鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

縁結び祈願のたび・あとがき

2023-12-26 | 日記


令 和 5 年 ( 2 0 2 3 年 ) 1 2 月 2 3 日 ( 土 )

午 前 1 0 時 5 2 分

千 葉 県 柏 市

カ フ ェ ・ ベ ロ ー チ ェ に て



この日は、平成の御代に天皇をお務めになられた明仁上皇陛下のお誕生日。
クリスマス・イヴの前日でもあります。

そして私にとっては、年に一度の健康診断の日。
柏の駅前に出た私は朝のうちに健診を済ませ、やたらと胃酸を出したがるわが胃袋に「富士そば」の天ぷらそばを送り込み、近くの「カフェ・ベローチェ」で休息しているところです。

ここにて第69話を記し終え、執筆に4年を費やした「縁結び祈願のたび」もようやくようやくようやっと完結します。





松江にある八重垣神社にて、「縁結び占い」をしました。
占いは、半紙に硬貨を載せて池に浮かべて、半紙が早く沈めば「縁結び」が近いというもの。
私が占いをしてみると、わが半紙は先に占いをしていた女性のものよりも早く沈んでいったのです。

柏に戻った私は、いつもの遅筆ながら、「縁結び祈願のたび」執筆に取り掛かりました。

そして同年の11月22日、衝撃的なニュースが舞い込んできました。


鬼ヅモ同好会会長・かつ氏、ご成婚。


縁結びが近いというのは私ではなく、会長のことだったんだ!
これは「縁結び祈願のたび」の結びにはぴったりじゃないか! よしよし。

そう考えながら、ダラダラダラダラ・・・・・・・・・と執筆をしていきました。
執筆期間は1年を超え、北海道の旅のときに費やした2年を超えていきました。

その間には、あの恐怖の「カピバラ革命」勃発。
「権力のすべてをソヴィエトへ」ならぬ「休日のすべてをカピバラへ」のスローガンの下、休日の執筆時間は根こそぎ奪われることとなったのです。

そして「縁結び祈願のたび」から2年9か月ほどたった、令和4年の七夕。


第3王子、ご成婚。


私の遅筆のために、また新たなる縁結びを目にすることとなったのです。
そうはいっても執筆の遅さは変わることはなく、「縁結び祈願のたび」からの期間は3年を超えていきます。

そして令和5年のバレンタインデー。



第3王子嫡男、誕生。


出雲の神々は、私に直接の縁結びはなさらなかったのかもしれません。
いや、神々がくださったのはそれ以上の縁なのかもしれませんね。


この赤子の姿を見て「縁結び」の御利益を実感した私は、令和5年の間にこの旅日記を完結させなければならない!
そう感じ、遅筆ながらも少しばかりスピードアップして、ようやく12月23日にあとがきまで執筆するに至りました。



令和元年10月下旬から4年2ヶ月をかけ、「縁結び祈願のたび」ここに完結。

読者の皆様に、「縁結び」の御利益があらんことを・・・・・・!



日本100名城登城の旅・第22弾「縁結び祈願のたび」 完

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ハイソフト「日本の美しい橋」やっと最後の橋

2021-10-16 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 1 0 月 5 日 ( 火 )

午 後 3 時 0 5 分

職 場 に て





出ねぇぞ!



森永製菓「ハイソフトキャラメル」を開函するたびに、幾たび心中でつぶやいたでしょうか。
「日本の美しい橋」カード、16枚目の鶴の舞橋
職場の面々にキャラメルを振る舞うこと、数十箱。

「このカードはレアカードだから、出る確率が低いんだよ、きっと」
「このカードだけ、じつは印刷されてないんじゃないか」

「森永のお客様相談室に連絡しちゃえば」
「もう、『メルカリ』で買っちゃいなよ」


面々の心ある言葉に支えられ、この日もハイソフトの封を開いたのでした。





ついに出ました! カード番号2番、鶴の舞橋!



鶴の舞橋は、青森県北津軽郡鶴田町にある富士見湖パークの園内にて廻堰大溜池(津軽富士見湖)に架かる木造の橋です。
長さは300メートル、幅は3メートルで、日本一長い木造三連太鼓橋となっています。

鶴の舞橋が架かる廻堰まわりぜき大溜池は、万治3年(1660年)弘前藩4代藩主・津軽信政によって新田開発の灌漑用水源として築造されました。
水をためるための堤防(堤体)は4.2キロもあり、日本最長を誇ります。
「津軽富士」と称される岩木山の見晴らしは美しく、そのために「津軽富士見湖」とも呼ばれています。



