鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

奇妙な年越し

2014-01-17 | 鬼ヅモ同好会

2 0 1 3 年 1 2 月 3 1 日 ( 火 )

午 前 9 時 3 0 分

横 浜 市 南 区

鬼 ヅ モ 同 好 会 大 会 会 場



大みそか。

予定では、この日にママチャリともども千葉の拙宅に戻る。
会長は東京駅方面へ「勤行」のため、早めに「よいお年を~」と別れた。


身体がだるい。時刻は正午を回る。
いまよね氏宅を出れば、日没すぎて拙宅にもどれるなぁ。


時は流れる。


時は夕刻の午後5時。
いま発てば、中山法華経寺(千葉県市川市・船橋市)で除夜の鐘が聴けるなぁ。
自宅に着くのは午前1時か。



でも夜道はやっぱり怖いなぁ。

やっぱり帰るのはやめよう。



会長が「勤行」からお戻りになった。
鬼ヅモ会員は4人そろって年を越すこととなった。
だったら麻雀やれよ!という意見もあろうが、今回の第61回大会はよね氏の優勝ですでに幕は下りている。
急きょ第62回大会「年越し大会」ってことで始めようかという話もあったが、ついぞ闘牌が繰り広げられることはなかった。


大晦日の夕食はやはり・・・



近くの「太田屋」さんで年越しそばをいただくことに。
私はそばの王道・大もりそば。



店内は年越しそば目当ての客のために混雑していたが、そば湯の大好きな私は、そんなことに構わずそば湯をおかわりした。

私のそば湯の飲み方は、
(1) まずとっくりから残ったそばつゆをすべて注ぎ、そこにそば湯を入れて飲み、そばつゆの味を愉しむ。
(2) (1)が4分の1になったら、さらにそば湯を入れ、味の濃淡のギャップ?を愉しむ。
(3) (2)をもう一度。
(4) (3)をすべて飲みほし、最後にそば湯だけを飲み、そば湯自体を愉しむ。
というものなので、天ざるそばを頼んでいたよね氏の分までそば湯を飲んでしまいました。すみませんね。





2 0 1 4 年 元 日

年 越 し の 瞬 間




たか氏は、信長の野望の最新作「信長の野望 創造」をやっていた。
甲斐の武田信玄で順調に領地を広げていると思われたが、尾張の織田信長の台頭にてこずっているご様子。



私はなぜか「暗黒神話ヤマトタケル伝説」とかいうゲームをやっていた。
なんでだろう!? このゲームをやるに至った経緯が全く思い出せない・・・。




午 前 8 時 1 5 分

よ ね 氏 宅 を 発 つ


元日は、よね氏が実家に帰省しなければならないもよう。
これにともない大会会場は閉鎖され、会員諸子は退去を余儀なくされる。
いや、こういったきっかけがなきゃ、私はいつまでたっても動かないから、かえって好都合というべきか。

よね氏は実家への帰省を蛇蝎のごとく嫌う。
氏は「無意味な接待」「時間の浪費」などどこき下ろすが、これが同好会員の笑いを誘ってしまう。本人は大まじめに言ってるようだが。
よね氏とご尊父・ご母堂との闘いはこちらをどうぞ。


私は、ママチャリにまたがってかつ氏、たか氏に別れを告げ、箱根駅伝の準備がすすむ第一京浜を北上した。
私とママチャリは順調に快走し、途中の鶴見で休憩を取ったものの、11時には前面に東京タワーが見える三田通りに到達。

混雑が予想される銀座方面を避け、東京タワーを前に進路をとった。




振わぬ闘牌

2014-01-17 | 鬼ヅモ同好会

2 0 1 3 年 1 2 月 2 9 日 ( 日 )

