東へと進みます。



雲一つない青空。
川の向こうには筑波山がよく見えます。
気温は30度くらいでしたが、空は澄み渡っていて秋らしさを感じます。

車の流れはいたって順調。
カーラジオは「敬老の日」の文言を連呼してきましたが(^_^;)



出発して約1時間。



近年できたばかりの道の駅・発酵の里こうざきで、1回目の休憩をとりました。




午 前 1 1 時 2 0 分

千 葉 県 香 取 郡 神 崎 町

道 の 駅 ・ 発 酵 の 里 こ う ざ き




私「かわやまハム???」
女王「くりやまハムでしょ」

私も耄碌したものです。
鎌倉で「うといべんこ」の迷言を残した女王様に、鋭く指摘されてしまいました。

なぜかテラスにセスナが停まっている道の駅で、とりあえず販売されているものを見てみます。



手作りフクロウの群れ。
太后様(女王様の御母堂)がフクロウ好きということで、小さいフクロウを購入しました。
ほかに、紅あずまというさつまいもと、さといもが安かったので購入。

そして小腹を満たすべく、



女王様はとうふミルクソフト(350円)を召し上がります。
ホントにソフトクリーム好きですねぇ~。
一口いただきましたが、最初はソフトクリームの甘い味、そしてすぐに豆腐の風味がやってきて、後味は豆腐という感じでした。


道の駅を後にし、



神崎大橋を渡ってついに茨城県に入りました。




午 後 1 2 時 3 0 分

茨 城 県 潮 来 市

道 の 駅 い た こ


我々はなおも利根川と共に東へ。
途中利根川と別れ、潮来市内へ。



田んぼの真ん中にある道の駅いたこで2度目の休憩。
この日は道の駅をハシゴするドライブになりそうです。


道の駅いたこでは・・・何も飲まず何も食わず何も買わずに、後にしました。



車は北浦を渡って鹿嶋市内へ。
そのまま北浦沿いを北上していきました。




午 後 1 時 0 2 分

茨 城 県 鹿 嶋 市

3 度 目 の 休 憩


鹿嶋市に入った我々は、市街地に向かわず北浦沿いを北へと進んでいました。
そこで目にしたとある看板・・・



道民のオアシス・セイコーマートではありませんか!
北海道のコンビニ覇者・セコマが、こんな辺ぴなところにあったのです。
私はここで急遽3度目の休憩をとることにしました。



ペットボトルの麦茶とともに、ガーリックポテトを購入。
運転中、女王様に餌づけされながら味わいました。
1年ぶりのセコマのポテトはなかなかおいしかったです。




午 後 1 時 3 5 分

茨 城 県 鉾 田 市

海 に 到 達


北浦沿いに鹿嶋市内を北上し、我々は鉾田市に入りました。
北浦から離れて台地を駆け上がり、海へと車を進めます。

そして防砂林となっている松林の合間から、



鹿島灘は突如眼前に現れました。


ここは鉾田市の大竹海岸
車を停めて、海岸へと歩いてみます。









台風が去ったばかりの鹿島灘は、白波が立つ荒れ模様。
カーラジオの気象情報でも、このときの茨城県は波浪警報が出ていると報じていました。
さすがに海に入っている人はいませんでしたが、波打ち際まで近づいている人が少なからずいました。
中には小さな子供を遊ばせている人も・・・危ないなぁと思いました。


果てしなく広がる青い海と空。
久しぶりとなる太平洋との対面を果たし、これより帰路につくこととしました。





北のウォール街・最終章~色内通り

2017-09-13 | 街並み


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 後 1 時 3 9 分

北 海 道 小 樽 市

引 き 続 き 北 の ウ ォ ー ル 街 を 歩 く





堺町通りを引き返し、「北のウォール街」中心の交差点に戻りました。
このまま交差点を直進し、色内通りを歩いていきます。


交差点の一角を占める小樽郵便局の隣りに建つのは、



旧越中屋ホテル【小樽市指定歴史的建造物・第16号】です。

昭和6年(1931年)建築、鉄筋コンクリート造り。
越中屋は、明治30年代以降のイギリスの旅行案内書にも載っていた旅館で、この建物は外国人利用客のための別館でした。
正面から見る姿は、中央にある縦2列のベイウィンドウや両脇の丸窓と垂直の窓割りなどが特徴です。
また内部にちりばめられているステンドグラスに第一次大戦後のアール・デコ様式の影響が見られます。
(小樽市の案内看板より)


