鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

暗闇の国道16号

2015-03-25 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 後 4 時 1 6 分

千 葉 県 富 津 市

富 津 岬 公 園



富津岬から海の国道16号を眺め、いよいよ完全走破へ。



残りの行程は、富津(地図上の赤いピン)から出発地・千葉市中央区村田町交差点(地図上の黄色ピン)で、だいたい50kmほどです。

まずは国道16号にたどり着かなければなりません。
富津岬から富津交差点へ戻ります。



交通量の多くない寂しげな交差点から国道16号は始まります。
首都圏の大動脈である国道16号も、最初は片側1車線です。



1kmも進まないうちに、最初の国道分岐・新井交差点
ここでは、富津岬に向かうときに歩んだ国道465号に分かれます。
左に曲がれば千葉県道90号
青看では千葉・木更津方面へは直進するよう表示されているので、そのまま直進します。
そもそも国道16号完全走破の旅なので、ここで左折する理由はありませんでしたね。



最初のキロポストは、「横浜まで220km」と「木更津まで11km」。
横浜まで行くのなら、外回りの東京湾を越えていくルートのほうが、距離はぐっと短いですね。



最初の距離青看。
この旅のゴールである千葉までは48km。




午 後 4 時 4 5 分

君 津 市 に 入 る




小糸川にかかる、国道16号最初の橋。



橋を渡って君津市に入りました。
金谷港以来の富津市をようやく脱出。



君津市に入って1kmも進まぬうちに、国道16号はこの大和田交差点ではじめて方向転換をすることになります。
青看でもわかるように、左に曲がって、すぐに右に。

大和田交差点を左に曲がったところで、国道16号初の片側2車線。
そして100mほどで、今度は右に曲がります。



右に曲がる先の道は広い広い快走路のようです。
そしてその道は、国道465号の分岐点・新井交差点から伸びる県道90号。
道路の規格を考えれば、新井交差点の時点で国道16号を外れたほうが早そうです。
手持ちのライトマップルにも「こっちのほうがいい」というような注意書がありました。



先ほどとはうって変わって、この広々とした道。
ママチャリにとっても優しい、16号全体でもトップクラスの快走区間です。



館山自動車道・木更津南インター入口です。
信号機による交差点なので、自転車は何の問題もなく通過できます。ありがたい!

「アクア連絡道」なんて高速道路があったことをはじめて知りました。
英語表記は"AQUA RENRAKU EXPWY"となっています。
「アクア」は英語なのに「連絡」はローマ字表記なのがなんともおかしい。




午 後 5 時 0 0 分 ご ろ ?

木 更 津 市 に 入 っ て い た


ところで、いつの間にか木更津市に入っていたようです。
富津市滞在が3時間15分に対し、君津市はわずか15分で通過。

しかし君津市ちっちぇ~なぁというのは大きな誤解です。
君津市の本領は内陸部。
戦国大名の里見家が本拠とした久留里城があるのも君津市内だし、JR久留里線の終点・上総亀山駅も君津市内にあります。



さてさて国道16号は、木更津港付近で右に曲がります。



その後も快走路は続きます。



「横浜まで210km」のキロポスト。
木更津市内に入ったので、副表示は「千葉まで40km」になっています。



木更津港付近から1kmほどで、千葉県側最初の陸橋・桜井陸橋へ。
ここでは陸橋側の道に合流しなければならず、ひさびさの急坂を進みます。まぁ100メートルほどですが。

陸橋へ入る交差点で、左に行けば国道16号千葉方面へ、右に行くと国道127号館山方面へ。
つまりは金谷港からきた道をそのまま進めば自動的に国道16号に入るということです。


しばらくは木更津の市街地を進むことになりますが、国道16号は首都圏の大動脈。
なのでむやみに交差点を設置するわけにはいきません。ということは・・・

  

自動車にとってはありがたい、そして自転車にとってはまったくありがたくない陸橋地獄。



千葉はホントに不親切設計の道路が多いな!(ママチャリユーザーより)
それはそうと、この坂を上ると、



小櫃(おびつ)にかかる木更津大橋
小櫃川は、利根川に次いで、千葉県内で2番目に長い川なのだそうです。




午 後 5 時 5 9 分

袖 ヶ 浦 市 へ




木更津大橋を渡って、3番目の市・袖ヶ浦市に入りました。
袖ヶ浦市に入って早々、眼前に見える高架の道路。



出ました、アクア連絡道 AQUA RENRAKU Expresswayです。
高架下の交差点もなにげに国道409号国道410号とが分岐する重要交差点。



おいおい、RENRAKU道はママチャリに立体交差を要求するのかい?!


アクア連絡道を過ぎたところで、いよいよ国道16号が、いや千葉県の道路事情が牙をむきます。

  

東京都、神奈川県ではまったく見られなかった雑草ゾーンが現れ始めます。



自転車だけ下ろされる陸橋・・・

そしてこの陸橋を過ぎたところで市街地を外れ、いよいよ工業地帯へ。
この先は、京葉工業地帯のコンビナートを左手に見ながら進むことになります。

国道16号は海の近くを通っているのですが、工場と防風林のため、海は全く見えません。



ここにも雑草ゾーンが。




午 後 5 時 3 8 分

市 原 市 に入 る




工業地帯らしい、パイプラインが付いている橋を渡ると、



市原市に入ります。ここからが工業地帯の本番。


日没時刻は過ぎ、行き交う自動車はヘッドライトを灯して行くころ。
工業団地を進む歩道に街灯はなく、しかも防風林とも相まって真っ暗。



申し訳程度でも街灯のある反対側の歩道へ移動します。
向かいからのヘッドライトも助けとしつつ、ママチャリと私はひたすら北上。


日輪はとうに消え失せ、漆黒の帳があたりを覆っていきます。



括目すべし、この暗さ!



