鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

あけぼの山リベンジ

2021-05-08 | 公園・庭園


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 4 月 3 日 ( 土 )

午 前 1 0 時 1 0 分

千 葉 県 柏 市

新 大 利 根 橋 付 近



大堀川を下り、手賀沼に合流する直前で方向転換。
北柏から利根川の方に進んでいきました。

県道47号守谷流山線新大利根橋付近。

このまま対岸の茨城県に渡ってもよかったのですが・・・
この近くには、柏の花の名所・あけぼの山があるので、寄り道していきます。




千葉県の県花・菜の花がきれいに咲き誇っていますね。
そういえば「なのはな体操」ってのがありましたが、いまも行われているのでしょうか。
それよりも、向こうに広がる色あざやかな花畑。



あけぼの山農業公園風車広場
チューリップ畑です。





蒼天の下、チューリップは各々の花弁を誇らしげに広げているようです。



傍らには、パンジーによるオリンピックシンボルが描かれています。
本当の五輪は、左から順に・黒・ですが・・・
パンジーでは出せない色があるから仕方ないところですね。





咲き誇るチューリップは、全部で16万株あるそうです。




あけぼの山公園に属して(?)いる高台から。
あけぼの山公園とあけぼの山農業公園、ふたつの公園が隣り合っていますが、これは管理する部署が別々であるためだそうです。
「縦割り行政」の弊害ですねぇ~などと、ワイドショーのコメンテーターが言いそうな月並みなことを言ってみます。



整然とした色彩を描くチューリップ畑、素晴らしいの一言ですね。



桜は咲いているものの、葉っぱが目立ち始めています。
この日の主役は、文句なくチューリップですね。



緑に囲まれて、チューリップの色彩が際立ちます。
ちなみに手前の緑地は、秋にはコスモス畑となります。




高台を下りました。



令和2年はコロナ禍の中、人々の密集を避けるために、あけぼの山農業公園は閉鎖の措置が取られました。
そして開花したばかりのチューリップは、残らずその花を刈り取られてしまったのです!
また私事ながら夜桜を見に行ったものの、桜まつりは開催されていないので照明はなく、桜自体も散り始めの時期になっていたため、ろくに桜を見ることができませんでした。

今年は、こんなにも美しいチューリップ畑を目の当たりにすることができました。
桜はちょぴっとしか見られませんでしたが、あけぼの山リベンジ達成!と言っていいでしょう。



10時35分、あけぼの山農業公園を出立。



ピンク色が残るあけぼの山、



布施弁天を傍目に、ママチャリ、始動。



10時44分、



新大利根橋を渡り、茨城県に入っていきました。





枝垂れ桜ハシゴ旅・第1章~流山・清瀧院

2021-05-08 | 公園・庭園


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 4 月 3 日 ( 土 )

午 前 8 時 2 8 分

千 葉 県 流 山 市

免 許 セ ン タ ー 付 近



龍ケ崎でコロッケを食べられたものの、般若院で桜を見られませんでした。
ついにはとある御方より大いに怒られてしまう始末。

般若院のしだれ桜・・・これを見ずして春を終わられるわけにはいきません。

そこでこの日は、龍ケ崎の般若院に向かいます。
移動手段は、ママチャリ。
柏から龍ケ崎まではおよそ30km、ゆっくり進んでも2時間ほどで到達できます。
フレキシブルなルート選択ができるママチャリですから、どうせなら各地に点在する花の名所も訪れていきたいものです。


そういうわけで朝8時すぎ、龍ケ崎とは逆方向ながら流山運転免許センター付近を走行中。
この近くに清瀧院というお寺があって、そこの枝垂れ桜が見事なものだという情報をつかんでいました。