パッケージにも載っている鶴の舞橋ですが、公共交通機関だけで行くのはけっこう大変。

最寄駅は、JR五能線 陸奥鶴田駅
青森からアクセスする場合は、奥羽本線弘前方面へ向かい、弘前の2駅前の川部駅で五能線に乗り換えます。
川部から4駅進み、陸奥鶴田駅に到着します。
ちなみに青森駅から出ている臨時快速「リゾートしらかみ」も、陸奥鶴田駅に停車します。

陸奥鶴田駅に到着しても、ここからが難儀。
鶴の舞橋がある富士見湖パークや丹頂鶴自然公園は、駅から約6キロの道のりがあります。
鶴田町で一番の観光名所であるはずなのですが、そこへアクセスできるバスは一切なし。
推奨されている交通手段はタクシーで、片道2,000円以上かかってしまいます。
期間限定で特別料金タクシーが運行されているようですが、それでも片道1,000円かかります。
陸奥鶴田駅の観光案内所ではレンタサイクルも取り扱っているようなので、タクシーに身銭を切りたくない私はこちらの手段をとることになりそうですね。



それにしても、長い闘いでした。
しばらくはハイソフトを口にすることはないでしょうね・・・・・・。



「森永ハイソフト・16名橋コンプリート」 完

【画廊】ハイソフト「日本の美しい橋」へ。


【画廊】ハイソフト「日本の美しい橋」コンプリート

2021-05-08 | 日記


ハイソフト「日本の美しい橋」ギャラリーへようこそ。





ここでは、当サイトの管理人が自らハイソフトを購入し、賞味したうえで、収集した「日本の美しい橋」カード全16枚を展示いたします。
どうぞ、ごゆっくりご観賞くださいませ。



No.1 タウシュベツ川橋梁 (北海道河東郡上士幌町・糠平湖(かつてはタウシュベツ川)

 

旧国鉄士幌線タウシュベツ川橋梁は、長さ130メートル、幅3メートルのアーチ橋構造の鉄道橋です。

昭和14年(1939年)に国鉄士幌線十勝三股駅まで開通した際に、架橋されました。
昭和30年(1955年)糠平ダムが建設され、橋梁はダム湖の糠平湖に沈むこととなりました。
季節によって湖底に沈んでいたり、湖上に姿を現したりすることから、「幻の橋」とも呼ばれていますが、そのことは橋梁自体の損傷を進行させ、橋梁自体の崩壊も時間の問題と考えられているそうです。



No.2 鶴の舞橋 (青森県北津軽郡鶴田町・廻堰大溜池(津軽富士見湖)

 

鶴の舞橋は、長さ300メートル、幅3メートルの歩行者専用橋で、木造のアーチ橋では日本最長を誇ります。

橋が架かる廻堰大溜池は、岩木山(津軽富士)がよく見えることから「津軽富士見湖」と呼ばれています。
地元の良材である青森ひばを使用してできた橋は、鶴が飼育されている丹頂鶴自然公園と、富士見湖パークのふたつの公園を結んでいます。



No.3 恐山太鼓橋 (青森県むつ市・三途川(正津川)

 

恐山太鼓橋は、恐山菩提寺の一部をなず歩道橋です。

恐山は、カルデラ湖である宇曽利山湖とそれを取り囲む外輪山をあわせた総称で、単独で「恐山」という山があるわけではありません。
太鼓橋の先に恐山菩提寺の山門があり、その境内は三途の川向こうの「あの世」の景色が広がっています。



No.4 谷瀬の吊り橋 (奈良県吉野郡十津川村・十津川(熊野川)

 

谷瀬の吊り橋は、長さは297.7メートルの吊り橋構造の歩行者専用橋で、生活用の吊り橋としては日本最長を誇ります。

昭和29年(1954年)当時800万円もの工費をかけて架橋されました。
この工費の8割は谷瀬の集落に住まう人々が負担したもので、当時の集落の人々にとっては悲願の吊り橋であったことが思い起こされます。
架橋当時は日本最長の歩道吊り橋で、その後に架橋された「日本最長の歩道吊り橋」はいずれも観光用のものであり、現地の生活に根付いているという点に絞れば、谷瀬の吊り橋はいまだ日本最長であり続けています。



No.5 二荒山神社神橋 【国指定重要文化財】(栃木県日光市・大谷(だいや)

 

二荒山神社神橋は、長さは28メートル、通行幅は7.4メートルの歩行者専用橋で、世界遺産「日光の社寺」の構成物件のひとつです。

奈良時代の末期、日光山中禅寺を開いた勝道(しょうどう)上人が、山に入る際に大谷川の急流に行く手を阻まれてしまいます。
上人が神仏に加護を求めたところ、2匹の蛇が現れ、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったといいます。
この伝説から「山菅橋」「山菅の蛇橋」とも呼ばれています。