おもな光源はヘッドライトと工場夜景のみ。




青看に「東京」が初登場。
東京まで50km、そしてゴールの千葉までは14km。

このあたりになると、正方向側の歩道も少し明るくなってきたので、そちらに戻って進むことにしました。



養老川にかかる養老川大橋を渡ると・・・やっぱり市原市のまま。市原はデカい。



養老川大橋からの工場夜景を撮ってみました。


国道16号の左側には、京葉臨海鉄道のレールが伸びています。



このレールを左手に見ながら進んでいくこととなりますが・・・



往く手を樹木ゾーンが妨害します。
臨海鉄道からの刺客なのか!?



なんと臨海鉄道さんが自ら歩道を塞ぎにやって来ました!
こうなってはひとたまりもなく、反対側の歩道へ退避。



このあたりの青看によると千葉まで9km。ゴールまでカウントダウンです。
しかし16号さんは最後の試練をお見舞いしてきます。



反対側の歩道にも雑草!



正方向側の歩道に戻っても、雑草!!



「横浜まで179km」のキロポスト。
雑草の攻撃をかわすのが精一杯で、180kmのキロポストをスルーしてしまいました。




市原市八幡町付近。JR内房線でいうと八幡宿駅付近。
国道16号と国道357号の分岐を予告する看板が出てきたということは、そろそろゴール?

青看も「千葉まで8km」と減ってきて・・・
「東京まで49km」?! 増えてる!!
(※2015年3月25日の執筆中に気が付きました)

「フエまでの距離が、増えてんじゃん」(ベトナムにて ミスター)

東京までの距離はともかく、ゴールには確実に近づいています。
そしてようやく、



国道357号との分岐を表す青看、この旅のスタート地点でありゴール地点でもある村田町交差点はあと300m。




午 後 8 時 0 7 分

千 葉 市 に 入 る




村田町まであと300mを切ったところで千葉市に突入。
村田町から市原は目と鼻の先だったんですね。




午 後 8 時 0 8 分

国 道 1 6 号 完 全 走 破 達 成




画像はぼやけていますが、村田町交差点です。

国道16号を、ママチャリで走破。
賞品などはなく、誰からも褒められるわけでもなく、ただただ自己満足のためだけに走った全251km。
人知れず悦に浸っていたのでした。




しかし旅はここで終わりではなかったのです。
小学校時代の遠足でも、引率の教頭先生がおっしゃいました。

「おうちに帰るまでが遠足ですよ」



悦びに浸るのもつかの間。
私は自宅のある船橋まで22kmのチャリ旅を再開しなければならなかったのでした。



ママチャリの旅「国道16号完全走破」 完





◆編集後記

長かった国道16号。
長かった長かった長かった編集時間。

旅したのが2014年の8月、そして編集が完結したのが2015年の3月。

その間にも鬼ヅモの大会は開かれ、私自身も旅に出て、またまた宿題がたまってしまっています。

私の遅筆もここに極まれり、といったところです。

言い訳を言いますと、去年の12月にマイノートPCさんが不具合を起こしまして、電源が一切入らなくなってしまったのです。
12月の時点でじゅうぶん遅筆なのですが、さらに時間を要してしまいました。
そしてPCをダメ元で見てもらうことにすると、
PCを清掃するだけで直ってしまったのです。

はぁ~、この間の私の気苦労はいったい・・・?

ともかく、国道16号を完走して世界が変わったわけでもありませんが、国道16号ってこんなにも面白い路線なんだと発見できただけでも有意義な旅だったと思います。
そしてこの旅日記の上でもようやく国道16号を「完走」できたことも嬉しい限りです。

(2015年3月25日 筆者しるす)

富津岬へ~影の国道16号・その参

2015-03-19 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 後 1 時 0 0 分

千 葉 県 富 津 市

東 京 湾 フ ェ リ ー 金 谷 港





横須賀の久里浜港から、房総半島の金谷港へ、東京湾を越えてきました。

船内では「横須賀海軍カリーパン」を食べはしましたが、これからの長丁場をパン1個でやっていけるわけがありません。



金谷港のすぐそばにあった回転寿司「船主」総本店で、魚介を心ゆくままいただきます。
近辺には竹岡式ラーメンというB級グルメの店もあるのですが、せっかく房総半島の先のほうに来たのですから、ここはやはり魚を食べたいものです。

(ちなみに筆者の中では、総武快速線直通電車が乗り入れていない君津駅・上総一ノ宮駅以南が「房総半島の先のほう」という認識です)

相当に空腹だったからか、なまじカリーパンを食べたがために食欲が刺激されてしまったのか。
この先の行程がかなりあるというのに、この回転寿司屋で20皿も食べてしまいました。



