富津岬から海の国道16号を眺め、いよいよ完全走破へ。
残りの行程は、富津(地図上の赤いピン)から出発地・千葉市中央区村田町交差点(地図上の黄色ピン)で、だいたい50kmほどです。
まずは国道16号にたどり着かなければなりません。
富津岬から富津交差点へ戻ります。
交通量の多くない寂しげな交差点から国道16号は始まります。
首都圏の大動脈である国道16号も、最初は片側1車線です。
1kmも進まないうちに、最初の国道分岐・新井交差点。
ここでは、富津岬に向かうときに歩んだ国道465号に分かれます。
左に曲がれば千葉県道90号。
青看では千葉・木更津方面へは直進するよう表示されているので、そのまま直進します。
そもそも国道16号完全走破の旅なので、ここで左折する理由はありませんでしたね。
最初のキロポストは、「横浜まで220km」と「木更津まで11km」。
横浜まで行くのなら、外回りの東京湾を越えていくルートのほうが、距離はぐっと短いですね。
最初の距離青看。
この旅のゴールである千葉までは48km。
小糸川にかかる、国道16号最初の橋。
橋を渡って君津市に入りました。
金谷港以来の富津市をようやく脱出。
君津市に入って1kmも進まぬうちに、国道16号はこの大和田交差点ではじめて方向転換をすることになります。
青看でもわかるように、左に曲がって、すぐに右に。
大和田交差点を左に曲がったところで、国道16号初の片側2車線。
そして100mほどで、今度は右に曲がります。
右に曲がる先の道は広い広い快走路のようです。
そしてその道は、国道465号の分岐点・新井交差点から伸びる県道90号。
道路の規格を考えれば、新井交差点の時点で国道16号を外れたほうが早そうです。
手持ちのライトマップルにも「こっちのほうがいい」というような注意書がありました。
先ほどとはうって変わって、この広々とした道。
ママチャリにとっても優しい、16号全体でもトップクラスの快走区間です。
館山自動車道・木更津南インター入口です。
信号機による交差点なので、自転車は何の問題もなく通過できます。ありがたい!
「アクア連絡道」なんて高速道路があったことをはじめて知りました。
英語表記は"AQUA RENRAKU EXPWY"となっています。
「アクア」は英語なのに「連絡」はローマ字表記なのがなんともおかしい。
ところで、いつの間にか木更津市に入っていたようです。
富津市滞在が3時間15分に対し、君津市はわずか15分で通過。
しかし君津市ちっちぇ~なぁというのは大きな誤解です。
君津市の本領は内陸部。
戦国大名の里見家が本拠とした久留里城があるのも君津市内だし、JR久留里線の終点・上総亀山駅も君津市内にあります。
さてさて国道16号は、木更津港付近で右に曲がります。
その後も快走路は続きます。
「横浜まで210km」のキロポスト。
木更津市内に入ったので、副表示は「千葉まで40km」になっています。
木更津港付近から1kmほどで、千葉県側最初の陸橋・桜井陸橋へ。
ここでは陸橋側の道に合流しなければならず、ひさびさの急坂を進みます。まぁ100メートルほどですが。
陸橋へ入る交差点で、左に行けば国道16号千葉方面へ、右に行くと国道127号館山方面へ。
つまりは金谷港からきた道をそのまま進めば自動的に国道16号に入るということです。
しばらくは木更津の市街地を進むことになりますが、国道16号は首都圏の大動脈。
なのでむやみに交差点を設置するわけにはいきません。ということは・・・
自動車にとってはありがたい、そして自転車にとってはまったくありがたくない陸橋地獄。
千葉はホントに不親切設計の道路が多いな!(ママチャリユーザーより)
それはそうと、この坂を上ると、
小櫃川は、利根川に次いで、千葉県内で2番目に長い川なのだそうです。
木更津大橋を渡って、3番目の市・袖ヶ浦市に入りました。
袖ヶ浦市に入って早々、眼前に見える高架の道路。
出ました、アクア連絡道 AQUA RENRAKU Expresswayです。
高架下の交差点もなにげに国道409号と国道410号とが分岐する重要交差点。
おいおい、RENRAKU道はママチャリに立体交差を要求するのかい?!