旧越中屋の向かいに建つのは、



旧三井銀行小樽支店【小樽市指定文化財】です。

昭和2年(1927年)建築、鉄骨鉄筋コンクリート(SRC)造り。
正面の外壁に石積みの5つのアーチを連ね、軒に彫刻を施したルネサンス様式の建物です。
大正12年(1923年)の関東大震災後に耐震構造の指針となった当時最先端のSRC構造が用いられています。
平成13年に合併して三井住友銀行となり、翌年支店統合のため営業を終えました。
(小樽市の案内看板より)


銀行が撤退してからは、「白い恋人」石屋製菓、次いで「お、ねだん以上」のニトリが所有しています。
旅行当時は文化財指定がなされていませんでしたが、平成29年2月に文化財指定がなされました。


交差点をひとつ跨いで、

 

旧小樽商工会議所【小樽市指定歴史的建造物・第10号】。

昭和8年(1933年)建築、鉄筋コンクリート造り。
設計は土肥秀二、施工は萬組で、いずれも地元の手によるものです。
外装は石川県産千歳石で彫刻が施され、正面玄関には、土佐産の大理石が用いられています。
(小樽市の案内看板より)


現在商工会議所は小樽駅前に移転し、建物のみが残されています。


商工会議所から少々歩いたところ、



マンションの足元で存在感を示しているのは、旧塚本商店【小樽市指定歴史的建造物・第68号】です。

大正9年(1920年)建築、木骨鉄網コンクリート造り。
近江(滋賀県)出身の呉服太物商の店舗として建てられました。
小樽では、明治37年5月8日の大火で市街地を焼き尽くしたことから、防火構造の建物が普及しました。
この建物も防火のために外壁をコンクリートで塗り固め、出入口や窓を防火戸で覆う工夫を施しています。
(小樽市の案内看板より)


現在掲げられている看板は、「総合食品卸問屋 株式会社(市)後藤商店」というもの。
看板のとおり物産問屋の事務所なのかな~と当時は思っていましたが、中は小粋なカフェになっているそうです。
その隣りには、



旧梅屋商店が建ち並びます。
現在はアリババ・コレクションという会社が運営する「小樽硝子屋本舗」となっています。

明治39年(1906年)建築、木骨石造り。
梅屋は洋服の卸問屋で、呉服を扱う隣の塚本商店とは対抗関係にありました。
小樽の大火の2年後に完成し、防火に重きを置いた建物となっています。

(筆者が編集)

小樽駅小樽港を結ぶ中央通りまでもうすぐの所。



中央通りと色内通りの角に建つ旧第四十七銀行小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第25号】。
堂々とした姿とは裏腹に、この建物は木造なのだそうです。
また建築年も不明で、昭和初期の建物とだけわかっています。

2階建の小規模な銀行舎ですが、建築当初は、内部を吹き抜けとし、周囲に回廊が設けられていました。
正面に4本の大オーダー(円柱)を立て、壁面をタイル張りとする昭和初期の典型的な銀行スタイルで、創建時の姿をよく残しています。
(小樽市の案内看板より)



「北のウォール街」散策のラストは、中央通りを挟んで向こう側にある・・・



旧安田銀行小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第19号】です。

昭和5年(1930年)建築、鉄筋コンクリート造り。
ギリシアの建築様式をもった昭和初期の典型的な銀行建築であり、重量感あふれる円柱が特徴です。
中央通りの道路拡幅に伴い、平成13年に建物が斜め後方に曳き家され、同時に外観も修復されています。
(小樽市の案内看板より)




中央通りに戻ってきたところで、小樽散策はいったん中断します。



この日の朝は、



内風呂のないビジネスホテルからの出立となったために、寝汗ベトベト、ひげザラザラのまま街歩きをしていたのです。
当然ながら私もリサーチをしていて、



小樽駅に近いところにある「柳川湯」で、この旅最後の入浴をいたしました。

風呂上りに「オロナミンC」を飲み、小樽の街ブラを再開します。





北のウォール街・第2章~堺町通り

2017-09-10 | 街並み


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 後 1 2 時 3 9 分

北 海 道 小 樽 市

北 の ウ ォ ー ル 街 を 歩 く





日本銀行旧小樽支店【小樽市指定文化財】から坂を下り、「北のウォール街」の中心ともいうべき交差点に戻ります。
交差点を曲がり、色内通りを堺町方向へ。



レトロな建物が建ち並び、観光客も多く行き交います。
最初に見えてきたのは、



旧名取高三郎商店【小樽市指定歴史的建造物・第7号】です。

明治39年(1906年)建築、木骨石造り。
山梨県出身の交差点を鋼鉄金物商・名取高三郎が明治37年の大火後に建てた店舗で、裏手に住宅や倉庫を連ねていました。
角地に建ち、西側と南側に開いた形で防火のための袖壁(うだつ)を設けています。
外壁には札幌軟石が使用されており、上部壁体を鉄柱で支える構造となっております。
(小樽市の案内看板より)




