鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

出雲そばはどうでしょう・後編~献上そば「羽根屋」

2023-10-25 | グルメ


令 和 元 年 神 在 月 廿 参 日 ( 水 )

午 後 参 時 参 拾 九 分

島 根 県 出 雲 市

電 鉄 出 雲 市 駅





出雲大社から、電鉄出雲市駅へ。



JR出雲市駅とは通路で繋がっています。



出雲大社の本殿を模した北口



ロータリーの向かいにはおなじみのビジネスホテルもあって、出雲市の玄関口のようですね。



JR出雲市駅の東側にある電鉄出雲市駅は、なんだか隅に追いやられたようにもみえます。
人通りも多くなく、JR駅と比べるとどこか寂しげです。



電鉄出雲市駅を通り過ぎ、東へと歩いていきます。
駐輪場がありますが、構わず進みます。



公道に出たら、左へ。



"ARION"のビルの方へ歩いていきます。



この通りはおろち通りというそうです。
おろち通りを北へと歩きます。



グリーンリッチホテル出雲の看板が見えたら、すぐ先の信号を右折。
青いコンビニが角にありますね。



屋根つきの商店街を進んでいくと・・・



今宵のお食事をいただく献上そば「羽根屋」さんに到着しました。
屋号にもある「献上そば」って何でしょうね?
羽根屋さんのサイトによると・・・

明治40年(1907年)大正天皇がまだ東宮(皇太子)の御時、山陰地方に行啓された折に、羽根屋が出雲そばを御食膳に供したところ、殿下がおおいにお気に召され、「献上そば」の名をお許しになりました。
また昭和40年(1965年)には上皇・上皇后両陛下が東宮の御時に、御食膳に羽根屋の「献上そば」が供されました。


・・・のだそうです。
いわば皇室ゆかりのおそば、といったところ。
そのようなことは全く知らない私でしたが、とにかく入店。


「いらっしゃいませ」
入店の挨拶に次いで、店員氏が問いかけます。
「何名様ですか」
私はひとり旅なので「1名」と答えると、
「こちらの席へどうぞ」



入口からほど近い窓際のカウンター席、「献上そば 羽根屋」の「ば」の字のあたりの席に案内されてしまいました。

嗚呼、ここじゃない別の席に座りたかったのに・・・!

私の思いなど知る由もない店員氏は、ルーティーンを継続。
望まぬ席に、そば茶を供して立ち去ります。


店の奥にはテーブル席があり、私が座りたかった席もありそうです。
そんなこととは関係なく、店員氏は私のオーダーを受け、また立ち去っていきました。
私の心底にある最大のオーダーは、置き去りにされたまま。


やはり欲求は抑えられない。
私はトイレに行くというていで店の奥へ。
テーブル席には何組かが着座していましたが、私が座りたかった席は空いていました。



中庭への扉のそばにあるこの席。
この席こそ、水曜どうでしょう「原付西日本制覇」にてどうでしょう班が着座した席なのです。
私がちょっとばかり感動しながら写真を撮っていると、他のお客さんたちは「この人、何やってんだ?」というような表情をしていました。


席に戻り、



出雲そば割子三段、うまい!
ただ、かえしはみりんが少々強めのように感じました。でもうまかった!



そば完食 & そば湯完飲!



行きと同じ道をたどって、



JR出雲市駅に戻っていきました。





出雲市駅へ

2023-10-25 | 鉄道の旅


令 和 元 年 神 在 月 廿 参 日 ( 水 )

午 後 参 時 参 拾 九 分

島 根 県 出 雲 市

一 畑 バ ス 日 御 碕 灯 台 停 留 所



日本一の高さを誇り、日本海を一望できる出雲日御碕灯台【国指定重要文化財】を下りてきました。



日御碕灯台に最も近い駐車場。
出雲大社へと戻るバスも、こちらから発着します。


日御碕は、夕陽の名所。
なにせ日沉宮(ひしずみのみや)(日御碕神社下の宮)が鎮座し、夕陽の神様がおわすのですから。

しかしこの日は曇り空。
これから晴れることはなさそうでした。

そしてなにより、私はこの日千葉へと帰らなければならない。
そのためには、この時間で日御碕を辞去しなければなりません。




15時47分、後ろ髪を引かれつつも、やってきた一畑バス・出雲大社行きに乗り込みました。





進行方向右側の席に座り、行きと同様に日本海を望みながら、出雲大社へと戻ります。





きついカーブと、アップダウンの連続。
旅立ちの前は「レンタサイクルで行ってやるぞ~!」と息巻いていましたが・・・。
バスで移動して大正解です、まったく。

 

 

車窓からの日本海をじっと眺めていきます。
再び日本海を見るのは、しばらく先のこととなりそうですからね。




16時10分、出雲大社バス連絡所に到着しました。

バスのラッピングを見て・・・出雲ナンバー、かっこいいなぁ。
絵柄は神話とドラクエⅢに登場するヤマタノオロチですね。

それにひきかえ・・・わが本拠地のナンバープレートの絵柄なんて、ほとんど印象に残らないです。
まぁ私の主観なんで、これ以上は申し上げませんが、どうでしょう?






