鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

意宇六社めぐり・第5章~黄泉国の鎮護社・揖夜神社

2021-08-14 | 神社


令 和 元 年 神 在 月 廿 弐 日 ( 即 位 礼 正 殿 の 儀 )

午 前 拾 時 拾 六 分

松 江 市 大 草 町

六 所 神 社 付 近 ・ 意 宇 川 沿 い







意宇おう六社めぐり」は4つの神社の参拝を終えました。
六所神社から意宇川を下って、次なる神社をめざします。





水鳥がくつろぐ意宇川を進み、



出雲郷橋という橋を渡ります。
バイパスじゃない方の国道9号に架かっている橋です。
ここからは、国道9号を東へ進んでいきます。



Adakae(あだかえ)???
「いずもごう」じゃないんですねぇ・・・これは初見じゃ読めませんね。


なぜ「出雲郷」が「あだかえ」と読むのかはさておき、



程なく進んだ歩道橋のある交差点で、県道153号線に入ります。



県道に入ってから次の信号交差点で、JR揖屋駅方向へ曲がります。
道なりに進んで10分ほど・・・



「意宇六社めぐり」第5社目・揖夜いや神社に到着しました。



【六所神社 → 揖夜神社 のルート】



六所神社 10時14分発
国道9号・島根県道153号経由
揖夜神社  10時44分着

*移動距離 5.5km
*所要時間 30分  (平均の速さ 11.0km/h)




午 前 拾 時 四 拾 伍 分

松 江 市 東 出 雲 町

揖 夜 神 社




「意宇六社めぐり」5番目の神社は、揖夜神社でございます。
太いしめ縄が掲げられた随身門です。
簡素な造りながら、重厚な感じを覚えますね。
そうそう、この日は今上陛下即位の礼が行われていました。


揖夜神社のおこりはよくわかっていませんが、『日本書紀』の斉明天皇5年(659年)の記述に、
「狗、死人まかれるひと手腎ただむき(腕)を言屋社いふやのやしろひ置けり」
とあり、この「言屋社」が揖夜神社を指すと考えられています。
また『古事記』では、死者の国・黄泉よみとの境目である黄泉比良坂よもつひらさかが、出雲国の伊賦夜いふやであると伝えています。
このことから、揖夜神社が古くから、黄泉国との境目を鎮護する神社だと考えられています。

主たる祭神は国母の神・伊弉冉尊イザナミノミコトです。
伊弉冉尊は黄泉国の神・黄泉津大神ヨモツオオカミとしての一面もあります。





それでは随身門をくぐって、境内へ。
参道には石畳が敷かれ、空間も開けています。
境内は明るく、黄泉国の鎮護社というおどろおどろしさは感じられません。




御神木は、樹齢推定600年のスダジイ
樹冠の枝が、蛇のとぐろを巻くように伸びているさまは、おどろおどろしさを少しだけ感じます。




重厚なしめ縄が掲げられている拝殿
随身門から始まる参道の終点にあるのではなく、参道に対して横を向いて建っているのは珍しい構造なのだとか。
わが地元の鹿島神宮と同様の構造ですね。




拝殿の横の小道を進って階段を上ると、本殿を間近に拝見することができます。
こちらの本殿も、意宇六社の例に漏れず大社造
そして本殿の中は、御神座が左奥にあり、御神体は右を向いて鎮座している女造めづくりとなっています。
主祭神の伊弉冉尊は女神であり、同じく伊弉冉尊を主祭神とする神魂神社も女造となっています。

女造の逆は、男造おづくり
こちらは本殿内の御神座が右奥にあり、御神体は左向きで鎮座しています。




本殿に向かって左脇に鎮座するのは、境内社・韓国伊太氐からくにいだて神社です。
祭神は素戔嗚命スサノオノミコトとその子・五十猛神イソタケルノカミです。

『日本書紀』によると、天界(高天原)を追放された素戔嗚命は、最初に朝鮮半島に降り立ち、五十猛神も付き従ったといいます。
しかし素戔嗚命が「ここにはいたくねぇ」とおっしゃり、船で出雲に渡ったそうです。
このおりに五十猛神は多くの樹木の種をもたらしたので、日本は緑豊かな国となり、五十猛神は林業の神として祀られることとなったそうです。