英気を十分に養ったところで、金谷港を出発。



金谷港のそばを走っている国道127号を北上していきます。



金谷付近の国道127号は、山が海ぎわまで迫っているので、トンネルがいくつもあります。
このように歩道がない危険なものもありますが、



ほとんどのトンネルはこのような親切設計になっています。



金谷港から最初のキロポスト。
国道127号の終点・館山までは26km、対して最終目的地の千葉まではなんと65kmもあります。

この65kmは、寄り道しなければの話。

国道127号は、木更津市内でそのまま国道16号につながります。つまり道なりに行けばそのままゴール地点にたどり着きます。

しかし今回の旅は「国道16号完全走破」。
国道16号の千葉県側の端点、さらには富津岬にも行かなければならないので、走行距離は70kmを超えます。



山がちの土地を進む国道127号。
しかし左側を見ると・・・



プライベートビーチのような小さな海岸がいたるところに点在します。

富津の小海岸は岩がちで、人が誰もいない。
『おくのほそ道』の中の松島と象潟のように、「横須賀は笑うがごとし、富津はうらむがごとし」といったところでしょうか。



海岸の先には、フェリーからも拝める東京湾観音
このときは着実に東京湾観音の方向へ進んでいきました。


国道127号を進み、左手側に海が見えなくなってきたころ。



海を見ながら進みたいと思った私は、国道127号を外れ、千葉県道256号に入りました。
この道は、富津岬へ向かう近道でもありますが、



予想外のアップダウン。
この感じはまさかの険道!?



下り坂から拝める東京湾観音。

道路もいつしかセンターライン付きの2車線になり、どうやら険道ではなかった模様。

 

国道465号に合流。



今度は千葉県道255号に入ります。
青看にも「富津岬」が出てきました。



広い富津市の中心街へと進む県道255号。なんとなく寂れている・・・。
そういえば富津市は、財政的にきわめて危機的な状況で、「第二の夕張市」までカウントダウンの段階にあるとか。


県道255号を進んでいくと、

 

国道16号の表示がある青看が出てきました!
ということはこの先の交差点が、国道16号・千葉側の端点ということになります。



国道16号の端点・富津交差点です。
自動車の行き来もほとんどなく、ここがあの首都圏の大動脈・国道16号の事実上のスタート地点なのかと思ってしまうほどです。
そういえば横須賀側の端点・走水交差点も、なんとなくものさびしい感じがしました。



あとは富津交差点から国道16号をたどっていけば、国道16号完全走破と相成るのですが、ここは「影の国道16号」の一部・富津岬に足を運びます。
この交差点を国道16号とは反対側、県道255号を進みます。



再三タイトルに載せた「影の国道16号」なる文言。
それは国道16号が「海上国道」のひとつであること。

国道16号は一見、神奈川県の横須賀や千葉県の富津で終わっているように見えます。
しかし法令上は起点も終点も横浜市になっています。
この考え方を貫くと、じつは国道16号は影となって続き、海を越えて横須賀から富津へ至ることになります。

このように、実際には通れないが法令上は続いている国道は「点線国道」といいます。
そのうち海上を通過するものは「海上国道」といいます。

海上国道は、実際の道路は存在しませんが、その海上を行く航路が存在しています。
東京湾フェリーもそのような航路のひとつで、いわば国道16号の一部といえるでしょう。



それでは、海の国道を見に行きましょう。



南房総国定公園内の富津公園に入ります。
ここで県道255号は終了。
道路は続くので、そのままひた走ります。



意外と続く道。1km以上はあります。



オブジェのようにも見える展望台が見えてきました。
明治百年記念展望台といい、文字通り明治100年にあたる1968年・・・ではなく1971年(昭和46年)に建てられました。
最上階の高さは21.8メートル。



北に目を向けると、京葉工業地域のコンビナート。



湾上にのびる一本の筋、東京湾アクアライン。



富津岬は長いねぇ~。



横須賀の観音崎方向。
影の国道16号が走っているのはこのあたりでしょうか。



展望台を下り、帰路へ就くことにしました。





新しいトコいこうぜ!!

2015-03-13 | 旅立ち


2 0 1 4 年 3 月 8 日 ( 日 )

午 後 8 時 5 0 分

千 葉 県 柏 市

J R 柏 駅 み ど り の 窓 口



しばらくぶりにPCが復活し、鬼ヅモ同好会の会員の動向をつぶさにながめてみると、よね先生が「JR線完乗の旅」なんて壮大なことを始めているではありませんか!
その旅日記を拝読するにつけ、旅立ちへの欲求が高まっていきました。



この日、柏で私用をなした帰りのこと。
みどりの窓口に立ち寄り、私御用達の列車を確認。

「3月17日のムーンライトながらの予約状況を確認したいのですが」

18きっぷユーザー御用達のながら。
23時10分に東京駅を出発、平塚付近で日付が変わり、5時51分に岐阜県の大垣に着きます。
また上りは22時49分に大垣を出発、翌日5時05分に東京に到着します。

さて、窓口の係員、調べるのに時間がかかっています。何やってんだ…。
後ろにもう一人、熟練者と思われる係員が立っているから、窓口の彼は研修中かなんかかな?

調べるのに時刻表なんかめくり出して…君はムーンライトながらを知らんのか?