出雲大社勢溜(せいだまり)に戻りました。
ここから駅まで続く神門通りの土産物店で買い物をして・・・



出雲大社前駅へ。




午 後 四 時 弐 拾 分

一 畑 電 車 出 雲 大 社 前 駅


今度の電車は、



17時13分発 普通電車 川跡行きです。
発車時刻までかなり時間があるので・・・



お土産物をじっくり観察。

左は、中浦食品「どじょう掬い饅頭」

ぽっと出のキャラクター饅頭かな・・・と思ったら、とんでもない。
販売が始まってから50年以上たつという、山陰地方を代表する銘菓なのだそうです。
こちらは、職場に持っていこうかな。

中央と右は、彩雲堂「若草」
包装紙に包まれているのは女王様ご一家へのお土産用。
そして小さな箱のほうは、おやつとして買ってきたもの。
電車の待ち時間がそこそこあるようなので、



文化財に登録されているステンドグラスの美しい洋風の駅舎で、松江を代表する和菓子「若草」をいただきましょう。



「若草」・・・想像以上に甘い!
緑色の食べ物は、草餅とか抹茶系のように甘さ控えめなイメージがありますが、この「若草」はストレートに甘いです。
そりゃあ、お抹茶と一緒に口にする和菓子ですから、お抹茶の苦味に負けないように甘くできていますよね。

「若草」というお菓子は、「どじょう掬い饅頭」以上に歴史が深く・・・

松江藩七代目の城主松平治郷(はるさと)公は、産業や治水林産などに力を尽され、藩中興の名君としてつとに有名でございますが、号を不昧(ふまい)と称され、茶道不昧流の名声は高く、風流をたしなまれた殿様でございました。
不昧公が当時茶事に用いられたお菓子は非常に多く、茶事十二ヶ月の中に記録されていますが、中でもこの「若草」は一月から四月、春のお茶席に好んで用いられたお菓子です。
若草の由来は、藩主がよまれた歌の

曇るぞよ 雨ふらぬうちに 摘てこむ
栂尾(つがお)山の 春の若草


から命名されたものです。
お菓子のあざやかな色彩と求肥(ぎゅうひ)の柔かい口あたり、感触が春の萌える新緑を連想させます。


・・・箱の説明文によると、こういうものなのだそうです。

そういえばこの「若草」、何かに似ているような気がします。
松江に来る前・・・JR東海道線あたりで見たような・・・。



これです!
このイメージに引っ張られたからか、「若草」は甘さ控えめの和菓子だと思い込んでいたんですね。



文化財の駅舎でちょっとした「お茶席」を愉しんでいると、一畑電車さんが、ホームに入線していました。

出雲大社、稲佐の浜に日御碕。
この日すべての目的地を訪れ、「縁結び祈願のたび」は帰路に就きます。



わが本拠地・柏への帰路。
その最初の電車が、一畑電車大社線 川跡行きです。



17時13分、出雲大社前駅を発ち、



17時24分、川跡駅へ。



ここでは、朝に乗車した松江しんじ湖温泉駅方面の電車ではなく、その反対方向の電鉄出雲市駅行きの電車に乗り換えます。





17時36分、電鉄出雲市駅に到着しました。





日御碕灯台~その高さ、日の本一

2023-10-25 | 岬・灯台


令 和 元 年 神 在 月 廿 参 日 ( 水 )

午 後 弐 時 拾 六 分

島 根 県 出 雲 市

日 御 碕 灯 台 へ 向 か っ て 歩 く





こぢんまりしながらも、見どころの多い日御碕神社を参拝しました。
ここで再び、バス停にあった案内図を借用して・・・



神社を出た私は、この後日御碕灯台の方へ歩いていきます。
この案内図のルートで行けば20分かからずに着くようですが、日本海の景色を満喫したかった私は、なるべく海寄りのルートを歩くこととしました。




早速、日本海が見える漁港・・・?
そういえば案内図には「グラスボート乗船場」って書いてあったけど、ここのことでしょうか?



漁港? 乗船場? の目と鼻の先に、鳥居が立っている島があります。
この島こそ、かつて日御碕神社の日沉宮(ひしずみのみや)が鎮座していた経島(ふみしま)です。



高台へ上がると、さびれた漁港と思っていた場所は、思いのほか乗用車が停まっていました。




自然の造形美!