午 後 8 時 3 0 分

第 6 1 回 鬼 ヅ モ 同 好 会 麻 雀 大 会



大学時代から数えると、もう61回目なのか。
「こんな げーむに まじになっちゃって どうするの」ってくらいだ。
昔でこそ1000点=10円くらいの現金の授受があったが、現在は金銭その他の商品一切を賭けることもなく闘牌を繰り広げる。
おのおのの闘牌で、ときには口撃で、さらには酒を一服盛って、同好会員は優勝という名誉のみをめざすのである。


12月29日は東風戦10試合。
スタートダッシュが弱い私は、今回も債務を抱えていく。
この日はよね先生の会話攻撃が舌好調! さすが「シャミのよね」

負債3ケタはかろうじて免れたものの、苦しい展開のまま第1日目を終えた。



闘牌終了後のお夜食タイムで、「囲碁VS将棋」なるものをやってみることに。

ルールは以下のとおり。
・9×9の将棋盤。
・初期配置は将棋に倣う。ただし一方は将棋の駒、もう一方は王将以外が黒石。
・相手の王将を取れば勝利。
・将棋軍は盤上の駒を動かす。
・囲碁軍は黒石を置いていく。碁石は無限。
・将棋の駒は、将棋のルールのとおりに動き、相手の碁石(または貼られた駒)を取れる。
・碁石は、いったん置いたら動かすことはできない。囲碁のルールのとおり、完全に囲い込んだら相手の駒を取れる。
・両軍とも、取った駒や碁石は将棋のルールのとおりに貼ることができるが、囲碁のルールにしたがい着手禁止点には貼れない。

将棋軍の私はわざわざ穴熊を組んでみたが、囲碁軍の会長は黒石をペタペタ置いて前線に長城を築いていく。
そうか、囲碁軍は盤上を碁石で埋め尽くせば勝ちなんだ。
堅固な守りを攻め崩せず、そのまま投了・・・。





2 0 1 3 年 1 2 月 3 0 日 ( 月 )

大 会 2 日 目


寝て、食って、空き時間に「魔界塔士SaGa」をやりつつ、大会2日目。
この日は東大流殺戮麻雀の使い手・ご~氏が合流!


同校会員は齢30を回り、多忙で休みを取れなくなってきた。
大会の時季である盆暮れ正月GWにも、毎回のように「人数が揃わない」危機を迎える。
だが大会当日となれば、なんとか人は集まり、ときには会員が総出で集まり、幾度となく危機を乗り越えてきた。



今回も参加困難を事前に表明していたご~氏が駆けつけてくれた。
この場を借りて御礼を申し上げたい。本当に有難うございます。


さて肝心の闘牌はというと、相変わらずの低空飛行。
かろうじて死守していた△100の壁をあっさり突破。
いちど緑一色までもう少し! といった場面はあったが、見せ場らしい見せ場はそれだけ。
なによりポイントが一気にたまるトップを獲れてないのが痛すぎる。

東風戦15試合を繰り広げ、今大会の順位がほぼ定まってきたところに最終試合。
ほぼ消化試合と化した最終試合は、ラストコールのパネルを取っても「なんにも変わらない」アタック25の場面をふと思い浮かべてしまった。


第61回大会結果はこちら。



急きょ参加してくれたご~氏は、日付が変わらないうちにご帰宅。
私も翌日の大みそかにはママチャリで帰宅する・・・はずだった。




洋食屋にて

2014-01-17 | 鬼ヅモ同好会

2 0 1 3 年 1 2 月 2 9 日 ( 日 )

午 後 6 時 4 0 分

横 浜 市 南 区



ママチャリこいで千葉から東京、神奈川とやってきて、水曜どうでしょう「原付日本列島制覇」の走行経路をたどってきてみたら、すっかり日没。
時計代わりのスマホさんをみてみると、時刻はすっかりディナータイムを迎えていた。

今回も、大会の会場はよね先生のご自宅。
東神奈川あたりでよね先生に入電すると、すでに会場入りしている会員とともに出かけるようだ。

・・・飯だな。

会員が食事のために出かけるのは中華街、関内のインド料理店「スンガバ」か。
それとも会場の近場か。

・・・心優しき会員達が、「俺たちがメシ食ってる間はどこかで暇でもつぶしていろ」という挙には出ないだろう。

東神奈川から会場までは距離にして10kmもない。
いくらママチャリの私でも1時間程度で到着できる。

・・・近場で食事を済まして、近くのコンビニで買い物をするに違いない!