そう考えていたら、窓口いわく、
「ムーンライトながらの運転日は3月20日から28日です」
と、時刻表を見せてくださいました。
そりゃあ窓口PCの検索機能に引っかからないはずです。

それにしても、ながらの運転日がこんなにも減ってしまったことに驚愕してしまいました。
こんな具合なら、ながらの指定席は予約で埋まってしまっているのでは…?

予感は的中。
下り列車はすべて満席
しかしながら上りは23、24、25日に空きがあるとのことでした。



とりあえず帰りの指定席だけでもおさえます。

これにて帰りは23日に決定。
旅先で3泊くらいとすると、出発は20日か…。
しかしながらが使えないとなると、1日目は完全な移動日になってしまう…。

ああ、過酷。
ここは名古屋あたりでもう一泊追加するのが良さそうです。



そうそう、忘れちゃいけない18きっぷも購入しておかねば。
ながらの指定席片道分520円と、18きっぷの代金11,850円をお支払いしました。



そして、柏駅東口近くのスタバへ。
MACではなくWindows7が入っている、意識の高くないいたって普通のマイノートPCを開き、お宿の予約を入れていきます。

さすがに日にちも近いし、手ごろなお宿はとれないかとも危惧していましたが、それは杞憂。
あっさり3泊取れました。3月20日から22日までの宿を確保。

ただ、初日の移動日をもう少し何とかならないものか・・・ということで、東京から目的地の中間地点あたりにもう1泊。
3月19日の宿も予約しました。


さらにここであるお方に入電。

『もしもし、旅から帰ってお疲れのところすみませ~ん』
『3月18日ですが、そちらに泊めていただきないでしょうか』

電話の相手はよね先生。
「神戸遠征事件」での経験にもかかわらず、無理な注文を引き受けてくださいました。

この場を借りて篤く御礼申し上げます。誠にありがたく存じます。

この日のよね先生は、私もぞっとするほどの過酷な旅から戻ってきたばかり。
(先生の旅のご様子は、「鬼ヅモ同好会本部」のサイトをご覧ください)

よね先生、大変すみません!
電話では一言も触れませんでしたが、勝手ながら、

「ここをキャンプ地とする」

ということでよろしゅうお頼み申し上げます。





ママチャリ、海を往く~影の国道16号・その弐

2015-03-13 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 1 1 時 2 0 分

神 奈 川 県 横 須 賀 市

観 音 崎







観音崎から見た東京湾はとても爽快で、浜風は強かったけど心地よいものでした。



石碑の影に停めておいたママチャリにまたがり、16号走破の旅を再開します。
といっても、このあたりには国道16号はありません。



国道16号は観音崎から1km離れた走水交差点(地図上の青いピン)でいったん終了しています。
まだ走破していない国道16号は、東京湾の対岸・房総半島のみ。
出発地点の千葉市中央区村田町交差点(地図上の黄色ピン)から富津岬付近(地図上の赤いピン)を残しています。

そこで、ママチャリ旅では初の、自身としても2度目のフェリーで移動という手段を執ることとしました。
東京湾を渡る東京湾フェリーは、観音崎から少し進んだところにある久里浜港から出ています。



というわけで、観音崎から移動を再開。
まずは比較的アップダウンの多い道を進んでいきます。

海に近い土地だからか、暑いには暑いですが埼玉の時のようなクソ暑さは感じませんでした。



丘を乗り越えると海岸沿いの道へ。
横須賀市内にはところどころに小さな浜辺があって、地元民?が海水浴を楽しんでいました。



京急浦賀線の終点・浦賀駅を尻目に、私とママチャリは海岸沿いの道を進みます。



道路が海のそばを走っています。



運命の分かれ道のようなY字路。



トンネルを出ると、



またまた海岸に出ました。
あの大きな構造物はなんだろう・・・火力発電所か何かか?

そして大きな煙突の根元あたりに停泊している船・・・もしや!!



近づくにつれて見えてくる「かなや丸」の文字。間違いなく東京湾フェリーです!
「かなや」は久里浜港の対岸、千葉県富津市の金谷港



途中にある、道沿いからも見えるくらいに大きな石碑は、ペリー上陸紀念碑
漢字で「米合衆國水師提督伯理(ペルリ)上陸紀念碑」とあり、この書は初代内閣総理大臣の伊藤博文によるものだそうです。

ペリー上陸紀念碑からすぐ近くのところに、久里浜港はあります。




午 後 1 2 時 0 7 分

久 里 浜 港

フ ェ リ ー タ ー ミ ナ ル に 到 着




広い駐車場の先にあるフェリーターミナル。
さてママチャリはどこに停めればよいのやら・・・?
とりあえず日陰にあるターミナルのところに駐輪しようか。

そう思っていたら、ターミナル玄関の目と鼻の先に駐輪スペースがありました。
自転車はオートバイと同じ扱いになるようです。


窓口で乗船券を購入。
運賃は、旅客料金が720円と車両料金が330円で、合わせて1,050円。
なかなか安いです。

乗船券を買って一安心していると、なかなか可愛い窓口のおねいさんから「出航時刻が迫っている」とのこと。
急いでママチャリのもとへ。



急いで撮影したオートバイ(兼自転車)駐輪スペース。
出航時間が迫っているので、先に停まっていたオートバイはいません。自動車も1台もいない。



これから乗るフェリーは、海岸線から見えていた「かなや丸」
これも急いで撮影。

ママチャリは自動車と同じく車両用の出入口から乗船します。



待ち受ける乗船員のお兄さんが、ママチャリを固定します。



ママチャリを置いて、私は一人船室へ上がりました。

 