その次の建物は、旧百十三銀行小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第5号】。

明治41年(1908年)建築、木骨石造り。
旧百十三銀行の小樽支店は明治26年(1893年)に設置されましたが、業務拡大に応じて移転、建築されたのがこの建物です。
寄棟、瓦屋根で、角地に玄関を設け、上部にギリシア建築を連想させる装飾を配しているのが特徴です。
設計は池田増次郎で、外壁は石張りでしたが、その後煉瓦タイルを貼り、現在の姿となりました。


現在、旧名取商店は「大正硝子館」というガラス工芸の店舗に、旧百十三銀行は「小樽浪漫館」というアクセサリー店になっています。
そして2つの建物は、於古発(おこばち)という小さな川に隔てられています。



この日川を見下ろすと、産卵を迎えたサケが於古発川を遡上していました。
サケの遡上を見たのは初めてでしたが、まさか小樽の市街地の小川で見られるとは思いませんでした。


川を渡った先は、色内通りから堺町通りとなります。
堺町通り最初の建物・旧百十三銀行の先には、



旧金子元三郎商店【小樽市指定歴史的建造物・第34号】が建ちます。

明治20年(1887年)建築、木骨石造り。
明治・大正期に陸海物産、肥料販売及び海運業を営んでいました。
店主の金子元三郎は、明治32年(1899年)に初代小樽区長に就任し、その後衆議院議員に数回選出されるなど、小樽を代表する政財界人でした。
両袖にうだつを立て、2階正面の窓には漆喰塗りの開き窓が収まり、創建時の形態をよくとどめています。
(小樽市の案内看板より)


現在は「おたる瑠璃工房」というガラス工芸のお店になっています。
その隣り、「小樽オルゴール堂」の看板がかかっている建物、



岩永時計店【小樽市指定歴史的建造物・第8号】です。
この建物だけ「旧」の文字がついていませんね。

明治29年(1896年)建築、木骨石造り。
時計卸商・岩永新太郎の店舗として建てられ、店員で編成された楽団をもつハイカラな商店でした。
平成3年(1991年)の改修により正面2階のバルコニー、半円アーチ扉、手すりなどが修復され、ほぼ創建時の姿になりました。
瓦葺の屋根を飾る一対のしゃちほこは、商店では珍しい装飾です。
(小樽市の案内看板より)


この建物は、現在も続く岩永時計店が所有していて、「小樽オルゴール堂」を経営する株式会社オルゴール堂に貸し出されているそうです。



お隣り、「不老館」とあるいかにも歴史のありそうな建物・・・ですが、こちらは平成15年建築。
利尻昆布のお店のようで、こちらは歴史的建造物ではありません。



隣りはれっきとした歴史的建物、旧第百十三国立銀行小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第9号】です。
あれ? さっきの百十三銀行は何でしょう??

明治26年(1893年)建築、木骨石造り。
もとは百十三銀行小樽支店として建てられましたが、業務拡大に応じ明治41年(1908年)に移転しました。
その後木材貿易商の事務所や製茶会社の建物としても使用されました。
平屋建ての小規模な建物ですが、寄棟の瓦屋根に尖鋭の装飾をつけた和洋折衷の構成で、軒下に刻まれた分銅模様のレリーフが百十三銀行のシンボルです。
(小樽市の案内看板より)


現在は「海鳴楼」というオルゴールのお店になっています。
このあたりはハイカラな物を売っているお店が多いですねぇ。


通りを挟んだこちらの建物。



いかにも歴史のありそうな建物。
旧北海雑穀株式会社【小樽市指定歴史的建造物・第85号】の建物は、2000年代に復元工事がなされたもので、歴史的建造物には指定されていません。平成29年4月歴史的建造物に指定されました。
ちなみにこちらは「小樽硝子の灯・彩や」というお店になっています。



「彩や」に隣接するソフトクリームのお店。
「イタリアンカフェ 欧璃葡(オリーブ)」というそうです。
修学旅行のJKのみなさんもいらっしゃいますなぁ。
ここいらで私も一服しましょうかねぇ。



