この日の城めぐりは終了。
残った時間で歴史のまち・足利を散策してから、帰路につくこととしましょう。
といっても日没後なので、ぶらりと散策することは叶わず、チラ見程度しかできません。
鑁阿寺から南に下る小径には、その傍らに足利尊氏公の像が立っています。
尊氏公像から歩くこと2分ほどのところに、足利学校があります。
足利学校の入口に立つ入徳門。
江戸幕府4代将軍・徳川家綱の治世、寛文8年(1668年)に建てられますが、天保2年(1831年)の火災で焼失してしまいます。
天保11年(1840年)に再築され、紀伊徳川家当主・徳川
明治中頃に裏門を移築したものが、現在の入徳門です。
このとき時刻は午後4時45分、入徳門はまだ開いています。もしや・・・
足利学校のシンボル・学校門。
入徳門と同じく寛文8年(1668年)に建てられました。
学校門はすでに閉門されており、ここで終了。
足利学校の創建については、奈良時代から鎌倉時代まで諸説あります。
足利学校が史料にあらわれるのは、室町時代の関東管領・上杉憲実が学校を再興したというところからです。
戦国時代には足利学校は隆盛し、宣教師フランシスコ・ザビエルは、「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と記録しています。
江戸時代の末期になると「坂東の大学」の役割を終え、明治6年(1873年)に閉校しました。
空は宵闇に覆われ、私は足利駅へ戻ります。
列車の出発時刻まで時間があったので、駅前で夕食をとることにしました。
夕食は、「はなまるうどん」。
店内で冷やしぶっかけうどんをすすりながら、今回の旅を振り返ります。
終始、たいした物を食わない旅だったな。