船室は広々としていて、なんだか社交場のようにも感じました。
「水曜どうでしょう」で出てくるような、船室にごろ寝スペースがあるようなチープ感はありませんでした。



私にとっては、小学校4年生以来のフェリー乗船。

房総半島を1周するというドライブに、今は亡きわが父と出かけた。
最初こそ喜び勇んでいたが、元来乗り物酔いの体質である私。
荒っぽい運転をする、当時60超のわが父。
助手席に座っていたにもかかわらず酔っぱらってしまう。

勝浦で食べたサザエの壺焼きが、まったくと言っていいほど私の口に合わなかった。
天津小湊の鯛の浦クルーズ(小舟の上から鯛の群れが見える)で船酔いにやられる。

この日のドライブは、とにかく酔っぱらったということが印象に強く、道中のことなど記憶にない。
いつもは車中で寝ない私も、このときは後部座席で横になっていた。

そして私にとどめを刺したのが、夜の東京湾フェリーだった。

少しばかり体調が回復していた私は、フェリーに乗船して晩飯を食べた。
せっかく船に乗ったのでデッキに出てみるが、夜の海はただただ揺れるだけで何も見えない。

久里浜港に着く前に、やっぱり患ってしまった船酔い。

乗船中はリバースすることはなかったが、気分は最悪。
さすがにわが父も、茨城県内にある自宅に戻ることをあきらめ、モーテルを探すことにした。

しかしモーテル=Hホテルという図式があるわが国では、老人1人と小学生1人の組合せに理解のないモーテルもあり、宿泊を断られ続けた。
(わが父は「満員らしいよ」なんて言ってたが、おそらく「ホモお断り」と言われたのだろう)

ついに臨界点に。
宿泊を断ってきたモーテルの庭で、不覚
そういえば父は「ここで吐いちゃえ」なんて言ってたような~。


船にはトラウマがある私。
最近でも横浜のシーバスで、山下公園から赤レンガ広場に船で移動しただけなのに、あっさり船酔いするという醜態を女性の前でさらしたばかりなのです。




午 後 1 2 時 1 5 分

緊 張 の 出 航


「かなや丸」は久里浜港内を旋回して、東京湾へ出ていきます。

おおっ! 思ったほど揺れてない!



船室から見える東京湾越しの房総半島が、私の目をおおいに愉しませてくれたためか、揺れが全く気になりませんでした。

こりゃあ船酔いなしでいけるぞ!
そうなれば空腹を満たすために、船室の売店で食べ物を買います。

 

横須賀海軍カリーパン! うまい!
中のカリーは甘味がほとんどないスパイシーなものでしたが、かといってそんなに辛くはありませんでした。


パンを1個食べて、船室からデッキに出てみました。



風 TUEEEEEEE~~!!



東京湾とはいえ、海原の真ん中というのはこんなにも風が強いものなのか!
しかし風は涼しく、このまま強風を体に受けているのも悪くない・・・が、メガネが吹き飛ばされてしまいそう。



富津岬の手前に立ち東京湾を見守る東京湾観音



東京湾を航行する貨物船。
"NYK-HINODE"ってあるから「日の出埠頭からニューヨークまで行き来するのか~」なんて考えてました。
(実際は"NYK"は「日本郵船株式会社」の略称です)



金谷港から久里浜港へ向かう「しらはま丸」に出会いました。
このあたりで航路の半分といったところでしょうか。

東京湾は世界でも有数の過密航路らしく、航行する船を何隻も見ることができます。


体が冷えてきたので船室に戻りました。



船室の正面窓から(のこぎり)がはっきり見えてきました。
ギザギザに刻まれたかのような山肌が見えてきたら、東京湾クルーズもいよいよ終焉。




午 後 1 時 0 0 分

千 葉 県 富 津 市

金 谷 港 に 到 着




不覚をとることもなく、無事に到着しました。





観音崎~影の国道16号・その壱

2015-03-09 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 1 0 時 1 0 分

神 奈 川 県 横 須 賀 市

国 道 1 6 号 南 西 端 ・ 走 水 交 差 点



国道16号の南西端・走水交差点



ここが事実上の終点(起点?)になるのですが、一般国道の路線を指定する政令(昭和40年・政令第58号)によると、国道16号の起点および終点は横浜市の高島町交差点となっています。