ソフトクリーム! うまい。

このときの時刻は午後1時半。
今朝札幌で果たせなかったことをすべく、これ以上堺町通りには進まずに引き返します。
JKのみなさんとはここでお別れ。



その途中、



「大正硝子館」にて、



わが御前への誕生日プレゼントを購入いたしました。





北のウォール街・第1章~日銀通り

2017-09-06 | 街並み


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 後 1 2 時 3 9 分

小 樽 運 河 ・ 浅 草 橋



レトロな倉庫が並び立つ小樽運河を散策しました。
運河の終点にある浅草橋から、そのままゆるやかな坂を上っていくと、



またもや、レトロな建物が並ぶ大通り。
運河から上って最初の交差点には、その四隅にレトロな建物があります。



交差点の東は、旧三菱銀行小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第18号】。

大正11年(1922年)建築、鉄筋コンクリート造り。
かつて北のウォール街といわれた地区の中心に位置しています。
建築当初は、外壁に煉瓦色のタイルが張られていましたが、昭和12年(1937年)に現在の色調に変更されました。
1階正面には、ギリシア・ローマ建築様式を表すように6本の半円柱が並んでおり、この建築を特徴づけています。
(小樽市の案内看板より)


現在は北海道中央バス第2ビルとなり、「小樽運河ターミナル」の名称でバス乗り場と商業施設を兼ね備えた複合施設となっています。



南は、旧第一銀行小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第24号】。

大正13年(1924年)建築、鉄筋コンクリート造り。
外壁デザインは飾り気のない壁面に改変されていますが、当初は道路側2面に3階通しの大オーダーが立てられていました。
現在は洋服工場として活用されていますが、内部の2階吹き抜けの営業室は、もとのまま残されています。
(小樽市の案内看板より)


案内看板のとおり、現在はトップジェント・ファション・コアという会社が入っていて、ここでオーダーメイドのスーツを製作しているようです。

西は小樽郵便局、見てくれはレトロですが、平成になって新築したものなので歴史的建物ではありません(^_^;)



北は、旧北海道拓殖銀行小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第31号】。

大正12年(1923年)建築、鉄筋コンクリート造り。
小樽経済の絶頂期に建設され、三菱、第一の各銀行と共に「北のウォール街」の交差点を飾っています。
銀行に貸事務所を併設する当時の道内を代表する大ビル建設で、銀行ホールは2階までの吹抜けで、6本の古典的円柱がカウンターに沿って立っています。
(小樽市の案内看板より)



大正末期には、銀行が札幌に10箇所、函館に16箇所、小樽は道内最大で20箇所ほどあったそうです。
銀行建築に加え、大手商社、大手運輸会社の支店などが軒を連ね、小樽は北海道一の経済繁栄を誇っていました。
銀行の支店が建ち並んでいたこの色内地区は、世界の金融地区ニューヨークのウォール街になぞらえ、いつしか「北のウォール街」と呼ばれるようになったそうです。

その後、青函連絡船の台頭、札幌への一極集中政策、石炭産業の縮小、苫小牧港の開港、戦後の樺太間や大陸間の貿易ルート喪失といった要因で、小樽経済は急速に衰えていきました。
かつての栄華を偲ばせる会社建築は歴史的建造物となり、転用し保存されています。


「北のウォール街」の中心となる交差点を直進し、日銀通りの坂道を歩きます。



小樽郵便局のすぐ隣に、旧北海道銀行本店【小樽市指定歴史的建造物・第6号】。

明治45年(1912年)建築、石造り。
設計は長野宇平治で、請け負ったのは地元の加藤忠五郎です。
銀行建築の重厚さをもち、玄関や窓回りの石組みデザイン、コーナー部分や窓の間隔の変化などに特徴があります。
(小樽市の案内看板より)


現在は北海道中央バスの本社ビルと、「小樽バイン」というワインバーとして使用されています。
さらにその坂上には、



旧三井物産小樽支店【小樽市指定歴史的建造物・第30号】です。
これまでの建造物とは一線を画す、きわめて単純な造形です。

昭和12年(1937年)建築、鉄筋コンクリート造り。
戦前の道内事務所建築の代表作で、当時の建築思想を示す国際建築様式の単純明快な意匠です。
黒御影石の貼られた玄関や1階は、2階以上の白色タイル壁と鮮やかなコントラストを見せ、新鮮な印象を与えます。
(小樽市の案内看板より)


現在も松田ビルと名称を変えて、事務所ビルとして活用されています。
その対面には、

 

