令 和 元 年 神 無 月 廿 日 ( 日 )
午 後 一 時 四 十 七 分
J R 鳥 取 駅
鳥取城【国指定史跡】の登城に2時間以上かけ、その後のランチでカフェをハシゴしてしまった私。
次の目的地に向かうべく
JR鳥取駅に着いたのは、午後2時前になっていました。
次に向かうお城は、
若桜鬼ヶ城【国指定史跡】。
当初の計画では、
JR西日本 鳥取駅 12時21分発
[B]因美線 普通 若桜鉄道若桜線直通 若桜行き
若桜鉄道 若桜駅 13時08分着
ということで、山城の若桜鬼ヶ城を上り下りするに十分な時間がとれているはずでした。
しかし時刻は午後2時前、当然12時21分発の列車に乗ることはできません。
この時間から若桜へ向かうには、
JR西日本 鳥取駅 14時22分発
[B]因美線 普通 若桜鉄道若桜線直通 若桜行き
若桜鉄道 若桜駅
15時09分着
となってしまいます。
もうすぐ夕刻という時間帯での山登りスタートは危険ではないか・・・・・・というわけで、
若桜鬼ヶ城の登城、断念・・・。
思えば
前夜のゲストハウスで手持ちの時刻表の確認を怠り、
砂丘から戻るバスに乗ることができなかったのがすべてです。
わが100名城の城攻め旅は、鳥取県の山の中に大きな大きな積み残しができてしまったんですね。
若桜鬼ヶ城に行かないことで生じる、空白の時間。
これを埋め合わせるために、私は西へと向かいます。
「秋の乗り放題きっぷ」最終日。
本来は必要ないのですが記念ということで、鳥取駅の改札のおねいさんから検印をいただきました。
そういえば鳥取駅って、今もなお自動改札が導入されていないんですね。
利用するのは因美線ではなく、
山陰本線。
東西に長い鳥取県・・・といっても静岡だったり島根ほどではないのですが・・・をそのまま横断していきます。
今回乗車するのは、
14時02分発 快速「とっとりライナー」 米子行きです。
こちらの車両・
キハ121系気動車に乗って、鳥取県の西端・米子まで一気に向かいます。
銀色中心の車体は新しい感じがしますが、意外にも「電車」じゃないんですね、パンタグラフがついてないですし。
よくよく見れば、鳥取駅には構内に架線がないようなので、鳥取駅には「電車」が来ないんですね。
酸いも甘いも味わった鳥取を後にします。
午 後 二 時 二 分
鳥 取 駅 を 発 つ
列車に乗っかってしまったので、できることといったら車窓を眺めること、そして
「城攻め」することぐらい。
そういえば
鳥取駅発車前に、
妙見山城を攻略してました。
鳥取駅のお隣・
湖山駅では、
布勢天神山城【鳥取県指定史跡】と
新山城を攻略。
布勢天神山城は、因幡国(鳥取県東部)の戦国大名・
山名氏の本拠である城でしたが、のちに本拠を
鳥取城に移したため廃城になっています。
湖山駅から2駅の
末恒駅では、
防己尾城を攻略。
防己尾城の城主として
羽柴秀吉と戦った
吉岡定勝さんを登用しました。
末恒駅からさらに5駅の
松崎駅。
「まんざき」と読む成田市内の駅とは違い、こちらは普通に「まつざき」と読みます。
ここでは
羽衣石城【鳥取県指定史跡】を攻略。
南条宗勝・元続・元忠の南条三代を登用できました。
南条宗勝は、
尼子経久・晴久による伯耆侵攻によって羽衣石城を奪われてしまいますが、約20年後に
毛利元就の支援を得て奪回、さらに東伯耆(鳥取県中部)に勢力を伸ばしました。
その子・元続は、毛利家と手を切って
織田信長・羽柴秀吉に鞍替えし、
鳥取城の戦いでは羽衣石城を堅守して毛利軍の兵糧輸送をシャットアウト、これが
「鳥取の渇殺し」の一因になりました。
南条家は時流を的確に読んで所領を守ってきましたが、孫の元忠は
関ヶ原の戦いで西軍についたため所領を失い、
大坂の陣で豊臣方に参加したものの、徳川方に寝返りを図って失敗し、切腹させられてしまいました。
松崎駅を出ると、
稲わらの山が整然と並んでいます。その奥の方・・・
中華皇帝の庭園を主題とする
燕趙園というテーマパークの建物です。
燕趙園の中国庭園は日本最大で、また道の駅も併設されているのだそうです。
14時53分、
倉吉駅へ。
東伯耆(鳥取県中部)最大の街・倉吉にある唯一の駅なのですが・・・この旅での特記事項はナシ。
そういえば鳥取県って、東の鳥取、中部の倉吉、西の米子に境港と、市は4つしかないんですね。