アクア連絡道を過ぎたところで、いよいよ国道16号が、いや千葉県の道路事情が牙をむきます。
東京都、神奈川県ではまったく見られなかった雑草ゾーンが現れ始めます。
自転車だけ下ろされる陸橋・・・
そしてこの陸橋を過ぎたところで市街地を外れ、いよいよ工業地帯へ。
この先は、京葉工業地帯のコンビナートを左手に見ながら進むことになります。
国道16号は海の近くを通っているのですが、工場と防風林のため、海は全く見えません。
ここにも雑草ゾーンが。
工業地帯らしい、パイプラインが付いている橋を渡ると、
市原市に入ります。ここからが工業地帯の本番。
日没時刻は過ぎ、行き交う自動車はヘッドライトを灯して行くころ。
工業団地を進む歩道に街灯はなく、しかも防風林とも相まって真っ暗。
申し訳程度でも街灯のある反対側の歩道へ移動します。
向かいからのヘッドライトも助けとしつつ、ママチャリと私はひたすら北上。
日輪はとうに消え失せ、漆黒の帳があたりを覆っていきます。
括目すべし、この暗さ!
おもな光源はヘッドライトと工場夜景のみ。
青看に「東京」が初登場。
東京まで50km、そしてゴールの千葉までは14km。
このあたりになると、正方向側の歩道も少し明るくなってきたので、そちらに戻って進むことにしました。
養老川にかかる養老川大橋を渡ると・・・やっぱり市原市のまま。市原はデカい。
養老川大橋からの工場夜景を撮ってみました。
国道16号の左側には、京葉臨海鉄道のレールが伸びています。
このレールを左手に見ながら進んでいくこととなりますが・・・
往く手を樹木ゾーンが妨害します。
臨海鉄道からの刺客なのか!?
なんと臨海鉄道さんが自ら歩道を塞ぎにやって来ました!
こうなってはひとたまりもなく、反対側の歩道へ退避。
このあたりの青看によると千葉まで9km。ゴールまでカウントダウンです。
しかし16号さんは最後の試練をお見舞いしてきます。
反対側の歩道にも雑草!
正方向側の歩道に戻っても、雑草!!
「横浜まで179km」のキロポスト。
雑草の攻撃をかわすのが精一杯で、180kmのキロポストをスルーしてしまいました。
市原市八幡町付近。JR内房線でいうと八幡宿駅付近。
国道16号と国道357号の分岐を予告する看板が出てきたということは、そろそろゴール?
青看も「千葉まで8km」と減ってきて・・・
「東京まで49km」?! 増えてる!!
(※2015年3月25日の執筆中に気が付きました)
「フエまでの距離が、増えてんじゃん」(ベトナムにて ミスター)
東京までの距離はともかく、ゴールには確実に近づいています。
そしてようやく、
国道357号との分岐を表す青看、この旅のスタート地点でありゴール地点でもある村田町交差点はあと300m。
村田町まであと300mを切ったところで千葉市に突入。
村田町から市原は目と鼻の先だったんですね。
画像はぼやけていますが、村田町交差点です。
国道16号を、ママチャリで走破。
賞品などはなく、誰からも褒められるわけでもなく、ただただ自己満足のためだけに走った全251km。
人知れず悦に浸っていたのでした。
しかし旅はここで終わりではなかったのです。
小学校時代の遠足でも、引率の教頭先生がおっしゃいました。
「おうちに帰るまでが遠足ですよ」
悦びに浸るのもつかの間。
私は自宅のある船橋まで22kmのチャリ旅を再開しなければならなかったのでした。
ママチャリの旅「国道16号完全走破」 完
◆編集後記
長かった国道16号。
長かった長かった長かった編集時間。
旅したのが2014年の8月、そして編集が完結したのが2015年の3月。
その間にも鬼ヅモの大会は開かれ、私自身も旅に出て、またまた宿題がたまってしまっています。
私の遅筆もここに極まれり、といったところです。
言い訳を言いますと、去年の12月にマイノートPCさんが不具合を起こしまして、電源が一切入らなくなってしまったのです。
12月の時点でじゅうぶん遅筆なのですが、さらに時間を要してしまいました。
そしてPCをダメ元で見てもらうことにすると、
PCを清掃するだけで直ってしまったのです。
はぁ~、この間の私の気苦労はいったい・・・?
ともかく、国道16号を完走して世界が変わったわけでもありませんが、国道16号ってこんなにも面白い路線なんだと発見できただけでも有意義な旅だったと思います。
そしてこの旅日記の上でもようやく国道16号を「完走」できたことも嬉しい限りです。
(2015年3月25日 筆者しるす)