2 0 1 4 年 5 月 6 日 ( 火 )
午 後 2 時 0 7 分
川 崎 市 川 崎 区
真 言 宗 智 山 派 大 本 山 ・ 平 間 寺 ( 川 崎 大 師 )
鶴見から、川崎市内で少しばかり道を間違えながらも、
川崎大師に着きました。
大師前の仲見世です。さらし飴のお店がトントントントン小気味よい音で惹きつけてきます。
さらし飴は「森永ハイチュウ」のようなソフトキャンディで、味はただただ甘味のみなのですが、甘さはどちらかといえば控えめです。
飴の試食を3個4個としていくうちに、ついつい買っちゃいました。
左がスタンダードな
さらし飴。
そして右は
せき止め飴だそうです。
4月から、喘息なのかなんなのかわかりませんが、咳が止まらない私は二もなく買っちゃいました。
そういえば鶴見でおでんを食べて以来、水以外のものは口にしていませんでした。
せっかくなので仲見世の飲食店で昼食をとることとしました。
いつもは冷たいもりそばあたりを食べるのですが、この日は曇りがちで気温が低かったので、めずらしく鍋焼きうどんを食べてしまいました。
それでは、ゴールデンウィークでにぎわう川崎大師へ。
正面入口の
大山門です。
昭和52年に建てられた比較的新しい建造物です。
四方には京都・東寺の四天王像を模した像を安置しています・・・が、私はこのことを知らずにスルーしてしまいました。
この日は大開帳奉修の年に当たり、
赤札というものを授与していました。
そのためなのか、普段は公開していない寺宝を公開し、開扉していない堂宇を開いていました。
そのひとつが
経蔵です。
経蔵に鎮座する
釈迦如来像、そしてそれをとりまく7000巻以上の納経と天井画。
これらすべてが撮影OKとなっていました。
経蔵は平成16年に落成した新しい建物なので、とくに撮影禁止にしなくとも問題ないのでしょう。
ほかにも大開帳奉修に合わせて公開された寺宝も見てきましたが、こちらは撮影NGでしたので、画像はありません。
スタンプだけはもらってました。
それでは
大本堂へ。いつもどおり旅の無事を祈願します。
その後は境内散策です。
川崎大師の境内は、總持寺ほどではありませんが広いです。
そして海に近いところにあるので、地形の起伏はなく、広く天を見上げることができます。
村の鎮守の小さな社のような、樹木の植わっているところがぽつぽつとあります。
そのなかのひとつ、巌に安置されている
観音銅像。
この像が奉納されたのは明治36年なので、川崎大師のほとんどの建造物よりも古いものだそうです。
別のところには、
遍路大師尊像が立っています。
昭和48年(1973年)、弘法大師が生まれて1200年を記念して造られたものだそうです。
ここでは、お賽銭をして、健康健脚を祈って大師像の足に献水することになっています。
・・・が、財布の中を見ると500円玉しかありません。
私はお賽銭をケチって、
献水だけをして旅の無事を祈願しました。
この暴挙のバチがあたったのか、私はのちのちひどい目にあうことになります・・・。
境内散策をしていくうちに、長蛇の列に当たりました。
最初は何のための行列なのかわかりませんでしたが、列を整理している係員の話を聞くに、
赤札授与のための行列だということでした。
そして赤札授与の行列は、だいたい1時間半待ちであろうという係員の見解も聞きました。
私は最初こそ赤札授与の列に並んだものの、1時間半待ちということを聞いて翻意。
「私は船橋に帰らなきゃいけないんだ」そう言い聞かせて赤札をあきらめました。
川崎大師の赤札は、10年ごとの吉例大開帳奉修期間中に限り授与されます。
弘法大師の直筆と伝わる「南無阿弥陀佛」の六文字が版なっていて、川崎大師の貫首が祈願をこめて一枚ずつ手刷りにしてできる護符です。
この赤札は「最強の護符」と畏怖されているのだとか。
そのご利益というのは、まず無量の功徳を授かる、つまり計り知れないほどの善行をしたことととなって死後極楽浄土へ行けるようになることです。
また、罪障消滅してあまねく利益が得られる、つまり身の回りの障害がなくなり願い事がことごとくかなうそうです。
さらに、一旦危急に面した場合にあらたかな霊験の不思議があらわれる、つまりは大きな厄災からも(一度だけですが)逃れることができるそうです。
赤札授与の列を抜けた私。
「最強の護符」をみすみす逃すあたり、もはや「持っていない」ことが明らかですねぇ(^_^;)
でも
「南無阿弥陀佛」って、真言宗じゃなくて浄土宗じゃなかったか!? という野暮なことを言っちゃあいけないですよぉ。
もうしばらく境内散策を続けます。
八角五重塔、別名
「中興の塔」です。
昭和59年に完成した建造物で、その名のとおり珍しい八角形の造りになっています。
八角形は円に近いので、「包容力」「完全性」を象徴しているそうです。
別のところからの八角五重塔。
手前にあるのは
「祈りと平和」の像です。
境内にある
つるの池からの八角五重塔。
巌に据え置かれた鶴の像から、つるの池の名があります。
像が置かれた巌はなにやら亀をかたどったものになっているようです。
最後に
不動堂。
細かい小銭がなかったので、ちらっと見ただけ。
かつての山門であった
不動門から境内を出ました。
仲見世で買ったさらし飴を噛みながら、チャリにまたがって東京へと向かいました。
2 0 1 4 年 7 月
後 日 談 ・・・
ひどいときは、何かセリフを吐くたびにゲホゲホ云っていた私の咳。
一過性の喘息だったのか、ハウスダスト症候群だったのか、はたまた自律神経失調症だったのか。
あれだけひどかった咳は、6月に入ったころに全く出なくなりました。
きっと川崎大師で買ったせきどめ飴が効いたのでしょう。
そう思っていたのですが、7月に入りカバンの整理をしていると・・・
溶けかかったせきどめ飴が発見されたのでした・・・。
◆参考文献
・川崎大師Webサイト
http://www.kawasakidaishi.com/