8時33分、荒井山清瀧院に到着。



あまり大きくない寺院のようです。
むむっ、ちらっと見えてしまいましたが・・・



蒼天に向けて伸びている、若葉を生やしたばかりのイチョウ【流山市指定保存樹木】が見事です。



すでに見えてはいましたが・・・こちらがくだんのシダレザクラ【流山市指定保存樹木】。
残念ながら花の時季はとうに過ぎてしまい、ご覧の通りの葉桜です。



それでも、見事なこの枝振り。
樹齢はおよそ300年と考えられていて、流山を代表する銘木であることは間違いなさそうですね。



本堂にて、旅の無事を祈願。
傍らの桜も見事ですが、やや葉が茂りがちになっていますね。



心の眼で満開の枝垂れ桜を眺め、清瀧院を後にしました。




午 前 9 時 2 2 分

千 葉 県 柏 市 ? 流 山 市 ?

大 堀 川 遊 歩 道


わが本拠地の近所を流れる大堀川へ。



青葉橋という橋の中央から、大堀川の下流を眺めた画です。
川の中央部分を市境が走っていて、画の左側が柏市、右側が流山市になっています。
このあたりは流山市の領域が細長く出張っていて、橋のすぐそばにあるすき家だけが流山市で、他の家々は柏市となっています。


せっかくなので、流山市内にあるすき家で朝食をとりました。




朝食をとってからは、大堀川沿いを進んでいきました。
葉っぱが目立ってきてはいますが、まだまだ桜の花も美しく咲き誇っていますね。



中には、今が花盛りという木もあります。









国道6号線JR常磐線のガード下を通過し、







手賀沼までもう少しのところでしたが、



JR北柏駅付近で方向転換し、利根川の方へと向かっていきました。



お花見2021・第3話「枝垂れ桜ハシゴ旅・第1章~流山・清瀧院」 完

お花見2021・第4話「あけぼの山リベンジ」へ続く。

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龍ケ崎ドライブ~花よりコロッケ!

2021-05-08 | グルメ


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 3 月 2 8 日 ( 日 )

午 後 2 時 4 7 分

茨 城 県 守 谷 市



今井の桜白鳥を見てきた翌日。
この日は女王様ご一家とともに、柏ナンバーのかわいいクルマで守谷市内を走行していました。

 (C)女王様

 (C)女王様

沿道の桜を眺めつつ、クルマは龍ケ崎市内へと進んでいきました。



龍ケ崎は、知る人ぞ知る「コロッケの街」だそうです。

肉をまったく食べられない女王様が、問題なくお召し上がりになることのできる数少ない料理、それがコロッケ。
桜の名所を訪ねながら、龍ケ崎のコロッケをハシゴしていこうじゃありませんか。



龍ケ崎コロッケ、最初のお店へ。



「まいんコロッケ」さんです・・・・・・と執筆の時まで思っていたのですが、これは屋号ではないらしい???
こちらの屋号は「チャレンジ工房どらすて」・・・・・・と思ったら、そばには「龍ケ崎コロッケ会館」という表記もあります。
いったいこちらの屋号は何なんだ???と、この執筆中に混乱してしまいました。むむむ・・・・・・・。

茨城県でグルメによる街おこしを始めたパイオニアが、龍ケ崎市のコロッケです。
龍ケ崎の商工会の女性部が中心となって作られたコロッケ、それが「まいんコロッケ」。
「まいんコロッケ」は「第2回 Yahoo!JAPAN「ご当地メシ決定戦!」で日本一を勝ち取り、以後龍ケ崎がコロッケの街として認知されるに至ったのです。

ところで、「まいん」って何だろう???