No.6 日本橋 【国指定重要文化財・日本三名橋】(東京都中央区・日本橋川

 

日本橋は、長さは49.1メートル、通行幅は27.3メートル、アーチ橋構造の道路橋です。

江戸幕府の街道整備計画のさきがけとして造られることとなり、慶長8年3月3日(1603年4月14日)に完成しました。
翌年には五街道の基点と位置付けられ、以後江戸で最もにぎわう場所となっていきます。
しかし火事による焼亡10回を数えるほか、のべ18回もの架け替えがなされ、現在の橋は明治44年(1911年)4月3日に完成したものです。



No.7 猿橋 【国指定名勝・日本三奇橋】(山梨県大月市・桂川(相模川)

 

猿橋は、長さは30.9メートル、通行幅は3.3メートルの歩行者専用橋で、かつては刎橋で造られていました。

推古天皇の御代の610年ごろに、百済の渡来人の志羅呼(しらこ)という人物が建造したといいます。
時代は下り、江戸時代に江戸から甲府まで甲州街道が整備されると、猿橋は街道の一部を構成し、周囲の渓谷とともに「甲州街道随一の名勝」とうたわれました。



No.8 蓬莱橋 (静岡県島田市・大井川

 

蓬莱橋は、長さ897.4メートル、通行幅は2.4メートルの木造歩道橋です。

江戸時代は架橋が許されなかった大井川に、明治12年(1879年)牧之原台地と東海道の島田宿(島田市)を結ぶために架けられた橋です。
平成9年(1997年)12月30日に、「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネスブックに認定されました。
長い木=「長生き」の橋、897.4=「やくなし(厄無し)」の橋として、パワースポットにもなっているのだそうです。



No.9 浅野川大橋 【国登録有形文化財】(石川県金沢市・浅野川

 

浅野川大橋は、橋の長さは55メートル、幅は17メートル、アーチ橋構造の道路橋です。

文禄3年(1594年)加賀藩の藩祖・前田利家北国街道の橋として架けたのが最初といわれています。
現在の橋は大正11年(1922年)に架けられたもので、3径間連続固定アーチ構造という独特の構造をとるアーチ橋となっています。
昭和41年(1966年)までは北陸鉄道金沢市内線の路面電車が通行していました。



No.10 大井川鐡道レインボーブリッジ (静岡県榛原(はいばら)郡川根本町・接岨(せっそ)湖(大井川)

 

奥大井レインボーブリッジは、大井川鐡道井川線(南アルプスあぷとライン)の2本の鉄橋の総称です。
写真の右側が下流側の橋で、その長さは283メートル、上流側の橋は、その長さは191メートルで、双方ともに幅は5.45メートルあります。
ふたつの橋の間、接岨湖に突き出た半島状の陸地に奥大井湖上駅があります。

昭和47年(1972年)に長島ダム建設計画が立ち上がり、昭和52年(1977年)に建設が始まりました。
このダム建設により大井川鐡道井川線が水没することとなりましたが、昭和61年(1986年)に路線の付替工事が始められ、平成2年(1990年)新しい井川線が運行を開始、奥大井湖上駅も同時に開業しました。
工事はその後も続き、平成14年(2002年)長島ダムが竣工しました。



No.11 南禅寺水路閣 【京都府指定史跡】(京都市左京区)

 

南禅寺水路閣は、南禅寺の境内を通る琵琶湖疏水の一部を構成し、長さは93.2メートル、幅は4メートルあります。

3代目京都府知事・北垣国道は、戦災と東京奠都(てんと)からの復興策として琵琶湖から水を引く琵琶湖疏水の建設を計画し、田邉朔郎を主任技師に任じました。
明治18年(1885年)に工事が始まり、南禅寺水路閣は明治21年(1888年)に、琵琶湖疏水は明治23年(1890年)に完成しました。
明治時代に入ってから、大規模な土木工事は外国人技師が設計監督をしていましたが、琵琶湖疏水は日本人が設計監督した初めての大型土木工事でした。



No.12 帝釈峡雄橋 【国指定天然記念物・国指定名勝】(広島県庄原市・帝釈川

 

雄橋は、長さは90メートル、通行幅は18メートルで、世界最大級の天然橋といわれています。

中国山地有数の渓谷・帝釈峡に鎮座する巨大な石灰岩が、川の浸食作用によって下の部分が貫通するに至り、橋のようになったといいます。
雄橋は、帝釈川を挟んだ地域の生活道の一部となっていたほか、「神が架けた橋」あるいは「鬼が架けた橋」との伝承もあり、地域住民の信仰の対象にもなっていました。