つまり法令上では、国道16号は走水で終わらず、この先の観音崎まで続き、そこから海を渡るかたちで千葉県の富津岬に続いていることになっています。



そういうわけで、県道を通って観音崎をめざすことにしました。



走水交差点から先は、県道209号・観音崎通りをたどって進みます。



観音崎通りを進むと、小さな海岸がいくつもありました。
夏まっただ中だからか、いずれの海岸にも人がいて、海水浴を楽しんでいました。



あれは灯台!?・・・ではなさそうです。



海の向こうには、対岸の房総半島。
京葉工業地域のコンビナートがぼんやりと見えます。



男の裸族が闊歩する観音崎通りを進んでいくと、あっさりと観音崎に到達しました。



ママチャリを停める適当な場所がなかったので、石碑の裏手に停めて、徒歩で観音埼灯台を目指します。

遊歩道は、磯辺から徐々に離れていき、坂道に。
ママチャリを停めた観音崎の石碑からおよそ500メートルほど歩くと・・・



白亜の観音埼灯台が前方に見えてきます。

つづら折りの急坂を100メートルほど上っていくと、



観音埼灯台【横須賀市指定市民文化資産】に着きました。


日米修好通商条約をはじめとする安政5か国条約で開国した江戸幕府は、慶応2年(1866年)米英仏蘭の4国と改税約定をあらたに結びました。
このとき航行の要衝に灯明台を設置することが義務付けられ、その要衝のひとつが観音崎でした。

ほどなく幕府は倒れ、明治元年(1868年)9月に灯台の建設が始まりました。
建設の監督は、横須賀製鉄所の首長であったフランス人技師・フランソワ=レオンス=ヴェルニーが担当し、3か月後の12月に完成しました。
これは我が国初の洋式灯台で、翌年1月から光を灯しました。

大正12年(1922年)4月の地震、そして大正13年(1923年)の関東大震災で2度の建て直しを余儀なくされましたが、大正14年に完成した3代目の灯台は、現在に至るまで闇夜に光を灯し続けています。



・・・灯台の近くに立っていた立て看板より。
もうひとつ立っていた立て看板・・・



私の苦手なヘビが出るのか! しかもマムシ!!
こりゃあ、さっさと灯台に入ろう。

灯台の入口は海側に空いています。



真っ白な灯台が、これまた真っ青な空に映えます。
それにしてもこの日は素晴らしい晴天でした。

灯台の1階部分は、観音崎灯台や東京湾航路の資料館になっていて、入場料200円を支払う必要があります。
資料をひととおり眺めたうえで、灯台の上部へ。

 

人間1.5車線分の狭いらせん階段。
そして低い天井。油断をすると、身長173センチの私でも頭をぶつけてしまいます。



そして最上階。
東京湾を照らす光源と、その力を増幅する巨大なレンズ。
これほど大きいレンズですが、ランクは「第4等」と、灯台の中ではそこそこの位置のようです。

ちなみに最上級の第1等のレンズを擁する灯台(第1等灯台)は日本に5基しかなく、関東では千葉県銚子市にある犬吠埼灯台が第1等灯台です。



灯台の外へ。踊り場は狭そうで、いささか怖い。



風TUEEEEE~!



おやおや、とんびがあぶらげを狙っているようですなぁ。









おや? あの島はなんだろう??







まぁ、いいか。








ところで、読者諸氏は気づかれたでしょうか。

誤植???

そう、1ヶ所だけ、あえて組み入れた「誤植」。

「風TUEEEEE~!」は「誤植」じゃないですよ~いちおう。











この記事の中にふたつの「かんのんざき」があることを。

ひとつは「観音崎」
もうひとつは「観音埼灯台」

普通は「観音」なのに、「灯台」の文字が後ろにつくと「観音」になっているのです。


字義からすると、「崎」は山足の突き出た部分を表します。
それに対して、「埼」は陸地が海に突き出た部分を表しています。

そして、日本地図を作製する大御所といえば国土地理院
国土地理院の前身は、帝国陸軍陸地測量部
陸軍からすれば、山足の突き出た険しい地形は、海のそばであっても「崎」になるわけです。
そうして、地名として用いられる際には「●●崎」となりました。

いっぽう、海図を作製する大御所は海上保安庁海洋情報部。こちらはあまり知られていませんね。
海洋情報部の前身は、帝国海軍水路部
海軍にとっては、海に面した突出しの地形は「埼」の字が当てるのが妥当といえます。
そして、海図に表示される際は「●●埼」、そこにある灯台は「●●埼灯台」となります。

一般の人々は、海図などは目にする機会はほとんどありません。地図はよく目にするでしょう。
そのため、地名としては「●●崎」のほうが優先して使われる場合が多く、灯台のみ「●●埼」と表示されるのです。


なので・・・

津軽海峡に面する竜飛崎にある灯台は、竜飛埼灯台。
伊豆半島の先っちょ・石廊崎にある灯台は、石廊埼灯台。
房総半島の南端・野島崎にある灯台は、野島埼灯台、というふうになります。





海の街・横須賀~国道16号南西端へ

2015-03-08 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 9 時 0 8 分

神 奈 川 県 横 須 賀 市

京 急 線 横 須 賀 中 央 駅 付 近



横須賀市内の中心部にやってきました。
ここで本日2回目の休憩をとり、国道16号のはずれにある観音崎をめざします。


横須賀は古くから海軍の街として知られています。
そして現在も、アメリカ海軍が横須賀に駐留しています。



米軍基地の入口にかかる歩道橋。
階段の途中に、なんと検問所があります。
おそらく日本一ものものしい歩道橋だと思います。


横須賀市役所を通過してから2kmほど。

 

国道134号と分岐する救急医療センター前交差点です。
ここで国道16号は左折します。

ちなみに並走する京急線も、この付近にある堀ノ内駅で、浦賀へ行く京急浦賀線と、久里浜・三崎方面へ行く京急久里浜線に分かれます。



交通量はぐっと減っても、相変わらず片側2車線の国道16号です。

 

あと5km。



長い歩道橋のある交差点から先は、よこすか海岸通りとなります。



海だぁぁぁーー!!