調べれば調べるほど混乱してしまうので、ひとまずここの屋号は「まいんコロッケ」としておきましょう。
ここでのオーダーは・・・

米粉というワードに惹かれた女王様のために、ライスクリームコロッケ(200円)を2枚。
オーソドックスなポテトコロッケ(150円)を2枚。
それと、なんだか気になってしまった黒豆コロッケ(150円)とかいうのを1枚。

合計金額850円を支払うと、商工会の女性部員と思しき淑女の皆様方が、慣れた手つきで調理を開始します。
そして数分後・・・



揚げたてのコロッケ5枚が、パックの中に収められました。
こちらの賞味は後ほど。



「まいんコロッケ」と同じ通りを進むと、



龍ケ崎コロッケ・2軒目のお店「服部精肉店」さんに到着しました。

ここは以前も訪れたことがあるので、お店の淑女ともすっかり顔なじみになっています。
こちらの米粉のクリームコロッケ(160円)を女王様がいたくお気に召しており、月1~2回のペースで休日に訪れているのです。

というわけで注文は、くだんの米粉のクリームコロッケ(税込160円)を2枚。
女王様もうひとつのお気に入り・山芋の和風コロッケ(税込160円)を2枚。
それから愛情龍ケ崎コロッケ(税込120円)も2枚。

お店の淑女は、これまた手慣れた手つきでコロッケを揚げていきます。



あつあつのコロッケと引き換えに代金880円を支払うと、



おまけの乳酸飲料を3本いただきました。
女王様、太后様に私の分・・・父王様の分がない!
父王様は車の中で待っていたので、お店の淑女は店頭に赴いた3人分のおまけを用意してくださったんですね。



さて、このコロッケをどこで食べるか。
移動しながら車中で食べるというのも、なんだか気忙しい感じがします。
(とくにハンドルを握る私は、おちおち食べ物をいただくことはできません)
地図を参照すると、近所に般若院という枝垂れ桜の名所があるようなので、そこへ行くことにしました。

地図が指し示す場所に到達したはずでしたが・・・

駐車場がない?
道が狭すぎて寺に行けない?
そもそも寺が閉まっている???


こうしている間にも刻々と時間は過ぎていきます。
そしてあつあつのコロッケは徐々に冷めていきます。
そして傍らの御方は徐々に熱気を帯びていきます・・・。

「近くのコンビニの駐車場で食べればいいでしょう!
 なんでそんな所に行こうとしたの?
 せっかくコロッケを買ったのに、冷めちゃうじゃないの!!
 お父さんとお母さんには、揚げたてを食べてもらいたかったのに!!」




・・・・・・今年も、怒られてしまいました。



あらためて、某コンビニの駐車場にて。

 

龍ケ崎コロッケ、うまい!

まずどのコロッケにも言えるのが、調味料は一切不要ということです。
素材の味がしっかりと出ている・・・なんてありきたりな表現ではありますが、これらのコロッケにはぴたりと当てはまります。
そういえば「服部精肉店」さんで「龍ケ崎コロッケしょうゆ」なるものが店頭で販売されていましたが、皮肉にもそのようなものは龍ケ崎コロッケには必要なさそうです。

「まいん」さんのポテトコロッケ、「服部」さんの愛情龍ケ崎コロッケはどちらもじゃがいもの旨さがしっかり味わえます。

米粉のクリームコロッケは、両者は対照的。
「まいん」さんのコロッケはゴボウとレンコンが入っていて、特にゴボウの風味がとても香ばしいです。
それに対し「服部」さんのコロッケはマイタケとシイタケが入っているようで、その旨味がやみつきになってしまいます。

「服部」さんの山芋の和風コロッケも、エビと鶏肉のエキスが入っているようです。
とくにエビの風味が色濃く、肉類が食べられない女王様も、このコロッケは毎回召し上がっています。
相変わらずのうまさです。

最後に、「まいん」さんの黒豆コロッケ。これはうまかった!
黒豆とコロッケって、相性はどうなのよ? と疑っていた私にとっては、想像をはるかに超える美味。
味はたしかに、豆、マメ、黒豆なんです。
それが、なんというか・・・とにかく美味なんですよ。
う~ん、ひどい文章。
これは再度龍ケ崎へ行って、コロッケの味を確認してこなければなりませんねぇ。



コロッケの美味のおかげで、荒ぶる女王様の御心は、ふたたび鎮まったのでした。



お花見2021・第2話「龍ケ崎ドライブ~花よりコロッケ!」 完

お花見2021・第3話「枝垂れ桜ハシゴ旅・第1章~流山・清瀧院」へ続く。

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今井の桜2021~花より白鳥?