No.13 多々羅大橋 (広島県尾道市・愛媛県今治市・多々羅海峡(瀬戸内海)

 

多々羅大橋は、全長は1,480メートルの道路橋で、斜張橋構造の橋では世界で5番目を誇り、国内では最長となっています。

広島県の生口島(いくちじま)と愛媛県の大三島(おおみしま)を結ぶ橋で、しまなみ海道を構成する橋では、本州側から4橋目にあたります。
逆Y字型の主塔の下で大きな音を出すと、「鳴き龍」現象が発生します。
その現象を体験できるように、主塔部の歩道には“ばち”が設置されています。



No.14 長崎眼鏡橋 【国指定重要文化財・日本三名橋】(長崎県長崎市・中島川

 

眼鏡橋は、長さ22メートル、幅3.65メートルあり、琉球王国時代に架けられた天女橋【国指定重要文化財】を除くと日本最初の石造りのアーチ橋です。

寛永11年(1634年)中国から来日した高僧・黙子如定(もくすにょじょう)の指導のもと、彼が招聘した中国の石工らの力により架橋されたといいます。
「眼鏡橋」という名称は通称ではなく正式名称で、文化財としての名称も「眼鏡橋」です。
また眼鏡橋はこの長崎市のもののほか、隣の諫早市にも存在します。



No.15 錦帯橋 【国指定名勝・日本三名橋・日本三奇橋】(山口県岩国市・錦川



錦帯橋は、長さ193.3メートル、幅5メートルの歩行者専用橋です。

長州藩岩国領の3代領主・吉川広嘉は、中国の名勝・西湖の6連アーチ橋から着想を得て、延宝元年(1673年)建設に着手しました。
同じ年の10月に錦帯橋は完成しますが翌年の洪水で橋脚が壊れ、橋も落ちてしまったため、橋脚を石垣で強化したうえで再建しました。
橋脚の改良により、錦帯橋は昭和25年(1950年)のキジア台風まで276年間、定期的な架け替え工事はあったものの、洪水などで流失することはありませんでした。



No.16 愛本橋 【日本三奇橋】(富山県黒部市・黒部川

 

愛本橋は、長さは130メートル、通行幅は8.6メートルの道路橋です。

寛文2年(1662年)3代加賀藩主前田綱紀の命により、北陸街道をつなぐ橋として架けられました。
黒部川はたびたび増水し橋脚を立てるには適していなかったため、川の両岸から大木を突き出して橋を支える刎橋(はねばし)の構造で架けられました。
昭和47年(1972年)には12代目の橋としてアーチ橋が架けられて現在に至ります。






ハイソフト「日本の美しい橋」第15橋

2021-05-08 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 5 月 1 日 ( 土 )

午 後 8 時 0 0 分

横 浜 市 某 所

大 会 会 場



柏の本拠地から離れ、横浜にて麻雀に興じる日々。



十数回連続のダブりにもめげず、横浜橋商店街おかしのまちおかで5箱購入。
本来なら食べる分だけしか開封しないハイソフトを、今回は5箱一気に開封しました。



1枚目・・・恐山太鼓橋、ダフリ。
2枚目・・・谷瀬の吊り橋、ダブリ。
3枚目・・・恐山太鼓橋、ダブリ・オブ・ダブリ。
4枚目・・・南禅寺水路閣、ダブリ。

そして最後の1箱。



21枚連続ダブリを引いた末、ついにご新規のカードが現れました。
この画は、たぶん瀬戸内海のほうだと思うのですが・・・裏を見てみましょ。



13番、しまなみ海道多々羅大橋!


多々羅大橋は、広島県尾道市の生口島(いくちじま)と愛媛県今治市の大三島(おおみしま)を結ぶ斜張橋です。
全長は1,480メートルで、斜張橋の中では世界では5番目、国内では最長を誇ります。
しまなみ海道を構成する橋では、本州側から4橋目にあたります。
逆Y字型の主塔の下で大きな音を出すと、「鳴き龍」現象が発生します。
その現象を体験できるように、主塔部の歩道には“ばち”が設置されています。



斜張橋とは、複数のケーブルが主塔から直接斜めに下りていて、橋げたを直接支えている構造の橋で、広い意味での吊り橋の一種といえます。
狭い意味での吊り橋は、主塔に渡されるメインケーブルをもち、そのケーブルから鉛直に垂らされたハンガーロープで橋げたを支える構造になっています。