経島の全容が見えてきました。
漁港?の防波堤から歩いて渡れそうにも見えますが、れっきとした島。
船がなければ上陸できません。



経島は大小ふたつの島からなり、仏教の経文を積み重ねたような岩の形からその名がついたといいます。
このあたりには、毎年12月ごろに約5,000羽のウミネコが渡来し、4月から5月に産卵しヒナをかえします。
そして7月ごろには北の海へと飛び立っていきます。
経島は、日本海西部における代表的なウミネコの繁殖地として、昭和11年(1936年) 大正11年(1922年)に国の天然記念物に指定されています。


・・・と案内看板をおおいに参考に・・・この看板、間違えてるじゃねぇか!
あやうくウソ情報をわがサイトに載せるところでした。

経島って一枚岩の島ではなかったんですねぇ、この駄文を編集しているたった今知りましたよ~。
なお当時は10月下旬、ウミネコはまだ飛来していませんでした。




岩場の崖っぷちが続く海岸。
2時間サスペンスドラマで出てきそうな風景ですなぁ。



松林の向こう、白亜の灯台が見えてきました。



経島の全景。
経文よりも左を向く魚の形をしているように見えます。
魚でいう尾びれの部分が、大小ふたつのうちの小さい島・・・・・・かな。




岩場の風景を愉しみながら、灯台の方へと歩いていきます。
ここからなら、経島がふたつの島だということがわかりますね。







五角柱や六角柱の岩石がびっしりと詰められて立っている柱状節理の素晴らしい光景。
日御碕の岩石は、流紋岩という白みを帯びた火山岩からできているのだそうです。




日御碕、到達!




高さ日本一の白亜の灯台・出雲日御碕灯台【国指定重要文化財】!!



灯台への行く手を阻む断崖の入り江。
こういう場所って、見えない何かの力が働くのか、なぜか近寄って水面を眺めてみたくなるんですよね。



回り込んで、灯台の入口へ。



断崖の入り江。
先程まではこの向かい側にいました。



やっぱり近寄って見てしまう・・・。
いやいや、北斗の神に魅入られる前にこの場を離れよう。




午 後 弐 時 伍 拾 八 分

出 雲 日 御 碕 灯 台




灯台の入口までやってきました。
おやおや、幼稚園児でしょうか? ぞろぞろと外に出てきました。
崖っぷちを散策している折に灯台から聞こえてきた歓声は、彼らのものだったのですね。
彼ら全員が出るのを待ってから、中に入るとしましょう。


受付の淑女に、「参観寄付金」という名の入場料300円を払います。
参観寄付金は中学生以上から発生するようです・・・すなわち先ほどの皆さんは無料ということですね。



受付のところにこのようなものが置いてありました。
このスタンプ帳は、全国各地の中に入れるところ限定の灯台のスタンプを集めるというもの。
中に入れる灯台は、たったの16基しかないのだそうです。
これはコンプリートは簡単・・・ではありません!!

基本的に灯台は海のそば、岬の突端にあるので、そこまでのアクセスが困難。
そして16基のうち3基は離島にあります。
日本100名城の完全制覇と、灯台16基完全制覇・・・どちらが先に達成できるでしょうか。
それはともかく、最初のスタンプを頂戴しましょうか。



12番、出雲日御碕灯台!


出雲日御碕灯台は、明治33年(1900年)に着工し、設計から施工まですべて日本人の手により行われ、明治36年4月1日に点灯しました。
高さは43.7メートルで、建設当初から現在に至るまで日本一です。
灯台の光度は48万カンテラ、光達距離は21.0海里(約39km)です。


なお、私が訪問した当時は登録有形文化財となっていましたが、令和2年(2022年)2月9日に国の重要文化財に指定されました。




いざ、参らん!



狭くて急ならせん階段。



あの園児たちはおとなしく上り下りできたのでしょうか。
引率する先生たちの苦労が思い起こされますね。



100段目に到達。
銚子の犬吠埼灯台は、九十九里浜にちなんで階段は99段なのだそうですが、日本一の灯台はこれを軽く凌駕していきます。



118段目だったと思います。
これで階段はおしまい?



最後の階段ですね。



灯台のテラスに到達です。





絶景ですが、やっぱり高いですね。
テラスは欄干で囲われてはいますが、乗り越えてしまうこともできなくはない・・・。
引率する先生方は、園児たちが欄干をよじ登ってしまわないか、しっかりと見張らなくてはならなかったことでしょう。
先生方、本当にお疲れ様でした。



かつて日御碕神社日沉宮(ひしずみのみや)が鎮座していた経島(ふみしま)が一望できますね。





地上へ下りました。



そういえばこの地にもお城があるそうな・・・「城攻め」!



宇龍城を攻略・・・って、こんなときに女王様からのLINEが入るとは!