2021-05-08 | 公園・庭園


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 3 月 2 7 日 ( 土 )

午 前 7 時 2 7 分

千 葉 県 白 井 市

今 井 の 桜



令和3年の春も、今井の桜をお花見にやってきました。





小さいほうの手賀沼(下手賀沼)に注ぐ、細い細い用水路・金山落
その両岸を、今年も桜が彩っています。



今年は7分咲きくらいでしょうか。



快晴の朝。
水面に反射する桜も、じっくりと拝見。



4年連続の今井二号橋
今年も変わらぬ美しい景色・・・と言いたいところですが、今年はなんだか人が多いような気がします。
橋の上からカメラを構える人がふたりほど。
見物客の中には、三脚を据える者も。



隠れた花の名所であった今井の桜も、ついに衆人に知れ渡ってしまったのでしょうか。
だとすれば、ちょっとだけ複雑な心境です。


(だったらブログに記載しなきゃいいじゃねぇか・・・・・・ごもっともです)


橋の上のカメラの先には・・・



なんと白鳥がたたずんでいます。



たしかに白鳥です。アヒルじゃありません。



オレンジ色のくちばしに、黒いコブのようなものがついています。
コブハクチョウです。



悠然と水路を泳いでいた白鳥ですが・・・少し様子がおかしい?









水路をよじ登って・・・



水路脇の砂利道まで来てしまいました。



白鳥さん、人間の我々を全く恐れることなく、道ばたの草をついばんでいます。


それにしても、白鳥をこんなにまじまじと見たのは久しぶりです。
純白の翼を広げたシーンは、白鳥の美しさをあらためて実感しました。
たった1羽でこれだけの衆目を集めながらも、悠然としています。
まさに孤高の存在ですね。


桜と白鳥のシーンが見たいなぁ・・・



田んぼと白鳥のシーンも見たいかな・・・



この白鳥さん、サービス精神旺盛じゃねぇか?



そうそう、この日はお花見にやってきたんですよぉ~。













でもやっぱり・・・







今年の主役は白鳥さんでしたね。



白鳥さん、美しい姿を惜しげもなく見せてくれてありがとう!





【画廊】ハイソフト「日本の美しい橋」コンプリート

2021-05-08 | 日記


ハイソフト「日本の美しい橋」ギャラリーへようこそ。





ここでは、当サイトの管理人が自らハイソフトを購入し、賞味したうえで、収集した「日本の美しい橋」カード全16枚を展示いたします。
どうぞ、ごゆっくりご観賞くださいませ。



No.1 タウシュベツ川橋梁 (北海道河東郡上士幌町・糠平湖(かつてはタウシュベツ川)

 

旧国鉄士幌線タウシュベツ川橋梁は、長さ130メートル、幅3メートルのアーチ橋構造の鉄道橋です。

昭和14年(1939年)に国鉄士幌線十勝三股駅まで開通した際に、架橋されました。
昭和30年(1955年)糠平ダムが建設され、橋梁はダム湖の糠平湖に沈むこととなりました。
季節によって湖底に沈んでいたり、湖上に姿を現したりすることから、「幻の橋」とも呼ばれていますが、そのことは橋梁自体の損傷を進行させ、橋梁自体の崩壊も時間の問題と考えられているそうです。



No.2 鶴の舞橋 (青森県北津軽郡鶴田町・廻堰大溜池(津軽富士見湖)

 

鶴の舞橋は、長さ300メートル、幅3メートルの歩行者専用橋で、木造のアーチ橋では日本最長を誇ります。

橋が架かる廻堰大溜池は、岩木山(津軽富士)がよく見えることから「津軽富士見湖」と呼ばれています。
地元の良材である青森ひばを使用してできた橋は、鶴が飼育されている丹頂鶴自然公園と、富士見湖パークのふたつの公園を結んでいます。