しまなみ海道といえば、サイクリングのメッカともいえる道。
ガチのロードバイク乗りであるわが同好会の副会長が、このほど訪れるのだそうな。
藩士でもある副会長は、「たこの憩い処 たこ八」あたりで舌鼓を打つのが目に浮かびますなぁ。
(本当は「たこの憩い処 たこ八」ではなく「蛸処 憩」

私にとっても、四国の城攻め旅が半ばで終わっているので、再訪の際には通ってみたい道です。
そのときは、当然ままちゃりに跨ることとなるでしょうね。



「日本の美しい橋」、残るはあと1枚になりました。



最後の鶴の舞橋を引くのに、あとどれくらいハイソフトを賞味することになるのでしょうか。





ハイソフト「日本の美しい橋」第14橋

2021-04-09 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 3 月 2 9 日 ( 月 )

午 後 3 時 1 0 分

職 場 に て



3月第5週・月曜日のおやつタイム。
「令和2年度」はあと2日でおしまいです。



今週もハイソフト5箱を購入したので、連日同僚の皆様にお見舞いしていきますよぉ。


本日の「美しい日本の橋」カードは・・・



ここは「橋」というより、「駅」の方が有名ですね。



10番、大井川鐡道・奥大井レインボーブリッジ!




奥大井レインボーブリッジは、大井川上流の長島ダムのダム湖である接岨(せっそ)に架かる、静岡県榛原(はいばら)郡川根本町にある大井川鐡道井川線(南アルプスあぷとライン)の2本の鉄橋の総称です。
写真の右側が下流側の橋で、その長さは283メートル。
上流側の橋は、その長さは191メートルで、双方ともに幅は5.45メートルあります。
ふたつの橋の間、接岨湖に突き出た半島状の陸地に奥大井湖上駅があります。

大井川は険阻な山岳地帯を流れているので、早くから水力発電用のダムが建設されていましたが、洪水の防止を目的とするダムはありませんでした。
そこで昭和47年(1972年)にダム建設計画が立ち上がり、2年後にダム建設事業が正式に発足、昭和52年(1977年)に建設が始まりました。
このダム建設により大井川鐡道井川線が水没することとなり、その存続も危ぶまれましたが、昭和61年(1986年)に路線の付替工事が始められます。
平成2年(1990年)に新しい井川線が運行を開始し、奥大井湖上駅も同時に開業しました。
工事はその後も続き、平成14年(2002年)長島ダムが竣工しました。





計画から竣工まで30年の難工事を経た末の、この絶景。
自然の造形美だけでなく、人間の創造力の雄大さをも感じることができますね。

さてこのレインボーブリッジですが、カードの裏に「鉄道橋・歩道橋」とあるとおり、線路の脇に歩道が据えられています。
そもそもこの周辺の人々(いらっしゃるのでしょうか???)が奥大井湖上駅にアクセスする手段は、レインボーブリッジの歩道のみ。
奥大井湖上駅で降りた観光客も、この歩道を使わなければどこにも行けません。
そして写真左方向に進むと駐車場があり、そこから階段を上るとこの画が撮影できる展望台があるそうです。


大井川鐡道レインボーブリッジへのアクセス。
鉄道を主な旅の移動手段とする私にとっては、なかなかにハードなものになりそうです。

大井川鐡道の起点で、JR東海道線からの乗換駅となっている金谷駅
ここから大井川本線の終点・千頭(せんず)までは、普通列車が1日9本。
休日や行楽シーズンには、これに加えて急行列車が1日1本運行されるようです。
千頭駅からは、日本唯一のアプト式鉄道である井川線(南アルプスあぷとライン)にお乗り換え。
井川線の運行本数がかなり少なく、1日4本しかありません。
休日や行楽シーズンは、さらに1本多く運行されるようです。

列車は山岳地帯を進むのでスピードもそれほど出すことはできず、約50kmの行程に2時間半ほどかかります。
ただ車窓は抜群に素晴らしいものでしょうから、乗車時間の長さはあまり苦にはならないでしょうね。



それにしても、森永さんは大井川から2枚採用してきましたか。
意外でした。





ハイソフト「日本の美しい橋」第13橋

2021-04-09 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 3 月 2 6 日 ( 金 )

午 後 3 時 0 6 分

職 場 に て



3月第3週・金曜日のおやつタイム。



この週は5日連続で、同僚の皆様におすそ分けしていきます。


本日の「美しい日本の橋」カードは・・・



「日本三名橋」ですね、このメガネのような姿の橋は。



14番、眼鏡橋!