島だぁぁぁーー!!

国道16号から直接海を見渡すことができるのは、ここ横須賀だけ。
千葉県内も海沿いを通るのですが、京葉工業地域のコンビナートが阻んで、海を見ることはできません。



よこすか海岸通りから見渡せる馬堀海岸
遊歩道が完備されている快走路で、私は心地よい潮風を体に吸収しながらママチャリを走らせます。



遊歩道がなくなったところで、片側2車線はおしまい。
あとは南西端まで対面交通で進みます。


海岸を離れると、最後に待つのは海岸段丘を上っていく急な上り坂です。



国道16号南西端のオニギリ。



走水まであと2km。



あっという間に絶景です。



海抜23mからの10%の下り坂。いよいよゴールです。




午 前 1 0 時 1 0 分

国 道 1 6 号 南 西 端 へ


10%の坂を下りたところで、最後の青看。



観音崎まで1kmというから、あと一息!
そう思った矢先、



国道16号南西端・走水交差点に着いてしまいました。
「観音崎1km」の青看の直後にあったので、「あれ!? 着いちゃった」という印象を受けました。

ホントに16号の終末なんだろうか。疑ってもみましたが、



この交差点を境に、国交省の管轄(国道)から神奈川県の管轄(県道)へと変わります。



たしかに、交差点の先は県道になっています。



ということで、

国道16号、南西端まで走破!!



でもまだ完全走破じゃありません。



富津岬から千葉市内までの部分が残っています。
そして船橋にある自宅に戻るためには、是が非でも走破しなければならないのです。



ともあれ、しばらくの間は国道16号から外れ、自由なルートを走行していきました。





横須賀・トンネル天国を行く

2015-03-06 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 8 時 3 0 分

神 奈 川 県 横 須 賀 市

追 浜 駅 付 近



金沢八景から進むこと1km強、ついに国道16号南西端の街・横須賀に入りました。



横須賀市に入って最初に目に入るのは、こぎれいな街並み。



追浜駅前交差点。「おっぱま」です。
そこから続く商店街は、なんともレトロ?なアーケード街。


追浜を抜けると、いよいよトンネル地帯に入ります。


横須賀は東京湾の入口にあるため、帝国海軍が置かれました。
近隣の横浜ともども急速に人口が増えていき、居住地が不足していきます。
三浦半島は、かつて丘陵が浸食を受けてできた谷戸地形で入り組んでおり、人々はそのような狭い土地をも居住地に変えました。
谷戸地形は交通に不便なところでしたが、三浦半島の丘陵は岩盤が柔らかく、トンネルを掘るに適していたそうです。


・・・って「タモリ倶楽部」でやってました。

山を越えるくらいならトンネル造っちゃえという具合でトンネルが掘られていったとか。
それを聞いたタモリ氏は、「横須賀の人って気が短いのかねぇ」なんて言っていましたが、現在横須賀市内には大小150以上ものトンネルがあるそうです。

タモリ氏のいうところの「横須賀人の気の短さ」?のおかげで、私とママチャリは回り道をせず、山道を上らずに進むことができるのです。



横須賀市内最初のトンネルは、浦郷隧道です。
横須賀市内のトンネルは双頭隧道といって、上下線それぞれに1本のトンネルが貫通しています。
当初は上下線対面通行でありトンネルは1本でしたが、自動車社会の進展により新たにトンネルが貫通しました。
新しいほうのトンネルには、「新●●隧道」というように「新」の字が冠に置かれています。



青看にはついに国道16号の先にある三崎の表示が出てきました。



観音崎まではあと13km。
三崎までは、途中で分岐する国道134号を経由することになります。

 

浦郷隧道から約1km、今度は船越隧道です。
「タモリ倶楽部」でも登場したこのトンネルは、出口の脇にひっそりと、使われなくなった人道トンネルが口をあけています。



船越隧道から約1km、田浦隧道



そして田浦隧道を出ると、国道16号は片側1車線の対面通行に・・・なったわけではありません。
上り車線が分離してしまうのです。
依然、片側2車線のままです。

JR横須賀線の田浦駅は、この近くにあります。
横須賀線の電車は11両編成が基本となっています。(逗子・久里浜間のみ。逗子より先は15両が基本です)
しかし田浦駅はトンネルとトンネルに挟まれているためホームが短く、11両のうち2両はトンネルから出られないまま駅に停車。
そのためトンネル内の2両については、ドアが開かないという特殊対応をしているのです。

田浦駅への入口を通過すると、次のトンネル・・・



吾妻隧道に突入。



次いで長浦隧道へ。

国道16号・横須賀市内のトンネルは、すべて進行方向左側に歩道が完備されています。千葉市内の不親切設計のトンネルとは違いますな~。
歩道のスペースを確保し、車道が右寄りに移ったため、右車線の天井が低めになっています。
そのため、右車線には3.8mの高さ制限がなされています。



長浦隧道を出ると、安針塚駅入口交差点で上り線と再会。
安針塚には、江戸時代初頭に徳川家康の貿易指南役として活躍したイギリス人・ウィリアム=アダムズ(三浦按針)の墓があります。

交差点のすぐ先に、再びトンネル。



レンガの装飾がなされている新吉浦隧道。ここからは下り線が新しいトンネルになります。
このトンネルを抜けると、再び上下線が分離します。



次は逸見(へみ)隧道です。
「逸見」という文字を見ると、バブル期を駆け抜けたキャスター・逸見政孝氏を連想して「いつみ」と読んでしまいがちです。

国道16号の南西端・走水交差点まであと10km。

新逸見隧道を出たところで上下線は再びひとつとなり、



最後のトンネル・横須賀隧道へ。



横須賀隧道を出たところで、突如歩道消失!