No.3 恐山太鼓橋 (青森県むつ市・三途川(正津川)

 

恐山太鼓橋は、恐山菩提寺の一部をなず歩道橋です。

恐山は、カルデラ湖である宇曽利山湖とそれを取り囲む外輪山をあわせた総称で、単独で「恐山」という山があるわけではありません。
太鼓橋の先に恐山菩提寺の山門があり、その境内は三途の川向こうの「あの世」の景色が広がっています。



No.4 谷瀬の吊り橋 (奈良県吉野郡十津川村・十津川(熊野川)

 

谷瀬の吊り橋は、長さは297.7メートルの吊り橋構造の歩行者専用橋で、生活用の吊り橋としては日本最長を誇ります。

昭和29年(1954年)当時800万円もの工費をかけて架橋されました。
この工費の8割は谷瀬の集落に住まう人々が負担したもので、当時の集落の人々にとっては悲願の吊り橋であったことが思い起こされます。
架橋当時は日本最長の歩道吊り橋で、その後に架橋された「日本最長の歩道吊り橋」はいずれも観光用のものであり、現地の生活に根付いているという点に絞れば、谷瀬の吊り橋はいまだ日本最長であり続けています。



No.5 二荒山神社神橋 【国指定重要文化財】(栃木県日光市・大谷(だいや)

 

二荒山神社神橋は、長さは28メートル、通行幅は7.4メートルの歩行者専用橋で、世界遺産「日光の社寺」の構成物件のひとつです。

奈良時代の末期、日光山中禅寺を開いた勝道(しょうどう)上人が、山に入る際に大谷川の急流に行く手を阻まれてしまいます。
上人が神仏に加護を求めたところ、2匹の蛇が現れ、その背から山菅(やますげ)が生えて橋になったといいます。
この伝説から「山菅橋」「山菅の蛇橋」とも呼ばれています。



No.6 日本橋 【国指定重要文化財・日本三名橋】(東京都中央区・日本橋川

 

日本橋は、長さは49.1メートル、通行幅は27.3メートル、アーチ橋構造の道路橋です。

江戸幕府の街道整備計画のさきがけとして造られることとなり、慶長8年3月3日(1603年4月14日)に完成しました。
翌年には五街道の基点と位置付けられ、以後江戸で最もにぎわう場所となっていきます。
しかし火事による焼亡10回を数えるほか、のべ18回もの架け替えがなされ、現在の橋は明治44年(1911年)4月3日に完成したものです。



No.7 猿橋 【国指定名勝・日本三奇橋】(山梨県大月市・桂川(相模川)

 

猿橋は、長さは30.9メートル、通行幅は3.3メートルの歩行者専用橋で、かつては刎橋で造られていました。

推古天皇の御代の610年ごろに、百済の渡来人の志羅呼(しらこ)という人物が建造したといいます。
時代は下り、江戸時代に江戸から甲府まで甲州街道が整備されると、猿橋は街道の一部を構成し、周囲の渓谷とともに「甲州街道随一の名勝」とうたわれました。



No.8 蓬莱橋 (静岡県島田市・大井川

 

蓬莱橋は、長さ897.4メートル、通行幅は2.4メートルの木造歩道橋です。

江戸時代は架橋が許されなかった大井川に、明治12年(1879年)牧之原台地と東海道の島田宿(島田市)を結ぶために架けられた橋です。
平成9年(1997年)12月30日に、「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてギネスブックに認定されました。
長い木=「長生き」の橋、897.4=「やくなし(厄無し)」の橋として、パワースポットにもなっているのだそうです。



No.9 浅野川大橋 【国登録有形文化財】(石川県金沢市・浅野川

 