なるほど、それで「韓国」の語が社号にあるのですね。




本殿の反対側に来ました。
こちらには三穂津姫みほつひめ神社
天界(高天原)の神・高皇産霊尊タカミムスビノミコトの娘・三穂津姫神ミホツヒメノカミをお祀りしています。
三穂津姫神は、父神により出雲大社の神・大己貴命オオアナムチノミコト大国主神オオクニヌシノカミの妻となりました。




この日の出雲国は、このとおりの晴天。
黄泉国の鎮護社といわれる揖夜神社も、そうとは思えないほどに陽光を浴びていました。




奉拝、揖夜神社!
最後に御朱印(300円)を頂戴して・・・私はいったん冥府へ旅立ちます。





意宇六社めぐり・第4章~六所神社と国府

2021-08-14 | 神社


令 和 元 年 神 在 月 廿 弐 日 ( 即 位 礼 正 殿 の 儀 )

午 前 九 時 五 拾 五 分

松 江 市 山 代 町

真 名 井 神 社 ・ 真 名 井 の 滝 付 近





真名井神社を参拝し、真名井の滝でちょっとした神秘的な体験をすることができました。




真名井の滝から公道に戻りました。
ここから田んぼ道を進んでいきます。



のどかな田園を進むこと約5分、



出雲国庁跡(出雲国府跡)【国指定史跡】にたどり着きました。



奈良時代に出雲国の政庁があった場所は、背後に神が隠れこもるといわれる茶臼山が横たわっています。
そして、出雲国庁跡に隣接するのが・・・



六所神社です。



【真名井神社(真名井の滝) → 六所神社 のルート】



真名井の滝 9時55分発
出雲国庁跡 10時00分着
六所神社  10時06分着

*移動距離 1.1km
*所要時間 11分  (平均の速さ 6km/h)




午 前 拾 時 六 分

松 江 市 大 草 町

六 所 神 社




境内には誰もいない・・・。
縁結び占いで全国的にも有名な八重垣神社、国宝&重要文化財を擁する神魂神社は、早朝にもかかわらず参拝客がそれなりにいました。
それに比べると真名井、六所の二社は、参拝客がひとりもいませんでした。
意宇六社めぐりって、あまりメジャー?な巡拝ではないのでしょうか。


六所神社は、かつての出雲国府の裏手に鎮座している神社です。
伊弉諾尊イザナギノミコト伊弉冉尊イザナミノミコト天照大神アマテラスオオミカミ月読尊ツクヨミノミコト素戔嗚尊スサノオノミコトと、大己貴命オオアナムチノミコト大国主神オオクニヌシノカミの六柱の神を祭神とすることから、「六所」の社号がついたといいます。
また異説では、神社を管理統括する「録所」から「六所神社」の社号となったともいいます。

六所神社は出雲国の総社、すなわち神々をまとめてお祀りする神社とされました。
出雲国府に赴任した国司は、政庁の裏手に鎮座するこの神社を参拝することで、出雲国すべての神社を参拝することに代えたのだそうです。
また、神在月に全国から出雲国に集う神々は、まずはこの六所神社にいらっしゃるのだといいます。





境内は決して大きくはないのですが、この拝殿はじつに圧倒的。
重厚なしめ縄も出雲大社のそれを連想させ、この神社も出雲大社に大いに関係しているのだと思い起こさせてくれます。



拝殿の背後に建つ本殿
八重垣、神魂、真名井の三社と同様、大社造です。



六所神社は玉垣がないので、間近に本殿を拝見することができます。
大社造の特徴のひとつである掘立柱が、ここではよく見えますね。
掘立柱が3×3の9本あって、本殿の床が正方形となっていることもわかります。



本殿の入口が右寄りであることもよくわかります。



六所神社では本殿をしっかり拝見できましたが、社務所のような建物は見つけることができず、御朱印などをいただくことはできませんでした。
あとでわかったのですが、御朱印は神社のそばにある宮司さんのお宅でいただくことができるそうです。