食事をするとなればどこだろうか。

・・・会員達は飲食店に関しては冒険はすまい。
・・・私が歌舞伎町の中華料理屋に果敢に冒険してもろくも崩れ去ったこと、たか氏は目の当たりにしている。
・・・某氏の仏頂面・・・忘れられぬ。

そうなると候補は3箇所。
洋食屋の「ロッシュ」か、そば屋の「太田屋」か、焼肉屋か。

・・・焼肉屋はないな。

すでに30を過ぎた会員達が、これから始まるであろう闘牌を前にして、胃に重たく満腹感を与える焼肉を選ぶとは考えられない。
それに焼肉ならば食事時間も1時間では済まないだろう。

・・・そば屋も考えにくいかな。

「太田屋」からは中に誰がいるかうかがい知ることはできない。
会員達がそばを選択していたら・・・とも思ったが、そば屋はおそらく「年越しそば」のために温存するに違いない。

・・・そうなれば「ロッシュ」一択!

ママチャリで「ロッシュ」を捜しながらうろうろして回った。


ついに「ロッシュ」を見つけ出した!
店内では会長・かつ氏、副会長・たか氏、会場提供・よね氏が談笑していた!

ママチャリを道ばたに停めて、何食わぬ顔で入店。
こうして、サプライズ好きな私は自己満足を味わうのであった。


道中にパンを食べながら移動していた私は、メチャクチャ空腹であったわけでもなかった。
いつもなら多少重たいオムライスとかを頼むのだが、この日はエビピラフという洋食の中ではあっさりしたものを頼んだ。

(写真撮っとけばよかったなぁ)

3氏はすでに食事を終え、飛び込みでやってきた私の食事を待つことに。
いや~、申し訳ない(^_^;)

おやおや、会長はつけ合せのナポリタンを残しているではありませんか~。
もったいないですよ~と私が食す。
会長、エビフライの頭を残しておられる。
もったいないですよ~と私が食す。

・・・エビの頭は1匹で十分だな。

エビ、タマネギ、マッシュルームなど、具材の大きなエビピラフを、衆目の前で味わう。
「食べ物を本当にうまそうに食べる」と称される私の食いっぷりを見て、会員達は口々に「うまそう」とのたまう。
一人だけ食事するのもバツが悪いので、何か軽いものでも食べるよう私は勧めるのだが、会員達はただただ私の食事を待つのであった。
満腹になると後の闘牌に影響するからなのか。
さすが、勝つためにはぬかりのない鬼ヅモ会員。



食事を終え、店を出た。
店の前に停めていたママチャリ「飛電」に、会長は驚いておられた。

しかしまさか会長がそこまでなさるとは・・・!!
それはまた別の話。




日本列島制覇の道

2014-01-13 | どうでしょうロケ地

2 0 1 3 年 1 2 月 2 9 日 ( 日 )

午 後 4 時 2 0 分

東 京 都 大 田 区

多 摩 川 河 川 敷 ( 大 師 橋 付 近 )



鈴井「今回の行き先は高知です」



鈴井「我々なんか、四十を超えてね、四十を超えちゃうとどうもなんかこう、昔こうだったなぁ、なんとなく後悔しちゃうんですよね」
鈴井「あのときああすればよかった、こうすればよかった、みたいなねぇ」
藤村「ミスター、そりゃね後悔っていうのはね、我々の年齢になればね、そりゃありますよ」
  我々、この年になってくると、後悔ばかり、やり残したことばかりで」
鈴井「ただね、やり残したことをそのままにしておくと逃げになっちゃう」
大泉「高知で・・・高知でやり残したことあったっけ?
  ないよ、別にオレはやり残したこと」
藤村「ないんですか? ないんですか? お前バカじゃねぇのか?
  お前人生ナメてんだろ、いいよじゃお前やんなくていいよ、そしたら。俺たちはやるよ」
大泉「なぁんだよぉ」