日本銀行旧小樽支店【小樽市指定文化財】です。

明治45年(1912年)建築、レンガ造り。
設計者は日銀本店や東京駅を手がけた辰野金吾やその弟子の長野宇平治ら。
レンガ造りですが、外装を石造風の装いにまとめています。
ドームの曲線と重厚な外観が融和してひときわ荘重な姿を誇り、小樽を代表する建造物であります。
(小樽市の案内看板より)


そして現在も日銀が保有し、日銀旧小樽支店金融資料館となっています。





日銀から坂を下り、「北のウォール街」の中心ともいうべき交差点に戻ります。
今度は日銀通りと交差する色内通りを歩きます・・・が、こちらは次話へ。





【画廊】ハイソフト「日本の世界遺産」コンプリート

2017-09-06 | 日記


ハイソフト「世界遺産 第5弾・日本編」ギャラリーへようこそ。








「日本の名城」コンプリートの勢いを駆って、以前にコンプリートした「世界遺産 第5弾・日本編」カードも展示することにしました。
当サイトの管理人が自ら連日ハイソフトを購入、賞味したうえで、収集したカードであることは、「日本の名城」シリーズと同様です。

どうぞ、ごゆっくりご観賞くださいませ。



No.1 知床 (北海道斜里郡斜里町・目梨郡羅臼町)



カードの絵柄は、オホーツク海上空から俯瞰した知床岬です。



No.2 白神山地 (秋田県・青森県)



カードの絵柄は・・・・・・・・・白神山地です(^_^;)
このカードのみ、場所の特定ができませんでした。



No.3 平泉 「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」(岩手県西磐井郡平泉町)



カードの絵柄は、中尊寺【国指定特別史跡】にある中尊寺経蔵【国指定重要文化財】です。



No.4 日光 「日光の社寺」(栃木県日光市)



カードの絵柄は、東照宮(日光東照宮)【別格官幣社・国指定史跡】の東照宮陽明門【国宝】です。



No.5 富岡製糸場 「富岡製糸場と絹産業遺産群」



カードの絵柄は、旧富岡製糸場の製糸場【国宝】です。



No.6 小笠原諸島 (東京都小笠原村)



カードの絵柄は、母島の南端にある小富士から眺めた南崎南崎海岸です。
南崎の沖には向島が浮かんでいます。



No.7 富士山 「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」(山梨県・静岡県)



カードの絵柄は、山中湖北岸にある長池親水公園(山梨県南都留郡山中湖村)からの逆さ富士です。



No.8 白川郷 「白川郷・五箇山の合掌造り集落」(岐阜県・富山県)



カードの絵柄は、荻町集落(岐阜県大野郡白川村)にある長瀬家住宅です。



No.9 京都 「古都京都の文化財」(京都市)



カードの絵柄は、東寺(教王護国寺)五重塔【国宝】です。



No.10 姫路城 (兵庫県姫路市)



カードの絵柄は、姫路城天守群で、右から大天守・ニの渡櫓・西小天守・ハの渡櫓【国宝】です。



No.11 法隆寺 「法隆寺地域の仏教建造物」(奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町)



カードの絵柄は西院伽藍で、右に金堂【国宝】、左に五重塔【国宝】、これらを回廊【国宝】が囲みます。
回廊には南側に入口の中門【国宝】が開き、北西に経蔵【国宝】、北東に鐘楼【国宝】が属し、北の大講堂【国宝】を結んでいます。



No.12 高野山 「紀伊山地の霊場と参詣道」(和歌山県・奈良県・三重県)



カードの絵柄は、高野山金剛峰寺【国指定史跡】(和歌山県伊都郡高野町)の檀上伽藍です。
手前から准胝(じゅんてい)御影堂根本大塔が建ち、御影堂の前に三鈷の松が立っています。



No.13 厳島神社 (広島県廿日市市)



カードの絵柄は、厳島神社大鳥居【国指定重要文化財】です。



No.14 原爆ドーム (広島市中区)



カードの絵柄は、平和記念公園から見た原爆ドーム【国指定史跡】です。



No.15 石見銀山 「石見銀山遺跡とその文化的景観」(島根県大田市)



カードの絵柄は、石見銀山遺跡【国指定史跡】の坑道のひとつである龍源寺間歩(まぶ)です。



No.16 琉球 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」(沖縄県)



カードの絵柄は、今帰仁城(なきじんグスク)【国指定史跡】(沖縄県国頭郡今帰仁村)の御内原(うーちばる)と呼ばれていた曲輪です。