倉吉から2駅、
コナン駅こと、
由良駅。
「名探偵コナン」の作者・
青山剛昌氏の出身地にちなんだ愛称で、駅周辺にはコナンの銅像などのオブジェが立ち並んでいるのだそうです。
「コナン」よりも私の興味を惹く、由良駅の次の駅・・・
次は浦安。
あれれ、前の駅は
南行徳じゃなかったよな・・・いや、快速だから
西船橋・・・でもない。
葛西でもなく、
東陽町でもない・・・。
間違いなく、山陰本線由良駅の次の駅は、浦安駅です。
開業は明治36年(1903年)で、当時は
八橋駅でした。
その後
東八橋駅に、そして昭和24年(1949年)当時の浦安町にちなんで
浦安駅に改称されました。
昭和29年(1954年)合併により浦安町はなくなってしまうのですが、駅名は現在まで残っています。
ちなみに千葉県の
浦安駅は、昭和44年(1969年)
営団地下鉄(東京メトロ)東西線の全線開通に伴って開業しました。
千葉県の浦安は以後ベッドタウンとして急速に発展し、昭和58年(1983年)にはあの
夢の国 が開園し、浦安といえば千葉県というイメージが定着してしまいました。
鳥取県の浦安駅は、
「『じゃない方』の、浦安。」という自虐ポスターまで作成しているようですが、本家の浦安駅はあくまで鳥取県側です。
15時08分、浦安駅に到着。
ここから
夢の国 へは約750km、寝ずに歩いても7日かかります。
夢の国から離れた浦安の地でも、
「城攻め」。
八橋城【琴浦町指定史跡】、
槻下豪族館【琴浦町指定史跡】と
船上山城【国指定史跡】を攻略。
八橋城主となった
杉原盛重を家臣に加えることができました。
船上山城は、鎌倉幕府討幕に失敗して流されていた
後醍醐天皇が幽閉先の隠岐から脱出した際に、伯耆の豪族・
名和長年に迎えられて一時滞在した所で、
「船上山行宮」ともいいます。
ここで鎌倉幕府軍を迎え撃った長年は、奮戦の末に幕府軍を撃退。
これより討幕の機運が一気に高まっていきました。
右の車窓から見える
日本海。
かすかに見えるのは、後醍醐天皇が幽閉されていた
隠岐島。
あんなところから脱出して討幕運動を繰り広げるのですから、後世の評価はさておき、後醍醐天皇のバイタリティは並外れたものだったんでしょうね。
午 後 三 時 四 十 七 分
米 子 駅 に 到 着
乗車時間1時間45分を経て、山陰本線では鳥取県最西端の
米子駅に到着しました。
隣駅の
やすぎ(安来)駅は、島根県となります。
このまま安来、松江方面へは向かわず、この米子駅で下車します。
「海、山、旅のドラマは米子駅から」
米子駅さんがこうおっしゃっております。
訪問を断念した
若桜鬼ヶ城に代わる新たな目的地に向けて、旅のドラマを米子駅から紡いでいきましょう。
【今回の鉄道乗車記録】
JR西日本 鳥取駅 4番線 14時02分発
[A]山陰本線 快速 とっとりライナー 米子行き 2両ワンマン
米子駅 2番線 15時47分着
*所要時間 1時間45分
*移動距離 92.7km
*運賃 秋の乗り放題パス使用(使用しない場合、1,690円)
【今回の「城攻め」成果】
[A]山陰本線
13時58分 鳥取駅
妙見山城を攻略。
(14時02分 鳥取駅発車)
14時05分 湖山駅(鳥取から1駅)
布勢天神山城【鳥取県指定史跡】と
新山城を攻略。
14時12分 末恒駅(鳥取から3駅)
防己尾城を攻略、
吉岡定勝を登用。
14時16分 末恒駅・宝木駅間
大崎城と
富吉城を攻略。
14時26分 浜村駅(鳥取から5駅)
会下城を攻略。
14時42分 泊駅 (鳥取から7駅)
河口城【湯梨浜町指定史跡】を攻略。
14時46分 松崎駅(鳥取から8駅)
羽衣石城【鳥取県指定史跡】を攻略。
南条宗勝、
南条元続と
南条元忠を登用。
(14時53分 倉吉駅到着)
14時58分 下北条駅(倉吉から1駅)
堤城を攻略。
15時08分
「じゃない方の」浦安駅(倉吉から3駅)
八橋城【琴浦町指定史跡】、
槻下豪族館【琴浦町指定史跡】と
船上山城【国指定史跡】を攻略。
杉原盛重を登用。
15時29分
御来屋駅(倉吉から8駅)
富長城【大山町指定史跡】を攻略。
15時36分 淀江駅(倉吉から11駅)
淀江城と
尾高城【米子市指定史跡】を攻略。
(15時47分 米子駅到着)