藤村「視聴者の人はみんなわかってるよねぇ。おめぇだけなんだよ、わかってねえヤツは」

鈴井「我々は1999年、東京から札幌へ向かって東日本を征服しました。
  その翌年2000年には、京都から鹿児島まで西日本を征服しましたが、
  東京・京都間、さらには四国! そちらの方は一切手をつけていない!」
大泉「ええ~?」
鈴井「それで一本の道筋をしっかりとつけたいと!」
大泉「そんなの誰も気づかないよ。いやあのねぇ、そういうのはねぇ・・・。
  あんまりね、そこ回るってわれわれ思わないと思うよ、それで制覇って言っていいんだよ」
藤村「なにぃ? 東京からさぁ関西回ってさぁ四国だってカブで回ってねぇだろ」


水曜どうでしょう「原付日本列島制覇」のスタート地点。
鈴井(ミスター)・大泉両名が立ち、ミスターと藤村Dが「行先は高知」と企画を発表。
そして高知まで行く手段がズームアップされ、2台のカブ(うち1台は「マルシン出前器」装着済み)が映し出される。

今回は2台のカブを停めていたであろう場所に我がママチャリ「飛電」を停めてみた。
ただ番組VTRを見ると、どうも植生の生え具合が違うような気もする・・・。



う~ん、このへんだろうか?




藤村「大泉さんだってねぇ、水曜どうでしょうでねぇ、ちゃんとおもしろくしないと、タレント人生ちょっと今傷つきますよ、みんな見てんだから」
大泉「なんだよお前、お前はもうチンピラか」
藤村「やる気ない態度やってると、大泉さんだって危ないと思いますよ、そろそろ」
大泉「なんだよそのキャラクター」


カブのもとに着いた大泉さん、カブで高知に行くという企画に乗り気ナシ。
藤村D、大泉さんを強迫。

首都高速湾岸線のほぼ真下にある船着き場から上流側を見ているシーン。
カブはこの場面では後ろ、つまり下流側に停めていたと思われる。
そしてここでこの企画の重要アイテム「マルシン出前器1型」がお披露目される。
マルシン出前器の着いたカブは、当時48歳のミスターが乗ることに。


藤村「やる気ありますか」
大泉「ねぇよ」
藤村「芸能界なんてねぇ、やっぱりねぇ浮き沈みはげしいんだろ? わかってるでしょ? それ。東京行ったんだったらさぁ」
大泉「すごいなー、いよいよこの番組もアレだな、必要悪でしかないな、こうなると。
 やることによって俺の芸能人生が短くなるんだな」



藤村「はいじゃあ大泉さんいきますよ~、キュ~!」
大泉「はい、それじゃいくよ、それでは!4年ぶりの水曜どうでしょう!高知の! 高知のどこ目指すの?」
鈴井「桂浜」
大泉「桂浜、あぁ~竜馬のあるところね。
  高知の!桂浜目指して!行くぞ!」