六所神社のすぐ近くを流れる意宇川



川ぞいを下って、次なる神社へと向かいます。





意宇六社めぐり・第3章~真名井神社

2021-08-14 | 神社


令 和 元 年 神 在 月 廿 弐 日 ( 即 位 礼 正 殿 の 儀 )

午 前 九 時 廿 分

松 江 市 大 庭 町

国 道 四 百 参 拾 弐 号 ・ 神 魂 神 社 付 近



八重垣神社神魂かもす神社と相次いで参拝し、意宇おう六社めぐりは早くも3社目へ。
とある神社の看板が見えましたが・・・
次は、近場にある真名井神社へ向かいます。



神魂神社から国道432号に出たところで、すぐに反対側の小道に入ります。
収獲を終えた田んぼを見ながら進んでいき、



案内看板に従って左折すると、



鶴岡八幡宮玉葛のように、公道に挟まれた参道がのびています。
突当りに見える山は茶臼山といい、『出雲国風土記』には「神の隠れこもる山」という意味がある神名樋かんなびと記されていました。
真名井神社は、この茶臼山の南東ふもと、この参道の終着に鎮座しています。



9時28分、到着。



【神魂神社 → 真名井神社 のルート】



神魂神社 9時20分発
島根県道248号神魂神社線・国道432号線経由
神魂神社 9時28分着

*移動距離 1.8km
*所要時間 8分  (平均の速さ 13.5km/h)




午 前 九 時 廿 八 分

松 江 市 山 代 町

真 名 井 神 社




意宇六社・第3番目のお社は、真名井神社でございます。


真名井神社の創建時期はよくわかっていないようですが、奈良時代に記された地誌『出雲国風土記』に「真名井社」、平安初期の神社リスト『延喜式神名帳』に「真名井神社」の記述があるので、その頃には創建されていたようです。
中世から近世では「伊弉諾イザナギ社」と呼ばれていたようですが、明治以降に社号が戻ったようです。
祭神は国父の神・伊弉諾尊と、天照大神アマテラスオオミカミの子である天津彦根命アマツネノミコトです。



鳥居から続く石段を上ると、



正面に拝殿、そしてその先に本殿【島根県指定文化財】が構えられています。
まぁ、この画は斜めの角度から写したものですけどね。

拝殿は昭和9年(1934年)に新築されたもので、高床式のように見えますが、土足のままで中に入れる土間床の造りとなっています。
この拝殿では、賽銭箱が据えられているところが「床」に当たります。
なるほど、土足で入っていることになりますね。



本殿は寛文2年(1662年)に建立されたもので、八重垣、神魂の両社に続いてこちらも大社造となっています。



屋根が「人」の字の形をしている切妻造、「人」の面に出入口がある妻入り、その出入口は右側に寄っていること、床が正方形となっていることなど、典型的な大社造です。


境内は私を除き、人影が見当たりませんでした。
厳かな空気の中で、参拝。

人がまったくいなかったからなのか、ここも社務所が開いていませんでした。
御朱印を頂戴することなく、境内を後にしました。





鳥居を出て、社号標の前に戻ってきました。
神社に向かって右方向へ移動します。



“Panasonic”の看板が目印の電気屋さんがある丁字路から、小路に入ります。



民家に挟まれた小路の坂を上り、突当りを左折します。



民家は次第になくなり、



舗装道から砂利道に変わったら、もう目の前。



木洩れ日の射す竹林に囲まれた空間に、小さな水場がひとつ・・・



これが真名井の滝です。
大量の水が落ち込む瀑布とはかけ離れた、水がチョロチョロと落ちていくだけの水場です。
そういえばゴォ~という水の音は全く聞こえませんでしたね。
落差は約2メートル、水がチョロチョロとしか出ておらず、古代より神水として神事に用いられていたといいます。



しばし立ち止まってみれば、なんとも落ち着く心地よい空間にも感じられます。



突如、一筋の風が吹いてきました。
地面に落ちていた木の葉が舞い上がり、しばし輪を描きながら舞っていました。



木の葉は3分ほど舞っていました。
なるほど、ここは神名樋かんなび山・・・神の隠れこもる山だと感じることができました。