2 0 1 3 年 6 月 2 0 日 ( 木 )
午 前 1 1 時 1 7 分
東 京 メ ト ロ 九 段 下 駅
平日の真昼間。
この日は立川にて私用をなし、その帰りに寄り道をしたのだった。
前話までで回りきれなかった江戸城を制覇しよう。
なお今回はデジカメが故障しており、スマホのカメラを使うこととなる。
この日の予定ルートは、東京メトロ九段下駅から日本武道館のある
北の丸公園へ。
北の丸公園の南から北
桔橋門より
皇居東御苑(江戸城本丸・二の丸・三の丸)に入って大手門に至る。
前話の大手門から本丸に入っていくルートとは逆になる。
その前に、江戸城制覇を祈念して、聖地・
靖国神社を参拝する。
靖国神社は明治2年(1869年)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた東京招魂社が始まりであり、明治12年(1879年)に明治天皇の命名により「靖国神社」と改称された。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853年)以降、明治維新、戊辰戦争、西南戦争、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、国を守るために尊い生命を捧げた人々が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じた尊い神霊(靖国の大神)として祀られている。
靖国神社には、明治維新のさきがけとなって斃れた坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内といった歴史的に著名な幕末の志士達、さらには日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・満洲事変・支那事変・大東亜戦争(第二次世界大戦)などの対外事変や戦争に際して国家防衛のために亡くなった人々の神霊が祀られており、その数は246万6千余柱に及ぶ。
その中には、戦場で救護のために活躍した従軍看護婦や女学生、学徒動員中に軍需工場で亡くなった学徒など、軍属・文官・民間の方々も数多く含まれ、その当時、日本人として戦い亡くなった台湾及び朝鮮半島出身者やシベリア抑留中に死亡した軍人、大東亜戦争終結時にいわゆる戦争犯罪人として処刑された者の神霊も祀られる。
このように多くの神霊が、身分・勲功・男女の区別なく、祖国に殉じた尊い神霊(靖国の大神)として一律平等に祀られているのは、靖国神社の目的が唯一、「国家のために一命を捧げられた方々を慰霊顕彰すること」にある。
靖国神社に祀られている246万6千余柱の神霊は、「祖国を守るという公務に起因して亡くなられた方々の神霊」であるという一点において共通する。
さて、九段下駅から靖国通りを歩き、早稲田通りとの交差点のところから、靖国神社の神域となる。
「靖国神社」の社号標を傍らに、大きくそびえ立つ
大鳥居(第一鳥居)。
大きさは日本一で、高さは25メートル。
現在の鳥居は3代目で、昭和49年(1974年)に奉納されたものである。
大鳥居の中からも伺える銅像。
参道の中央にそびえ立つ孤高の銅像・
大村益次郎像。
日本最初の西洋式銅像であり、明治26年(1893年)に建てられた。
(西洋式銅像ってのは、西洋の鋳造技術を用いて造られた銅像、だそうな。
これ以上のことはよくわからん)
参道を歩いて、公道を一本はさむ。
この時期は7月中旬のみたままつりに向けての準備が始まっていた。
参道の両側に侍立する大灯籠も、ちょうちんやぼんぼりを懸ける骨組みに囲まれている。
灯籠の脚部のレリーフには、祀られる神霊たちの勇姿が刻まれている。
※執筆時に「骨組み」という言葉が出なくて、これ以降約5か月放置することに・・・
第二鳥居も大きいねぇ。
明治20年(1887年)に建てられ、青銅製の鳥居としては日本一大きい。
手水舎で手と口を清め、参拝へ。
参拝客を迎え入れる
神門は、昭和9年(1934年)建造。
大きな菊の御紋は直径1.5メートルもある!
靖国神社の灯籠はどれも豪奢で見事なものばかりだ。
中門鳥居と
拝殿。
鳥居はまだ新しく、檜でできている。
拝殿からで二百四十余万柱の神霊を拝す。
明治34年(1901年)建造、屋根は平成元年(1989年)に葺替え。
拝殿の先に、明治5年(1872年)建造の
本殿が建つ。
本殿は神霊が鎮まる場所であるから、拝殿の撮影は本殿の中が見えないようにわずかに斜めの角度からしなければならない。
(守衛さんがどこかの外国人に言っていました)
歩き疲れたのでベンチで一休み。
ベンチの向こうにたたずむ
能楽堂。
明治14年(1881年)に芝公園に建てられたものを、明治36年(1903年)に靖国神社に奉納、移築したものだという。
足の疲労が引いてきたころ、小雨が降ってきた。
日本100名城登城の旅・第5段「皇居 ランナー ウォーカー」 第9話へ続く。