大泉さんがメットを装着。
いつもどおり、意味のない「キュ~」から気合が始まり、カブの旅スタート。

カブの置いてあった河川敷から堤防脇の公道へあがると、小さな公園がある。
ここから原付日本列島制覇の旅が始まる。


どうでしょう班一行は、公園の所をUターンし、



気合の前に大泉さんがカブを試運転した道を走り、茶色のマンションのところで右折。



すぐ左折し都道424号に入る。

このシーンで企画の制作陣紹介。カメラ担当、音声マン、ドライバーが同行している。

藤村Dは普段どおりにしゃべり、普段しゃべらない嬉野Dがよくしゃべる展開になっていく。
大泉さんいわく、「どうでもいいコミュニティラジオを聞かされている」



藤村「前の方の出前のアレが見えると、働いてるって感じがしますねぇ。急いでる!」
嬉野「出ましたッ! 今!出ました!っていうね、出てますッ!」



さて都道424号を進んでいくと国道15号(第一京浜)に当たるが、交差点ではなく新六郷橋の高架をくぐるようになっている。
新六郷橋の真下、六郷土手の交差点で都道から分かれた道が第一京浜に合流する。
(おそらくどうでしょう班もこのルートをとったと思われる)

 ここだけ2014年元日に撮影。

どうでしょう班は、出られるポイントをなぜかひとつ外し、ここから第一京浜へ合流する。

 2014年元日撮影。

右手側の城南鋼管が決め手。

カブと自動車はこうして新六郷橋に出るが、歩行者とチャリは六郷土手交差点付近にある専用の階段から出る必要がある。


新六郷橋を渡ると、どうでしょう班も、私&飛電も神奈川県に入る。



藤村「この橋を渡れば、東京とおさらばで、神奈川県に入ります」



藤村「これで神奈川県に入りましたね」



どうでしょう軍団が神奈川を初走行。



大泉「どうでしょう軍団がね、今、神奈川を走っております」
大泉「本州とか走っててもね、車にどうでしょうステッカー貼ってる方多いですからね。
  さすがにそういう方いたら今回挨拶していこうかな」
大泉「軍団として」


次のシーンはいきなり横浜市鶴見区、生麦五丁目交差点
川崎市は東西に長いので、第一京浜では2kmほどで横浜に入ってしまう。


鶴見区の南仲通入口交差点付近で、どうでしょう軍団は「正規の走り」(文脈的に「世紀」じゃないもよう)を見せ、新しい軍団員の募集を始めた。



大泉「正規の走りを見せているわけですからね。これこそ正しい、軍団の走りです」
大泉「ひょっとしたらそういう仲間をどんどん連れて行ってもいいかもしれませんね。新しい軍団員をね」
大泉「団員募集! 集え! 桂浜へ!」
藤村「志士を集めて」
大泉「そうそうそう、黒船襲来!」



大黒町入口交差点で、プロパンを積んだ志士が加入?



大泉「隣りのトラックさん気が付いたんじゃないか」
大泉「一緒に桂浜まで行きませんか? 黒船襲来!」
藤村「プロパン積んでますけどね」
大泉「いやぁ、プロパン積んでんだったらなかなか力強いんではないか。なにかと使えそうでしょう」


ちなみに、企画開始地点の大師橋から神奈川方面に進むと、この交差点で第一京浜に合流する。


大泉さんが攘夷を宣言した子安通り交差点



大泉「途中途中多少の攘夷はしてこうと思いますよ」
藤村「やめなさいって」
大泉「若干の攘夷をね」
大泉「日本車は優遇しますけどね、多少外国の車であれば僕は攘夷しかねませんよ」
藤村「いやぁ、使えるかどうかのギリギリのラインを衝いてきますけどね」


藤村Dは大泉さんの無邪気な?発言内容に苦笑い。


早くも・・・



鈴井「これ・・・来るなぁ。肩がもう・・・」
鈴井「予兆がありますね」
鈴井「きてるなぁ」
藤村「まだ横浜にも着いてないんですよ」


出田町埠頭入口の手前の交差点で、ミスターがマルシン出前器の悪影響を訴え始める。
スタート地点の羽田からは10km程度か。
ミスターはこれからマルシンにさんざん苦しめられることになる。