眼鏡橋【国指定重要文化財】は、長崎市内を流れる中島川にかかる石造りのアーチ橋です。
長さは22メートル、幅は3.65メートルあり、日本三名橋のひとつとされています。
琉球王国時代に架けられた天女橋【国指定重要文化財】を除くと、日本で最初の石造りアーチ橋です。

寛永11年(1634年)中国から来日した高僧・黙子如定(もくすにょじょう)の指導のもと、彼が招聘した中国の石工らの力により架橋されたといいます。
慶安元年(1648年)の洪水で損壊するも、その修復後は流失することなく、度重なる水害に耐えてきました。
昭和57年(1982年)の長崎大水害では大きく損壊したものの、流失は免れました。
その後の修復を経て、現在に至っています。

なお「眼鏡橋」という名称は通称ではなく正式名称で、文化財としての名称も「眼鏡橋」です。
また眼鏡橋はこの長崎市のもののほか、隣の諫早市にも存在します。



「眼鏡橋」というと、



皇居にあるこちらの橋を連想してしまいがち。
実際に若かりし頃の私は、この橋が「眼鏡橋」だと思っていました。
この橋は皇居正門石橋で、「眼鏡橋」と呼ばれることもあるようですね。
そうそう、こちらは「二重橋」ではありませんよ~。



ところで、女王様「あんたと旅行はしたくない!」との仰せ。
私は移動手段に鉄道を多用しますが、女王様は喫煙者なので、長時間の乗車は耐えられないらしいのです。
さらに私はビジネスホテルを宿泊地に指定しますが、女王様は旅館でゆっくりしたいタイプ。
両者の「旅行観」がことごとく対立しているのです。

異国情緒あふれる街を、漢一匹が闊歩・・・まったく画になりませんが、仕方がありませんね。





ハイソフト「日本の美しい橋」第12橋

2021-04-09 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 3 月 2 3 日 ( 火 )

午 後 3 時 0 3 分

職 場 に て



3月第3週・第2日目のおやつタイム。



この週は森永ハイソフトを5日分購入していたので、連日ながら、同僚の皆様におすそ分けしていきます。


本日の「美しい日本の橋」カードは・・・



「美しい橋」「名橋」を挙げるなら、この橋を欠くことはできませんね。



15番、錦帯橋!




錦帯橋は、錦川にかかる山口県岩国市の歩行者専用橋です。
長さは193.3メートル、幅は5メートルあり、日本三名橋日本三奇橋のひとつとされています。

関ヶ原の戦い後の領地替えで、吉川広家は伯耆国(鳥取県)米子から周防国(山口県)岩国へと移ることとなり、この地で岩国城を築きました。
当時はまだ世情が不穏であったこともあり、岩国城は横山の山上に、城下町とは錦川によって隔てられた場所に建てられました。
元和元年(1615年)に江戸幕府の一国一城令が発布され、岩国城は廃城となるのですが、横山のふもとに陣屋が建てられました。
岩国陣屋と城下町をつなぐ橋は架けられていましたが、錦川の洪水とともに幾度となく流失していました。

3代領主の吉川広嘉は、中国の名勝・西湖が島づたいに6つのアーチ橋が架かっていることから着想を得て、錦帯橋の建設に着手しました。
延宝元年(1673年)6月8日に工事は始まり、その間広嘉は近くに住居を構え、自ら工事の監督を行ったといいます。
同じ年の10月、錦帯橋は完成します。
翌年の洪水で橋脚が壊れ、橋も落ちてしまったため、橋脚を石垣で強化したうえで再建しました。
橋脚の改良により、錦帯橋は昭和時代まで276年間、定期的な架け替え工事はあったものの、洪水などで流失することはなかったのです。

昭和25年(1950年)9月14日、キジア台風により橋脚が崩壊し、錦帯橋はほぼ流失してしまいます。
再建に際しては、コンクリート製による案もありましたが、市民の求めにより木製での再建となりました。



名橋中の名橋ともいうべき錦帯橋。
日本100名城登城をライフワークとしている私にとって、この橋は必ず訪れなければならない場所です。
解説で述べたとおり、100名城となっている岩国城へと続く橋だからです。

錦帯橋の最寄駅は、JR岩徳(がんとく)線・錦川鉄道錦川清流線川西駅です。
岩国市の中心駅である岩国駅や、新幹線の停まる新岩国駅からだと5kmほど離れています。
岩国駅から川西駅までは、岩徳線に乗車して2駅、運行頻度はおおむね1時間に1本ほどです。
新岩国駅から川西駅に向かうとすると、錦川鉄道で1駅ですが、こちらは1~2時間に1本と運行本数が少ないことに注意が必要です。


今度の旅は、広島、山口方面もよさそうですなぁ~。





ハイソフト「日本の美しい橋」第11橋

2021-04-09 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 3 月 2 2 日 ( 月 )

午 後 3 時 0 9 分

職 場 に て



3月第3週最初のおやつタイム。
第2週はハイソフトを買いそびれたので、1週間ぶりの森永ハイソフトです。



いつもながら、同僚の皆様におすそ分け。


本日の「美しい日本の橋」カードは・・・



これは・・・鉄橋か何かか???
う~ん、わからないから裏を見ると・・・



11番、南禅寺水路閣!