浅野川大橋は、橋の長さは55メートル、幅は17メートル、アーチ橋構造の道路橋です。

文禄3年(1594年)加賀藩の藩祖・前田利家北国街道の橋として架けたのが最初といわれています。
現在の橋は大正11年(1922年)に架けられたもので、3径間連続固定アーチ構造という独特の構造をとるアーチ橋となっています。
昭和41年(1966年)までは北陸鉄道金沢市内線の路面電車が通行していました。



No.10 大井川鐡道レインボーブリッジ (静岡県榛原(はいばら)郡川根本町・接岨(せっそ)湖(大井川)

 

奥大井レインボーブリッジは、大井川鐡道井川線(南アルプスあぷとライン)の2本の鉄橋の総称です。
写真の右側が下流側の橋で、その長さは283メートル、上流側の橋は、その長さは191メートルで、双方ともに幅は5.45メートルあります。
ふたつの橋の間、接岨湖に突き出た半島状の陸地に奥大井湖上駅があります。

昭和47年(1972年)に長島ダム建設計画が立ち上がり、昭和52年(1977年)に建設が始まりました。
このダム建設により大井川鐡道井川線が水没することとなりましたが、昭和61年(1986年)に路線の付替工事が始められ、平成2年(1990年)新しい井川線が運行を開始、奥大井湖上駅も同時に開業しました。
工事はその後も続き、平成14年(2002年)長島ダムが竣工しました。



No.11 南禅寺水路閣 【京都府指定史跡】(京都市左京区)

 

南禅寺水路閣は、南禅寺の境内を通る琵琶湖疏水の一部を構成し、長さは93.2メートル、幅は4メートルあります。

3代目京都府知事・北垣国道は、戦災と東京奠都(てんと)からの復興策として琵琶湖から水を引く琵琶湖疏水の建設を計画し、田邉朔郎を主任技師に任じました。
明治18年(1885年)に工事が始まり、南禅寺水路閣は明治21年(1888年)に、琵琶湖疏水は明治23年(1890年)に完成しました。
明治時代に入ってから、大規模な土木工事は外国人技師が設計監督をしていましたが、琵琶湖疏水は日本人が設計監督した初めての大型土木工事でした。



No.12 帝釈峡雄橋 【国指定天然記念物・国指定名勝】(広島県庄原市・帝釈川

 

雄橋は、長さは90メートル、通行幅は18メートルで、世界最大級の天然橋といわれています。

中国山地有数の渓谷・帝釈峡に鎮座する巨大な石灰岩が、川の浸食作用によって下の部分が貫通するに至り、橋のようになったといいます。
雄橋は、帝釈川を挟んだ地域の生活道の一部となっていたほか、「神が架けた橋」あるいは「鬼が架けた橋」との伝承もあり、地域住民の信仰の対象にもなっていました。



No.13 多々羅大橋 (広島県尾道市・愛媛県今治市・多々羅海峡(瀬戸内海)

 

多々羅大橋は、全長は1,480メートルの道路橋で、斜張橋構造の橋では世界で5番目を誇り、国内では最長となっています。

広島県の生口島(いくちじま)と愛媛県の大三島(おおみしま)を結ぶ橋で、しまなみ海道を構成する橋では、本州側から4橋目にあたります。
逆Y字型の主塔の下で大きな音を出すと、「鳴き龍」現象が発生します。
その現象を体験できるように、主塔部の歩道には“ばち”が設置されています。



No.14 長崎眼鏡橋 【国指定重要文化財・日本三名橋】(長崎県長崎市・中島川

 

眼鏡橋は、長さ22メートル、幅3.65メートルあり、琉球王国時代に架けられた天女橋【国指定重要文化財】を除くと日本最初の石造りのアーチ橋です。

寛永11年(1634年)中国から来日した高僧・黙子如定(もくすにょじょう)の指導のもと、彼が招聘した中国の石工らの力により架橋されたといいます。
「眼鏡橋」という名称は通称ではなく正式名称で、文化財としての名称も「眼鏡橋」です。
また眼鏡橋はこの長崎市のもののほか、隣の諫早市にも存在します。