横浜。



藤村「みなとみらいって書いてますよ」
大泉「みなとみらい、来ましたよ」



大泉「さあ、軍団が、横浜の中心地を走っております」
大泉「さあやってきましたよ、神奈川のみなさん、水曜どうでしょう本隊でございますよ」



大泉「どうでしょう軍団、襲来!」
鈴井「なんとなく気づいてほしいんでしょう?」
大泉「う~ん・・・横浜にやってきましたよ」


シーンは飛んで、第一京浜から道なりに進み、みなとみらいへ。
真夏の午前中にもかかわらず、誰一人どうでしょう軍団に気づいていない模様。
さくら通り西交差点では、大泉さんがシビレを切らす一幕。




藤村「今まさにランドマークタワーとか、あそこらへんですね左手は」
藤村「横浜の中心地!」
大泉「来ましたよ~水曜どうでしょう!」
藤村「ここで気づかれなければ、気づかれるとこありませんよ」
大泉「どうでしょう本隊ですよ、我々は!」



関内。



大泉「うわぁぁぁ、水曜どうでしょう」
藤村「どういう、どういう今のは?」


全く気付かれず。

大泉「こんなのもう、後から放送見たら、我が町をどうでしょう本隊が通ったんだと」
大泉「出前持ちの軍団員がいたら、仕事に希望がわくよね」



出前持ちの希望を語る長者町五丁目交差点



大泉「高知まで行きますっていうそば屋が増えるんじゃないかな」
大泉「出前迅速」「6日以内に!」
大泉「出前迅速、桂浜まで行きます!」




どうでしょう軍団は、このまま鎌倉街道を進んで由比ヶ浜に出て高知に向かう。
私は途中でリタイヤし、鬼ヅモ同好会の麻雀大会に参加した。



集え!




3つのスタート地点

2014-01-11 | どうでしょうロケ地

2 0 1 3 年 1 2 月 2 9 日 ( 日 )

午 後 1 時 4 2 分

東 京 都 中 央 区

日 本 橋



拙宅からママチャリ「飛電」で3時間。
日本の道路のスタート地点である日本橋【国指定重要文化財】。







日本国道路元標です。
青看の「東京 ●Km」「日本橋 ●Km」は、この元標までの距離を表しています。



日本橋の真上には、首都高速道路都心環状線が走っており、宙に浮かぶように道路元標が据えつけてあります。
上の高速道路も、ここがアジアハイウェイ1号線(AH1)の起点となっています。


それにしてもまっこと見事な快晴なり!



さてさて、日本橋から北を向くと国道4号、国道6号、国道14号、国道17号、



南を向けば国道1号、国道15号、国道20号が伸びています。国道法という法律上は。

実際は北が国道4号、南が国道1号です。
国道1号は日本橋からの最初の交差点で国道15号と分かれ、三宅坂(最高裁判所前)で国道20号に分かれます。
国道4号は新日本橋駅前で国道17号と分かれ、その次の交差点で国道6号・14号と分かれます。

参考までに。



それはともかく今回は、鬼ヅモ同好会の麻雀大会に参加すべく、日本橋から29km先にある横浜へ向かいます。
せっかくママチャリで来て行動の自由度が高いんだから、その途上、できるだけどうでしょうロケ地を巡りながら国道15号を南下していきましょう。




午 後 2 時 0 5 分

東 京 都 中 央 区

銀 座 四 丁 目


日本橋から国道15号・中央通りをまっすぐ南下すると、人出にぎやかな銀座四丁目交差点へ。



藤村「15万もするもん、そうそう二つも買えますか!?」
大泉「それじゃあなにかい!? 俺らは15万分の働きをしてないかい!?」
藤村「だって、15万もするんですよ!?」
大泉「(番組を)降りるぞ!」
藤村「それじゃあ、欲しいってことですか?」
大泉「欲しいよ!」


さっそく水曜どうでしょうの一幕。
出演陣の鈴井さん(ミスター)が銀座で欲しいものがあって、それを番組の金で買うということになっていました。
その場にいた出演者の大泉さんは、それを聞いて、それなら俺にも買ってくれよとゴネます。