南禅寺水路閣は、禅宗の最高寺院・南禅寺の境内を通る琵琶湖疏水【京都府指定史跡】の一部を構成しています。
水路閣の長さは93.2メートル、幅は4メートルあります。

幕末の禁門の変による戦災と、明治維新後の東京奠都(てんと)により衰退していた京都。
3代目京都府知事・北垣国道は、復興策として琵琶湖から水を引く琵琶湖疏水の建設を計画しました。
そして工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業したばかりの田邉朔郎を主任技師に任じ、明治18年(1885年)に工事が始まりました。
南禅寺水路閣は明治21年(1888年)に建設され、琵琶湖疏水は明治23年(1890年)に完成しました。
明治時代に入ってから、大規模な土木工事は外国人技師が設計監督をしていましたが、琵琶湖疏水は日本人が設計監督した初めての大型土木工事でした。



このカードを同僚の淑女さまにお見せしたところ、「ここはサスペンスドラマの撮影場所」と教えてくださいました。



水路閣は橋脚がアーチ構造になっているだけでなく、橋脚の内側にもアーチ構造が施されています。
その内側のアーチを覗き込むと、あたかも万華鏡を覗き込んでいるかのような画が見られます。
その画が、サスペンスドラマのワンシーンによく採用されているのだそうです。
このカードからはわかりにくいのですが。


私はかつて、修学旅行で南禅寺を訪れたことがあります。

絶景かな 絶景かな
春の宵は値千両とは 小せぇ 小せぇ
この五右衛門が眼から見れば 値万両 万々両
日 もはや西に傾きて
雲と棚引く 桜花
あかね輝く この風情
ハテ うららかな眺めだナァ


歌舞伎の楼門(さんもん)五三桐」の名科白で有名な、南禅寺の三門【国指定重要文化財】。
春うららかな千年の都の絶景を、私も眺めてきました。
しかしこの水路閣は完全にスルーしていました。
当時高校生だった私はそれほど寺社仏閣に興味はなく、また知見もそれほど深くはなかったので、境内の隅の方にある水路閣を見逃していたのでしょう。



季節は春・・・そうだ、京都へ行こう。
京都へ、行きたいなぁ。





ハイソフト「日本の美しい橋」第10橋

2021-03-14 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 3 月 1 日 ( 月 )

午 後 3 時 0 5 分

職 場 に て



3月最初のおやつタイム。



この日も森永ハイソフトを、同僚の皆様におすそ分け。


さあさあ、今日の「美しい日本の橋」カードは・・・



お! これはパッケージにも載っている橋ですね。
正確には橋「だった」構造物、というべきでしょうか。



1番、タウシュベツ川橋梁!




旧国鉄士幌線タウシュベツ川橋梁は、タウシュベツ川に架かっていた北海道河東郡上士幌町の鉄橋です。
橋の長さは130メートル、幅は3メートルのアーチ橋です。

昭和14年(1939年)に国鉄士幌線十勝三股駅まで開通した際に、音更(おとふけ)の支流であったタウシュベツ川に架けられました。
昭和30年(1955年)糠平ダムが建設され、橋梁はダム湖の糠平湖に沈むこととなりました。
士幌線も糠平湖を迂回するかたちで新線が敷設され、橋梁は湖の中に残されることとなりました。

昭和62年(1987年)国鉄民営化の直前で、士幌線が廃線となってしまいます。
その後も士幌線の橋梁は残され、第三音更川橋梁などのアーチ橋7本が国の登録有形文化財となっています。
ですがタウシュベツ川橋梁は文化財指定から外されており、橋梁保存の動きはありません。

季節によって湖底に沈んでいたり、湖上に姿を現したりすることから、「幻の橋」とも呼ばれています。
しかしそのことは橋梁自体の損傷を進行させることにもつながり、また糠平湖が冬季は凍結すること、さらには平成15年(2003年)の十勝沖地震などの大きな地震もあり、現在は中央部が大きく損傷しています。
橋梁自体の崩壊も時間の問題と考えられているそうです。



士幌線・・・場所は、



こちら。
昭和30年(1955年)版の「全国鉄道路線図」によると、この当時士幌線はまだ現役。
この「路線図」にある北海道の鉄道は、現在となってはほとんど廃線となってしまいました・・・。