仕方なく右側通行をすることに。
ここでまたしても上下の車線が分かれていきますが、直後のヴェルニー公園前交差点でまたひとつに。



横須賀市内の中心部に近づき、国道16号はいっそう海寄りのルートを通っていきます。





三浦半島へ向かう~横浜を南下

2015-03-06 | チャリ旅


2 0 1 4 年 8 月 1 8 日 ( 月 )

午 前 7 時 0 1 分

横 浜 市 南 区

地 下 鉄 ブ ル ー ラ イ ン 吉 野 町 駅 付 近



第63回鬼ヅモ同好会麻雀大会、閉幕。

 ※この記事をアップした当時、すでに第64回大会が終わって3か月経っていました。
  PCの故障を長らく放置したためです。



川越で買った「日本一長い麩菓子」の残り30cmを食べて、よね先生宅を出発。
麻雀大会も終わって、自宅に戻るだけなのですが、今回は国道16号を走破するために、まったく逆方向のルートを進まなければなりません。



最終日の行程は、横浜・吉野町から南下して約30km先、横須賀の観音崎へ。
そのあと約10km進んで、久里浜から対岸の金谷へ渡ります。
金谷から約20km進んで富津岬へ。
あとはひたすら北上して約50km、スタート地点の千葉へと帰還するハードスケジュールです。



「国道16号完全走破」3日目の終点・吉野町三丁目交差点からスタート。



いつもどおり、交通法規を遵守して進行方向の左側を走行していきます。



この日最初の青看。
「横須賀 21km」とありますが、これは横須賀市役所までの距離のことで、私が目指す観音崎は、横須賀市役所のずっと先にあります。
「金沢 13km」はもちろん、兼六園で有名な金沢じゃなくて、金沢文庫で有名な横浜市金沢区を指します。

そしてこのとき、私は進行方向右側の歩道を走っていました。
吉野町からほどなく進むと、掘割川が差し迫り、左側の歩道はなくなってしまいます。
交通量が多いので、右側の歩道を進むこととなったわけです。



吉野町から1kmも進まぬうちに、磯子区に入りました。

途中のコンビニに立ち寄り、ちゃんとした朝食を摂り、長丁場に備えます。



スタートから2.5km、八幡橋交差点で国道16号は右折します。
そのあとは、しばらく道なりに進んでいくこととなります。



JR根岸線・磯子駅付近。
道路沿いに高層建築が並び、歩道は日陰に覆われていました。とても涼しく快適に進めました。

前方に見える丘。これを上らなければならないのか!?

そのような心配は杞憂でした。
磯子区は海沿いに台地が迫り、そこへ上がるにはかなり急な坂を進まなければなりませんが、国道16号はまさに台地が迫るところをぎりぎりに通っていて、台地に上がることはありません。



「走水まで25km」のキロポストです。
横須賀市走水は国道16号の西端で、観音崎の手前にあります。



スタートから約7km、新杉田駅付近を通過し、JR根岸線の高架をくぐると、国道16号は片側1車線となってしまいます。
青看にはじめて観音崎が登場し、磯子区脱出までもう少しのところ。




午 前 7 時 5 2 分

金 沢 区 に 入 る




片側1車線になってほどなく、金沢区に入ったようです。
国道のおにぎりのついでに「金沢区」なんていわれると、区界標かどうか疑ってしまいます。

磯子区ではなんとか坂を上らずにすみましたが、金沢区に入ってゆるやかなアップダウンを進むことになります。



そしてこの日最初のトンネル・富岡隧道です。
三浦半島は、丘陵地が浸食されてできた谷間の地形である谷戸の多いところで、谷戸と谷戸を結ぶトンネルがとても多いそうです。

国道16号は、これから三浦半島の奥へと進んでいきます。



京急線能見台(のうけんだい)駅付近。走水まではあと20km。

ママチャリは順調に進み、金沢文庫駅前を通過。
金沢文庫には寄りませんでした。

口の両端をひっぱって、「金沢文庫」と言うと・・・

桃色女優の金沢文子を思い出すこともなく、ママチャリはハイペースで金沢八景へ。



国道16号に突如現れる、そそり立つ壁。
大型商業施設・京急サニーマートです。
金沢区はJRが通っていないためなのか、京急グループが幅を利かせているようです。

金沢八景駅では新逗子方面へ続く京急逗子線が分岐しますが、国道16号は京急本線とともに横須賀へ。
車道は片側2車線に戻り、このまま横須賀まで続きます。



距離青看に観音崎が現れ、



ついに神奈川県最後の街・横須賀へ。



天候は快晴、時刻はまだ8時半でした。