すぐに大泉さんは「何を買ってもらえるかわかんねえのに騒いでいたけど」と落ち着きを取り戻すのですが・・・。

ちなみに、このやりとりは松屋銀座本店前ではなく、晴海通りをはさんだ向かいのル・カフェ・ドトール銀座・銀座4丁目本店の前で繰り広げられています。


銀座四丁目でいったん中央通りから離れ、晴海通りを進み築地へ向かいます。



ミスターが欲しい15万円相当のものを購入した竹田輪業さん。
購入したものは、50ccバイクのHONDA・カブ

大泉「どうやって持って帰るの?」
鈴井「欲しいなら、乗って帰りなさいよ」


こうして、東京から札幌までカブに乗って帰る「72時間!原付東日本縦断ラリー」の旅が始まってしまいました。

竹田輪業さんは年末のこの日も営業してました。



国道15号は銀座を過ぎると第一京浜と名称が変わります。
浜松町を過ぎたあたりで日本で2番目に短い国道130号に入り、海岸通りを進んでいきます。




午 後 3 時 1 1 分

東 京 都 品 川 区

天 王 洲 ア イ ル


だいぶ日が傾いてきました。
海岸通りを南下していたところ、天王洲のシーフォートスクエア付近で強烈な便意が・・・!

幸いかつての私の勤務地にほど近い所だったので、私の脳裏に残っている土地勘を頼りに、トイレを探し当てて一安心(^_^;)



天王洲の運河にかかるこの橋はふれあい橋というそうです。
この橋はドラマのワンシーンによく出てくる橋なのです。



腹が減ったのでキャラメルでも食うか。

 

まだ水曜どうでしょうが旅番組に完全にシフトする前のころは、ミュージシャンの紹介とかもたまーにやっていました。
最初の旅であるサイコロの旅(第1弾)は、アン・ルイスのインタビューを東京でやって、そのついでにやった企画だったのです。

ある日、札幌の大学生・大泉洋さんが鈴井貴之氏のラジオを見学する・・・という企画が組まれました。
そのときのゲストは「1/6夢旅人」の樋口陽一樋口了一氏。
(樋口陽一は憲法学者)
番組が終わりに差しかかり、鈴井氏が話の流れで不穏な言葉を発します。

鈴井「樋口さんちにくっついていっちゃおうかな~」
樋口「ああ、いいですよ~」


ラジオの見学という企画だけのはずの大泉さんは、異論をはさむこともできずに樋口氏の自宅がある東京川崎に連行されてしまいます。
そして樋口さんの仕事場・東芝EMIのレコーディングスタジオへ行くことに。

のちに藤村Dをして「あいついい歌うたうんだよ~」と言わしめる大泉さんも、当時は編集で大幅にカットされるほどの歌声。
それでもレコーディング体験をし、ご満悦だった大泉さんでしたが・・・

これから札幌に帰ろうかというところで、明治のサイコロキャラメル登場。
本当の企画「サイコロ3~自律神経完全破壊~」の旅が始まるのでした。

「♪何が出るかな~何が出るかな~それはサイコロ任せよ!」

天王洲のふれあい橋で投じられたサイコロは、5の目を出し、どうでしょう班を深夜バス「キャメル号」に押し込め鳥取へと連行するのでした。



最近のサイコロキャラメルは、こんなのも入っているんですねぇ。

※サイコロ3のくだりは、2014年2月16日にMXテレビで放映されたどうでしょうClassicを視聴して、ブログの錯誤を訂正しました。
 ついでだから文章を丁寧語に変えてみましたよぉ~。(2014/2/18)



天王洲近くの旧海岸通りから見たふれあい橋。

 (旧海岸通り・天王洲橋から)

私とママチャリ「飛電」はさらに南に進みます。




午 後 4 時 2 0 分

東 京 都 大 田 区

多 摩 川 河 川 敷 ( 大 師 橋 脇 )


日が傾きかけたところで、神奈川県は目前。



羽田と川崎を結ぶ大師橋まで到達。