さてタウシュベツ川橋梁はダム湖にあるということで、その場所はいうまでもなく山の中です。
糠平湖大雪山の東側にありますが、公共交通機関のみで行くなら、さあ大変。
まずは、かつての士幌線の分岐駅・JR帯広駅へ。
そこから1日4本の十勝バスぬかびら線に乗り込んで、2時間弱55kmの移動。
糠平湖近くの十勝バスぬかびら温泉営業所まで到達したところで、ようやくスタート地点といったところ。

糠平の温泉街からタウシュベツ川橋梁に向かうには、糠平三股林道を通らなければなりません。
その林道は普段は封鎖されており、十勝西部森林管理署 東大雪支署に赴いてゲートの鍵を借りる必要があります。
鍵の貸出は平日のみで、また鍵の数に限りがあるので鍵が出払っているときは借受できないこともあるようです。
鍵を借りられて林道に入ることができたとしても、ゲートから橋梁付近まで未舗装の道を進むこととなります。
橋梁付近の林道から湖畔までは徒歩となりますが、北海道の山の中ですから当然・・・



(ひぐま) に出くわすかもしれません。


タウシュベツ川橋梁にアクセスするもう一つの手段。
それは、糠平にあるNPO法人のひがし大雪自然ガイドセンターが主催しているガイドツアーに予約することです。
料金は4,500円から5,000円前後のようなので、クマが怖い私はこっちの方法を採るのがいいかもしれませんね。



タウシュベツ川橋梁に到達するのが先か、タウシュベツ川橋梁がなくなってしまうのが先か。
それはともかく、いまは「美しい日本の橋」カードのコンプリートを目指すのが先でしょうね。





ハイソフト「日本の美しい橋」第9橋

2021-03-14 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 2 月 2 2 日 ( 月 )

午 後 3 時 0 5 分

職 場 に て



2月22日、ある人は(ニャン)22(ニャンニャン)猫の日などと称するようですが・・・
この日のおやつタイムがキャットフードになるというわけでもなく、言うまでもなく森永ハイソフトです。



この日もキャラメル12個をおすそ分けして、「美しい日本の橋」を拝見・・・



これは・・・吊り橋ですね。
あとは、わからん!



4番、谷瀬の吊り橋! というんですね。
所在地は奈良県吉野郡の十津川っていうと、かなりの秘境じゃないですか?!




谷瀬の吊り橋は、十津川(熊野川)に架かる奈良県吉野郡十津川村の歩行者専用橋です。
橋の長さは297.7メートルで、生活用の吊り橋としては日本最長を誇ります。

昭和29年(1954年)当時800万円もの工費をかけて架橋されました。
この工費の8割は谷瀬の集落に住まう人々が負担したもので、当時の集落の人々にとっては悲願の吊り橋であったことが思い起こされます。
架橋当時は日本最長の歩道吊り橋でありましたが、平成6年(1994年)茨城県に竜神大吊橋が完成してからは、日本最長の座を譲りました。
その後に架橋された「日本最長の歩道吊り橋」はいずれも観光用のものであり、現地の生活に根付いているという点に絞れば、谷瀬の吊り橋はいまだ日本最長であり続けています。



十津川村は奈良県の南部にあって、紀伊半島の山あいに位置する村。
「十津川」の語源は「遠い津の川」(港(津)から遠い)といわれるくらいの山の中、秘境の地にも喩えられるくらいです。
ここに公共交通機関だけで行けるのか・・・?

なんと、路線バス1本で行けるんです!

北の出発駅は、奈良県橿原市にある近鉄大和八木駅
南の出発駅は、和歌山県新宮市のJR新宮駅
この間の約170kmを結ぶ日本一長い路線バス奈良交通八木新宮線「八木新宮特急バス」

偉大なり、路線バス!

この八木新宮特急バス、両方向とも1日に3本も運行されているようです。
谷瀬の吊り橋へは、八木からも新宮からも所要時間約3時間、運賃約2,500円でアクセスできるのです。
北からの路線バスは、途中で五條市のJR和歌山線五条駅にも立ち寄ります。

ちなみに、八木新宮特急バスを八木から新宮まで6時間ぶっ通しで乗り続けた猛者は、奈良交通さんから記念乗車証がいただけるのだそうです。

高速バス、乗車時間5時間。
深夜バス、乗車時間12時間。

「もう二度と乗るものか!」・・・バスとの闘いに敗れた私にとって、「八木新宮特急バス」はさらなる難敵に違いありません。
彼と闘う日はやってくるのでしょうか・・・?