No.15 錦帯橋 【国指定名勝・日本三名橋・日本三奇橋】(山口県岩国市・錦川



錦帯橋は、長さ193.3メートル、幅5メートルの歩行者専用橋です。

長州藩岩国領の3代領主・吉川広嘉は、中国の名勝・西湖の6連アーチ橋から着想を得て、延宝元年(1673年)建設に着手しました。
同じ年の10月に錦帯橋は完成しますが翌年の洪水で橋脚が壊れ、橋も落ちてしまったため、橋脚を石垣で強化したうえで再建しました。
橋脚の改良により、錦帯橋は昭和25年(1950年)のキジア台風まで276年間、定期的な架け替え工事はあったものの、洪水などで流失することはありませんでした。



No.16 愛本橋 【日本三奇橋】(富山県黒部市・黒部川

 

愛本橋は、長さは130メートル、通行幅は8.6メートルの道路橋です。

寛文2年(1662年)3代加賀藩主前田綱紀の命により、北陸街道をつなぐ橋として架けられました。
黒部川はたびたび増水し橋脚を立てるには適していなかったため、川の両岸から大木を突き出して橋を支える刎橋(はねばし)の構造で架けられました。
昭和47年(1972年)には12代目の橋としてアーチ橋が架けられて現在に至ります。






ハイソフト「日本の美しい橋」第15橋

2021-05-08 | 日記


令 和 3 年 ( 2 0 2 1 年 ) 5 月 1 日 ( 土 )

午 後 8 時 0 0 分

横 浜 市 某 所

大 会 会 場



柏の本拠地から離れ、横浜にて麻雀に興じる日々。



十数回連続のダブりにもめげず、横浜橋商店街おかしのまちおかで5箱購入。
本来なら食べる分だけしか開封しないハイソフトを、今回は5箱一気に開封しました。



1枚目・・・恐山太鼓橋、ダフリ。
2枚目・・・谷瀬の吊り橋、ダブリ。
3枚目・・・恐山太鼓橋、ダブリ・オブ・ダブリ。
4枚目・・・南禅寺水路閣、ダブリ。

そして最後の1箱。



21枚連続ダブリを引いた末、ついにご新規のカードが現れました。
この画は、たぶん瀬戸内海のほうだと思うのですが・・・裏を見てみましょ。



13番、しまなみ海道多々羅大橋!


多々羅大橋は、広島県尾道市の生口島(いくちじま)と愛媛県今治市の大三島(おおみしま)を結ぶ斜張橋です。
全長は1,480メートルで、斜張橋の中では世界では5番目、国内では最長を誇ります。
しまなみ海道を構成する橋では、本州側から4橋目にあたります。
逆Y字型の主塔の下で大きな音を出すと、「鳴き龍」現象が発生します。
その現象を体験できるように、主塔部の歩道には“ばち”が設置されています。



斜張橋とは、複数のケーブルが主塔から直接斜めに下りていて、橋げたを直接支えている構造の橋で、広い意味での吊り橋の一種といえます。
狭い意味での吊り橋は、主塔に渡されるメインケーブルをもち、そのケーブルから鉛直に垂らされたハンガーロープで橋げたを支える構造になっています。



しまなみ海道といえば、サイクリングのメッカともいえる道。
ガチのロードバイク乗りであるわが同好会の副会長が、このほど訪れるのだそうな。
藩士でもある副会長は、「たこの憩い処 たこ八」あたりで舌鼓を打つのが目に浮かびますなぁ。
(本当は「たこの憩い処 たこ八」ではなく「蛸処 憩」

私にとっても、四国の城攻め旅が半ばで終わっているので、再訪の際には通ってみたい道です。
そのときは、当然ままちゃりに跨ることとなるでしょうね。



「日本の美しい橋」、残るはあと1枚になりました。



最後の鶴の舞橋を引くのに、あとどれくらいハイソフトを賞味することになるのでしょうか。